| オートキャンプ歴史博物館 |
| Museum of the History of Autocamping |
| 本 館 |
| 自動車の時代 | ||
カール・ベンツ 1843年4月、ドイツのカールスルーエとハイデルブルクの間に鉄道が開通しました。このとき蒸気機関車を運転していたのはカール・ベンツの父親でした。その父親はカールがまだ2歳のときに、鉄道事故がもとで他界しました。母親から父親の話を聞かされて育ったカールは、記憶にない父を誇りに思うとともに、蒸気機関車に無我夢中な少年になりました。 学校では何よりも物理と化学が好きで、授業が終わると自分だけの「実験」に没頭する毎日でした。高等工業学校を卒業したベンツは蒸気機関車の製造工場に就職しました。そこで2年半学び、蒸気機関車を作るのに必要なすべての工程を会得しました。 が、そのときすでにベンツの頭の中にあったのは蒸気機関車を作ることではなく、蒸気機関車を鉄道から解放することでした。 「私は蒸気機関車を鉄道の拘束から解き放ちたいと思ったのだ」(カール・ベンツ『自伝』)。 蒸気機関車は大量輸送・遠距離交通・高速移動により、人類の<モビリティー>(移動性)に革命をもたらしました。しかし蒸気機関車には鉄道に拘束され、自由に移動できないという決定的な欠点がありました。そこで人類は自分の意志で好きな所に移動できる自転車の開発に乗り出しました。 1867年、ベンツが初めて手にした自転車は足蹴り式のドライジーネ型自転車にペダルをつけたボーンシェーカー型自転車でした。重さ50キログラムもある木製の自転車で、前輪に直に取り付けたペダルを踏んで走るものでした。バランスを取るのが難しいうえ、かなりの体力を必要としました。さんざん苦労したあげくに何とか乗りこなせるようになったベンツは、人力をいっさい使わない乗り物への思いをますます強くしました。それもバランスを取るのが難しい二輪ではなく三輪の。 ベンツは最初に蒸気機関に代えて、燃料をシリンダー内で爆発させてエネルギーを生み出す内燃機関を2サイクルエンジンとして開発しました。それは非常に高性能でしたが、大きく重い定置式で移動用には不向きでした。しかも回転数は1分間に120〜130回にすぎませんでした。重量を軽くし、しかも回転数を大幅に上げるという難題に直面したベンツは、苦労のあげく1分間に450回も回転する4サイクルエンジンを開発しました。しかし回転数が上がれば、エンジン点火の速度も速めなければなりません。そのためベンツはすばやく点火でき、しかも制御が可能な電気点火方式を開発しました。が、燃料を点火させるためにはガソリンを着実に気化させるための装置が欠かせません。 気化器を開発して燃料がうまく爆発するようになると、今度はシリンダーが熱くなりすぎて壊れないようにするために冷却器が必要になります。これらすべてをクリアしてどうにか駆動エネルギーを生み出すことに成功すると、今度は実際に走行するために駆動を接続させたり切り離したりするためのクラッチ装置、さらに自動車がカーブを曲がるときに内側の車輪と外側の車輪の回転数を変えるために差動装置(ディファレンシャル)などが必要となりました。 このようにしてベンツは自力で動く車両を生み出すために数多くの試行錯誤を繰り返しながら、自動車に必要なものをすべて自分の手で作り出したのです。そして1886年、「ガスエンジン駆動による乗り物」の特許を取得しました。それは人類にとって新しい個人移動の時代の幕が開いた瞬間でした。 | ||
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