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クッキングハウス・・・「おいしいね」から、元気になる場・・・
〜心の病をもつ人々と共に生き、自立の場・働く場をつくる〜
報告 藤木千草 (東京ワーカーズ・コレクティブ協同組合)
●クッキングハウスは3カ所あります
調布駅北口から歩いて6〜7分、商店街を抜け甲州街道に出る少し手前のマンションの1階(実は半地下1階)に、とても目立つ黄色いのれんが見えてきました。手づくりで温かみのあるのれんにはクッキングハウスと大きく書かれ、食べ物や花のアップリケが字のまわりをおどっています。入り口に置いてある黒板には「Welcome
生活クラブご一同様」とあり、参加者から「うれしい〜」という声があがりました。本日のランチのメニューも別のボードに手書きで書いてあります。「肉だんごとれんこんの煮物orさんまの梅しそ巻き揚げ かぼちゃの煮物 豆腐のサラダ(オーロラドレッシング) 玄米or白米(どちらかお選びください) おつけもの お味噌汁(自家製味噌使用) デザート4種類 \1,000」
階段を数段下りた店内はテーブル席と靴を脱いであがる畳の席に分かれています。入っていくと「いらっしゃいませ」と元気な声があがりました。すでにランチを食べに来ているお客さんが数名いました。私たちもお話を伺う前に、まずお昼ご飯をいただくことになっていて、三角巾とエプロンの方たちが注文をとりに来てくれました。ご飯とお味噌汁はお替り自由です。オープンキッチンになっていてカウンター越しに中で働いている人たちの顔が見えます。各テーブル(座敷のほうはちゃぶ台)の上にハトのオブジェが飾られていましたが、主宰者の松浦幸子さんによると、私たちが訪問した9日は憲法9条にちなみ「平和の日」だからだそうです。家庭的なお料理は美味しく材料も良質で、生活クラブ生協の消費材も利用されています。1階の食事をいただくスペースは「レストラン・クッキングハウス第2」で月〜金曜日の11時から2時半まで営業しています。メンバー(心の病を持つ人たち)は80名(21〜71歳)いて、日替わりでスタッフ(サポートする人たち)と一緒に1日50食を調理し接客・片付けなどの仕事に入ります。食事を終えて、ゆっくり松浦さんのお話を伺うために2階へ移動する際、窓際の奥のテーブルにぐったりと突っ伏している人が目に付きました。朝からの仕事にくたびれた「メンバー」の方だったのでしょうか?一般のレストランでは見かけない光景なので少しドキっとしましたが、家のような「くつろぎの場」なのでしょう。
2階は「クッキングスター・クッキングハウス第3」で、入ってすぐのところに皆が回りを囲める大きな調理台があり、奥の広いスペースに丸いテーブル数客と椅子が置いてあります。火〜土曜日の夜8時まで開けていて、メンバーやスタッフが500円ずつ出してあって夕食をつくり歓談するスペースです。学習会や文化活動の場でもあります。部屋の隅に「相談室」と札のかかっている小部屋があり、私たちが上がって行く直前まで、松浦さんはその中でどなたかと話をされていました。相談者の9割は本人ではなく家族で、全国からみえるそうです。
説明の後、松浦さんの案内で少し駅へ戻る方向にある商店街にある「ティールーム・クッキングハウス第1」に移動しました。コンビニの2階にあり、月・火・木・金の午後1時〜4時に営業しています。手づくりのケーキとお茶のセットで480円です。ここも、スペースの一部は靴を脱いで上がる畳敷きになっていて、一角には相談室となる小部屋もあります。手づくりの小物なども販売しています。やはりメンバーがスタッフと一緒に働いていました。また、私たちが伺ったときには、編み物教室が開かれていて、長年ボランティアでかかわってこられた先生が、メンバーの一人と作品作りに取り組んでいました。「教える」というより会話しながら楽しんで、編み物のできる環境・時間を作り出しているということでした。高台の座敷には、ひとりの40〜50歳代の男性がじっと座って過ごしていました。書籍の販売コーナーがあり、クッキングハウスの紹介をはじめ、心を病む人たちを支援し共に生きる実践を示す松浦さんの著書が数種類ありました。
もっといろいろ伺いたかったのですが時間となり、松浦さんに相談の予約を入れていた方がティールームに見えたため見学を終了しました。前日は新潟県の三条市で講演(ワークショップ)だったそうで、お忙しい合間の貴重な時間を割いていただきました。
●クッキングハウスは食べてやすらぐ場です
松浦幸子さんが調布市でクッキングハウスを始めたのは1987年10月のことで、すでに18年になります。3人のお子さんを育てる中で、息子さんが登校拒否になったのをきっかけに、32歳のときに専門学校で社会福祉について学び始めました。そして実習で1年間、精神科病院へ通ったことが、現在の仕事を始める原点となりました。当時(1980年)は、精神科の患者はほとんどが閉鎖病棟に入院し、社会と隔離した状態だったのです。しかし接してみると、要領良くはできないけれども皆誠実でごまかしのない人たちだということに気づき、受け入れ態勢があれば地域でも暮らしていけるという希望をもったそうです。
その後、18〜38歳までの20年間、ずっと入院していた女性を自宅で受け入れ、普通の暮らしを取り戻すための支援を始めました。長年、病院の中で過ごしていたため表情も乏しく、何かを選ぶという経験がなかったので、特にレストランでメニューを選ぶ時にパニックになり、料理がくるとガーッと食べてしまう様子を見て、松浦さんは「食べることを通して人間らしさを取り戻そう」と考えるようになりました。精神保健福祉士として様々な人のサポートをする中で、くつろげる場所・交流の場所が必要だと感じ、さらに働くことができれば・・・ということで、12帖のワンルームマンションでレストランを始めました。ルールを3つ(@500円払うAたばこは外で吸うB一人だけで食べるものは持ってこない)決めましたが、共同で料理して食べて自由に過ごす場があるということで、皆がだんだん元気になってきたそうです。自分を待っていてくれる人がいるということがその源です。
5年後には本格的に一般の人にも開かれたレストランへと発展し、現在の場所へ移転することになりました。地域の人たちの様々な形での協力があり、資金としては「5年後に無利子で返す」という市民債券で700万円余を集めてのオープンでした。2000年にはその債権も返還し、現在は借入金もなく黒字経営となっています。メンバーへ給料が支払われ、東京都と調布市からの単年度補助金で資格のあるスタッフを9人雇用しているほかに、非常勤の有償ボランティアが10名います。
メンバーは統合失調症(約6割)、人格障害、うつ病の人たちで、薬を飲みながら仲間の力、サポートする人の力を得て社会生活を送っています。身体障害や知的障害との違いは「症状と障害がリンクして固定しない」ことであり、昨日はできても今日はできない、ということがあります。サポートする人はその人が今どういう状態にあるのかを把握する必要があり、特に松浦さんは家へ帰ってからも電話がかかり、四六時中、メンバーの相談に乗っています。また、仕事の場を作ることとあわせて、SST(ソーシャル・スキルズ トレーニング)という対人関係を楽にして自信をつけていくワークショップをおこなうことが社会復帰に有効だとのことでした。松浦さんは全国からの依頼でSSTのプログラムを実施し、1年中各地飛回られています。
一緒に働き場をつくるコツとしては、まずほめること。その後で実際にやり方を見せて「こんなふうにやってみたら?」とアドバイスすることだそうです。「受け入れる」というと、本人にとっては「期待されている」と思い、負担に感じてしまう場合もあるとのことです。Side
by Side(いつもそばにいるよ)という姿勢で取り組むことが大事だとのことでした。
見学の後で・・・
イタリアなどですすんでいる「心に病のある人を地域で受け入れる」ということがどんなことなのか、以前より具体的にイメージできなかったのですが、その身近な実践だと聞き、クッキングハウスの見学に参加しました。詳しい予備知識はほとんど持たずに参加してしまいましたが、松浦幸子さんの重大なテーマに取り組む姿勢や実際の現場や活動に感心し、また、そのお話し振りの優しさや力強さに器の大きさを実感しました。
ティールームで購入した松浦さんの著書『不思議なレストラン』を見学後に読んで、松浦さんがいかに凄まじい体験をされてきたかがわかりました。・・・戦後、中国から引き上げる際に父と生き別れ、再婚した母と新潟の寒村で厳しい生活を強いられたこと・働きながら大学の夜学で学んだこと・不登校になった息子さん・さまざまな心を病む人たちへのサポートと交流・援助してくれた多くの人たちなど。
読んでから見学に参加していたら、もっといろいろな気づきも多く、松浦さんのお話も深く理解できたことでしょう。かもし出す人間的魅力にはやはりそれだけの背景があったわけです。参加者はそれぞれ購入した本に、サインをいただきました。東京ワーカーズでは「障がいのある方々と共に働く場をつくる」という方針を持っていますが、現場を拝見し、本を読み終えて、その意義の重要性と多くの課題がみえるようになりました。サインに添えてくださった「共に生きるために」の言葉の深い意味がしみじみと伝わってきました。
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