| (1)受傷する前 京都の大学を出てから、京都市内の公立中学校で理科を教えていました。3校の中学校で14年5ヶ月勤務し、3校目では数学も教えていました(これが、大変ラッキーでした)。 同じ学年で隣のクラスの担任の方が、星野富弘さんのカレンダーを教室に掛けてあったり、また別の方はフィアーナさん(頚損で画家、当時京都市に在住、現在はハワイに在住)の友人で彼女の話をよく聞かせていただいたのも、何かの巡り合わせだったのかもしれません。 (2)受傷して 趣味で10年以上ハンググライダーをしていたのですが、1996年8月30日、大会に参加しているとき、点を取ろうと無理をしてしまい、岩に頭から突っ込んでしまいました。意識はずっとあったのですが、頸椎5番を粉砕骨折し、身体は動かなくなっていました。 救急車で運ばれた長野県の諏訪中央病院で手術を受けそこに2ヶ月、枚方の星ヶ丘厚生年金病院に9ヶ月、兵庫県立リハビリテーションセンターの中央病院に3ヶ月お世話になりました。 これからの自分の生活がどうなるのか不安に思いつつも、復職されている教師の存在を知り、漠然と何とかなるだろうと考えてました。 (3)自立生活訓練課に入所して 1997年11月、兵庫県立リハビリテーションセンターの自立生活訓練課(重度身体障害者更生援護施設)に入所します。これが、大きな転機になりました。訓練課に学習指導部があり、そこの富永先生(元中学校・養護学校教師)が、復職を希望するなら今のうちに準備しておいて、教育委員会の人に復職可能と納得してもらえるようにしなければ、復職は簡単にはいかないだろうと指摘してくれました。手の麻痺のため、板書をどうするかが一番の問題でしたが、講演会や企業の説明会などで使われているプレゼンテーションソフトを用いれば、板書の代わりができるのではないかというアドバイスももらいました。 それまで、やや安易に考えていた自分を反省して、パソコンやプレゼンテーションソフトの研究を始めました。幸い、訓練課にはパソコンクラブがあり、同室の三戸呂さん(大阪頚損連絡会前会長)が部長をしておられたので、さっそく入部していろいろ教えてもらいました。 単なるスライド形式ではなく、文字が次々と出てきたり、図形が移動していったり、板書している感じが出せるものを探し、やっとパワーポイントというソフトにたどりつきました。さっそく試行錯誤を繰り返しながら、教材作りに取り組み始めました。中学校では理科と数学を教えていましたが、理科は実験があるためパソコンだけでは不十分になるので、数学で作ってみることにしました。 その取り組みの報告を、リハビリテーション研究大会で紹介したり、それが縁でNHKの記者とつながりができたりもしました。復職の準備のため、2000年5月に自立生活訓練課を退所するまで、いろいろな人との出会いがあり、様々な経験ができた2年半でした。 (4)復職願いの提出と教育委員会の対応 4年間の長期休業期間もあと2ヶ月となった6月28日、校長に復職願いと条件整備で復職可能という医師の診断書を提出しました。これを受けて、7月14日教育委員会の方が学校に来られ話し合いがもたれました。教育委員会側は本当に授業ができるのかを心配していましたが、本人の希望があるならば現場に復帰させることを前提に考えてくれていて、厳しい話になるだろうという僕の予想は幸いにも裏切られることになりました。 ラッキーだったのは、1階に使える教室があったことです。生徒の教室は2・3・4階なので、数学の授業は1階まで降りてきてもらうことになります。車いす用のトイレや、吹き抜けで屋根付きの駐車場もあり助かりました。また、教科については、理科と数学のうち、理科については実験ができないので十分な授業が行えないため、数学だけにしたいという希望もかなえてもらいました。 8月8日に、再び教育委員会の方が来られ、必要な設備(パソコン、プロジェクター、スクリーン、机、いす等)の検討をしました。総額100万円以上の設備を入れてくれることになったのです。後日、トイレもさらに使いやすいように改装もしてくれました。 予想以上の対応に、逆にいい加減なことはできないと、身の引き締まる思いでした。 (5)現場に戻って 9月、いよいよ仕事が始まりました。1ヶ月の準備期間をおいて、10月からは授業を行います。板書事項をあらかじめパソコンのプレゼンテーションソフトに入力しておき、授業では順番にスクリーン上に出していきます。その場での変更は大変なので、入力の時気を遣いますが、何とか授業は成立しました。図形に動きをつけたり、画像や音で視覚・聴覚に訴えたりと、黒板の板書以上に工夫することもできます。 授業時数は少ない方ですが、空き時間はほとんど授業の準備をしています。おかげで視力がガタッと落ちました。他にパソコンを使って学年会計の事務処理をしたり、生徒の活動をデジカメで写した写真の整理やビデオの編集などもしています。部活動も二人でですが一応放送部を担当してます。できることは何とかやるにしてますが、受傷前と同じようにはいかず、周りの先生方にだいぶ助けてもらっています。 (6)1日の生活 フルタイムで働いているので、勤務時間は他の職員と同じです。朝、6時起床、導尿・更衣・移動・食事・洗面をすませ、7時40分車に移動して通勤、8時25分までに職員室に入ります。 8時間勤務ですが、職場を出るのはだいたい6時頃です。 帰ってからは、7時頃に夕食をとり、テレビを見たり仕事の残りをしたりして、11時頃ベッドにあがります。排便のある日は、8時頃から始めて、続けて風呂にはいり(シャワー浴)ベッドにあがると12時頃になります。寝られるのは1時頃になるので、翌日仕事のある日は辛いですね。 |
