1.はじめに
身体に重い障害をもつ人々におけるパソコンやワープロなどに代表される情報機器にたいする関心は非常に高いものがある.これらの機器を利用することで,様々なハンディキャップを克服できる可能性があるからである.しかし,現在わが国で市販されている機器のほとんどが,障害を持たない人を前提に設計されているため,そのままの形では利用できないことが多い.
今回,進行性筋ジストロフィー症の中でも最も重症なデュシャンヌ型と呼ばれる患者(共同研究者)を対象に,1入力でも利用可能なマウス・エミュレータを開発したので報告する.なお現在,対象者は人工呼吸器を使用しており,スイッチ操作に利用できる身体部位は手の親指を数ミリ程度(操作力50グラム程度)動かせるのみである.2.開発の背景
2.1 これまでの取り組みと新たな課題
著者等は,これまでの取り組みの中で,重度の肢体障害者を対象としたパソコン入力装置の開発および操作環境の改善に取り組んできた.1)2) しかし,実際に使用しはじめた利用者からは,その後の病状の変化や使用環境の変化などの理由により,インタフェース側から見て,さらに制限された状況下でも利用可能な入力用インタフェースの開発の必要性が出されてきている.その一つに,これまではベッド上で側臥位(横向きの姿勢)で,スティックによりタブレットを操作しマウス操作を行ってきたが,病状の進行とともに側臥位をとれる時間が徐々に短くなってきており,仰臥位(仰向け姿勢)で過ごす時間が圧倒的に長くなってきている.仰臥位でも利用可能なマウスがないかという相談である.仰臥位の場合,重力に抗してスティック操作を行うことは非常に困難であった.入力手段について様々な検討を行ったが,最終的には1個のスイッチ操作だけでマウスと同等の操作ができるエミュレータ(代替装置)の開発が必要であるとの方針を決定した.
図1 ベッド上でのパソコン操作の様子(共同研究者:轟木)2.2 障害の特徴
今回対象とするデュシャンヌ型筋ジストロフィーの特徴として,随意的に動かせることのできる身体部位がたいへん限定されること,かつその運動距離および操作力は,それぞれ数ミリおよび数十グラム程度とごくわずかであること.しかしながらリズミカルな動きは可能である,などがあげられる.
2.3 障害の特徴にあわせた入力法
筆者らは,過去に神経筋疾患患者に適した入力法として,操作スイッチの操作時間の長短と回数の組み合わせを用いた入力法(イージーコム)を開発し報告した.3) この入力法は,順次選択法とコード化選択法を組み合わせたものであり,今回報告する入力法もその流れを継承するものである.
3. 操作スイッチ選定と必要な操作能力
リズミカルな身体運動を利用することから,例えば指先などの動きを用いることを例としてあげると,スイッチの操作力は100 グラム以下(ただし,身体状況によっては10グラム程度のこともある),移動量(ストローク)は数ミリ程度が望ましい.
ここでいうリズミカルな動きとは,ほぼ一定の時間間隔でスイッチを短く「トン・トン・トン...」の如く操作する.これをここでは短点入力と呼ぶ.また,一定時間以上(tL),長く「ツー・ツー」の如く操作する.これを長点入力と呼ぶ.スイッチ操作時には,電子ブザーによる聴覚フィードバックが与えられる.短点入力時には「ピッ」音が,長点入力時にはまず「ピッ」音のあとにしばらくして「ピー」音がする.
また,途中で操作を中断したい時は,キャンセル音「ピピピピピピ」がするまで(tC)スイッチをオンし続ければよい.
一般に,触覚感の少ない低作動力スイッチを利用する場合や,呼気による圧力スイッチを利用する場合などでは,スイッチの操作感が得にくいため,操作負担が増す傾向にある.とくに,スイッチ・オンの立ち上がり時点で聴覚フィードバックを与えることは不可欠である.(図2)
図2 スイッチ入力と聴覚フィードバックの音出しのタイミング4. 開発した1入力方式マウス・エミュレータ
4.1 システムの概要
今回開発したエミュレータ(図3)は,パソコンなどのマウス入力コネクタに接続して使用する.操作スイッチの短点入力と長点入力の組み合わせで,マウスと同等の機能が得られる.
機能の特長を列挙すると
・上下左右方向へのマウス・カーソル移動
・移動速度を8段階に可変
・ドット単位の移動・停止が可能
・左右クリック,ダブルクリックが可能
・左右ドラッギング(スイッチ押下移動)が可能
・操作者のスイッチの操作タイミングに合わせて,長短時間,応答速度を自動設定
などである.
図3 1入力方式マウス・エミュレータ4.2操作方法
操作概念を図4に示す.以下に手順を追って説明する.
図4 マウス・エミュレータ操作概念1)短点入力で右方向へ移動開始
2)短点入力で右折して下方向へ移動
3)短点入力で右折して左方向へ移動
4)長点入力で停止
ここで,停止状態からある特定の方向へ移動したい場合は,
・右方向:短点1回
・下方向:短点2回
・左方向:短点3回
・上方向:短点4回
移動中にある特定の方向に進行方向を変えたい場合は,短点を
・1回:90度右旋回
・2回:180度右旋回(逆方向)
・3回:270度右旋回(左折)
その他,各種マウス操作も含めた操作方法の一覧を表1に示す.
表1 マウス・エミュレータ操作方法
この入力法の特長は,若干の操作訓練を行うだけで目的の方向へ直接的にカーソルを移動したり目的の操作を実行したりできることである.実際の操作場面では,まずマウス・カーソルの進めたい方向を決め,それに対応した操作スイッチの入力を聴覚フィードバックの助けをかりながら行い,CRTディスプレイの画面上をあたかも散歩するかのようにさまよいながら,目的のポイントにカーソルを移動させることになる.(図5) この間,一切画面から視線を外す必要はない.なお,このエミュレータは,斜め方向への移動を可能にしていないため,ペイント系(筆を使って絵を描くような)ソフトには適さず,むしろメニュー選択やドロー系(図形や線の組み合せで絵を描くような)ソフトへの利用に適している.
エミュレータ本体には,スイッチ付きボリュームが付属しており,聴覚フィードバックの音量を調整することができる.
今回開発したエミュレータの対応機種はリコー製・光ファイリング・システム「くらら」,NEC製・PC−9801シリーズ,富士通製・FM−TOWNS,APPLE製・マッキントッシュ(テックパーツ製9801−マウスADBアダプタが必要)などである.
図5 1入力方式マウス・エミュレータの フィードバック系4.3 使用評価
現在,国立療養所南九州病院入院中のデュシャンヌ型筋ジストロフィー患者(共同研究者)において,光ファイリング・システムおよびパソコンと接続し使用中である.導入時,スイッチ操作のタイミングを把握するまでに若干の操作訓練(5分間程度)を必要としたが,すぐに操作に慣れることができた.導入当初は操作スイッチを1回ずつ押し,進行方向を90度ずつ転回させる方法(スタート・右→下→左→上→...)をとっていたが,少し慣れた時点では,目的の方向に直接移動する方法(例えば,スタート・上→下→右→左...)をとるようになった.現在おもに,光ファイリング・システムに雑誌の記事や操作マニュアルなどを読みこませ,ページめくり器代わりに利用している.また,パソコンでは作曲ソフトや囲碁ソフトなどを中心に利用している.
図6 光ファイリング・システム「くらら」の操作風景5.おわりに
今回,デュシャンヌ型筋ジストロフィー患者のマウス操作のためのエミュレータを開発し,これまでパソコンなどの操作が不可能と考えられてきた人々に道をひらくことができた.
近年,わが国では家庭の中にファックスやパソコン通信のための機器が徐々に入り始め,家庭に居ながらにして様々な情報に触れることができるようになってきつつある.重度の障害をもつ人々にたいしてもそれらの情報に平等に接することができるよう配慮する意義は大きい.今後とも,それらのニーズにこたえるべく,誰にとっても使いやすいインタフェースの開発や操作環境の整備に取り組んでいきたい.
最後に,本開発プロジェクトを技術ボランティアの立場から強力に支えて下さっている(株)リコーの関係者の多くの方々に深く感謝の意を表します.また,いそがしい業務の中,機器のセッティングなどを快くやってくださっている国立療養所南九州病院筋ジス病棟の職員の方々に深く感謝いたします.参考文献
1)畠山卓朗・他:重度肢体障害者のためのパソコン操作環境の改善,第5回ヒューマン・インタフェース・シンポジウム論文集,231-236,1989
2)畠山卓朗・他:人工呼吸器依存筋ジストロフィー患者のためのコミュニケーション環境の改善,第6回リハ工学カンファレンス講演論文集,233-234,1991
3)畠山卓朗・他:重度障害者のための新しい入力法の開発,第6回ヒューマン・インタフェース・シンポジウム論文集,211-216,1990
(1993年 第9回ヒューマン・インタフェース・シンポジウムにおいて発表)
畠山卓朗・ほか:重度障害者のための1入力方式マウス・エミュレータの開発,第9回ヒューマン・インタフェース・シンポジウム前刷集,pp.279-282 (1993)