2000/01シーズン、クロアチア・サッカー観戦記
"Hajduk Zivi Vjecno!" (2) 
〜ハイドゥク・スプリト優勝&トルツィダ変貌への軌跡〜

2001/4/11 クロアチア・カップ準々決勝「ディナモ・ザグレブvs.NKザグレブ」観戦


【写真:プロシネツキ主催の大会で優勝した
11歳(当時10歳)のディナモ・ユース】

 4月11日。この日はクロアチア・カップ準決勝第1戦が行われる。ディナモはNKザグレブと、そしてハイドゥクはアウェーでオシエクとの対戦。前者の試合を観戦予定の僕は、会場をディナモの本拠地マクシミール・スタディオンと勘違いしてしまう。マクシミールはザグレブ中心街の東、今日の会場であるNKザグレブ・スタディオンは西にある。ひっそりとしたマクシミールに到着してようやく間違いに気付く。無駄足にしてしまうのも嫌だし、試合開始まではまだ時間があったことから、ユースの子供達の練習を見学することにした。数あるディナモ・ユースのクラスの中でも気になるのが11歳のクラスだ。昨年のディナモvs.ハイドゥク戦の後に子供達と話す機会があり、写真を撮って人数分を送ってあげた。当時10歳のヴェリミール君はその御礼として、丁寧な手紙とプロシネツキ主催の大会で優勝した記念写真を同封して送ってきてくれたのだ。昨日は2部のクロアチア・セスベッテの試合観戦もあって、彼等の練習中に去ることになったが、偶然にも毎日練習を見に来るヴェリミール君の父親と知り合いになる。この日も父親に歓迎されて練習見学。小雨の降る中、ドロンコになってボールを追い駆ける子供達を僕は見続けた。1時間を超える練習を終えると、子供達は僕のところに集まってきた。ヴェリミール君を中心に「僕等のことは覚えてる?」から「プレイステーションは持っている?」まで、矢継ぎ早に覚えたての英語で質問してくる。「僕はこれから1ヶ月クロアチアに滞在するし、9月からザグレブに住むから君達の練習は何時でも見に行けるさ」と再会を約束すると、子供達は笑顔を振り撒いて「Videmo se!」「Ajde bok!」と別れの挨拶を口々にしクラブハウスに戻っていった。何と可愛らしい子供達。僕の"ディナモへの愛"は全てに及んでいる.........はずだった。しかしこの後の一人のBBB(バッド・ブルー・ボーイズ…ディナモ・サポーター)の心無い行動に、その全ての愛は"部分的な愛"へと変化し始める。

 マクシミールを去り、4番のトラムでNKザグレブ・スタディオンへと向う。スタジアムの入口付近にはガラの悪いBBB連中がたむろしていた。でもこの時まではまだ彼等に友好意識を感じていた。しかしながら、公衆電話から知人に連絡していたところ、スキンヘッド野郎が何と僕に向ってツバを吐いたのだ。それも一度だけではなく二度まで。掛かりはしなかったが、睨み付けるとスキンヘッド連中はせせら笑う。「俺は遠く日本からきたディナモの一ファンなのに何をしやがる!」−昨年、"スキンヘッドはアジア人を嫌ってるから気を付けて"との忠告は受けていたが、僕には許し難いショッキングな事件であった。

【写真:ぬかるんだピッチで戦う両チーム 撮影:Sport-Net

 腹立たしさを抑えながらチケット(40クーナ…約600円)を購入して、試合開始10分前に入場。カップ戦ではあるがザグレブ・ダービーには違いない。平日16時30分キックオフという条件ながら、メインスタンドは屋根で雨を遮られている範囲内をギッシリ観客で埋めている(推定観客1500人)。大多数がディナモ・ファンかと思いきや、試合の反応を見ていくと意外にNKザグレブのファンが多いかもしれない。一方、チケットが半額のバックスタンドには数少ないBBBが陣取る。この試合においてディナモは、3日後のハイドゥク戦に合わせて1.5軍のメンバーで挑んだ。GKブティナ以下、DFトキッチ:ドルピッチ:ポロヴァネツ:レウタール、MFピリポビッチ:パブロビッチ:ミキッチ:アギッチ、FWバジーナ:デ・オリベイラの4-4-2。ロンチャレビッチ監督は攻撃の主力であるショコタ、ツビタノビッチをベンチに、バラバンをスタンドに温存したのだ。一方、NKザグレブのシステムは3-5-2。リベロにゴラン・ユリッチ(元横浜Fマリノス)を据えたチームで、この試合ではカウンターからヨシュコ・ポポビッチ、クルノ・ロブレクのツートップにゴールを託す。ピッチコンデションの悪い中、前半は個人技に勝るディナモ・ペースでボールが周る。6分のパブロビッチのFKは枠をわずかに外れ、22分にはアギッチの右サイド突破のクロスからバジーナが後方のデ・オリベイラに落とすも、彼のシュートはバーの上に。26分にはミキッチが右サイドからボールを持ち込みシュート、これをユリッチがシュートコースにスライディングしてブロック、ボールは数センチだけバーの上を越えていく。最大のチャンスは37分、20mの位置からピリポビッチが強烈なミドルシュート。GKストイキッチが手を伸ばし、わずかに触れたボールはバーを叩き、ストイキッチの手元へと跳ね返った。NKザグレブも、MFチィジュメクから絶好のパスを受けたFWポポビッチが近距離でのシュートチャンスで打たず、つい横パスを出してしまったことから、メインスタンドはブーイングに包まれた。結局、前半は0-0のドロー。

 後半に入ると、それまで耐えてきたNKザグレブが優勢、ディナモのペナルティエリア前での攻防となる。55分、ポポビッチのシュートはGKブティナの正面、59分にはチィジュメクも好機で打ち逃す。ロンチェレビッチ監督は56分にMFイェルコ・レコを投入し、60分には16歳のFWニコ・クラニチャールをピッチに送り込んだ。レコは2年前に静岡で行われたSBSカップにディナモ・ユースの一員として来日。昨日の練習見学で2年ぶりに再会した時にも、僕のことを覚えてくれた若者だ。一方、この試合が公式戦デビューとなるニコ・クラニチャールは、80年代にディナモの名選手として活躍し、クロアチア代表の初代キャプテンも務めたことのあるズラトコ・クラニチャールの息子。彼の登場には敵味方無くスタンド全体から拍手が湧いた。けれども祝福ムードも一転、スタンドからは先程と違う拍手と怒号が飛ぶ。64分、FWロブレクがディナモDF陣のマークを外し、チジュメクからパスを受けてシュート。ブティナの脇を抜けたボールはゴール前の泥溜まりでストップしてしまうが、これをポポビッチが押し込んでNKザグレブが先制。スピーカーから流れる「Jedan je Josko Popovic!」(1点目はヨシュコ・ポポビッチ!)の音声にNKザグレブを応援していた人々はドッと盛り上がる。更にスピーカーからは、ハイドゥクがオシエク相手に2点目を決めたことが発表される。後ろの子供達は「デラニャ、デラニャ(きっと2点ともデラニャだよ)」と口にした。その後も、レアル・マドリッドBに所属経験のあるFWアントニオ・フラニャがディナモ・ゴールを襲う。ディナモも慌てて温存していたFWショコタを投入するが既に時は遅し。ディナモの中でキラリと光るものを見せたのは、柔らかいボールタッチでサイドを駆け上がったクラニチャールぐらいだ。試合は1-0でNKザグレブの勝利。番狂わせといえども、ディナモが自ら招いた敗戦だ。ディナモがNKザグレブに敗れたのは実に10年振りで2度目。雨は冷たく身体も冷え込んできたので、再びBBBに絡まれないよう急ぎ足で宿へと戻った。

CROATIA CUP 2000-2001
semifinal 1st leg
NK Zagreb vs. Dinamo Zagreb

2001.4.11  NK Zagreb Stadion

NK Zagreb Dinamo Zagreb
position name position name
GK 1.Dragan Stojkic GK 1. Tomislav Butina
DF 5. Goran Juric DF 2. Mario Tokic
DF 9. Goran Stavrevski DF 26. Dino Drpic
DF 6. Mario Osibov DF 17. Boris Leutar
MF 2. Josip Bulat DF 5. Kristijan Polovanec
MF 7. Mario Cizmek MF 19. Renato Pilipovic
MF 4. Hrvoje Vejic MF 14. Zoran Pavlovic
MF 8. Domagoj Kosic
['81-Darko Peric]
MF 7. Mihael Mikic
['79-Tomislav Sokota]
MF 3. Ivica Piric MF 8. Jasmin Agic
['56-Jerko Leko]
FW 11. Krunoslav Lovrek
['75-Antonio Franja]
FW 11. Mario Bazina
FW 10. Josko Popovic
['79-Hrvoje Strok]
FW 18. Jose Alex De Oliveira
['60-Niko Kranjcar]
【NK Zagreb 1−0 Dinamo Zagrebt】
GOAL '64 Popovic (Zagreb)

 一方、オシエクに乗り込んだハイドゥクはほぼベストメンバーで挑んでいた。子供達が得点を予想していたFWズボニミール・デラニャ、そしてMFイゴール・ムサの2人は温存したものの、二人と比べて遜色はしないFWマテ・ビリッチとMFスルジャン・アンドリッチが代役を務めていた。1点目は43分、FWボシュニャクの右からセンタリングからビリッチがヘディングで先制。後半始まって早々、オシエクのベテランMFベシレビッチが2枚目のイエローで退場。形勢は完全にハイドゥクに傾き、53分にミラディンが作ったチャンスからアンドリッチが右からセンタリング、今度はボシュニャクのヘディングで突き放す。そして84分、左のカレビッチからの低いセンタリングはオシエクのGKとDFの間を抜け、ファーにいたビリッチが押し込んで3-0。これが勢いの差というものか。ハイドゥクのゾラン・ヴリッチは試合後こう語る。「この結果は土曜日のディナモとのダービーマッチにおいて、ポリュウド(ハイドゥクの本拠地)へと足を運ぶサポーター達への招待状代わりみたいなものだ。」 マン・オブ・ザ・マッチに選ばれたイヴァン・ボシュニャクもこう続ける。「この結果で、更に1万人の観客がポリュウドへやってくるだろう。」

 彼等の発言は決して間違ってなかった。4月14日の「ハイドゥク・スプリトvs.ディナモ・ザグレブ」の大一番は今季のクロアチア・リーグでは初めてのソールドアウトになったのだから。直接対決を控えたこのクロアチア・カップ準決勝第1戦に取り組んだ両チームの姿勢が、今季のクロアチア・リーグの結果を左右したのだと僕は信じてやまない。

 

2000/2001 クロアチア・サッカー観戦記 こぼれ話その1
【ある青年ゴールキーパーを通して】

 ザグレブ到着の4月10日の午前、僕はディナモの練習見学をした。マクシミール・スタディオンのバックスタンド裏にトップチームの練習場があるのだが、見学者は報道陣らしき人を含めても10人を切る程度。ランニング中の時など見学は僕1人だ。DFセドロスキはオリベイラを指差し、僕へ聞こえるように「このブラジリアンはビッグスターだぜ」と大声で叫ぶぐらい、練習はノホホンとしたムードなのだ。グラウンド4周をした後、数人のグループに分かれてキック・バレーボール。そしてシュート練習をして計1時間半で終了。練習見学中、僕は一人の青年に声を掛けられる。彼はザグレブ地域リーグ2部のクラブ、ドゥブラバ(Dubrava)の正GKヴィクトル・グラスノビッチ君。ディナモ・ユース出身の彼もたまたまトップチームの練習を見に訪れていた。僕が名古屋から来たというと一発で「ドラガン・ストイコビッチ、ピクシー!」と叫ぶ。目を輝かせてピクシーを絶賛する彼に対し、僕は「彼はセルビア人だから嫌っているかと思ったよ」と勘ぐると、「確かにクロアチア人はセルビア人を嫌っている。だがサッカーと民族は別の次元だ。とにかくピクシーは素晴らしい選手だよ」と19歳の彼は僕を諭すように答えてくれた。なんて嬉しいことを言ってくれる奴だ。ハスキーボイスの彼は更にこんな提案をしてくれた。午後から観戦予定だったクロアチア2部リーグ「クロアチア・セスベッテvs.イストラ」戦に行くことを彼に話すと、「ならば僕も行くから車で乗せてってあげるよ」。セスベッテにはディナモ・ユースから選手が送り込まれていることもあり、彼の友人も多いそうだ。GKマルコ・シャルリヤが大の親友で、ドマゴイ・アブラモビッチとも交友があるという。15時半に再会の約束をして彼とは別れる。

【写真:試合前に握手する
 セスベッテ(青)とイストラ(黄)】

 マクシミールで再び再会し、彼の車でザグレブ近郊のセスベッテへと飛ばす。20分ほどで到着。セスベッテのスタジアムは地域スポーツ・センターみたいな建物に隣接した貧相なもの。メインスタンドは鉄骨と古木で組まれ、もちろん屋根といった類はない。この日の観客は200人に満たないのに、それでも普段以上の賑わいらしい。グラスノビッチ君は決してサラリーが高くないだろうに、僕のチケットまで購入してくれた。中へと入ると彼はシャルリヤを呼び挨拶。アブラモビッチも僕に気付くや手を挙げる。またサブ登録のエドゥアルド・ダ・シルバもグラスノビッチ君の親友だそうで、「コイツは素晴らしい才能を持ったブラジル人だ」と僕に紹介。ダ・シルバは照れながら、2年間でマスターしたクロアチア語でボソボソと喋る。試合開始が近付くとディナモのロンチャレビッチ監督、トップチームのバラバン、ポロヴァネツなどがやってきて僕等の近くに座り始めた。グラスノビッチ君には逆に居心地が悪いらしく左の席へと移動。そこには彼と同じドゥブラバでプレーする仲間達がいた。彼等のうちの一人がバッグの中から自らのユニフォームを誇らしげに見せると、そこにはボロボロのドゥブラバのエンブレムが縫い付けられていた。この小さな空間に20歳前後のプレイヤー達に皮肉なまでの現実が存在する。スタンドでサングラスをかけて観戦するボシュコ・バラバンは、小クラブのリエカからディナモに移籍、更に抜擢されたA代表ではハットトリックの活躍と正にシンデレラ・ストーリーを驀進中。クリスチャン・ポロヴァネツもディナモで左SBのレギュラーを獲得した。ピッチを見渡せば、ディナモでプレーの場を与えられず自ら2部リーグのレンタルを志願したドマゴイ・アブラモビッチ、ディナモとの正式契約を目指すダリオ・ザホーラ、ニキカ・ブーレ、マルコ・シャルリヤ、ボシュトヤン・チェザールといったディナモ・ユース出身の面々。またベンチには16歳で右も左も判らずクロアチアにやってきた、ちょっぴり内気なブラジル人FWエドゥアルド・ダ・シルバ(彼もディナモ・ユース)。対戦相手のイストラにも同じ世代の選手が多くいるだろう。そして横には同胞を見届ける無名のクラブの選手達。サッカーという一競技に自分の託すこれら20歳前後の若者の中で、10年後は誰が真の栄光を掴んでいるだろうか。そして10年後、何人の若者がサッカーを続けているだろうか。スポーツ紙の"Sportske Novosti"はどの試合に関しても結果だけでなく、一人一人のプレーに採点が付けられている。この日以降、自然に紙面の隅々からDubravaの文字を見つけては、まだプレーする姿を見たことないグラスノビッチ君の評価に一喜一憂する自分がいた。

ちなみにこの試合、イエローカードが11枚、レッドカードが3枚、イストラのシメウノビッチ監督ら2人も退場させられるという、選手のプレー以上に審判が大荒れ。中盤を作れない3位セスベッテは11位イストラに1-3の惨敗。結果に激怒したセスベッテのヨザク監督は試合後、選手達にグラウンド3周の罰を与え、DFに削られたアブラモビッチが足を引きずってランニングする姿は痛々しかった。

東欧サッカーへようこそ!! トップページに戻る