日仏景観会議・倉吉「伝統都市の再生」

              会場配付資料。 

目次

    前書き
第一部  山陰、鳥取県、倉吉地域に付いて

第二部 日仏比較
   1. 景観はその地固有のもの、日本の景観は日本の景観です。
   2. 戦後のフランスの都市計画の歴史。
   3. フランスでの景観の扱い。
   4. 景観規制に関する我国の現状。

第三部 フランスの都市再生(Réhabilitation)について。


  I. 保存地区
   1. 保存地区とは
   2. 代表的事業、マレ保存地区
   3. 今日の保存地区政策
   4. 保存地区の地方分権化
   5. 保存地区の指定と境界の確定
   6. 保存と価値付け計画の研究
   7. 保存と価値付け計画(PSMV)
   8. 保存と価値付け計画の実施  
   9. 保存地区内の不動産修復に対する税制優遇措置

  II. その他レアビリタシオンに用いられる制度。 

前書き 
 1999年6月、埼玉県秩父郡吉田町で第一回「日仏景観会議」が開かれました。この数年前、「深いフランス」の見学旅行を し、特に地方中 小都市や田園地域の整備に深い印象を受けた秩父地方の有志が、旅行の手配をしたペルピニアンの建築家・都市計画家G・ヴュルステゼンに講演してもらおうと 言う話がきっかけでした。会議ではフランスの都市計画制度や整備例のスライドによる講演があり、その後、自由討論や、町の造成地計画の競技設計がありまし た。数日後、この会議の「東京の部」が(社)公共建築協会により恵比須日仏会館で開かれ、「吉田町日仏景観会議」の報告とフランスの公共建築事情の説明が ありました。
 翌年9月、「吉田町日仏景観会議」に参加した鎌倉の住民団体の希望で、第二回の日仏景観会議が鎌倉円覚寺で開かれ、敷地細分 化による住宅 地環境悪化を防ぐ市条例など法政面の議論を中心に、ヴュルステゼンの講演の後、竹内鎌倉市長を交え活発な議論が行われました。この後、建築家進来廉氏の企 画で山形県新庄市において「日仏景観環境会議」が開かれました。
 2001年11月、高知築城400年に際し、高知新聞社主催で三年目の「日仏景観会議」が高知で開かれ、遺産としての城と都 市について日仏の発表がありました。
 景観は歴史的地域的な社会文化の一つの現れですが、只の景色や風景とは違って、意識的に、社会的、制度的に管理される対象と 結果を「景 観」と呼ぶべきだと思います。そのためには、社会的合意が前提であり、それなくしては、景観条例などの制度は空虚で、実効を伴わないものになります。吉田 町や鎌倉市などの住民発意による会議は、このような社会合意形成のための気の長い運動の一つです。
 これまで五回の会議は全てG・ヴュルステゼンと宇田が加わり、四年目を迎えるのですが、社会的意義のある当会議を、個人的縁 や能力で制限 するのは問題と以前から思っていました。このため、建設界の倫理確立を目指すNPO建設環境情報センター(CEIC)に今後の展開の主体となって頂き、住 民発意で地域の問題解決に寄与する当会議の主旨に従い、年一回二会場の「日仏景観会議」を続けて頂くことになりました。「日仏景観会議・倉吉」の東京の部 はその手始めです。毎年の会議で景観を考える運動の全国の輪が広がれば、「地球大で考え、地域で活動する」リオ国連会議の原則の実践として、大きな力にな るでしょう。
 今回、鳥取県から研究費を頂き、実行委員会の皆様の御努力で、四年目の「日仏景観会議」を倉吉と東京で「伝統都市の再生」の 主題で開くこ とになりました。高度成長で破壊されていない伝統遺産の豊かなこの山陰の地で、皆様の郷土の誇りとして、美しい景観を維持して行くことは日本全体にとって 大切なことです。
 最後に、初回から当会議を強力に支持して頂き、今回はフランス政府のロゴを使う高い評価を頂いたフランス大使館に篤くお礼申 します。   (宇田英男記)

第一部  山陰、鳥取県、倉吉地域について   (生田昭夫)

倉吉のこと
山陰は赤瓦。山陰本線で京都から下る旅をすると、城崎を過ぎた頃からトンネルを抜ける度に、赤い瓦屋根の民家の風 景が現れる。赤い瓦は、海 の青さ山の緑に良くあっていると言う事だろう。山陰を代表する風景として、赤い瓦屋根の景観をあげる人が多い。それ以前の景観は、素焼の桟瓦、草屋根、杉 や檜の皮、板に石を乗せた屋根の景観だった。
鉄道網が全国に張り巡らされて、人々や、作家が旅をするようになり、彼等がその印象を語り、雑誌に記した事と、丁度その時期に 赤い瓦が普及した事とが相まって、“山陰は赤瓦”と言うイメージが広がり、やがて定着したと私は考えている。
倉吉の誕生。倉吉は、打吹山と小鴨川に挟まれた幅1.5km、長さ2.5km、高低差 7mのなだらかな地形に打吹山の山裾に そって帯状に展開している。打吹山にお城が出来るのは、延文年間(1350年頃)というが、本格的な城下として整備されるのは、天正年間(1573〜 1591)だと考えられている。この地に町が出来るのは、天文13年(1544)頃の荒神町、新町付近からとも、天正10年(1582)頃の岩倉町付近か らとも言われているが、定かではない。その後、城下町としての体裁を徐々に整えたが、元和元年(1615)の一国一城令によって廃城になった。
これにより倉吉は、城下町としての機能を急速に失い、陣屋町、宿場町として、木綿や稲扱き千刃、倉吉絣等の手工業等の生産地と して、又周辺の農村の中心地としての役割を細々と担ってきた。
倉吉の景観。町の景観は、地形、植生、その町の成立経過や役割、過去の災害の有無、そ の町の人々の美意識、町の富、価値観等によっても異なった形として表れる。それらによって、各町特有の景観が作られる。
倉吉の場合はどうだったのだろう。倉吉の街路の形態は、岩倉町周辺の自然発生的な街路のまち並みと、御陣屋周辺の区画された街 路のまち並みで構成される。また、内堀と同時に船輸送の役割を果たしたと言われる玉川が、街路と並行して流れる。
城下町の名残りを残す鍵型の街路と、大蓮寺小路など狭い数本の小路。防火帯の役割をはたした上下の広小路。瓦の家並みと商家の 土蔵。木造の3階建。各時代毎のいろいろな外観を持つ建物。空家。こうした様々な基本的な要素と人の作為とのよって倉吉の景観は成り立っている。

倉吉の景観を特徴付けたもの
大火と赤瓦・土蔵。倉吉の町は、江戸時代延宝6年(1678)、元禄8年(1695)、寛延3年(1750)、宝 暦3年(1753)と大火 を経験している。これが土蔵や商家に瓦屋根が普及する要因になったと考えられている。当時の瓦は、赤い釉薬瓦ではなく黒い素焼の桟瓦だった。宝暦年間に建 てられた旧牧田家(宝暦10年3月(1760年)の棟札がある。)の屋根は、素焼の桟瓦が葺かれている。屋根の構造体も建築時から瓦葺用として作られてい る事から、建築当初から桟瓦が葺かれていたことが分る。伯耆国倉吉侍屋敷町之絵図(寛延年間・1748〜1750)でも瓦葺と思われる表現の屋根が多数認 められる。こうしたことから、宝暦年間には瓦屋根の家があったことが分る。
赤い釉薬瓦が普及するのは、明治になってからである。役場や学校に黒の桟瓦が葺かれたのに対し、なぜ商家や民家に赤い瓦が普及 したのかは分らない。商家の土蔵の壁の仕上げも土壁のままで、漆喰仕上げではなかったと思われる。
今のように商家や土蔵の多くが、赤瓦漆喰仕上げの景観になるのは明治以降である。
明治38年(1905)にも魚町一帯で大火があり、防火対策として明治41年(1908)に建てられた旧国立第3銀行が桟瓦土蔵造りとなった。

地震。倉吉は、宝永7年(1710)、宝永8年(1711)、昭和17年(1942) の鳥取地震、昭和58年の鳥取県中部地 震など大きな地震をたびたび経験している。鳥取震災では、建物の内部に大きなすじかいが取り付けられた例や、外壁にむき出しのすじかいが取り付けられるな どの例もあったが、一部の例を除いて建物が耐震構造で建てられることは無かった。
水害。倉吉は度々洪水に襲われた。天文13年(1544)には見目市、鹿首村が流失し て、生残った人々が倉吉に移住し、倉吉の城下町形成の一翼をになったと伝えられている。
その後、度々洪水に襲われたが昭和9年(1934)の室戸台風では、倉吉と上井を結ぶ重要な道、倉吉往来が流失した。そのため現在のルートが新しく作られ 町の景観が大きく変わった。

新しい時代への対応
何を作り何を捨てたのか。明治時代になると、役場や学校等の公共建築にいわゆる洋風建築が建てられ始めた。
これらの建物の外観は、漆喰やペンキ仕上、屋根は瓦葺きで、新しい時代を感じさせた。洋風建築に瓦が葺かれたことが草屋根だっ た民家の屋根が瓦に変わって行く要因になったと言う。しかし、洋風建築の多くの屋根の瓦は赤い瓦ではなかったようである。
その後、倉吉の洋風建築の殆どが解体され姿を消した。何故、洋風建築は姿をけしたのだろうか。
基本的に雨や雪の降る気候風土に合わなかった。風土を無視した無理なデザインの為に雨もりが止まらず民家よりも早く腐食や老朽化が進み、維持に多大な費用 を要しその負担に耐えられなかった。お役所の建物だから市民に愛着が無かった。手狭になる等用途の変化に対応出来なかった。市民に大切にされなかった。な んとか成徳小学校を残そうと試みた建築家もいたが、当時の倉吉の人は誰も耳をかさなかった。

こうした事が考えられるが、この時代に建てられた民家の多くが今も使われていることを考えると、何故洋風建築は早々と解体され たのか不思議である。
いずれにしても、倉吉の人々のその当時の営みや考え方を表現し、倉吉の時間の積み重ね、時間の繋がりを表し、伝統的なまち並み にスパイスの様な景観を作っていた洋風建築の多くは解体された。
幸い、今残っている、国立第3銀行(現倉吉大店会)と水道局の旧余戸谷町ポンプ場を倉吉の景観としてどのような形で生かして行くかが、私達に課せられた課 題だと考えている。

意欲的な取り組み。昭和29年(1954)ベビーブームの子供達が一斉に小学校の入学 時期を向かえた。倉吉でも小学校の教室の不足が大きな問題となっていた。倉吉市は、この問題を解決してくれそうな、新しいタイプの小学校に飛びついた。
軍国主義の反省から生まれた新しい形の小学校だった。円形校舎の明倫小学校とバッテリータイプの河北小学校だった。どちらのタ イプも廊下が 無く、その分同じ予算で教室が増やせる。狭い敷地でもスッポリと収まる、と言うふれこみだった。しかし、実際に建てて見ると多くの問題があった。
明倫、河北の各小学校は、役割を終えたとして、一校は解体され、一校は公民館に転用されている。
市役所も当時のスター建築家、丹下健三に設計を依頼した。これは建築の大好きな市会議員が、雑誌「国際建築」等で紹介された記 事を読んで市長に提言したのがきっかけだった。
倉吉人は、新しいデザインの建物を積極的に貪欲に建て、そして壊して来た。
「新しい物が好きだが大切にせず、捨てるのも早い」と言えるのかもしれない。

景観は人が作る
知恵の出しどころ。倉吉は今、大きな課題を抱える。旧市街地の景観を大切にしながら、新しい景観を創造し、それら をつなぐと言う課題である。これは、過去の倉吉人が抱えたのと同じ課題であるともいえる。
しかし、私達はこれまでの人々とは大きく違う解決方法を持っている事に気づく。それは、情報が公開され、外国や、他の地域の成 功例や失敗例 から学び、議論して、皆で知恵を出し合い、工夫する事が出来るようになったことである。皆で考え、より良いまち並みや景観を作る為の方向性を探る事が今求 められている。
景観カルテ。さまざまな要因により景観は変化する。「景観カルテ」には、過去の姿、改 修や修理の経緯、変化する姿、市民の意 見などを記録する。これにより、新しく建物を建てたり、古い建物を解体して新しくする場合、又道路などを新設したり改修する場合に、過去の景観や考え方の 変化も参考にした計画が可能になる。
「景観カルテ」は広く公開し、皆が共通の資料を手に、計画の問題点、過去の経過、これからの姿をどう作るか等を検討する資料としても利用する。
これからの倉吉の美しい景観をどのように作り、伝えるのか。何を残し、何を捨てるのか。私達に課せられた大きなテーマである。
景観は人が作るのだから。

           (参考文献:倉吉商家町並対策調査報告書・倉吉考。)

         

第二部     日仏比較                   (宇田英男)

1. 景観はその地固有のもの、日本の景観は日本の景観です
地球上至る所、その地その地で、それぞれの風土、歴史、文科、制度、社会通念の上に固有の景観が形成されます。この多様性は人類の貴重な遺産です。当会議 ではフランスの事例が紹介されますが、それはフランスのもので、あくまでも、日本の固有の景観を創ることが我々の関心です。
この点で、フランスと日本の差を明らかにしておく必要があります。

○      国土面積     人口      森林比率  一人当り利用可能面積比
フランス 約55万平方キロ  約5700万人    約25%      6
日本   約37万平方キロ 約123000万人     60%以上    1

集中型市街:フランスでは都市でも農村でも、一般に建物は連続して建てられ、集 団としてまとまって見えます。これは古くからの伝統で隣接建物が共有する壁(mur mitoyen)について細かい規定があり、特に地中海地域では、集合した集落と周辺の田園が明確に分かれます。
気候:気候は景観を左右し、建築や文化に影響します。フランスの年間降雨量は我 が国の半分以下、地中海地域では三分の一で、夏少ない。従って植生は我が国のように旺盛でなく管理し易いので、景観も我が国より「散髪が行き届いている」 ように見えます。
社会通念:一般にフランス人は保守的で、昔からの住み方に執着します。現代工業 技術の普遍性の上に立ち、世界共通の形を 指向する現代建築は、フランスを含め西洋で生れたものですが、フランス人の生活感覚に馴染まず、あまり多くはありません。これは当会議の主題「伝統都市の 再生」について重要な点です。
公共性観念:我が国では伝統的な「おおやけ」(「大宅」で天皇の御所を指す)や 「おかみ」のものごとという潜在意識が消 えず、公共という言葉の重みが軽いようです。憲法で保証された所有権(特に土地)を出来るだけ公共の理由で拘束しないよう法律が作られ、運用されていま す。大革命でブルジョワが権力を握ったフランスはイギリスなどにくらべ土地私有権は強いのですが、それを如何に公共の利益のために制限するか長い努力が為 されて来ました。次節に記す公用性宣言(DUP)は19世紀以来土地収用の前提となるものでしたが、それは私権の制限の理由であると共に、今日では事業に 公金を使う正当性を示すものです。DUPの手続きは透明で民主的でなければなりませんが、一旦法的に決まった以上、公権力はそれを確実に執行しなければな りません。ここでは省略しますが、都市計画法にも多くの罰則規定が明記されています。次の実践的都市計画の基礎は強い公権力の執行力です。
実践的都市計画:都市計画(urbanisme)の語が1943年の法律に現れ る前から、フランスでは都市事業が強力に 行われ、19世紀半ば以後、第二帝政がパリを大きく作り直しました。都市計画規制はその後も、時代の要求に適応し、国家指導のもとに実践的に事業を支えて 来ました。その流れを2.に記します。
縦割り行政の脱皮:どの国でも官僚は既得権に執着し、縦割り行政の弊害が現れま す。フランスもこの問題に対処する工夫を して来ました。法文にしばしば出てくる例ですが、例えば、建築所管省とか、都市計画所管省をいう言い方は省庁再編が度々行われるのに対し、法律の一貫性を 保持するためです。また、社会的に大きな問題に総合的に取り組むため「省間委員会」が作られたり、複数省庁事業に民間人を巻き込んで作業チームも作られる こともあります。本会議の主題であるレアビリタシオン(都市再生と訳しておく)でも、種々の政策や制度が目的達成のため総合的に活用されます。
住宅政策:住宅問題はフランス政府の一貫した関心事です。戦後の復興で大量に作 られた住宅団地の反省の上に、考え方は時 代とともに進化しています。遺産としての都市のレアビリタシオン政策、また現在は住宅の多様性が住宅の重要な質と考えられています。それは、雇用の場の近 くに住居があることや、多世代や多階層が混合して住む都市性の重視です。都市の建物の大半は住居ですから、都市計画で住宅が重視されるのは当然です。
本文で「社会的住宅」と言う言葉を使いますが、それは我国のように公営住宅だけを指すのでなく、福祉・社会・都市計画的目的で 社会的に作ら れる住宅全体を指します。整備も公共事業とは限らず、DUPの適用、建設補助、利子補給、家賃補助など多様な手段で民間の力も活用します。
我国では社会的住宅に十分な力が入れられず、民間放置の「木賃」は今でも都市の不良資産として残り、大資本が住宅事業に興味を 示す少し前に 出来た日本住宅公団もその社会的意義が不明確なまま、大団地造成で近郊自然破壊の先頭に立ちました。住宅金融公庫も景気刺激の方に力を注ぎ、持ち家政策を 推進しました。このため戦前のような貸家を中心にする融通性のある住宅資産が形成されず、大都市でも地方でも、通勤、通学のため国民は日常時間とエネル ギーの無駄を強いられています。
遺産としての都市と住宅:景気指標として毎月報じられる住宅着工数は我国では 10万戸台、景気の良い頃は年150万戸に 達しました。これで計算すると我国の住宅の平均寿命は30年程。先進国としては極端に低く、フランスの三分の一にもなりません。これは無秩序な都市成長に もよるものですが、新しい住宅ほど寿命が短い傾向があります。未だに木賃時代と同じく、早期の資本回収のため、質の悪い安価な(国際的に見れば高価)住宅 を作るためで、都市郊外に建てられるプレハブアパートなどは、床材だけ見ても、クッション入りビニール一枚シートで、すぐ傷付き、全体を取り替えねばなり ません。住宅が早期に更新され、質が低下していることは、景観にとっても深刻な問題です。
これに対し、当会議の主題、フランスのレアビリタシオンの大きな狙いは、住宅を如何に長持ちさせるかにあり、それは安定した景 観の維持に役立つと共に、良好な住宅資産が形成され、国民が安く快適に住まうのに役立つのです。

2.戦後のフランス都市計画の歴史
復興の時代:戦後の都市計画事業の中心は社会的住宅の建設による住宅難の解消です。 住宅大団地の建設のため市街化優先地域 (ZUP、1976年廃止)が作られ、土地取得のため公共土地先買権を設定し、乱開発防止と地価制御のためZUP周辺を開発延期地域(ZAD)とします。 公用性宣言(DUP)を伴う公共土地先買権は、財政事情ですべてが執行されなくても、公権力の強い姿勢により、公共土地取得と地価の抑制の大きな力を発揮 しています。
 1960年代の政府指導の大規模事業としてラングドック・ルシオン観光開発計画があります。これは、あまり人の手が入らず、 低開発地域で あったスペイン国境から東180キロの地中海沿岸に数個の観光基地を作り、地域振興を狙いました。ここでも観光基地以外の自然・田園地域には広くZADの 網が掛けられ、地域の自然環境と風光は保全されました。
反省の時代:1970年代のオイルショック。重厚長大開発に影がさし、エネルギー危 機の中で環境意識が生れます。この時代に生れた省エネルギーの法律は今も適用されています。
片や大都市では再開発事業がたけなわで、地価高騰や投機の動きが出て来ました。これを劇的に制御したのは法定容積天井 (PLD)の設定でし た。PLDをパリでは敷地の1.5倍、それ以外は1倍とし、都市計画規制で許されるそれ以上の床面積を建設する場合、PLDの比率で計算して必要になる土 地の買い増し代金に相当する開発税を払わねばならなくなりました。一挙に建設・不動産不況になりましたが、これでフランスはバブルを免れました。
地方分権に向かって:国土整備・地方行動代表団(DATAR)の発意後、長い準 備作業の末、1982年に地方分権政策が 本式に動き出します。地方(r使ion、例えばノルマンデイー、ブルゴーニュなど数県をまとめた歴史的区分)の行政単位の設立、翌年には国家と地方自治体 との権限の配分が立法化されました。都市計画の策定も分権化されます。
まず、地方、県、その他広域連合単位で、将来の経済成長、都市化、環境変化などの見通しの上に、広域に関連する計画である指導 指針(SD) を作ります。次いで、各市町村が土地利用計画(POS)を作ります。当初1万人以上の自治体に義務付けられたPOSの策定は、次第に小規模な自治体に及 び、建設、都市計画、建設許可も原則的に自治体の長の権限です。
環境の時代に向かって:現在POSですべてを規定するのが原則となり、POSを 持たない自治体では既存建物や農業用建物 の修復以外の建設は出来なくなって来ました。従来の森林や保護すべき自然空間のみならず、すべての環境上の規制がPOSに盛り込まれ、住民の一番身近な地 点で管理されます。もう一つの重要な動きは、建物を壊す再開発を止め、建物を保存しながら都市を整備するレアビリタシオンに切り替えたことです。これは本 会議の主題ですから、後に十分御説明します。同じく環境的に重要な景観規制について次に説明します。

3. フランスでの景観の扱い
 景観のみならず、歴史的記念建造物の意識が生れたのはそう昔のことではありません。大革命で多くの遺産が破壊されましたが、 当時大衆はその価値を認めなかったのです。歴史の再評価は、それからかなり経って、ロマン主義と共に生れて来ました。
歴史記念建造物:1830年ギゾーによる歴史建造物監督総監の創設、「カルメ ン」の作者メリメの第二帝政宮廷での再評価 運動、それに平行した建築史家ヴィオレ・ル・デュックの精力的調査・宣伝活動などにより、歴史記念建造物の指定制度が1885年に始まります。指定された 建物には自由に手が入れられず、修理費用の半額が国庫補助されます。競争試験で文化省に採用される歴史建造物専門家であるフランス建物建築家(ABF)が 歴史記念建造物の管理をすることになります。
歴史記念建造物周辺規制:それまでエリートの歴史的絵画的趣向の対象であった歴 史記念建造物の保存には単体の規制だけで は不十分と考えられるようになり、1934年、歴史記念建造物の周辺まで規制が広げられるようになりました。歴史記念建造物から半径500メートルの範囲 の建築許可申請をABFが審査します。後に述べるパリのマレ保存地区のように43haもある広い地域も一人のABFが管理します。細かい審査基準はなく、 ABFの見識で裁定される点は、我が国のように細かい基準があっても実効を伴わない制度と逆の、個人責任による透明性を感じます。また、不動産私有権に関 係する諸問題の中でABFの審査結果にあまり異論が出ないのは、伝統的な都市のつくり方について世論の一致があるのでしょう。また、パリのように歴史記念 建造物の多い場所では、どこでも上記500メーターの中に入り、ABFが介入します。
遺産保護:1970年代以後、遺産の名で保護対象を一般生活の枠まで拡大する世 論が強まり、保護の例外的意味が薄れて来 ます。1906年に制定された自然記念物の保護が、景勝点と言う局地から周辺に向かって広がり、森地や保護すべき(sensible)自然と言う言葉が都 市計画法に入り、1976年に自然保護に関する法律がPOSに取り込まれます。この時点で景観と言う語が法文に現れました。
景観法:保護範囲が広がり、住民の生活の枠そのものに及ぶと、ただ保存すれば良 いと言う考え方は現実的でなくなりまし た。1990年に成立した景観法は動的(dynamique)保存として、保存・保護・価値付けと同時に、経済発展、農業の進化、整備計画、観光資源など も考え、景観の管理と変化の制御を一体化します。このため多くの協力者に呼び掛け、多様な方法を取る必要があります。最終的に最も確実で現実的方法とし て、住民の最も身近な点で多様な問題を総合的に規制する道具であるPOSに景観規制が取り込まれました。
POSと景観規制:POSに地域の尊重すべき景観が記述されます。また建築許可申 請書に、建設物が周辺の景観にどう調和するかを、次の方法で表すことが義務付けられました。
現状土地との関連が分かる断面図。近景・遠景の中で敷地の占める位置を明確にする2枚の写真と撮影位置の地図・配置図への記入。建設物の環境への組み込 み、視的効果、アクセスと周辺の扱いが分かる図面表現。高木をうえる場合は工事後の長期の姿を示す。既存周辺景観を述べ、計画がそれに調和する理由を示す 説明書。

建築・都市・景観遺産保護地区:フランスには歴史・文化価値のある風光明美な村落 が各地にあり、多くの観光客が訪れま す。しかし、観光は開発を呼び、折角の景観が危機にさらされている例も少なくありません。この対策として、建築・都市遺産保護地区の制度がありますが、今 は景観の語が加わって建築・都市・景観遺産保護地区(ZPPAUP)と呼ばれます。ここでも、ABFが中心になって、計画を作り、ZPPAUPはPOSと して運用されます。

4.景観規制に関する我が国の現状
上に述べたような方法が我が国でも可能かと考えると、結論として現状では不可能です。その理由の主なものとして;
景観の規範についての社会通念:我が国の急速な近代・現代化で、伝統的な考えと 新しい事物との間の断絶が景観の混乱に現 れています。我が国の景観がどうあるべきか、総論は何となくあっても、各論、とくに自分の問題となると意見は様々です。その中で具体的に景観を規制する基 準を作るのは非常に困難です。世論形成には、開かれた多くの提案と議論を長い時間をかけて結実させねばなりません。
都市計画規制の範囲:フランスはPOSによる都市計画の網で国土を覆いつつあり ます。我が国で具体的に都市計画規制が適 用される範囲、則ち都市計画地域は都市周辺だけで、それ以外は空白です。山陰の田園空間のように、高度成長の波を逃れた景観遺産を護るのは、現状の都市計 画の範囲では不可能です。また、都市計画区域外では、延面積500平方メーター以上の規模などの例外を除いて、一般住宅の建設に確認申請は要りません。こ れは田園地域の殆どの住民は建築基準法の恩恵を受けていないことを意味します。都市計画法と建築基準法の枠内での景観規制は国土の広い部分で不可能なのが 現状です。
規制が一本化されていない:多くの自治体が景観条例を作っていますが、国法(景観 に関するものはない)に比べて力が弱 く、また、本来景観を変えて行く大きな力である建築行為に対する確認申請と別に、平行して適用される例が多く、実質的な規制力がありません。少なくとも、 建設事前許可の中に景観問題を入れるべきです。  


第三部     フランスの都市再生(Réhabilitation)について
                                        (宇田英男:G.ヴュルステゼン提供資料などより)
  レアビリタシオンは、我が国では同じ言葉を身体運動機能回復(リハビリ)と言う意味で用いていますが、本来、元々あった権利、名誉、地位などを回復するこ とです。上に述べたように1980年代以後フランスの建設の中心となったレアビリタシオンは、古い建物を壊して作り直す再開発(レノヴァシオン)に対立す る概念で、古い建物を生かしながら、現代の生活に適応させることです。
 これは環境、歴史、遺産の意識が高まった時代思想の結果ですが、そのきっかけは幾つか考えられます。その 一つ、戦後復興時代に 大量に作られた住宅大団地が古くなり、特にエネルギー危機に際して断熱など建物の性能が問題になったこと、またこれらの団地に移民を含め低所得者が多く住 むようになり、団地の社会環境が悪化し、一部で暴動などが起ったことがあります。前者の問題に対しては、断熱・気密・防音改善、住居単位の拡大、エレベー ターの設置など物理的対策が行われ、レアビリタシオン例として、我が国にも紹介されました。
 住民社会環境の悪化については、住宅大団地だけではなく、都市中心の疲弊した古い地域でも、フランス各地で起きている問題で す。1981 年、政府は「地区社会開発のための国家委員会」を作り、建物の刷新に限定されない真の社会開発のための総合的取り組みを始めました。地方分権以後は国家が 地方自治体と「都市の契約」を交わし、強力な国家指導と地方地方の特殊性に基づく様々な手法とを組み合わせ、地域の自発的な改善を目指しています。これは 「都市のプロジェクト」と呼ばれる現在進行中の多くの地方都市再生事業となっています。目的達成のため種々の制度が組み合わせて用いられる場合が多いので すが、レアビリタシオンの中心となっている最も古い制度は「保存地区」の法律です。

I.    保存地区
1.  保存地区とは
 現在、建築担当の施設省と遺産担当の文化省が共同して所管する保存地区の制度は、遺産を保護・価値付けながら、地域の人口、社会、 経済、文化的 多様性を考慮して都市的機能をいかに向上させるかという複雑な役割を持っています。都市が生き、かつ、それぞれ多様であるためには古い都市部分と現代の力 動的な都市一般現象とを一体に取り扱う必要があります。

 このため、保存地区は遺産の保護・価値付けの道具であると同時に、独立した都市計画文書でもあります。1999年時点でフラ ンス全国に 91の保存地区があり、総計面積は6,000ヘクタール、総人口は約80万人で、指定待ちの数は約20、年2〜3地区の割合で増えています。
 前に述べたように、1913年の歴史記念建造物の保護の法律が、1943年に、その周辺の保護にまで拡大されましたが、 1962年の保存 地区の法律は、保護を地域全体にまで適用します。この法を推進して「マルロー法」と名を残した当時の文化相、アンドレ・マルローの言葉は、「前世紀、各国 の歴史遺産は歴史記念建造物で出来ていた。それは彫刻や絵画のように保護された。国家は時代の主要作品としての名品建築を保護したのである。しかし今日、 諸国は名品だけでなく、過去の存在そのものを重視するようになった。これが肝心な点で、過去の魂があるのは名品だけでなく、孤立した名品建築は死んだ名品 であることに気が付いたのである。」
 法の適用の具体的方策は;発掘・保護すべき都市遺産の特定。不動産修復と、社会、経済、機能的な都市問題を総合した保存地区 都市計画書。都市遺産の修復と価値付けの指針を示す保護・価値付け計画(PSMV)を作ることです。

2.代表的事業、マレ保存地区
 保存地区の初期の目玉事業はパリのマレ地区でした。

 中世起原のパリの中心部の東、フイリップ・オーギュストの城壁を跨ぐマレは、16世紀に新しい市街地として開発され、17世 紀初頭アンリ 4世が作ったロワイヤル広場(今日のヴォージュ広場)を中心とする高級住宅地として、ルイ14世時代に最盛期を迎えます。多くの著名人が立派な館に住み、 中でもここで一生を送ったセヴィニェ侯爵夫人は有名です。
 その後、拡大するパリ市域に囲まれたマレは、次第に衰退し、昔の名建築も用途改変で、水平・垂直に建て増され、高密な庶民の 建物の中に埋 まる姿になりました。「マルロー法」が作られた頃は、沿道建物の崩壊を防ぐため道路の上に木材の梁を渡した場所もあり、薄汚れた建物が建て混んだ陰惨な不 良地域になっていました。
 マレ地区の保護・価値付け計画の立体的説明図では、建物や街区が、価値のあるもの、特徴あるもの、普通のもの、価値のないも の、改変すべ きもの、の5段階に色づけされています。事業は長年に亘り、名建築の増設部分を外して昔の姿に帰され、一方、改変すべきブロックは地下駐車場付集合住宅に 変えられたりしました。
 今日マレの姿は全く変わり、名建築の多くは公共用途となっています。アンリ四世の宰相シュリ館(マレ関係機関)、ラモワニオ ン館(パリ歴 史図書館)、筋向かいのセヴィニェ侯爵夫人の住んだカルナヴァレ館(オースマン時代以来博物館)、彼女が幼時を過ごしたクーランジュ館(ヨーロッパ会館) など、外にも重要な公共施設が多いのですが、日本人の観光コースに入ったのは、ピカソ美術館になったルイ14世時代に塩税請負人が住んだサレ(塩)館で す。商業や文化活動も盛んになり、パリの中でも特色ある地域になりました。
 しかし、マレ保存地区の結果については幾つかの問題点が指摘され、その後の保存地区政策が見直されることになります。 ま ず、名建築の博 物館が多くなり、全体として博物館的都市(ヴィル・ミュゼ)の色彩が強まったこと、また観光や芸術関係の商業が卓越して生活色が減少したことの外、最も重 大な問題は住民の変化です。事業が進むにつれ歴史色ある高級住宅地マレの不動産ブームが起きました。梁が天井に露出した昔ながらの住居に少し手を入れて化 粧すると、所謂「マレ・スタイル」として高く売れるので、中小の不動産業者が違法に近い手段で低所得者や老齢者の住居を買い漁り、貧乏人の多くが地域から 追い出されたのです。住民の多様性が減り、職人の仕事場や買い周り商店も姿を消し、流行を追う富裕層と観光客の地域に変わる恐れが出て来ました。

3. 今日の保存地区政策
 保存地区制度は80年代のレアビリタシオンの考え方で変わって行きます。

 古い都市中心の機能的・社会的側面を認識し、多機能、共存、都市性の場としての歴史的役割を保存すること。周辺地域の住宅・ 商業政策によ る保存地区内の商業、サービス、手工業の暫進的劣化を防ぐこと。再開発と言う名は使わないものの、未だに行われている、高速自動車路、高層建物、大面積店 鋪、過大な駐車場など、形態的、機能的尺度を無視した再構成計画を避けること。事務所、商業、観光など一部機能の肥大による失敗を防ぎ、所謂装飾都市、博 物館都市に陥ることを避けることです。
 これらの反省の上で、保存地区制度は今日でも古い地域や都市中心の遺産と都市計画を同時に扱う唯一の方法です。保存と価値付 け計画 (PSMV)は保存地区内での土地利用計画(POS)に代わる一体的な都市計画図書であり、住宅、雇用、サービス、交通に関して地区内の住民の要求の総体 を規定し、地域の固有性やイメージを尊重すると共に、機能性や用途を考えます。
 建築所管省と都市計画所管省が担当する保存地区制度は、都市計画権限が地方自治体に移った地方分権以後も、国家事業として存 続し、新しい 権限配分として、国家が当政策の質と永続性の保証者として主体を維持するものの、保存と価値付け計画の作成に当っては自治体が大きく関与します。しかし計 画の作成の費用は殆ど国が負担し、保存地区国家委員会が評議します。地方分権以後、保存地区の数が大幅に増えました。

4. 保存地区の地方分権化
 地域で保存地区事業に介入するものは、

自治体;自治体議会審議による承認がなくては、保存地区は作れません。
フランス建物建築家(ABF); 文化省が任命し、地域の記念建造物やZPPAUPを担当するABFは保存地区でも中心的存在で、保存と価値付け計画作成で担当の建築家・都市計画家を助 け、結果として第三者対抗力を持つこの計画が確実に執行されることを監視します。
県施設局;地方分権で自治体の所管となった都市計画や建設許可を技術面で援助する 県施設局は保存と価値付け計画作成と実施面で協力します。
保存と価値付け計画担当建築家;保存地区政策所管の省の資格審査を経て自治体の長から任命された建築家・都 市計画家がPSMVを作成します。

●地方での保存地区事業の協力者として;文化事業地方局の機関(歴史建造物地方局。遺産保存地方サービス。考古学地方サービ ス。地方民俗学 者。)環境地方局(保存地域内の環境と景観の質に付いての配慮の監視。)遺産に関して権限のある諸団体(遺産保存協会や学識経験者団体。)保存地区地方委 員会(土地利用計画(POS)作成時の作業グループと同じ役割。)などがあります。

5. 保存地区の指定と境界の確定
 保存地区の境界確定の基準は、歴史的核に限らず、都市遺産を現実に構成するもの全てを、また、明らかに表現や価値付けに関係する周辺部や都市機能上適切 な部分を含めます。このため、都市全体の十分な予備調査が必要です。また保護地区が制定されると、この部分に微妙な変化や時には制御できない問題が起るこ とがあり、この対策は都市全体の土地利用計画(POS)で行い、時には第二部3に記した建築・都市・景観遺産保護地区(ZPPAUP)などで補完する必要 があります。

 保存地区国家委員会の評議と自治体議会の審議を経て出される保存地区指定の政令は保存と価値付け計画(PSMV)作成のため の仕様書に当 るものです。保存地区の指定と境界確定の政令が出てから、保存と価値付け計画が出来上がるまでの間、地区内での建設や空間に変更を加える行為(内部模様替 えや樹木の伐採も含む)はABFの許可を受けねばなりません。

6. 保存と価値付け計画の研究
 研究者が、地域の特殊性に応じて独自の方法論を使うのは良いが、都市の形態と用途を切り離さず、保存と価値付け計画の基礎となる都市遺産の詳細な分析を 行わねばなりません。そして価値付けの総体的政策を規定するため、次の点が明らかにされます。

○ 保存地区の大きさと形態に適した都市機能。
○ 住居、商業、交通、運輸の点で周辺地域との関連。
○ 真の経済活性を創出、維持する方法。保存地区にあるべき公共施設、サービス、活動。商業機能の変転の制御方法。

○ 予想される社会変化。特に住居の多様性の維持。この点では自治体との密接な連係が必要。
○ 地域住居整備プログラム、都市移転計画、不動産対策指針、商業発展協定など、主題に応じた方策の取り込み。
○ 不動産修復(PRI)、住宅改善作戦計画(OPAH)、特定目的事業(PST)、不良住居解消(RHI)、商業支持(FISAC)、外装洗浄キャンペーン など、目的を達成するための作戦的、財政的な道具の規定。

●都市遺産の分析;
都市形態の構成と進化。都市形態は単一計画の結果であることはなく、都市の上に 都市を作る絶間ない歴史の産物ですから、事前に歴史的、考古学的な調査が必要です。都市構造、地域適応、道路線形、敷地区画などの構成と進化の知識を深め ることが、都市の現在の姿と発展方向の理解に役立ちます。
建物の分析。まず、保存地区の各建物に付いて、各部詳細と材料(屋根、開口、躯 体、塗装、内部で特徴あるもの)、建設と その後の変更の時期、建物状況、現在と過去の用途を調査、記録します。歴史的方法は追加された手直しの下にある建物の原初の状態を知るのに役立ち、民俗学 的方法は建設に関連する習慣やそこに表現、刻印された知恵を知る上で重要です。
建物と都市総体との関連の分析。均一な全体の一部となり、地区の建築的統一感に 寄与する建物、また、見通しや街区の角など重要な位置を占める建物など、建物相互間や公共空間との関連を、見通し、総体形への寄与、リズムの点で分析しま す。
空地の研究。公共空間としての道路や広場、私有空間としての庭や中庭など、建て られていない空間を尺度、形態、材料、植 物や水面の存在、面する建物との関連、過去と現在での使われ方に付いて研究すること。ここでも歴史的方法が保存地区の公共空間の構成と機能の論理を知る上 で役立ちます。道路線形や見通しは、都市の継続的変化で形成され、農道は中世の小道に、古典時代の整然たる見通しに変化し、古い水路や運河は埋められたり 蓋をされたりしたからです。
●社会経済的分析;遺産の保護だけでなく、それを生かし再生するために、社会経済的分析を都市形態、そこにある慣行、地域潜在 力など、特に下記の点で行います。
○ 保存地区の社会・人口学的状況。
○ 住居。保存地区を総体的住宅ストックの中に位置付ける。
○ 手工業、商業の進化。雇用状況。
○ 施設、公共サービス、交通(接近性、駐車場)に関する地域の要求。

7. 保存と価値付け計画(PSMV)
 上記研究結果は保存と価値付け計画として報告書、図面、規則の三つの文書にまとめられます。

● 報告書。
政策適用の基本的道具として、報告書は研究結果を総合し、出来るだけ分かりやすい方法で保存と価値付け計画の目的とその適用の具体的条件を記します。特に 下記が重要です。

○ 地域の都市史の理解と未来予想に必要な主な要素。
○ 都市空間、建設遺産、考古学に付いての現状と診断。
○ 保存地区の人口学的、社会的与件、住居種類の配分と分布の現状、経済活動と都市機能(共同施設、交通手段、交通、駐車場、歩行者路)の分布現状に関する現 状と未来予想。
○ 都市政策と都市遺産保護に関する保存と価値付け計画の目標方針。
○ 建物遺産の扱いと都市空間の整備に関する保存と価値付け計画内容の正当化。
○ 保存と価値付け計画の目的達成に役立つ、法的、作戦的、財政的手段。
 報告書には自治体の他の部分の現行の都市計画規定、また地域住居プログラムや地域広告規制、整備と都市計画法や環境へ考慮の方策と、保存と価値付け計画 が矛盾しないことを記します。

●図面。
 地域地図で建物を色分けし、凡例ごとに、区画、建物及びその部分、公共空間、庭などに関し、保存と価値付け方法が精密に規定されます。また、地域内で大 きく性格の異なる部分があれば、地区区分が行われます。

 既存建物の色分けは;
○ 歴史建造物として保護される建物、立面、細部。工事には文化省の許可が必要。
○ 保存すべき建物または部分。建物ごとに工事方法の詳細な規定。
○ 改善または建て替えるべき建物。建て替える場合は規則に従う。
○ 取り壊すべき建物。寄生建物で埋まった中庭を解放してブロックの密度を下げ、所謂「掻爬処置」のため、公的、私的な建物の増設や用途変更に際し、取り壊し が義務付けられます。

○ 上階建増し部分などの取り壊し。上階建増し、屋根・開口・バルコニー・煙突・一階の用途、囲いなどの変更で、建築的質が低下したもので、保存や改善すべき 建物の公的、私的な工事の際、義務付けられます。
 新築建物は、地域全体との調和をはかるため、建設敷地範囲、建築線、後退範囲など、 多くの規則に従わねばなりません。
 空地と植生は公共、私有を問わず規則に従います。
○ 指定既存緑地と新設緑地。
○ 特別の規定に従うべき空間。都市構成上重要な部分は、鋪装、屋外施設、植生、駐車場所などが規定され、私的な空間でも都市遺産に関係するものは、周辺の建 物に適した規制が行われます。
○ 公衆に解放された私的通路。ブロックや地区全体の都市機能上必要な歩行者路を規定し、それを塞ぐことが禁じられます。

 予備地が道路、通路、公共施設、緑地を整備するため指定されます。
 地区内区分。地区内で建物が混乱していたり、放置状態にある部分は特別に区分され、 全体と調和した整備が計られます。この部分は、後の保存と価値付け計画の変更時期まで保留されることもあります。
● 規則。
規則は土地利用計画(POS)と全く同じですが、建物配置、建物高さ、外観、空地と植生が特に強調されます。

8. 保存と価値付け計画の実施
 知事の権限下で県当局を通過した研究結果は保存地区地方委員会その他関連ある機関に通知され、次いで自治体議会が審議します。

 保存地区国家委員会の意見を付託した保存と価値付け計画は知事令として公布され、第三者対抗力を持ちますが、次いで公衆諮問 を行い、再度保存地区地方委員会を通過後、自治体議会で審議されたものが最終計画となり、これが保存地区国家委員会によって承認されます。
 保存地区は玄人だけの問題でなく、住民全体の同意と参加がなければ成り立ちません。このため、所有者、権利者、商業者、手工 業者などに対 し、技術、建築、財政的支援を含む宣伝活動が行われていますが、土地を知り、住民と多様な関係を持つ遺産保護諸団体の活動が有効です。文化情報省の建築・ 遺産部門の発意で、保存地区を持つ有志の自治体が「芸術と歴史の町」というラベルの下に、同志を増やして保存地区の質を高めようとしています。このような 地域間協力も非常に大切です。
 保存地区は担当ABFの監視下に入り、全ての工事に彼の同意が必要になります。事業として公共が行うものは、公共施設、近隣 施設、社会的 住宅整備のための建物取得とレアビリタシオンなどですが、このため、公共先買権、保存地指定、不良住宅解消措置、不動産修復などの制度を使うことが出来ま す。私的事業は自発的なものと自治体が提案するものがあり、都市土地協会(AFU)、住宅改善計画化事業(OPAH)、商業・手工業改善刷新計画化事業 (OPARCA)、外装洗浄キャンペーンなどの制度を利用します。
 修復工事の質は保存地区の価値付けの重要な要素ですが、必要な伝統技術には、この五十年間建設で殆ど利用されなかったものが あり、保存計画を実施するには、工事長、建築家、請負、職人などを修復事業者が養成する必要があります。

9. 保存地区内の不動産修復に対する税制優遇措置
 1977年以後、住宅部分の所有者と権利者(最短6年以上)は、不動産修復事業で生ずる損失を、限度なく、総所得から控除できます。公用性宣言(修復の ためのDUP)による公共用途の事業の場合、保存地区とZPPAUP内部では、保存と価値付け計画承認以前でもこの優遇措置は適用されます。

 事業者としては、都市土地協会(AFU)加入の集団叉は個人とし建物を所有する者。自治体、整備公共団体、整備を担当する第 三セクター、HLM(中庸住宅建設組織)、住宅改善や不動産修復を目的とするNPO(PACT-ARIMなど)です。
 この優遇措置が適用される事業は、既存建物叉はその部分の住宅事業と住宅への用途変更事業、ABFにより証明される不動産の 完全修復事 業、保存と価値付け計画叉は修復のためのDUPで課せられた取り壊し工事、またこれに附随する既存建物の屋根や外壁の修復工事であり、単なる建設、再建、 増築工事は含まれません。


II. その他レアビリタシオンに用いられる制度
 レアビリタシオンは保存地区に限られけではなく、広く都市計画事業を貫く原則です。以下に、それに関連する制度や機構を列挙 します。

1.ANAH 
 4.6億ユーロの公共基金の上に作られた住宅改善国家財団(ANAH)はレアビリタシオン事業の補助金支給の中心です。今 回、連帯と都市 再生(SRU)新法に従い、景観再生のために活動範囲を一層広げようとしています。2001年には13.5万戸に対し、一戸当たり工事費の20%に相当す る1.7万フランの補助金を付けました。今後改善すべき住居数は50万戸と言われ、補助対象は都市部から次第に田園地域に移りつつあります。
  補助対象は自宅在住者と住居を賃貸する所有者が行うレアビリタシオン工事で、建物は15年以前に建てら れ今後10年以上 主たる住宅として使用することが条件です。補助率は一般に25%ですが、家賃の社会性(則ち低家賃)や、次に述べるOPAH枠内や特定社会的目的事業 (PST)の場合は割増されます。ANAHの補助金の30%がOPAHに、15%がPSTに出されています

2. OPAH
 上に述べた住宅改善計画化事業(OPAH)は、保存地区内でも建設推進の大きな道具ですが、それ自身独立に不動産ストックの 改善を目的と し、住居されている住宅のレアビリタシオンと空家を市場に出すことを促進するため、国家とANAHと自治体の協約の上に、住宅改善補助金を受ける住居者や 借家権者の支持で成り立つ協調的制度です。
  事業前研究で、質的量的目標、事業の主題や方法が決められ、事業範囲と補助金給付の目的と額が設定され ます。事業担当組織に 対し自治体が地域のまとめを依頼し、住居調査、広報、権利者との話し合い、各人の事業計画作成、手続き文書の取りまとめが行われます。OPAHは公共と私 人の共同の制度ですが、計画には強制力はあるものの、地域に事業受入れの良好な気分を作る奨励の側面が重要です。
  住宅を規定の家賃とする協約を結ぶ権利者には、通常25〜35%の補助金を、自治体が5%を負担する条 件でANAHが5%割り増し、45%に達します。また借家人が協約を結べば、住宅個人補助(APL)が家主に直接支払われます。
  事業単位は1,000戸程度が最適で、事業期間は3年です。2000年、フランス全体で173の新事業 があり、進行中の事業は692、補助を受ける住宅32,800戸、補助金総額約8億フラン、発生した工事金額は33億フランです。
  また最近は、OPAHの遺産的側面が強調された事業(OPAH ・volet patrimonial)が開始され、地域ごとに、伝統的な建て方や道路線形や景観要素を発掘して、固有の建築・都市遺産の形成を計っています。
サント・アンヌ地区の例 
  OPAHの例として、南仏モンペリエ市のサント・アンヌ地区の事業を挙げます。

  中世に出来たこの地域は古い商店や17世紀の一戸建て住宅が混ざった地区で、19世紀にはオ& minus;スマン的な道路貫 通で大きく壊されました。サント・アンヌOPAH地区には265の建物に1,186の住居があり、人口は市歴史中心の15%に当る1,500人。 1954〜82年に人口は半減し、一戸当たりの住民は1〜2人、老人や若い夫婦や学生が主です。1986年に市当局の重要な相手として、「新サント・アン ヌ」と称する団体が出来たのを機会に事業が行われるようになりました。多様な相手を扱う事業ですから、空間的にも時間的にも限定されたものであり、市の財 源も限られているので、都市政策上重要な要素について真に公共的な事業に限り、残りは私的な努力に任されました。
 1986〜94年の公共投資は;
*サント・アンヌ教会の修復                  4,130 千フラン
*カレ・サント・アンヌ(展示ホール)の整備          1,530
 *サント・アンヌ広場の整備                   4,720
 *道路整備                           1,170
 *照明                              330
*電線の地中化                           900
*壁面洗浄キャンペーン(計画と補助金)               765
*音楽・ダンス・演劇学校の修復                 2,200
 *ショーウインドー刷新キャンペーン                250
*商業都市計画                           230
*職人養成                           200
*商業訓練                           100
*OPAH補助金7,660x60%                                         4,596
*OPAH設計料2,200x60%                                       1,320
*広報費                              300

総計                              22,741
モンペリエ市負担分80%                     18,192

 一年半で予定していた200の住宅の60%が事業に加入しましたが、結果として、地域の文化や商業の活性効果が重要です。文 化的な活動と して音楽・舞踏・演劇学校とサント・アンヌ広場を中心に楽器工房を中心にした活性化が狙われ、既に4軒のリュート製作者が定着し、周りに画廊や古物商が増 え、サント・アンヌ広場は地域に固有性でモンペリエ市内の他の部分に並ぶ姿を与え、多くの行事が行われ、市全体や他の地域の行事にも加わるようになりまし た。
  フランスの優れた点は、事業機会に多く施策が同時に行われ、相乗効果が出ることです。次に、上の表にあ る壁面洗浄キャンペーンとショーウインドー刷新キャンペーンを説明します。

3. 壁面洗浄キャンペーン
 1970年代にパリの薄汚れた建物が洗われ、街全体が白く明るくなったように、高圧水噴射による壁面洗 浄はフランスで定 着した事業で、10年ごとに行うことが法的に義務付けられており、自治体が介入し補助金を付けます。それは綺麗にするだけが目的でなく、この作業で汚れに 隠れていた建物欠陥が明らかになり、窓枠などを含めた修理で建物の寿命を延ばすことが出来ます。また建物細部が良く見えるようになり、建築の良さ、時代性 などが明確になり、都市の構成要素が際立つようになります。これはレアビリタシオンの効果を万人が知る上で重要で、街区や個々の建物の特徴を理解し、愛す るようになるのです。「立面(ファサード)無しに都市はない」と言われます。

4. ショーウインドー刷新キャンペーン 
 ショーウインドー刷新キャンペーンも上記と同一の線上にあります。商店や事業所の一階は公衆の眼に最も 近い建築部分で、 街区や建物にそぐわしいものでなければなりません。事業者は市役所に技術的な計画に写真を添えて出し、ABFの許可を受けます。工事に公共空間利用が必要 な場合は許可され、工事の結果が届出通りの場合、補助金が下ります。これらの事務手続きは市の商工会議所が代行します。

5. action Façade
 立面行動(action Façade)は住宅外装更新のための補助金で、塗装、石工事、樋、建具、金物などの工事を対象に20〜25%の補助金が付きま す

6. SPT
 特定社会的目的事業(SPT)では、低所得者の住居を確保し、景観を改善し、地元の建設活動を活性化させるため、主に町や村 の中心部で行 われるレアビリタシオン事業にANAHと県議会が約50%の補助金を支給します。不動産収入に対して税の減免措置もあります。家主に対し県議会が入居者を 保証する協約を結び、家賃補助金(APL)は直接家主に支払われますが、家主は9年間以上家賃を基準以下に抑えねばなりません。

7. RHI
 不良住宅解消(RHI)は不良状態の緊急性が宣言されたものを公共収用して建直す制度で、100戸以下の単位に適し、事業期 間は3〜5年です。この場合、建物は取り壊され再建されるので、純粋なレアビリタシオンとは言えません。

8. PRI
 不動産修復地区(PRI)は保存地区内でのみ設定されます。RHIのように建直すのではなく、修復すべき不動産として市町村 が選んだ地区 です。事業は都市不動産協会(AFU)などの第三セクターが行い、修復すべき不動産を買収するか収用します。収用には知事の公用性宣言(DUP)が必要で す。続けて居住を希望する住人には補助が出ます。これ以前に、調査、基本計画、アンケート、住民の移転など難問があり、以前は建築許可なしの悪質な修復で 利益を得る業者が介入したりしましたが、新しい法律でAFUの検査が厳しくなされるようになりました。公用性宣言(DUP)の付いた工事では、住居者や権 利者の発意に対しANAHと国家の補助金が支給されます。

9. PALULOS
 賃貸と社会的住宅改善補助金(PALULOS)は社会的住宅として低家賃で賃貸される住宅のレアビリタシオンのための補助金 で、30%の補助の外、2〜40%の地方補助金と貯蓄銀行の長期低利融資が付きます。借家人には家賃補助(APL)が行われます。

 10. PA H
 住戸改善補助金(PAH)は低所得者の自宅のレアビリタシオンのためのもので、収入の低さ、定年に達するもの、身障者などに 応じて25%の支給率が割増しされます。

 11.  PACT-ARIM
 不良住宅対策行動計画(PACT)は40年前に出来たNPOで、OPAHなどのレアビリタシオン事業の半数に関係し、事業立 ち上げ、都市計画や補助金事務、工事監理などを行って来ました。