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2005福祉ツアー 共同連視察(名古屋)報告 2005.8
わっぱ知多共働事業所 ワークショップすずらん わっぱリサイクルセンター
「わっぱの会」 について
阿部
美知子(国立・生活者ネットワーク)
梁川 律子(国分寺・生活者ネットワーク)
職業開拓校・1階がうどん屋さん
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名古屋市北区に本部があるNPO法人「わっぱの会」は、障がいのある人もない人も、合わせて約150人が、“共に働く”ための事業、“共に暮らす”ための事業,“社会に働きかける”事業に取り組んでいます。1971年、「わっぱの会」が誕生して33年余が経過する中で、さまざまな事業が展開されてきましたが、今回私たちが視察した「わっぱ知多共働事業所」、「ワークショップすずらん」、「わっぱリサイクルセンター」、「名古屋職業開拓校」等での活動と、理事長の斉藤懸三氏から伺った話を踏まえて、「わっぱの会」の概要について報告いたします。
T 「わっぱの会」の設立から活動展開へ
1971年11月、名古屋の住み慣れた町中で、障がいをもつ人を含む3人の若者が共同生活を始めたことが出発点です。当初は共同体を作るという理想を求めて仲間を募り、「わっぱの会」というグループができたのです。しばらくして数人のメンバーでダンボール加工・印刷業を行なう「わっぱ共働作業所」を開所したものの、当時は行政補助金も全くない中で、“障がいのあるなしを超えて共に働き生活する場を作りつつ、障がいのある人への差別をなくしていこう”という、理念と理想に燃えて活動を始めました。
1977年、名古屋市からおりた補助金をプールしておき、ダンボール加工業を行なう「ふくえ共同作業所」を開設したが、まだまだ経済的自立には程遠い状況でした。1980年代に入ると、ダンボール加工の仕事が大幅に減少したこともあって、「共働」の取り組みを抜本的に見直しすることになりました。
1984年、自分たちで、ものを作り、売るという、一貫した仕事に取り組むという方向性を検討した結果、全国で初の国産小麦使用の無添加のパン‘わっぱん’=わっぱのパンの製造をはじめ、翌年「ベーカリーハウスわっぱん」を開所、 この‘わっぱん’の大ヒットにより、事業も順調に急成長しました。また、経済的基盤を安定させるため、社会福祉法人格を取得したのは、この頃でした。
1988年には北区に「ワークショップすずらん」を建設、ここは、1,2階が‘わっぱん’をつくるパン工場、3階が個室の住居になっていて、現在「わっぱの会」の中で、ここでの事業が主力事業となっています。
1990年、「共働」という営利部分を独立させ、障がい者の真の独立を目的に「わっぱ企業組合」を発足させました。翌年,バリアフリーの生活共同体を開所、1994年には障がい者の家事・介助サービス「生活援助ネットワーク」を開始、現在では介助者を育成する研修も実施しています。90年代以降、農業への取り組みを始めたり、名古屋市から委託を受け、ペットボトルと牛乳パックのリサイクル工場を運営しています。
2000年4月、愛知県武豊町に、「わっぱ知多共働事業所」を開設、精神障がい者と共にスタッフ35名が直営の農場で働いています。無農薬や減農薬の小麦の製粉施設も完備しています。
さて、「わっぱの会」の活動は、この経過のように、紆余曲折を経て、障がいのある者もない者も、共に働く場と、共に生活する場をつくりあげてきました。また、他の社会組織と連携し、差別のない社会を求めて活動するために、2004年10月4日、NPO(特定非営利活動法人)を取得、差別のない共生社会の実現のために活動を展開しています。職業開拓校・1階がうどん屋さん
U “共に働く”ための事業 〜対等な関係・平等な分配金〜
“わっぱの会”の事業所は現在7箇所あり、約150人が働いています。これらの事業所の一番の目的は「共働」ということで、経済的、社会的に自立できる場所としての共働事業所をつくることです。
事業所は、障がいのある人の単なる作業や職業訓練の場ではなく、障がいのない人たちとも助け合いながら働いています。重度障がいの人もいるので、個人によってできない仕事も当然あるのですが、その人の能力により、楽しく労働に参加していられればよいという発想です。
事業は、利潤を追求するだけでなく、無添加のパンづくり、安全に留意した材料を使って、クッキー、ケーキ、ムースなどの洋菓子の製造・販売など「食の安全」への取り組みもしています。 またペットボトルや牛乳パック再生の仕事、農薬を使わない農業など、まさに地球にやさしい事業を展開しています。
障がいのある、なしに関わらず、みんなが共働して得た収益は、分配金として支払われます。障がいを持っている人の大半は、障害基礎年金をもらっていて、1級の人は、約8万円、2級の人は、約6万円の年金が出ています。従って、年金と分配金とを合わせて基本分配金と考え、それは全員一律同額になるように、決めています。その上で、それぞれの生活の実態に応じて、生活加算金を考慮する仕組みになっています。例えば、子どものいる人には、育児加算金、子どもの教育には教育加算金、扶養を受けず自立しなければならない人には、自立加算金、という形で、生活の最低限は保証されることになります。
このように、わっぱの会の事業所では、みんなが対等な立場で協力しながら、働いています。
そして、すべての人が分配金という名の給与を受け取って生活しています。
V “共に暮らす”ための事業 〜自立支援のために〜
「わっぱの会」が運営する共同生活体は、障がいのある人もない人も
、数名がお互いに協力しながら暮らす「家」です。生活する家という位置付けで、民間のアパート・マンションや一軒家を借りて共同で生活しています。また数年前から、名古屋市営住宅2戸分を、一つの共同生活の場として、借りることができるようになりました。いわゆるグループホームや小施設ではなく、生活したい人が集まり、介助が必要な人は、援助ネットから派遣してもらっています。
障がいのある、なしに関わらず、わっぱで働く労働者の寮であり、監督をする人もいません。
食事は一応共働で当番を設け用意はするが、生活時間がそれぞれに異なるので、自由です。
W “社会に働きかける”事業 〜政策提言やネットワークづくり〜
1990年、「わっぱの会」は、「まことと共に名古屋をかえる仲間たち」を結成、政令指定都市初の車いす議員、斉藤亮人(まこと)氏を誕生させました。障がい者による政策提言は、公共機関のバリアフリー化を促進させました。
また共生・共働の全国ネットワークであるNPO法人共働連と連携、全国各地での交流会、アジアの障がい者団体との国際交流などを行なっています。
障がい者の抱える問題、社会が内包する問題を参加型でよびかける市民向け研修「わっぱ塾」を開催したり、家族が一市民として考える「わっぱ家族会」を結成しました。
障がい児の普通学級進学をサポートする「共育をつくりだす会」は、普通学級への進学や編入を希望する障がい児とその家族に対し、情報の提供、相談、教育委員会との交渉などの支援をしています。
また障がいを持つ人への家事援助サービス、通勤のための介助者派遣のサービスを提供する介助者を養成する研修も実施しています。
2001年、勤労意欲を持ちながら、一般企業への就職が困難な知的障がい者、精神障がい者に対して、企業就労に向けた「なごや職業開拓校」を開校、愛知県の委託を受けたこの能力開発訓練施設では、職業技術、働く意欲、社会参加能力を高めていきます。実習を終えた生徒の就職のため、障がい者を雇用する企業を開拓します。
(この概要を書くにあたり、「わっぱの会」でいただきました資料も参考にさせていただきました。)
「わっぱの会」を視察しての感想
障がい者の就労支援に関する国の施策では、“就労”といいながら、福祉的就労という名の訓練に終わっていたり、最低の給与が保証されていないこと等、課題は山積みです。何より障がい者自身の自己決定をする場が、保証されていないことが問題です。
今回「わっぱの会」の各事業所で、障がいのある者,ない者が「共働」を実践していることを視察して、これからの日本の障がい者就労支援のあり方を考える上で、大いに参考になりました。
2002年の障害者基本法の改正は、“地域における作業活動”が重要であることが明記され、“施設から地域へ”“地域での共生と自立”の流れを後押ししていることは確かだと思います。
私の住んでいる国立市では、市民自らが、障がいのある人もない人も、自分の選んだ地域で、自分らしい生き方が実現できるよう差別のない社会をめざして、2005年4月に「しょうがいしゃがあたりまえにくらすまち宣言」をつくりました。議会でも全会一致で承認されています。
しかし、地域での障がい者の自立に向けての就労支援の施策は、一向に進んではいないのが実情です。私たちが今できることは何かを早急に検討し、障がいの有無に関わらず、社会全体の問題として就労支援を考える時期に来ていることを、強く感じた視察でした。 (阿部美知子)
今回の視察を通して、担当者の話しや現場での働きをみせていただき、「暑かった」「脳みその転換をした」「楽しかった」そして「やれるじゃん」と。
障害者と職員という関係性ではなく仲間として働き、賃金を得て、地域のなかで暮らしていくこと、それを実践していく過程では多くの困難なことがあったはず。それなのにその紆余曲折の歩みを少しでも前に進めて行きたいという思いと実行力に多くの人が共感し、築き上げてきたことが今のわっぱの姿になっていることを仕事をしている人の「顔」から実感した。現在の個人単位の社会は「10円でも安いものを買いたい、賃金は人より100円高く」と経済が優先され、わっぱが実践している分配金制度に共感はするものの我が身に引き寄せればなかなか難しいのが現実。本当に農業がすきな人がいて、人が好きというつながりの中で始めて成り立つ共生という本物がある。生活支援センターの代表が語った「利用者と介助者が本音で話せる関係を作りながらすすめてきた」という言葉が印象的だった。共生という言葉の重みを実践している現場を見てやれるという元気に変わった。(梁川 律子)
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