2005福祉ツアー共同連 滋賀・大阪視察 Part2 視察報告 

       「ごらく菓子舗」(おかき工場) ねっこ共働作業所 手づくりパン「ポッポ」を訪ねて


「ごらく菓子舗」(おかき工場)               
                        
府中・生活者ネットワーク 重田益美

 おかき工場「ごらく菓子舗」は周囲に古くからの住宅も並ぶ大阪市の南部、平野区の一角にあります。もと倉庫だったという工場の中には、製造工程ごとに並べられた機械や作業台が10台近く配置されており、私たちが訪ねた2時過ぎには主な作業は終わって、数人の障害者の方が、工場責任者の竹本さんの指示で、機械の洗浄作業や荷物の発送作業を行っていました。

 関西のおかきは、もち米から作る「かきもち」が主流です。その工程は、もち米を洗う→蒸かす→餅をつく→木型に入れて延ばす→薄く切る→乾燥させる→網に挟んで焼く→醤油など味を絡ませるで、一つひとつの工程は機械を使ってはいますが手作業に近く、時間をかけてじっくりと作られています。その時間の流れがおかきの品質の良さには欠かせないものであり、また機械ごとの熟練した働き手としての、障害者の活躍できる場を作りだしています。前日に行ったねっこ共同作業所は、印刷業という業態だからこそ、逆にスピード化によって収益性を上げる努力をしていましたが、事業形態によって何を強みとしていくかと、その中で障害を持った人との共働を作っていくのかは、それぞれに違いがありました。
 
ごらく菓子舗の場合、なぜ「おかき」製造を事業として選んだのかは、パンやクッツキーの事業所はいくつかあったが、和風のものがなかったこと。農業につながるもの、お米を使ったものを考えたかったこと。原材料も無添加にするなど差別化した、それを求める時代でもあった、と代表の鎌田三枝子さんは話してくれました。鎌田さんの話の中で、内山節さんの名前がでてきて、何年か前に生活クラブの長期計画検討にあたり、内山さんの「仕事と生業」や、里山の暮らしぶりを書いた本を参考にしたことを思い出しました。

私たちが、生協活動で感じ続けている今の経済理論への疑問と、共同連が目指す「福祉からの脱却」とはどこかでつながっている気がします。とはいっても、現在の経済の考え方の中で行う事業は厳しいものがあります。2002年の事業報告書によると、工場の運営は障害のある人6名、障害のない人4名が、互いの人格を尊重しながら対等な関係で進めており、生協を主な取引先とする事業収入は、おかきの販売や産直品の共同購入などで1800万円、大阪市の補助金などが780万円。分配金は個々の仕事内容や時間的量、生活実態に応じて分配のルールを作っており、障害のある人で平均38,000円、ない人で平均112,000円です。今後の課題は営業力、企画力の強化とのこと。今後、工場の一角にお弁当などの販売所を作ることも考えているとのことでした。

 今回の視察でこれまでなんとも感じなかった「福祉」という言葉が、使い心地の悪い言葉に感じるのはなぜなのか、このような事業所が増えることで社会のあり方も大きく変わるのではないか、という予感もしました。


             
ねっこ共働作業所に行って来ました
                           西東京・生活者ネットワーク 保谷なおみ

 ねっこ共働く作業所は、滋賀県大津市にあります。今年創業30周年を迎えた、いわば、老舗の作業所ですが、経営理念は、最初から革新的でした。障害者も健常者も共に働き、利益も平等に分配することを目標に掲げ、出発しました。NPO法人共同連の活動にも積極的に参加しています。しかし、理念だけで走っていたら、当の昔に、ねっこ共働作業所はなくなっていたかもしれません。関係者はあまり大きな声で語ろうとしませんが、相当の経営努力があったからこそ、ねっこ作業所が今日まで継続していることは、間違いないと思います。
ねっこ作業所は、この10月から、滋賀県の機能強化型作業所の3つのうちの社会型作業所として、あらたなスタートを切りました。社会型作業所は、従業員全員と雇用契約を結ぶなど、労働法規の全面適用を条件とし、最低賃金の支払いを目指していく作業所です。

10月19日の早朝、東京を出発した私たちは、9時過ぎに京都駅で新幹線を降りて、琵琶湖線に乗り換えました。その後、石山駅で下車し、タクシーで20分ほど行ったところに、ねっこ作業所がありました。周囲は一面の畑や田んぼ。ものすごい田舎に来たなあと言うのが正直な第一印象です。余談になりますが、ねっこ作業所に到着するまでには、何箇所か、いわゆる新興住宅地の脇を通り、「この辺からだと、どこまで通勤するのですか」とタクシーの運転手さんに聞いたところ、「ドア・ツー・ドアでも、大阪まで2時間以内で行ける」そうで、「ものすごい田舎に行った」という認識は多少修正しました。(石山の皆さん、失礼しました。)

ねっこ作業所は印刷屋さんです。良質の印刷物を廉価で提供することを目指しており、実際に見て、それを実現できていると思いました。しかし、なにしろ畑のなかです。仕事を取ってくるというと、不利です。そこで、大津市の町中、滋賀県庁前に、「作業工房ルーツ」を開設しました。もうひとつのねっこ作業所です。
「従業員が20人いるので、とにかく一億円の仕事をかき集めるべき」という白杉さんの言葉を聞いて、経営体としての自負を持ち、それを実行していこうとしているのだなと感じました。

しかし、パソコンの普及で、年賀状なども自分で作る人が増え、印刷業界は構造不況状態にあります。ねっこ作業所も、例外ではありません。賃金カットなどもせざるを得ず、先行きについても、不安を抱えています。
私が滋賀県の社会的事業所に興味を持つに至ったきっかけは、昨年の7月に東京永田町の星陵会館で行われた、「障害者就労の未来を拓く全国会議」で、同作業所の白杉滋朗さんが意見発表をなさったことからです。

おりしも、その全国会議の冒頭で、自民党衆議院議員(当時)の八代英太氏が、「とにかく作業所を作っていけばいいんでしょ」(八代氏の言葉を正確に記録したものではありませんが、ニュアンスとしては、そのようなことを言っていました。)という発言をしました。それを聞いて、私はひどく時代錯誤的な印象を受けました。というのも、地元でしょっちゅう聞く、「養護学校の卒業生の行き場がない」という障害児の保護者の切実な声、「それだけの作業所を今後作り出せるか、課題」という頼りない行政答弁、そして、劣悪と言わざるをえない作業所の環境、こういった現状を知る者として、八代氏がそういった現実にまともに対峙していないと感じたからです。そして、「この財政難の中で、どこからその財源を引っ張り出してくるのだろう」という疑念が湧き、単なるリップサービスに過ぎないと判断いたしました。

冒頭でそういった八代氏の発言を聞いた後、始まった報告は、八代氏の発言とは裏腹に、まさに、私が日頃、地元で感じている危機感を踏まえたうえでのものでした。そんな中で、とりわけ、滋賀県の障害者の就労支援に興味を持ちました。
実は、この全国会議に参加する少し前に、ある方から、「月一万円以上の収入を重度の障害者にも確保できる作業所を作りたいと思い、西東京市にもちこんだが、まったく取り合ってくれない」という相談を受けていました。市に掛け合いましたが、市としては、支援する意思まったくなしということがわかりました。その後、その方はさっさと別の自治体へと引っ越し、そこであらたにチャレンジしているはずです。そのとき、「障害者を食い物にしようとしている輩が多い」と市の職員が言い訳するのを聞き、なにか腑に落ちないものを感じました。確かにそういったこともあるでしょう。

しかし、その方は真面目に作業所の夢を語っていました。そして、少なくとも、私には、かなり実現可能な話と感じられました。にもかかわらず、市の担当者があれほどまでに冷淡にあしらったのは、おそらく、そういった作業所、従来の作業所の枠組みから外れることを企図するものを応援する仕組みが、行政の側になかったからだと思いました。さて、そういった昨年のことを思い出しながら、今回、チャンスがあって、ねっこ作業所を訪問することができました。ここで、白杉さんと「再会」することになります。これまた、余談になりますが、去年、星陵会館でお話を聞いた方と、今回、ねっこ作業所でお会いした方とが同一人物だったということは、この報告書を書くために、全国会議の資料を本棚から引っ張り出すまで、気が付きませんでした。どこかで見たような記憶はしていたんですが。白杉さん、ごめんなさい。

行政からのねっこ作業所に支給されている補助金ですが、社会的事業所に対しては、障害者ひとりあたり、7万5000円、滋賀県から支給されます。
従来型の作業所ですと、7万3000円だそうですが、ねっこの場合、社会的事業所に移行するにあたって、減収になったそうです。なぜかというと、事業所型がひとりあたりで計算するのに対し、従来型は5〜7人は7人分、8〜10人は10人分と、段階ごとにみなし計算するためです。体調によってはしょっちゅう仕事を休まざるをえない障害者の働き方の実態を反映している一方、5人しか在籍していなくても7人分の補助金がもらえるため、ひとりでも多くの障害者を雇用しようというインセンティブは働かなくなります。

そのほか、具体的な数字は省きますが、設備投資に対する補助金は、事業所型のほうが手厚くなっています。ねっこでは、昨年、2000万円借金して、あらたな設備投資をしました。その内訳は、県から800万円の補助、全国社会福祉協議会から1000万円借り受け、残りの200万円が自己資金だそうです。
大津市の独自の補助金ですが、借地家賃補助が月額15万円を上限に出るそうです。ねっこの場合、建物は自前、土地は借地なので、月5万円の支払いですので、満額補助金でまかなえます。この補助金が多いのか少ないのかの考察は、別の機会に譲ります。しかし、西東京市の場合、補助金もさることながら、障害者の作業所に土地や建物を貸してくれる人が少ないという課題に直面しています。そのため、多くの作業所は、公共施設のお古を無償貸与されて使用しているのが現状です。

補助金の多寡よりも、この社会的事業所については、「労働関係法令の規定に準拠」して、設備をつくり、運営をすべきだと、大津市の補助金支給要綱に明記させた点が、非常に画期的で、共同連の運動の成果のひとつです。働く場所としての位置づけがされたのです。

障害者自立支援法が成立しそうです。(注:この原稿は05年11月上旬に書いています。)作業所へ通うにも、一割負担がかかってきます。工賃で払えなければ、年金からでも支払えということだそうです。これって、憲法第27条 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」に反していないのでしょうか。ねっこ作業所に行ってから、ますますその思いを強めています。



 
手づくりパン「ポッポ」を訪ねて  
                            八王子・生活者ネットワーク 佐久間寛子

住宅や家内工場のまちで (大阪市西成区長橋2−5−11)
10月20日(木)午前10時30分、JR今宮駅から徒歩で15分ぐらいのところにある、住まいと仕事場を兼ねた住宅街に、モルタル木造2階建て(17坪)のパン工場がありました。路地を挟んで隣は個人経営の靴工場や関西でよく見かける文化住宅、5階建て市営団地のまちとつながっています。1階の工場では丁度、イギリスパンの焼きあがった、香ばしいパンの香りが外まで広がっていました。

手づくり無添加パンの店 障害者と健常者の協働の場づくり、設立趣旨と経過 
1985年10月立ち上げまでの思いとこれまでを代表森本秀治さんに伺いました。

障害者と健常者の共働の場づくりを目指し、両者が経済的にも成り立つような仕事をやりたいと思いを実現させてきました。当時、森本さん自身、15年間 施設生活を余儀なくせざるを得ない中、18歳を向かえ、児童福祉の対象から成人福祉の対象という年齢になり、いったん自宅に戻り家族と生活を始めたものの、家には自分がいる場がなくなっている現実がありました。

そのため、障がい者のための仕事場として、生活も共同の印刷工場へ就職しました。しかし、「障がい者ばっかの仕事と生活は変だ」と思い、自ら障がい者だけではない地域の中の生活、また共に働く場づくりを目指します。まず、従来の作業所とは違い、できる限り生産性も考えて、なおかつその中で、障がい者が中心となった当事者主体のものを目指しています。

障がい者の仕事というと洗濯ばさみ組み立てなどの内職的作業所ではなく、儲ける仕事を探すことから始めたとのこと。そして、指導員の下で働くのではなく、障がい者ペースが守れる、障がい者も健常者も50%と50%で作っていく。そして仕事の効率も上がる、仕事場を目指しました。また、大きな集団になりがちな作業所ではなくメンバーの人数や条件等も限定しました。ないことは無いと、仕事はやれるとの思いが人のつながりを広げていきました。

なぜパンを選んだのか。そして、味のこだわりと市場性とメンバー
19年前、大西、川上、森本、石田さんの4人で個人的な借金300万円を元に西成区津守で無添加パ手づくりパン「ポッポ」を立ち上げとなりました。障がい者1人と健常者3人がその仕事でみんなが生活できるぐらいの給料出る仕事をやりたいねとということがきっかです。なぜパンを選んだか。食べればおしまいなので、回転が速い。

当時無添加、天然酵母(ほしの)のパン屋少なかったことから、うたい文句としての市場性がある。まったくの素人の森本さんが名古屋のわっぱの会で2週間研修を受け開業したのです。失敗品も知り合いの学童保育所で食べてもらうなど、経営は大変厳しかったと、当時の森本さんの生活の困窮が伝わってくる様子でした。

しかし、5年で返済したのです。その後障がい者4人増え、健常者も2人増え、現在も10人前後で障がい者、健常者の割合も半々のところは変わっていません。運営の主導権も障がい者が握っています。製造現場での主導権は健常者ですが、持ち場持ち場で障がい当事者の技術、経験が発揮されています。勤続19年の方は中卒で34歳。予約注文に応じて、毎朝、午前2時より天然酵母パンの仕込が始まります。長年の経験と手抜きをしないことがパンの味の評判につながっています。営業や配達を得意としている方も売り上げに大きく貢献しています。

運営と経営状況:1991年 大阪市より作業所の助成を受ける。(当時7人枠だったのが5人枠になり、700万円と家賃月16万円、光熱水費つき10万円)
1992年 西成区に移転。(設備投資600万円)、第2工場大黒町にも
2005年 売り上げ 年2400万円(月200万円)
販売先 生協(自然派)80%、事業連合、保育所、他生協、他作業所
給料  基本給7万円(健常者14万円)と障害年金(7万円)と技術、扶養など加算。売り上げを伸ばすことも難しい中、年金も合わせての計算となっている、障がい者にしわ寄せされていることを悩みつつ。
  
視察を終えて
今回、私にも共同の実感が伝わってきた。
共に生き、共に働く場の保障のために、自ら仕事を作ってきた自負と自信、共同でありとあらゆる差別をなくすことを目指す現場を訪ねることができた。

誰もが一人ひとりの生活があるように、その生活を支える収入も自ら働いてまかなうという、当たり前の生活を手に入れること、これが今日大変厳しい状況にあるのは誰の身にも同じだ。しかし、障がい者は、自らの思いを仕事につなげ、収入とするのはさらに厳しい状況を余儀なくされている。労働への参加によって、どんな障がいがある人もすべて、社会的・経済的に自立できるような事業体を育てていくことが必要。この共同連の人たちの実践によって、障がい者の労働権保障の確立のため取り組みが全国に広がっている。

パン屋として「ポッポ」のメンバーは材料にこだわり、味にこだわった、まちに必要な機能として工場を動かしている。そこで働いている人として一人ひとりが存在している。行政には、そのために必要な制度を福祉からだけではなく、経産省へも労働権保障を求める運動を展開している。この10月末に、障害者自立支援法が成立した。応分の負担を求める前にすべきことは明らかだ。                   


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