2000/01シーズン、クロアチア・サッカー観戦記
"Hajduk
Zivi Vjecno!" (4) 
〜ハイドゥク・スプリト優勝&トルツィダ変貌への軌跡〜
2001/4/14 クロアチア・リーグ第25節
「ハイドゥク・スプリトvs.ディナモ・ザグレブ」観戦
(その2)
【写真:警官隊と衝突するトルツィダ 撮影:Sport-Net】
ハイドゥクの3-4-1-2のフォーメーションに対し、イリヤ・ロンチェレビッチ監督が率いるディナモは4-4-2で対抗。ディナモはサイドにおけるマークの受渡しにズレが生じており、その弱点をハイドゥクが突く。だが、開始間もない前半9分、ゴール裏席とバックスタンドの境目の辺りでトルツィダと警官隊の衝突が始まった。現場は距離にして20m程と近く、危険を感じて逃げる人がこちらへと押し寄せて大混乱。暴徒化したトルツィダにより火が焚かれ、モクモクと煙が舞い上がる。噂には聞いていたが、恐るべしフーリガニズム。とんでもないところに来てしまったものだ。ところが直ぐに、サッカーとは無関係な騒ぎをスタンコ・ブバロが歓喜の騒ぎへと転換させたのだ。今季オシエクから移籍して来たブバロは、出身地のボスニアの村にちなみ「トゥルチノヴィツァのロナウド」と呼ばれるそうだが、一度見たら忘れないその怖い顔付きから巷で囁かれる「フランケン」というニックネームの方が似つかわしい。前半11分、右コーナーからイヴァン・レコが放った速いボールはディナモの守備陣をすり抜け、ファーポストへと飛び込んだそのブバロの足に。ハイドゥク先制! 立ち上がったブバロは看板を超えて、喜びを爆発させたトルツィダの元へと駆け込んだ。「ブバーロ、スタンコ! ブバーロ、スタンコ!」とのトルツィダのコールと共に、ユニフォームを脱いだペナルティとして審判からイエローカードまでも食らってしまうのだが。あらゆる所で発煙筒が焚かれ、身近に投げ捨てられた筒を見るとそこにはハイドゥクのマークが描かれていた。「ハイドゥク印の発煙筒」がこの世に存在するのだ(笑)
その後、ディナモも反撃、17分にFWボシュコ・バラバンがペナルティエリアへと侵入しシュートは外れるものの、これが23分の同点ゴールの呼び水となる。右サイドからのヤスミン・アギッチのフリーキックはゴール前で構えるDFゴチェ・セドロスキの頭に。ヘディングシュートはGKプレティコサの手が届かないネット右隅へと突き刺さった。一角にひしめくBBBの盛り上がりに対し、トルツィダはこのような歌で揶揄する。
Suti,
samo suti! Suti moj djecace plavi! |
「黙れ、黙りやがれ! この青いガキどもめが! お前らの青い髪を枕にして、思い出と共に眠れ!」 |
更に太めの男性が大声でリードしながら、トルツィダ全体で次の掛け合いを始める。
Visoke peci! |
高温の釜はあるか! |
| (全員) Potpoljujem ja! | おいらが点火しまっせ! |
Dva reda koksa! |
コークスを二つ準備しろ! |
| (全員) Cetiri purgera! | プルゲル(ザグレブ市民)の串刺しがありまっせ! |
Purger se dere! |
プルゲルは泣いているぞ! |
| (全員) AAAAAAAA! | アアアアアアア! |
Bit ce pecenja! |
焼肉ができるな! |
| (全員) Radujem se ja! | おいらは嬉しいでっせ! |
【写真:2点目を決めるスタンコ・ブバロ 撮影:Sport-Net】
この後もディナモの攻勢が続くが、プレティコサを脅かすまでには至らない。一方、ハイドゥクは、低いアーリークロスにデラニャがファーで合わせるもボールはポストを叩く。またブバロがペナルティエリアでDFエディ・ボスナーと接触して倒れるもPKは無し。しかし32分、再びブバロの足から勝ち越しゴールが生まれる。中盤でディナモの数選手をドリブルで交わしたMFダルコ・ミラディンが、ペナルティエリア前で待つFWズボニミール・デラニャの足元へパス。DFディノ・ドルピッチがすかさずタックルに入るが、ボールは右でフリーのブバロへ。ブバロは一回のフェイントでセドロスキとGKトミスラフ・ブティナを交わし、左足で無人のネットへとボールを流し込んだ。デラニャが徹底マークされる一方で、「フランケン」ブバロはその存在感を浮き彫りにさせた。そしてトルツィダは喜びをこのような歌で表現する。
Hajduce
hej! Hajduce hej! Samo ti, jedini voljeni! |
「ハイドゥク、ヘイ! ハイドゥク、ヘイ! 君だけ、愛するのはたった一つ。 |
【写真:2点目を決めたブバロ(一番左)
にイレブンが集まる 撮影:Sport-Net】
38分、ブバロはデラニャとのコンビネーションでチャンスを作るが、GKブティナが好セーブ。42分にもミラディンが20mの距離からミドルシュートを放つがこれもブティナがセーブ。前半は2-1で終了したのだが、今日のハイドゥクはプレーに自信がみなぎり、アグレッシブだ。何につけてもハイドゥクの3-4-1-2の布陣が"超"攻撃的。中盤に左利きのレコ、右利きのムサというダブル司令塔を置き、右のミラディン、左のレンデュリッチも積極的に前へと上がる。トップ下のボシュニャクは得意のドリブルで縦横無尽にピッチを掻き回し、ツートップの一角デラニャは丁寧なポストプレーをこなしつつ、そのスピードでDFを混乱に落とす。そしてブバロの素晴らしき決定力。またディフェンスに目をやれば、ジョロンガ、サブリッチのフィジカルに優れたストッパーに加え、リベロにコンバートされた経験豊富なミシェが的確な読みで相手のチャンスを摘む。そしてゴールを守るは代表正GKであり、今季一試合当たりの失点率が0.8を切るプレティコサ。ウィンターブレーク以後、一敗もしていないハイドゥクの強さをこの45分で充分に理解した。

[ハイドゥク・スプリトのフォーメーション]
【写真:マフラーを広げる僕。
この直後に"Torcida Japan"のコールが起こる】
ハーフタイムとなり、トルツィダは優勢な戦い振りを礼賛し、試合開始前と同じく「Dalmatinac
sam」がスピーカーから流れて大合唱を始めた。マリヤンとユライも満面の笑みを浮かべ、僕に何度もハイドゥクとトルツィダの印象を伺う。前半45分間、周囲に合わせながら僕も声を張り上げて応援を続けた。これは酒の勢いだけではない、ハイドゥクの攻撃サッカーと熱狂的なトルツィダの魅力にどっぷりと浸ってしまっていたからだ。「ハイドゥクは素晴らしい。この雰囲気も最高だよ」−そう告げると彼らは喜び、僕を担ぎ出して鉄の手すりに上がらせた。そこでマフラーを広げると、ゴール裏では拍手と共に「Torcida
Japan! Torcida Japan!」のコールが始まったのだ。そのコールはざっと2000人から3000人によるものだろうか。この世で味わうことはそうそう無い体験に僕は興奮しまくった。
【写真:試合後、サポーターの拍手に応える選手。
左からミシェ、レコ、プレティコサ撮影:Sport-Net】
後半に入ってもハイドゥク・イレブンは30000人を超えるサポーターの後押しを受け、ピッチを支配し続けた。58分にボシュニャクからブバロ、63分にはレコのフリーキックからデラニャがゴールを襲うもディナモのゴールラインは割れず。しかしながら70分、レコのフリーキックから始まった怒涛の攻撃が2分間続き、6度目のコーナーキックからミラディンのシュートはDFに当たり、オーバーラップしたジョロンガが戻してデラニャが右からボレーでセンタリング。これにボシュニャクがヘディングで飛び込むが、ボールは宙を浮き、DFが間一髪クリア。すると、このクリアボールを完璧なトラップでピタリと止めたムサが、シュートコースを作ってから右足で25mに及ぶミドルシュートを放った。ドライブが掛ったボールは右上隅へと突き刺さるビューティフル・ゴール。観客はその軌道を追うために息を呑み、ゴールが入るや否や大爆発。勝ちを確信したのはトルツィダだけでなく、ゾラン・ヴリッチ監督はデラニャ、ブバロ、ボシュニャクを順に下げて守備固め。3点目のあとはディナモがボールを支配するも、コーナーキックを蹴りに来たアギッチに対してあらゆるゴミを投げまくってプレッシャーを与える。そして、お祭騒ぎと化したスタジアムは三度「Dalamatinac
sam」の大合唱。タイムアップの笛と共に、選手達はピッチ中央に集まり、輪を作って飛び跳ねる。大きな拍手で祝福するトルツィダの元へやってきて、手をつないで全員で万歳。僕もマリヤンやユライだけでなく、周囲のトルツィダ達とハイタッチしながら喜びを分かち合う。これでハイドゥクとディナモの勝ち点差は1まで縮まり、いよいよ尻尾の根元を掴まえた。ビシュツァン、ムイツィンの二大タレントを失ったディナモに全く強さは感じられない。スタジアムから帰る時にも、試合前に酒を飲み合った人達に出会っては、快勝を喜び合うのだった。
観戦後、再び、ユライの婚約者の家に立ち寄る。テレビ観戦していた元トルツィダのお父さんもご機嫌だ。自家製の蒸留酒ラキアで乾杯し、クロアチア国営放送のクロアチア・リーグのダイジェスト番組を見ることに。初っ端から、試合前の模様として酒盛りの現場が紹介され、僕へのインタビューも流れてしまった。マリヤンはニコニコしながら「もう明日から君は有名人だ」なんて冷やかす。ザグレブの街を歩けないぞ....。番組では司会者と共に、試合が終わったばかりの両クラブからヴリッチ、ロンチャレビッチの両監督、そしてレコとショコタの両キャプテンが出演していた。映像と共に、先程のプレーの感想と解説を述べ合うという硬派な番組だ。ムサのミドルシュートについてはお父さんも絶賛、マリヤンも今季のベストゴールに選ばれるだろうと語った。夕食を御馳走になってから、親切にして頂いた家をマリヤンと共に後にする。そして旧市街の辺りで、試合前にチケット代をカンパしたまま、はぐれてしまったミロスラフと、昨年のスロバキアで再会を約束した残る一人のドラジェンと会う。ドラジェンはJリーグのクラブさえ知っている根っからのサッカー通なのだが、今季はポリュウド・スタジアムに足を運んでいないという。聞くと理由は「今のハイドゥクの幹部が嫌いだから」。こんなサポーターもいるのだ。冷たい北東風の"ブーラ"が吹き荒れる中、ミロスラフ、ドラジェンと彼の妹、そして友人達と海沿いにあるライブハウス兼ディスコへ。スプリトでの宴は新たな形で朝3時半まで続くのだった。
CROATIA
LEAGUE 2000-2001 |
|||
| HAJDUK SPLIT | DINAMO ZAGREB | ||
| position | name | position | name |
| GK | 1.Stipe Pletikosa | GK | 1. Tomislav Butina |
| DF | 5. Goran Sablic | DF | 4. Goce Sedloski |
| DF | 6. Vlatko Djolonga | DF | 13. Eddy Bosnar |
| DF | 22. Ante Mise | DF | 17. Boris Leutar |
| MF | 8. Igor Musa | DF | 26. Dino Drpic |
| MF | 10. Ivan Leko | MF | 7. Mihael Mikic |
| MF | 21. Darko Miladin | MF | 8. Jasmin Agic |
| MF | 30. Krunoslav Reudulic | MF | 19. Renato Pilipovic |
| FW | 12. Ivan Bosnjak ['89-14.Srdjan Andric] |
MF | 21. Igor Cvitanovic ['64-14.Zoran Pavlivic] |
| FW | 7. Stanko Bubalo ['86-26.Mario Carevic] |
FW | 20. Bosko Balaban |
| FW | 11. Zvonimir Deranja ['81-9.Mate Bilic] |
FW | 25. Tomislav Sokota |
| 【Hajduk Split 3−1 Dinamo Zagrebt】 | |||
| GOAL '11 | Stanko Bubalo (Hajduk) | ||
| GOAL '23 | Goce Sedloski (Dinamo) | ||
| GOAL '30 | Stanko Bubalo (Hajduk) | ||
| GOAL '70 | Igor Musa (Hajduk) | ||
クロアチア・リーグ 2000/01シーズン |
3強の成績 |
|||||
| 節 | 対戦相手 | 結果 | 得点者 (数字は今季ゴール数) | Hajduk | Dinamo | Osijek |
| 第25節(4/14) | Dinamo(H) | ○3-1 | BubaloGH,MusaB | ○A48 | ●@49 | ○B48 |
2000/2001
クロアチア・サッカー観戦記 こぼれ話その2 このタイトルはイギリスのロマン派詩人バイロンが「チャイルド・ハロルドの巡礼」を著した際に生まれた名言だが、僕も翌日からホンのちょっとした有名人になってしまった。15日はスプリトからシベニクに向ったのだが、まずはこの街の子供達から声を掛けられ、「昨日TVに出てた日本人でしょ」と切り出される。宿泊地となるヴォーディチェという街でも若者数人から「TVで君を見たよ」と。イースターマンデーの16日朝はヴォーディチェで、"Uskrsni
Domjenak" という行事に偶然立ち会うことが出来たのだが、ここで民俗舞踊を踊っていた若者達から「昨日、スタジアムで見たよ」と声を掛けられる(この行事に日本人が見に来ていたのは珍しいらしく、ラジオ・スプリトのインタビューも受けた)。昼からはクルカ国立公園に行ったのだが、ここでも遠足に来ていた高校生に取り囲まれ、TVやスタジアムで僕を見たという子達から質問攻め。クルカ国立公園から4km近く歩いて辿り着いたスクラディンという町では、地元クラブのサッカーの試合を見ていた観客達から「おっ、Torcida
Japanだ」なんて声が上がる。そんな僕はこの街でサッカー観戦どころではなく、シベニクまでのバスが無くて右往左往していたのだが......(仕方なく人生初のヒッチハイクを経験)。 |