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2002/3/17

私はソロの時ナニを考えているのか?(4)


<ちょっと「課題(規制)」について補足>

前回「課題(あるいは規制)」について書いたが、後で考え直してみると、それってよく知っている比較的簡単な曲をやるときに特に有効なアプローチだななどと思う。要はよく知らない曲だとか、難しい曲だとかはそれ自体が課題(規制)になるということだ。ジャイアントステップスなんかは、それなりにコード進行を考えてきちんとアプローチしないといかんし、あるいは変拍子の曲などはそれだけで相当な規制になって頭を使ったソロをやらないといかん。そうなるとなかなか客席の女性など見ている場合ではないのだ。

ここでいう頭を使うというのは、私の場合「進行をきっちり抑えながら音を出していく」ということだろうか。つまり、まずは「見失わない」ことに頭を使う。なんかCPUの半分を使って周りのビートなりコード進行なりをモニターして、もう半分でフレーズを吹いているいる感じだ。両方の処理は同時並行的に行われていて、あまり相互作用は及ぼさないような気がする。さらに言うならば、どちらかというとフレーズを吹いている方のCPUは上の空で、ビートあるいはコード進行をモニタするCPUの方が一所懸命働いている感じ。

特に変拍子の時などはその気があるかな。私の出来るフレーズというのは大抵4つとか2つとかに合うのが基本な訳だが、やはりそれを吹かないとソロにならないので、例えば5拍子の曲で4拍子のフレーズを3小節分(4泊×3)ぐらい吹き続けることがある。当然伴奏のビートとはずれているわけだが、そのずれはとりあえず許容して(それが面白いという説もある)、少なくともいったい自分がどこにいるのかというのはちゃんと分かっておきたいのだ。人によっては「5拍子用」のフレーズを持っているとか、4拍子のフレーズをちょっと引き延ばして5拍子用にしちゃうなんてアプローチもありだろうが、私はようやらん。

もしかしてこれって「アウト」の方法論に近いのかもしれない。CPUの半分は「イン」のコードなりビートなりを追いかけていて、もう一方のCPUはあまりインに関係のないフレーズを適当に吹くと、なかなか緊張感のあるソロになったりするというわけだ。熱く吹きまくっている「アウト」さんを冷静に眺めている「イン」さんがいる、という二重人格的頭脳活動ですな。盛り上がっているときにあまりコードと関係無いと思われるフレーズを平気で吹くなんてのはこのパターンで大抵確信犯だ(本当は理論的な裏付けがほしいところだが、わからないので適当に充ててしまうのだ)。

人によっては(というか多分殆どの人は)「アウト」を「イン」の理論的な延長上に捉えているような気がするので、私のアプローチというのはちょっとイレギュラー(というか相当いい加減)な感じだ。重要なのは、冷静に眺めている「イン」さんのおかげで、「アウト」さんはどっかいっちゃってもまた帰ってくることができるという点だ。これは実際フレーズ的に帰ってこなくても、ちょっと休んで次のフレーズがまた適切な場所で適切な音だったらいいということであって、これをもって「緊張と弛緩」が達成されるのだった。

ソロ中の頭脳活動云々というのはまた改めて書いてみたい。

<1コーラス目にナニを吹くか>

前回までの文章で書いたように、1コーラス目にナニを吹くかというのは相当重要だと思う。

サックスソロのパターンとしてはおおきく2つに分かれる。

  • テーマからそのままアドリブに突入
  • 人のソロの後でアドリブに突入

まず、テーマからアドリブに突入する場合はそれなりにやりやすいが、ある意味課題(規制)を自ら作り出して行かなくてはならない「手探り」のパターンが多くなるともいえる。できればテーマを吹いているときからアドリブの構成なり雰囲気なりをなんとなくイメージしておきたいところだ。

とはいえ、バップ系の曲なんかだと、ソロの入り方に制約が加わるものがある。例えば「チュニジアの夜」なんかはそうで、例のキメの後リズム隊が止まって4小節のピックアップソロ(ひとりで吹き続ける)になる。やはりここはビバップ50年の歴史の重みというものを感じさせる8分音符、できれば16分音符のイキなフレーズを吹き飛ばしたいところだ。ここで「プペー」とかロングトーンをしたり、ズンドコ節を吹いたりしては、観客および共演者の期待に応えられないだろう(別にそれが絶対に駄目だといっているわけではないので注意。ズンドコ節でも状況によっては最高のソロになるのがジャズの面白いところだ。要はその日自分に求められている役回りと、自分の音楽的な欲求を上手くバランスさせることが重要なのだと思う)。

というわけで、このような場合は、前もって格好良いフレーズを準備しておいても良い。「それでもアドリブか」という意見もあるだろうが気にすることはない。マイケルブレッカーの「サムスカンクファンク」のピックアップソロも、パットメセニーの「サードウィンド(だっけ?)」のソロも、さらに言えば元祖チャーリーパーカーの「チュニジアの夜」のソロも、みんな前もって考えてあるネタをここぞとばかりに出しているに違いないのだ。ただし、何回もやると飽きてくるだろうから、そこからがジャズマンとしての真価の見せ所ともいえる(これで飽きないでいつまでも同じことをやっているようだとジャズをやっている面白さは無い)。

なんの話だっけ。あ、1コーラス目か。このようにピックアップソロから始まった場合は、いきおいそのソロにその後の構成並びに雰囲気は規定されてしまうので、例えば「チュニジアの夜」だったら大抵イキなバップフレーズを吹き散らかす状況に進む。

話は変わるが、1コーラス目あるいはソロが始まって数コーラスというのは、バンドのサウンドおよびビートを確認するという重要な作業がある。特にその日の1曲目というのはその作業にCPUの殆どを費やしているといっても過言では無い。自分の音の聞こえ具合、人の音の聞こえ具合、バンドのビート感、あとは前に書いたように観客の様子・観客数、そのなかでも女性の数(しつこい)・・・というわけで、ソロそのものは上の空状態で、本当におざなりなフレーズを吹いたり吹かなかったりということになる。

まあ、観客関係は女性がいれば上機嫌になるくらいなもので、あまり本質的な影響はないのだが、問題はバンドのサウンドおよびビートである。特にビート(スイング感、あるいはタイム感ともいう)が上手く合わないと、しばらくはその修正というのを試みることになったりする。わざとらしくメリハリをつけた八分音符のフレーズを吹き続けて、こちらのビートを感じてもらったりするわけだ。この「合わない感」が持続してしまうと、そのズレをいちいち気にしてしまったり、修正しようと試してみたりと、CPUが変なところに使われてしまうので、ロクなソロにならない。逆にいいリズム隊とやっているときは、なんかこちらが変なことをしても、どっしりとしたビートが感じられるので、雰囲気の選択とか音の選択など、ソロの本質的な部分にCPUを使うことが出来るし、遊びのアイディアみたいなものも出てきやすい。なんか、安心して浮遊している感じ。この手の感覚は大抵2コーラスくらいやると分かってくるので、その後のソロの進め方、CPUの使い方はそこでおおまかに決められるような気がする。

というわけで、まだ話の途中だが疲れたので(5)に続く(なんか脱線気味ですが)。

(3)はこちらから。


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