2000/01シーズン、クロアチア・サッカー観戦記
"Hajduk Zivi Vjecno!" (5) 
〜ハイドゥク・スプリト優勝&トルツィダ変貌への軌跡〜

2001/4/29 クロアチア・リーグ第27節 
「ハイドゥク・スプリトvs.ヴァルテクス・ヴァラジディン」観戦


 ハイドゥク・スプリトvs.ディナモ・ザグレブの一戦ののち、僕は4月17日夜から23日朝までドイツでのサッカー観戦小旅行に出掛けることになる。滞在5日間でチャンピオンズ・リーグ準々決勝「バイエルン・ミュンヘンvs.マンチェスター・ユナイテッド(結果2-1)」、UEFAカップ準決勝「カイザース・ラウテルンvs.アラベス(1-4)」、ブンデスリーガ第30節「ボルシア・ドルトムントvs.ボーフム(5-0)」、「バイヤー・レバークーゼンvs.ハンブルガーSV(1-1)」「シャルケvs.ヘルタ・ベルリン(3-1)」「1860ミュンヘンvs.シュツットガルト(2-1)」の計6試合を観戦。スタジアムでの雰囲気作りは完成の域に達し、そしてサポーターの熱気も欧州で誇れるものであった。だが、シャルケのサポーターを除けば、何処のスタジアムのサポーターもこの異邦人に冷たかった。御客様であり部外者であるのは解っている。ドルトムントにてゴールが決まり歓喜にむせぶオヤジが僕と目が合うや、引きつらせて顔をプィッと背けた一件はその象徴的なシーンであった。遠い国からやってきた僕に"優しくしてくれ""かまってくれ"などとは思わないが、スプリトでトルツィダとの一体感を味わったばかりの僕には不満がくすぶり続けた。出費はクロアチアと比較にならないわけだし。また、冷たかったのは国民性だけではなく、気候的にも季節外れの雪が降るほどのバカ寒さ。薄着しか準備してなかった僕は風邪まで引いてしまった。

 僕のドイツ滞在中、ハイドゥクはオシエクと2戦交えていた。4月18日はクロアチア・カップ準決勝第2戦。一週間前にアウェーにてオシエクを3-0で粉砕して実質的な勝負を決めており、金曜日に控えたリーグ戦を考慮して両チームとも控え選手によるチーム構成で戦った。この試合ではマケドニア代表DFイゴール・ジュゼロフのゴールでハイドゥクが1-0で勝利し、順当にクロアチア・カップ決勝進出を決める。一方、第1戦を主力を落としたことでNKザグレブに苦杯を喫したディナモはフルメンバーで挑み、9分ミキッチ、11分バラバンの連続ゴールでトータルスコアで引っくり返す。以後もセドロスキ、ショコタがゴールを決め、NKザグレブを4-1と振り切った。クロアチア・カップ決勝も両雄対決の実現となった。
 週末はクロアチア・リーグ第26節。4月21日、ハイドゥクはベストメンバーでオシエクに乗り込む。勝点48で並んでいるオシエクもベストで対抗するが、ハイドゥクの破竹の勢いは止められなかった。6分にムサが得たPKをレコが決めて先制。61分にはレコの左からのクロスにボシュニャクがシュート、弾かれたボールをデラニャが押し込んで2点目。ホームで0-2と敗れたオシエクのヴラド・ビリッチ監督は試合後に「この先も優勝争いに留まりたいが、リーグタイトルはディナモとハイドゥクの両者で争われるだろう」と事実上の敗北宣言を口にする。翌22日、ディナモも再びNKザグレブと対戦し、ショコタ、セドロスキのゴールで2-0の勝利。勝点を52に伸ばし、ハイドゥクとは1点差で首位を堅持した。

【写真:得点を決め、帽子を被るデラニャ(一番右) 
 
撮影:Sport-Net

 23日朝、僕はミュンヘンからザグレブへと戻る。この日はクロアチア代表の練習を見学し(詳しくは下の「こぼれ話」を)、24日はチャコベツにてU-21の、25日はヴァラジィディンにてA代表の親善試合「クロアチアvs.ギリシャ」を観戦。その後はドブロブニク、モスタルで骨休めして、29日に再びスプリト入りした。お目当てはもちろんハイドゥク・スプリト。対戦相手は現在5位のヴァルテクス・ヴァラジディンだ。前日にディナモはスラベン・ベルーポとアウェーで対戦、よもやのドロー(1-1)に終わる。この日、ハイドゥクが勝てばいよいよ首位に立つ。スプリトはさがかし賑やかになるだろうと思いきや、ディナモ戦の時とは様相が違っていた。市街を闊歩するトルツィダなどはまばらで、スプリト発の巡礼ツアーの団体の方がよっぽど目立つ。友人達も揃って他の用事を優先、共に観戦するのはユライとミロスラフだけだ。試合前の盛り上りに期待していた僕は拍子抜け。ミロスラフは「ディナモ戦が特別なのさ」と言う。スタジアム近くのスーパーマーケット前で缶ビール1本だけを飲み干してスタジアムへ。周囲が悠々とし過ぎたために15時キックオフには間に合わず、ゴール裏席に辿り着いた時には5分が経過してしまっていた。観客は満員に程遠いものの、普段よりは多い12,000人。ディナモ戦で総立ちだったトルツィダは暑い陽射しも手伝い、座り込んでの観戦の者も目立つ。とは言え、トルツィダのテンションは低いとしても、ハイドゥクのプリーのテンションは高かった。完成の域に達した3-4-1-2のフォーメーションは何処からでも仕掛けられるアグレッシブなスタイルであり、ヴァルクテスのGKジェリコ・ルンバクには次々とシュートが浴びせられる。最初の惜しいシュートは17分、レコからのロングパスが右サイドのデラニャに渡り、デラニャは角度の無いところからドライブを掛けてミドルシュートを放つもののボールはバーを叩く。18分に左ストッパーのジョロンガが足を負傷。ヴリッチ監督は右ウィングのミラディンを右ストッパーのポジションに下げ、右ストッパーのジュゼロフを左へ、そして右ウィングには攻撃的なスルナを投入した。幾らか前掛かりにしたこの采配はズバリと当たり、23分にゴールショーがスタートする。バルテクスのリベロ、レジッチのボールをペナルティエリア左でブバロがチェックし、弾かれたボールは中央のデラニャの方へ。DFに背にしながらボールに向かってダッシュしたデラニャはわざとスルー、素早く反転してマークを外し、再びボールに追い付くや右足でシュート。ボールはネット右上に突き刺さりハイドゥク先制! スピードとセンスが無ければ不可能なプレーだ。デラニャはパンツの中からハイドゥクの帽子を取り出して被り、トルツィダに手を挙げて走る。ようやくトルツィダのテンションも復活、発煙筒があちこちで焚かれる。しかし火の粉が背後から降ってきて、マフラーやユニフォームに穴が空いただけでなく、手のひらまで小さな火傷を負ってしまった。やっぱりコイツら危険だ(苦笑) 35分、ゴール裏の柵によじ登って応援していた若者が勢い余って側溝に転落。立ち上がれない彼を担架に乗せ、救急車に担ぎ込まれる瞬間、この若者はゴール裏席に向い、振り絞ってのガッツポーズを見せた。彼のトルツィダ魂を仲間達が大きな拍手で称えている中、ハイドゥクに2点目が生まれる。右サイドのスルナが大きなアーリークロス、これをペナルティエリア中央のボシュニャクがヘディングシュート。2-0。更に41分、レコが中央やや右寄り25mの距離から直接FKを左足でねじ込み3-0。45分には右サイドからムサが低いアーリーを入れ、ディフェンスラインを抜けたブバロがワンバウンドしたボールに合わせてネットへと収める。前半終わって4-0。ユライは「スペクタル・ショー!」と口にし、この日はプロチェの実家に戻っている兄マリヤンに向けて携帯メールで経過報告する。ミロスラフもヴァラジディンでの友人の結婚式に参加中のドラジェンに携帯メール。僕の隣りで観戦する若者は「今日のハイドゥクは一番強いよ。かつてカップ戦で10-0という試合があったが、これは小さなクラブ相手だった。ヴァルテクスは今季二度もディナモを破った好チームなんだぜ。」と喜びを隠せない。両ウィングのみならず両ストッパーまでが前線のスペースに走り込み、レコとムサが攻撃ののリズムを自在に刻む。そしてデラニャ、ブバロ、ボシュニャクのアンタッチャブルな動き出し。この日のハイドゥクの攻撃を防げるチームはもうこの国に存在しないとさえ思わせた。

【写真:中央の太めの男性が大声を出し、
    トルツィダ全体と掛合いを行う】

 大きなビハインドを抱えたヴァルテクスのカタリニッチ監督はポジション修正を行い、後半序盤はヴァルテクスがペースを握る。しかしハイドゥクのリベロ、アンテ・ミシェが判断良いカットを見せ、ミシェを抜いたとしても守護神プレティコサが立ちはだかる。53分、右FKからカリッチのヘディングシュートはポストのわずか左に。65分にはパスワークで崩してビエラノビッチが近距離からシュートを放つも、プレティコサが左手一本で弾く。ハイドゥクも再び猛攻。60分のボシュニャクのループシュートはバーを叩き、デラニャのパスからムサが放つシュートはGKルンバクがセーブ。71分、ようやく新たな点が生まれる。ペナルティエリア右、レコのFKからのボールは内側へと急速に巻き、後半頭から入ったビリッチがヘディングで合わせてゴール。その4分後にはレコから左サイドを駆けるムサへスルーパス。ムサは4点目と同じタイミングだが今度は右足ではなく左足で低いクロス、これに飛び込んだビリッチが再び得点して6-0。スタンドは何度もウェーブが繰り返される。ディナモ戦とは違う形で、ポリュウドスタジアムはフェスタの会場となった。この後もお互いチャンスを迎えるが、6-0のままタイムアップ。勝点54。とうとうハイドゥクがクロアチアリーグの首位へと踊り出た。この試合の直後にヴァルテクスのイヴァン・カタリニッチ監督は大敗の責任を取らされて解任。彼は独立後のハイドゥクを二度リーグ優勝に導き、現代表でもミルコ・ヨジッチの右腕を務める名将で、今季はディナモに勝利する度にヴラク、ブラオビッチの二人の監督の首を飛ばしていた。まさか今度は彼自身が詰め腹を切らせられることになるとは。そのカタリニッチは試合後に「ハイドゥクがクロアチアリーグのタイトルを取ることになるだろう」と口にしている。ハイドゥクの優勝決定は時間の問題だ、そう僕は確信した。

【写真:猟師のジイサンと共に 
日本のマフラーを指差す僕】

 試合後、僕はユライとミロスラフの3人でスタジアム近くの塀に登り、買い込んだビールで祝杯を挙げつつ、多岐の話題で語り合った。サッカーのみならず、クロアチアの政治、旧ユーゴ時代との比較、近隣国への感情、そしてスロバキアで飲み明かした時と同様にエロ話などなど。僕のザグレブにおける留学生活がスタートしたら再び連絡を取り合おうということで二人と別れた。その後、ミロスラフに教えて貰ったスポーツ・バー "RUGBY"へ。クロアチア国営放送でクロアチアリーグ・ダイジェストとローマvs.ラツィオ戦を見ようするのだが、ここで二人のハイドゥク・サポーターと出会くわす。一人は覚えたてのトルツィダ応援歌を眼をキラキラさせながら一緒に歌ってくれる13歳の少年。そしてもう一人は「Jebi se Dinamo(Fuck you, Dinamoの意)」を口癖のように叫ぶ、50歳近い酔いどれジイサン。猟師を生業とし、長い顎鬚を蓄えたこの小柄なジイサンはここの2階にあるトルツィダのバーに案内して、ビールを御馳走してくれた。このバーにはハイドゥクの栄光の写真や新聞記事の他に、サポーターが交換したと思われる数多くのマフラーが飾られており、そのうちの一つに日本代表のものを発見。それをバックにジイサンと共に記念写真に収まろうとすると、ジイサンは自ら着用していたトルツィダのユニフォームを僕に着せ、プレゼントすると言う。「いや、それは悪いよ」というと、「I am fisherman.(オレは猟師だぜ)」との殺し文句(?)に押し切られた。かなり臭うユニフォームを身に付けさせられたまま一階のバーへと戻るのだが、ここから地獄が始まる。クロアチアリーグ・ダイジェストが終了し、客層がサッカーとは無関係な人達へと変わっていくのだが、ジイサンは何度も「Jebi se!」と叫び、僕に続きの「Dinamo」と言わせようとする。心の拠り所だった少年は帰ってしまうし、若い娘達には怪しい目で見られ、店内ではジイサンと僕の二人が完全に浮いてしまった。何度かユニフォームを脱ごうと試みるが、ジイサンは「I am fisherman」と獲物である僕を睨みつける。お腹が空いたので、近くでピザをテイクアウトする時も僕がユニフォームを脱がないよう跡を付けてくる。そしてバーでローマvs.ラツィオ戦の放送が始まっても、ジイサンのすっぽんマークは延々続いた。またして「Jebi se Dinamo」を言わせるのかい....。TV観戦に集中できず、眠たくもなったので帰ろうとすると、「I am fisherman」と席に留まらせ、何をするかと思いきやタクシーを呼びつけた。ここから宿は歩いて帰れる距離なのに....。タクシー運転手には謝って事情を説明、我慢も限界となってバーを出ると、ジイサンもピッタリと付いて来た。ユニフォームを付き返し、"Da videnja!(さようなら)"と口にして逃げると、もう二度と「Jebi se Dinamo」も「I am fisherman」の台詞を聞くことは無かった。無愛想なドイツのオヤジは嫌だが、ここまでしつこいクロアチアのジイサンもどうか(苦笑)。悪い人ではないんだけど。後日、スロボダン・ダルマチア紙に掲載された1コマ漫画で、スプリト市民で生粋のトルツィダを表現する男性の絵はあのジイサンそっくりだった、ということを付け加えておこう。

CROATIA LEAGUE 2000-2001
27th leg
HAJDUK SPLIT vs. VARTEKS VARAZDIN

2001.4.29  Poljud Stadion

HAJDUK SPLIT VARTEKS VARAZDIN
position name position name
GK 1. Stipe Pletikosa GK 12. Zeljko Rumbak
DF 2. Igor Gjuzelov DF 19. Ante Bilokapic
DF 6. Vlatko Djolonga
[18'-18.Dario Srna]
DF 29. Antun Andricevic
DF 22. Ante Mise DF 30. Ivan Rezic
[46'-2.Hrvoje Sklepic]
MF 8. Igor Musa MF 5. Danijel Hrman
MF 10. Ivan Leko MF 18. Robert Tezacki
MF 21. Darko Miladin MF 24. Silvestar Sabolcki
MF 26. Mario Carevic MF 25. Zoran Kastel
FW 12. Ivan Bosnjak MF 28. Ilami Halimi
FW 7. Stanko Bubalo
['46-9.Mate Bilic]
FW 9. Verdin Karic
FW 11. Zvonimir Deranja
['68-14.Srdjan Andric]
FW 11. Sasa Bjelanovic
【Hajduk Split 6−0 Varteks Varazdin】
GOAL '23  Zvonimir Deranja (Hajduk)
GOAL '36  Ivan Bosnjak (Hajduk)
GOAL '41  Ivan Leko (Hajduk)
GOAL '45  Stanko Bubalo (Hajduk)
GOAL '71  Mate Bilic (Hajduk)
GOAL '75  Mate Bilic (Hajduk)


クロアチア・リーグ 2000/01シーズン
ハイドゥク・スプリトの試合結果

3強の成績
(勝敗, 順位, 勝点)

対戦相手 結果 得点者 (数字は今季ゴール数) Hajduk Dinamo Osijek
第26節(4/21) Osijek(A) ○2-0 LekoH,DeranjaG ○A51 ○@52 ●B48
第27節(4/29) Varteks(H) ○6-0 DeranjaH,BosnjakE,LekoI,BubaloI,BilicGH ○@54 △A53 ●B48

 

 

2000/2001 クロアチア・サッカー観戦記 こぼれ話その3
【"クロアチア代表練習見学"顛末記】

 クロアチア代表を応援しているといえど、実はA代表の試合を生で見たことは97年キリンカップ「クロアチアvs.日本」しかない。それ以後、国内リーグや若手の選手にサインを貰えど、いわゆるメジャーどころから一網打尽にサインを貰ったことが無い。とは言え僕もミーハーだ。クロアチア代表は4月25日のギリシャとの親善試合に向けて、スロベニアで練習をするという情報は掴んでおり、ドイツ小旅行に出る前日の17日にクロアチアサッカー協会を訪れて練習は10時から行われるとも聞いていた。

【写真:今回の戦利品】
 23日朝、ミュンヘンから夜行列車でザグレブに戻るものの、僕は寒いドイツで酷い風邪を引いてしまって体調は最悪。無理を押して10時の練習を見に行ったら身体が壊れるのは判っていた。駅近くのユースホステルに行くも、12時からしか入れないという。仕方なくネットカフェへ。ここでサッカー協会のHPを見ると、今日の練習が10時と17時の二度に渡ってあることを知る。"17時なら行けるな...."と気には掛けたが、まずは横になる取ることを優先し、12時にユースホステルのドミトリーのベッドになだれ込んだ。眼が覚めると15時前。今日一日無駄にするのも何だし....と思い、練習見学に行くことに決意。サイン用に日本から持ってきた96年EUROのアウェーユニフォーム(白がベースなので、多くのサインの書き込みが可能)をバッグに放り込み、部屋を出て下へと降りていくと、フロントの男性と一人の日本人男性が揉めていた。フロントが言うに「君がチェックアウトか連泊するかの意思を規定時刻に伝えなかったから、私は今夜のドミトリーで君の名前を消して別の団体客の宿泊予定を入れた。しかし君は荷物を置きっ放しだったことから団体には別の部屋を宛がうハメになったんだぞ。ルールをちゃんと守れないのか」との文句。確かに僕が横になっている間に4人の団体が来て、空いたベッドの数が足りずに引き返していった。「ここのフロントは横柄で必ず宿泊客と喧嘩することで有名だから気にしない方がいいですよ」と今夜は同室となる彼をなだめ、部屋に戻って互いの自己紹介と旅の話をする。クロアチア代表の練習見学に彼も誘ってはみたが、スロベニア入国に難色を示し、結局僕一人で行くことに。ザグレブの前にボスニアを訪れていた彼は、余った6マルクを両替してくれないか、と申し出る。普段なら受け入れないだろうその依頼に、風邪を引いていたこともあったのだろうか、それとも久し振りに会った日本人への好意だろうか、クロアチア通貨で15クーナと交換してあげる。その6マルクは無造作にポケットに放り込んだのだが、まさかこれが僕を救うことになるとはその時は思いもよらなかった。

 いざ、練習を見に行くといっても問題点はあった。まずは正確な練習地が判らないこと。練習に関する記事では常にブレジチェ(Brezice)とチャティジュ(Catez)という二つの地名が登場する。持参してきた地図にはスロベニア国境に入って直ぐにあるブレジチェしか記載されていない。もちろん行き方すらも判らない。あと気掛かりだったのはスロベニアの通貨トラールを全く持ち合わせてないこと。しかし往復切符で買えば、トラールは必要ないだろうと判断し、とりあえずはザグレブ中央駅へ。時刻表でブレジチェ駅があることを確認し、国際線の窓口で切符を買うのだが、頭が働かず間違えてブレジチェと国境線を挟んでクロアチア側にある町「ザプレシッチ(Zapresic)」と口走ってしまう。窓口のオジサンは「ならば国内線だな。ザプレシッチの切符を切ってくれ」と隣りの国内線担当のオバサンに切符を発行させる。帰りの切符に困らないよう「片道じゃなくて往復でお願い」とオバサンに頼むが、それは出来ないと断れ、いざ発行された切符を見て勘違いしていたことを知る。事情を説明すると、オバサンは怒りだし切符を破り捨てた。僕は国際線窓口のオジサンに泣きつき、「本当はブレジチェ行きなんだよお」と言うと、ちょうど5分前(15:20)に出たばかりだよと言う。次の便は16時55分という。これじゃ間に合わない。バスで行くことに切り替え、ダッシュで1kmは離れたバスターミナルへ。ここの窓口はもっと最悪な状況に陥った。インフォメーションのオバサンは「ブレジチェ行きは16時にあるが、チャティジュ行きのバスは無い」と言われ、この情報を元にして切符窓口に行くと「ブレジチェ行きはないが、チャティジュ行きは16時35分にある」とオバサンに言い放たれる。食い違う話に頭は混乱、どうしても腑に落ちず、インフォメーションと切符窓口のどっちが正しいか何度も聞いているうちに煙たがられてしまった。結局、チェティジュ行きの切符を買うことにするが、散々振り回したクセして「車内で買え」と追い払われる。往復で買わないとスロベニアの通貨が必要になる....。帰りのバスの便の時刻を聞くと「I don't know」と投げやりに言われて、とうとう僕も発狂。日本語で「ふざけんな!」と悪態をつく。クロアチアの窓口のババアはどいつもこいつもクソばかりだ。
【翌日にドブロブニクの切符を予約購入する時も顔を覚えられていて、全くもって酷い対応をされる。ここのバスターミナルの窓口ババアは"超"最低な上、手数料+予約料との名目で4.6クーナも取るから、バスの切符は車内で買いましょう。】

 チャティジュを通過するというバスは16時30分にやってきて、運転手から切符を購入(29クーナ)。運転手にブレジチェとチャティジュ、そして国境駅のボドバの位置関係を教えて貰う。16時35分にバスは発車して、チャティジュ到着は17時5分の予定。17時からの練習見学は充分に間に合う。しかしバスは渋滞に巻き込まれたあげく、クロアチアの国境審査の係官は自家用車ばかりを優先して、バスはほったらかし。ようやくクロアチアの係官がパスポートチェックするも、今度はスロベニアの入国でも同様にちんたらと審査をしていて、バスは再びほったらかしにされた。時計はとっくに17時5分を過ぎている。もおー、どいつもこいつも! ようやくスロベニアに入国。バスはリュブリャナ方面に走っていく。そして17時20分、運転手が「ここがチェティジュだ」と周囲にはガソリンスタンド程度しかない道路に僕一人降ろされる。看板を見ると、この周辺はクアハウス(温泉施設)があるみたいだ。といっても、ここは丘の中腹。練習場は麓の方だと、走って丘を下っていく。食料品店を見つけ、店員の女性にサッカーグラウンドの位置を聞くと、橋を渡った向こうだと言う。そうか、温泉地チャティジュで宿泊し、川向こうの町ブレジチェで練習しているわけだな。体調が最悪というのに、ダッシュで橋を渡っていく。途中ですれ違った少年に聞くと「グラウンドはこの先2km」だという。ひぇーっ。走る、走る、ひたすら走る。するとパトカーが急に僕の目の前でストップして、警官に「止まれ!」と警告される。なんだよ、おい。「パスポートを見せろ!」 オレが何したってんだ? 更に一台大きなパトカーでやってきて、その中に連れ込まれて警官2人による詰問が始まる。「なぜここに来た?」「クロアチア代表の練習を見に来たんだよ」「英語で話してくれんと解らん」「英語で話しとるやんけ! だからクロアチア代表の練習を見に来たんだって」「なぜクロアチア代表なんだ? ここはスロベニアだぞ」「そんなの知るか! この新聞を見てくれ。なっ、ブレジチェって書いてあるだろ」 クロアチアのスポーツ紙Sportske Novostiを差し出す。それでも警官は納得しない。パスポートを見ながら言う。「なんでクロアチアの出国スタンプもスロベニアの入国スタンプも無いんだ」「知るか! ヤツラが押さんかっただけだろ。ほれ、この切符見てくれ。バスでザグレブからやってきたんだよ」「しかし、クロアチア代表をここまで見に来るものか?」「オレはクロアチア代表のファンなんだから。このユニフォーム見てくれよ」 無線で何処かしらかに連絡を取り、すったんもんだの挙句、ようやく疑惑は晴れた。話を聞けば、中国からの不法移民が国境地帯を通過して西欧へと逃れていくケースがあり、アジア系の男がここを走っている状況など、まさしく不法移民の侵入だと思われたらしい。どこから通報されたのか? ホント、とんだ災難だ。「17時に練習が始まってんだよお。バスも遅れやがるし。もう17時45分だよう」−泣き言を言うと、先方も悪く思ったのか、パトカーでブレジチェの練習場まで乗せてくれることになった。「あれがクロアチア代表なのか?」−彼等は全く知らないらしい。後味悪いけど、降りる時にスロベニア警官にお礼を言う。

【写真:ランニングするクロアチア代表】

 練習はまだランニングの段階だった。観客は地元の人が10人程度。スーケルはお得意様(?)の日本人に気付くや親指を立てる。お目当ては違うんだけどね(苦笑) 金網越しでカメラ片手に被り付き。この日はまだ全員が集合しておらず、13人が参加。アップを終えて、スーケル、ラパイッチ、コバチ兄、シミッチ、ビシュツァン、ジブコビッチ、トマス、ヴグリネツの8人が4・4に分かれてボール回しの練習。またコバチ弟、ヴラニェシュ、ビエリツァはランニングのみ。プレティコサ、パブリチッチは離れてGK練習。8人のボールを扱った練習は何度も休憩を置くのだが、まだ若いビシュツァンと年寄りのスーケルは会話相手がなくポツンと立ち、あとの6人はシミッチ&トマスのディナモ・ライン、コバチ兄&ジブコビッチのブンデス・ライン、ラパイッチ&ヴグリネツのトルコ・ライン(?)で喋っている。ランニング組は練習を終了してベンチに座り、残りの10人はサイド攻撃の練習を始めた。ヨジッチ監督は積極的に声を出す。最初はDFを2人置き、1人のFWがくさびになってクロスを挙げさせ、それをFWがシュートするという練習。続いてはクロスから逆サイドの選手がシュートをする練習。その後は各自がシュート練習。ピッチ内にいるカメラマンが「中に入っておいでよ」と声を掛けてくれ、クラブハウスからピッチへ。でも関係者からは今は選手に近付いていけないと指示がある。練習は19時までみっちり行われた。そして各自シャワーを終えてクラブハウスを出るところを狙って通路でユニフォームを持って待つ。全ての選手のサインを集めようとする物好きは僕一人だけのため、関係者も協力してくれるのだ。まずはランニング組から。ヴラニェシュには昨年スロバキアでのU-21欧州選手権を観戦しに行ったことを話すが、軽く流されてしまう。それに対してビエリツァは「僕のことを知っているの?」と聞かれ、「Ja znam.(知ってます)」と答えると大きく喜んだ。コバチ弟には「2日前に試合(レバークーゼンvs.ハンブルガー)を見に行きました」と言うと、「Sorry, game」と一言。次に現れるはスーケル。鞄から自らのポストカードを出して目の前でサイン。そして日本語で「アリガト」。ファンサービスは百点満点だ(笑) コバチ兄には弟と同じ話をすると、ニッコリ笑って「Dobra utakmica(良い試合でしょ)」と全く逆のリアクション。パブリチッチ、シミッチ、ラパイッチ、ヴグリネツ、ジブコビッチは立て続けに来たのでサインを貰うので精一杯。プレティコサには先のハイドゥクvs.ディナモ戦を観戦したことを伝えるが、顔は笑っているものの通じてないような。続くビシュツァンには一年前のスロバキアの話をすると笑顔。昨年は陽気な兄ちゃんというイメージがあったトマスは意外に普通のサイン応対。このあとは協会の人達がやって来た。最初はマネージャーの地位にあるNo.2、ゾリスラフ・スレブリッチにもサインをお願い。スレブリッチは驚くことに日本語で「ガンバッテ、クロアチア」と口にして僕を驚かす。周囲に「"Let's go Croatia!"を日本語ではそう言うのさ」と自慢気に語ったが、少しニュアンスが違うような(笑) ホントは嫌いだけどズラトコ・マルコビッチ協会長にもサインを貰い、「日本でお待ちしてます」と言っておく。次はヴァルテクス監督(当時)でもあるコーチのカタリニッチ、広報のマミッチにも貰い、トリはミルコ・ヨジッチ監督。しかしヨジッチは周囲に促されてそそくさとサインをして帰っていった。協力してくれた方々にお礼を言い、クラブハウスの外へと出ると代表御一行を乗せたバスは宿泊地チャティジュへと戻っていった。今回は大きな収穫だった。さあ、帰るか.......

 チャティジュに引き返すことなど不可能(現にバスも無かった)。よってブレジチェから列車でザグレブに戻ることにした。しかし駅の方向など分からず、適当に歩き出す。小さな街ということもあって、誰にもすれ違わない。よって道も聞けない。仕方なく引き返し、クラブハウスに残る人にブレジチェ駅の方向を教えて貰う。20分ほど歩くことでブレジチェ駅に到着。駅には女性駅員が一人。もちろん切符はスロベニア通貨のトラールでしか購入出来ないとのこと。ザグレブまでの切符の値段は554トラール。「ドイツマルクだと幾らぐらい?」と聞くと、彼女は6DMと紙に書き記した。おーっ、ちょうどポケットに6マルクがあるよ! しかし「ここではドイツマルクで切符は買えないので、レストランなどで両替して貰いなさい」とのこと。来た道を引き返し、唯一見つけたバーに入るが、カウンターでは両替が通じない。客として来ていたグループに聞いてみると、一人の女性が渋々OKしたが、金額が少ないと知るや断られてしまう。ならば、両替所かCD機は何処にあるのかと聞くと、ここから歩いて15分という。往復していたら列車に間に合わない。途方に暮れながら駅の方向に歩いていくと、民家の男性が事情を知って「私は両替に協力出来ないが、今から両替所の方向に車を出すので乗せてあげよう」と申し出てくれるが、20時36分発の列車に乗らなくてはならないと話すと、「ならば時間的に無理だ。駅の向こうにあるバーで替えてくれるかもよ」とアドバイス。言われたまま、一縷の望みを託してバーに入ってお願いすると、快く店員の女性が両替してくれた。6マルク=570トラール。何度もお礼を言い、女性駅員から切符を購入。お釣の16トラールはバーに返却に行った。20時36分にブレジチェ発、6分後の20時42分に国境駅のボドバに到着。ここからザグレブに向う列車は1時間後の21時50分発なので、駅向こうのピザレストランへ。クレジットカードが使える有り難味を知る。またボドバ駅ならばクレジットカードで切符が買えたらしい。くそっ。腹を膨らまして、21時50分発の列車に。国境ではきちんとスタンプを押して貰い、22時35分にザグレブ到着。ユースホステルの同室の日本人男性にこの一日の報告、そして「6マルクで助かった」ことに感謝の思いを伝えた。この一日で風邪は更に悪化。咳がなかなか止まらず苦しい夜を過ごすことになった。

 後日談として、クロアチアを離れる前に性懲りも無くチャティジュの温泉プールに行くことになったのだが、バスターミナルのクソババア達は成長の欠片もなく全く同様の発言を繰り返し、バスを諦めて乗った列車は途中で煙を出してエンスト。後続の列車を待つことで、ザグレブから2時間かけてブレジチェに到着。ちなみにザグレブからブレジチェの距離はわずか30km(笑)。駅からは列車到着の時間に合わせ、チャティジュ温泉行きのバスがある。ブレジチェ城とチャティジュ温泉へザグレブからの日帰り観光したい方、そしてクロアチア代表の練習を見学したい方は、国境にまつわる如何なるトラブルに巻き込まれても腸が煮えくり返らないようにね(苦笑)


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