ある同世代のビジネスマンとお昼を共にしたら、メディアへの不信感を延々聞かされました。
「取材に来る記者が何も勉強していない」「トンチンカンなことばかり聞いて、少しも自覚がない」「 この国の一大事に、なぜ日本のマスコミはかくもだらし無いのか」。不勉強、画一的、事実誤認、無責任。
なかでも印象深かったのは、「一人一人は信頼できて、人間としても面白いのに…」という言葉でした。
メディアで働く人間は、普通のサラリーマンが物を作ったり、売ったりしている間に、自分の調べたい事を調べ追いかけることができる。そんな恵まれた環境にいるわけです。にもかかわらず、「記事にしてやっているんだから」「テレビ゙に出してやっているんだから」というメディアの傲慢な考え方がはびこっている事は事実です。
では、どうするといいか。やはり、「ジャーナリスト・編集者年鑑」を発行することだと思います。
作り方は簡単です。 優秀なアルバイトを数人雇い、新聞、雑誌の署名記事、テレビのスタッフロールをチェックさせる。写真誌のカメラマンクレジットもチェックする。インターネットでホームページを開設しているジャーナリストもチェックする。
こうして作り上げたリストを基に、アンケート用紙を送付するわけです。項目は、「名前」「肩書・所属(フリーはフリーと明記)」「今年携わった主な仕事」「これまでに携わったなかで特記すべき仕事」「資格、学位、受賞歴、学術論文」など。
ジャーナリストや編集者は掲載に同意するか。日本のように会社単位でしか動けないジャーナリズムの世界では、会社の価値観に極めて従順な人と、極めて反骨的な人が存在すると思うのです。同意する者が0人とは思えない。
記者にとっては、恐怖でしょうね。誰だって一つや二つ、上司から言われていやいや書いた記事や、他人には触れられたくない未熟な記事を書いた事があるはずです。
少人数で初めてもいい。いつか、この年鑑に載ることが一つのステイタスとなる日がくるでしょう。
なぜなら、こうした年鑑が出来れば、会社のいいなりに詰まらない記事を書いていられなくなる。自分の署名だけどほとんどデスクが勝手に直したものなんて絶対に承服できなくなる。自分なりのテーマを考えざるを得なくなってくる。一方で、他社からの引き抜きや、講演の依頼が舞い込むようになる。そのうち独立してもやっていけるような人達が出てくれば、「会社の名刺がないと取材ができない」現状も、「経費ばかりかかって、食っていけないからフリーランスになれない」という事情も、解決の糸口はみつかるのではないでしょうか。
新聞を見れば誰でも気づく事ですが、署名記事のほとんどが外信とスポーツです。
外信に署名記事が多いのは、「ちゃんと海外に人を出していますよ」というポーズと、海外勤務のご苦労賃という昔の考え方がそのまま残っているからです。
昔、NHKの平野次郎さんがヨーロッパのホテルからレポートを送るとき、「風呂場に入って、受話器を近づけたり遠ざけたりしながら話せ」と言われた。「なぜなら、音声が鮮明だと遠い国からレポートしている雰囲気が出ないから……」というのによく似た話です。
それに比べると、毎日新聞は政治面にまで署名記事が載っている珍しい新聞です。記者のスタンスをはっきりさせるというのなら、これは天晴れ。
ある時、政治部の人に話したら、嬉しそうに「1年ちょっと前に署名記事を増やしていく方針を取った」と教えてくれました。ところが、「年鑑」の構想を話した途端に一転。いかにも迷惑そうに「そんなことをされるのなら縮小することになるかもしれないな」と言いました。
理由は、「必ずしもその記事に記者本人がすべての責任を負っているわけではない」ということです。デスクの指示や影響、リライトがあったりするというわけですね。
でも、そんなことは読者だって百も承知です。そこのリスクを恐れるとしたら、何の為の署名か。ただのポーズにしかすぎないと言っているようなものではありませんか。
署名があって楽しいのはスポーツです。同じ試合でも、媒体がどちらのチームに肩入れしているか、記者がどういう好みを持っているかで全く違う記事が出来上がる。スポーツに署名記事は不可欠です。
例えば、同じラグビーの試合でも、朝日新聞の美土路昭一と産経新聞の富永俊治と、サンケイスポーツの田中浩では、全く違います。
このように、一つの事柄でも見るものによって見方が違うのは当たり前です。
しかし、新聞記者で名前を覚えている人って何人います?
朝日新聞の舟橋洋さん一なんて、すぐに思い浮かびますね。
日経の中西俊裕さんといえば、アラブ世界の専門家です。
例えば産経新聞は、韓国と言えば黒田勝弘さん、アメリカ(今は北京)といえば古森義久さん、パリといえば山口昌子さん、ラグビーと言えば富永俊治さん、というふうに、すぐに名前が浮かびます。それは、ほとんど他に人がいないということもあるかもしれないが、しょっちゅう紙面で名前を見かける。なかには本を書いている人もいる。しかし、何より大きな理由は、しばしば「ひっかかりのある」記事を書いているからです。「誰だ、こんな記事を書いているのは」と思うと、ちゃんとそこに署名があるわけです。そうして学習していくうちにクセが分かって来て、「この人の言っている事だから」と、肯定なり否定なり、自分なりの距離感を持って読めるようになってくる楽しさがあります。
と机上の空論ばかり展開しても仕方がない。実は、1999年元旦の、新聞の署名記事についてデータベースを作ってみたのです。
朝日新聞32
毎日新聞40
読売新聞37
日経新聞34
産経新聞33
これが、大まかな署名記事の本数です。
ちなみに1月3日の朝日新聞朝刊は25本でした。元旦は紙面が多いし、政治部長や運動部デスクが司会の座談会なども多いので、通常は毎日30本強と推測しています。
(週刊誌では新聞社系は署名がありますが、出版社系は無いのが伝統となっています)
でも、一人で入力する作業は、あまりに煩雑で、正直言ってうんざりしました。なにしろ、「NY円急伸112円台」なんて無味乾燥なベタ記事が続々。結局、元旦の新聞を1紙入力するだけで1.5〜2時間かかりました。こんな作業を1年もやる気にはありません。
同じ位に困ったのは、どれがメインタイトルかわからないという事です。雑誌の場合には目次がありますので、メインタイトル、サブタイトルがはっきりしています。ところが、新聞ではシリーズタイトルなどデータベースに不可欠なものが小さかったり、中見出し程度のものが大きかったり。意外とデザイン優先だというのは発見でしたが、基準づくりが大変です。これには手こずりました。
この膨大な作業をなし遂げる方法はあるのでしょうか。
会社の広報は必ず買ってくれるでしょう。なにしろ、氏素性の分からない記者が突然会社の受け付けに押しかけてくるという状況は結構面倒なものなのです。しかし、こうした年鑑が出来たら取材者の名前を聞いて予め記者の特質を知って取材に望むことができる。
応接室へ向かう時間を一分ずらすだけで、「ははあ、この記者は移動して来たばかりでまだ経験がないな。キチンとした背景説明をしよう」「この記者はかなりエキセントリックなようだ。冷静に対処しよう」「面白い仕事をしているなあ。これは腹を割って話せそうだ」といった予備知識が得られるのですから。
実際的な方法としては、
1. 大学の研究機関にやってもらう。これだと人件費は大幅に圧縮できます。権威もある。
2. ニフティ・サーブを利用する。ニフティーサーブのデータベースで記者の名前からタイトルだけ検索すると1件=20円。とすると20円×30件×360日×5紙=108万円基本的な記者の名寄せさえできれば、1年分100万円少々で名簿の基礎ができます。これをエクセルにコピー、貼り付けを繰り返していけば入力の手間が大幅に節約できるのではないでしょうか。余談ですが、ニフティにはAERAのデータベースもあって、記者の名前を入力すると目次一覧が出て来ます。そのコストはわずかに数千円です。
3. 経済団体などに協力を求めて単行本化する。「ニッポンの夢とムダ」(経済同友会編・メディアファクトリー)が参考になりそうです。
今までの日本の新聞評論はこうしたデータの裏付けよりも、意見の発表の場でした。このデータを基に、様々な新聞評論を行えば、もう少し社会学的な色彩を帯びるかもしれません。
いまや、どの業界でも会社の看板ほど信頼を疑われているものはないようです。ましてや、我々のような人間は一人一人がメディアとなって発言をする覚悟をしなくてはならないのではないでしょうか。
何も無謬を誇る必要はありません。そんなことが言えるのは独裁国のメディアだけです。むしろ、過去の恥ずかしい下世話な仕事、不見識な誤報もひっくるめて引き受けてこそ、モノを言い続ける資格があるのではないかと思います。
記者、編集者の皆さん、あなたも年鑑に載る覚悟あります?
付録・僕はこんなページを作ってきた
試みに私の2000年3月までの仕事一覧を掲載します。こうしたリストから、あなたはどんなことを読み取る事ができるでしょうか。
1999年4月〜2000年4月 第二出版局第一部に配属
1998年2月〜1999年4月 第二出版局第二部に配属
1996年4月〜1998年2月 「週刊文春」でグラビア記事を担当
1995年2月〜1996年3月 「週刊文春」で特集記事を担当
1994年4月〜1995年2月 「月刊マルコポーロ」に配属
1991年4月〜1994年3月 「週刊文春」で連載記事を担当
1990年6月〜1991年3月 「週刊文春」で特集記事を担当