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2000年12月30日


豪華絢爛、八木敬之のバンド遍歴
− 社会人篇 その2 首都圏復帰−
Rev.2 2001/04/01




  • 老後の自慢のタネとして、まだ記憶が定かなうちになにやら残しておこうと思い書き始めてみました。学生時代篇は見知らぬ方も含め何人かに読んでいただいたようで、さらに調子にのって書きます。



  • 自分の都合のいいように美化している部分もかなり存在すると思われるので、3割引くらいで読んでください。



  • 「これ忘れてるぞ」あるいは「これはあまりにも事実と異なっているぞ」、という情報をお持ちの方は、お伝えください。



  • 本人の意図にかかわらず名前を載せられてしまったミュージシャンの方、皆様がビッグになればなるほどこのリストの価値があがりますので、是非精進ください。

時期バンド名メンバー、気付事項他
1992年頃矢堀セッション
さて、1992年にお茶の水の本社に転勤となり、それにあわせて茨城から千葉県の柏へと転居する。たまたま矢堀氏の家から車で20分くらいのところであり、よく遊びに行ったりしたものだ。ボンベイにもよく行った(笑)。

この頃の矢堀は私がドイツに行く前から比べるとステージが上がっていて、いろいろ強力なメンバーとセッションをしていた。佐藤達哉さん、平山サンペイさんらといわゆる「タツヤボバンド」をやっていたのもこの頃だと思う。

タツヤボバンドのほかにも、新松戸の店や、日立のアシャンティでセッションバンドをやっていたが、それに混ぜてもらうような形で一緒に演奏させてもらったりした。古川初穂(kb)さんや、大坂昌彦氏(ds)、納浩一(b)氏,、まだジャズ−フュージョンもやっていた佐野康夫(ds)氏佐藤慎一(b)氏などとやらせてもらったのはこの頃だと思う。あとは当時まだ学生だった新澤健一郎氏(kb)とT工大の学際で一緒に演奏したりしたような気もする。

1992〜1994年?fragile
私のバンド遍歴の白眉である。

確か1992年の暮れ頃だったと思うのだが、矢堀孝一(g)から、「新しいバンドを作るのでやってくれ」と頼まれ、メンバーを聞いたところ、水野正敏氏(b)、菅沼孝三(ds)氏、古川初穂氏(kb)という、日本国内でこれ以上強力なメンバーはありえないという恐るべき面々。こんなサラリーマンで良いのかとさんざん聞き返したのだが、とにかくやれというので参加する事になる。その頃矢堀はタツヤボでそれなりに有名になっていて、それを解散して新規発足という事もあり、「達哉さんの後釜」というイメージもあってつらいものがあった。

発足前に、隠れて新宿ピットインに水野〜菅沼+大徳さん(p)というセッションを見に行った。ドルフィンダンスとか普通のジャズをやっていたのだが、あまりの物凄さにビビル。

私がやらせてもらったのは二年ほどだったと思うが、その間、六本木ピットインに定期的に出演させてもらう。まともなリハーサルはその二年間で二回だけだったような気がする(一回目のライブの前に二回やっただけ)。まとも、と書いたが、リハはこんな感じ。

矢堀「では、次の曲(譜面を配る)。イントロからAを二回、Bに行ってCでオープンソロ、またAに戻って今度はBのコード進行でオープンソロ、最後はそのままキューでコーダに行きます、じゃあ一回やってみ・・・」

某氏「よっしゃ!カンペキや!この曲終わり。つぎいこ、つぎ」

プロというのはこういうものなのかとも思ったのだが、あとから考えるとちょっと例外的な状況のようであった。

何回かライブをやったのだが、最も印象深いのは、確か二回目だったと思うが、台風の日にピットインでやったライブ。当日は、首都圏台風直撃で、電車は殆ど動いていないし、都内に向かう道はことごとく冠水しているし、皇居のお堀は溢れているし、こんなんでライブが出来るのか、もしかするとピットインも水没しているのではないかという状況。矢堀と二人でわが身を呪いつつとにかく到着し、セッティング。どうにかライブが出来るということになり、あまり多くないお客さんの前でとにかく演奏。山下洋輔氏もよく著書で書いているが、こういう異常事態の演奏というのは通常よりもよくなることが多いようで、この日も例外ではなかった。

この日は、その後fragileのヒット曲となるBluffや旧ソの初演だった。本番前の音合わせのときBluff を初めてバンドで演奏してみたのだが、そのときはあまりインパクトが無かったような気がする。音あわせ後、孝三さんが、ミノシネルとオマーハキムを合わせたようなパターンをこそこそと練習していて、「格好いいな。ソロで使うのかな」などとと思ったのだが、本番のBluffのイントロでそれをいきなり繰り出してきたときには驚いた(fragileのファーストで聞くことのできるあのイントロのパターンです)。さらにキメの部分ではいまやすっかり有名になったスリップビートをこれもなんの打ち合わせもなしにいきなり繰り出してきて、すっかりハマってしまった。水野さんが冒頭の孝三さんとのバトル(笑)、でいきなりディストーションを踏んだのも驚いた。本当はやるはずだった最後の8小節のリピートをやらないでいきなり終ってしまったのもこのときか(笑)。

旧ソは、事前に矢堀宅で、構成や音使いを練っていったのだが、やはり強力リズム隊の前に、想像した以上の恐ろしい音楽となってしまった。この時期、最終部のワンコードの部分のソロは私がやっていたのだが、古川さんと水野さんのバッキングは完全にWR状態で、ソロをとりつつも背筋が寒くなったものだ。しかし、この人たちの前で、イントロ完全ソプラノソロ(いい加減)を吹いたりしたのはよく考えるとすごいことであるよなあ。おお恥ずかしい。

矢堀は当初、リハなどやって、バンド全体を比較的きちんとコントロールしようという意図が見えたのだが、恐らくこのライブをきっかけとして、なにやら開き直ってしまった。悪く言えばコントロール不能な人々であり、よく言えば、任せておくと想像も出来なかった音楽があっさりと出来てしまうというバンドであるということを悟った感じ。

自慢たらしくなるが、水野〜菅沼のリズム隊の恐ろしさ、凄さというのは、実際に一緒にプレイした人間じゃないと分からないと思う。まず、リハと本番で音量が3倍くらい違うのでそれに面食らう(笑)。孝三さんはロック畑の仕事も多いし、fragileは基本的に16ビートや8ビート(そう単純に言い切ってしまえるものでもないが、4ビートではないというくらいの意味)の曲が多いので、タテノリな人なのかと思うとさにあらず、結構ヨコ系。水野さんもそう。というわけで、この二人のリズム隊は、悪い意味ではなく、良い意味で結構揺らぐ。極上の4ビートのドライブ感を16ビートでやってしまうというイメージか。当然ながら二人ともトリッキーなプレイのテンコ盛りで、ただの4拍子をやっていても、孝三さんはアタマをガンガンずらすし、ありとあらゆる拍に驚くべき手数を叩き込むし、水野さんはアタマをいきなり省略するし(笑)、ラインは謎だし、とんでもないところでアウトするし。

ベースとドラムは、片方がトリッキーだともうひとりは結構タイトにやるという組み合わせが普通なような気もするのだが、このバンドの場合二人とも何をやってくるか分からない恐ろしさがある。ソリストにしてみると、こんなにやりにくいリズム隊も無いし、こんなに刺激的なリズム隊も無い。コンマ秒単位で起こるいろんなイベントに対応するスポンティニアスさと、何があっても動じない自分のリズム・唄を持っていないと、このリズム隊と一緒に演奏するのは難しいと思う。そういう意味では、クビにはなったものの、我ながらよくやったと思うし、面白かった。異常にアクの強い、まさにワンアンドオンリーのリズム隊だと思う。

fragileでは、下に書くビデオにも出させてもらったし、ライブでゲスト宮城純子(kb)さんというのもあったなあ。あと、実は幻の旧ソオーバーダブというテープもあるのだが、やはりお蔵入りかな。確か1995年頃に、トリオとして活動するという事になり、私は辞めさせていただく。その後のfragileの活躍は皆様ご存知の通り。

1995年? 手数王
ライブ実践篇

fragileでは、数回のライブの他に、ちょっと変則メンバーで孝三さんの教則ビデオ「手数王ライブ実践篇」ビデオを収録した。メンバーは、矢堀孝一(g)、水野正敏(b)、菅沼孝三(ds)+中村明一(尺八)、西脇辰也(kb)、高山博(Comp, Arr)。一応私がこの素晴らしいメンバーと一緒にやらせていただいたことの証拠物件である。

環七沿いのスタジオかなにかで収録したが、私は確かBluffとLimited Answersの2曲に参加。映像はともかく、音は2チャンネル一発録りということで、結構緊張した。Bluffではソロもとったりしたが、やはり緊張のせいかいまいち。しかし、ライブ収録という環境で「ノイエンカクトー(西脇氏作曲の変態ヘビメタジャズ)」をやってしまうこの人たちも凄い。私はこの曲はお休みで、横で見ていたのだが、笑いをこらえるのに必死であった。

よく考えるとこのセッションはfragileのメンバーそれぞれにとってそれなりに重要なものだった。西脇氏はfragileのライブにゲスト出演したりしつつ、水野さんとPortfolioを結成。また、孝三さんとは二人の変態ユニット「ノイエンカクトー」を、矢堀は最近になって西脇氏リーダーの「Atmosphere」に参加と、このときのつながりが生きている。あ、Portfolioはもう無いのか。

1992-4年頃高木宏真トリオ+1
「ジャズ批評」の編集者で、ピアニストである高木さんは学生の頃の「えぞぎくバンド」からの付き合いだが、私が首都圏に戻ったということで、トリオに何回か混ぜてもらった。演奏場所は新宿Jとか・・思い出せない。メンバーは、始めは学生時代からの流れで西尾研一(ds)さんと、荻原光徳(b)氏だったかな。ふたりとも東工大コネクション。荻原氏はいまや米国ロチェスター大学でコンピューターサイエンスの教授だ。

そういえば、このメンバーで浅草ジャズコンテストというのに出たことがあることを思い出した。例によってろくにリハーサルもしないで演奏したのだが、案の定ばれて審査員には結構辛らつな事を言われた覚えが。でも、最優秀ソリスト賞とかで、当時出始めのレコーディング可能なソニーのMDを貰った(現在も使用中)。

あと、銀座の山野楽器でやったアマチュアなんとかコンテストにも出た。審査員に大坂くん(ds)がいたりして、なぜか気まずかった(笑)。何も賞はとれなかったと思うが、そのときに優勝したのがマルチ奏者松井秋彦さんの率いるバンド。

その後、リズム隊が変わって渡辺雅介さんという佐藤允彦(P)さんとたまにやっているドラムの人と、ベテランのなんとかさんというベースの人でやはり何回かJに出たかもしれない。このバンドはその後高木宏真ビッグバンドに移行していく。
1993年 八木−布川
セッション

柏に移ってからしばらくたってからだと思うが、水戸コネクションを利用して、布川俊樹(g)さんとセッションをやろうと思い立つ。場所は、水戸の大工町にある「ブルームーズ」という店。一応私がリーダーという事でメンバーを集め・・そうだ、狙ったコンセプトは布川さんと広江 靖(ds)さんを競演させて、「ジャズい」布川さんを堪能しようということであった。ベースは、広江さんが連れてきた、売れる前の荒巻茂生氏で、当日初めて合流。

狙いとしては大当たり。ちょっとずつお互いの思惑がずれるような場面もあったが、「ジャズい」布川さんを引き出すことが出来たと思う。広江さんも、全く狙いどおりのドラミング。あえて例えれば、ルイスナッシュというか、アルフォスターというか。ジェフワッツとか、ディジョネットとか典型的な最近のジャズのドラミングでは無い感じでやってくれた。荒巻氏は、とにかく唸っていた(笑)。当日はアンプ無しでやっていたため聞きづらかったのだが、あとからテープを聞いてみると、非常に的確かつ刺激的なプレイをやってくれている。

曲は、ラウンドミッドナイトとか、ショーターの「エルガウチョ」とか、ベニーウォレスの変な曲とか。上にも書いたが、当日はマスダ米笑さんがマルチで録音してくれており、素晴らしい音で記録が残っている。面倒くさがりで、なかなか自分の音を残しておくなどという事はやらない私にとっては大変ありがたい。

そういえば、このセッションに先立つこと一週間くらい前に、「肩慣らし」とかいって、松戸で矢堀-佐々木悌二(b)-広江さんというセッションもやったな。なんと贅沢な。

1993-4年頃ママルズ
T工大関係者で、加藤さんというドラムのひとがいたのだが、その人、本職?のドラム以外にベース、ギター、打ち込みも素晴らしいという、マルチな人。その人が、会社を辞めて?奥様の加藤立子(ボーカル)さんと一緒に作ったバンドに誘われて、しばらく活動する。一応ポップス系なのだが、バンドメンバーにはT工大コネクションを中心に、まだ大学院生だった新澤健一郎(kb)、脇義典(b)、平井景(ds)などジャズ−フュージョンの出来るメンバーを揃えた。出てくる音の感じは、やっぱり「矢野顕子みたい」というのが一番分かりやすいかな。

歌伴、それもポップ系の伴奏などは全くやったことがなかったのだが、スティングのバンドのブランフォードをイメージして演奏したりする(上手くいったんだかよくわからないが)。今から考えると、ちょっと図々しく吹きすぎたかもしれない。もうすこし控えめにやればよかった。

原宿クロコダイルで何回かライブをやる。その他に、スタジオで結構本格的なデモテープを録音。ソプラノばかり吹いたような気もする。

やっぱり、この手のバンドはリハーサルが頻繁に行われるわけで、柏からリハの行われる大田区まで行くのはそれなりに面倒くさく、結構サボってしまってメンバーの皆さんには大変申し訳なかった。解散したわけではないと思うのだが、メンバーが忙しくなったりしてなんとなく活動停止みたいになった。その後どうなったのだろうか。

1993-4年頃?うんこトリオ+1
fragileでエレクトリック系の音を追求していた(?)矢堀氏が、4ビートを中心に適当にリラックスしたセッションをやろうとしてはじめた(?)バンド。というか、電子メールつながりでなんとなくできちゃったバンドともいったほうがいいかもしれない。

メンバーは矢堀(g)に元祖うんこ総研主宰の山村牧人(ds)脇義典(b)。一回Naridisに出たかな。あ、ということは時期的にはもっと後かな。弟の結婚式二次会にもこのバンドで出演して、三管アレンジの「カレカ」とかやった。

脇選手渡米後は、生沼邦夫氏(b)が参加して、大宮の怪しい場所にある「ジャム」とかいう店でやったかもしれない。このバンド、一応解散はしていないような気がするが、どうなんだろうか。うんこ総研もまだ存続しているようだし(笑)。

1994年
-97年頃?
高木宏真
ビッグバンド

六本木のアルフィーで、一時期毎週月曜に若手のビッグバンドを演奏させるという企画をやっていたのだが、その企画に乗って出来たのがこのバンド。なんだかんだ3〜4年やっていたと思う。

ビッグバンドといっても、四管のホーンにリズム隊という編成で、ビッグコンボといったほうがいいかもしれない。基本メンバーは本多健二氏(tp)、当時まだ学生だった松本英之(as)、私の三管、リズム隊は、脇義典(b)、上記トリオでもやっていた渡辺さん(ds)。リズム隊は結構日替わりで、平井景(ds)宇山満隆(ds)がはいったり、河原秀夫さん山下弘治氏がベースに入ったときもあったかもしれない。

問題は4人目のホーン奏者で、何故か毎回違ったテナーをゲストで連れてくるというのが恒例になっていた。で、一緒にやったのがすでに評価を確立していた岡淳、竹野正邦、やはり同じ歳の有望株三木俊雄、あと、日系二世のボブケンモツかな、とにかくそうそうたるメンバー。毎回テナーバトルみたいな曲が1〜2曲あって、対決状態になるのだが、サラリーマンとしては結構つらいものが。いや、横で彼らのソロを聞いている分にはいいんですが。

曲は、高木さんのオリジナル曲をオリジナルアレンジでやっていた。難しい曲が多かったなあ。ゲストで来る面々がまったくの初見で軽々と吹いているのをみて、感心したものだ。

なかなか面白いバンドで長く続いたのだが、アルフィーの方針変更(?)とともになんとなく消滅。

1996年?MSB (手抜きをして、以前書いたテキストをそのまま張ります)

このバンドは,元々慶応大学のとあるサークルのOBが中心になって結成されたモノです。人間のクズになるパターンが多い某早稲田大学のジャズ研(私の出身サークル)とは違ってみなさんJALだとか日産だとか電通だとか立派な企業にお勤めであり,その「一流企業サラリーマン」が会社に入っても立派にバンド活動を続けてます,というコンセプトだけでレコードになってしまったという経緯があります。なにやら以前ニュースステーションかなにかにも出たことがある とか。あ、ちなみにボーカルの女の子は国際線スチュワーデス。

このバンドが東芝EMIの調子だけはよいプロデューサーとくっついて,レコーディングを始めたのだが,そこはそれ素人の悲しさでなかなか上手くいかない 。さらにサックス奏者が転勤かなにかでどっかへいってしまったとかいうことで、どんなルートでだか私にお呼びがかかったというわけです。 私は「メイ・シンドローム」という1曲だけに参加しております。ちなみにこの曲は私の友人(注:これはマスダ米笑さんのこと!)が作曲して私がアレンジしたモノ。ボーカルは入っていなくて,完全に私のサックスフューチャーですね。 演奏は・・・私も含めてはっきり言って下手ですね。

しかし,このレコード作 るのに一体幾ら掛かったのか。毎週末に品川にある東芝の豪華スタジオを貸し切って・・・ これには後日談がありまして,私の友人が作曲をした関係で,1年位してから印税が入ったそうです。それによると売れたのは2千枚程度・・・あのプロデューサクビになったんじゃないだろうか。 しかし,短い在籍でしたが,結構いろいろありました。武道館で安室奈美恵とスーパーモンキーズと同じステージというのもあったなあ。24時間テレビ出演 というのも。ほんとになんだったのか。いまだに謎です。

ちなみに上に書いたレコーディングというのは、『丸の内スーパーバンド/オフィス街に朝が来る(東芝EMI)』というタイトルで市販されました。

1993〜
 97年頃?
伊佐津バンド
学生時代に一緒にやっていた伊佐津和朗氏(vib)だが、その後立派に歯医者になりつつも、バンド活動は継続しており、当時住んでいた成田市の謎の店で何回かライブをやる。メンバーは日替わりだが、やはり学生時代のメンバーである結城和弘(ds)、川野秀樹(g)、クラブの後輩である藤沢由二(p)のほか、最近売り出し中の宮前幸弘(p)、高橋徹(ds)、井川晃(ds)など、結構いろいろなメンバーとやらせてもらう。ハードバップ時代のジャズの名曲を中心に演奏して、楽しかった。

そういえば、伊佐津バンドで吉祥寺ジャズコンテストというのに出た事があったなあ。何時だったんだろうか。優秀バンド賞+優秀ソリスト賞(最優秀ではない)ということで、ビールを何ケースも頂いた覚えが。

1997年 八木-野本バンド
1994年頃だったと思うのだが、柏にNardisなるジャズ飲み屋が突然出現し、日曜の夜にセッションなどやりはじめたのでなんとなく常連になる。水曜日はピアノソロの日で、そこによく出演していたのが野本晴美(p)さん。若くて美人、しかも演奏が良いということで、すっかりファンになってしまったのだが、マスターを懐柔して、彼女と一緒にライブをやらせてもらう事にする。

メンバーは野本さんのほかに、アメリカから帰ってきたばかりの杉本智和(b)、高橋 徹(ds)という非常に安定したいいリズム隊。スタンダードやロリンズの曲を好き放題というコンセプトではあったが、後半戦には矢堀も乱入し、「カレカ」もやったりした。レギュラーでやってみたいバンドではあった。前にもどこかに書いたが、野本さん、とにかくリズムがしっとりと落ち着いているんだよなあ。バッキングなど非常に気持ちよいのだ。

野本さんとは、もう一度トリオ(ピアノ−サックス−ベース)でどこかで演奏した。このときのベースは佐藤”ハチ”恭彦氏

1997年 新澤セッション
Nardisのコネを活用して、さらに面白いバンドをやろうとして企てたのがこれ。といっても私は新澤氏に電話して、「柏にいい店が出来たからやろう。WRとかイエロージャケットみたいなやつ。メンバーおよび曲はよろしく」などと言っただけ。ありがたいことに、このアバウトかつ我が侭な要望に新澤氏は完璧に応えてくれ、集まったメンバーが新澤健一郎(kb)、岡田治郎(b)、岩瀬立飛(ds)というアナログ・デジタルなんでもありの強力リズム隊。多分、岡田氏とたっぴーはこの時が初共演。

曲も、WYSIWYGでCD化された「Smile」、その後GlidephonicのCDの一曲目となる「Seven Bridge」, Quiet Leavesに収録されている「こもりうた」など新澤氏のオリジナル中心。当日のみのリハだったが、結構まとまった演奏だったような気がする。あ、fragileの「カレカ」や「旧ソ」もやったな。矢掘抜きでこの曲をやったのはこのバンドだけだろう。

その後日立のアシャンティでも同じメンバーでライブ。このときは矢堀が飛び入り。これもなにやら盛り上がった。今このメンバーでやったら・・・豪華だろうなあ。

1998年 TV JAZZ
私のバンド遍歴の白眉(その2)である(笑)。

確か、1997年の暮れに「ハンコックの『スタンダーズ』をパクって懐かしアニメバージョンでCDを作ります。メンバーは・・・」などというメールを矢堀から貰ったのがことの起こり。冗談だろうと思ったら本気だった。知っている人は知っている通り、このCD以外に受け、その後日本ジャズ界に企画ジャズブームを巻き起こす(笑)。1998年の日本ジャズ売上ベストテンとかに入ったんじゃないか。調子に乗って二枚目もリリース。

メンバーは矢堀孝一(g)、新澤健一郎(kb)、古川初穂(kb)、岡田治郎(b)、大坂昌彦(ds)に私。二作目には牧原正洋(tp)が入る。

リハも無く、譜面は当日手渡しで、2日間でCD一枚録るという話であり、本当にそんなこと出来るのかと思っていたのだが結構あっさりやってしまうのでこの人たちは恐ろしい。それも、ジャズの一発勝負とかじゃなくて、相当凝ったアレンジ/仕掛けの曲ばかり。一枚目の録音初日は確か会社帰りにスタジオに駆けつけて参加した。二枚目は二日とも会社休んだが(笑)。

録音していて驚いたのは、メンバーの仕事の、言い換えると決断の速さ。2〜3回の軽い合わせで本番に突入、大抵1〜2回はコケルが、3回目にはほぼ完璧にベーシックトラックが完了。その後、現代科学を駆使して、多少切ったり張ったりというのをやるわけだが、どの部分をどう修正するかというのを瞬時に判断して、サクサクと直していく。最終的にどのテイクを使うかも、結構あっさり決める。これが経験というものだろう。あの「見切り方」は私も見習いたかったが、今思えば結構優柔不断な態度に終始して、最終判断をプロデューサーたる矢堀氏、あるいはその他メンバーに委ねていたような気がする。

折角なので、ちょっと裏話も

<一枚目>

●「デビルマン」のギター・キーボードソロの部分のベースは一回ベーストラックを録音して、ソロもすべて決めた後で岡田氏がなにやら気に入らなかったらしく全面差し替えしたもの。キーボード、ドラムとのインタープレイが実に自然に行われているのが驚異的。

●「11PM]は、当初フロントも入るはずだったが、フロント二人がのんびりとメシ食っている隙にスタジオ内でやっていたピアノトリオがあまりに格好良いためそのままトリオでやってもらうことにしたもの。

●「ど根性でヤンス」は、深夜予定されていたすべての曲を録音した後で、「時間が足りん」などといって急遽収録されたもの。矢堀はその場でコードとメロディを書いた。ちなみに、録音時に結構深めに掛かっていたりバーブがミキシング段階で意識的にほぼ取り除かれており、それを知らなかった私はCDの出来上がりを聞いて青くなった。


<二枚目>

●「Afro Lupin 68」には、Minuano(6/8)を強力にパクった間奏が準備されていたのだが、「洒落にならん」ということで却下された。あれ入れたら面白かったのに。

●「悪魔の笛」は実はドンカマをならして録音されている。にもかかわらずあの自然なスイング感!。特に古川さんのピアノソロの部分は絶品。

●「みんななかよし」の後テーマは実は一小節多くなっている。これはアレンジされていたものではなく、新澤氏が「唄った」結果たまたまそうなってしまったものと思われるが、誰も動揺していないのがキースのスタンダーズ的で恐ろしい。

●「ゲッターロボ」の32秒あたりに出てくるベースの「びよーん」というのは、アレンジャーおよびその他メンバーの強い要望によりその部分だけ改めてダビングされたもの。

●最後「にっぽん昔話」の後に、WRの「ナイトパッセージ」のA面最後からB面に掛けて出てくる「びよ〜んびよーん」というプロフェットの音を入れるという計画があった。当然三枚目を意識しての話で、三枚目はその音からフェイドインして「ロッキンインリズム」のパクリで始まるという目論見。やっぱりこれも却下。ちなみにこの「にっぽん昔話」よく聞くと相当妙なミキシングをしてある。ヘッドホンで聞くことをお薦め。


雑誌のインタビューにでも誰かが語っていたが、このTV JAZZ、本当に企画モノであり、メンバーも録音当日集まったのみ、曲ごとにコンセプトばらばらで、プレイスタイルも意識的にばらばらにしてあるにもかかわらず、特に2枚目などはなにやら「バンド」としての個性が出てしまっているのが相当面白い。表面的に考えると、結構岡田治郎氏のプレイがその味わいのキーを握っているような気もするが、実はもっと深いのかもしれない。

私のプレイに関して言えば、他のメンバーのように芸も無く、基本的には自分のスタイルを押し通したような感がある。だってそれしかできないんだもの。ちなみに、気に入っているのは「現場へ急げ-アクション」のソプラノソロかな。気持ちよくスイングしていて良い。あと、実は「死ね死ね団のテーマ」のプレイも気に入っている。テーマ吹いてるだけだけど。一枚目は「Scat Theme」かな。「ゲッターロボ」、「猫目小僧」、「妖怪人間」はブレッカーが元ネタだけあってつらいものが。

二枚目発売にあたって最初で最後のライブもやった。ライブバージョンという事で「ゲッターロボ」カウント時の「ぷ」を再現したり、「悪魔の笛」ではスティールドラムが入ったり、「ゲッターロボ」がプロフェットの「パパヤパ」から始まったりと、仔細なな事ばかりに凝った内容となったが、演奏は極めて満足のいくものだった。会場で録ったMDなど聞いていると「猫目小僧」、「ルパン三世主題歌T」あたりは「ハービーのスタンダーズ隠し録りだぜ」とかいっても通用しそうな(但しサックス以外)出来栄えで素晴らしい、ってそういう問題ではないか。

1997年- 地元バンド
1997年に柏から所沢へ引越をする。

所沢の老舗ジャズ喫茶スワンは一時の停滞期を脱して、ジャムセッションなどを通じて元気のいい若手ミュージシャンが数多く出演するようになっていたが、そのセッションの中心メンバーを中心に結成されたバンド。メンバーは、高木宏真(p)、天野丘(g)、山下弘治(b)、岩本次郎(ds)に私。

このバンドの特徴は、全員所沢市内に住んでいる事(だから「地元バンド」な訳だが)。メンバー紹介で「From 小手指町!高木宏真!」とか、「From 緑町!岩本次郎!」などとやるのが楽しいバンドである。


 


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Author: Hiroyuki Yagi  Email: hiroyuki.yagi@nifty.com

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