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日曜日の夕方、我が家を見に来た人がいて、「きれいにお使いですね」と、値引き交渉も無く購入を決めてくれた。
月曜日の夕方、妻から「早く返ってきて」と電話があり、その日の内に、2年間の仮住まいとなる賃貸住宅を決めた。
来月には引っ越しの予定。
公庫で住宅ローンを組んだので、金利は固定。
日本がインフレになれば、楽になるんだけど。
「インフレターゲット論」が喧伝されていますが、いま一つピンとこない。
なにせ、私の卒論は「人形浄瑠璃」ですから。
そこで、「インフレターゲット論」の提唱者、総本家の本を読みました。
『恐慌の罠 なぜ政策を間違えつづけるのか』(ポール・クルーグマン・著/中岡望・訳/中央公論新社/\1600/2002.01.20) 。
翻訳を手がけた、というより企画したのは東洋経済新報社の編集委員・中岡望さん。
中岡さんと編集者が作成した質問項目を基にしてインタビューを行い、論文の形式にまとめたのが、T章の「恐慌の罠」です。
我々が日本の苦境脱出のための方策を語ると、どうしても枝葉末節、戦術論になってしまって、大胆な戦略的、構造的思考ができない。
ま、知りすぎているんですね。
その点、日本を遠くから(しかし子細に)研究しているクルーグマン教授の論旨は明快です。
日本は90年代前半に致命的なミスを犯したのである。
大蔵省が景気後退の真のリスクを認識していれば、早期に大幅な金利の引き下げを行い、インフレ率を3%程度に維持する政策に方向転換していただろう。そうすれば、これほど巨額の財政支出をしなくても済み、経済は安定化していたと思われる。90年代前半に、チャンスがあったにもかかわらず大蔵省は気力洞察力に欠け、そのチャンスを逃してしまったのである。
もう一つ言っておかなければならないのは、政治家の責任である。私は、日本でも金融機関の再建が成功しているかどうか懐疑的である。もし、経済が健全だったころ、例えば94年当時に徹底的な金融機関の建て直しが行われていれば、少なくとも現在のような機能マヒに陥ってはいなかっただろう。
不況に叩かれ続けて疲弊した日本人なら、
「たら、れば、を言ってもしかたないが…」
てなものでしょう。
いつまでたっても展望が見えない。
エンジンを押してかけるジャンプ・スタート作戦は、正しい作戦かもしれないが、有効かどうか明確なことはいえない。
何かと思えば、
私は、日本がデフレ対策でこれほど苦しんでいる理由は財政拡張政策が日本を救うという1940年代のイメージに囚われているからだと思っている。現実はそうではなく、財政政策は経済が恐慌に陥ることを防いだだけで、自律的で持続的な経済成長はもたらさなかったのである。
もう日本は何年も、その政策を続けている。よく言われるけど、病人に毎日点滴をして生き延びさせているようなものですかね。病人というものは、元のように食欲がでないと元気にはならない。
じゃ、どうするか。
3%のインフレ率と1%の名目金利で実質金利はマイナス2%となるというものだ。そうなれば、日本経済はうまく回転し始めるだろう。これが、日本が目指す未来図である。
金利は絶対値ではなく、インフレ率との関係で実質マイナスにもなる、というわけですね。
ゼロ金利政策ではなくて、マイナス金利政策。
大事なことは、「インフレは続く」と思わせることだそうです。
いやー、銀行は困るよね。
現預金持っていても仕方ないから、資金は株に向かうのかな。
まあ、マイナス金利で新規事業立ち上げするネタを持ってない会社は、アホでっせ。
U章以降は、ニューヨークタイムズなどに書いた98年から01年の論文を再録。
10月下旬のインタビューをもとにしたT章と、9月30日のニューヨークタイムズに書かれたU章間には、この事件が与える影響について記述した部分の微妙な見解の揺れがある。
常に変化し続ける経済の現実に対して、いかに経済学者が取り組むか、その典型的な事例として面白い。
やったー。
アクセスカウンターが昨日50000を超えました。
ちょうど50000ヒットの方、お約束通りに記念品を差し上げますので、連絡ください。
皆さん、いつもご愛読ありがとうございます。
もうひとつ、やったー。
これは友達を無くすかもしれないが…。
23日にasahi.comが「歩きタバコに罰金最高2万円 千代田区が条例制定へ」と伝えています。
歩きたばこは、区が罰します――。東京都千代田区は22日、路上で喫煙している人から過料を取る条例を制定する方針を固めた。同日の定例区議会で石川雅己区長が方針を発表した。早ければ6月区議会に提案する。
横浜市や神戸市など、条例で路上喫煙を制限している自治体はあるが、罰則規定を設けるのは全国初という。
千代田区は98年、通称「ポイ捨て条例」を制定し、「歩行中に喫煙をしないこと」を定めているが、罰則規定はない。区民からは「ポイ捨てが一向に減らない」「服を焦がされた」などの苦情が寄せられ、抑止力として金をとることを考えた。
額は2万円以下。路上禁煙の地域は、通学路や人通りの多い場所に限定する見込みで、時間帯での制限もありえるという。
(以下、略)
罰金は「指導有効性の確保」のためで、実際には徴収しない可能性せあるそうで、かつ刑事罰ではないので前科はつかないそうです。
ニューヨークでは厳しい罰があったような。ただし、路上は大丈夫で、レストランなどがうるさかったのではないですかね。
愛煙家の方には申し訳ないが、路上喫煙する人は、ほぼ例外なく煙草ゴミを棄てる。これがキライです。
これから初夏にかけて、戸外で気持ちのいい空気を吸うと胸がいつもより膨らんだ感じがする。そこへ、歩きタバコの煙がなだれ込むのもキライ。
特に、バス停と交差点のように逃げ場の無いところで煙草を吸う人には敵意を感じます。私にとっては、寿司屋のカウンターで吸う人と同じくらい罪が重い。
とはいえ、たばこ屋の息子として育った私ですから、煙草を全否定しようとは思わない。
職場の喫煙室には、煙草を吸わない私も自ら足を運んで、席ではできない打ち合わせやどうでもいい雑談をする。
友達や同僚の、食後の一服や飲み屋の一服は、楽しいだろうと思う。
気遣いの問題ですよね。
制定の理由に「ポイ捨てが減らない」「服を焦がされた」とあるけど、「空気は共有物である」、という概念はまだないようですね。
勝谷誠彦さんが、花粉症対策で鼻の粘膜を焼く手術を受けた。
約10分間の痛みは無く、1〜3年の効果があるそうです。
手術を受けたのは、神宮前耳鼻科クリニックというところで、新たな施術に、慎重に取り組んでいる様子が分かる。
そのことについて「DIAS」(3/27号 \360)の連載「カバ投げ日記」で、こう書いている。
保険が利くので、個人負担は1万円ほどにすぎない。
しかし、と思う。花粉症の原因は主としてスギ花粉とディーゼル煤煙である。戦後の林野と道路行政のツケが今や1千万人と言われる患者を生んだのだ。
こんな計算をしてみる。3割負担の手術代が1万円ということは、要するに3万円の治療費である。1千万人の手術をするだけで3千億円。薬代やら何やらを含めるとこの何倍にもなる。そもそも1千万人は現時点であり、将来は大幅に増えるはずだ。
しかもこれは治療費だけである。花粉症による能率低下がGDPをどれほど押し下げているかを考えると慄然とするではないか。
勝谷さんは、これをエイズやハンセン病、狂牛病を引き起こした役人の「無能、無責任、怠惰」に結びつけ、
「アメリカならばとっくに政府は訴訟を起こされているでしょうね」
と主治医の言葉へつないでいく。
勝谷さんは元会社の先輩。サイトの日記には、どう反応していいか困るような問題発言も散見されるのだが、こうした論理の構築力はさすが。勝谷節の真骨頂をうかがわせる。
このご時世に、珍しいニュースもあるんですね。
2月21日(木)の朝日新聞千葉県版。
「浦安市予算案 ディズニーシー効果 一般会計15%増」
ですって。
法人税60%増
個人市民税18%増
個人市民税7%増
資産リスクはディズニーペッグ制、と呼ぼうかな(笑)。
とはいえ、販売が相次ぐ分譲マンションによる人口増も影響しているらしい。
浦安の新築分譲マンションの最多価格帯は4000万円くらいかな。駅からやや遠いけれど、100平米を超える間取りなどで価格の下落を防いでいる。これは、市の所得レベル低下を防ぐ意味では効果があると思う。
しかしまあ、私立保育所の支援に14億2500万円という数字は、見間違いではないかと思った…。
先日、マンション管理組合のしおりに掲載するために資料を作成しました。
東京、千葉県で世帯数が1500未満の自治体一覧。
|
市町村名 |
世帯数 |
人口 |
|
東京都桧原村 |
1008 |
3171 |
|
東京都利島村 |
169 |
308 |
|
東京都新島村 |
1224 |
3101 |
|
東京都神津島村 |
794 |
2142 |
|
東京都御蔵島村 |
173 |
312 |
|
東京都青ケ島村 |
117 |
206 |
|
東京都小笠原村 |
1333 |
2785 |
|
千葉県栗源町 |
1449 |
5232 |
|
千葉県蓮沼村 |
1345 |
4754 |
|
千葉県三芳村 |
1342 |
4719 |
東京都桧原村の世帯数は1008。村議会は12名で構成され、役場の職員は71人いる。
私が住んでいるマンションの世帯数は1101。桧原村より多いのに、時給800円の管理組合理事19人。管理会社と専任の事務員で約20人です。
浦安市役所があるとはいえ、敷地内の上下水道や庭園管理などには、当然タッチしないわけです。
まあ、上記の自治体の行政コストが高い、とも言えますかね。
昨日は妻が幼稚園ママの年度末打ち上げ。
そこで、娘を以前から行きたがっていたイクスピアリの託児施設キャンプネポスに行かせることにした。キャンプネポスはイクスピアリの初期構想段階で中核的な施設として考えられていたらしい。
この日は、16時からイマジネーションキャンプ(2時間3500円)に参加させたのだけど、他にも時間単位で自由に預けるコースや、2カ月全8回の英語で遊ぶコース、おやおや広瀬光治さんとニットを編む企画まであるぞ。
以前、説明会に参加したときは、「だめだな、こりゃ」と思っていたのだけれど、行ってみると、続々と人がやってくる。スタッフの数も多くて、予想外に活気がある。
中でどんなことをやっていたのかは、分からない。
しかし、大喜びで家に帰った娘は、なんと自作の紙芝居を作って上演してくれたのでした。
いやはや、驚いた。
ただ、人の手間はかかる仕組みだから、採算面は不明かな。
娘を待つ間に、イクスピアリを散策。
超高級店は別にして、この施設の飲食店にはガッカリさせられることが多い。
1階のフードコートでは、この日も5分でコチコチに硬くなるギョーザが出てきた。ヒドイ!
しかし、その脇にある紅茶の専門店で中国茶を飲んだら、面白かった。
お店の人も、「とても詳しい」とはいえなかったけど、親身だった。お店の人と会話が成り立つだけで感動するなんて、どうかしているとは思うけど。
asahi.comで「中国茶サロン」を連載しているキクリン先生を紹介してあげなくっちゃ。
その正体は、私と一緒にウーロン茶の聖地・中国福建省の武夷山に登った、写真家の菊地和男さんデアリマス。
中国茶は種類が豊富で、二煎目、三煎目…と味が目まぐるしく変わる。
もし興味があれば、『中国茶入門』(菊地和男/講談社/1998.07.01/\2400)をどうぞ。
行きつけの美容室のKen's Nalu のサイトを、なんとか無料HPにアップ。
なんか、地元密着の週末でした。
「やったー」「すごいねー」「よかったね」
昨朝の日刊スポーツを開いた時から我が家は大騒ぎ。
けらえいこさんの漫画『あたしンち』(1〜7巻/メディアファクトリー)がテレビ放映されるんですって。
読売新聞の日曜版に連載されている漫画で、放映は4月から金曜日の午後7時半枠。「クレヨンしんちゃん」は土曜日に移動する。
「ねーねー、どうしたの?」
と聞く娘に、
「お父さんの、あーっと、お母さんのお友達の書いている漫画をテレビで放送するんだって」
私の仕事から始まったお付き合いだったけど、ついつい一歩譲ってしまうほど、今では妻の方が仲良くしていただいて、色々お世話になっている。
私は、なんかダンナさんのキャラがまた結構すきで。
プレーリードックをみると、けらさんを思い出す。
ミーハーだけど恥ずかしがり屋のけらさんと、落ち着いた安心感とスルドイ理論を持った旦那の取り合わせが、とてもいい組み合わせになっていると思う。
けらさんと初めて会ったは、91年。週刊誌ではじめる人生相談に一コマの漫画を書いてくれる人を探していました。
ちょうど『セキララ結婚生活』(メデアファクトリー/1991.06.01//現在は講談社文庫/\657)が話題になっていた頃。新婚夫婦の日常を書いた作品だけど、赤ちゃん言葉で甘えあう会話など、誰も書かないけど、誰もが覚えがあるような心理を描いて秀逸。早速お願いしにあがりました。
連載が始まったころ、けらさんは講談社の雑誌に、掃除や整理整頓といった主婦の生活の智恵を、面白く鋭く、連載していた。
各家庭ではどう工夫しているのか、新婚だった我が家の妻もアンケートに協力したりして。
(この連載は『おきらくミセスの婦人くらぶ〜』(けらえいこ ハヤセクニコ 共著/講談社文庫/1993/05.01/\648)として刊行)
その後は、けらさんの友人たちと一緒に旅行にいったり、お互いにファンだけど会ったことがなかった脚本家の北川悦吏子さんを紹介して食事に行ったりした。
ある日、家に帰ったらけらさんからFAXが届いていた。
見たことのないゲラに我が家の結婚式の写真が載っている。
「単行本に使わせてもらうことにしました。もう直りません」
それが『たたかうお嫁さま』(メディアファクトリー/1992.10.01/\951)。
今でも数年に一度、会社の後輩が、「田中さ〜ん、見ましたよ」と報告してくれる。
だいたい、その数カ月後に結婚しますけどね(笑)。
大御所の先生にお仕えして可愛がっていただくことは、大変な勉強になる。他では得られない喜びもある。けれど、作品の内容に関与できる割合は高くない。
これから伸びていく著者と、一緒に頭をひねり、時にはぶつかり合いながら、将来の不安と期待を胸に抱くのは、編集者として格別の楽しみです。
けら家とは当時の住まいが同方向だったこともあって、出社途中や帰宅途中に作品や素材の受け渡しをした。
締め切りギリギリになったけらさんが、道具一式を持って編集部にやってきて、皆が出前のうどんを食べているような大机で作品を仕上げていったこともあった。
「どういうふうにしましょうか」
私は漫画編集者ではないので、ビジュアル的なイメージを伝える言葉のツールがなかった。思いを伝えきれない私と、思いをくみ取りきれないけらさんが顔を見合わせてウンウン唸ったこともあった。
なかでも忘れられないのは、初めてあった時のこと。
石神井公園の駅前喫茶店。
依頼の内容を伝え終わった私に、けらさんが、
「あの、ギャラはどれくらいですか」
「××でお願いしたいんですが、いかがですか」
「えっ!」
両手で顔を覆うと、うつむいてしまったけらさん。
そんなに失礼なことを言っただろうか。ギャラが低すぎて、ご機嫌を損ねたんだろうか。漫画のギャラは分からないからな。いや、そんな反応をされる額でもないと思うが…。
おろおろしながら様子をうかがう私に、けらさん、
「私四コマ漫画のギャラが××なんです。それだと多すぎます。仕事をしなくなっちゃうので、××円にしてください」
ギャラの引き下げ交渉をしてきたのは、後にも先にもこの人だけです。
それから11年。
未来の夢を描いている後進に、どんなに希望を与えることかと思います。
けらさんの歴年の仕事のなかで、私が関わったのはほんの一部でしかない。
しかし、その一瞬の交錯こそ、「編集者をやっていてよかった」と思える醍醐味なのです。
そうそう、大事なことを忘れていました。
「あたしンち」は、高校生のみかんとガサツな母親、もてる弟のユズヒコ、成り行き次第の父といった四人家族の、これまた何気ない日常生活。
どこのうちでもあるような、だけどことさら取り上げないような日常がすくいあげられている点は、いかにもけらさん。
「グフフ」と笑いながら、どこかで脱力してしまう。
特に女性の強い共感を得るようで、会社の後輩も、
「僕が仮に巨人ファンでなくなっても読売新聞をやめられない理由は、うちの奥さんが日曜版を楽しみにしているからです。朝、新聞を読んでいると、横から『日曜版ちょうだい』って言ってくる。そのあと『ねえねえ、これ面白いから、読んでみて』。そこで何か返事をしないと機嫌が悪くなるんです」
しかし、この短い漫画をどうやってアニメに出来るんだろう。
系列の違う読売との交渉で放映を実現したテレビ朝日の関係者は、
「第2のドラえもん、しんちゃんを目指すアニメです。社運をかけた作品といっても過言ではありません。若い女性に人気の作品ですが、子供が見ても楽しい、ファミリー向けの作品にしたい」(日刊スポーツ記事より)
とのこと。
その手腕を楽しみにしたいと思います。
けらさんが審査員の熱い称賛とともに第42回文藝春秋漫画賞を受賞したのは1996年。
受賞作は「オール讀物」に掲載されました。
現在発売中の「オール讀物」3月号では直木賞受賞の2作を掲載。
「あかね空」いいですね。
静謐な筆づかい、細やかな情景描写能力、働く者の気概のもつ誇り高さ。
筆者の山本一力さんが「文藝春秋」3月号に書いた「プロジェクト直木賞」も世相を反映していた。銀座で酒屋を経営していた妻の実家のビル立て替えに資金を工面するためビデオ制作会社をつくり、見事倒産してしまう。バブルの典型的な悲劇の一つ。
そこで得た教訓が、受賞作につながったという。
ダイジェストでは物足りなくて、単行本も買ってしまいました。
いやあ、いいですね。米朝。
久々にCD「特選!! 米朝落語全集 第十五集 地獄八景亡者戯」(東芝EMI/\2300)を聞いております。
盂蘭盆会でないのに、なぜかって?
娘に『じごくのそうべえ 童心社の絵本』(田島征彦・著/童心社/\552/1978.01.01)を読んであげたのですが、それって、米朝の落語を下敷きにしたものなんですよ。
読みながら、ついつい米朝の口真似をしてしまう。けっこう、上手いんですよ(笑)。
それで、「あれ、米朝はどんな口ぶりだったかな」と、思い出したくなった。
人呑鬼(じんどんき)に呑み込まれた軽業師の主人公らが、お腹のなかで大暴れ。鬼はくしゃみしたり、腹痛起こしたり、笑ったり、屁をこいたり。
「あいたたた」と叫びながら絵本を揺らしてあげると、キャッキャ、と喜びます。
しかし、5歳の子供に「地獄⇔極楽」という構図はよく分からない見たいです。
亡者の着物をはぎ取るという「しょうずかの婆」を知らないのは当然ですが、「三途の川」も知らない。
三途の川の渡し船で、船頭の鬼が、「落ちたら生きるぞ!」という笑いがあるのですが、まだ意味が分からない。
「閻魔さん」と言ったら、
「ああ、おじゃる丸(NHKのアニメ)に出てくるやつね」
とニコニコしている。
地獄、極楽という概念も、日本人なら誰でも持っているものではなく、教育の賜物であったか…。
結びの「考え落ち」も、5歳には難しい。
それでも子供は、自分の分かる範囲で物語を理解する天才です。
人気の絵本らしく、続編の『じごくのそうべえごくらくへいく』(1989/\1500)も発売されているし、娘の通う幼稚園の絵本サークルで、年長組(6歳)に『じごくのそうべえすごろく』(田島征彦・著/童心社/\552/2001.11.01)がプレゼントされて、子供たちは喜んでいます。
娘は『千と千尋の神隠し』を、「湯ばあばが怖い」と映画館にはいかずに徳間書店の絵本(\1500)で読んでいますけど、これも、どれくらい意味が分かっているのかなあ。
ベルリン国際映画祭の金熊賞ですって?
日本版「不思議の国のアリス」と言われると、
「なるほど、そういう理解もあるか」
と思う。
八百万の神も、天地の精霊といえば世界共通かもしれませんが、あの世界観は、近く公開されるヨーロッパの一般大衆にどこまで受け入れられるのかな。
打って変わって、こちらは魑魅魍魎のうごめく世界。
『怪文書』(六角弘/光文社新書/2001.12.25/\700)は、事件の陰に飛び交う怪文書を案内役に、そごう、NEC、拓銀、イトマン、佐川急便、クボタ、ヤクルトなど戦後の経済犯罪などを読み解いていく作品。
怪文書を集めて公開する六角文庫を開設した六角さん、「日刊現代」連載の肩書は「事件ジャーナリスト」。ペンネームの六角は「六角鬼」からとった。
いや、「六角さん」というのは呼びづらい。私にとっては「佐々木さん」。
かつて、同じ週刊誌編集部に在籍し、ほとんど一緒に仕事はしなかったけど、酒は飲んだ。
私は新入社員、佐々木さんは最年長キャリアのベテラン記者。
取材先での逸話は、色々と聞きました
ここには書かないけど、取材というのは記者の人柄や人生経験がモロにでる。
私なんぞは、それに比べれば青二才でした。
怪文書合戦の盛んな時期を三分割してみると、第一次ブームは東京オリンピック前後の高度経済成長期、次はバブル経済崩壊直後の90年代初頭、そして第三次ブームは、まさに現在である。
先にも少し触れたが、怪文書の内容は、第一次ブームのころはデマ七〜八割、真実二〜三割だったが、第二次ブームのころは半々の比率になっている。このころから怪文書への注目度がぐっと高まったといってよい。
第三次ブームの現在では、真実八〜九割、デマ一〜二割と完全に比率は逆転した。また最近の特徴としては、企業における内部告発調のものが増え、信憑性は年々高まっている。したがって、マスコミや取り締まり当局の関心度は、かなり高くなった。
それを裏付けるように、怪文書の記述と事件捜査によって明らかになった事実との符合を、筆者は明らかにしていきます。
ワープロ、コピー機の普及が、怪文書作成には画期的な技術革新だったらしい。
その意味では、社会的価値観の変化もあって、義憤に駆られた企業の社員が内部告発する率は高まったのでしょう。
しかし、怪文書はあくまで怪文書です。
何らかの意図をもって書かれたもの、背景に利害を抱えたものが多い。大部分の真実のなかに巧妙に隠されたウソがあるかもしれない。
中には、意図が見え見えのものもあるんですよ。
たとえば私の禄を食んでいる会社のセキュリティーが大甘だったころ、朝一番に出社したら、見慣れない夕刊紙が皆の置いてある。ある旅客運送会社の社長が愛人らしき女性とホテルのベッドの上で仲良くカメラに向かった写真が掲載されたカラー印刷の本格的なものでした。
神戸の連続児童殺傷事件の解説を謀略的に書き立てたものは、行政機関への猜疑心を募らせるための共産主義者の作文と推測されていました。
「怪文書なんて見たことない」
という人は、本書に写真が満載ですから、一度ご覧になるといいでしょう。
取材者は人の弱みを握るだけに、誘惑も多い。
本書のなかにも疑惑の人物から接待を受けたり、金品を渡されるシーンが出てくる。
こうした時に身の処しかたを間違えると、道を踏み外すことになる。
誘惑の罠に堕ちて行ったり、逆に付け込まれたり。
だから、取材先に借りはつくらず、出来てしまったものはきっちり返さなければならないのです。
また、本書には出てきませんが、この業界には、四六時中取材対象のことを考えて追いかけている内に、取材対象の犯罪者と思考回路がシンクロしてくる人がいる。
いずれも、ジャーナリズムの世界から姿を消すことになりかねない。
佐々木さんは、そうしたなかで微妙なバランスをとりながら活躍し続けてきた。
私がいた週刊誌には社員の記者と、特派といわれる契約記者がいます。
人事異動のある社員と違って、契約記者は一生取材者として生きていく。気合の入りかたが違います。
野中恭太郎さんも、すでに週刊誌を卒業したベテラン記者。
淡々としたしゃべり口。情にあつくて面倒見がよい。
一方で、勝新太郎、横山やすしといった破滅型の芸能人や、広域暴力団組長の懐にも飛び込んで記事を者にしてきた人でもある。
この前、結婚披露パーティーでの会話。
「野中さん、事務所は××(都内の繁華街)でしたよね」
「ああ。なんかさ、道歩いてると、その筋の若い連中が、擦れ違い様に目の端で挨拶していくんだよな。まあったく、嫌んなっちゃうよ」
「あはは。知り合いですか」
「違うよぉ。この前もさ、銀座で飲んでたら、酔っぱらった総会屋みたいなのが、その辺に座っていた企業の広報かなんかを軒並みおちょくって飲んでるんだけど、俺のことは会長、会長って、何か持ち上げちゃってさ」
「野中さんが誰だか知らないのに?」
「そうさあ」
笑い話に聞こえるでしょうが、人の修羅場を見続けてきた人には、何か独特の雰囲気があるんでしょうね。
『怪文書』には、「怪文書とブラックジャーリズム」という一項が設けられています。
終戦直後百花繚乱の夕刊紙とカストリ雑誌から始まった戦後ジャーナリズムを、著者はリアルタイムで見続けていた。
そこには大本営発表と検閲の時代から解き放たれた時代のニーズがあった。
1950年の「政界ジープ」「日本観光新聞」摘発まで、ジャーナリズムにブラックもホワイトもなかった。
記事を利用して企業から金を受け取るのがブラックジャーナリスト、というのが一般の見解だろうが、それなら、記者クラブ所属の記者が、税金で食っている役所の幹部主催の懇親会に出席するのはどういうことか。大マスコミの記者は、企業広報がセッティングした宴会の酒は全く飲まないのか?
否、むしろそういう機会は多く、そのほとんどに彼らは出席しているのが現状なのだ。
と書く筆者の世界観はジャーナリズム史の1ページとして貴重。
ミニコミの、個性ある専門紙、情報誌の多くが消えてしまったことは、この"業界"を見続けてきた私にとっては寂しいかぎりである。
と、この項を結んでいます。
ちょっと日記のデザインをいじってみました。
便利ですか? 邪魔くさいですか?
せっかく本を紹介しているのだから、Web書店のリンクを入れたらと思ったのです。
当初、私がよく利用するamazon.co.jp と bk1 のロゴを左右に配置しようと思ったのですが、bk1は「bk1へのリンクは大歓迎です。許可を必要としませんので、自由に行っていただいて結構です」とオープンなのに対して、amazon.co.jpは アソシエイト・プログラムという、サイト運営者に仲介料が入るプログラムの契約を結ばないといけないみたい。
そんなの不便だよ。私は囲い込まれたくない。
bk1にもブリーダープログラムという、似たような企画がある。
他人がなさる分には何の抵抗もないけれど(支払う金は変わらないし、それで友人に少しでも還元できるならラッキー)、私の場合数百円でも金をもらえば、サイドビジネスになってしまう。伊藤師匠に酒でもごちそうになったほうが、よっぽど負い目がない(読んでますか、シショー)。
人生のなかで、多くても一度や二度しか経験しない。しかも、異常な心理状態のなかで経験することになるもの。唐突に身の上にふりかかることも珍しくない。
それは「結婚式の新郎新婦」と「葬式の喪主」。
皆が結婚式場と葬儀屋の言いなりになって高い金を払い続けているのは、経験の蓄積ができないまま人生を終えるからです。
ここ数年、それとよく似た事例が日本人の身の上にふりかかりはじめた。
企業のリストラ、倒産、合併です。
『合併人事』(三神万里子 細田浩之/翔泳社/2002.01.11/\1500)は、そうした合併の事例を丹念に取材し、説得力のある形式化に成功しています。
合併は、コミュニケーションの交錯とアイデンティティの崩壊とを同時に招きます。中で働く人々にとって、一つの会社の中で認識していた自分個人の価値を、ゼロから定義し直す作業は困難を極めるのです。暗中模索で繰り広げられる合併人事の状況を可能な限り開示することにより、無用な誤解、混乱を避け、企業の中で働く人々、あるいは企業の人事部の方々が正しく対処するヒントを提供できないだろうか、そんな観点から、本書は生まれました。
意外に類書が無い。あるビジネス書籍の編集者は、「なぜ思いつかなかったんだろう」とこの本を手にとって悔しがっていたほどです。
「アメリカのM&Aは意外にうまく行っていなくて、原因の一つには暖簾代の償却が…」
なんて話を聞いて納得した気分になっていた私に、ガツン。
冒頭2行めから、
「人材を適正に評価して統合することの難しさを過小評価したのが原因だ」
と企業を支える人の問題の難しさを伝えてくれます。
日本の企業、外資系企業の合併を「合併交渉」「マスコミ発表」「3カ月後」[半年後」というような段階に応じて説明していますが、両社のスピードは全く違う。
合併にはリストラとポストの割り振りがつきものですが、これもまた、全く意味の捕らえたかが違う。
とはいえ、外資系方式が全面的に礼賛するというものではなく、外資系が抱える問題点についても指摘しています。
独立した会社なのか、企業グループの一員なのか、でも違います。
パニック状態のなかで人間の行動原理が典型的に現れます。
「日本企業グループ内合併」という事例があるのですが、合併によってモチベーションが下がるなど会社がドンドン悪くなる様がいかにも日本的で慄然としてしまいます。
三社合併
合併3年目-統合妨害
合併4年目-役員増加
合併7〜8年目-ポストを削減
合併8〜9年目-ポスト争いの激化
合併9〜10年目-給料の調整が終わってすぐ、再び合併
合併10〜11年目-「格」の戦いと、やるべき統合の無視
合併11年目〜-親会社の合併
だいいた合併による調整が完了するのに10年を見込んでいるなんて、何考えているんだ。
なぜ、合併人事はうまくいかないのでしょうか?
まず、合併した企業が、いかに自社出身の人間に多くポストを獲得し、優位に立つかを競い合うのが大きな原因です。
たすきがけ人事、ポスト争い、役員保身のための全員留任など、いかにも日本的事例が続々と出てきます。
どれも「ああ、いかにも、そうだよな」と否定できないことばかり。
つまり、何のために合併するかという戦略がないんですね。
日本の会社で日常的にはびこっている行動原理も、合併という非常事態に繰り広げられては、致命的です。
筆者は、「ヒトのデューデリ(人材精査)」についても多くの紙面を割いています。
スキル、知識、経験もさることながら、人的資質の評価の大きさに驚きます。
合併時の人事においては「プロ度」が重視されるのだそうです。
減点主義の人材評価制度を採る伝統的な日本企業では、優秀とされる人材ほど傷がつかないよう、黙っていても収益が上がり、脚光を浴びやすい部署=「ライン」に配属されてきました
が、全く違った人達が高い評価を受ける可能性がある。
他では置き換えられない特殊な技術を持った人、合併前は非コアだったのにサービスを連結させる重要な位置づけになってしまった人などです。
合併は、いわば非日常、緊急事態ですから、敵を作らない、バランスが取れているという人材より、統合力のある人材が重要になってきます。
次第に疑問が湧いてきました。
こうした人材の再評価や明確な経営戦略に基づく企業カルチャーの洗い直しが必要なのは、合併企業だけなのでしょうか。
今や日本の企業のほとんどが非常事態、緊急事態にある。
ということは、ここで書かれている変革は、日本のほとんどの企業が今まさに必要としていることなのではないでしょうか。
もう一つの疑問といえば、優秀な人材ほど真っ先に流出し、とっととヘッドハンターに電話して会社を離れていくシーンなどが度々描かれているのですが、そんなに転職って簡単なことなのか。
筆者は3年ごとに年収のピークを乗り移って転職していく人達について、「次のトレンドにうまく乗り移れる人は10人中4人くらい」「生涯ずっと活躍し続ける人は、単純計算で、だいたい800人弱にひとりくらい」と厳しい数字も出しています。
こうした複眼的な事実のとらえ方が、この本の記述に安心感、信頼感を与えています。
今日は誉めてはばかりなのであえて難点を探すと、ざっと一読みしただけで、単純な誤植・表記の不統一を3箇所発見。これは、編集者、校正者の責任といえますが、いくらWeb上で誤植の多い私でも、仕事では厳しいです。あと、読点「、」が不必要に多くて、やや文章のリズムを悪くしていると思います。せっかく良い本なので、惜しい。
ところで、著者の三神万里子さんは以前からの知り合いです。
慶応義塾大学環境経済学部卒。在学中に週刊朝日の似顔絵塾で山藤氏に誉めらたのが縁でイラストレーターとしてデビュー。しかし、今ではプレジデントなどの経済誌でフリーのジャーナリストとして活躍中。
思いっきりな舵のきり方は、どかこ翔泳社のイメージと重なるものがあります。
いやいや、
世の中には、色々な本があるものですね。
翔泳社の人からもらった『ヒエログラフを書こう!』(フィリップ・アーダ・著/吉村作治・監修/林啓恵・訳/翔泳社/2000.05.31/\1500)は「隠れたヒット作」なのだそうです。
ヒエログラフとは古代エジプト文字のこと。
112ページフルラカー、本文も軽妙で楽しいのですが、古代文字を覚えることはそんなに簡単でもない。
なんででしょう、ヒエログラフを覚えたところでまったく役にたたないのに
と監修の吉村さんも「あとがき」で書いている。
しかし、彼が早稲田大学のオープンカレッジでヒエログラフ講座をやると大人気なのだそうです。
あれまあ。なんと勉強好きな日本人が多いことか。
翔泳社といえば、96年に『神々の指紋』(G・ハンコック/1996.02.29/上下各\1456)で大当たりした出版社というイメージが強い。225万部売れたそうです(ざっと32億円か)。
1513年に描かれた地図に1818年に発見された南極大陸の氷に閉ざされる前の地図が見つかった。著者はこの謎を解くために世界各地の遺跡を巡りはじめる…というまあ、眉唾物の本です。
おかげで「なんだか怪しげな本を出す出版社」というイメージがついてしまったと思う。
おまけに、祥伝社と間違える人も出てきたと思う。
しかし、この出版社、1985年に設立して、「日本語Windowsプログラマーズガイド」を皮切りにパソコン関連書籍の出版事業を開始、1988年には「マニュアル受注制作に加え、パソコン関連企業のパッケージデザイン、ブランドデザイン、CI、空間デザインなどの事業に着手」するというIT系出版社が本流なのでした
98年9月JASDAQに株式店頭公開(株価はココ)。
現在は、出版局と、コミュニケーションデザイン局と、ソフトウェアソリューション局の3本柱になっているそうです。
平成13年の売上65億円のうち約57%が出版部門の売上です。
社員180人というから、一人あたり3600万円ですかね。
翔泳社が「一般書籍事業(翻訳ノンフィクション)を開始」したのは、『神々の指紋』を刊行する前年でした。書籍のラインナップもIT関連の入門書、解説書がズラリと並んでいるのでとっとと「趣味・実用・ノンフィクション」のコーナーに逃げ込むと、168冊がラインナップされています。
『アメリカを創ったベンチャー・キャピタリスト』
『あなたが伸びれば、会社も伸びる!』
『ほめ上手のリーダーになれ!』
『ハーレーダビッドソン 経営再生への道』
『イノベーションのジレンマ 増補改訂版』
『シンプルマーケティング』
『ブランド・マインドセット〜ブランド戦略の原則とその実践法』
『パーミション・マーケティング』
など、興味深いタイトルが並んでいる。
ところが、自社の書籍なのに全く内容紹介の文章がない書籍もあるんですよ。
『大予言を科学する』
『西洋魔物図鑑』
なんて、そうですね。
そして、2000年7月の『プルトニウムファイル』以降、この会社の分類でいうノンフィクションは97年に刊行した『奪われし未来』の『増補改訂版』しかない。
どうも、コンピュータ関連以外はビジネスのみ、という方向へ急速に舵を切っているように思えるのです。
まるで、「過去のイメージを払拭したい」と思っているかのようです。
IT関連はビジネスのトレンドや海外の情報とも密接なつながりがあるから、そこに特化しようという「選択と集中」なら、まこと真っ当な戦略だと思います。
ぜひ頑張って欲しい。
というわけで、応援ついでに『合併人事』(三神万里子 細田浩之/2002.01.11/\1500)を紹介したかったのですが、時間が無くなりました。
次回、続きを書きますので、待ちきれない人は立ち読みコーナーのpdfファイルがココにあります。
本の立ち読みコーナーがある出版社サイトをはじめてみました。
それと、アマゾンやbk1に在庫があれば、そこへ飛んで、即購入できるのも素晴らしい。
さすがIT系。
ただ、絶版本が載っているのは不思議です。
ここで、出版界豆知識。
「絶版」と「在庫切れ 重版予定無し」はどう違うか。
「絶版」は鉛の活字を組んだ「版」を、「もう二度と刷ることはない」との判断で壊してしまうことを言います。
「在庫切れ 重版予定無し」は、いつか刷るかもしれないけど、今のところ予定は無い、というもの。
もちろん、今では鉛の活字を組んで印刷することはありません。
コンピュータのデータか、せいぜい薄っぺらい樹脂板を保存しておくだけです。
しかし、リアルな物体としての価値が継承されて、「版」を持つだけで資産として課税されるはずです。かといって早々の「絶版」は著者との関係を損ねることもあり、一般的には本の「絶版」と「在庫切れ」の間で売れ行きを睨み続けることになるようです。
その一方で、「版の権利は印刷所にある」という説もあって、以前に書籍化した文字データを再利用刷る場合には本来印刷所に使用料を払うべきだという人もいます。
一昨年『盗まれたフェルメール』(新潮選書)で話題をよんだニューヨーク在住朽木ゆり子さんの「フェルメールはなぜ盗まれる」が月刊「文藝春秋」3月号に掲載中。
昨年の末にまたフェルメールを狙った白昼の強盗事件が発生。幸いフェルメールの作品は無事だったものの、2枚の絵が盗まれた。事件発生の背景にはIRAの陰もちらついて…。
今朝の朝日新聞に月刊「文藝春秋」の「大好評発売中!」という広告が出ていましたね。
売れ行き好調の書籍などで、もう一段売れ行きを伸ばすために打つ広告を追い広告と呼んでいますが、発売期間の限られた雑誌に追い広告が出るのは、ちょっと珍しい。
今月号は芥川賞受賞作の掲載号でもあるし、ラインナップも硬軟とりまぜてバランスが良い。
こちらは、近頃流行の「選択と集中」とは逆を行く「風呂敷雑誌」の面目躍如というところです。
朝から娘の通う幼稚園に行って絵本を読んできました。
保護者サークル「たんぽぽ」のお母さんたちが本を読んであげる活動が好評で、数カ月前からお父さんが読む「パパたんぽぽ」に活動の輪がひろがったのです。
私の参加は2回めで、数日前にサークルのお母さんが届けてくれた本は『おかえし こどものとも傑作集』(村山桂子・著/織茂恭子・絵/福音館書店/1989/\824)。たぬきの隣に越してきたきつねが挨拶の品を持っていくと、たぬきがおかえしをして、きつねがおかえしのおかえしをして…と延々おかえしが続く楽しい絵本。
20数名のこどもたちが、ゲラゲラ笑いながら、でも一生懸命に話しに聞き入ってくれました。
よその子供の反応は、自分の娘とはまた違う。
話の間をとりながら子供たちを見回すと、一生懸命見つめ返してくる。
この子たちにとっては、今この瞬間が本との出会いなんだなぁ、としみじみ実感。
ここ数日、「本はもっと身近な出会いが必要なんじゃないだろうか」と感じていただけに、自分が子供の頃、親に本を読んでもらうことがいかに楽しかったか、親が学校にくることがどんなに特別なことだったか、しみじみ思い出しました。
会社の先輩の結婚披露パーティーがあって、夕方からお出かけ。
カバンもないので、新書を一冊と『本屋はサイコー』(安藤哲也/新潮OH!文庫/\486/2001.12.10)を上着の内ポケットに入れて、「いってきます」。
『本屋はサイコー』はすでに本棚にあったはずなのに見つからず、数日前にbk1で他の本とともに注文して昨夕駅の売店で受け取った。
bk1では「駅でね! キャンペーン」を実施中。JR東日本の「えきねっと」と組んで、駅売店で受け取れるようになった。送料\250。
あれっ、いつからだろう。JR東日本って、独自にオンライン書店を手がけていなかったっけ?
著者の安藤哲也さんは、言わずと知れた元・往来堂書店店長で、現・bk1ブックス安藤の店長。
書店出版社業界で話題となった往来堂書店をたちあげ育てた安藤さんの、本への思い入れ、人生の来し方が書いてある。
買って読んでください。
軽快な文章ですぐ読めるので、その内容をこまかく紹介しようとは思わない。
まあ、そこに書いてあることは、もっともなことばかりだし、ごく当たり前のことなのです。
パーティー会場を辞して、帰りの電車で続きのページを開いた。
いちいち感心しながら、しかし徐々に寂しい気持ちになってきた。
これは往来堂書店を訪ねた時にも感じたことだった。
本屋の棚に工夫がしてある。あいまいだった興味の糸が、書棚を見ていくうちにつながって形を現してくる。これって、本屋にいけば当たり前の感動だったはずだ。
ところが、その当たり前のことに心血を注ぎ込んでいる往来堂書店が、まるで珍しいものを見つけたかのようにメディアで、業界内で話題をよんでいった。
一体、なんなんだ。
安藤さんとは一夜酒を酌み交わしたことがある。自分を「あまのじゃく」「あきっぽい」といいながら常に前を向いて、身体から行動力をみなぎらせている安藤さんは、とても魅力的だった。
この本を読んで、往来堂書店の成功には、色々な安藤さんのバックグラウンドやつみ重ねてきたスキルが生きている、誰でもできることではなかったことがよく分かった。
『脳内革命』が売れていることに違和感を感じて、隣に『マインド・コントロールとは何か』を並べて、結果的に『脳内革命』より多く売り上げたという話は痛快だ。
お店のBGMを自分で編集するなんて、元ミュージシャンで音楽系出版社にいたキャリアが生きている。
しかし、だ。それにしても、だ。
その安藤さんを特別な存在にしている書店業界って、何なのだ。
社内に実験用LANが設置され、メーリングリストが試用されていた時期に、私は「もっと書店の声を聞く方法を考えるべきだ」と長文のメールを流した。当時は書籍編集にいたので、同僚や上司にもそんな思いをぶつけたことがある。
ところが、安藤さんの本を読むと、そんな熱い思いを抱いて行動したことは、「無駄」だったのではないか、という思いにとらわれる。
声を聞くべき書店員は、すでに希少動物のような存在になってしまっていたのでは、と思えてくる。
書店は「不況」「不況」と鳴く金太郎飴ばかりになりそうだ。
もちろん、問題は書店や流通業界だけにあるのではない。出版社にも大ありだ。
業績が苦しいといいながら、旧来の習慣を大胆に変えていく決断力はない。体力があるうちに打てる手を打って、方向を指し示すことをしない。日銭稼ぎの企画に終始して、ただ衰弱する時を先に伸ばそうとしているだけ。
「自分の会社のことだろうか」と思う出版社員は少なくないと思う。
私もその中の一つに身を置きながら、何ら有効な手を打てないままでいる。
そう考えれば、やはり安藤さんの行動力は特別なものと言うしかないのだろうか。
花粉症に加えて、飲みすぎた酒が私の思考をさらに混濁させる。
こんな楽しい表紙の文庫を読みながら、深刻な顔で目をシバシバさせている私。
電車の中で誰か気がついたら、きっと「変な人」だと思われたに違いありません。
書棚を見渡すと、民事再生法を申請した柴田書店の本がいくつもある。
「酒菜 居酒屋料理476」「続酒菜 居酒屋料理532」「柴田書店ムック OASYS すし
競演 江戸前握り八人衆」「柴田書店ムック OASYS カクテル おいしさの秘密!
全国200店ガイド」など。
いい版元なんだけとなぁ、と思っていたらこの業界に詳しい読者Kクンからメールが届きました。
柴田書店の民事再生法申請、ショッキングでしたね。
いろいろな“社内問題のウワサ”は耳にしていました。
自社ビル建設の借入金利がダメージとなったようですが、販売・広告収入もそうとう減っていたと思います。
『月刊食堂』のライバル『近代食堂』も3〜4年前から広告数が激減し、みるみる薄い綴じになっていきました。
厨房機器や食材関係の広告はかなり減りましたね。
その代わり、中小のフランチャイズ・チェーンの広告は増えました。
不況→リストラ→飲食店開業→第二の人生 と単純にいくかというと、そうではない。
昔は脱サラの成功物語だったラーメン店開業も、いまや“○○系”のブランドか、よほどの個性化ができないとウケない時代です。
そこで頼りになるのが、商品・経営ノウハウすべてを教えてくれるF・C。
ラーメン・焼鳥・タコ焼・カレー・釜めし・弁当・・・各種F・Cが一気に増えました。
柴田書店の『月刊食堂』は、そのようなF・C展開をするフードビジネスの経営者・現場管理者を読者対象に設定していました。
(旭屋出版の『近代食堂』は中小規模の飲食店を対象にしていたので、競合しないといえばしない状態だったのです)
『月刊食堂』の盲点は、新しいF・Cビジネスの波を掴めなかったことです。
たとえば「牛角」を展開するレインズ・インターナショナルは、もともとは不動産会社。
自社で確保した「悪立地」に魅力的な焼肉店を作って「穴場的価値」を高め、スタート1〜2年は各店名もバラバラ(「七厘」・「炭火しち厘」など)にしてメディアに登場せず、クチコミだけで評判を高めておいて一気に攻勢に出たのです。こんな発想は従来の飲食店F・Cにはありませんでした。
「バルチック・カレー」も、同じようにユニークな発想のF・Cです。
昼時の持ち帰りカレーは、ビジネス立地を確保するのが一番のポイント。
しかし家賃は高いし業務用の厨房設備を用意するのもたいへんです。
そこで「バルチック・カレー」は、埼玉の工場だけでカレーとトッピング類を作り、毎朝各店舗にカレー入りの保温電熱鍋をとトッピング類を配送。
ライスは業者から各店に直接配達させるようにして手間もカット。
店内にはカレーの電熱鍋とライスを保温するジャーだけを置き、ガスを使わない、電気設備のみで足りる店舗にしたのです。
こうなると、ビジネス立地でも出店の可能性がグッと広がる。
3〜5坪のDPEの抜け店舗でも、十分に出店できるのです。
「まずは厨房設備を確保して・・・」などという考えはいらないのです。
そんな新発想のF・Cが増えているのに、『月刊食堂』の記事に出てくるのは名前を聞き飽きた大手古参F・Cばかり。
どうしても紙面から古臭さが出てしまい、つまらなくなりました。
新参のF・Cには、むしろ『近代食堂』の方が上手にアプローチできていました。
飲食ビジネスでいま注目されている媒体が、Webマガジンの「フード21」。
「柴田と旭屋が潰れても、月食と近食はどこかの出版社が買うだろう」
と言われていました。
柴田は非常に価値のある単行本もたくさん持っているだけに、なんとか再び元気なって欲しいです。
そうか、飲食業界の変遷がこんな形で作用してくるとは。
きっと飲食業界だけではないでしょうね。
奥深い話です。
直接取材をしていないので、匿名で書きますね。
聞いた話が本当ならば、という前提です。
先日、とある業界団体に顔を出したら、日本でも指折りの某ビジネス誌の記事で怒っていました。
新規参入業者のコメントだけを集めて「ケシカラン」という記事をかき、既存業者サイドにまともな取材をしなかったらしい。
「あまりに意図的な記事ではないか」
と抗議したら、記者が、
「ええ、意図的に書きましたから」
と答えたらしい。
あんなー。
新規参入は促した方がいいと思う。
しかし、ジャーナリズムの基本は相手方のコメントもとる。とるべく努力する。
「意図的に書きました」はないでしょ。
もっと深刻な記事だと、裁判になったら命取りです。
この雑誌に書かれて怒っている人は多い。理由は様々でしょうが、これはほんの一例。
繰り返しになるけど、日本を代表する様なビジネス誌なんですから、もっとシッカリしていただかないと。
定期購読料を数年分まとめて振り込んでしまった一読者としての、期待と信頼をこめて。
徹夜明けです。
5時半に帰宅して朝刊を開いたら、出版界にまた暗いニュースが。
柴田書店が民事再生法の適用申請。負債総額42億円だそうです。
休刊となる「実業の日本 JN」最終号を買いました。
巻頭「なぜか総じて大苦戦!? 苦境に立つ30代男性向けビジネス誌」(宮田勝行)は先に休刊した「e+B」編集長の反省の弁を掲載しています。
「ビジネスという大きな括りだから、広い間口で多様な要素を入れ込むことはできる半面、散漫になって読者を絞りきれない。『日経ビジネス』など従来型の経済誌にもなれず、笑いや趣味などライト路線にもいけず、どっちつかず」
路線が不明確なまま雑誌をスタートさせたことが見え見えのコメント。
筆者は「DIME」「日経トレンディー」と比較して、
「もはや、雑誌は趣味的要素に注力しなければ、読者が手にとってくれないのだろうか」
と書きますが、ならば「Biztage」は売れているの?
一方で、巷では資格ブームが起きていて、MBA関連書籍が異様な売れ行きを示している様子。
この中心的な読者層は30代ビジネスパーソンではないかと思う。
男性にしろ女性にしろ、社内における自分の位置づけが不安で、資格の取得など外部の価値基準を持ちたくなっている。
そんな時に必要なのは内容のはっきりしている書籍であって、福袋のような雑誌はいらないのではないか。
30代ビジネスパーソンを相手にするなら、そこに価値軸を与えないと駄目だと思う。
宮崎哲弥・木村剛・浅尾慶一郎鼎談は面白かったけど、彼らをして30代読者の世代を括る存在にできないのはなぜか。
そこを詰めていくと、一つのヒントがある。
いや、暗い話はこれくらいにして。
読者の福本さんから「自転車は産業革命だろうか」というメールをいただきました。
自転車の話のところで「なんと息の長い産業革命でしょう」とおっしゃっておられましたが、実に自転車と言うのはいまだに産業革命でありつづけているのですよ。少し古い話になりますが、10年程前ハノーバー・メッセという世界最大の産業機械の見本市に行ったときのことです。この見本市は日米欧のメーカーが最新技術を競い合う場であるのですが、一方で隅のほうには発展途上国が自国の工業製品を展示している一角があります。ここには、ちょっと恐れ入るような工業用の素材(鋳物や板金の加工品など)が展示されているのですが、確かパキスタンのブースには自国製の自転車が麗々しく展示されていました。(もちろんその当時も核兵器の開発はやってたのでしょうから、なんというシュールな世界!)
これは当時としても時代遅れの酒屋の配達に使いそうなごついものでしたが、それでもパキスタンとしては自国の工業力を誇る象徴であったわけですな。実際自転車の製造と言うのはそう簡単なものではなく、それなりの工業基盤があり、熟練した労働力があって初めて使い物になるのです。ですからいまでも自国製の自転車を持たない国と言うのは世界中にあると思って間違いないはずです。
それこそ「世界がもし100人の村だったら」、一体何人が自転車を持っているんだろう?
そうきましたか(笑)。
そういえばバンコクに行った時に、タイに自動車工場はあるが、工業高校出身者が少ないため基礎的な部品も国内生産できず、組み立て工程しか出来ないと聞きました。
50年前の日本でできたことが、なぜできないのだろうと不思議に思いましたが、同じことが自転車でもあるんですね。
ちなみに、国際的な犯罪取締の会議で各国の経済事犯を発表しあったら、カード詐欺やマネーロンダリングの一方で、牛泥棒の発表があった、というのは元東京地検検事の佐々木知子さんに聞いた話だったかな。
まあ、こうして考えると100年先にもネットにつながっていない世界があることは充分考えられますね。
ちなみに、松下はちょっと前までは本体の一部門、いまでも子会社で自転車を作っています。やはり愛着があったんでしょうね。
私もナショナルショップの息子としてナショナル自転車に乗っていましたよ。
昨日の「世界がもしも100人の村だったら」の成功要因にスピードがあることを書き忘れていました。ネットに流れてから、約2カ月で店頭に並べているのですよ。薄い本だからというのもありますが、意思決定、行動が早かったですね。
この本は銀座の教文館で買ったのですが、一緒にこんな本も見つけました。
『阿川佐和子流人生の磨きかた』(阿川佐和子/扶桑社/2001.12.20/\680)。
BSフジ「ザ・ロングインタビュー」の再録なんですね。聞き手はテリー伊藤、八木亜希子のふたり。
ケタケタと声をあげて笑ってしまいました。
そうそう、途中で、私がある男性編集者として登場してきます。
さて、この本は本文のページ数が86まである。
つまり、1ページ8円たらず。そう思うと安い。
「もしも世界が100人の村だったら」は13円。
安くてすぐ読める。
これくらいたったら払ってもいいか。
なにも256ページ1600円(6.25円/ページ)の本だけが本ではない。
本にはこんな楽しみかたもあってもいいな、と思うと可能性がひろがる様で楽しい気分になってきます。
新聞休刊日の初駅売りとなった昨日の産経新聞駅売りの目玉は「露漁船証明書すべて偽造
水産物積み出し、10年間 日露政府が黙認」というもの。違法を知りつつ、10年黙認とは、すごい。
一方の日本経済新聞は「米コンサル最大手と提携 富士通 経営情報システム開発」。うーん、少し地味ではないかな。
しかし、まあ、日経が新聞休刊日の駅売りに進出してきたのは、驚きました。
フォローワーがリーダーに挑戦するときは、すぐにマネできる勝負をすると自分の首をしめることになる。産経新聞としたら大手はしはらく追随しないだろうと思っていたんでしょうね。
いずれにしても、読者にとっては便利な状況で、新聞に競争が生まれることは歓迎です。
日刊スポーツ他、スポーツ各紙の売れ行きはどうだったんでしょうね。
『世界がもし100人の村だったら』(池田香代子 再話/C.ダグラス・スミス 対訳/マガジンハウス/\838/2001.12.11)が売れています。
この物語がメールで流れた時、日本の何人もの編集者が、
「この話は面白い。でも、本にするには短すぎる」
と思ったはずです。
それを、本にした編集者がいた。
新聞に全5段の広告が掲載された時は、驚いたものです。
こうした本はデザインが勝負です。
・アートディレクション 藤本やすし+Cap
・デザイン 渡辺光子
・イラスト 山内マスミ
覚えておこっと。
帯と本の中央に村人を思わせるイラストがありますが、それでは読者の想像の膨らみを阻害してしまう。中ページのデザインは、文字とクレヨンで塗ったような色のイメージで構成されています。
単にメールを再録したのではない。
感心したのは、このメールの出所がどこで、オリジナルとどこが違っていて、どういうふうにひろがって行ったか、巻末に本文を邪魔しない小さな文字で延々とレポートしてある部分です。
この物語を考えたのは昨年亡くなった環境学者のドネラ・プドウズ氏。それをドイツ人のライボルト氏が世界銀行で同僚だった中野裕弓氏に送った。中野氏は日本語に翻訳して、友人に送った。市川市五井中学校の生稲勇先生が学級通信「でじさむ」に掲載し、時田登子さんが、「うちの長女の担任は」というまえがきを付けてメーリングリストに載せた。
その間に物語は様々な人の思いをのせて、何度か姿を変えて行った。
人の優しさの広がり、慈しみの心のつながりを感じて、感動しました。
私がこの物語を知ったのは10月17日に配信された
「萬晩報」 011017 ある先生からの子供たちへのメッセージ
でした。
すぐに妻のメールアドレスに転送し、妻はそれを幼稚園のママさん仲間に転送した。
そのメールも、ひょっとしたらどこかに形を変えて流れて行っているのかも知れません。
とはいえ、ネットの海のなかで、いつか消えて無くなるかもしれない物語を形に残した点も意義のあることでした。
「これは本にならない」
と即座に判断下は私は、編集者として感動と工夫が足りなかったことになる。
反省。
「萬晩報」バーションを再録しておきます。
もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。
その村には・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます
52人が女性です
48人が男性です
70人が有色人種で
30人が白人
70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教
89人が異性愛者で
11人が同性愛者
6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています
もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。
また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人達より恵まれています。
もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。
もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人の人達より恵まれています。
もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。
もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの一人です。
もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。
もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて,その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。
昔の人がこう言いました。わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。
連休も最終日になりましたね。いかがお過ごしですか。
どこに出かけるでもなく、家で本を読んでおりました。
小ヒットが2冊と、ハズレが3冊(笑)。
ゴロゴロしていたら、万歩計も1000歩くらいしかカウントしない。
友人たちと酒場の勢いでダイエット競争に出走することを約束。
体重計も脂肪計付に新調しました。
会社では隣の席の人が自転車通勤をはじめようとしている。
早速、自転車通勤で行こうを紹介しておきました。
日本に自転車が導入された時、まさかダイエットのために自転車に乗る人が出てくるとは誰も思わなかったでしょうね。
自転車は銀座に産業革命をもたらしたと書いたのは「編集会議」(3月号)にも特集されている山本夏彦さんだったと思う。
配達や注文取り、集金で何人もの小僧や番頭がテクテク歩いていたのに、自転車に一人乗れるものがいれば用が足りてしまうわけです。
自転車は文明開化とともに輸入、やがて国内生産され、明治25(1892)年に逓信省が自転車を初めて電報配達に使用(日本自転車史研究会)したそうです。
大正12(1923)年には大阪の松下幸之助が自転車照明の砲弾型ランプを製作、続いて昭和2(1927)年に売り出した角形ランプ(手提げ兼用)で初めてナショナルのブランドを用いました。
なんと息の長い産業革命でしょう。
今や自転車は1万円で買うことができる。
廃棄自転車は山積み。
街の自転車専門店はひっそりとして客の人影も無い。
同じ中抜き産業のインターネットも無限のフロンティアではない。
100年後にはどうなっているのだろう。
既存メディアも署名で、と考えている私は、「2ちゃんねる」は社会現象として数カ月に一度雰囲気を覗くくらいの関心しかもっていなかった。
ところが、先月コンビニの棚に『2ちゃんねる大攻略マガジン』(芸文社/2002.01.10/\657)を発見。活字世界に躍り出てきた。
早速購入して2ちゃんねる読者に見せたら、
「あー、もう駄目ですね」
と寂しそうな表情が印象的だった。
2ちゃんねるは、彼にとってはすでに変貌してしまったのだろう。
『2ちゃんねる大攻略マガジン』は読まなかった。
『2ちゃんねる宣言 挑発するメディア』(井上トシユキ+神宮前.org/文藝春秋/2001.12.10/\1476)は最後まで読んでみた。
情報の受けてとして、ただひたすら拾い集めるのに飽きると、こういうことが知りたいと投げる。すると、その反応が返ってくる。だいたい、有名どころのホームページなんて、すぐに全部見れちゃったじゃない、この時代って。有名どころって、だいたい決まってて、一通り見終わると、あとらいくら検索しても見るものが無い(笑)。
ああ、そういう時代だった。印象に残ったのは、それくらい。
うーん、どうしてここまで関心がわかないんですかね。我ながら不思議。
今や個人サイトは増えました。
先日、読者の武田真一さん(明治大学3年)から、こんなサイト紹介のメールをいただきました。
さて、先日ネットサーフィンをしていたら面白いサイトを見つけました。
その名も「the NIKKEI watcher」というサイトで日本経済新聞の社説・春秋・署名入り記事の格付けを行っています。
このサイトの主はサイトの紹介文に
私は、自分の子供達の為にも、日本がより良い、より住み良い国になって欲しい。
その為に、私に何が出来るだろうか?
鉄のトライアングルとも称される強固なシステムの、何処を突つけば、日本は変わるのか?
Mass
Mediaが変わらなければ、日本は良くならない。
NIKKEIが良くならなければ、日本は変わらない。
だから、私はNIKKEIをwatchする。
私は、Media
Watcherである。
と、書いているなかなかアツイ方です。
URL:http://www.taka-watch.com/index.html
田中様のサイトのリンク集を探しても見当たらなかったので紹介させていただきました。
それからもう一つ、面白いメルマガを紹介させていただきます。
その名も「NYタイムズを読む」
NYタイムズのオプ・エド欄コラムを約2週間に一回のペースで報告するページです。
オプ・エド欄は、「社説面の反対側にあるページ」(”Opposite
Editorial Page”)のことで、NYタイムズ紙本体の終わりから二つ目のページです。
毎日4つのコラムが載っていますので、2週間もすると50以上にもなります。
その内面白そうなコラム一つを選び、内容紹介をメインに、最後に私の意見を少し加える形で、報告します。
このメルマガを書いていらっしゃる方は松下政経塾出身で現在、コロンビア大学大学院に在籍されている稲富修二さんです。
英語がダメな私には、ありがたいメルマガです。
URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~inatomi/
ありがとうございます。
運営者のプロフィールが見当たらないのですが、「the NIKKEI-watcher」は、マスメディア以外の方が運営しているようですね。そういう人がもっと増えてくると、面白いと思います。内容については、これから時々拝見してみることにします。
「NYタイムズを読む」は、登録後1通目が届いたところです。
日経について言うと、まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人たちへというサイトを教えてもらったことがあります。運営者は元日経社員で、日経との間に繰り広げられた裁判の訴状や準備書面など掲載されています。まだ内容の評価ができるほど読み込んではいませんが。
メディア関連も、私の知らないものが色々増えているんですね。
以下は個人的メモを兼ねています。
友人知人などのサイトを、責任の持てるものも、持てないものも(笑)、手当たり次第に紹介。
浮き球.comは椎名誠さんたちとやっている、一風変わった草野球大会。
西表島の海岸などに、どこからともなく流れ着く発泡スチロール製の浮きをボールにしてはじめた草野球が、今では全国規模になってしまった。Webサイトまで立ち上げて、あほやねー。
2月は首都圏リーグ、奥会津大会、3月は沖縄大会、八丈島大会が開催予定。うーっ、旅費が…。
素敵なオジさまの路地裏旅行入門は、大人の遊びな感じがして、いいなあ。
勉強になるのは、東京FORT Webですかね。「仕事のほかに何してますか?一緒に勉強しませんか? 」というわけで、経済やITなどの楽しい勉強会があるようです。
役立ちサイトといえば、弁護士紀藤正樹さんのサイトは再び立ち上がったんですね。
雑誌記者yucoさんのyuco.netは、『CODE ― インターネットの合法・違法・プライバシー』 関連リンク集などあります。
年賀状を頂いて驚いたのは、今年80歳となる内海桂子師匠のサイトが出来ていたことです。柔軟で旺盛な気力には驚きます。
Barbie Barbie は「つん」主催。バービー人形すきなお友達のサイトであります。いひゃー、これは客観的判断ができません。
Food 104 Magazine は加藤さちこさんの食に関するメールマガジン。外食産業、食の安全、海外食事情など、もりだくさんのようです。
モータージャーナリスト矢吹明紀さんのサイトは、自動車だけでなく、ミリタリー、飛行機の話題も満載。本人はエンジンが付いていれば
ライター岩田万里さんはTOEIC925点で経済に詳しいなんて尊敬。
ライター江下雅之さんの、なんだか情報満載のサイト。
「いのたま」こと井ノ瀬珠実さんのいのたまメンタルヘルス会議室は精神疾患がテーマ。
岩上安身さんも、サイト作っていたのかぁ。
ミステリー作家阿川大樹さんの阿川大樹・小川大樹のものかきホームページ。
コバルト文庫などで活躍の作家・花衣沙久羅(かい・さくら)さんの公式サイト沙漫沙も強烈。
物書きになると、そんなことがあるのか。山崎マキコさんは、ファンがココやココなど、ファンが次々とサイトを開設してくれているそうで、うらやましい。
イラストレーター野村俊夫さんは、相変わらずのホッとさせる絵を見せてくれます。
SPACEMANSHIPはCGデザインなど手がける野呂さんの作品。
お気に入りのサイト、ありました?
ソルトレイク五輪、開幕しましたね。
長野五輪のとき、「あの開幕式は国辱ものだ」と怒っていた人が沢山いたのですが、ソルトレイクの開幕式もそんなにどぎもを抜くものではなかった。
映画産業の国、エンタテインメント産業の国でさえこうです。
スタジアムという舞台における演出って、限界があるのかもしれません。
なんか冷めたことを書いておりますが、なにしろ今回は五輪ブームがちっとも盛り上がらない。
金曜日に会社で話していても、「ああ、明日から始まるんだあ〜」という間延びした言葉が返ってきたりした。
「オリンピックは始まると盛り上がるんだよ」
という声はその通りだと思うけど、日本人スポーツ選手が次々と海外に挑戦しているサッカーや野球とは、何が違うんでしょうね。
・ウインタースポーツだから人気がない
・日本はそこそこ強いから、「もっと金を」という切迫感がない
・商業主義化したオリンピックへの嫌悪感
うーん、どうも違いますね。
・「我等が日本」という概念へのしらけた気持ち
かな。
サッカーや野球は個人として戦っている。「サッカー日本代表」も、一つのチームを応援しているにすぎない。
スキーもスケートもジャンプもいっしょくたにして、「ニッポン人だから頑張れ!」と一緒に旗を振るには、なんか気が乗らないんだよなあ。
また馬鹿なことを言いだしたものです。
asahi.comが伝えている「番組録画の証拠採否で対立 和歌山カレー事件公判」。
被告が一貫して黙秘する中、地検側はテープの内容が「自分に不利な事実を述べた供述書に相当する」と証拠採用を求めたが、弁護側は「証拠能力はない」とする意見書を提出した。小川育央裁判長は次回15日の公判で証拠採用するかどうかを判断することを決めた。
これに対して、
民放やNHKは「報道目的以外の利用は報道の自由の制約になる」と抗議している。
おいい。報道の目的って何なの?事実を伝えること以外に何があるの?
報道は事実を伝えている限り、そこから派生する現象について責任を負わないものなのです。
(事前に生命の危機や人権の侵害を侵すことが明らかな時以外は)。
新聞のインタビューをもとに疑惑の人物への捜査が一気に加速したとして、新聞が抗議したことがあったか。
国会で喚問した証人に対して、国政調査権がありながら何の調査能力も無い国会議員が、「この雑誌に書いてある疑惑は事実ですか!
あなたはこの疑惑を認めないんですか!」と声を裏返らせて叫んだとしても、週刊誌が「目的外の使用だ」と抗議したことがあったか?
そんなこと言いはじめたら、テレビニュースを見た人達が、
「あいつ、悪いやっちゃなあ」
と感慨を抱いたり、井戸端会議することにまで、責任をとらなきゃいけませんぜ。
自分が報じたという事実にもっと毅然としたらどうなの。?
テレビ局の本音は、
「裁判の証拠に使われるようになったら、疑惑の人物のインタビューという美味しい取材に誰も応えてくれなくなる!」
という悲鳴でしょう。
いわば、甘えですね。
でも、しょせん報道は横並びですから、テレビ局がどこもとれないなら記者は責められない。また、劇場型犯罪を演じている人物はどのみちテレビに話したがるものなのです。
テレビのインタビューが新聞、雑誌と違うのは、喋った事実がそのまま証拠として採用されるかどうか。
新聞、雑誌の記事を証拠として法廷に提出するのは笑い物になった公安調査庁ぐらいなもので、ちゃんとした捜査機関なら、直接聴取して証拠とするはずです。
しかし、テレビの映像だってオンエアしたニュースは前後がカットしてあったり、極端には前後関係が逆転していたりという編集が加えてある。それを、そのまま証拠採用するとしたら、裁判官は見識が問われることになる。
その意味で、弁護側の
「テープは、被告人が事件の犯人であるとの予断のもとでマスコミが取材し、編集した放送を、さらに捜査機関が編集した代物だ」などと採用に異議をとなえた。
という主張が真っ当です。
テレビ局は、捜査機関が「オンエアVTRではなく素材VTRを提供せよ」と迫ってきた時にこそ、報道の自由を掲げて戦うべきだと思います。
「報道は独立している。捜査機関の下請けじゃない」
と。
昨日、会社についてメールチェックしたら「誤植」というタイトルで、吉崎さんから。
ドキッ。
(誤)「花粉症 去年より少なめ でもご用人」
↓
(正)「花粉症 去年より少なめ
でもご用心」
(誤)次の号がでるまで形見の狭い思いをすることがあります。
↓
(正)次の号がでるまで肩身の狭い思いをすることがあります。
100円X2=200円ちょーだい!
あはは。今度飲み会のときにね。
ちょっと古い本ですが、吉崎さんが、
「今日もまた、先週もまた、無意味に過ぎてしまったのではないいのか!」と思わず自省した『聖の青春』(大崎善生/講談社/\1700/2000.2.18)を手にとってみました。
綺麗な日本語で書かれている。著者は「将棋世界」編集長。「将棋マガジン」記者時代から村山聖を見続けていた。
本文にはルビが多く振ってあって、オビには「小学校高学年」から読めますの文字。
近頃のこの流れは、『五体不満足』(乙武洋匡/講談社)から始まった。
最初は「ちとあさましいかな」と思ったのですが、すぐに考えを改めました。親子が一緒に読んで感動できる本が、少な過ぎる。
「今の子供たちが未来に夢を抱けないのは、大人がかっこよくないからだ」
という人人がいますか、それは本当だと思う。
自分の親が、同じ本を読んで、同じように人生の真摯な生き方や人の優しさに胸を打たれている姿を見ると、あるいは一緒に語り合えると、親の価値観を信頼できると思う。
さすが大日本雄辯会講談社。
この流れは、他社にも広がっています。
静かなブームが続いている『盲導犬クイールの一生』(文藝春秋)は、たった3冊しか配本の無かった紀伊国屋・川西店(兵庫)の店長が感動して50冊の注文を入れたところから始まったといいます。この本も、「ルビ付きであれば児童書のコーナーにもおけるのに」という書店の声におされて重版時にルビを大幅に増やした。
もっと、そうした本が増えるといいですが。
花粉症の季節。
伊藤洋一さんに教えてもらった紫蘇ジュースのお世話になる時期がきました。
昨日の朝日新聞千葉県版、「花粉、今春は多いかも…」「昨年より3割増し」。
今朝の朝日新聞、「花粉症 去年より少なめ でもご用心」
どっちなんだー。
朝日新聞は昨日の夕刊でも笑わせてくれました。
「スイス紙 誤字・間違い記者に罰金」
スイスのフランス語紙ルタンが不正確な単語のつづりや文法的間違い、地名の誤りをした場合、読みづらい文章を書いた場合に、5スイスフラン(約390円)の罰金を科すことを決めたとか。
それって、社内報に載せたらどうなのよ。
私がいる会社では月刊誌の校了時に、皆でゲラの回し読みをする。誤植を見つけると編集長が100円くれる、といった遊びをやることがあります。時には担当者から巻き上げることも。
ただし、週刊誌にはそんな時間の猶予はないので、しばしば誤植を掲載したまま本になり、次の号がでるまで肩身の狭い思いをすることがあります。
文章正確な表現や論理の整合性といった点は、デスクや先輩の指摘をうけてウームと考えさせられることも有りますが、日常的には校閲のチェックによって学んだ部分が多いです。
新聞の場合って、どうなんでしょうね。
またまた、新書であります。
『ハリウッド・ビジネス』(ミドリ・モール/文春新書/\700/2001.11.20)の著者は、カリフォルニア州で映像ビジネス、著作権を専門に扱う弁護士。
アメリカの巨大映画産業を著作権の問題や収支の構造、資金調達などの業界構造まで網羅した作品ですが、やはり面白いのは著作権や収益を巡る訴訟合戦と、そこにうごめく巨額の金銭。
「星の王子様ニューヨークへ行く」「X-ファイル」など、おなじみの作品の舞台裏で訴訟合戦が繰り広げられたことを知ると、ハリウッド・ビジネスの底深さを覗く思いです。
数千ドルから数百万ドル数百億円の企画が口約束で動いたり、原作者や俳優が分け前を求めてスタジオや配給会社を訴える金額が数千ドルだったり。読みながら円換算をしていくと、頭がクラクラしてきます。
著作権といえば、1928年ミッキーマウス初主演の「蒸気船ウィーリー」の著作権がなぜまだ切れないのか。映画業界の思惑で著作権に関する新法が施行され、2023年まではディズニーに帰属するそうです。あと20年したら、再び延長されるかもしれませんよ。
興味深かったのは、実話をもとにした映画をめぐる訴訟です。
ハリウッドでは実話をもとにした映画がしばしば制作される。なかでも記憶に残っているのが、「インサイダー」。元タバコ会社の幹部が企業内の暗部を暴くストーリー。タバコ会社が主人公に非合法な行為で圧力をかけ恐怖を植えつける。また、莫大な財力を背景にCBSの看板ニュース番組「60minute」の放送さえも止めようとする。
タバコ会社は実名で登場するし、CBSの番組はスタジオセットまで登場する。制作しているのは傘下にABCをおさめるディズニーで、バイアコム傘下のCBSとはライバルの関係。これでは訴訟にならないほうがおかしい。どんな論理で制作できたのだろうと、思っていたのです。
その疑問すべてに答えはでていませんが、タバコ会社は描かれ方に捏造があると、クレームをつけたということです。
アメリカでは、実在の事件を下敷きにした映画が多いのに、日本ではそうでもないように思います。なぜですかね。
過剰報道が議論されるほどよく知られすぎた事件は、一捻りしないと企画が成り立ちにくい。知られない事件を発掘すると名誉棄損なプライバシーの問題が起こる。
中坊公平氏の豊島を巡る戦いとかも、すでにテレビでさんざんやっていますしねぇ…。
裁判制度の問題もあるか。陪審員が劇的な判決をくだすという山場はつくれない。
全米史上最高額の和解金を勝ち取った女性「エリン・ブロコビッチ」も実話をもとに描いて面白い映画でしたが、エリンは映画で有名になったものだから、夫や元恋人がグルになって「映画にも実名で登場している彼女の上司との男女関係を世間に暴露されたくなかったら金を払えと脅迫してきた」そうです。
ははぁ。
彼女の「一回の講演料は25000ドルで、1年間に100万ドルの講演料を稼ぐ」そうです。
ここで、1月にとりあげた『グローバル・メディア産業の未来図--米マスコミの現場から』(小林雅一/光文社新書2001.12.20/\700)との比較をしてみたいと思います。
ただし、作品の善し悪しではなく、光文社新書と文春新書の比較です。
『ハリウッド・ビジネス』は弁護士の著作物というかともあってか、様々な表や数字を満載。情報の出典にも、光文社新書より細かく言及しています。資料としての使いでは文春新書のほうが幾分高いかも。
『グローバル・メディア産業の未来図--米マスコミの現場から』を読んだあとに『ハリウッド・ビジネス』を読むと、途中でちょっと一息ついてしまいます。文章としては、文春新書はやや硬く、光文社新書はササッと読める。
これは文章のことだけでなく、文字組や分量も影響しています。
| 1頁あたり | 本文最終頁 | ||
| 文春新書 | 42字×17行 | 714字 | 228 |
| 光文社新書 | 41字×15行 | 615字 | 228 |
1冊丸ごと比べると、400字詰め原稿用紙で50〜60枚の違いですね。
文春新書は、社内からの持ち込みネタが目白押しで、新書編集部員の独自ネタを刊行するヒマがないほどだと聞きます。
単行本市場は爛熟気味で、話題にならないとすぐに書店から消えてしまう。よほどフックのある企画でないと、怖くて出せない。エンターテインメント系はまだしも、硬い論文のようなものは、著名人以外は企画を通すハードルが高い印象です。
その点、新書は棚が確保されているし、「○×新書」というくくりで内容のクオリティーは一定レベル担保されているので、新顔の著者でも遜色が無い。テーマ勝負ができる、というわけです。
私の個人的な感覚(勝手な思い込み)では、光文社新書・集英社新書は1年、文春新書は3年は腐らないテーマであれば出すのではないかと思います。
本を出したいと思っている方は、最寄りの出版社社員に新書の企画を持ち込むのが早道かもしれませんよ。
友人ネタで申し訳ないですが、
会社再建中カンキョーの松本っちゃんから、メールが。
来る2月2日(土)にTBS系列の番組「ブロードキャスター」の中で、当社が下記の内容で紹介される予定です。
放送予定日:平成14年2月2日(土)
番組放送時間:10:00〜11:30
内容: 「奇跡の復活に賭ける男達」という特集
特集時間:約8分
さて、新書ブームと週刊誌を結びつけ考えてみるのでした。
集英社新書、光文社新書が書店の棚で目立っています。
それも、ジャーナリズム系のネタが多いように思います。
とこかの新聞でも、そうした視点から新書ブームを取り上げた記事を書いていましたね。
1月31日、私は、
「ここ数年新書ブームが起きているのは、情報過多の世の中を手っとり早く解説してくれるものが欲しいという読者の欲求があるからだと思う」
と書きました。昔は新書といえば、教養ある人が読むもの、という感じでした。
そして、ずっと長く売れるもの、だった。
岩波新書は地方書店が買い切りにして棚に並べておくだけで、店に箔がついた。
しかし今なら、売れない新書はとっとと返本したくなるでしょう。
新書の意味合いが違ってきたように思います。
「世の中の出来事をてっとりばやく解説してくれる」
といえば、週刊誌の役割でした。
新聞が報じてくれない大事件の舞台裏、あっと驚く世の中の出来事、ちょっとお得な情報、これらに小説やコラムを抱き合わせにしてパッケージしたのが、「週刊誌」という商品です。
ところが、この週刊誌の世界では、「誰もがあっと驚く事件」に「誰も」が反応してくれる事が少なくなっています。
酒鬼薔薇はシャバに戻ってくる、と書いても、迷宮入りした殺人事件の犯人像を?んだ、と報じても、それで雑誌の部数が飛躍的に伸びる時代ではないのです。毎週40〜70万人の読者を等しく刺激する記事作りは困難です。
いっぽうで新書ブーム。
こちらは、部数は2〜3万部というところ。
これくらいの読者に興味をもってもらえれば、だいたい初版はクリアできるというわけです。
読者にとっても、値段は週刊誌2、3冊分。これで自分の興味が充足できれば満足です。
何年立っても色あせない、他人に話せば尊敬されるような大仰な知識を求めているわけではないのです。
ある意味で、週刊誌が抱えきれなくなった役割を果たしているともいえるでしょう。
『グローバル・メディア産業の未来図』の豊富な情報のなかには出典が明らかでないものが盛り込まれています。著者のスタイルなのか編集部の姿勢なのかは知りませんが、これが単行本なら、担当編集者は「この情報は何に基づくものですか。出典を盛り込んだ方がいいですよ」と、もう少し「作法」をうるさく言うかもしれません。しかし、そんなことをすれば新書としての読み安さが損なわれるかもしれない。作り手としては難しいところです。
ただ、読者は著者によって事実と確認されたものとして読むわけです。それって、週刊誌の記事のコメントにある(関係者)とか(社会部記者)と似た様な感じがしませんか。「関係者って誰なんだ!」「社会部記者というけど、出版社に社会部なんでないだろ。新聞記者からの又聞きなのか」と、いちいちめくじらはたてませんよね。
なんて、偉そうなことを書きましたが、本当に新書ブームはそういう方向に向かっているのでしょうか。
ベストセラーの調べていて、ちょっとだけ自信が揺らぎました。
| 八重洲ブックセンター5階 | 三省堂書店 | |||
| (2002.01.20〜2002.01.26) | 1月1日〜15日 神田本店2F | |||
| 1 | 聖徳太子 | 岩波書店 | 捩れ屋敷の利鈍 | 講談社 |
| 2 | ことわざの知恵 | 岩波書店 | 歴代天皇総覧 | 中央公論社 |
| 3 | 漢詩 | 岩波書店 | 漢字と日本人 | 文藝春秋 |
| 4 | 漢字と日本人 | 文藝春秋 | QED式の密室 | 講談社 |
| 5 | 織田信長合戦全録 | 中央公論新社 | 「できる人」はどこがちがうのか | 筑摩書房 |
| 6 | 捩れ屋敷の利鈍 | 講談社 | 動物化するポストモダン | 講談社 |
| 7 | 日本の近代思想 | 岩波書店 | 速読法と記憶法 | KK ベストセラ−ズ |
| 8 | デジカメだからできるビジネス写真入門 | 岩波書店 | まれに見るバカ | 洋泉社 |
| 9 | 奥州藤原氏 | 中央公論新社 | デジカメだからできるビジネス写真入門 | 岩波書店 |
| 10 | 孝明天皇と「一会桑」 | 文藝春秋 | クレオパトラの葬送 | 講談社 |
岩波、中央公論といった伝統ある新書がいまだに力をもっているようです。
ただし、八重洲ブックセンターは日本型サラリーマンのメッカのような場所です。
新書と文庫は棚の取り合いが戦況を左右するのですが、こうした伝統ある書店では伝統ある新書シリーズの力が強いのは、ある意味で当然かもしれません。
実は大手取次ぎ「日販」のベストセラー、つまり全国規模では、かなり様相が違ってきているのです。
また、書店の棚にとらわれないアマゾンのベストセラーは、ちょっと独特のドライブがかかるとはいえ、さらに多彩になっています。
ひょっとすると歴史ある大手書店のほうが販売機会を失っている可能性さえある。
| 本やタウン 新書ノンフィクション | amazon.co.jp | |||
|
2002. 1.18〜 1.24日販調べ
|
2002.年2月2日現在 | |||
| 1 | 歴代天皇総覧 | 中央公論新社 | 英語 確実に聴きとる技 | KAWADE夢新書 |
| 2 | 漢字と日本人 | 文藝春秋 | ブロードバンドで学ぶ英語 | 光文社新書 |
| 3 | 日本語を反省してみませんか | 角川書店 | ホームページにオフィスを作る | 光文社新書 |
| 4 | 禁煙セラピー | ロングセラーズ | 漢字と日本人 | 文春新書 |
| 5 | デジカメだからできるビジネス写真入門 | 岩波書店 | 私の脳科学講義 | 岩波新書 |
| 6 | 英語「超基本」を一日30分! | 角川書店 | 日本破綻 ―デフレと財政インフレを断て |
講談社現代新書 |
| 7 | 藤沢周平 | 集英社 | 文明の衝突と21世紀の日本 | 集英社新書 |
| 8 | イチローUSA語録 | 集英社 | 動物化するポストモダン ―オタクから見た日本社会 |
講談社現代新書 |
| 9 | eメールの達人になる | 集英社 | レイコ@チョート校 ―アメリカ東部名門 プレップスクールの16歳 |
集英社新書 |
| 10 | ブロードバンドを使いこなす | 岩波書店 | 英語 確実に身につく技術― 私はこうして実力をつけた |
KAWADE夢新書 |
じゃあ、新書が今後出版界に単行本を脅かすような大きな存在感を示すかといえば、疑問です。
新書と新刊単行本を並べてランキングしているサイトを見ても、新書はベスト10にようやく顔をだすかどうか。
しかも、同じ部数なら価格は単行本の1/2〜1/3ですから、出版社の実入りとしては少ないわけです。
ただ、新書という枠組みのなかではこうした新しい流れが端的に出てきて面白い。
もっと土俵の広い単行本では、業界の流れを変える大きな動きは見られないようです。
こういうサイトをやっていると、「初めまして」というメールが時々くるのですが、昨日は驚きました。
なんと光文社新書の人から、
「タリバン」に続き、「グローバルメディア産業の未来図」までも推奨していただきありがとうございます。
あちゃー、当事者の方も見ているものですね(汗)。
筆者の小林さんにはインターネット検索で無理やりメールアドレスを探し出して、勝手に書評させていただいたお知らせをだしておいたのですが、版元からメールはびっくり。
小林さんのネット上の記事は、週末にでも読ませていただくことにします。
調子に乗って、もう一冊ご紹介。これで光文社新書は4冊目かな。
『英語でコミュニケーションできてますか』(田畑智通/光文社新書/2001.12.20/\780)。
田畑さんは柴田かおるさんの紹介で知り合った谷中あたりに住む翻訳家。通称トム。
「ネイティブ・スピーカーは、あなたの英語にカチンときている」の言葉どおり、どう英語を話すかというより、どう相手と気持ちのいいコミュニケーションをとるか、に視点を置いている点、さすが翻訳家というべきか。
挨拶や相手の誉め方などもそうだけど、早い段階でPC(Political Correctness)が取り上げられていることが本書を象徴しているように思います。
難しい単語は少なくて、英語を覚えるというより、アメリカ人の価値観や思考経路などを自然と楽しめ、アメリカ人の友人がいるかのような気持ちにさせてくれる本です。
実は今読んでいるところ。P291まであって、少し厚いのですが、これならヘビースモーカーの禁煙と同じくらい英語学習を挫折した経験のある私でも、なんとか最後まで読めそうです。
今日引き続き新書について取り上げたのは、新書ブームの背景についてもう少し考えて見たかったからでもあります。
ここに週刊誌市場も関連してきます。
しかし、答えはまた次回に。
今日は屋外ロケで6時40分までに会社へ行かなくてはならないのです。
メールへお返事が出来ないままの皆さん、ごめんなさい。
では、行ってきます。