著者は新設されて2年経過した大学に勤める駆出しの教員である.28年間にわたるリハビリテーションエンジニアとしての臨床経験を活かした教育を実践したいと考え,「支援技術」(Assistive Technology)のテーマを中心に据えて,独自の授業を行っている.その背景になっているのは,前の職場である横浜市総合リハビリテーションセンター企画研究室での15年間の訪問サービスをベースにした実践が私に強く影響を与えている.
教育の世界に身を置いて真っ先に感じたのは,比較的低学年から理学療法,作業療法といったように専門分化して教育場面が用意されていることである.これは現場感覚からすると違和感があった.すでにこの時点で縦割りが始まっている.実際の臨床現場では,様々な支援スタッフが協力し合い,時には専門性の垣根を越えて議論をしながら問題解決にあたる必要がある.一方,教育場面では専門性における違いや共通点を学生自らが感じる取る機会が少ないまま教育が進められていく.果たしてこのまま進めば,一人の利用者をモザイク的にしか捉えることができない支援者が育っていくのではないか.これは私が属している教育機関だけではなく,多くの教育機関に共通して見受けられることである.
病院や施設などで初めての実習を終えた学生の報告会に参加した.学生達の口々からは「患者さんや利用者さんとの間でこころの触れ合いを強く感じた」というような感想が出された.これにたいしてある教員からは「こころというような抽象的な表現が目についた.知識の伴わないうちは本物ではない」という主旨のコメントが出された.これにたいして著者はつぎのように考える.「こころが動かないところに本当の生きた学びはない」と.再び教育場面に目をやると,学ぼうとしている知識や技術を必要としているのはどのような人であり,どんな不自由さを抱えており,そして,それを用いれば,生活にどのような変化を与える可能性があるかなど,生きた知識が十分に伝えられないまま,膨大な知識や技術の伝達が行われていることをしばしば目にすることがある.
ここで著者が最近考えている「利用者を捉える3つの視点」を紹介する.
第一番目の視点は観察者としての視点である.私たちは利用者に最初に出会ったとき,様々な情報を受け取ることになる.この視点は利用者の全体像を捉える上でとても重要である.後述の二つの視点を捉えた上でも,時にはこの視点に立ち返る必要があるように思う.第二番目の視点は対話者としての視点である.利用者に接近し,目線の高さを合わせて向かい合い,利用者の息づかいを間近に感じ取りながら,相手の言葉に耳を傾ける.著者は,これら二つの視点のみで長い間仕事をしてきたように思う.しかし,ある一人の障害のある人との出会いを通して,これらの視点の先にさらにもう一つの視点があることを教えられた.第三番目の視点は,共感者としての視点である.利用者の世界を支援者自らの中でどこまで捉えられるかがそこでの大きな課題である. この第三番目の視点を感じ取るためには,支援者自身の中に豊かな想像力があることが求められる.
いま著者に求められていること,それは知識や技術の伝達といったことだけではなく,目の前で起きていることがらに感動し感じ取る力,自分の頭で考える力,そしてその考えを自分の言葉で他者に伝える力を若い学生の中に芽生えさせていくことではないかと思う.そして何よりも,サービス対象者である利用者から学ぶという姿勢を学生自身の中で育んでいけるよう支援したい.
畠山卓朗:巻頭言 リハビリテーションを志す学生の教育にたずさわって,総合リハビリテーション,Vol.32,No.6,pp.495(2004.5)
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