拝 啓

ものみの塔聖書冊子協会 日本支部代表者

織田正太郎殿

<第6信>

聖書の神様からの豊かな祝福をお祈りいたします。

 緑の美しいゴールデンウイークを迎えておりますが、織田さん、その後お変わりございませんか。
 私は、昨年、五通のお手紙を織田さん宛てに送らせていただきました中澤でございます。
 その五通のお手紙に対し、残念ながら、織田さんからは何のお返事もいただけませんでした。それで、これ以上織田さんにお手紙を差しあげるのは無駄なことだと思い、今後は控えようと決心しました。

 しかし、この度、私は、ある書物を出版しようと思い立ち、そのプロセスの中で、自分の学問的良心から、どうしてももう一度、織田さんにお手紙を出すべきだと思わされ、ここにお手紙をさせていただいております。これで、六信目のお手紙となります。お忙しい中、貴重なお時間を煩わせることになり、申し訳けございませんが、ぜひともお返事をいただきたく思います。よろしくお願いいたします。

 実は、私は、昨年夏頃より、「輸血」のことを調べ、その問題を仲間の研究会の中で発表してきました。そのテキストとして書きましたものが、同封の四冊の冊子でございます[注八]。
 このテキストを作成するにあたっては、多くの元エホバの証人の方々、ものみの塔を研究している研究者たち、数人の医師や薬剤師の方々にもご協力をいただきました。しかし、ものみの塔協会側からのご意見、反論などをお聞きする機会はありませんでした。エホバの証人の皆様にとっては、死活問題である「輸血」の問題に対し、ものみの塔側からのご意見を伺うことなく、このようなテキストを作成しましたことは片手落ちではないか、と私はずっと思わされ続けてきました。
 そのようなわけで、ものみの塔協会から、どなたかが研究会にお出でいただいて、協会の見解を講義していただくのが一番良いのではないかと、以前の織田さんへのお手紙にも書かせていただきました。しかし、私のそのような申し出に対しましても、織田さんからはお返事がなく、それも実現できず、残念でした。これからでも、そうしていただけないかと、期待しておりますが、これまでの織田さんの対応を見ておりますと、その実現はむずかしいのではないかと判断しております。
 しかし、私の調べたことに対して、ものみの塔側のご意見を伺いたいという気持ちは変わりません。そこで、最後の手段として、まとめましたテキストをお送りし、織田さんからのコメントをいただくことにしました。まもなくこのテキストをまとめて一冊の書物として発刊する予定ですが、一般の方々の目にふれる前に、ぜひ、織田さん、そして、ものみの塔の日本支部の方々、あるいは、医療機関連絡委員会の皆様に目を通していただきたく、お手紙させていただいている次第です。
 と申しますのは、このテキストを元にした書物は、エホバの証人にとっては、かなり厳しい内容になると思うからです。むろん、ものみの塔の出版物が、何の根拠もなくキリスト教世界を誹謗中傷しているトーンに比べれば、問題にもなりませんが、しかし、私は、不正確な情報に基づいた誹謗合戦を繰り広げたいとは思っておりません。ただ一つ、エホバの証人の皆様にも、聖書が「輸血」について教えている正しい知識と解釈を知っていただきたい、それだけの意図でございます。
 私は、このテキストを書きながら、次の『ものみの塔』誌の言葉に励まされ続けてきました。
 「偽りの宗教があるのではありませんか。別の宗教が間違ったものであると言い、またそのことを示すのは、宗教の迫害ではありません。知識のある人が特定の宗教の間違っていることを公けに暴露し、偽りの宗教と真の宗教との相違を他の人々に示すのは、宗教の迫害ではありません。しかし偽りの宗教の間違っていることを暴露し、また説くために、真の崇拝者は権威ある判断の手段、絶対に間違うことのない基準を持つことが必要です。偽りの宗教を公けに暴露するのは、報道の誤りを明らかにするよりも有益なことです。それは宗教の迫害ではなくて公共に対する奉仕であり、人々の永遠の生命と幸福に関連しています。それでもなお人々には選択の自由が与えられています。」
・(一九六四年三月十五日号、一七七頁)
 むろん、織田さんも、この文章に百パーセント賛成されることと思います。宗教の指導者にとって一番重要なことは、正しい教義を教える、ということです。私も、それ以外の意図はまったくありません。もし、ものみの塔が主張している「輸血」に対する聖書解釈が正しければ、私は、今、直ちに、その見解を自分のものとして採り、エホバの証人になるつもりでおります。そのような姿勢なくして、この種の問題を取り扱うことは許されないと思っております。
 私は、今日にまで、二十冊以上の書物を書いてまいりました。そのどの書物におきましても、できうる限り古い資料から、最新の情報に至るまでを集め、そのすべてを正確に伝えるよう努力してまいりました。しかし、ものみの塔について調べる場合、統治体の決定事項、その組織内の資料が公開されていないため、外部の者には確認できないことが多数ありました。組織から出版されている『エホバの証人−王国をふれ告げる人々』は、ものみの塔の歴史に関してさまざまなことにふれていますが、大切なことについては、何も述べられていないと言わなければなりません。そのようなわけで、この度、どうしても、織田さんのようなお立場にある方のご協力をお願いせざるをえないのです。ご面倒でも、このお手紙に応答してくださることは、組織の将来にとっても、日本にいる二十一万人のエホバの証人にとっても、「輸血」に関する聖書の理解がより明らかになることですから、必ずや益になると確信いたします。
 織田さんが、私の想像もできないような重責の中におられますことを百も承知の上で、失礼を顧みず、出させていただいておりますこの手紙に、ぜひお返事をください。よろしくお願いいたします。
 ところで、このテキスト作成にあたり、私としましては、できる限り多くの情報を集め、正確に、公平に評価して、記させていただいたつもりでおりますが、それにしても、私の理解不足や解釈によって、間違った陳述がありはしないかと、恐れるものでございます。それによって、ものみの塔協会やエホバの証人の方々を傷つけたり、ご迷惑をおかけするようなことがあってはいけないと思うからでございます。
 そこで、特に、以下の点に関しまして、ものみの塔のお立場から、ご批判、コメントをいただければと願っております。不正確なことや、間違っていることは、どんな小さなことでもご指摘くださり、その根拠をお示しください。その根拠をよく調べ、私が納得できるものでしたら、書物にする際には、訂正することをお約束いたします。もし、私が納得できない場合でも、何等かの形で、ものみの塔側の見解を併記させていただくことをお約束いたします。
(一)まず、一章(  〜   頁)では、医療の領域におきまして、これまでの協会の歴史の中で取り上げられたおかしな事柄をいくつか取り上げました。頁数の関係で、引用できなかった証言が他にも数多くありますが、問題の所在を知っていただくためには、十分だと考えております。一つ一つのテーマについて、出典を明らかにしていますので、問題はないと思いますが、ものみの塔のお立場から見て、不正確な引用や、解釈はあるでしょうか。コメントいただければ、と願っております。
(二)特に、一九三一年に「種痘」を禁止したことによって起こった問題、あるいは、種痘禁止の結果、証人たちが医師に「偽りの証明書」を書いてもらった出来事などについては(  頁)、歴史的に信頼できる書物を参照しました。また、種痘禁止を解除していくいきさつに関しても、同様です。この点、ものみの塔側では、どのように説明されておられるのか、その説明の根拠となる資料には、どのようなものがあるのか、ぜひお教えいただければ、と願っております。
(三)一九六九年の新聞に、ヘンシェル現会長の「臓器移植」に関するインタビューが掲載されておりました(  頁)。その際、同氏は、一九七五年に終りが来ることについて発言されておられます。その点に関し、同氏は、その後、新聞その他で、何等かの発言をしておられるでしょうか。普通、あのような発言をされ、それが実現しなかった場合は、何等かのコメントを出されるか、その発言の責任を負うべきだと思いますが、統治体の中でそのようなことが問題にならなかったか、お分かりにならないでしょうか。もう三十年近くも前の話となりますが、何かお分かりになれば、お教えください。
(四)協会の出版物を読む限り、協会は、輸血禁止のルーツを、創設者ラッセル、あるいは、二代目会長ラザフォードにまで遡らせようとしているように、私には思えます。私がそのように考える根拠は、お送りしたテキストにおいて論じております(  〜  頁)。私の判断は、一般常識的には、妥当なものであることを確信しておりますが、織田さんたちからご覧になれば、違ったご意見をおもちかも知れません。私の読み方にご賛成いただけるかどうか、ぜひ、お聞かせいただければと思います。むろん、織田さんが反論してくださり、そのご意見が正しいと私にも思えましたら、出版する書物においては、訂正いたします。
(五)協会からの出版物すべてを総合的に判断した場合、協会が「輸血禁止」を明確にした年は、「輸血を受けたら排斥処分にする」ことを明らかにした一九六一年である、との結論を私は出しました(  頁)。特に、一九五八年には、天的クラスの油注がれた人々が輸血をしても、主の記念式にあずかれましたので、その時点では、未だ「良心の問題」の範疇にあった、と考えました。私は、そのように判断したのですが、組織のお立場からは、私のこのような判断は妥当なものでしょうか。お教えいただければ感謝でございます。もし、私のように判断すべきでないとすれば、協会が「輸血禁止」を明確に打ち出した年は、何年にすべきでしょうか。
(六)私は、協会が、ノア氏の会長就任以降に、「輸血禁止」を打ち出した理由として、三つの点をあげました(  頁)。これらの理由は、いくつかの協会以外の文献をも参考にしました。それらの証言は確かなものであると確信しておりますが、確認しておりません。特に、長い間ものみの塔協会の弁護活動をしていたコビントン弁護士の証言について、現在のものみの塔協会の指導者たちは、どのようにお考えになっているのか、コメントをいただければ嬉しく思います。
(七)六十年代においては、血友病患者の治療を一度だけしか認めなかったものを、七五年六月の統治体会議で撤回したこと、その決定の通知の際に起こったトラブルや、その決定公表に至る経緯など(  頁)は、元統治体員レイモンド・フランズ氏の証言(『良心の危機』百六頁〜七頁、三百八頁〜三百九頁)によります。フランズ氏の情報が正確であることは、一般に広く承認されておりますが、フランズ氏は一九八一年に組織から離脱された方ですので、ものみの塔側のご意見をも、お聞きすべきではないかと思っております。この記述に、わずかでも不正確なところがございましたら、ご指摘いただければ、と思います。私も、再度調べ、正しい情報を掲載いたします。
 むろん、織田さんは、フランズ氏の書物を熟知しておられると思いますが、もし、おもちでないようでしたら、当該頁をコピーしてお送りさせていただきます。ご連絡ください。
(八)一九九五年八月一日号の『ものみの塔』誌から、私は、協会は、将来、いろいろな自己血輸血を認めるだろうと、推測いたしました(  頁)。多くのものみの塔の研究家たちもまた、そのように読んでおります。しかし、そのような読み方は、あくまでも推測ですので、織田さんたちのお立場からのコメントをいただくべきではないかと思っております。いかがでしょうか。
(九)第三章では、協会の「輸血」に関わりのある情報は(  頁〜  頁)、「輸血禁止」の教理を補完する目的で記した、という観点からまとめています。私自身は、それらの情報が、「輸血禁止」の教えを証人たちに強く教え込むために、意図的に流された間違った情報であると確信しておりますが、それに対するコメントもいただくべきではないか、と考えております。医学的な正確性については、数人の医師にチェックしていただきました。そのことを含め、協会の立場からの反論を期待しております。エホバの証人の中にも医療関係者はたくさんおられると思いますので、私の書いたもの、あるいは、私の見方がもし間違っているようでしたら、ご指摘ください。その根拠となる文献をご紹介いただければ、私もチェックし、もし、それが妥当だと確信しましたら、喜んで訂正させていただきます。
(十)聖書に出てくる血の頻度数を協会が問題にすることに対しての私の解釈(  頁〜  頁)は、正しいでしょうか。外部の者たちがもっている通常の感覚で言えば、私のように理解するのが一般的であると確信しておりますが、ものみの塔のリーダーの皆さんがどのように見ておられるかを知ることは、私にとって重要です。コメントいただければ感謝です。
(十一)「輸血禁止」の根拠としてあげられる創世記九章四節、レビ記十七章十-十四節、使徒十五章二十、二十九節の解釈について、私は、伝統的な一般的解釈と、ものみの塔協会側の理解の両方を公平に紹介したつもりです(   〜  頁)。前者に関しては、私も、四十年近く関わってきましたので、間違いないと確信できるのですが、ものみの塔側の記述において、どこかに未だ当っていない文献があるのではないか、と一抹の不安をもっております。もし、不十分な点がございましたら、協会にご迷惑をおかけすることになります。どんな些細な点でもご指摘ください。もし、不十分である点が一つでも見つかれば、喜んで訂正いたします。ご指摘くださる場合、その根拠になる文献をも合わせてご紹介ください。その文献を読ませていただき、もし、私の意見を変えるべきところが見つかりましたら、修正することをお約束いたします。
(十二)なお、細かなことですが、創世記九章四節の「動物の体を生きたままで食べてはいけない」というヘブル語本来の読み方について(   〜 頁)、コメントいただけないでしょうか。私が調べた限り、そのような読み方について反論どころか、言及している文献もないように思います。しかし、もしかしたら、単に私が見つけることが出来ないにすぎないのかも知れません。ございましたらお教えください。「輸血禁止」を主張するには、協会が、「生きた体」を食べるという一番一般的な解釈に反論する責任がどうしてもあると思いますので。
(十三)また、使徒十五章の「偶像に捧げられる肉」と、第Tコリント八〜十章に出てくる「偶像に捧げられる肉」との関係について、最新の協会の見解はどのようになっているのでしょうか。協会の見解がくるくる変わり続けていますので(   〜  頁)、私たちとしては、どの見解と対話すべきなのか、とても迷います。間違った議論を展開することは協会に対し、大変失礼なことになると思います。現在の解釈をお教えいただければ、感謝です。
(十四)使徒十五章二十節の「絞め殺されたもの」については、協会の文献は他の三つのようには言及していない、と私は断定しております(      〜  頁)。しかし、もしかしますと、私が見落しているだけかも知れません。言及されている文献がございましたらお教えください。
(十五)  〜  頁においては、これまで協会がふれてきました「輸血」に関する聖書箇所は、すべて取り扱ったつもりでおります。最近四十年間の出版物はすべて当ったつもりですが、それでも、洩れているものがあるかも知れません。もし、ございましたら、お許しくださり、忍耐をもってご指摘ください。ご指摘いただければ、書物を出版する際には、そのような聖句をも論じることをお約束いたします。
(十六) 〜  頁は、法的な問題を取り扱っています。多くの点で、私とは意見を異にされるかも知れませんが、私の主張を十分にご理解くださり、その上で、織田さんのご意見を伺わせていただければ、嬉しく思います。
 なお、この他にも、確認したいことが山ほどあります。しかし、あまりたくさんになっても、お手を煩わすだけになりかねません。私の方からは、この辺でやめておきますが、織田さんからご覧になられて、不本意な部分がございましたら、ぜひご指摘ください。誠意をもって対応させていただきます。
 書物を執筆する場合、完全に中立な立場で書くことは不可能です。それでも、すべての資料を、できる限り、正確に、公平に扱う責任があります。私としましては、書いたことのすべてに責任を取ります。どうぞ、遠慮なくおっしゃってください。
 なお、テキストを作成するにあたり、一九六〇年以前の協会出版物は、英語版を元にしなければなりませんでした。六十年以降の『ものみの塔』および『目覚めよ』の雑誌、あるいは出版物は、日本語訳が手元にあるのですが、それ以前のものはありません。以前、日本支部の図書の閲覧をお願いしたのですが、未だそのお返事をいただいておりません。改めてお願いですが、図書室を見せていただくことはできないでしょうか。組織の中でご検討ください。
 もし、それが不可能でしたら、必要な部分だけでも、コピーをお送りいただくことはできないでしょうか(むろん、その際、かかりました費用はお支払いさせていただきます)。もし、閲覧も、コピーも不可能でしたら、私が翻訳したものをチェックしていただけたら、と願っております。日本支部の図書館には、古い英語の文献は取り揃えてあると思いますので、その必要はないと思いますが、原文が必要であれば、ご連絡ください。コピーをお送りいたします。
 出版する予定の書物は、「輸血」に関心をもっておられる医療関係者、法曹界、エホバの証人をご家族にお持ちの方など、一人でも多くの方々に読んでいただきたいと願っております。よき書物ができあがるようにご協力ください。
 むろん、「輸血」に関する聖書の教えを広く知っていただきたいと一番願っているのは、間違いなくエホバの証人の方々であろうと推察します。私は、皆様とは、少々、意見を異にするかも知れませんが、人々に「輸血」の問題を注目させるという点では、私の書物も役立つのではないか、と自負しております。これをきっかけにものみの塔協会側も、私たちとともに共同研究をするとか、公開討論会をするなど、お考えいただけないでしょうか。私としましては、意見の違いがあっても、お互いの発言が尊重されるなら、どこにでも、いつでも、応じる用意があります。ご検討ください。
 織田さん、織田さんの立場はとても重要です。織田さんをはじめ日本支部の皆さんは、日本にいる二十一万人のエホバの証人の運命を左右する立場にあります。聖書の神は、いったいほんとうに「輸血」を禁じているのでしょうか。もし、聖書が「輸血禁止」をほんとうに教えているのであれば、私は、大変な立場になります。私は聖書に背き、人々を聖書の神から引き離していることになるからです。反対に、もし、聖書が「輸血」を禁じていないのであれば、織田さんたちが大変なことになります。神が望んでいない戒律を勝手につくり、多くの人々の生命を失わせているからです。これはいいかげんにしてもよいような問題ではありません。また、統治体にすべての責任を押し付けてすむ問題でもありません。日本支部の支部委員お一人お一人にも共同の責任があります。
 織田さん、私は、「輸血」に関して、自分が学んで確信していることを、自分の言葉で、自分の責任において、公表しました。これまで四十年間、仕えてきました聖書の神の前に、一点の曇りもない良心をもって、なすべきことを果たしました。織田さん、今度は、織田さんが応答してくださる番です。織田さんも、聖書の神を信じておられると思います。その神の前に正しく歩もうとされていると確信いたします。そう信じるからこそ、何度もお手紙を出させていただいております。
 個人的な生き方は別にしても、織田さんのお立場は、公人として、私の手紙にお返事くださる責任があると思います。もし、織田さんがお返事をくださらないのであれば、しかるべきお方をご紹介くださる責任がございます。この度は、ぜひ、ぜひ、お返事をくださるよう、心からお願いいたします。お返事、お待ちしております。
 五月末日まで、お返事をお待ちしています。もし、何等かの理由で、それ以上の時間が必要でしたら、いつ頃お返事をいただけるかお知らせください。ご連絡いただければ、できる限り、お返事をお待ちします。
 なお、毎回申し上げておりますが、ものみの塔協会は、大変大きな組織ですから、このようなお手紙は、本来、取り扱ってくださる担当者が別におられるのではないかと思います。私は、ものみの塔協会の組織や制度をよく存じ上げないため、今回も日本支部の代表者である織田正太郎氏宛てにお送りしております。従いまして、この手紙を担当者にお回しくださり、その方からお返事をいただければ、十分でございます。もし、直接連絡を取るべきであるなら、直接お手紙を差し上げます。担当者のご住所とお名前をお知らせください。

聖書の神様が豊かな祝福を注いでくださいますように。

一九九七年五月一日

中 澤 啓 介


 織田さん宛のお手紙に添付した小冊子は、以下のものです。お読みになりたい方は、新世界訳研究会に注文してください。

 [注一]「敬愛する長老へのお手紙」(二十頁、百円)
 [注二]「参考文献」(八十頁、三百円)
 [注三]「終わりの予言」(質問集九十二頁、資料集百八十五頁、両方で七百円)
 [注四]「イエスはどのような神か」(二十六頁、百円)
 [注五]「エホバの御名」(対話集六十八頁、資料集百二十五頁、両方で六百円)
 [注六]「聖書から『知識』を論じる」(一〜六巻)(各三十六頁、各百五十円)
 [注七]「イエスの到来、それとも臨在」(三十六頁、百五十円)
 [注八]「『輸血』は禁じられているのか」(三百頁、千五百円、八月出版予定)




          
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