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   新人斬り甚右衛門


 一昔前に書いて、そのままになっていた作品。この機会にまとめてみました。続きがかけると良いのですが。


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 その一 プロローグ 人斬り甚右衛門

  一   宝永四年(一七〇七年) 七月六日


「おとう」
 背中に声があり、ふりむくと、童がいた。
 そこは河原沿いの街道で、土手には草がしぶき、菜の花が風に揺れた。花粉があった。土手の片側には田が広がり、水のはった泥園にて、稲穂が身をくゆらせている。近くの大きな杉下では、歩き疲れたのか、つむじに濡れ手拭いをのっけて座りこんだ風体が三人ばかり、ちょこりと集まっている。ずいぶんと涼しそうである。その杉の木陰がまわりに落ちて、木漏れ日が、童のあかじみた顔に、ひらひらと舞った。
 その道は京までつづく東海道で、道行く人はずいぶんだ。尻をからげ、わらじ脚絆をむき出しにしたのが、ちょいと多かった。どの旅人も軽装で、脇差しをさした町人が目立つ。川では農家のこどもらが、水につかりてしぶきを上げたが、いま声をかけた童は、そのこどもらとは様子がちがった。目についたのは、大きな目玉。憔悴のためか、落ちくぼむ。日焼けをし、頬には泥をつけ、ずいぶんと小汚い餓鬼だと甚右衛門は思った。服はぼろぼろにすりきれ、使い古しのぞうきんを、いいかげんに巻き付けたようだ。丈が合っていないが、どこぞからかっぱらったものだろう。擦り傷だらけで、木の棒を茣蓙で巻いて持っていた。こじきにも見えるが、年の頃は七つほどだろう。何者だ、と甚右衛門はまた思った。
 周囲では小物籠を肩にかけたのが、道を行ったり来たりしている。江戸見物らしいおのぼりさんの団体に、身分も高げな女人もいる。こちとらはたかだか浪人にすぎぬが、金にこまるような身の上でもなかった。胴巻きには小判が十両ばかりあるし、財布に銭もずしりとある。旅の道中でこれだけ懐を重くしていると、よだれも出そうな上物にみえるものだ。だから、護摩の灰(スリ)には、注意をしているし、手をだすやつらは、ぴしゃりびしゃりと始末してきた。そのたぐいかと思ったが、こんな子供の護摩の灰が、いたろうか?
 童は、じっと、大きな目でみた。必死の眼光である。長旅のあとのようだ。腰に巻くは荒縄だ。伊勢参りの旅なのか、それにしても道連れすらない。
 甚右衛門は童をじろじろと見ながら、記憶の釣瓶をたどったが、ついと上がった、鼻のかけらも上がってこない。みたこともない童である。
(他人に声をかけたのか?) 振り向くが、それらしき人はない。わずかに、職人らしいのが、ふくみのある笑みをもらし会釈をしたのみで、甚右衛門は、(こやつはおれが息子などではねえわっ)と思ったが、なに言い返すほどのことでもない。
 向き直ると、その童、いまだにじいっとみて、「おとう」と、また大きな声をした。こいつあ気狂いかえ、と思うほどに熱っぽい目でみる。ぐんぐんと、肚に突き行って来るような強い目だ。うっすらと涙まで溜まる。おとう。こんどは泣き声でいう。甚右衛門は薄気味悪かった。
「おれはおまえのおとうなどではない」
 言いながら、甚右衛門は手ずから納得をした。(ふむ、おれには子などないはずだ)
 逢瀬をともした女ならあるが、子をなしたという風聞はきかない。甚右衛門が身を返すと、童はまた、おとう、と声をかけた。
「おとうではない」
 声をほうって足早に行くと、童は後を追いかけた。音が近づいたかと思ううちに、腕をつかまれ驚いた。
「いいかげんにしろ。きさまがような餓鬼は知らぬ」
 往来で人目もある。甚右衛門がいらだって振り向くと、童は落胆にみちた顔つきで見上げる。
(こいつ何者だ?)
 気狂いにしては、聡明な面付きの餓鬼で、百姓の子にはもったいないような気品だ。物腰をみると、侍に育てられたあとがある。刀こそさしていないが、左腰をさしだし斜めに歩くさまは、幼少のころよりしつけられたものに相違ない。いっぱしの修行もつけられているようだ。してみると、身ごなしにも並ならぬところがある。
「おとう、おれを忘れたか」
 童はせきあげるような声でいう。
 甚右衛門は、忘れるもなにもあるかと思った。こちらとて、その筋では、人斬りと恐れた身の上だ。いっそ怒鳴ってやろうとしたが、どうにも、童のようすが尋常ではない。だから、顔だけはそっぽに向け、おれはおぬしのおとうではない、とつい諭すような口調になった。
 童は唇をふるわせ、泣くようなそぶりだが、ぐっとこらえたらしく、「おとうだ」と叫ぶように云った。
「そういわれてもこまる。おれはおぬしなど知らぬのだ。よう見い、会うのは初めてのはずであろう」人がじろじろと集まったのが多少気になり、きぱりと云った。「おれはおぬしがおとうではない」
「そんなはずはない。おとう、けがはどうした? 天一坊はどこだ?」
 また苛小僧がこみ上げる。「おれは怪我などしておらぬ。てんいちぼうとかいう男もしらぬ」
「そんなばかなこと……」
「いやばかなことさ。お手前とて、知らぬものを知ったとはいえまい。おれとて同じではないか。もう勘弁せい」
 のんきなもので、他人は感心の声を上げたり、童に同情をよせたりしている。それがまた無闇に肚がたつ。行き過ぎようと身をひるがえすと、人垣は割れたが、童はまだ腕をつかんでいる。いかすまい、と、しがみついた。
「離せ、わっぱ」
 と甚右衛門が小僧の頭をひっつかむと、そばにいた大工らしいのが、
「ご浪人、そりゃあ殺生殺生というもんだ。その子の話ゃあもうすこし訊いたがいいや。見たところ、女にひでる面付きでも、やましいことのねえ風情でもない様子……」
「やかましいや」
 空いた手を刀にのばすと、町人どもも、殺気は察したものらしい。ずわずわと、人垣を下げていった。
「わらべえ、気いつけろい、その男に斬られちまうよお」
 近くで野菜でもつくっていたのか、鍬をかついだしょぼくれじじいが、つぶれたのどで云った。甚右衛門は、
「こんながきを斬るか。さあ、離せ離せ」
 と子の頭を突き、離そうとすると童はますます意固地になった。血の気がとまるほどの勢いで、腿をしめつけてくるのである。
(こやつあ、かなわねえ、がきやあ、とんでもねえぞ)
 ほんに気が狂っていやがるかと思ったが、町人相手に刀を抜きかける方もどうかしている。
「童、わかった」怒鳴りつけた。「あそこをみろ、茶店がある。話をきいてやるから離せ」
 と声を肚に突きこむと、童は不承不承といった様子で、足から手をはなした。力を入れすぎたか、ふるふると胸を奮わす。すると、さっきの軽薄大工が、「こりゃあ意外だ、あんた話せる男だねえ。おめえよかったな。よし、団子代はおれっちが出してやる。甘酒飲みな。ぼた餅もくいな」
 そんなことを云って、童の肩を抱いた。だから、甚右衛門は、かってにせいと二人をおき歩いた。



  二 


 甚右衛門らは茶店の長台に腰をおろして話をきいた。さきほど往来にいたのがまだ興味があるとみえ、大勢でまわりを取り巻いている。茶店は平屋づくりで、ちんまりしている。奥行きがある。あちこちから光を採り入れているから、中はわりに明るかった。
 縁台の下は畳みで、赤い縮がふわりとかかる。店名を染め抜かれた日除け笠が縦にかかり、主人もとんと風流だ。店はちまりとしているが、これだけ往来人がいればもうかるだろう。
 近くのけやきがざわざわと葉を揺らし、子供らの嬌声とまじった。
 甚右衛門が編み笠をとると、主人は手にとり脇においた。刀をはずすと、これも立てかけ、なかなか忙しい。手っ甲脚絆に羽織に紋服、しゃれたものを着込めかすと、この男も立派な武家で通った。こうしてすわっていると、上級の禄取りと言っても人は信じるものだ。
 大工男は、これも伊勢参りの旅だった。童をはさむように座って、のんべんだらりと甘酒をすすっている。童もだ。大きなぼた餅をとんとおいたところは、大工もなかなか稼ぎがらしい。
 大工は三次という名であった。
(洋介といったか)
 ちろりとみおろすと、童はじっと見上げていた。べつだんスリでもなさそうだが(こんな往来でこどものスリというのもふしぎだが)、
「おぬし、おれをおとうおとうというが、おれが名は知っているのか」
 と訊くと、
「知ってる。甚右衛門だ」
 と子は云った。
 合ってるのかね、三次がむこうから尋ねてくるから、甚右衛門はあっておるわとうなずいた。「しかし、坊。なぜおれを知っている」
「知ってるさ。いっしょに暮らしたじゃないか」
 わっぱは生意気に、甘酒椀を突くように置く。甘酒のしずくがぼた餅にちる。
 甚右衛門は、「ふふふ、これはお笑い草だわ。暮らすもなにも、おれはここまで長旅をつづけてきた。おぬしとのんべん日を暮らしたはずなどなかろうが」
「いや、いっしょに旅した」
「坊、ふざけるな」
「ふざけてなんぞ……」
 そこへ三次が、
「まあ待ちねえ」
 と声をかけた。いまにも腰を上げそうな軽薄さだ。わからねえねえ、坊はおたくを知ってるという。おたくは旅をして、坊はその旅の道連れ、そのはずが、おさむれえは、連れはおらぬと云い張る。見えねえ、見えねえ、どうにも話が見えねえね……
「おうさ、わけがわからぬのは、おれとて同じよ、坊」
「洋介だ。名ぐらいおぼえろ」
 ほんに生意気なくそがきだと肚がたつ。「なにを云うか」
「知ってるはずだ。知ってるじゃないか」と、坊云い張る。
「まったくばかげた話だ」
 そっぽうを向くと、人垣はいよいよ多い。女中は忙しげに盆をもって回る。まったくいい見せ物になっている。甚右衛門は、これは早く切り上げたが得策とみた。日の暮れぬうちに次の宿場には着きたい。
 手元の甘酒をみると、けやきの太い葉が椀の縁にかかるように舞い落ちる。
「三次よ。訊いての通りだ」と甚右衛門は、坊の頭蓋をこして、三次をみやった。「このわっぱあ少し頭がおかしいのではないかえ」
「しかし、おさむらい」三次は手をたてて、耳打ちしようとするが、洋介は間にいるので、しっかり声を聞いている。「ほんに身におぼえがねえので」
「ないとはいわぬが、言い分がちとおかしいとはおぬしとて思うだろう。いっしょに旅をしたとはとんとお笑い草よ」と云いすて、「坊、母御におれが名をきいて追ってきたというなら、まだ筋はとおるぞ」
 云い捨ててやると、洋介坊主はまだにらむ。
「母親なんていない。おとうが拾ったんじゃないか」
 甚右衛門は三次と顔を見合わせる。なにやらばからしくなった。人垣もわずかに散ったようだ。
 親父い、と店の主人に声をかけ、「この坊、あたりでみたことはないか」
「はて、ございませぬな。はじめてみる顔で」
 主人、ろくに顔も上げない。
 洋介が、「いいかげにしてくれ。こんなところに来たのは初めてだ」
「そいつあ、おかしい。おれと旅をしたのなら、ここは何度か通ったはずだ」
 二年ばかり前のことだが。本当である。
「そんなはずない。周斎じいがいれば、ちゃんと話してくれる。おとう気がちがったか」
「こんどは周斎か」
 初めて訊く名ばかりだ。
 頭痛がしそうで、頭に手をやり、茶碗をとって、甘酒をする。口をゆすいですっきりしたいような心地。
「それも知らないって?」
「知らぬ。てんなどという輩も知らぬ」
「天一坊だよ。なら、海老天丸も忘れたな」
「知らぬ。そんな男は」
「おさむれえ。芸人一座にいらしたので」
「ばかな、おれはこうみえても仇討ちの中途ぞ」
「嘘だ。仇なんていない」
「おるのだ。わっぱ無礼がすぎるぞ」
 洋介はぱっと立って、怒りに身をふるわせた。
「畜生いいかげんにしろ」
 童は甚右衛門の腹に頭突きをとばした。手にした甘酒が甲にかかる。相手は子どもとはいえ、不意をつかれて、腸がぶるりと震えたようだ。容赦なく蹴転がしてやると、坊主は倒れこんだまま、しょうこりもなく睨み上げた。
「お侍え、おやめなせえよ。まだ、ちびっこな坊主じゃねえか」
「坊主とはいえ、聞き分けのない」
 甚右衛門は甘酒の効もなく、にがにがしたものを口中にかんじながら、編み笠をとり、刀をとった。つっと立つと、坊はそばにきて、はかまをにぎった。
「なんのまねだ」
「離れんように」
「なんの用心だ。道連れはいらぬ。子もおらぬわ」
 ひっぺがそうと身をひねると、「おう、仇討ちのじゃまはいけねえね」おもしろがるような声があり哄笑がある。
(この上天気に、人も脳天気になるらしいわっ)
 甚右衛門は (これあ、ますます頭がいてえわさ)、と、ひとつ天を仰いでから、ぐわらりとわっぱを見下ろした。
「わっぱあ、その手をどけい」



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 その一 プロローグ 人斬り甚右衛門
  一   宝永四年(一七〇七年) 七月六日

  二

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