新聞記者署名記事リスト(年鑑といったほうがよかったか)の話題は今日でおしまいです。
米イラク戦争という大きな話題に寄り掛かって、もし記者の署名がわかればどんなことができるのか、それが役に立ちそうか、面白そうか、いろいろな視点から見てきたつもりです。
この間、新聞記者方々も賛同のメールをくださいました。
お叱りのメールはなかったですね。
わたしが意外におもったのは、新聞記者のニーズがこんなところにあることです。
熱心な読者のメールから匿名でご紹介します。
例えば、ある人が何かの問題で新聞に書いてほしいと思ったとします。でも、いきなり会社の代表電話にかけるのも、たらい回しにされそうで、何となく気が引けますよね。もし、署名記事が多く、担当記者の名前もわかっているならば、とっつきやすいと思うのです。
直接売り込みを受けやすくなる、といった記者はこの人だけではありません。
意外や、記者のほうも世の中との距離感を埋められない思いを抱いているのですね。
実際、米国ロサンゼルスタイムズは、編集局の名簿をネットで掲載しており、名前を入力したら、記者のアドレスもわかるようになっています。
http://www.latimes.com/services/site/la-facts-editstaff.story
米国の新聞を見ると、各記事に署名があるのはもちろん、必ず新聞の発行者、編集長、各セクションの編集長などの名前が明記されており、その新聞を発行した最終責任者は誰なのかを明確にしています。
なある、ほど。
これは貴重な情報をいただきました。
理屈でいうより、実例がある、と言うほうが話は早いですからね。
日本の新聞は、どこまでも責任をあいまいにしようというシステムになっていますね。本当に情けないです。
以下のサイトによると、あるHPが日本経済新聞の構成を載せたところ、企業秘密の漏洩だということで訴えられているようです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/asanoikensho.htm
そのサイト、以前にちらっと覗いたことがありました。
「まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人達へ」という、元日経記者の激しいサイトですな。
そこで田中さんの試みが、こうしたあいまいな日本の新聞を外部から変えるきっかけになってほしいと願っています。
ありがとうございます。
しかし、こうした熱心な新聞記者の声がある一方で、署名記事の扱いは決して拡がっているとはいえない状況です。
皮膚的な感覚としては、会社の記者への締めつけは厳しくなっている印象です。
さて、実用編を急ぎ過ぎたあまり、基本的な分析を後回しにしてしまいました。
<朝日新聞>
登録件数462
署名記事として別格の毎日新聞を除けば最多。
各部門とも幅広い。科学医療分野の充実が特徴か。
しかし、一方で署名記事の基準がさっぱりわからない。
元記者、現役記者に聞いても、「基準がたびたび変わる」「目立ち過ぎるとぶり返しがくる」「オレの記事も最近は署名にならなくなったなあ」なんて声が聞こえてくる。
ちなみに朝日新聞、
「筆者のメールアドレス明記 韓国紙(地球24時)」(1998年05月02日)
「読者と結ぶ記者メール 全米で掲載紙増える(メディア)」(2003年01月18日)
なんて、素敵な記事もあるのですから、自ら参考にしてほしいですね。
<読売新聞>
登録件数368
朝日に大きく劣っています。やはりドンの圧政が影響しているのか…。
ところが、政治部に限っては朝日の12、日経の0を大きく引き離して20人。さすが政治部は力があるようです。
解説部(12人)は、断片的な情報を洪水のように垂れ流す世の中にあって、重要。さすが自紙の読者をよく理解しているといえます。
運動部に目立った特徴の記者がいないのは巨人偏重の影響?
<毎日新聞>
登録件数525
圧倒的な公開度です。
分類できているだけでも、
政治
45
経済 35
外信 43
社会
119
など。
ただし、社会面の記事など「社会部」と書いてあっても実は地方支局の記者であることが多い。
私のリストでは、明らかに特定地方発の記事を書いているとわかる者は支局に分類していますので、紙面通りの分類でいえばもっと増えます。そして、これが全体の数を増やしている大きな要因です。
たとえば、他紙でも署名を公開しやすい外信では朝日の54、読売70、日経68に及びません。
スポーツも、わずか9人。共同の配信などが多く、朝日39、読売40どころか日経17にも劣って痛々しい限りです。
なぜ毎日が署名の大幅な公開に踏み切ったかといえば、ひとつは他紙にくらべて給与が低いぶんを記者の氏名を記載することでモチベーションのアップにつなげようとしたという解説、公開することによって記者の副収入を容認しているという解説があります。
特に後者の理由が事実であれば、これからメディアの淘汰と人材流動化が進むと予測されるなか、注目すべき流れです。
<日本経済新聞>
登録件数
250
少ないですね〜。
日経のスタンスはハッキリしています。
「署名記事を書きたかったら編集委員になれ」
論説主幹から編集委員まで45人が名前を連ねています。
こうもわかりやすいと、逆に気持ちがいいですね。
(って誉めちゃいけないか。署名を増やせと主張しているぺーじなんだから)
国際部と運動部以外の記者が署名記事を書くなんてほとんど認められない。
ただ、私が未分類にした記者(72人)は産業部が多いという日経関係者のコメントがありましたので、意外と産業部は署名が書けるのかもしれない。
まあ、ざっとこういうところでしょう。
一応断っておきますが、私がこのサイトを書いてきたのは、メディアの悪口を書いて得々としたいからではありません。
以前から書いているように、私はマスメディアは情報の寡占産業だったと思っています。
その寡占が崩れようとするなかで、いち早く読者のニーズをつかみ、自ら変容を遂げることがメディアにとってメリットであると思っているのです。
そして何度か繰り返してきたたとえば、百貨店の凋落です。
なぜ百貨店が凋落したかといえば、物が豊かになってどこでも手に入る時代になったからです。
その百貨店を救ったのが店子のブランド力だったことは誰もが知っています。
商品の選択権が消費者に移っていくと、大づかみなブランドより、小さなブランドが魅力的になっていくはずです。
(百貨店のちにテナントへの賃貸で自らのバイヤー能力を放棄したため更に自滅していきますが、それは別の話です)
いま、新聞各社が企業化して、記者をデータベースの一部かのように管理を強めていることは、決して新聞社の魅力を増すことにはなっていないとおもいます。
私は雑誌の仕事をしていますが、月刊誌が読者を引きつけるひとつの要素となっているのが、書き手や発言者の顔が見えているという点でしょう。
「週刊誌には匿名記事もあるじゃないか」
もちろん、だせる物はなんでも出したほうがいい。
しかし、その必要性、影響力、実現性を考えれば、新聞のほうがはるかに重要です。
また、記事は100%署名にすべし、と原理主義的に考えているわけではありません。
日本で最も公開度の高い毎日新聞でも、すべてが署名ではありません。
複数の記者がかかわったり、記者を明かさないことがメリットがあると判断した記事は無署名です。
それはアリだとおもいます。
また、週刊誌の世界では、
「週刊誌は編集長のもの」
といい、
「無署名の記事は編集長の署名記事」
という考えがあります。
ある新聞社系週刊誌にある作家が抗議の電話をしたとき、編集長が、
「その記事は読んでいないから10分後に電話をください」
と言ったとの話を聞いたとき、ホントに唖然としたものです。
それほど、週刊誌=編集長という考えが濃厚なのです。
まあ、新聞のように360°のニュースを取り上げる必要がなく、記事の取捨選択のところから意図的です。雑誌の名前や編集長の個性で意味づけできるほど、はじめから「小さなブランド」だともいえます。
もっとも、だからといって雑誌に問題がないわけではないのですが、それはまた別のテーマです。
先の読者のメールにもどります。
担当を政治、経済、社会、芸能、スポーツなどに分け、それぞれの分野に詳しい人が批評すれば、かなり高度なものになるでしょう。さらに、金融、産業、技術、警察、医療、野球、サッカーなどと細かく分けるのも楽しいです。
一年に一度、「今年の最優秀署名記者賞」「今年の最もアホな署名記事」などを選ぶということもできます。
うーん、この企画の意図をよく理解していただいています。
嬉しい!
このプランを広めていこうとおもったら、堅苦しいデータベースよりも、そこに批評の要素を加えてかみ砕いていく作業が必要なのです。
いくら情報があっても、時刻表や電話帳では誰も面白がってくれませんからね。
リストの記事内容のところをもっともっと膨らませていくことが大切だし、そこを客観的事実と、主観的批評で照らしていくことが立体感を持たせることができるとおもいます。
また、私がこのプランを思いついた時に聞いたニューヨークの偏屈なおじいさんが毎年だしていた記者批評というのも、きっとそういうものだったのだろうとおもいます。
新しいサイトを立ち上げて、評者となる何人かがそこに書き込みし合うという方法もありますよね。
ただねえ、正直にいえば、膨大な作業量に辟易としている状況でもあるのです。
ホント大変だったんだから。
ましてや、毎日の記事を精読して批評を書くなど、なかば専属の人を置かないと難しいとおもいます。
「マスコミ
記者・編集者・ジャーナリスト年鑑を創刊しよう」
と、正式に呼びかけて4年あまり。
そのことによって、多くの方々に応援していただいた部分が大きいとおもいます。
ほんとうにありがとうございました。
ただ、今回、こうしたひな型を示すことができた事をもって、一つの恩返しができたのではないかとおもいます。
私の作業は、ひとまずここまでです。
一人で抱え込んでいては拡がらない。
今後、これに呼応した動きが生まれてくることを期待したいとおもいます。
世の中は、その流れになっているとおもいます。
私はNPO的な社会運動としてやるのがいいと思っているけど、なかには「事業化したい」というメールもきています。
いろいろな人が、いろいろな立場から、いろいろな知恵も持ち寄って、ワイワイやるのがいいと思っています。
ぜひ、考えてみてください。
見ているだけでは、変わりませんよ。