エホバの証人伝道のための
「ガイドブック」
(大野キリスト教会 背 山 藤 枝)
目 次
序
T.エホバの証人とは
その歴史と信仰
その特質5
そのキリスト教観
独自の専門用語
独自の出版物
よく使う原語
U.教理とその問題点
教理概観
おもな教理の解説
新世界訳聖書の問題点
三位一体の証明
終末論
世界観
魂
神のみ名
V.エホバの証人への伝道
エホバの証人に対して
研究生に対して
元エホバの証人に対して
教会に求められる対応
あとがき
参考資料
関係者リスト
序
〜実態にふれて〜
私のエホバの証人との関わりは、こんなきっかけではじまりました。
今から三年前、厚木市で、エホバの証人伝道の専門家、西舞子バプテスト教会の草刈定雄師の「異端セミナー」が行なわれました。私はそのセミナーに出席して、はじめてエホバの証人の実体を知りました。
そのセミナーで、クリスチャンが宣教の種蒔をして、エホバの証人が刈り取っている、ということを聞いたときは驚きました。トラクトや福音放送でキリスト教に心を開いていたところに、エホバの証人が訪問してきて、家庭聖書研究をはじめ、エホバの証人になっていく、という人が、1/3から半分くらいもいるというのです。
実際、羽鳥先生の福音放送を聞いて、それがきっかけでエホバの証人になったという人さえいました。
〜教会は何をしてきたか〜
参加者の一人で、エホバの証人の家族の方と話し合ったことも衝撃的でした。その方はこんなことを言われました。
「あなた方クリスチャンは、エホバの証人を玄関払いにして、彼らの信仰を強めているんですよ。エホバの証人は、クリスチャンは聖書を知らないと思っていますから、自分たちの知識に勝てないから逃げたと思うのです。私の家内は『やっぱり私達の正しさにはかなわないのね。』と、いつも言っていますよ。」
「あちらは反キリスト教の強烈な理論武装をしているのに、教会はのんきで、エホバの証人のことを何も知らないし、なんの防備もしていないんです。」
「教会はエホバの証人に無関心で、冷淡で、私たち家族が助けを求めて教会に行っても、関心ももってくれないし、何の助けもしてくれませんでした。」
「教会は何をしているのでしょう。自分のことしか考えていないように見えますよ。」
私は絶句して、ひとことも、何も、言えませんでした。その方がノンクリスチャンでしたので、衝撃はいっそう大きかったのです。
〜平さんとの出会い〜
私にとって決定的な出会いが、それからまもなく訪れました。
セミナーから帰ってしばらく後のある日、エホバの証人の方が私の家を訪問して来たのです。信仰歴13年、正規開拓者の平洋子さんでした。私は、さっそく彼女と対話をはじめました。一回に5〜6時間もの話し合いを毎週続けて、平さんはついに、エホバの証人の間違いに気づかれたのです。1994年12月20日、対話をはじめてちょうど1年半、エホバの証人としての洗礼を受けられて14年目の受洗日のことでした。
「これを、どうやってみんなに伝えようかと思って・・・・。」
これが、目に涙を浮かべて言われた、平さんの第一声でした。私にとっても忘れることのできない感動の一瞬でした。
〜信仰告白に導かれて〜
即刻、彼女は資料のコピーを作って、エホバの証人の親しい友人に伝えました。そして、その人も間違いに気づかれました。
それから一か月間、二人で毎日のように教会に来て、朝から晩まで様々な資料を調べたり、コピーをとったりして、仲間のエホバの証人に真実を伝える準備をしました。
資料を配ると、長老に通報され、長老から、破棄するようにと全会衆に通達がいくことはわかっています。ですから、できるだけ多くの人に読んでもらえるように、安全そうな人から順番に、まさに分単位の配布計画を作りました。
しかし、平さんには、エホバの証人の妹さんがいて、どうしても先に妹さんに伝えたかったのです。それで、決行の前日、千葉県の妹さんに伝えに行かれました。結局、その妹さんから長老に通報されてしまって、全ての配布計画は水泡に帰しました。当日、8時前には会衆内に、そして、午前中のうちに遠く仙台の友人にまでも、平さんと関わらないようにとの通達が回っていたのです。しかたなく、すでに準備をしていた断絶届けを長老に提出して、二人は脱会したのです。
その後、お二人は信仰の告白に導かれ、昨年のイースターに大野キリスト教会で受洗をされました。
〜エホバの証人伝道への導き〜
この経験が土台となって、私の、エホバの証人研究生伝道への道が開かれていきました。この冊子は、その経験の中から生まれたものです。
エホバの証人伝道は多方面からの取り組みが必要ですが、この冊子は、自分の経験の中から、現場での対応に焦点をあてたものです。
小さな経験ではありますが、エホバの証人へのあかしや、元エホバの証人のフォロアップ、研究生への伝道のお役に立てていただければと願っています。
エホバの証人の歴史や全体像などは、この冊子では最小限にとどめています。詳しいことは、それだけを扱った他の書物にゆだねていますので、実際に対話や伝道をされる方は、巻末の参考文献等で全体的なことを学んでいただきたいと思います。
思えば、私のエホバの証人との関わりはゼロからのスタートでした。
先輩の先生方の専門書を学びながら平さんと関わりました。そして、平さんの最終的な導びきは、草刈師にしていただきました。草刈師は過密スケジュールの中、4日の日程をとってくださいました。そこに同席させていただいたことが、後の研究生伝道に大きな役割を果たすことになりました。
貴重な導きをしていただいた草刈定雄師はじめ、学びの資料を提供してくださった、真理のみことば研究会のウィリアム・ウッド師、大野キリスト教会の中沢啓介牧師に深く感謝いたします。
T.エホバの証人とは
エホバの証人は、きちんとした服装で、毎日毎日、戸別訪問に励んでいます。また、少し話し合ってみると、聖書をよく知っているように見えます。ところが、よく話し合ってみると、私たちの信仰や聖書理解とはまるでかみあいません。いくら話し合っても平行線で、話合いは徒労に終ってしまいます。
いったいエホバの証人とはどういう人々なのでしょうか。
その歴史と信仰
創設者ラッセル
エホバの証人は、今から約120年前に、米国人チャールズ・T・ラッセルがはじめたキリスト教の異端宗教で、正式団体名は「ものみの塔聖書冊子協会」といいます。
ラッセルは、1852年、ペンシルバニア州に生まれました。両親は、長老派の信者で、彼も熱心に聖書を学んだといわれています。しかし、選びの神学や、地獄の教理に疑問を覚えて、彼は教会を離れました。
その後、セブンスデー・アドベンチストの影響を受けて、自分の聖書研究グループを形成しました。また、セブンスデーの終末論の影響で、1914年にハルマゲドンが来ると予言し、文書による活発な宣教活動をしました。
1914年には、第一次世界大戦が始まりましたが、もちろん、ハルマゲドンは来ませんでした。彼はその2年後の1916年に失意の中に亡くなりました。
統治体のはじまり
後継者は、二代会長のジョセフ・ラザフーォド、三代会長のネイサン・ノア、四代会長のフレデリック・フランズ、そして、現会長はミルトン・ヘンシェルです。 二代会長までは、一人の会長が組織を支配していましたが、三代会長のノアのときから、統治体による複数統治がはじまりました。
ラッセルは、最初から、聖書の解釈権を自分がもっていると主張しました。また、彼は、自分がマタイの福音書24章44〜51節の「忠実な思慮深い僕」だと言わせました。それらは、統治体に受け継がれて、この団体の体質となっています。
初期のラッセルの聖書解釈には、荒唐無稽ともいえるおかしな解釈がたくさんあって、二代会長は就任早々、教理を大幅に変更します。以後、代々の会長が変る毎に、教理は大きく変っています。特に、終末の問題では、成就しない予言を何度となく言い替えています。
イエスは1914年に天に臨在して、その後、地上の全ての教会を調べた。その結果、1919年にエホバの証人だけが正しいと是認され、統治体は「時に応じて霊の食物を与える、忠実な思慮深い僕」として是認されたと称しています。
その特質
[異なる福音]
エホバの証人は、よくできた偽札のようです。というのは、キリスト教と似てい るように見えていて、実は全くちがう宗教なのです。まず第一に教理が間違ってい ます。聖書の約束を否定して、別の教理を構成しています。次に、聖書をその教理 に合わせて書き換えています。つまり、ガラテヤ書1章7〜9節に言う「異なる福音」 そのもの、異端です。体質としては、歴史上に現われた二つの宗教に似ています。 まず、唯一の神と聖書の権威を認めながら、キリストを神として受け入れないとい う点で、信仰の本質においては、現代版ユダヤ教のようです。次に、聖書の解釈権 をトップの指導層がもっているという点で、システムとしては中世のカトリックに 似ています。上意下達の厳重なヒエラルキー(階級制度)がある点も似ています。
[マインドコントロール]
暴力的な意識変革の洗脳に対して、情報統制などソフトな方法で行なう意識変革 をマインドコントロールと呼んでいます。それも、あらかじめ意味がわかっていれ ば、なりたいとは思わない自分になっていく場合に限定して使います。
その特質は、リーダーの権威の絶対化、教理絶対、情報統制、正義と悪の絶対化 (自分たちが正義、外の世界は悪−サタン)、ラブシャワー(新来の人に愛を雨のよ うに浴びせかける)などです。その結果、外の世界と精神的に断絶し、リーダーの 指示を絶対化して、自分で物事を判断できなくなった状態です。
エホバの証人にとって、統治体以外の情報はサタンです。彼らは、統治体以外の 文書、特に宗教文書は読んではいけないのです。聖書の解釈はもちろん、生活上の こまかいこと、例えば髪の長さで、耳を出していいかどうかということまで、統治 体からの指示があります。ものみの塔誌には、よく、「〇〇をしてもいいかどうか」 という質問と答えが掲載されています。その結果、自分で選んだと思っていること も、実は、統治体の勧め以外に選択肢がないという状況の中での選択なのす。
このように、エホバの証人の信仰は、厳しい情報統制の下につくられた、虚像ともいうべきものです。ですから、いったん間違いに気づくと、どんなに長い信仰の人でも、急激にその信仰を捨ててしまうのです。
[聖書の解釈権]
聖書の解釈権は最高指導者層である「統治体」がもっていて、統治体は「聖書を正しく解釈することのできる、神の唯一の経路」です。信者は統治体の解釈をそのまま信じるようにと教育されています。統治体の解釈や判断に対して、批判能力を全くもたないことが、この団体の大きな特徴です。信者は「聖書だけを読むと暗黒に導かれる」(『ものみの塔』誌1910年9月15日号P298-299)。また、「自分たちだ けで聖書だけを学ぶならキリスト教の教理にもどる」(『ものみの塔』誌1981年12月15日号P25)と言われています。ですから、エホバの証人は聖書を自分で解釈することができません。自分の考えをもつことは「独立的な考え」、疑問は「霊性が低い」として退けられます。個人の見解や疑問をもつことは、それ自体が高慢、または不信仰なのです。
この団体は、伝統的に、終末予言をはじめとした聖書解釈をしばしば変更してきました。その場合、次の二つの理論を組み合わせて、言い替えを正当化しています。 まず、ヨットが風上に進むとき、ジグザグコースをとりながら目的地に進む、タッキングという操縦法の適用です。次に、箴言4:18「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。」を統治体の聖書理解に適用して、これを「漸進的啓示」だと称します。
そのため、信者は統治体がどんな変更をしても、タッキングの範囲で受け入れ、その上、統治体はますます真理に近づいていると思ってしまうのです。
[教理絶対主義]
組織は、完結した教理体系をもっています。つまり、全ての教理や主張が一巡してつながっていて、どんなことでも聖書に基づいて説明できるようになっています。
教理は、キリスト教教理に相当する項目からなっていますが、同じことばを使っていても意味は全く違います。それは、勝手な聖書解釈と聖書の意図的な誤訳や加筆によって、聖書の内容を歪めたものです。教理の説明には、キリスト教の神学書を多用していますが、文脈を無視し、文章の一部だけを取り出して、エホバの証人の教理の証明になるように、本来の意味を曲げて使っています。
教理が絶対で、個人の生活や感情などの現実は教理にあわせるようになっています。信者は、研究の初期から教理の本を学び、さらに、伝道の場では自分の口で反復していて、教理に強い体質を身につけています。しかし、教理の根拠となっている聖句以外の箇所は、ほとんど知りません。
[行為義認・現代のパリサイ人]
救いの可能性は、行為にかかっていますので行ないを強調します。服装、ことば使い、病気の時などの相互扶助などが徹底しています。サタンの支配する外の世界 に対して、内なるユートピアを築いているわけです。しかし、いったん信仰から離 れると、その信頼は見事に裏切られて、手の平をかえしたような扱いを受けます。
また、この世はサタンの支配下にあって堕落しており、エホバの証人は清いと教えられています。その教えと、行いの努力の結果、自分は正しく清いと、強く自覚しています。その姿は、聖書の中のパリサイ人そっくりです。エホバの証人からクリスチャンになられた方は、両者の一番大きい違いとして、罪の自覚をあげられます。深い悔い改めを伴って、自分たちはパリサイ人であったと告白されるのです。
[伝道者]
エホバの証人は、全員エホバに献身した伝道者です。週3回(5つ)の定期集会の出席と訪問伝道は絶対の義務、訪問伝道の時間(時に内容も)は長老に報告義務があります。定期集会の一つ「神権宣教学校」では、ロールプレイを含む訪問伝道の方法を学び、毎日の訪問伝道では、先輩と組んで実地訓練を受けています。伝道者としての意識は明確で、訪問では必ず教える立場をとります。相手が牧師でも同じです。
[組織]
統治体を頂点に、各国支部、長老、奉仕の僕、開拓者など、厳重な階級があります。その階層を順次上ることで、信者としての評価が自分の目にも他の人の目にも、はっきり見えます。開拓者になることは常に奨励され、次々上の級に進むようにと 勧められます。長老や奉仕の僕は男性しかなれません。それは、エホバへの信仰と 奉仕の忠実さによることになっていますが、実際には、上の階級の人の推薦で決まりますので、激しい競争と取り立てのための工作があると聞いています。
伝道活動は、信者全員が無報酬でしていますので、信者は無私で清い団体だと思っています。しかし、組織自体が生き物のようになっていて、組織に経済と権威が集中しており、トップはそれを自由に駆使できるようです。実際、長老は絶大な権威をもっていますし、地域監督が巡回するときは、会衆が大変な気遣いをしていると聞いています。
[情報統制]
この世は、サタンの支配下にあるので、エホバの証人の指導者以外の情報はサタンの影響下にあります。ですから、忠実な信者はテレビも新聞も見聞きしないそうです。他の宗教文書はサタンの情報で、特にキリスト教文書は禁書です。一部の地域では新世界訳研究会発行の「長老への手紙」は焼き捨てるように指示されていて、読んだだけで排斥(除名)処分になると聞いています。
[思考枠]
エホバの証人は、外の世界との間に目に見えないバリヤがあります。客観的に間違いの指摘をしても、まるで、避雷針で電流が地に逃げるかのように、自分達の情報以外の影響を受けません。また、学びの初期に、真理を追及する者は迫害を受けると教えられています。ですから、家族が反対すると、その教えを証明してしまって、信仰を強める結果になります。激しい反対をきっかけにバプテスマを受ける決心をした人は、少なくないそうです。クリスチャンの信仰理論とは、決してかみあいませんので、通常のクリスチャンの感覚で対話をしても、永遠のすれちがいになるでしょう。有効な対話は相手の思考枠(教理)にそって展開しなければなりません。
[輸血]
レビ記17章11〜12節と使徒15章20節を拡大解釈して、輸血を禁止します。輸血し ないために死んでも、永遠の命を受ける希望がありますが、輸血をすると、永遠の滅びに定められると教えられています。死んでも輸血をしないのはそのためです。信者は、毎年輸血拒否のカードを更新して、常にそのカードを携帯しています。
そのキリスト教観
エホバの証人は、米国社会はじめ、いわゆるキリスト教国全体のことを「キリスト教世界」と表現し、それを「キリスト教」だと理解しています。そこで、いわゆるキリスト教国の悪いところや、カトリック教会の歴史上の誤りなどは全てキリスト教批判の対象になっています。エホバの証人は、キリスト教会は大いなるバビロン、クリスチャンは白く塗られた墓だと言っており、具体的には、次のように思っています。
[牧師・教会]
1)真理を求める人を迫害する。
最近まで研究生は「楽園」を学んでいました。「楽園」では第三章(三週目)で、十字軍などを例にあげて、牧師は口では愛を説き、行ないでは戦争を奨励していると学び、五章では、15世紀のヤン・フスの火刑を例にして、教会は真理を求める者を迫害すると学びます。共にイラスト入りで、キリスト教が悪い宗教であることを、強烈に印象づけています。
2)牧師は恐ろしい人だ
牧師は、権威の象徴の黒い服を着て、いばっている。
口では愛を説きながら、戦争を奨励している。
3)教会は、道徳的に堕落している
米国でホモの教会があることなどを大きく取り上げて、教会は姦淫や同性愛を認めていると宣伝しています。また、米国の神父のスキャンダルが、ものみの塔誌に載っていて、教職者は幼児に性的ないたずらをする、と言われています。
[クリスチャン]
1)聖書を全く学ばない。聖書は、誓約の時に手を置くだけのために持っている。
教会はサタンの影響下にあるので、たとえ聖書を学んでも、理解していない。
2)偶像礼拝をしている
教会には、マリヤ像や、聖人像がいっぱいある。十字架は礼拝の対象である。
十字架は、偶像礼拝の象徴だと思っています。そのため、元エホバの証人が、教会で十字架を見るには、強い抵抗があります。十字架が偶像礼拝ではないと、わかっても、長く身についた十字架への反感が残っていて、感情がついていかないからです。
3)愛がない
同じプロテスタントの国と国とが戦争をして、クリスチャン同士が戦う。戸別訪問によって真理を伝えないのは、愛がないからだ。等。
4)全く伝道をしていない
エホバの証人にとって、伝道とは戸別訪問です。クリスチャンが訪問伝道をしないことが、すなわち伝道していないことだと見えています。
独自の専門用語
エホバの証人は、独自の専門用語をもっています。キリスト教と似ていて独自の意味を持っていたり、似た内容をちがう表現であらわしたりしています。
[ものみの塔(WACHTOWER)]
このグループの団体名です。正式名称は「ものみの塔聖書冊子協会」です。
[本部(ブルックリンベテル)]
本部はニューヨークのブルックリンにあり、広大な敷地にいくつもの建物郡を擁,
しています。ブルックリンベテルの成員(メンバー)は400名程で、執筆、伝道、印刷等の部門があります。ベテルの成員は一種の共産生活をしていて、衣食住が終身保証されています。
[統治体(とうちたい)]
この団体の最高指導者群です。会長以下、12名程の男性で構成されていて「聖書を正しく解釈することのできる神の唯一の経路」です。
[組 織]
統治体とほぼ同義です。エホバの証人の組織への信頼は絶大です。エホバの証人は神を信じていると思っていますが、実は組織への信仰です。
また、キリスト教の普遍的な教会と同じ意味で、エホバの証人全体をも指します。
[日本支部]
支部は、世界各国にあり、それぞれその国での本部として機能しています。統治体からの司令やメッセージは、各国の支部を通して全世界に同時に伝えられます。
日本支部は、神奈川県海老名市にあり、海老名ベテルと言います。支部は、広大な敷地に本館、王国会館、大会ホール、宿舎等があります。
海老名ベテルでは、性能日本一といわれる輪転機で、日本とアジア全域の出版物を、印刷、製本、発送しています。海老名ベテルの成員(メンバー)は450名程で、衣食住が保証された共同生活をしています。
支部の見学は歓迎されています。研究をはじめて、しばらくすると見学に誘われるでしょう。深く関わりたい人は、一度訪問されることをお勧めします。
[王国会館]
キリスト教の教会(建物)にあたるものです。
[会 衆]
キリスト教の教会(エクレシア)にあたるものです。一つの会衆は、子供も含めて70名程で構成されています。メンバーが100名以上になると、状況によっては二つの会衆に分けて分会します。その場合、同じ王国会館を時間を分けて、二つの会衆で使うこともあります。
[野外奉仕]
訪問伝道のことです。信者は、最低月1時間以上の野外奉仕をすることが義務づけられています。病人でも障害者でも電話や手紙などの方法で伝道をします。
[研究生]
求道者のことです。エホバの証人の指導によって自分の家庭で聖書の勉強をしています。その実体は聖書の学びではなく、エホバの証人の教理の本の学びです。
[エホバの証人]
バプテスマを受けた信者のことです。教理を受け入れてエホバに献身し、伝道者となってバプテスマを受けます。しかし、献身の実体は統治体への献身です。
ものみの塔は宗教団体の名称、エホバの証人は信者個人をさしていますが、一般に両者は混同して使われています。この冊子でも、どちらもエホバの証人と表現しています。
[研究司会者(司会者)]
研究生を導いて、家庭聖書研究をしているエホバの証人のことです。
エホバの証人の訪問伝道の目的は、研究生を得ることです。しかし、ほとんどのエホバの証人は、研究生をもたないで、訪問だけをしており、訪問すること自体が目的となっているのが実情だそうです。
[開拓者]
エホバの証人は全員伝道者ですが、開拓者はノルマをもっています。一か月間の野外奉仕(訪問伝道)の時間は、補助開拓者は60時間以上、正規開拓者は90時間以上、特別開拓者は120時間以上です。
[奉仕の僕]
教会の執事に相当する人で、長老を助けて集会のお世話などをする人のことです。
[長 老]
教会の牧師に相当する人です。一つの会衆に2-3名の長老がいて、会衆の責任者は、主宰監督といいます。牧会のことは「牧羊」といいます。
[背教者]
エホバの証人の信仰を離れた人のことです。背教者は、元の会衆から完全にシャットアウトされます。エホバの証人は、背教者と交わると、サタンの影響を受けると教えられています。ですから、背教者には、決して口をききません。夫婦など家族でも、必要最小限の用事以外のコミュニケーションはできなくなります。兄弟など、別世帯の家族なら、電話連絡もできなくなります。
[排 斥]
キリスト教会の除名に相当する事柄です。排斥処分は非常な不名誉です。排斥の理由は不従順、不道徳など四つほどあります。しかし、排斥の理由は公表されませんので、元の会衆では、不倫などの道徳的問題だと思われます。
[断 絶]
自分から脱会することです。教理の間違いに気づいて脱会する人は、排斥処分になる前に、断絶手続きを取ることが大切です。長老か、支部あてに断絶届けを出すと、いともあっさり受けとって、ただちに会衆全体から完全に切り離されます。それは、驚く程の速さで、即日の内に、会衆全体と、その人の親族や交友関係者に通達がいきます。
独自の出版物
エホバの証人は初期から、徹底して文書伝道をしてきました。本部から洪水のように出版される文書を頒布すること自体が伝道活動ですし、研究の初期からいつまでも学べる計画的な文書のスケールをもっています。下記の本はその中の主なものです。
[あなたは地上の楽園で永遠に生きられます(通称、楽園)]
15年間、家庭聖書研究で使っていました。しかし、1995年11月のハルマゲドンの教理の変更で、使えなくなりました。この本の154ページに「1914年の出来事を見た人が生きている間にハルマゲドンが来る。」とあるからです。昨年から、家庭聖書研究で学ぶ本は「知識」に変更しました。
[知 識]
家庭聖書研究で最初に学ぶ本で、エホバの証人の基本教理が全て入っています。
楽園は、反キリスト教のカラーを強く出していましたが、知識はキリスト教の装いがさらにたくみになっています。しかし、教理が変ったわけではありませんので、知識を中心にして対話するには、細心の注意が必要です。
[見よ!わたしはすべてのものを新しくする(通称、見よ)]
定期的な学び以前の人に渡す冊子で、教理の要点が入っています。
[ものみの塔誌]
[目ざめよ誌] エホバの証人が通常の学びに使う冊子です。
内容は教理、時事問題、トピックなど。月二回発行されます。
教理の変更、統治体からの指示など、全てこの冊子で学びます。
[聖書から論じる(通称、論じる)]
エホバの証人の伝道マニュアルです。訪問先での対応、教理の説明、他宗教への対応などが載っています。キリストへの反論と弁明は周到で、クリスチャンの普通の反応は全て予測されていて、答えが用意されています。エホバの証人は全員持っていて、クリスチャンとの話しあいをマニュアルどうりに進めます。
[洞 察]
教理の辞典です。しかし、その内容は、キリスト教の神学や研究を借りてきて、継ぎ合わせたようなものです。玉石混淆で、意図的な誤用や、詭弁が随所に見えます。そのため、内部矛盾を証明する資料になっています。
エホバの証人が権威を認めており、最新の資料であるため、対話を本格的にする人には貴重な書物です。
[新世界訳聖書]
エホバの証人独自の聖書で、解釈の入った翻訳をしている点で特異な聖書です。
この解釈の入った翻訳(英文)が各国語への翻訳の元本になります。
この聖書には、次のような問題があります。
@聖書本文(ほんもん)を、教理に合わせて加筆や言い替えをしています。
A新約聖書のキュリオスをエホバに置き換えていることは、一大特質です。
つまり、「新世界訳聖書」では新約聖書に、エホバが出てくるのです!
B一語に一語を機械的にあてて翻訳しているので、おかしな現象がおきます。
例−ネフェシュはいつでも「魂」です。
C都合によっては、同じことばを意図的に違うことばに訳しています。
プロスクネオーをキリストには敬意、エホバには崇拝(礼拝)と訳しています。
[王国行間逐語訳聖書(通称、逐語訳・インターリナー)]
ギリシヤ語と英語の対訳聖書で、各国語への翻訳の元本です。
原文を一度逐語的に英語に翻訳し、次にエホバの証人の教理にあわせて、加筆や変更を加えて成文化しています。この英文が各国語への翻訳の元本となります。
逐語訳と加筆の文章が並列されていますので、ギリシャ語を知らなくても、加筆の箇所がわかります。これが、研究生や元エホバの証人に、エホバの証人の間違いを示す決め手となるので、対話には必携の書物です。司会者を通してでも、日本支部に直接申し込んででも手に入れることができます。
[参照資料付き聖書]
聖書本文の前後に、教理の解説が載っています。しかし、その解説は詭弁や矛盾に満ちています。
よく使う原語
エホバの証人は、ギリシヤ語やヘブル語をよく使います。しかし、その語彙は、限られていますし、実は、長老でもほとんど原語を学んではいません。ギリシャ語やヘブル語を学ばれた方は、教理を調べるときに原語の聖書を使われるといいでしょう。
(へ)はヘブル語、(ギ)はギリシャ語をさします。
[エホバ(ヤーウェ)(へ)]
神名。神の固有名詞。契約の実行者としての人格的、個人的、啓示的な名称。
以前は、キリスト教会もエホバと言っていました。その後の研究で、「ヤーウェ」が正確な発音だとわかりましたので、キリスト教会ではヤーウェといいます。
エホバの証人は、エホバという呼び方に強いこだわりをもっています。
[テトラグラマトン(神聖四文字)]
神のみ名(ヤーウェ)の婉曲な表現。tetra(四)、-gram(書いたもの)。
ヤーウェは、ヘブル語四文字のことばですので、神聖四文字(テトラグラマトン)といいます。テトラグラマトン、ヤーウェ、エホバは同じ意味です。この冊子では、それらを状況に応じて使い分けています。
[エロヒーム(へ)]
神。創造者、全能者としての神を示します。聖書では、ヤーウェと共に最もよく使われる神名です。しかし、エホバの証人はほとんど使いません。
[セオス(ギ)]
神。
[アドナイ(へ) キュリオス(ギ)]
主。主人。ユダヤ人は神の御名への畏れから「テトラグラマトン」がでてくると、それを「アドナイ」と発音ました。
新約では「キュリオス」はイエス・キリストに対する称号として使われています。
[ルーァハ(ヘ)・プニューマ(ギ)]
霊。神の霊など精神的なものを主に現しますが、魂と厳密には区別できません。[ネフェシュ(ヘ)・プシュケー(ギ)]
魂、息、命の源、生きているものなど動物的命を主に現すことばです。
エホバの証人の教理では、魂とは、霊と肉体の一致したものであって「生きたもの」をさします。死ねば一切は終り、死後も続く霊は存在しない、「不滅の魂」という考えはサタンから出ているといいます。
[パルーシア(ギ)]
来臨、再臨、そこにいること(臨在)。
エホバの証人は「1914年にキリストが目に見えないかたちで天に臨在した。」と主張します。エホバの証人は再臨を「臨在」といいます。
[ハルマゲドン]
終末の戦いのために王の集められる所として、黙示録16章16節に出てくる地名です。メギドの山という意味だといわれています。メギドはエズレル平野の、東西の幹線道路の交差点で、古来、重要な戦いがあった所です。
エホバの証人は、大艱難の後の最後の戦争として、その時を預言してきました。
イエスの足跡に従って励んでいるエホバの証人以外の人は、全て滅びることになっています。
ハルマゲドンの預言はエホバの証人の特徴です。
[ヒンノム(へ)・ゲヘナ(ギ)]
地獄。エホバの証人では、「永遠の切断」と考えています。
[シェオール(へ) ハデス(ギ)]
黄泉(死者の行く所)。死後の世界、死、苦しみの場をあらわします。
エホバの証人は「墓」「記念の墓」と考えています。
[セプチュアギンタ(LXX)→70人訳]
ギリシヤ語訳の旧約聖書です。
B.C.3-2Cにかけて、ディアスポラ(国外のユダヤ人)のために、エジプトのアレキサンドリヤで翻訳されました。一世紀のクリスチャンは異邦人宣教に用いました。
U.教理とその問題点
教理概観
[神]
神はエホバ(父なる神)のみ。神のみ名はエホバで、新約聖書が書かれたときには、新約聖書にエホバのみ名があった。イエスは天使長ミカエル。聖霊は神の活動力で、人格のないエネルギーのようなもの。
[世界観]
この世は、サタンの支配下にあって、サタンは神と論争をしている。サタンの目に見える組織は、偽りの政治体制と偽りの商業体制と偽りの宗教体制である。キリスト教は偽りの宗教体制の主要なもの、エホバの証人は神の組織に属している。
[終末論]
1914年にキリストが天の王国に、目に見えないかたちで臨在した。
1914年の出来事を見た一世代が過ぎる前に、ハルマゲドンがくる。ハルマゲドン の後の1,000年王国の期間中に、復活がはじまり、地上の楽園で永遠に生きる機会が与えらる。エホバの証人は1,000年王国時代に、破壊された地上を整える。
[イエスと144,000人からなる王国の政府]
エホバの証人は、王国の政府を構成する144,000人の忠実な僕と、大群衆である一般のエホバの証人の二種類に分かれています。144,000人はイエスと共に、天 の政府で地上に完全な支配をします。144,000人は初代教会から集められ、1935 年にその数が満ちた。それ以後の人は大群衆。王国の政府は、日本国政府や米国 政府と同レベルの概念で、一般のエホバの証人はエホバ王国の臣民です。エホバ の証人が政治に関わらないのはそのためです。
[罪]
アダムから受け継いだ悪に傾く傾向で、常に努力して抑えなければならない。
自分個人に帰する原罪の意識はなく、表面に現れた行為のみを問題にしている。
[贖い]
贖いは、基本的には144,000人のため。144,000人は贖われて、死ぬと天の王国の 政府に行き、大群衆は、イエスに信仰を働かせ、伝道に励み、よい生活をし続けるなら、ハルマゲドンを通過して地上で永遠に生きる見込みが与えられている。
[魂・復活]
霊と肉体が合わさって生きたものとなった、それが魂である。不滅の霊はなく、人は死で全て終る。しかし、魂が神の記憶に残っていて、1,000年統治の期間に神の記憶によって再創造される。144,000人は、死ぬと霊者(霊的復活)として天に行く。不滅の魂という考えは、サタンから出たものである。
[社会生活]
社会生活には様々な禁止条項があります。主なものは、輸血の禁止、選挙や政治への関わりの拒否、誕生日・クリスマス・祝祭日の拒否、格闘技の拒否などです。
おもな教理の解説
エホバの証人と教理の違いを話し合っても、平行線の話し合いに終わることが多くて、あまり積極的な意味がありません。しかし、研究生や元エホバの証人の方には、教理の間違いを話さなければなりません。この方達は、教理を訂正しないと、エホバの証人信仰から抜け出すことが出来ないからです。
そこで、研究生や元エホバの証人と話し合うために必要な教理をとりあげます。この方達の疑問はたくさんあるようでも、三位一体・終末論・王国観の三つくらいに整理できます。他に、神のみ名、魂、地獄、などが問題になる方もありますが、先ず、主要な教理を訂正して信仰の基本を理解する必要があります。
教理の説明をするとき、新世界訳聖書の改竄(かいざん)が同時に問題になります。教理と新世界訳聖書を同時に示されると、エホバの証人の間違いが決定的になります。
新世界訳聖書の問題点
エホバの証人は、聖書に絶対の信頼をおいていますし、黙示録22:18-19を引用して、聖書の正しい翻訳の大切さを強調します。しかし、新世界訳聖書は教理に合わせて聖書を意図的に変えています。この聖書は、二つの大きな問題をもっています。
聖書の改竄(かいざん)
エホバの証人の教理にあわせた翻訳の工夫(改竄)箇所は、300箇所以上にも上るといわれています。
エホバの証人独自の教理を話し合ってみると、その証拠としている聖句に手を加えている場合があります。下記の改竄(かいざん)箇所は、エホバの証人が反三位一体の教理を立てている箇所です。つまり、手を加えなければ決して成り立たない教理を主張しているわけです。単語を加えたり、変えたり、順序を変えたりして、聖書を改竄し、そこに教理を立てているのです。
「王国行間逐語訳」を調べるとよくわかります。
ヨハネ 1:1 第三文節の「セオス」を「God」でなく「a god」と翻訳。 Tヨハネ5:20 「この方こそ真の神、永遠の命」がエホバにかかるように加筆。
コロサイ1:16 「他の」を挿入して、イエスはエホバから直接創造され、イエス以外の全ての物はイエスが創造したとなるようにする。
他に、エホバの証人は永遠の命は今与えられるのでなく、見込みであるとしますが、ローマ5:21に原文にはない「見込み」を挿入しています。
新約聖書の中のエホバ
新世界訳聖書は、新約聖書に「エホバ」ということばを訳出しています。この点については、神のみ名の項目で扱います。
三位一体の証明
三位一体の否定は、エホバの証人の教理の根底ですから、これがわかると問題の90%は解決したと言えるくらいです。三位一体では、先ず、イエスが神であることを説明します。イエスが神であるとわかると、他の教理の説明は、不思議なほどスムーズに理解されます。聖霊は、原理的にイエスと同じです。
エホバの証人の教理の要点
@神はエホバである。エホバは父なる神のみである。
Aイエスは「God(神)」ではなく「a god(神のようなもの)」である。(ヨハネ1:1)
イエスは被造物である。(コロサイ1:15)
イエスはエホバから直接創造され、その他の全ての物はエホバとイエスとで創った。(コロサイ1:15-16)
イエスは天使長「ミカエル」である。(黙示録12:7)
B聖霊は神の活動力であって、人格を持たない単なるエネルギーである。
三位一体の説明のポイント
@神は唯一である
A父と子は区別がある
B父と子は同等である
@とAは、キリスト教もエホバの証人も共通、エホバの証人はBを認めません。 従って証明しなければならない問題は次の二点です。
1.Bの「父と子は同等」の内容として「子なるイエスは神である」こと。
2.@の「神は唯一」の内容として「三位なる方が一つである」こと。
1.父と子は同等である
・イエスは神である
@ヨハネの福音書1章1節の第三文節
「セオス(God) エイン(was) ホ(the) ロゴス(Word)」
*エホバの証人側の主張
ヨハネ1:1の第三文節のセオス(神)に冠詞がないので、この場合の神は「God」ではなく「a god」である。つまり「神」ではなく「神のようなもの」である。
*しかし、冠詞の有無が、そのものの本質を変えるということはありません。
The king is Elizabeth. といってもElizabeth is a king.といってもエリザベスが王であることに変りはありません。
ギリシャ語でも同じです。ヨハネ1:6、1:12、1:18のセオス(神)は共に「エホ バ」を指していますが、冠詞はありません。
*マンティ博士の文法書の引用について
マンティ博士はヨハネ1:1の第三文節のロゴスについて「キリストが神的な性格の本質にあずかっていることを強調している。前者は明確に人格に適用されており、後者は性質に関わっている。この区別は冠詞がもたらすものである。」
として、ロゴス(イエス)は神の本性を備えている、即ち神であると結論づけています。
マンティ博士のギリシャ語文法解説によれば、神の本質をあらわすギリシャ語の構文は、動詞の前にくる無冠詞の名詞です。次の箇所は、これと同じ構文が「エホバ」に適用されている箇所です。
ルカ20:38・ヨハネ8:54・ピリピ2:13・ヘブル11:16。
エホバの証人はマンティ博士のギリシャ語文法解説を誤用して、だからイエスは神ではないと、正反対の結論を出しています。マンティ博士は、それに対して強い抗議をしています。また、もし、エホバの証人の解釈が正しいなら、上 記の箇所では、エホバも神ではなく神のようなものということになります。
しかし、エホバの証人はその抗議をも、他の聖書箇所をも無視して、博士の文法書の意味を故意に変えて盗用し続け「イエスは神ではなく神のようなものである」と主張しています。
<参考資料>「ヨハネ1:1」−新世界訳研究会発行−
ATヨハネ5:20
「この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」は、誰をさすか。
*原文ではイエス・キリストを指しています。
*エホバの証人の新世界訳聖書は、「真実な方(神)」がエホバにかかるように、加筆して文章を変えています。
Bヨハネ20:28で、トマスはキリストを神として受け入れています。
おもしろいことに、王国行間逐語訳では、トマスの告白した神を「The God」と原文どうりに翻訳しています。ところが、ものみの塔誌1988年6月1日では、トマスが「The God」ではなく「my god」と言ったと注解しています。
「だれにでもできるエホバの証人への伝道アプローチブックNo2」(P179)より。
Cイエスはアルファー・オメガである
イエスは「アルファーであり、オメガである。」(黙22:13)。また、「最初であり最後である」(黙1:17)と言われていますが、それは神の表現です。実際、神(エホバ)も同じく「アルファー・オメガであり」(黙1:8)、「最初であり最後である。」(黙21:6)と言われています。イエスは神と同質です。
・イエスは創造者である
@ヨハネ1:3「すべてのものは、この方によって造られた。」
Aコロサイ1:15-16の問題点
*コロサイ1:15-16は「イエスは被造物である。」というエホバの証人の教理の根拠になっている箇所です。
新世界訳聖書は、コロサイ1:16に「他の」ということばを加筆して、「他の全てのものはキリストによって創造された。」とします。この聖句と1:15の「彼(イエス)は…全被造物の初子です。」とによって、イエスだけがエホバから直接創造され、「他の全てのものは、エホバとイエスとで造った」というのです。
*しかし、「他の」は原文にはありません。
コロサイ1:15-16は、イエスが創造者だといっている箇所です。
*コロサイ1:15の「初子(先に生まれた方)」の意味
「初子」の意味は二つあります。
a.時間的な意味
例 創41:51-52「長子はマナセ、次子はエフライム」という場合。
b.立場・特権の意味。
地位や相続権を持つ者の意味で、長男とは限りません。
コロサイ1:15の初子の意味は「立場」です。
贖われ、神の子とされる人間の長子としての立場であって、最初に創造されたという意味ではありません。
例 エレミヤ31:9「エフライムはわたしの長子だから。」
エフライムは時間的には次子ですが、立場として長子だとされています。
詩篇89:27「私もまた、彼(ダビデ)を長子とし。」ダビデは八男です。
2.父・子・御霊は、一体である
・唯一の神の複数性
神は、はじめから複数性をもっていました。
@創世記1:1は「エホバ」ではなく「エロヒーム」。エロヒームは複数形です。
創世記1:26「私たち」は複数形です。
A一つ(ヘブル語-エハード)の中に複数性があります。
申命記 6: 4「神は唯一(エハード)である。」
創世記 2:24「二人は一体(エハード)となる。」−一組の夫婦は二人で構成。
民数記13:23「一房(エハード)の葡萄。」−一房のぶどうに複数の実がある。
・三位なる方は、一体である
@父、子、御霊は一つのみ名で呼ばれています。
マタイ28:19「父、子、御霊のみ名」の御名は単数(the name)であらわされています。しかし、マタイ10:2で12使徒の名は複数(the names)で記されています。つまり、父・子・御霊で、一人として考えられています。
A旧約聖書の「エホバ」は、新約聖書では「イエス」であり「聖霊」です。
イザヤ6:1〜10とヨハネ12:39-41、使徒28:25の比較
・イザヤ6:1〜3「私は、主を見た。『…その栄光は全地に満つ』」
ヨハネ12:39-41「イザヤがイエスの栄光を見たからで…。」
・イザヤ6:9〜10
「すると仰せられた『聞き続けよ。だか悟るな。見続けよ。だが知るな。』」
使徒28:25「聖霊が預言者イザヤを通して…語られた『…確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見ているが決してわからない。…』」
*これは、ヤーウェの中に、はじめから父・子・御霊が含まれていたことがわかる重要な箇所です。ヤーウェは、はじめから父・子・御霊を含んだ方です。
旧約時代には、ヤーウェとして包括的に表現されていました。しかし、新約時代になり、イエス・キリストの受肉と聖霊の降臨によって、父・子・御霊の別が明確になりました。
*エホバの証人にとって「エホバ」は「父」のみです。もし、それが正しいなら、この三か所は意味が不明になります。しかし、ヤーウェは、父・子・御霊で同じ方ですから、この三箇所は、同じ方を違う表現で言っただけです。そこには何の矛盾もなく、意味はスラリと通ります。次の図を参考にしてください。
← ヤーウェ(父・子・御霊)
父 神(ヤーウェ)の栄光(イザヤ6:1)
=キリストの栄光(ヨハネ12:41)
子 聖霊 主(ヤーウェ)が言われた(イザヤ6:8-9)
=聖霊が言われた(使徒28:25)
B父、子、御霊の互換性
次の箇所では、父、子、御霊が同じ方として、同じ意味で表現されています。
Tコリント12:4〜6
神の国の働きについて父、子、聖霊が、同等に語られています。
ローマ8:9〜10では、聖霊が、神の御霊、キリストの御霊、キリスト、キリストをよみがえらせた方の御霊、御霊と言われています。
3.聖霊は人格を持った神ご自身である
エホバの証人は、聖霊は、人格をもたない神の活動力、つまり、たんなるエネルギーのようなものだといいます。
しかし、聖書は、聖霊が生きた人格を持った神だといっています。また、聖霊は、クリスチャンに内住して、キリストのみ業を解き明かしてくださる方です。
・助け主
ヨハネ14:16-17「父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。」
ヨハネ14:26「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」
ヨハネ15:26「真理の御霊が来るとき、その御霊が私についてあかしします。」
ヨハネ16:8「(聖霊は)罪について、義について、審きについて、世にその誤りを認めさせます。」
ヨハネ16:13「真理の御霊が来ると、…すべての真理に導き入れます。」
聖霊は、イエス・キリストとは別の方として、父なる神から送られました。この方はイエス・キリストのみ業を説明し、世に罪と神の義とを明確にする方です。
・祈り、助け、認めさせ、語り、禁じる聖霊
聖霊は単なるエネルギーではなく、語ったり、命じたりされる、生きた人格をもった神です。以下に見るとうりです。
祈 る ローマ8:26-27「御霊ご自身が、いいようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
教える ヨハネ14:26「(聖霊は)すべてのことを教え…」
語 る 使徒8:29「聖霊がピリポに語って…」
使徒28:25「聖霊が預言者イザヤをとうして先祖に語られた。」
任命する 使徒13:2「聖霊が…任命しなさいと…言われた。」
禁じる 使徒16:6「アジアで語ることを聖霊によって禁じられた…」
・ペンテコステの意味
ヨハネ20:19、使徒1:6、使徒2:14〜39に見られる弟子達の変化に注目してくださ い。
ヨハネ20:19…弟子たちは、ユダヤ人を恐れて隠れていました。
使徒1:6 …弟子たちは、メシヤの意味を悟れませんでした。復活の主に会ってもまだ、「ユダヤの国を復興してくれるメシヤ」を期待していたのです。
使徒2:14〜39…ペンテコステの後、ペテロは別人のようになりました。先ず、イエス・キリストの救いの意味をはじめて理解しました。次に、ユダヤ人を恐れることなく、宣教を開始して、大胆に悔い改めの説教をしています。それは、聖霊の内住によって、聖霊がペテロの内側からキリストの十字架の意味を説明し、また、宣教の力と大胆さを与えたからです。
今日も、人がイエス・キリストを受け入れる時、本質的に同じこととが起きています。人がクリスチャンになるとはそういう意味です。Tコリント12:3「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』ということはできません。」と言われるとうりです。
聖霊は、人格をもった生ける神です。
終 末 論
終末論は、エホバの証人の教理のもう一つの特徴です。組織は、ハルマゲドンの時や内容を何回も言い替えつつ、常にこの世の終りの時に対する恐怖感を与え、エホバの証人を伝道に駆り立ててきました。1914年の偽りと、ハルマゲドンの時の変更を明確にすることは、キリストの神性に次いで大切です。
もともと、終末や再臨の預言自体が間違っているのですが(マタイ24:36)、ここでは、いくつかのはっきりした間違いをとりあげます。
エホバの証人の教理
キリストは、1914年に目に見えないかたちで、天に臨在(再臨)した。
1914年を見た人の一世代が過ぎる前にハルマゲドンが来る。
−「論じる」(P357)、「楽園」(P141)より−
エルサレム陥落(捕囚) パルーシア(臨在) ハルマゲドン
2,520年
帰還 一 世 代
70年 BC→ ←AD
@B.C.607 AB.C.537 BA.D.1914 C?
註)@B.C.607年…エルサレム崩壊(捕囚)の年。異邦人の時のはじまり。
エレミヤ29:10から捕囚の期間を70年だとして、捕囚から帰還した年B.C.537年から70年を差し引いて出した。(論じるP357)
AB.C.537年…バビロン捕囚から帰還した年
BA.D.1914年…キリストが目に見えない姿で天の王国に臨在した年。
異邦人の時の始まったB.C.607年から七つの時2,520年(ダニエル4章)を経過した年。この年にキリストは天に臨在した。
ラッセルは、1914年はハルマゲドンの年として預言しました。しかし、その預言は成就しませんでしたので、後に組織は目に見えない臨在(パルシーア)だと言い替えをしました。
Cハルマゲドン…1914年の出来事を見た人の一世代が過ぎる前に来る。
1.予言の間違い
B.C.607年の間違い
エホバの証人は捕囚からの帰還の年、B.C.537年から70年を差し引いて、B.C.607年を捕囚の年だとしました。この年から異邦人の時が始まったとして、この年を出発点にしてハルマゲドンの預言の計算をしました。しかし、聖書の他の箇所も、考古学も、それが間違っていることを証言しています。
ゼカリヤ書の証言
ゼカリヤ書7:1-5に「この70年間、あなたがたが、第5の月と第7の月に断食して嘆いたとき…。」とあります。それは、ダリヨスの第4年(ゼカリヤ書7:1)で、B.C.517年です。B.C.517年の70年前は、B.C.587(6)年でそれは歴史的な捕囚の年です。(年代は王の即位によるので、B.C.であらわすと1年の誤差が出ます。)
捕囚の年から断食を始めて、70年間に及んでいるのは、自然なことです、しかし、エホバの証人の主張どうり、B.C.607年に捕囚になったのなら、なぜ、20年後のB.C.587年から断食をはじめたのか説明がつきません。
<ものみの塔とキリスト教の年代理解の対比表>
ものみの塔の主張 年代B.C. 年代B.C 聖書と歴史的資料による年代
ネブカデネザル即位 625(?)
捕囚 607(?)
537年から70年を差引 605 ネブカデネザル即位
いた年 (論じるP539) 586(7) 捕囚 ネブカデネザルの第19年
(U列王記25:8)
新バビロニヤ帝国滅亡 539 539 新バビロニヤ帝国滅亡 70年
クロスのユダヤ人開放令 537 538 クロスのユダヤ人開放令
517 70年断食を続けていた
ダリヨスの第4年(ゼカリヤ7:1)
考古学の証言
バビロンの商業文書の粘土板が何十万部も出土して、それに商取引の年月日が書いてありました。それで、現在、バビロンの全ての王の統治期間がわかっています。その粘土板の記録では、ネブカデネザルの即位の年は、B.C.605年です。バビロン捕囚はネブカデネザルの第19年(U列王記25:8)ですから、捕囚の年はB.C.586/7年となります。
これに対して、エホバの証人は、考古学は信用できないといっていい逃れようとしています。しかし、洞察第二巻の年代学の項(P436)で商業文書は信用できるといっています。その証拠に「カンビュセス2世の…支配の第1年は西暦前529年で、…キュロス2世のバビロンの王としての最後の年は西暦前530年でした。…。」と、考古学を使わなければ特定できない年代を特定しています。(同P436)
これを聖書年代表と照らし合わせてみますと、おもしろいことがわかります。キ ュロスやカンビュセスはペルシャの王です。つまり、ペルシャの年代は考古学を取り入れて年代の特定をしているのに、新バビロニヤ帝国、それもネブカデネザルの年代だけは、考古学を信用できないといっているわけです。
また、エホバの証人はバビロン陥落の年B.C.539年を絶対年代として、年代計算の土台にしています。その証明のために、洞察第二巻(P437)で、ジャック・フィネガンの「聖書年代学便覧」のオリュンピアドを使っています。しかし、この本には、商業文書でわかった結果の、ネブカデネザルの統治表が載っており、本文でも明瞭にネブカデネザルの即位はB.C.605年だと述べています。したがって、捕囚の年である第19年は、B.C.586年となります。(表10参照)
註)オリュンピアド
オリュンピアドは、古代オリンピックの開催年で、キリスト紀元以外では、古代 の年代決定に広く一般に使われている最古の紀元です。オリンピックは4年毎に行 なわれます。次の祭典までの4年間はオリュンピアドと呼ばれて、O1.と略称します。O1.1,1は、第一オリュンピアドの第1年という意味で、B.C.776年です。
新バビロニヤ帝国とペルシャの年代
「旧約聖書人物の系譜・歴史年表」より B.C.530
クロス カンビセス
<新バビロニヤ帝国>
<ペルシャ>
B.C.626 B.C.605
ナボポラッサル ネブカデネザル ナボニドス
ネブカデネザルの即位年ジャック・フィネガン著「聖書年代学」より
1.(表34参照, P81)
ナボポラッサルの治世からネブカデネザル二世への移行期の一例をあげたい。『バビロニヤ年代記』(英国博物館21946)と名づけられている楔形文書中の年代記と、バビロニヤ暦の天文学的再構成によって、ナボポラッサルの統治第21年のアブ月8日、つまり、B.C.605年8月15日に死んだことがはっきりした。その後、ネブカデネザル二世がバビロンにおいて即位したが、その日はウルル月1日、すなわちB.C.605年9月7日にあたっていた。したがって統治の移行期は表34の通りになる。
2.(表10参照, P161)
英国博物館所蔵粘土板21946号は、ナボポラッサルの統治第21年(B.C.605/604)に、バビロニヤ王がその子ネブカデネザルをエジプト人討伐のために派遣したとある。ネブカデネザルはユーフラテス河畔のカルケミシュでエジプト軍に遭遇し、みごとそれを打ち破り、つづいて「ハッティの国」の全領域を征服した。…カルケミシュとハッティの国における勝利の直後、ネブカデネザルは父の死を知り、王位に着くためバビロンに戻った。年代記はナボポラッサルの死をB.C.605年のアブ月8日(8月15日)とし、ネブカデネザルの即位をウルル月1日=9月7日としている。…ネブカデネザルの即位年はウルル月1日(B.C.605年9月7日)からバビロニヤ暦の同年末までである。彼の統治の第一年は次のニサヌ月1日(B.C.604年4月2日)から始まった。
(即位年は、前王の最終統治年と重なり、翌年始めから統治年第1年が始まる。)
<参考資料>「旧約聖書人物の系譜・歴史年表」 秋吉 雄著 −燦葉社−
「聖書年代学」 ジャック・フィネガン著 −岩波書店−
終末予言の間違い
終末に関する20以上の予言は全て外れています。下記はその一例です。
1799年「終りの日が始まった」…神の立琴 1925年版 P268・創造 1927年版 P419
1874年「キリストが再臨した」…聖書研究 1927年版 P419
1874年「千年王国が始まった」…終了した秘義1917年 P386
1914年「キリスト教は滅びる」…聖書研究第三巻1891年 P153
1914年「異邦人による統治は終る」…聖書研究第二巻 P77
1914年「第一次世界大戦で勝利を収める国はない」The New YorkTimes1914.10.5.
1916年「今はハルマゲドンの真っ最中である」…ものみの塔 1916年9月1日号 P265
1918年「キリスト教会は滅びる」…終了した秘義P484-485
1925年「旧約聖書の聖徒たちはよみがえる」…エホバの証人の1976年の年鑑 P145
1937年「国際連盟は、ファシズムの連盟となる」…敵1937年 P292
1941年「数カ月たてばハルマゲドンに突入する」ものみの塔 1941年9月15日号P288
1941年「ナチスドイツは英国を滅ぼす」ラザフォード判事は第五縦隊をあかす P15
1941年「第二次大戦で、枢軸国も自由主義陣営も勝利を収めない」
ものみの塔 1941年12月15日号 P372
1975年「秋には神の千年王国が始まる」神の自由の子となって亨ける永遠の命P372
1975年「秋には神の千年王国が始まる」神の自由の子となって亨ける永遠の命P372
1975年「秋には神の千年王国が始まる」神の自由の子となって亨ける永遠の命 P29
<参考資料>「ものみの塔の預言の記録」−真理のみことば研究会出版−
「目ざめの時!(1)1914それは特別な年なのか」 −上に同じ−
2.預言の変更
組織は、数年前からこの預言の言い替えの準備をしていました。
「ハルマゲドンの時は今すぐにも来る。」という緊張感を保ちつつ、同時に「信仰はエホバに対するものか?時への信仰か?待ち望んでいたものが来なかった時に、信仰を失った者の仲間にならないように。」と警告を出し続けていました。
・「一世代」は最近まで、時間的な意味でした。
はじめは、1914年の出来事の意味がわかる人の一世代という意味でした。
一世代は25〜30年ほどですから、1945頃にはハルマゲドンが来るはずです。しかし、当然ハルマゲドンは来ませんでしたので、組織は「1914年に生まれていた人が生きている間に」と、時を伸ばしていきました。
しかし、今や1914年に生まれた人でも80才以上となり、ハルマゲドンの預言のタイムリミットがきてしまいました。そこで、組織は一世代の意味を変えました。
・1995年11月に時間的な意味から霊的な解釈に変りました。
一世代の意味は「邪悪な世代が過ぎる前に」と変更されて、今後ハルマゲドンの時はいつまででも伸ばすことができるようになりました。
<参考資料>「わたしたちにお話ください。そのようなことがいつあるでし ょうか」「長老への手紙」 −新世界訳研究会出版−
世界観
エホバの証人は、この世は全てサタンの支配だという独特の世界観をもっています。
エホバの証人にとって、サタンの存在は非常に大きく、あたかももう一人の神(悪神)であるかのように見えます。
世界観は、エホバの証人の生き方に大きな影響を与えている問題です。ですから、間違いに気づいた研究生や、元エホバの証人の方には、間違った教理を、聖書のみことばによって正して、考え方の整理をする必要があります。
神が世界を支配されていることがわかると、安心されるはずです。
エホバの証人の教理
マタイ4:9でサタンは「私がこの世界をあなたにあげる」と言った。
したがって、この世はサタンのものであり、この世の情報やこの世のシステムは全てサタンからのものである。
正しい教理
・サタンは、うそを言ったのです。
ヨハネ8:44「悪魔は…偽り者であり、偽りの父である。」
・キリストはこの世に対する権威を与えられています。
マタイ28:18「わたしは天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」
エペソ1:19〜22「神はキリストを…支配、権威、権力、主権の上に…置かれました。キリストは…いっさいのものの上に立つかしら(です)。」
・キリストはサタンの力を打ち砕きました。
ヘブル2:14「主…は、その死によって、悪魔という、死の力を持つものを滅ぼし」
Tヨハネ3:8「神の子が現れたのは、悪魔の仕業を打ちこわすためです。」
・この世はキリストのものです。
ヨハネ1:11「この方(キリスト)はご自分の国に来られた。」
・世界は今も神が支配されています
働く神
ヨハネ5:17「わたしの父は、今に至るまで働いておられます。」
自然を支配される神
マタイ5:45「天の父は…太陽を上らせ…雨を降らせてくださる」
歴史を支配される神
使徒17:26「神は…人を全地に住まわせ、時代と境界線を決められ」
人を守り導かれる神
詩篇139篇「神は…人の歩み、思い、行為、誕生、を知り導いている」
魂
エホバの証人の教理
・死は無意識、無存在
人間は死で終る。死後にも続く不滅の命という考えはサタンからのものである。
伝道者の書3:19「人の子の結末と獣の結末は同じだ。…みな同じ所に行く。」
・霊は存在しない
霊と肉が一つとなって魂(生きたもの)となったので、不滅の霊の存在はない。
ヨシュア11:11には「すべての魂を剣の刃で討った。」とある。魂は剣で触れることができるのだから、霊であるはずがない。−論じる(P301)−
聖書の約束
・霊は存在し、永遠の命が約束されています。
エホバの証人は、伝道者の書3:19-20だけを取り出して教理を立てていますが、伝道者の書3:21、12:7では、人の霊と獣の霊は違うとあります。
伝道者の書3:21「人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。」
伝道者の書12:7「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれをくださった神に帰る。」
・霊、たましい、からだが別々に述べられています。
Tテサロニケ5:23「あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られます…」
・永遠の命は、新約聖書の中心的な約束です。サタンの教えではありません。
Tヨハネ5:11-13「神が私たちに永遠の命を与えられた…。」
ヨハネの福音書3:16「御子を信じる者が永遠の命をもつためである。」
魂の翻訳について
−「論じる」(P301)の解説への反論−
ヨシュア11:11「彼らはその中の全ての者(ネフェシュ)を剣の刃で打ち…。」
新世界訳聖書は、一つのことばを一つのことばに訳すという原則で翻訳していますので、ネフェシュはいつも「魂」となります。しかし、ヘブル語の「ネフェシュ」は意味の範囲の広いことばですから、場合によって魂、人、生きた者、動物、など多様なことばに翻訳しなければなりません。機械的に「魂」と訳して、だから魂は触れることができるというのは奇妙な理論です。
例えば日本語の「飲む」と英語の「drink」は意味の範囲が違います。「飲む」は、噛まずに飲み込むことで、液体、気体、個体、毒物でも飲めます。「drink」は、飲み物を飲むことで、個体や気体、毒物は「drink」しません。「飲む」は場合によって「drink」「eat」「take」等に訳さなければなりません。「ごはんを飲み込んだ」を「drink」と訳して、だからご飯は液体であるといえば、おかしなことになります。
エホバの証人の解釈はこれに等しい解釈です。
神のみ名
エホバの証人は、「エホバ」という神名に異常に強いこだわりをもっています。そして、自分たちの正当性を主張しようとして、2-3世紀の堕落したクリスチャンが神のみ名(エホバ)を聖書から削除したので、エホバの証人はこれを復元したといいます。
しかし、第1世紀のクリスチャンはエホバとは言いませんでした。また、第2世紀のクリスチャンが、聖書から神のみ名(エホバ)を削除したというのはいいがかりです。
<参考資料>「『エホバ』のみ名の対話シリーズ」−新世界訳研究会−
1.エホバの翻訳
−神のみ名(テトラグラマトン)の翻訳はエホバでなければならないか−
ユダヤ人は、神のみ名を発音することに畏れをいだいていました。(レビ記24:16)そこで、聖書にテトラグラマトンがでてくると、それをアドナイ(主)という発音に読み替えました。ところで、ヘブル語は子音のみを表記します。それで、テトラグラマトンを他のことばに読み変える歴史が長く続くうちに、本来の発音が不明となりました。そこで、後に、ある人がテトラグラマトンにアドナイ(主)の母音をつけました。こうしてエホバということばができました。
その後の研究によって、テトラグラマトンの正確な発音は、ヤーウェであることが認められています。語源は、ヤーハー(有って有るもの−存在するもの)に由来することばです。また、古い写本には、テトラグラマトンをギリシヤ語でヤーオーと表記しているものも見つかっています。
文語訳では旧約聖書のテトラグラマトンを「エホバ」と訳していましたが、新改訳聖書は、「主」と訳しています。
エホバは、学問的に不正確ですし、セプチュアギンタ(70人訳)がテトラグラマトンを主(キュリオス)と訳しています。また、新約聖書でも神をセオス(神)とギリシヤ語で表現し、あるいは人となられた神であるキリストを、主(キュリオス)と告白しています。「エホバ」にこだわる理由は、何もありません。
註)セプチュアギンタとは
セプチュアギンタとはギリシヤ語訳の旧約聖書です。72人の学者が翻訳したとの伝承により「70人訳」と呼ばれ、LXX(70の意)と表記します。
セプチュアギンタは、B.C.3-2頃、エジプトのアレキサンドリヤで翻訳されました。当時、ユダヤ人は広く外国に移住しており、外国に住むユダヤ人のために当時の国際語であったギリシャ語に翻訳する必要があって生じた翻訳です。第1世紀のクリスチャンは、これを異邦人宣教に積極的に用いました。
セプチュアギンタの一部の写本には、テトラグラマトンがそのまま残っているものもありますが、一般には、主(キュリオス)と翻訳されています。
2.新約聖書の中のエホバ
−新約聖書にエホバを訳出することは正しいか−
エホバの証人の聖書では新約聖書に「エホバ」が訳出されています。本来、ギリシャ語で書かれた新約聖書に、ヘブル語の神名ヤーウェはありません。ところが、エホバの証人は、新約聖書にも「エホバ」と書かれていたはずだ、それを2-3Cの堕落したクリスチャンが、聖書から削除したのだ。だから、エホバの証人がこれを復元したのだというのです。−参照資料つき聖書(P1756)−
しかし、この主張には次のような問題があります。
エホバの復元作業の問題点
@聖書の写本の正確性
今日、私たちがもっているギリシャ語の聖書は、99.9%以上の正確さで、書かかれた時と同じものが保存されています。そのことは、エホバの証人も認めています。正確に保存された、ギリシヤ語の聖書にエホバは無いのですから、これは論理矛盾です。
2世紀のクリスチャンが削除したなら、今日不正確な聖書が残っていることになります。正確に伝えられた聖書本文(ほんもん)に、エホバを復元(?)するなら、それこそ聖書に手を加えたことになります。いずれにしてもエホバの証人は、間違っているわけです。
Aヘブル語訳新約聖書
エホバの証人は、新約聖書の中の「エホバ」の復元作業の参考に、新約聖書のヘブル語訳を使っています。−参照資料つき聖書(P9,P1756〜7)−
ヘブル語訳新約聖書はユダヤ人のための翻訳です。復元作業の証拠にしている翻訳の一番古いものでも1,300年代、一番新しい翻訳は1979年のものです。
聖書が書かれてから1,300年以上あるいは1,900年以上もたって翻訳されたものが、原典の復元の参考になるのでしょうか。また、もともとギリシヤ語で書いた新約聖書を、ヘブル語に翻訳したものが、元のギリシャ語の復元作業の参考になるのでしょうか。普通では通用しない考え方です。
3.論文盗用の問題点
エホバの証人は、ジョージ.ハワードが聖書文献ジャーナルに載せた論文を盗用して、その正当性の主張の根拠にしています。しかし、この論文の使い方には、致命的な問題が二つあります。
ジョージ.ハワードの論文の要旨
従来、セプチュアギンタでは「ヤーウェ」は初めから「キュリオス」と翻訳されていたと考えられていました。しかし、セプチュアギンタの写本にごく小数ながら「ヤーウェ」あるいはドットを四つ「....」、またはヘブル語アルファベットのヨードを三つ「、、、」(ヨードはヤーウェの頭文字。)、他にスラッシュ四つ「////」等の表記が見つかりました。そこで、G.ハワードは、聖書文献ジャーナルに「ヤーウェをキュリオスに言い替えたのは、二世紀のクリスチャンではないかと大胆な推論を試みる」という論文を載せました。
この論文をエホバの証人が盗用して「私たちは推論ではなくて歴史的な事実であると確信する」と主張しました。(参照資料付き聖書P1756)
@論文盗用の問題点1
J.ハワードは写本の中に「テトラグラマトン」が出てくることと、発音されたことは別のことであるとはじめから、はっきり主張しています。
ですから、エホバの証人が主張するように、「エホバ」と言わないことが神のみ名をけがしている、という主張の根拠にはなりません。
A論文盗用の問題点2
J.ハワードは、その論文の推論自体を、取り消しています。ところが、エホバの証人はそのような都合の悪い発表には目をつぶっているのです。
写本研究家の第一人者、キム博士が、P46(チェスター.ビーティ.パピルス)という新約聖書の写本について、ある研究を発表しました。
キム博士は書体の研究から、この写本が第一世紀の後半、A.D.81年頃(ドミチアヌス帝の頃)の写本だと主張しました。そして、P46には、パウロの手紙が8つ入っているのですが、その中にエホバは出てこないのです。つまり、第1世紀の聖書の写本に、すでにエホバがないわけです。
そのためハワードは「その写本がそれほど古いものであれば、自分の推論は撤回しなければならない。」と述べています。
エホバの証人は、こういう都合の悪い学問的主張には触れないで、相変わらずジ ョージ.ハワードの名前を使って、元の論文を盗用し続けているのです。
<参考資料>「『エホバ』のみ名の対話シリーズ」−新世界訳研究会発行−
V.エホバの証人への伝道
エホバの証人に対して
エホバの証人は普通に話し合えば、平行線に終りますし、話がこちらのペースになると、とたんに関係を断ちます。また、たとえ、こちらの話を聞いて疑問をもったとしても、一度エホバの証人の集会に行くと、その疑問は打ち消されてしまいます。
この壁は、教理の間違いを示すだけでは、破れないと言われていて、それは、マインドコントロールを解くという、専門的な働きになります。
しかし、私たちにもできる対応もあります。エホバの証人が唯一の正しい組織であるという理論は、「キリスト教界」が堕落しているというベースに立っています。ですから、私たちは、誤った対応によって、その教えを実証する結果を招いてはなりません。また、教会は堕落していないことや、エホバの証人は聖書から逸脱していることなどを伝えなければなりません。
エホバの証人への望ましい対応は、ソフトな対話です。エホバの証人は、服装やことばなど、目に見える行為の訓練がよくできていて、長老などのおだやかな対応に慣れています。激しい口調や強い語調で話すと、それだけでつまづくからです。
1.初期の対応について
・避けてほしい個人の対応
「私はクリスチャンですから、関係ありません。」というのは最悪の対応です。
クリスチャンは「聖書はよく知っているので、間違った教えはいらない」という意味で断るのですが、エホバの証人は次のように理解します。
「聖書を学ぶ機会を断った。クリスチャンは、ほんとに聖書に関心がないんだ。」
「エホバの証人の聖書知識にかなわないから、話合いを避けて逃げたのだ。」
「クリスチャンが聖書に関心がないという、組織の教えは本当だったのだ。」
相手は聖書知識のないクリスチャンに、聖書を教えるつもりで来ていますので、断ると、統治体のクリスチャンに関する教えを証明する結果になります。
・避けてほしい教会の対応
「当教会は、エホバの証人とは関係ありません。」という表示も逆効果です。こ れを、エホバの証人が読むと、自分たちが拒否されている、教会は教会は冷たい、エホバの証人に敵対感情をもっている、と感じます。たとえ、エホバの証人に疑問があっても、この表示があると、教会に来られません。
「当教会はエホバの証人ではありません。」ならいいかも知れません。積極的に「エホバの証人でおこまりの方はご相談ください」などの表示をすると、疑問のある方や家族が訪問する道が開かれるでしょう。
・賢明な断り方
エホバの証人との対話は難しく、実りが少ないものです。また、不用意に対話を はじめると、相手の研究生にされて公平な話し合いにはなりません。ですから、関心のない方は断わった方がいいでしょう。その場合、次のことに注意してください。
@クリスチャンだと言わないで断る場合
断わる場合は、クリスチャンだと言わないほうが賢明です。クリスチャンだというとさまざまな問題がでてくるからです。理由など言わないで、相手に話の糸口を与えないように、単純に断わるのが一番いい断わり方です。
戸別訪問は、エホバの証人の信仰生活に組み込まれた義務ですから、何回でも必ず訪問してきます。しかし、決して聞く気がないことを告げれば「訪問拒否」という扱いをして訪問しなくなります。断わる方は、「関心がありませんので、絶対に 来ないでください。」と、はっきりと断ってください。それでも、半年くらい経つと又訪問してきます。気持ちが変わっているかもしれないし、他の家族に会えるかもしれないからです。ですから、こちらも何回でも断わらなければなりません。
エホバの証人対策では、訪問拒否の人を増やすことも大切な要素です。
Aクリスチャンだと言って断る場合
もし、クリスチャンだと言う場合は「自分は聖書をよく学んでいる、しかし教理が違うので来ないでほしい」ということを丁寧によく伝えてください。ドアをバタンと閉めたり、怒鳴ったりすると、クリスチャンはこわいとか、冷たいと思われて、エホバの証人の組織が教ていることを立証する結果になって、次の訪問先でそう言われます。訪問拒否になるまで、何回でも理由をはっきり伝えます。
・一歩踏み込んだ交流の勧め
本格的な交流はしないまでも、玄関先ででもあかしや伝道をすることもできます。
まず、「あなた方の聖書理解は間違っています。」と、告げるだけでも貴重な警告です。たとえ、エホバの証人が耳をかさなくても、黙って追い返して、クリスチャンの宣教の責任を放棄するのとは大きな違いです。それは、エホバの証人が間違いに気づくための種を蒔くことで、福音の種蒔の道備えとなることでしょう。
次に、エホバの証人の文書と引き換えにこちらの文書や資料を渡して、交換条件でこちらのメッセージを伝えます。その場合、エホバの証人は自分の側の文書を読 むことを一方的に求めて、こちらの資料は読まないことが考えられます。ですから、こちらの文書を、必ず読んでもらうことを約束してください。
エホバの証人の間違いを指摘した文書(巻末のリストや各伝道団体の出版物)やマインドコントロールの本やビデオなど(直接エホバの証人に触れていないもの)がいいでしょう。また、具体的な生活指導のニードに応えるキリスト教文書で、読みやすいパンフレットなどの紹介もいいでしょう。たとえば、育児、家庭生活、教育、社会問題、信仰生活のあかし、創造論やカテキズム(教理問答)的なものなどです。
2.対話と反論
エホバの証人と対話をする場合は、明確な救いの確信と聖書知識があることと、牧師の指導が受けられることなどが必要です。また、どの程度の話し合いをするのか、始めに自分の関心と目的をはっきりしておくといいでしょう。たとえば、玄関先であかしをする、数回の話し合いをする、研究生になって本格的に話し合うなどです。
本格的に関わるなら、エホバの証人についての学びや、キリスト教教理を学びなおす位の覚悟も必要です。いずれにしても、キリスト教界に対する誤解をとき、組織は故意に聖書を曲げていることを伝えてください。
・1対1の学び会
相手を導いたり、あかしするためには、はじめにいくつかのことを確認しておくといいでしょう。「キリスト教とエホバの証人の違いを確かめたいので、質問をしたい。」と、こちらの意図を始めに伝えておきます。そうでないと、途中で、教える立場を主張し「あなたは、学ぶ意図がない。」と非難されたり、「学びの動機が不純」だといって話し合い打ち切りの理由にされたりします。また、エホバの証人は必ず二人一組で教えにきますが、二人いる所では、本音は聞けませんので「私も一人ですし、〇〇さんと話したい。」など、一人で来てもらうように交渉するといいでしょう。その場合、後輩は一人にしません。たとえ一人で来ても、司会者への報告が義務づけられていますので、話が核心に近づくと司会者や長老の指示で、打ち切られます。むしろ、信仰歴の長い人の方が継続の可能性が高いでしょう。
・聖書を学ぶ
定期的な学び会をすれば、こちらの意図とは関わりなく、エホバの証人の研究生になるという意味になります。そして、聖書自体ではなく、教理の本を教えようとします。しかし、できるだけ聖書を中心にして話し合いうように試みてください。
その場合、次のことを注意してください。
*一つの書物を継続して学ぶ
エホバの証人は、話題を次々変えます。その場合、ぐるりとつながった教理のわなに取り込まれて、核心を見失ってしまいます。ですから、一書を学びはじめたら、その書から離れないこと。話題を変えられても、もとに帰して問題点を見失なわないようにすることが大切です。
*教理やみことばが話題になった場合
「それはどこにありますか」と聞いて、聖書を開いて引用箇所の前後をよく読み、本来の意味を学んでください。
*不自然な解釈や教理に対して
聖書を示して反論をしてください。エホバの証人は、聖書の権威を認めていますから、聖書で示すのが最も有効です。エホバの証人の説明や弁明とキリスト教の教理が相反する場合、キリスト教が間違っていることはありません。エホバの証人の説明は詭弁です。聖書を読んで自然にでてくる結論を言ってください。
*むずかしそうな説明に対して
質問に対して、様々な文献や神学的な表現で説明をされた場合には、こちらが主導権をとらないと、際限なく引用文などをもってきます。ですから、問題箇所は 主導権をとってください。わからないことは、その問題を扱っている資料を学んだり、牧師にたずねたりして、次回に答えるといいでしょう。
・教理の本を学ぶ
エホバの証人は「知識」を使って学びを進めます。「知識」はこれまで使っていた「楽園」より、さらに巧妙にキリスト教的カムフラージュをしています。
予備知識なしに、研究生になると向こうのペースにのってしまって、知らない間にエホバの証人の教理や思考枠にはまってしまう恐れがあります。ですから、この学びは単独ではしない方が安全です。新世界訳研究会発行の「聖書から『知識』を論じる」では、「知識」の問題点や、この学びをする時の注意点などを取り扱っています。この資料を使う場合、毎週予習をして、問題点を把握して、自分の対応ができるようにしておくといいでしょう。
・反論をする
詳しく学べる方は、エホバの証人の資料を駆使して、内部矛盾をたくさん指摘するといいでしょう。偽預言者や年代の間違いなどは、代表的な問題点です。その場合、はじめに「もし、統治体の教えが間違っていたら、あなたは聖書と統治体のどちらに従いますか?」といって、その人に信仰の確認をしておきます。エホバの証人は必ず聖書を信じるといいますが、実際に両者が矛盾した場合には統治体の方をとります。その矛盾に気づかせるために、自分の口で「聖書を信じる」ということを表明してもらうのです。
3.あかしの仕方について
・教会の姿を知らせる必要性
エホバの証人との対話の第一の目的は、現実の教会の姿を伝えることです。パウ ロは、Uコリント11〜12章で「愚かにも、私は自慢をしなければならない。」と言って、自分が正真証明の使徒であることを証明しました。同じように、私たちもエホバの証人に、自分たちの正さを具体的に知らせなければなりません。多くのクリスチャンがこの問題に取り組むなら素晴らしい働きが展開することでしょう。
平姉が、はじめて教会に来られたときのことは印象的でした。姉妹は、礼拝堂を端から端まで何回も見回して「ほんとうに(偶像は)何も無いんですね。」と感慨深そうに言われました。また「ここで何をするのですか?」とも言われました。礼拝をする、と言うと「いつするのですか?」と聞かれました。これには驚きました。エホバの証人は、クリスチャンが日曜日に礼拝していることさえ知らないのです。まして、週日に聖書研究をしてることなど、思いもかけないことなのです。
その後、次々に来られる元研究生、元エホバの証人、元長老もみな「え?教会でも聖書を学べるんですか?」と、怪訝そうな顔で聞かれました。
エホバの証人は、教会に行くことを禁じられていますので、教会の本当の姿を知る機会がありません。ですから、たとえ組織を離れても、大いなるバビロンだと教えられている教会には決して行かないと言われています。その誤解を解ける人は、クリスチャン以外にいません。生きた信仰者の姿をあかしすることができれば、エホバの証人への伝道の第一歩は達成されたといえます。問題があったとき、クリスチャンの姿を思い出して、教会に来る可能性を開くからです。
その場合、知っていることは知っていると、臆せずに伝えなければなりません。エホバの証人に対しては、謙遜な表現は通用しません。「知らない。」というと、文字通り知らないと思われてしまいますので、注意してください。
・あかしの内容
エホバの証人は、キリスト教界は堕落していて、エホバの証人だけが真のクリスチャンだと思っています(自分たちをクリスチャンと呼びます)。ですから、私たちは、教会が伝道をしている事実を伝えたり、キリスト教会を見せて、それが事実の歪曲であることを実証するなど、統治体のいつわりの教えを正す必要があります。
エホバの証人へのあかしは、漠然とした内容では伝わりません。相手の誤解の内容を知っていて、それに対応して、ひとつづつ、具体的に訂正しなければなりません。以下の内容を必要に応じてあかしできるといいでしょう。
@救いのあかし
エホバの証人は救いをもっていません。ですから、イエス・キリストを信じて永遠の命をもっていること、どうして救われたか、救われて心に平安があることなど個人的な救いのあかしをしてください。相手のエホバの証人にも、どうしてエホバの証人になったのか等、個人の信仰に触れる機会をもってください。
Aクリスチャンと教会の姿
*聖書知識−クリスチャンは聖書を学んでいる。
聖句を引用するときは、必ず聖書を開きます。聖句を暗唱していて、すぐにその箇所が開けるといいでしょう。また、自分は聖書をよく学んでおり、真剣に神を信じて、敬虔に生きているということを、言葉に出して伝えます。
*クリスチャンは清い結婚生活をしている。
教会の中に不貞や姦淫は皆無です。クリスチャンが、離婚や姦淫や同性愛、幼児へのいたづらをするというのは、いいがかりです。
*クリスチャンは第二次世界大戦の時に抵抗運動をしました。
信仰を告白して投獄された牧師がたくさんいます。
コルベ神父は、ナチスのガス室で、身代りになって死にました。
B牧 師
*牧師は、親切で親しみやすく、道徳水準が高くて、立派な人です。
*牧師は、聖書をよく勉強している。
神学校で3〜5年間、聖書を専門的に学び、ギリシャ語やヘブル語を数年間学んでいる。毎週の礼拝のために継続的に聖書を学んでいる。
C教会生活
教会に来てくださいといって、教会を調べて実証してもらうといいでしょう。
*日曜日に礼拝をしている。礼拝では聖書を学んでいる。
*週日に、祈り会や聖書研究会をしている。そこでは、毎週聖書を学んでいる。
*クリスチャンは、親切で愛に満ちている。
神戸の震災のとき、日本中の教会が協力して一般の人々に物資を配った。など、具体的な例を伝えてください。
*クリスチャンは偶像礼拝をしない。
教会には偶像はない。十字架は礼拝の対象ではない。
*教会は伝道をしている。
エホバの証人は、教会が伝道(戸別訪問)しないのは、堕落している証拠だと思っています。ですから、教会が伝道していることを伝えてください。自分の教会の伝道とともに、テレビ、ラジオ、電話伝道など超教派の伝道活動も知らせてください。エホバの証人は、堕落した教会の姿が、絵などによって脳裏に焼きついていますので、それを訂正するためには、放送伝道なら、〇曜日の〇時に〇チャンネルで放送しているなど、実際にしていることが伝わるように具体的に話します。
D聖 書
聖書翻訳は原語からなされます。教会で公認される聖書翻訳は、原語(ギリシャ語・ヘブル語)の専門家などで翻訳委員会を作って厳密に正確な翻訳を行ないます。
新改訳聖書は、旧約聖書はヘブル語聖書(キッテルのビブリア・ヘブライカ第三版以後)から、新約聖書はギリシャ語聖書(ネストレ校訂本(こうていぼん)の第24版)から直接に日本語に翻訳しました。聖書本文(ほんもん)は、多くの写本を比較研究して、最初に書かれた時と99.9%以上の正確さで保存されています。私たちは、その聖書を、神のことばとして読み、信じています。
学者などが、個人で行なう翻訳は「私訳」といいます。日本でも、多くの私訳がありますが、それらは、参考にすることはあっても、教会公認の聖書とはしません。
研究生に対して
研究生とは
研究生とは、エホバの証人の指導で家庭聖書研究をしている人です。聖書研究といっても、実際には「知識」(すこし前までは「楽園」)という、エホバの証人の教理の本の学びです。これを、毎週1-2時間、定期的に学んでいます。
学びでは、質問は歓迎されず、各章毎の設問に本文の中から答えるという方法です。つまり、エホバの証人の教理の路線を忠実にたどっていくことが求められています。その教理を受け入れはじめると、野外奉仕(訪問伝道)や王国会館の集会に出るようになります。最後に、エホバに献身して、伝道者になると、バプテスマを受けてエホバの証人になります。
この課程のどこかに抵抗を残している人は、エホバの証人になれません。ですから、10年以上も研究生である人もめずらしくありません。
研究生への伝道
洗礼を受けたエホバの証人と、それ以前の研究生とでは、伝道をする上で、天と地ほども違います。
私が今まで導いた研究生は、全員、四回の学びで完全にエホバの証人の間違いに気づかれました。そして、すぐに、研究をやめて、正しい教えを教えてほしいと言われました。研究生の方の聖書を知りたいという熱心な願いにふれると、魂を揺り動かされるような思いがします。
ほとんどの研究生は、聖書の絶対性と唯一の神を信じていて、聖書を学ぶ姿勢もできています。ですから、きちんと導くなら、すばらしいクリスチャンになる人たちです。しかも、研究生は同じマニュアルで教育されていますので、一度研究生伝道のコツがわかれば、どの研究生の方も同じパターンで導くことができるでしょう。
しかし、研究生といえども、エホバの証人の思考枠をしっかりもっていますので、その思考枠にそった伝道法が求められます。
初期の研究生の場合
学びをはじめて間もない人の場合は、キリスト教だと思って学んでいることがあります。その場合、エホバの証人が普通のキリスト教ではないことを伝えるだけでいいことがあります。
そのときは、教理よりも社会的な制約など、エホバの証人の実生活を伝えると効果的です。
エホバの証人の社会生活の制約の主なものは、輸血の禁止、選挙に行かない、冠婚葬祭に関わらない、誕生日を祝わない、格闘技はできない、大学進学や就職より戸別訪問の方を重視するなどです。
一般的な研究生の場合
@初めに掘られた溝を埋める−間違った教理の訂正
グランドに溝を掘ってから水を流すと、水は溝に流れて行って、さらに溝を深くしてしまいます。同じように、研究生といえども、エホバの証人の教理に沿って聖書を読んでいます。おかしいと思ってもそれ以外の読み方を知りませんので、自分では訂正できません。ですから、研究生への伝道も、間違った教理を訂正するところからはじまります。
幸い、エホバの証人は一枚岩で、一つのことを多方面から見ることをしませんので、矛盾箇所が一つでもあれば、その教理が崩れます。そこをテコにして、真理を説明します。
教理や資料は、よく理解して、必要な分だけ示します。必要以上に相手の教理に留って議論にとらわれると、かえって混乱します。あくまでも、間違いに気づくことに焦点をあてて話し、わかったらすぐに福音を伝えるといいでしょう。
Aキリスト教の誤解を解く
研究生もキリスト教会を誤解しています。エホバの証人と同じように、クリスチャンと教会の姿を具体的に知らせてください。
B福音を語る
研究生は、聖書の中心メッセージを知りません。間違いがわかったら、すぐ、福音を語ります。神・罪・キリストの降誕・受難・復活・昇天・再臨・キリストの十字架による罪の赦しなどを伝えます。バプテスマ準備会のテキストのように、教理が整っているものを使うといいでしょう。
C研究の停止と教会への出席
エホバの証人の間違いがはっきりしたら、研究をやめることになります。しかし、エホバの証人の研究をやめて、キリスト教会に来ることは、今まで、サタンだと教えられていたことを選ぶということです。その選択をするには、相当な迷いと、ストレス、そして、大きな決断が必要です。また、教理の間違いがわかっても、司会者への信頼や尊敬が残っていて、感情的につながっていることもよくあります。ですから、自分で決断できるまで待ってあげなければなりません。愛と信仰と祈りによる忍耐が求められるところです。
しかし、エホバの証人の研究をやめたら、できるだけ早く教会に来て、自分の目で教会が正しいことを確認する必要があります。教会で、クリスチャンの交わりに入り、早い時期に信仰の告白と受洗に導かれるといいでしょう。
元エホバの証人に対して
現役のエホバの証人への伝道が難しいのに比べて、元エホバの証人や研究生への伝道には、大きい可能性が開かれています。元エホバの証人のフォロアップと研究生への伝道は、エホバの証人伝道の本命だといってもいいくらいです。
最近、エホバの証人をやめて、大野キリスト教会に連絡をして来られる元エホバの証人が増えています。元エホバの証人は、どうして、教会に連絡をして来るのでしょうか。教会は、この人達にどういう対応をしたらいいのでしょうか。
私たちの教会で対応した元エホバの証人の例を紹介しながら、そのことをご一緒に考えたいと思います。
教理の訂正
元エホバの証人には、まず、教理の訂正が必要です。もし、教理の訂正をしなければ、たとえ間違いに気づいても元の教理は残っています。組織から出てきただけで、いつまでもハルマゲドンの恐怖の中にとどまっていることになります。
教理の訂正をする上で、次のようないくつかの留意点があります。
まず、取り上げる問題の選択です。解釈の入る問題は、水掛論になりますので、はじめは議論の余地のない箇所を取り上げます。主要な教理がわかると、周辺的な問題や、解釈の入る問題も、信仰によって受け入れることができるでしょう。
次に、エホバの証人は教理に強い体質をもっていますし、文書やイラストで内容が視覚的に印象づけられています。ですから、その印象を消して、新しい教理を受け入れるためには、聖書や資料を手もとにおいて、文書で説明するといいでしょう。
最後に、元エホバの証人は、間違っていたとはいえ、相当の聖書知識をもっていますし、伝道者として、他の人を導いていました。それだけの誇りももっています。単に信じなさいと言ったり、初歩的なデボーショナルな本を勧めると、的はずれな対応になってしまうでしょう。あくまでも、エホバの証人の教理の問題点にそって、どこが間違っているか、正しい理解は何かを説明することです。
教理の問題点と説明は、第二章で取り上げています。
クリスチャンとしての歩みの援助
エホバの証人の間違いがわかっても、それだけでは、クリスチャンになったわけでありません。すみやかに福音を語って、キリストに対する信仰告白への導きが必要です。また、教理が納得できても、感情や生活習慣が残っていることは、充分に考えられます。一度書かれたものを消して、新しい内容を書くのは、白い紙に書くよりずっと難しいことです。それは教会の援助なくしてはできないことです。
この人々がクリスチャンへと育って行くには、主にある愛と忍耐が必要です。新しい人々をその人のニードに応じて受け入れる忍耐と寛容、主が育ててくださるとの信仰、聖霊の導きへの信頼、クリスチャンの愛と忍耐の求められるところです。
エホバの証人をやめる理由
エホバの証人はレンガ造りの建物のようだと言われています。レンガを積み上げるように、教理をがっしりと組み立てて、信仰を築いているのですが、ウィークポイントがいくつかあって、それを同時にスッスッと抜くと、全体が一度に崩れます。その場合、しっかりしたエホバの証人ほど崩れやすいといわれています。
エホバの証人の間違いに気づくのに、信仰歴の長さは関係ありません。25年、18年、14年など、長い信仰の人が、夢から覚めた人のように間違いに気づかれています。この人たちは、どのようにしてエホバの証人をやめたのでしょうか。
@エホバの証人二世
エホバの証人は家族伝道が徹底しています。親子、夫婦、兄弟など、一家族に数名の信者がいる家庭はよくあります。現在、エホバの証人二世は、20代から30代にと育っています。
二世の人たちは、幼児期に文字どうり「ムチ(箴言29:15)」で躾を受けています。また、学校や社会生活で様々な制約を受けています。自分で選んだ信仰ではない上に、被害を受けていますので、矛盾をクールに見る目をもちやすいのです。
そんな中で、組織や教理の矛盾に気づいて、この組織は間違っているという結論を出します。その後、キリスト教の書店などで、エホバの証人関係の書物を見つけて読み、関係教会を見つけて連絡をして来るのです。
絶対と信じていた信仰が、間違っていると結論づけるのは、大変な決断だと思います。まして「大いなるバビロン」だと教えられていた教会に連絡をすることがどれほどのことか、私たちの想像を絶するものがあります。
ある青年の元長老の方は、朝9時に大野教会に来られて、夜の8時まで、食事もしないで、牧師と話し合われていました。今まで教えられていたこととの、あまりにも大きな違いに、食物など喉も通らない程の、ショックを受けられたのです。
A一般の情報にふれて
テレビを見て気づいた人もいます。数年前に、山崎浩子さんのことが盛んに放送されました。その時、自分たちと似ていると思って、調べる気になった方もいます。昨年のオウムの放送を見て、自分たちと似ていると思った人もいます。
信仰の内容や子供の将来など、教理と実生活のギャップによって、気づく人もあります。ある方は、自分の子どもをエホバの証人の子らしく、お行儀よく育てていたそうです。しかし、友人から、親の前と親のいないところでは、その子が全くちがうということ知らされて、子供を二重人格に育てていたことに気づいたそうです。それをきっかけに、教えを調べて、間違いに気づいたとのことです。
B他の人の説得によって
家族の依頼で、教理の間違いを説得する場を提供された人達です。その気になって、組織の教えと聖書を比べるなら、3日で気づくと言われています。
元エホバの証人の課題
この人々は、二つの意味で、傷ついていますし、傷つきやすい人です。
まず、こんなバカげたことを信じていたという、自己嫌悪と、貴重な人生を欺かれて過ごしたという無念さです。
例えば、30才で気づいた二世の青年の場合。伝道第一の価値観と、ハルマゲドンがすぐに来るという危機感のため、大学にも行かず、正規の就職もしないで、社会生活の基盤を何も築かなかったということがよくあります。その上、学んだ聖書知識は、間違っていたというのです。その無念さと、これからもう一度人生の土台を築き直す大変さ!実際、そういう経験をしている人が何人もいるのです。
次に、今まで努力してきた、行為による正しさの規準で、教会を見てしまうということです。エホバの証人は、服装から会衆内の序列や奉仕態度など、幼児にいたるまで訓練されています。1万人以上も集まる地域大会でも、10分の休憩時間の後、誰一人遅刻することなく、整然と、時間どうりに次の集会が始まります。地域大会は3〜4日間、朝から夕方まで、講演がびっしりです。それでも、幼児さえ誰も騒ぎませんし、字を書けるほどの子供なら4〜5才から、講義内容のノートをとっているというありさまです。
その視点から教会を見ると、悪気がなくてもつまづいてしまうのです。成熟とは、ありのままの姿でいることから始まるということに、元エホバの証人の方が気づくのには、少し時間がかかるでしょう。
大野教会の例
私たちの教会に、最初の元エホバの証人が来られたのは3年前、最初の受洗者が与えられたのは 1年半前でした。
私たちもはじめての経験で、最初の人達には、実に多くの時間を使いました。まず疑問を出してもらって、それに答えるのですが、なかなか納得していただけません。しかし、そんなことを2度、3度繰り返すうちに、問題の核心がわかってきました。やがて、問題になる箇所の共通性、答えとして何を要求されているか、などが肌でわかるようになっていきました。第二章で扱ったのは、そんな経験のまとめです。実際には、これは氷山の一角のようなもので、要点をまとめただけのものです。しかし、これから取り組まれる方のヒントにしていただければと思っています。
受洗者に対しても、はじめは、こちらにも多少の緊張や気遣いがありました。しかし、姉妹達はエホバの証人への伝道の重荷を分かち合う「エホバの証人研究会」などを中心に、教会の中でよい交わりと奉仕に溶け込んでいかれました。
そして、次第にエホバの証人の教理や教えに関心を失い、やがて忘れていかれました。ある姉妹は、教理の確認などで、エホバの証人に関する私の学びを助けてくれていました。ところが、最近は忘れて不確かになって、あてにできなくなりました。しかし、それは何よりも嬉しいことです。それこそ、エホバの証人としての過去が拭い去られて、普通のクリスチャンになった証拠だからです。
教会に求められる対応
エホバの証人のマインドコントロールから脱出して、やっと教会たどりついた元エ
ホバの証人、キリスト教だと思ってエホバの証人の研究をはじめてしまった研究生。この人々に対して、教会はどんな対応を求められているのでしょうか。
新しい見方
エホバの証人との対話は、時間がかかるだけで徒労に終る。だから、エホバの証人との対話は無意味だ、というのが今までの私たちの姿でした。その間に、エホバ の証人はこれほど多くの人々を誤った信仰へと導いていってしまいました。
しかし今、エホバの証人の中からクリスチャンになる人々が起こされはじめました。この人々が、エホバの証人の実体、その思考枠や教理などを伝えてくれるよう になって、新しい時代を迎えています。クリスチャンの思考枠での対話ではなく、 エホバの証人の思考枠にそった対話の方法がわかりかけてきたからです。
エホバの証人を伝道の対象から外した対応から、エホバの証人を視野に入れた伝道の可能性を探る時代に入ったといえるでしょう。ここに、神のみ手と神の時を見て、今までの見方を変え、新しい伝道のフィールドとして、この人々を見るところに、新しい宣教の可能性が開かれていくことでしょう。
元エホバの証人が適応しやすい教会
教会の守備範囲は広く、宣教の使命は全世界に向かって開かれています。その中で、あえて、エホバの証人への取り組みにふさわしい教会をあげるとするなら、このような教会だと思います。
*聖書信仰に立っている教会
エホバの証人は、厳重なファンダメンタリストです。教会が信仰的にあいまいだと、つまづかせます。
*活発に伝道している教会
エホバの証人は何よりも、伝道を重んじていました。また、多くの時間を訪問伝道に費やしてきましたし、そこに生きがいをも見い出していました。何もすることがないと、時間的にも精神的にも空白状態になります。主のために何かをしたいという思いが生かされる教会だといいでしょう。
*教理に強い教会
どうしても、はじめに教理の間違いを訂正しなければなりませんので、どちらかというと教理に強い教会がなじみやすいでしょう。
*広い心と寛容さで、新しい事態に対応できる教会
今まで教会が経験したことのない特質をもっている、元エホバの証人や研究生に対応できる柔軟性が必要でしょう。教える立場から、聞く立場への転換も求められます。また、異端者として特別視したり、偏見をもたず、エホバの証人の後遺症的な問題にも忍耐をもって導く心の広さを求められるでしょう。
つまづきを与えない
イエス様は、マタイの福音書5章20節で「あなたがたの義は、パリサイ人の義に勝らなければならない」と言われました。
エホバの証人関係の伝道にたずさわると、その意味がよくわかります。というのは、エホバの証人は救いをもっていませんので、かえって、行為に重点がおかれています。「エホバの証人は清い。」という教えは、生活実感をとうしての確信になっています。人間の根本的な罪(原罪)と十字架の赦しを知らない人にとって、目に見える行為が絶対となるのはやむを得ないことでしょう。
元エホバの証人は行為を強調されてきた人々です。研究生は、研究をはじめる動機の中に、司会者への尊敬や好意が例外なく入っていて、研究生は司会者や長老の人柄や態度に好感をもっています。エホバの証人の非難は禁物です。
そういうわけで、服装、ことばづかい、時間を守ること、など、行為によるつまづきを与えないことが、この方達への伝道の入口となっています。
エホバの証人の理解と学び
教会にはじめて元エホバの証人や、研究生が来られた場合、第一に求められることは、この人たちを理解しようとする姿勢と、疑問が自由に話せる自由な雰囲気を提供することでしょう。
というのは、元エホバの証人は、私たちが今まで考えたこともない、思いもつかない疑問をもっているからです。その点で、元エホバの証人への伝道は、これまでの宣教の対象である、一般の日本人とは著しい違いがあります。一般の日本人は、聖書知識は、白紙に近い状態でした。しかし、エホバの証人は、間違った教理と、その根拠としている聖句を教え込まれています。ですから、教会は、今までとは違う対応を求められています。
元エホバの証人にとって、何が問題なのか、今までどういう信仰をもってどんな生活をしてきたのか、聖書理解や思考枠の特徴、教会に求められている援助の内容などを学ばなければなりません。
適切な導きと援助をするためには、今までのキリスト教神学だけでは応じきれない面もでてきます。エホバの証人の教理やその対応を新しく学ぶ覚悟も要求されるでしょう。教会は、新しい問題に直面することになりますが、そこに払った犠牲には充分な報いがあることでしょう。
家族への援助と伝道
エホバの証人や研究生の家族は、はじめは普通のキリスト教だと思って、「家庭聖書研究」を許しています。
やがて、常軌を逸した熱心さや考え方の変化に驚いて反対をはじめます。反対がかえって熱心に追いやることを知らないで、激しい反対を繰り返し、どうにもならない状態に追い込まれている家族が多くあります。そんな中で、ご家族が助けを求めて教会に行かれることがあります。その時の家族の方の切なる願いは「たとえその教会で対応してくれなくてもいいから、どこに行ったらいいか、誰に助けを求めたらいいのか、せめてそれだけでも教えてほしい。」ということです。
家族が来られたことをきっかけに、エホバの証人伝道に取り組みはじめられる教会も起こされていますが、たとえ今取り組まないとしても、次のような幾つかの方 策を伝えてあげてください。キリスト教書店やエホバの証人関係の書物の紹介、関心のある教会や知人などへの紹介、関係者(巻末にあります)の紹介などです。
また、書店でエホバの証人関係の本を見つけて学び、独力で取り組んでいる家族の方もあります。その苦しい体験をとうして、反対だけでは止めさせられないことを悟り、自力で聖書を学ばれているのです。この方達は、従来の宣教の視野には入っていなかった人々です。しかし、この人々は、エホバの証人の教理に対抗して、自分で聖書を調べています。そんな中から求道をはじめて、救いにいたる方さえ出ています。教会は、この人々への伝道にも、新しい使命を与えられているのではないでしょうか。
これからの課題
エホバの証人は120年の歴史と経験をもっています。また、反キリスト教の体質は、教団発生の理由でさえあります。ここに割かれているエネルギーと防備の堅さは、一通りのことではありません。また、ある意味で完成された教理体系をもっていますし、伝道方法も、徹底した実地訓練と経験とによって、確立されています。
ですから、これは教会やクリスチャンが個々に取り組んですむようなことではないでしょう。むしろ、キリスト教会としての根本的な対抗神学の確立と、誰でもが使えるような宣教方法を見いだすことが必要だと思います。それは、日本のキリスト教会の責任で行うべき、今後の課題として、試行錯誤の中に見い出していかなければならないことでしょう。
今はその端緒についたばかりです。多くの人々の、祈りと、労苦の成果が結集されていくことが今後の課題として待たれます。
あとがき
エホバの証人との話し合いは、意外な発見と驚きの連続でした。
まず、第一に、エホバの証人個人のまじめさと、その信仰教育の徹底ぶりです。
信仰姿勢、聖書知識、宣教の熱心など、その団体の最高の神学が最先端の信者にゆきわたっていることが、よくわかりました。次に、教理や主張のひどさと、それを信者に納得させる方法の巧みさです。聖書の解釈権とタッキング理論によって、統治体は教理の変更をほしいままにし、エホバの証人は、それを真理として受け入れてしまうのです。
それが、リーダーの絶対化、教理絶対、行ないの強調、外部情報の遮断、ラブシャワーなど、マインド・コントロールと呼ばれるものの特質だと知ったのは、ずっと後のことでした。
平さんとの対話の中で、この人の言っていることは、この団体の最新の最高の神学だということを感じていました。ですから、私は、目の前にいる平さんという個人と話し合っているのではなく、その背後にある統治体と取り組んでいるのだということに、話し合いの初期から気付いていました。それで、エホバの証人について無防備で話し合いをはじめた私は、まるで、小学生が横綱と相撲をとっているようなものだと感じていました。そんな中で、泥まみれの格闘をしたというのが、私の実感です。平さんが、最後まで関係を切らないで、私と関わってくださったことは本当に幸いでした。平さんは、野外奉仕の報告義務を放棄して、個人の関心で来てくれました。それが、救いにまで至られた理由です。
エホバの証人の伝道活動は、聖書の真理を曲げて福音に覆いを掛け、その上、教会に近付けないようにして、人々が救われる道を閉ざすことだといえます。しかも、悪意で妨害するのではなく、正しいと信じての伝道活動ですから、なお悪いのです。このような人々が、「聖書を学びませんか。」といって、毎日毎日、日本国中一軒残らず訪問して歩いている、それがエホバの証人の実体です。
間違いに気付かれた元エホバの証人や、元研究生の方は、例外なく、エホバの証人に真実を知らせたい、と言われます。その中のある方は「クリスチャンは、私たちが訪問したとき、どうして『あなた方は間違っています。』と言ってくれなかったのでしょう。」と泣かんばかりに訴えられました。別の方はもっと率直に「『あなた方はマインド・コントロールされています。』と言ってあげてください。」と言われました。それは、聖書を信じていると思っていたのに、それがこれほどのまやかしであった、ということに気づかれた方の、痛切な叫びでしょう。
平さんも、話し合いの途中で「私は、これが聖書だと教えられたので、信じたのです。それほど、あなた達が正しいのなら、どうして黙っているのですか。」と何度も言われました。私は、知らなかったとはいえ、こんなひどいことに無関心でいたことを、平さんに謝らないではいられませんでした。そして、知らなかったですむことではないと、心に深く刻んだのです。
エホバの証人との学びでのもう一つの驚きは、自分の信仰の見直しをさせられたことです。主要教理のほとんど全面にわたって、思いもかけない解釈に出くわしました。間違っていることはすぐにわかるのですが、とにもかくにも聖書に書いてあることを土台にしています。ですから、その反論はやさしいことではありませんでした。そのためには、新しい視点で聖書を調べないわけにいきませんでした。
今まで自然に信じていたことが、本当に聖書がそういっているから、信じていたのだと今さらながら改めて確認させられました。
特にキリストの神性を調べる過程で、ヨハネの福音書を調べましたが、あたかもはじめて読むような思いで驚きと感動をもって読みなおしたものです。
そんな中で、新約時代のクリスチャンや、4-5世紀の、信条が成立した頃のクリスチャンに思いを馳せたりもしました。
当時のクリスチャンたちも、異なれる福音との戦いをし、その中で、聖書を深く学び、福音の奥義を見つけ、真理へと導かれていきました。私たちは、歴史として先輩のクリスチャンの、異なれる福音との戦いの跡を学びます。しかし、今、私たち日本のクリスチャンも、異端と戦った先輩たちと同じ使命に立たされていることを、深く覚えさせられたのです。
もし、今私たちが黙して、この大きな動きを見過ごすなら、主イエス・キリストの十字架をないがしろにすることになりはしないか。また、後の時代のクリスチャンから、日本のクリスチャンは盲目であったと責任を問われるのではないか。これが、今の私の正直な気持ちです。
エホバの証人への対応は、未開拓の分野です。これに取り組まれる方は、パイオニアの働きをすることになるでしょう。その取り組みには、専門家の領域に属することも多くあります。しかし、私たちの働きに委ねられた裾野の広がりも必要です。今、対話をされている方、これからはじめられる方の上に、主のお導きと祝福が豊かにありますように、心よりお祈りします。
<第2版によせて>
ガイドブックの初版が出た後で、エホバの証人にもっと積極的に間違いを伝えてほしいとの声が、幾人かの元エホバの証人の方から寄せられました。たとえ、エホバの証人が耳を傾けなくても、間違いだと知っているクリスチャンに黙っていないで、間違っていることを伝えてほしいとの切なる訴えです。この版はそうした声を反映させて、多少加筆したものです。ご活用いただければ幸です。
1996年 7月 15日
大野キリスト教会 伝道師 背 山 藤 枝
<参考資料>
◆新世界訳研究会発行 (著者・責任者 中沢啓介)
〒228 相模原市相模大野 6-9-13 大野キリスト教会内 0427-43-5674
「『見過ごしてよいのか』エホバの証人の救霊のために立ち上がれ(No1)」 \100
「『どう対応したらよいのか』エホバの証人の救霊のために立ち上がれ(No2)」 \100
エホバの証人とはどういう人々なのか…基本的な理解のための冊子
「イエスはどのような神なのかヨハネの書1:1の解釈」 \100
「a god」の問題への解答
「わたしたちにお話ください。そのようなことがいつあるでしょうか」 \200+500
1914年とハルマゲドンの教理の変更についての内部矛盾資料
「長老への手紙」…年代変更についての長老への質問状 \100
「『エホバのみ名』の対話シリーズ」 \150+450
神の御名はエホバか?キリスト教は神の御名を削除したのか?
「創設者C.T.ラッセルの生涯」 \100
「宗教は恐ろしいか」…マインドコントロールの解説 \200
「聖書から『知識』を論じる」シリーズ 各1冊 \150
エホバの証人とともに、「知識」を学ぶための資料
「マタイの書を学ぶために」シリーズ 各1冊 \100
エホバの証人とともにマタイの福音書を学ぶための資料
「啓示の書〜その壮大な最高潮は近い!」 各1冊 \100
エホバの証人とともに黙示録を学ぶための資料
「参考文献」…キリスト教側・エホバの証人側双方の資料集 \300
「進入禁止」…エホバの証人予防トラクト \7
「良いたよりに出会って」…元長老の体験記 ビル・ブラッツ著 無料
「エホバの証人伝道のためのガイドブック」 背山藤枝著 \200
★大野キリスト教会の資料センターでは、元エホバの証人からいただいた書籍を、関心のある方にさしあげる働きもしています。
★予防トラクト「進入禁止」
エホバの証人伝道では、人々にエホバの証人伝道の間違いを知らせておく、予防の働きも重要です。大野キリスト教会では予防トラクト「進入禁止」の頒布にも協力していますので、関心のある方はお問合わせください。「進入禁止」はクリスチャン新聞1994.12.4.号と1995.6.18.号に掲載されされました。その後、全国からの問い合わせや注文に応えて印刷、発送のサービスをしています。現在までに約320教会に60万部を発送しています。
◆エホバの証人救済対策本部発行 (著者 草刈定雄)
〒655 神戸市垂水区西舞子8-10-11 西舞子バプテスト教会内 078-781-3258
「ものみの塔預言・教理の移り変り」…教理変更の資料集 \1,250
「だれでもできるエホバの証人への伝道アプローチブック」No1 \1,250
1975年再臨説・三位一体・キリストの神性に対する具体的な対応策
「だれでもできるエホバの証人への伝道アプローチブック」No2 \1,250
1914年の予言に焦点をあて、エホバの証人の思考に合わせた対応策
◆真理のみことば伝道協会発行 (著者 ウィリアム・ウッド)
〒352 埼玉県新座郵便局 私書箱26号 0492-53-2213
「目ざめの時!1914それは特別な年なのか 1」 \300
「目ざめの時!忠実で思慮深い奴隷:それは誰か 2」 \300
「目ざめの時!救い:それはいつ与えられるか 3」 \300
「ものみの塔の預言の記録」 1914の預言のいつわりの一覧表。 \200
◆一般のキリスト教文書
「旧約聖書人物の系譜・歴史年表」 秋吉輝雄著 燦 葉 社 \1,300
「聖書年代学」 ジャック・フィネガン著 岩波書店 絶 版
「マインドコントロールの恐怖」 ステーィブン・ハッサン著 恒友出版 \1,500
「隠された『ものみの塔』の実体」 D・リード著 いのちのことば社 \1,442
◆エホバの証人側の文書
日本支部住所 〒243-04 神奈川県海老名市中新田1271 0462-33-0005
「王国行間逐語訳」
「参照資料つき聖書」
「聖書から論じる」
「洞察」
「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます。」
「知識」
★エホバの証人関係の書物は非売品です。
エホバの証人の研究生になると司会者を通して入手ができます。
また、元エホバの証人の方からもいただけます。
<エホバの証人に伝道をしているグループ・個人>
真理のみことば伝道協会 北海道支部 大東 利章
〒062 札幌市豊平区豊平郵便局私書箱27号 011-823-8882
真理のみことば伝道協会 ウィリアム・ウッド
〒352 埼玉県新座郵便局 私書箱26号 0492-53-2213
真理のみことば伝道協会 関西支部 ジャン・ドウゲン
〒586 大阪府河内長野市南花台 3-4-30-501 0721-63-9021
エホバの証人から家族を守る会 大野 晃(クリスチャンバイブルセンタ-大通内)
〒061-22 札幌市南区藤野 4-2-395-8 011-592-2608
エホバの証人問題対策伝道部 仁井田 義政(アッセンブリ- 溝口キリスト教会内)
〒213 神奈川県川崎市下作延2011-15 044-811-3235
新世界訳研究会 中沢 啓介 (大野キリスト教会内)
〒228 神奈川県相模原市相模大野 6-9-13 0427-43-5674
エホバの証人救済対策相談センター 小柳 賢次
〒419-01 静岡県田方郡函南町柏谷87-3 0559-79-4725
豊橋ホサナキリスト教会 森川 昌芳
〒440 静岡県豊橋市住吉160 0532-61-8984 (FAX 63-3970)
エホバの証人救済対策本部 草刈 定雄
〒655 兵庫県神戸市垂水区西舞子 8-10-11 078-781-3258
原田 康次 〒822 福岡県直方市鈍野 2284 09492-6-5561
<関心のある教会・個人>
空地 良子 〒067 北海道江別市高砂町12-1 0492-35-6272
江別バプテスト教会 牧師
佐藤 彰 〒979-13 福島県双葉郡大熊町大野197 0240-32-2313
福島第一聖書バプテスト教会 牧師
相場ひさ子 〒321-24 栃木県今市市佐下部312-5 0288-21-7953
白石多美出 〒344 埼玉県春日部市春日部東 3-12-6 048-752-3867
日本基督教団 春日部教会 牧師
北国 哲夫 〒350-02 埼玉県坂戸市仲町 25-8 0492-84-4749
坂戸バプテスト教会 牧師
藤原 導夫 〒272 千葉県市川市大野町 4-2831-10 047-338-5354
市川北バプテスト教会 牧師
小出 稔子 〒611 京都府宇治市小倉町堀池 7-55 0774-22-6088
宇治バプテスト・キリスト教会 牧師夫人
木田 博文 〒647 和歌山県新宮市新宮 1134-11 0735-22-2258
新宮キリスト・バプテスト教会 牧師
*このリストへの掲載にご協力くださる方は、著者にご連絡ください。
〒228 神奈川県相模原市相模大野 6-9-13
大野キリスト教会内 背山 藤枝 0427-43-5674

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