河村好市さん(元読売新聞編集委員)と読売新聞社の
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1992.06.01 東京読売夕刊
◆全身マヒ難病克服 水田で陣頭指揮も
松本茂(58)は秋田県八郎潟の大潟村へ入植した第一期生である。近所の農家夫婦を雇い入れて水田十五ヘクタールを経営している。
九年前の夏、松本は両足に力がこもらず農作業中にしばしば転倒した。医師の診断はALS(筋委縮性側索硬化症)。手足や顔面の筋力が衰えて体がまひする難病。薬物療法はまだ見つかっていない。三年後、会話も不能となった。
入植者仲間の黒瀬正(48)が「文章で会話を」と思い付き、一台のワープロを松本に贈った。
この時期、松本が仲間に送ったワープロ文は「国から買った農地は水田。政府は畑作を強要するが、海抜下3〜4メートルの低湿地帯では不可能。米作しかない」と繰り返していた。
ワープロとの付き合いも二年足らず。つぎに両手も不自由に。「意思を伝えられない」もどかしさに身をもんだ。
妻るい(60)と黒瀬、涌井徹(43)、今野茂樹(38)ら松本(初代の大潟村農協組合長)をリーダーと仰ぐ仲間たちは、容体の悪化に青くなった。「みんなで各地の電器店などへ、よい機械がないか聞いて回った」と黒瀬。
兵庫県社会福祉事業団玉津福祉センターで有力情報を教わった。「パソコンとかな文字ソフトのセットがよい」という。
昭和六十一年暮れセットが届く。カーソルが画面上の文字を追う。欲しい文字にカーソルが到着すると、かすかに動く右手の中指でスイッチを押し、文字を捕らえた。
押すたびに全身が引きつった。五分間の操作で汗びっしょり。るいは「三十分までよ」と時間制限したが聞かなかった。「これで妻に政権を渡さなくともすむ。言いたいことがまた言えるんだ」
苗作りから収穫までの日程や出荷計画など年間の経営方針は自分で考える。水田に車イスで出かけ直接、指揮も執る。「一切、口出しを許さない」(るい)
頼みの中指も利かなくなった松本は、いまミシンの踏み込み式スイッチを応用して足でパソコンを操る。自前のアイデアだ。
電子機器に詳しい今野が音声機能を持つ外国産のパソコンを勧めた。本来、英語で打った文面が音声に変わる機種だが、今野がひらがなで打っても文面が音声に変換するソフトを付け加えた。松本はさっそく新ソフトを使い高知の姉へ電話した。「声が出るようになったの!」。姉は電話口で手をたたいた。
今年三月二十七日、通達に違反して過剰に米を作ったと国から農地の返還を求められていた村民二人が秋田地裁で勝訴した。地裁の判断は「作付け制限は米過剰の苦肉の国策。入植者がわがままとはいえない」と国の請求を退けたもの。
この日、松本は「うまい米作りに励む私たちの行動の正しさを、法廷が認めた」と仲間にパソコンでメッセージを送った。(国側は四月八日に控訴)。
近くの寒風山の雪が消えた大潟村で、一斉に田植えがはじまった。(敬称略)
(編集委員 河村 好市)
1992.06.03 東京読売夕刊
◆カメラ撮影にも応用
八郎潟から四百六十キロの岐阜県郡上郡白鳥町。長良川沿いの自宅で上村数洋(43)が、吸う、吹くの呼吸圧を使って電子絵画をせっせと描いていた。
作品を見せてもらった。昆虫、野鳥、魚、ツバキ、バラの花、童画風の絵。繊細な描写、詩的な作調が感動的で、見あきない。
上村は十年前に交通事故で頚椎(けいつい)を脱臼(だっきゅう)・骨折し、手足の自由を失った。一年半後、県内の病院から名古屋市の中部労災病院へ転院。治療を受けながらリハビリに専念した。妻・八代衣(やよい)(38)が退院の日まで六か月間付き添った。
主治医が上村夫妻に「労災リハビリ工学センターでECS(環境制御装置)のわが国第一号が完成するよ」と告げた。
センターは病院と同じ敷地内。上村はさっそくECS開発担当のひとり、畠山卓朗(42)=現・横浜市総合リハビリテーションセンター企画研究室勤務=に会った。
ECSは円形の表示盤に電動ベッドの上げ下げ、テレビの入力・チャンネル切り替え、室内灯、ルームエアコンの入力・切断、電話での外部との連絡など身の回りの世話十五種類を図形で示した装置。「近く完成する」という。
利用者がストロー状のビニール管を通じて、吸う、吹くの動作を繰り返すと電源にスイッチが入り、小さなランプが点滅しながら図形を追う。求める図形にランプが来た時もう一度呼吸圧を加える。これで仕事がはじまる。
退院を待つようにして畠山が国内の研究機関の仲間や民間企業と共同でECS第一号を完成し、上村宅にセットした。八代衣がECSに助けられて職場(町役場)に復帰できた。
上村は入院中、棒をくわえて電動タイプライターのキーボードを打っていた。パソコンに挑戦したくなった。「ECSの呼吸圧式スイッチはパソコンにも通用しそう。工夫してほしい」と畠山に電話した。
畠山は横浜市内のコンピューター周辺機器メーカーに、上村の注文をもとに考案したパソコン用の入力装置の設計図を示して、製作を頼んだ。
「KBマウス」と名付けられた装置を上村が受け取ったのは昭和六十一年の正月(KBはキーボードの略称)。口にくわえた磁石付きの細い棒を文字盤に触れて呼吸圧で入力するだけで文章の作成、作画が可能な機器だ。
電子作画が上達するにつれて、上村はカメラ撮影で素材を集めてみては、と思いつき、またまた畠山に提案した。今度はカメラのピント調整、シャッターのレリーズ操作、雲台の上下・左右への移動を呼吸圧の入力でこなそうと考えた。
オリンパス光学工業の高橋真也、日本アイ・ビー・エムの寺田真一ら技術ボランティアの協力で畠山は試作品を仕上げた。市販カメラに取りつけた特殊な制御装置に、ストロー状の呼吸圧スイッチがつながる。
「畠山さんたちのおかげです」。上村は一眼レフのシャッターを何回も切ってみせた。(敬称略)(編集委員 河村 好市)
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1992.06.04 東京読売夕刊◆温かい人間的存在 パソコンは私自身
畠山卓朗が轟木(とどろき)敏秀(29)から、「上村さんが使っているKBマウスは手でも操作できるはずです。研究してくれませんか」と相談されたのは、三年前の夏だった。
轟木のいる国立療養所南九州病院(鹿児島県・加治木町)の児童相談員、久保祐男(42)が、連絡役を務めていた。畠山の問い合わせに久保は、「轟木が筋ジストロフィーと闘っている」と答え、ほどなく轟木の闘病の模様を記録したビデオテープを持って横浜の畠山を訪ねた。
この病気は成人に近づくにつれて筋力が急速に低下し、呼吸不全に陥って二十歳前後で死亡するといわれる。原因は本来、筋肉内で作られるはずのジストロフィンというたんぱく質ができないためだ。残念ながら治療法ができていない。
小学校六年生の時、轟木は今の病院に入院した。友人に手紙を書く、詩作に熱中する、パソコン通信でニュースを知る、全国の仲間と会話を交わすと充実の毎日。だが二十五歳を過ぎたころ、筋力が急激に衰えて好きなパソコン操作が思うようにできなくなった。
苦しい時期にパソコン専門誌でKBマウスの紹介記事を読んだ。「運命的な出合いを感じさせられた」轟木に頼まれた久保が、畠山との連絡に当たった。
ビデオを見た畠山は久保から事情を聞いたあと、病院に三回も出かけ轟木自身から希望内容を確かめ、KBマウス用に磁石付きの細い棒を作った。これまでの木棒は三十センチの長さで重さが十五グラムあった。今回のは長さは同じでも重量は五グラム。
右手で磁石部分を文字板の文字や数字に当てて左手でスイッチを押すと、作文や交信が可能だ。
待望の機器が届いた直後、轟木は体外式人工呼吸器(低い圧力をかけて胸郭を広げ肺に空気を送る装置)では十分に呼吸ができないというピンチに陥った。「生きたい。畠山さんの機器でパソコン通信を続けたい」と主治医で副院長の福永秀敏(44)に訴えた。
食事がのどを通らない。わずかに動かせるのは両手の指先だけ。対策は気管を切開して空気を直接、肺臓に送り込む陽圧式の人工呼吸器を装着すること。しかし陽圧式は「声が出なくなり、意思が相手に通じない」という患者もいる。
福永は一時、思い悩んだが決断した。「彼の希望をかなえてやろう。それには手術だ」。平成二年八月十三日、轟木の気管を切開し陽圧式を装着した。
轟木の血色がよくなり食欲が出てきた。先日、呼吸器を付けたまま「パソコン通信でニュースが分かります。ベッドのなかから世界が見えるんです」と、和やかな表情で語った。
福永、看護婦長の稲元昭子(49)らの手厚い介護を受けながら一日に二時間はパソコンを打つ。
帰京後、轟木から手紙が届いた。「パソコン通信のなかでは障害者、健常者が同じ
高さで対話できる。電子機器は冷たく感じられるかも知れない。でも私にとって温かい人間的な存在。私の生きがいというより私自身です」とあった。(敬称略)
(編集委員 河村 好市)
1992.06.08 東京読売夕刊
◆授産施設で作業に熱中
「ぼくはからだのちょうしわるいです。しょくよくがありません。まいにちたのしくありません。おやはぼくのきもちをわかってくれないんです」
北九州市戸畑区の自宅で高木祐紀夫(21)が六年前、パソコンの画面にこう打ち出した時、母親の登志子(54)はうれしさのあまり、舞い上がりたい気分になった。
母親は祐紀夫が通っている小倉南区の市立北九州養護学校にかけつけ、担任教諭の立目章(32)に報告した。「先生、息子が自分の言葉で親に反抗できるとは思いもしませんでした。『もっと反抗していいからね』と言ってきました」。祐紀夫が同校高等部三年生のころだった。
登志子は出産して七か月目の乳児検診で医師から息子が脳性まひであることを知らされた。幼児から少年期にかけて懸命に語りかけたが、言語機能と手足の運動機能を奪われた祐紀夫は黙ったままだった。
息子の表情をうかがいながら登志子は、「ああかな」「こうかな」と自問自答型の会話を繰り返した。でも息子は母親にサインを送っていた。天井を見上げると「イエス」、首を横に振れば「ノー」。
登志子の説明をもとに、立目が祐紀夫の頭部に運動機能があることを確認したのは高等部三年を担当するようになった時。祐紀夫は生来、思考力、聴覚とも正常で周囲の人の会話はきちんと理解している。この機能を生かすことで表現能力を導き出せそうだ。
立目は同僚の教諭たちと相談の結果、祐紀夫の頭部に傾斜式センサー(頭の傾き具合でスイッチがON、OFFと反応する水銀入りのセンサー)を装着したベルトを巻いた。頭の動きにうまく連動する。センサーにつながったパソコンの画面の文字を探り、作文していけばよい。
訓練は日ごろの生活を日記風にまとめることから始まった。一例を紹介する。
「なつやすみのたのしかったこと。きゃんぷに2かい、いきました。おにいさん、おねえさんとともだちになりました。いえにあそびにきました。ぱそこんがうてるようになり、にっきをかくのがたのしいです。でもむずかしいです。8がつ31にち(はれ)」
「私は無理だろうと思いましたが、ともかく息子と夏休みの四十日間を一緒に練習しました。短い文章ですが、作品を学校に持って行きますと、高等部の先生がほめてくれる。それがまた励みになる。そんなことの繰り返しでした」と登志子は振り返る。
祐紀夫は、いま、母親と共に市内の授産施設「あゆみの里」に通い、和紙工芸、陶芸、ハンガーの組み立てなどの作業に熱中している。
プロ野球が好きだ。「やきゅうじょうにいってみたいが、くるまいすのままでは、はいれないのがざんねん。テレビできょじんをおうえんする」
一方の立目。「センサー着想のきっかけ? 工業関係者が生産現場で使っているセンサーですよ」と屈託なくほほえんだ。(敬称略)編集委員 河村 好市
パソコン操作の上達を喜び合う高木登志子さんと祐紀夫君
1992.06.10 東京読売夕刊
内山幸久(28)=東京都大田区=は岐阜県の上村数洋と同じ頚椎(けいつい)損傷の障害者だが、パソコンを打つマウスピースは割り箸(ばし)と歯科剤で合成した機器を使う。病院との共同研究で開発した。
学習院大法学部二年の昭和五十八年六月四日、トランポリン部員の内山は、大学構内の通路のわきに張られたネットで練習していた。この日は都合で体育館が使えなかったので臨時の野外練習場。天井が高さと方向を判断する目安だった。野外ではそれがない。判断が不十分のまま跳び上がり、降下したとき、頭からネットに。衝撃で首の骨を脱臼(だっきゅう)・骨折した。
◆割り箸方式マウス 社会参加に道開く
川崎市の関東労災病院で治療とリハビリの長い生活を送る。ほぼ全身不随のまま退院した。病院ではつれづれにワープロを買いキーボードを専用台に置いてもらった。右手は左右に動かせるが上下動ができない。
電動車いすに乗ってワープロに接近した。割り箸をくわえてボードに触れてみた。頭は自由に動く。いくらでも打てそうだ。しかし時間がたつにつれて口もとが疲れ箸の形が変わりボードとの接触感も弱まる。
「口もとに優しく、時間がたっても変形しない素材を割り箸に装着できないものでしょうか」。内山はリハビリで世話になった作業療法士の吉森洋子(39)に退院後、提案した。
吉森は以前から歯科剤を利用すれば歯を傷めないマウスピースができそうとは考えていた。関連文献を調べたが、マウスピースの具体的なデザインや作製方法などは見当たらなかった。その矢先に内山からの話だ。
病院では吉森、内山に歯科医、歯科技工士を加えたプロジェクトチームを組んだ。歯科医と歯科技工士が内山と吉森からアイデアの内容を聞いた。医師が内山の歯の状態をみて技工士と相談し、素材に選んだのが欠け歯補てん剤の「GCユニファスト」。
吉森がおしゃぶりキャンデー風に、ピースを平らに補てん剤で練り上げた。固くなる直前、内山がかみ跡を付けた。これを技工士が磨いて仕上げた。
使ってみた内山の病院への報告。「硬いけど抵抗感がない。滑らかで衛生的だから安心して使える。形は半永久的に変化しない。欠点は唇が少し乾くこと」
箸の先端に内山はシリコンのキャップを滑り止め用に取り付けた。使い心地が素晴らしい。
吉森は「割り箸方式は内山君のように歯の丈夫な人向き。入れ歯の人用のピースも開発できた。障害者はどしどし活用してほしい」と呼びかけている。
上村と同じECS(環境制御装置)を内山の自室で見かけた。外部とは電話、パソコン通信、ファックスで連絡を取る。ここ数か月、知人三人とパソコン通信ネットワークを利用した企業の設立に夢中だ。事業の内容は福祉機器類とソフトの企画、開発、製作、販売と人材の派遣など。
「早く社会参加して周囲の人を安心させたい」から。五月末に定款ができ上がった。自立の日は近い。(敬称略)
(編集委員 河村 好市)
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1992.06.11 東京読売夕刊
◆“生きる機器”に喜び
このシリーズに登場したKBマウスは、日本テクニカル工業社長、中川利光(32)=横浜市西区=の協力で誕生した。
コンピューター周辺機器専門メーカーで従業員三十六人。空港リムジン・バスの乗客の行き先別切符発売用など特殊なキーボードを作る。年商五億円。これまで障害者向けの機器を手がけたことはなかった。
畠山から設計図を示され製作を頼まれた中川は、「自分にも筋ジストロフィーの友人がいる。この際」と請け負った。
第一号を上村宅に納めた後、製品は「障害者の福祉機器展」(年に一回東京で開催)に展示している。PR不足のせいか過去四年間に売れたのは七十台(一台約十八万円)。でも昨年秋こんなことがあった。
「患者本人が『いつまでいまの状態が保てるか不安だ。自分の気持ちを絵か文字で残したい』と言う。装置を明日にも送って」との緊急注文。生存時間と競り合っている本人の心情が察しられた。あいにく在庫はなかったが、三日で仕上げて送った。通常は一か月かかる。
いつKBマウスの注文を受けるか分からない。でも中川はこのケース以来、在庫を欠かさない。「採算の取れる製品ではない。企業利益の社会還元型製品だ」と割り切っている。
ECS(環境制御装置)第一号器を畠山らと共同開発したのが、市川洌(きよし)(46)=東京都補装具研究所主任研究員=。
四月十日、都内目黒区のA君(15)宅へ。「来てほしい」と言って来たのは、この家にリフトを取りつけた建築業者。リフトのメーカーの説明書通りに布製のベルトをA君の体にセットしたら、体形に合わず体がずり落ちるという。
このつり具は体がまひした人用で、脳性まひのA君の場合、装着されると体が緊張してつり具を受け付けない。市川はうつむき型のものを作り、当日A君に装着した。上々の成績で、A君、家族、建築業者ともほっとした。
福祉機器が公的援助(今年度は約百八十四億円、前年度比一六%増)で普及するにつれて、深刻な問題が出てきた。市川、畠山らリハビリ工学の専門家が全国で約四十人と圧倒的に足りないこと。このため市川の場合、平成三年度の出動回数は百回を超えた。
一例が秋田の松本茂のリフト。昨年夏、市川は松本の妻るいに相談を受けた。地元に専門家がいないからとのこと。市川はデンマーク製のリフトがよい、と判断しメー
カーに手配した。製品が松本宅に到着した直後、秋田に出向き、泊まり込みで取り付けて操作法をるいに教えた。
支援した障害者がなにかできるようになると、ぱっと和やかな表情に変わる。この一瞬が畠山たちに無上の喜びとやりがいを感じさせる時だ。市川や畠山がこもごも、こう言った。
「障害者は『なにができるか』と悩む前に『なにがしたいか』を考えて知らせてほしい。私たちは本人の『したいこと』をかなえるための機器を、いろんな人の力を借りて、作ることを考えます」(敬称略)
編集委員 河村 好市
(この項、おわり)![]()