「エホバの組織から救出されて」

−エホバの証人問題でお悩みの方々、証人・研究生の方々へ−


S.A.


 私が聖書を研究するきっかけとなったエホバの証人の方の訪問をうけたのは、今から3年余り前のことです。そのエホバの証人の方(後の私の司会者となる方)は、とても明るい印象があり、好感のもてる方でしたし、聖書からの情報を無料で提供しているとのことでしたので「ご苦労様。」と言って小冊子を受け取りました。その後、「小さなお子様がいる様子でしたので家族生活に役立つ情報を持ってきました。」と言って小冊子を下さったり、ある聖句をメモして渡してくれたり、何回か足を運んで下さいました。主人にセールスなどは一切断るように言われていた私は、困った困ったという思いはあったものの家族生活に関してなのでまあいいか……と思い、その都度受け取りました。ある時、その方がドーナッツを買ってきて下さいました。
その行為が意図的なものとはどうしても思えず、むしろ親切心からのものだと感じましたので、この時初めて家にあがって頂きました。そして、「聖書についてどう思われますか?」と質問され、私は、「『人は皆罪人なり』という聖句は、真実だと思う。」と答えました。「それでしたら、毎週1回聖書を学んでみませんか?」と誘われ、内心困ったもののどこかで聖書にひかれていましたので、聖書研究に応じました。

 その頃、私は愛する夫と2人の子供に恵まれ、私の望んでいた暖かい家庭をもっていたにもかかわらず、何かが欠けているような空しさを感じていました。また、自分自身を変えたい、良い母親・良い妻・良い隣人になるにはどうしたらいいのだろうと考えていましたので、聖書から何か得られればいいなあという気持ちで研究をしていました。

 主人には、司会者の方が書いてくれた聖句や小冊子を見せたところ、「今度来たら、断わるように。」と話し合う余地もないほど、がんとした態度でしたので聖書研究のことは言えませんでした。司会者の方には、主人の考えや態度を伝えておきました。

 研究は、家族生活の本から知識の本へと移っていきました。この頃には、長老の奥様も一緒に参加して下さるようになりました。司会者の方がまだ独身で若かったこともあり、長老の奥様が参加して下さるようになったことは、私にとって聖書研究の内容がより濃いものになっていきました。知識の本の最初には、聖書は神の霊感を受けたもので「神の言葉」であることが、理論的に書かれています。聖書は16世紀もの期間にわたり、さまざまな背景を持つ40人ほどの寄稿者によって書き記され、それにもかかわらず、完成した聖書は巻頭から巻末に至るまで調和していること、人間の特性に関してあらゆる世代の人間に当てはまる鋭い理解が示されていること、科学的に見ても正確であること、預言が成就していること、聖書の頒布数の多さなどあらゆる面から聖書の信頼性を証明していました。アダムとエバの話も真実であり、ノアの箱船の話も真実であるというのです。

 私は、学校で進化論を教えられていましたし信じていましたから、創造論は受け入れがたいものでした。神の存在も信じていませんでした。私の興味は、実際的な知恵から次第に神へと移っていきました。本当に神が存在するのか?存在するのなら、なぜ苦しみを許しておられるのか?なぜ聖書をお与えになったのか?なぜ人間を創造したのか?私達は、これからどうなっていくのか?多くの疑問が次々にあふれだしてきました。
 その疑問の1つ1つにエホバの証人の方は、辛抱強く付き合って下さいました。そして、エホバの証人の明解な答えに驚かされ、ますます聖書にひかれていきました。知識の本を読んだ時の最初の印象は、教えこまれているような感じがするということでした。この気持ちを研究の時に話したところ、「エホバの証人は誰も個人的に得する人がいないんです。」と言われ、一応納得しました。

 研究が1年を過ぎた頃、「そろそろご主人に話した方が良いのでは?」と長老の奥様に言われました。私は、「神を確信するまでは、いやだ。負けてしまうから。」と答えましたが、第二子の長女も2歳になる頃で簡単な話ができましたので彼女から主人に知られてしまうよりは、自分から話したいと思い、主人に手紙を書くことにしました。その手紙には、1年前からエホバの証人と聖書研究をしていること、聖書に何が書いてあるのか知りたいこと、神がいるのかいないのか知りたいこと、エホバの証人の集会に行ってみたいこと、エホバの証人が間違っていたら止めることなどを書きました。

 手紙を渡した日の夜、主人と話をしました。主人の反応は、想像していた通りのものでした。「絶対にだめだ!」と頭から反対されました。私は、主人に私の気持ちをわかってもらおうと努めましたが、頭からエホバの証人は間違っているという思いがあり、私の気持ちを理解しようという余裕は主人にはありませんでした。
 主人は、エホバの証人と会いたいので連絡しておくように私に命じましたが、相手の方に迷惑をかけたくなかったので、「私自身が聖書研究をしたいのであって決して強いられてしているのではない。エホバの証人の方にも都合があるのだから。」と電話するのを断わりましたが、無理でした。私は、主人の自分の考えに合わないものは受け入れないそのかたくなな態度がいやでした。
 結局、長老ご夫妻が家に来て下さり、4人で話し合いが行なわれました。
長老夫人は、「奥様は、本当のことが知りたいだけなのではないですか?今の奥様は、エホバの証人になろうとは全く思っていません。ご主人の考えに合わないものを一切奥様ができないのであれば、奥様は奴隷のようなものではありませんか?」と言って下さいました。その日は、長老ご夫妻に他の用事があったため、日をあらためて来て下さることになりました。主人は、短い時間の中でエホバの証人に関していろいろと調べ、次の話し合いの時にはいくつかの疑問を長老ご夫妻になげかけていました。私は、この話し合いを中立的な立場で聴いていました。それから、長老ご夫妻は週に1度来て下さるようになり、何とか聖書研究という形にもっていこうと試みて下さいましたが、主人の方から一方的に打ち切ってしまいました。

 その後、主人から教会に行ってみようと誘われ、近くの教会に行ってみました。この時、新共同訳の聖書を購入しました。私は、エホバの証人にひかれてはいたものの絶対的に信頼をよせていたわけではなかったので他の聖書も読み比べてみたかったのです。そして、この教会の牧師にいくつか質問してみました。進化論について、啓示の書の解釈について、偶像礼拝についてなど。その答えは、すべて納得のいくものではありませんでした。私は、その答えを聴いて、とても聖書を信じているとは思えませんでした。

 また、主人は、いくつかのエホバの証人に関する本も読んでほしいと持って来たので読んでみることにしました。そこには、預言が何度もはずれていること、禁止事項(臓器移植・ワクチン療法など)がたびたび変わること、伝道のノルマが課せられることなどが書かれていました。この事実を知った時、エホバの証人は間違っているんだと思い、主人にその気持ちを話しました。
 ただ、どうしても司会者の方にそのことを知らせたいからもう一度会わせてほしいと頼みました。主人は心配していましたが、私一人で会うことを承諾してくれました。そして、司会者の方と長老の奥様と会い、エホバの証人の間違いに気づいたので聖書研究は止めると告げました。しかし、「人間は不完全です。1世紀の会衆内でも問題は起きていました。新しい光が少しずつさしてくるので、分かった時に修正が加えられるのです。1人だけで調べて何が分かりますか?1つの経路を通してでなければ分かりません。」と言われ、もう一度研究してみようと思い直しました。
 主人から1年研究していたのなら1年エホバの証人と離れて聖書を調べてみようと提案され、いやいや承諾した時、何かが離れていってしまったような空しさを感じた時があり、そのことも研究を再開する動機になりました。研究を再開し始めた頃、主人が急に帰って来た時があり、その時も長老の奥様が主人に分かってもらえるよう努力して下さいました。この後、主人が家で聖書研究をすることを認めてくれ、一応落ち着きました。私の気持ちが固かったので、主人にしてみれば、認めるより他になかったのでしょう。

 また、その頃、カトリックのローマ法王が進化論を認める発言をしたとテレビや新聞で報道されました。さらに、NHK教育テレビの宗教番組を見ていたところ、出演していた牧師がイエス・キリストが行なった奇蹟に関して信じられないという発言をしたことがあり、それを聞いた私は、やはり聖書を心から信じていないんだと思いました。そんなことも重なり、エホバの証人に対する信頼が強くなっていきました。

 数カ月が過ぎ、長老の奥様から集会に来るよう誘われ、行くことを決意しました。初めて集会に行った日は、想像以上に大変でした。特に、主人と私の間にはさまった子供たちにつらい思いをさせてしまいました。長男は、私が泣いていましたので、心配になったのでしょう。私と一緒に行くと言い、ついて来てくれました。
 結局、その日の集会には、間に合いませんでしたが、帰り仕度をしている何人かの人に会うことができました。その方たちの表情を見て感じたことは、皆自分から進んで集会に来ているんだということでした。幸い司会者の方と長老ご夫妻と会うことができ、昼食にも招いて下さいました。食事を共にした方々は、とても明るく私一人がめそめそしていて恥ずかしく思いました。この日、エホバの証人は、本当に神が用いている組織なのではないだろうかと思いました。その日から、毎週日曜日には集会に通うようになりました。私は、必死でした。私の気持ちは、家族と一緒にいたいということでしたが、それと同時に、神を知りたいという思いも強いものでした。

 この頃から主人は、離婚という言葉を口にし始めました。私は、離婚を覚悟しましたが、どうしても子供とは離れたくありませんでした。

 祝い事に関しては、集会に通い始めた頃から祝わなくなりましたが、子供たちに禁じることはしませんでした。ただ、私が一緒に祝ってあげられないことをとてもかわいそうに思い、つらく感じました。「子供たちには、絶対教えてはいけない。」と主人から言われていましたが、次第に神について教えていかなければいけないのではないだろうか?と考えるようになり、司会者の方に相談したところ、「頭の権が問題になってきます。女の頭は男であり、男の頭は、キリストです。」と言われ、私は、女の頭は男ならば主人に従えばいいのだと思い、「そろそろ、子供たちに聖書物語の本(子供向けのものみの塔出版物)を読もうと思っていたけれど止めた方がいいですね。」と答えました。すると、「いいえ。読んであげて下さい。男よりキリストの方が上なのです。」と言われました。
 その次の日から、聖書物語の本を読み聞かせ始めました。夜の集会には、子供たちがまだ小さいためなかなか行く気にはなれませんでしたが、長老の奥様に誘われると神に言われているような気がし、行き始めることにしました。最初、不安げな子供たちも回を重ねていくうちに慣れてきたようでした。逆に私が夜遅くに子供たちを連れて来ることが、つらく沈んでいましたので、司会者の方から指摘されました。主人には、やはり話した方が良いと思い、夜の集会のことを話しました。主人はその週から夜の集会のある日には、早く帰ってくるようになり、集会へは私一人で行くことになりました。私は、内心ほっとしていました。

 とうとう、離婚調停の通知を受け取りました。私は、心から神に祈り、神に身を委ねました。調度、巡回監督が会衆を訪問していましたので、相談することになりました。夜の集会の後、巡回監督と長老、司会者、そして私の4人で話し合いがもたれました。巡回監督は、「ご主人を刺激するようなことをしていませんでしたか?ご主人とよく話し合って下さい。お子さんはあなただけのものではありません。夫に服せばいいのです。夫に服すことは、キリストに服すことになりますから。」と司会者の方や長老ご夫妻とは全く反対のアドバイスがされました。私は、感謝せずにはいられませんでした。

 「集会が終わった後、早く帰っていますか?今日も早く帰った方がいい。後は、私たちで話し合いますから。」と言って下さいました。私は、すぐに家に戻り、そのことを主人に話して子供たちに関しては主人に従い、本を読んだり集会に連れて行ったりしないことを約束しました。ただ、日曜日の集会には行かせてほしいと頼み、了解してもらいました。私は、司会者の方が謝りに来てくれるものと思っていましたが、一言も謝りの言葉はありませんでした。
 次の日、留守電に司会者の方から巡回監督ともう一度話す時間を作ったので来るよう指示があり、指定場所に行きました。私は、てっきり司会者の方もみえていると思っていましたが、来ませんでした。話し合いは、2人で行なわれました。主人が日曜日の集会だけ行くことを認めてくれたことを話すと、「良かったですね。」とおっしゃいました。ただ、私が司会者の方や長老ご夫妻から一言も謝りの言葉もないことを告げた時、「あの方たちは、あなたのためにしてくれたのではないですか?」と非難されたので私は、「それは、分かっています。でも、集会で毎週のように神への従順を教わり、『神が集会に来なさい。』と言っている。と言われれば、行かざるをえません。」と答えました。巡回監督は、「許してあげて下さい。」と、自分たちの非を認めてくれました。それから、家族生活の本からアドバイスをうけ、帰りました。
 この出来事があってから次の集会に出席した時、司会者の方から一方的に聖書研究をしばらく中断すると告げられました。私は、納得がいきませんでしたが、かえって個人研究の時間がもてるのでいいやと割り切ることにしました。
 それから、救出されるまでの1年間、日曜日の集会と個人研究を続け、まず私自身が変わるよう努力しました。また、神に「主人もあなたを知り、家族で神と共に歩めますように。」と祈っていました。

 主人が保護・救出という計画をたてていたことは、全く気がつきませんでした。2泊3日の旅行ということで何の疑いもなく救出場所に向かいました。主人に初めてこのことを知らされた時、あきれてしまいました。私は、誰が来ても話し合いに応じることにしていましたので、こんな大掛かりなことをしなくてもいいのにとあきれてしまったのです。子供たちも知らされておらず、海に行くのを楽しみにしていましたので、せめて子供たちと2泊した後でも良かったのにとがっかりしました。

 私は、ことの重大さにまだ気づいていませんでした。2泊3日で帰るつもりだった私は、ある仕事を引き受けていたり、友達との約束もあったので、3日たったら帰る、話しは家で聴くと言いはりました。監禁という形もいやでしたし、何よりも義父母や義兄夫婦に迷惑をかけてしまうことがいやでした。
 その日の夜、初めてC牧師を紹介され、本格的な話し合いは、次の日から行なわれました。2日目の話し合いで、エホバの証人の間違いに気がつきましたが、あれほど明解な解釈をしてくれるところが他にあるのだろうか?今度はどこに集まり合ったらいいんだろうか?と考え、その日は、間違いを認めることができませんでした。しかし、聖書の改ざんの事実を知った以上、間違いを認めざるをえませんでした。3日目の朝、C牧師に「わかりましたね。」と聴かれ、「はい。」と答えました。C牧師は、「今は、三位一体の神を信じろと言っているのではない。ただ、組織ではなく、聖書に帰ればいい。」と言って下さいました。私は、もともと聖書にひかれていましたので、真の聖書に戻ることができました。

 救出場所から家に戻るとすぐに長老と連絡をとり、聖書の改ざんの事実を伝えようと試みましたが、無理でした。私たちが提示したギリシャ語聖書王国行間逐語訳(ものみの塔出版物)は、現在見てはいけないことになっているとのことでした。自分たちの出版物さえ制限を加えるのは、どう考えてもおかしいことだと指摘しても組織を信じきっている長老の意志はかたく、目を通すことはありませんでした。長老の奥様は、外出中で会うことができず、とても残念に思いました。しかし、時ではなかったのだと考え、神がいつか良い機会を与えて下さることを願っています。

 この3年間の経験は、私にとっても主人にとっても決して無駄な時間ではなく、むしろお互いのことや家族のことを真剣に考える機会になりました。

 現在は、主人がお世話になっていた藤原牧師の教会へ家族そろって通わせて頂いております。神が私の祈りを聞いて下さり、すべてのことを益に変えて下さったことに感謝しています。また、ここまで来れたのは、主人の深い愛と皆様のご協力の賜物であると心から感謝しています。特に、救出にあたって下さったC牧師、救出場所で共に過ごして下さった義父、子供たちの面倒をみていてくれた義母そして義兄夫婦、主人がお世話になり、救出場所にも来て下さった藤原牧師、元エホバの証人の方々、私のために祈っていて下さつた多くの方々にお礼を述べさせて頂きたいと思います。本当に、ありがとうございました。そして、何よりもここまでしてくれた主人に感謝したいと思います。

最後に救出の時、私がエホバの証人の間違いを確信した点を記します。

(1)新世界訳から

 @ヨブ記1:4の自分の日というのは、ヨブ記3:1−3から分かるように誕生日のことであること、そして、誕生日を祝っていたこと。


(2)ギリシャ語聖書王国行間逐語訳から

 @ヨハネ20:28でトマスが「わたしの主、そしてわたしの神!」とイエス・キリストに言った箇所がある。この神という言葉には、定冠詞がついているので、神ご自身の意味で言ったことがわかる。エホバの証人は、主イエスの神性を否定する。それをして喜ぶのは、サタンだと直感した。

 Aヨハネ20:25「その手にくぎの跡を見、わたしの指をくぎの跡に差し入れ」の釘は、複数形になっている。杭ならば、釘は1本で足りるので単数形の筈である。

 
(エホバの証人また研究生の方々へ)

 
 私は、いつもこの聖句を心にとめていました。テサロニケ第一5:21の「すべてのことを確かめなさい。」という聖句です。これは、神が私たちにお求めになっていることです。どうか、勇気をだして、すべてを確かめて下さいますように。私にできることがあったら、喜んでお手伝い致します。
 

(エホバの証人の件で悩んでいる方々へ)
 

 どうか、なぜエホバの証人にひかれるのか理解してあげて下さい。エホバの証人の方々は皆真剣です。同じような真剣さと愛が必要だと思います。私にできることがあったら、喜んでお手伝い致します。




          
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