カトレアに魅せられ30年になります、南米旅行も今回で26回目です。我ながらよく通ったものだと思います。旅行の費用だけでも立派な家が建つぐらいは使ったらしく???(妻が赤字の家計簿をしっかりつけていて時々チクリ チクリ言います。)
とにかく 蘭・乱・走 。 ランに くるって 走ってきました。走りまわっただけに、得るものもたくさんありました。
みなさんから「いい加減にHPを更新してくれ」とお叱りの声が多くなってきましたので、これから頑張って南米の情報をお伝えしたいと思います。
今回の目的は現地の方との交流と、秋の蘭を見ることです。以下のことを順次更新していきたいと思います。
1、南米旅行の大変さ。「辛抱あるのみ」
ブラジルに行くには本当にたくさんの時間がかかります。直行便(ノースウエスト・コンチネンタル・AA等の場合)
我が家 大垣ーーーー名古屋のセントレアーー成田空港到着。ここまで計約6時間。ここまではたいしたことありません。
成田の待ち時間 6時間30分。くたびれます。ーーーーーアメリカまでフライト時間は、約13時間( ニューヨーク・ヒューストン等。)腰が痛い。 計約19時間30分 アメリカまでくれば約半分来たことになります。
アメリカ出発 後半分だ!
アメリカのヒューストンの待ち時間 約7時間。これだけあれば飛行場は全部見学できます。ーーーサンパウロまでのフライト時間約10時間ーーー親戚の家に到着=合計約44時間。
行きと帰りで同じだけ時間がかかります。44の2倍は88時間です。行きと帰りだけで約4日かかるということです。着いた日はくたくたで何もできません。日本航空の場合はアメリカでのトランジットの時間が短縮されますが、料金が重くのしかかります。しかし、サービスは最高です。さすが日本航空!。少し高くても日本航空をおすすめします。
外資系の航空会社はこんな点に注意。
・便名が表示されない。
・カウンターの便名の表示が適切に表示されないことがありました。いつまでも他の便名にしてあり、こちらが問い合わせて初めて変更し、危うく搭乗時間をオバーしかけました。信じられない!
・荷物の扱いが荒っぽい。
「これは割れ物が入っているから気を付けて!」と言ってタグまで付けてもらったのに、次の瞬間「ガテャッ」とトランクを倒す。これも信じられない。私は外資系の航空会社で3回,トランクを壊されました。今回もマグネットのカギが完全に壊され、ケースが開かないようにテープでぐるぐる巻きにされ、ターンテーブルから出てきました。スーツケースの角もひどくへこんでいました。どうせおもいっきり投げたのでしょう。もちろん手続きは面倒でしたがすぐにその足で飛行場のオフィスに行き、スーツケースを交換してもらいました。これで交換は3回目です。毎回新しいスーツケースになりますが、ケースのグレイドは毎回落ちてきます。
・早口の英語の質問多すぎる。
最近テロ対策で質問が多くなってきました。英語の早口で「どこで荷物を作ったか」 「誰かから預かったものはないか。」「液体のものは持っていないか」等々、たくさんの質問をチエックインの前とボーデングパスを渡してから搭乗するまでの間にすることがあるのでしっかり英語で答える必要があります。
2、植物の橋本博士との植物発見ツアー「こんな花見たこともない」
(更新途中です。追加する予定です。)
・植物分類学の橋本博士と植物発見ツアーに行ってきました。場所は自然保護のためお教えできませんが、サンパウロからバスで4時間ぐらい行った海岸線に近い場所です。最初エビネのような背丈の高い地生ランを見つけました。小さなサルメンエビネのような花で、種まで着けていました。
感動したのは次に見つけた花です。ブルーの地生ランです。とても大きな花びらで綺麗なブルーの花でした。今まで一度も見たことのない花で、名前を橋本先生にお聞きしたところ、CLEISTES LIBORNII という名前だと教えていただきました。
以前,NHKの橋本博士の紹介ビデオの最後のシーンで、橋本博士が「新種のランだ!」と発見されるシーンがありましたが、まさにその時の花でした。花はそのエリアに数十株生えていて、とても神秘的でした。
3 ワルケラーナ・ノビリオールのすごさ。 3-A 3-B 3-C
(更新途中です。3-C 5月9日 更新)
4 森の妖精ビオラセア・エルドラード。(更新はまだです)
5 ジョージ鈴木氏 とパンアメリカン オーキッド グロワーズ グループのリダー 田島さんとの出合い
パンアメリカンの組織 ![]()
今回は、パンアメリカン オーキッド グローアーズ グループのリーダー田島さんを訪ねました。
パンアメリカン オーキッド グローアーズ グループは17の生産者で組織し、約200万株以上の蘭を生産している団体です。以前はジョージ スズキ氏が指導者で、田島さんがリーダーでした。鈴木さんが亡くなった後は、田島さんがグループをまとめてみえます。
最初の生産物
田島さんは弟の修さんと二人でカトレアの交配種を中心に生産しています。田島さんは北海道出身で、家族と共に1955年にブラジルに移住しました。
最初、バラや果物のカジューを作っていましたが。バラは土が酸性になり、最初植えたものとちがうものが咲くので、何とか土を使わないものはないかと考え、次に、シンビジューム栽培をしました。ヨーロッパにも輸出したりしました。しかし、シンビは早咲きから遅咲きをまで作っても半年しか出荷できず、年中出荷できるものがないか探したそうです。
![]()
農業技師採用法案とスズキ氏との出合い
ちょうどその頃、ブラジル政府が「農家は農業技師をどうしても雇わなければならない」と言う法案を作ろうとしました。
田島さん達や市場の団体は「冗談じゃない。そんな農家の負担になることは止めてもらいたい」と反対運動を起こしました。その時の農業委員会の事務局長がジョージスズキさんだったのです。そして鈴木さんは農家の思いを理解し、反対運動に協力することを約束しました。これが田島さんと鈴木さんの出合いです。その後法案は廃止されたそうです。
カトレア・オンシジュームに挑戦
その出合いがきっかけで田島さん達は鈴木さんの家に通うことになりました。鈴木さんに「シンビを出荷できない期間の穴埋めになるものはないか」と聞いたところ、「カトレア、デンドロ・オンシジュームがよい」と教えてもらつたそうです。しかし、仲間の中には「自分たちはシンビのグループだ」と言って作ることに反対する者もいました。また、利益優先の身勝手な主張をする市場との対立もありました。
その間、田島さん達は、大都市リオデジャネイロの市場を開拓しようとしました。 また、オンシジュームの切り花の研究をしたり、フラスコ苗も導入し、生産を拡大していきました。
鈴木氏からの交配の指導
その頃から鈴木さんに指導をしてもらうことが多くなってきました。「どの交配の親を使えばよいか。」「この交配は何をねらいとして交配したか。」「形や色を出そうとするには母木や父木に何を使ったらよいか」等々1週間に3回も鈴木さんの家に6人から8人ぐらい押し掛け、夜遅くまで花談議をしたこともあったそうです。その時に田島さんは親木の重要さと使い方を覚えたそうです。
芸術家と農家
田島さんの勢いは凄く。「どうせやるんだったら。とことん突っ込んでやろう」と思ったそうです。鈴木さんは一つのきれいなものを作る芸術家。 田島さんは大根のように少々形がくずれていようとも一年中咲くものを作る農家になりたいと思ったそうです。
親株の投資と未来
そこで最初、鈴木氏から、その当時のお金で数千ドルの赤の濃い中輪の親木を分けてもらったそうです。その他、親木やフラスコ苗を合わせると数十万ドルになったそうです。返金は大変だったが、スズキ氏が長期で待ってくれたため、その間に苗を作り、その何倍ものお金を手に入れるまでになったそうです。蘭は親株しだいです。
「ロープで死ね!」
しかし、よいことばかりではありませんでした。苗が大きくなるまでに年数がかかります。その間、弱気になったことも何度かあったそうです。弱音を吐くと鈴木氏は、「ちょうどよいロープがある。」「さっさと死ね。」「根性なし。」とよく言ったそうです。
後から叔母に聞くと、鈴木さんもハワイ時代に、弱気になって泣きごとを言うと、イワナガ博士に「そこにロープがあるから早く死ね。」とよく言われた。と話してくれました。自分が言われた励ましの言葉を弟子の田島さんにも言ったわけです。
以前、鈴木さんが「蘭で苦しくなるとポット方向を変えてしまう根性無しがかなりいる。」「それは本当に蘭が好きじゃないんだ」と話してくれたことがありましたが。一つのことをやり遂げるには口では言えないことがいろいろあるようです。これを戒めの言葉として頑張りたいものです。
未来に羽ばたけ!
現在、田島さんはじめグループの人たちは素晴らしい蘭を作るため絶えず情報交換をしながら育種に努めています。パンアメリカンのグループは益々力を付けて未来に羽ばたくと思います。私も仲間の一員として頑張りたいです。
その他
私たちのグループの蘭は世界中に羽ばたいています。時々、よい蘭が少なくなったコロンビアやベネズエラ・ブラジルの周辺諸国・アメリカ・ハワイに頼まれ輸出しています。コロンビアやその他の国の蘭かと思ったら実はブラジルの我々の蘭だったということもよくあります。
メイドイン ブラジルは 世界を制覇する日も近いと思います。
本物の日本人の心
田島さん達は鈴木さんが亡くなって十数年経ちますが,今だ、正月にはグループの人と一緒に餅をついて叔母のところまで持ってきてくれます。義理人情・師弟愛・感謝の心を持った日本人がまだブラジルには残っています。また、田島さんのラボラトリーにはジョージ鈴木さんの写真が掲げてあり、今だ田島さんたちを慈愛を含んだ厳しい目でにらんでいます。
今回の訪問を終え一番感じたことは、この人達なら世界で一番きれいなカトレアを創ることができる。 世界中に、この心が織り込まれた蘭を届けて欲しいと思いました。 田島さんパンアメリカンの皆さんお本当にありがとうございました。これからも健康に気を付け、素晴らしい蘭を作り続けてください。 (2007年5月19日 )
6 蘭展の様子 paranavaiの蘭展 蘭展の1位は山のワルケリアーナでした。とてもよい形でした。蘭展の方と交流ができ、とても楽しい一時でした。次の日も個人的にグリーンハウスを見せていただき、とても参考になりました。審査委員の方から素敵なレストランで、おいしいピザをご馳走になりながら、トリアネやワルケについて秘蔵の話をお聞きしました。すごい話でびっくりしました。聞きたい方は私の家までおいでください。ここでは申し上げられません。( 5月10日更新)![]()
7、その他 (更新はまだです)
【南米旅行のきっかけは ジョージ スズキ氏との出会い】
十数年前、ジョージ スズキ氏が、日本に叔母と二人で遊びに来た。私は、ブラジルに親戚がいることは知っていたが、その人が、世界的なラン屋さんで、沢山のランを作っていることは全く知らなかった。何も知らないということは恐ろしいことである。なんと、そのすごい人に「私はFCCの知事賞のランを持っている。株も2000株持っている」等々、自慢したのである。するとスズキ氏は、「原種のよい物は高いが、そんな交配種の知事賞の株はアメリカで15ドルもあれば買える。それと、その花は、大きいだけで、オープンリップで審査の厳しいブラジルでは50点しかもらえない。アメリカ人はあまりランのことを知らないから、そんな花にFCCを付けたのだ。また、私たちのグループでは、数えたことはないが、全部で200万株以上作っている」等々ーー。呆気にとられる話しばかり返ってきた。今考えると,私は恥ずかしいことをよく言ったものだと思う。
そして彼は最後に「あなたもランを育てているのなら、カトレアの原産地のブラジルに一度見においで」と云われ、いろいろ迷ったが、清水の舞台から飛び降りたつもりで、ブラシルに行くことになったのであった。それ以後、南米の魅力にとり付かれ25回も通うことになる。
【我が師】
私の原種の知識の多くは、故 ジョージスズキ氏(親戚)、故
エイトールグロイデン氏(原種ランの生き字引)、多くのブラジルのコレクターから教えていただいたものがほとんどです。
ジョージ スズキ氏は,パンアメリカン オーキッド グロアーズグループの指導者で、ハワイ大学でバイオの技術や遺伝学を学び、ブラジルに渡り、初めてラン作りを行った、南米のラン栽培の草分け的存在であった。
交配した数は3700にもおよび、毎日、このランとこのランをかければ何パーセント白が出て、何パーセント赤が出るなど、 ラン作りのことばかり考えていたという。しかし、その当時、ランは山採りがほとんどで、実生をする者は無く、4〜5年もかけてラン作りをする者は、馬鹿あつかいされたという。 彼の作出したものには、カトレアのパストラル イノセンス(登録者名は親友のロルフ アルテンバーグ)など、世界的に有名なものが沢山ある。
また、彼の行動範囲は大変広く、アメリカやハワイをベースとし世界123カ国にもおよんだ。
大金持ちのカストロ達とボストンバックに札束をぎっしり入れて、南米中の良いランを買い集めた話も、よく聞かせてくれた。
原種については、エイトールと、大の親友であったため、本当によく知っていた。原種のコレクションも大変沢山持っていた。おそらく、私の知る限り、原種と交配種の両方を知る人では、この人が最高の人であったと思われる。

・ランをこよなく愛した、エイトールの最後のメッセージ「私は小さい頃からランの仕事にたずさわってきた。しかしブラジルのランがどんどん森林破壊で無くなっていく。悲しむべきことだ。いろいろな形で地球上に残して欲しい。そしてランのすばらしさを全世界に知らせて欲しい。」
・カシンスキー氏のメッセージ 「国と国とが協力して最高のランを創りましょう。」
【大コレクター カストロと ジョージスズキ氏との出会い 】
あるラン展でカストロがバンダを出品した。まわりの者は大金持ちで大コレクターのカストロが出したものだけに褒め称えた。しかしスズキ氏だけは、ハワイで良いバンダを沢山見ているので「なんだ こんな ちゃんからもん」とけちを付けた。そこで喧嘩が起きた。スズキ氏は昔から負けん気が強いし、いろいろな審査もし、ランのことは誰よりもよく知っていた。そこでまわりの者はカストロにジョージに謝るようなだめた。カストロは最終的には謝った。それならばとスズキ氏は秘蔵のバンダをカストロにプレゼントし、それがきっかけで二人は大変仲良くなったという。その後カストロは、ジョージの息子の名付け親にまでになった。
【ブラジルの強盗 日本人を脅かすなら日本語でおどかせ!】
サンパウロで医者をしている叔父夫婦と叔母と私の4人でサンパウロの中心街に車で買い物に行ったときの話である。私は暑いので窓を開け、右側の助手席に座っていた。
人通りの多い信号機のある交差点に差し掛かったときである。信号が赤になったので、車は停止した。そこに、右の歩道から痩せこけた35才前後の男が駆け寄ってきて、いきなりポルトガル語の早口でぺらぺらと何か話しかけてきた。
私は道を聞いているのかと思い、にこっとしながら、意味が分からないので何気なく叔父の顔を見た。すると何かようすがおかしい。叔父の顔が真っ青である。
次の瞬間、叔父はすごい勢いで急発進した。私は「どうしたの」と尋ねると「今の人は強盗だ。」あの人は「俺はポケットにピストルを持っている。命が欲しかったら金を出せ」と言ったという。それを聞いて私もびっくりである。
後で聞いた話だが、その交差点では、よく金持ちが同じ方法で襲われているという。恐ろしい話である。叔父の機転で難は免れたが、サンパウロは実に怖い。
しかし、私のような大男を狙うとはいい度胸をしている。その強盗にひとこと言いたい。「私にポルトガル語で脅かしても無駄だ。私を脅かすなら日本語で脅かせ!」
みなさんもブラジルに行くときには、脅かされたときの言葉を覚えることと、暑くても窓はあまり開けないようにしましょう。