神様に背負われて 

Y.E.

2007年1月21日 

私が教会に通い始めたのは、今から34年前の高校1年生の頃でした。
入学したばかりの高校の親しい友人の熱心な誘いで、面白半分で教会の門をくぐりました。そこはSバプテスト教会、Kと言う初老の牧師が牧会をされていた教会で、幼児から大人まで 沢山の人たちで賑わっている教会でした。特に私のような中高生が多く何の違和感もなく中にとけ込む事ができました。
その頃教会では夏に九州は熊本で行われる「菊池渓谷サマーキャンプ」の準備が進められ、中高生を対象にいかにも楽しそうな一泊二日の聖書の勉強会の計画が実施されようとしていました。私は福岡県大川市という所に生まれ、そのようなキャンプなどは物珍しい程の田舎に住んでいましたので有頂天になるくらいの行事ではありました。まさに私の信仰生活はキャンプの誘惑から始まってしまいました。
今を振り返ればその高校生になったばかりの私を熱心に誘ってくれた友人の伝道こそが私の信仰の出発でありました。私は高校生の冬12月、K先生にバプテスマを授けられ、本格的な教会生活が始まりました。しかし神様が私を救って下さった本当の原点はどこにあったのか判らないままの信仰生活でした。
振り返って見れば幼い小学生の頃、私は体が弱く、多い年で年間の半分を休む程病弱で周りからも少し阻害されたような環境にあり、今で言う「いじめ」の対象になった事もしばしばありました。その「いじめ」の標的になった瞬間、何もわからないまま無我夢中で「神様助けて」と叫んでおりました。その時私を囲んでいた大勢の子供達は一斉に何も示し合わせることなく帰り始めたのを今でも鮮明に覚えています。まさにその時すでに神様の働きが私に始まっていたのです。
高校生活はすべて教会を中心とした生活でした、福岡の大学ではHバプテスト教会という佐賀のK先生の娘婿が牧会をされている教会でしたので、何の抵抗もなく信仰を続ける事が出来ました。しかし佐賀の教会と違っていたのは、礼拝出席者が10人程度15人もいたら多く感じるくらいの小さな教会でしたが、先生は聖書に忠実で、大学生の私に熱心に聖書を語ってくださいました。その博多教会は今では100人を超す教会となり、神様の御業を感じずにはいられません。
大学生活も、高校生活同様に博多教会中心の生活で、朝は早天祈祷会から始まり夜は牧師館での夕食で締めくくる毎日でしたので、もう教会が家族で体の一部となっていました。
大学卒業後、一度は教会関係の出版社「ヨルダン社」に就職が内定していましたが、近所に住んでおられた韓国人の「金さん」と言う熱心なクリスチャンでもあり現在の職場の上司でもあった方のお勧めで今の職場が与えられました。まさに教会生活をしていてこそのラッキーな出来事でした。後にその勧めてくださった「金さん」に聞いたのですが、会社をクリスチャンで一杯にするのが夢だったそうで、今は会社を退職され日本人の為の伝道活動をされているようです。その職場の関係で現在籍を置いています、長崎県の長崎バプテスト教会に通う事になりました。
私の本当の信仰生活はそこから始まっていきました、今まで学生時代を過ごした暖かい家族的教会、何の障害も問題もなく、教会にいる事自体が不思議に思わなくなっていた自分がそこにいましたが、社会に出て初めて家族としての教会生活ではなく大人として1人の個人としての教会生活が始まりました。長崎教会では聖歌隊や教会学校・執事の大役まで与えられ、信仰生活をきちんと送る必要を感じましたが、反面社会生活の中で神様を第一とせず、自分本位な考えや行動に走ってしまいがちになって行きました。今まで素直に神様を信じ、神様に守られてきた自分も本当の自分でしたが、神様を信じているにもかかわらず大きな罪を犯してしまっている自分もまた本当の自分でした。自分の犯した罪のために誰かが犠牲になっている事を思うと、やりきれない気持ちで一杯でした。
そうこうしているうちに、やがて名古屋に転勤が決まり 私の本当の自分、「放蕩」が始まりました。名古屋で長男と長女が生まれ、4年間を名古屋で過ごしましたが、教会に通うことはありませんでした。やがて転勤で古巣の博多に戻っていきましたが、やはり教会の門をたたくことはありませんでした。しかし4歳になった長男を幼稚園に入れる頃 昔学生時代にお世話になった博多教会の幼稚園を思い出し、教会付属幼稚園でなければ子供は預けられないと夫婦で思うようになり、福岡県春日市の春日原バプテスト教会の付属幼稚園に入園させる事が出来ました。その幼稚園は日曜日が登園日になっていましたので、毎日曜日の朝に送迎をしていましたが やがて10分程度かかる幼稚園への車での送迎が面倒になり、1時間あまりの幼稚園のカリキュラムが終わる間、教会の第一礼拝に出席するようになりました。それが夫婦そろっての久しぶりの礼拝でした。
そこの教会は第一礼拝と第二礼拝がありましたが、第一礼拝は幼稚園の父兄やキリスト教付属高校の生徒や第二礼拝奉仕者の為の礼拝でしたが、まさに神様が私達のために用意してくださった礼拝であった事は間違いありませんでした。その当時の牧師はM先生で、特に私の妻の為の礼拝とも取れるようなメッセージであった事は今でも思い出されます。「イエス様が私達と共に歩んで下さった足跡はイエス様と私の2人分であったが、やがてその足跡は一つになった。それは疲れた私を負ぶって下さったイエス様だけの足跡であった」。その事柄が二人の放蕩の人生に愛を注いでくださっているイエス様の具体的なメッセージでした。罪を犯した私に対し神様は大きな犠牲を払われている。その事が本当の救いであったと確信しています。私たちに子供が与えられ、その子供によって教会の道が又開かれました、そしてこの市川北教会を知る事が出来ました、この事こそ神様の計画でありました。今回転籍を希望するにあたり新たな気持ちで信仰を告白させていただきました。


       
    目次へ戻る       ホームページへ戻る