紀氏:僧職編 年代別@







   −ここに掲載した紀氏の僧は、出身が紀氏系と思われる僧ですー


真済  800 生まれる
   ・東寺僧正、神護寺別当、東大寺僧正
   ・詳細は別紙に
      ・父:紀御園 巡察彈正大粥 正6位上
   ・860-2-25 60入寂

行教和尚  ・812 生まれる
      ・大安寺の和尚
   ・860-4 男山(京都)の石清水八幡宮の創建社
   ・863 男山の石清水八幡宮を奉請して護国寺と改称した
      ・いわゆる神宮寺
      ・検校の始
   ・紀朝臣古佐美の後裔
   ・887 75歳 入寂(812-887)

康済和尚  ・828 生まれる
   ・天台宗 光定和尚に入室
   ・891-2 天台宗 蓮華權律師  
   ・三井寺 号:静観
   ・891-5-9 阿闇梨 伝燈大法師位
   ・894 興福寺 維摩会講師
   ・894-8-22 園城寺長吏 5年 權律師 大法師
   ・894-9-13 天台座主 3年 權律師 蓮華房
   ・894-10-7 權律師 内供奉十禅師
   ・897-1-14 延暦寺座主 第8代 法橋 3年 實相院 圓満院
   ・897-5-13 權律師
   ・899-2-8 天台座主 法橋 智証大師 72歳入寂(828-899)
   ・出身: 紀氏 越前国敦賀郡

益信  ・828 生まれる
   ・園城寺を造立 住持ちとなる、別当
   ・891-9-11 東寺 律師
   ・892-12-22 東寺 少僧都
   ・894-12-22 東寺 法務 僧網を任ず
   ・896 石清水八幡宮 權少僧都 
   ・896-12-22 東寺 少僧都 法務
   ・899-12-28 石清水八幡宮に検校を置く、權大僧都益信を補す
   ・900-3-2 東寺 僧正に任ず
   ・901-12-13 宇多天皇 東寺にて益信より伝法灌頂を受け給う
   ・902-2-23 宇多天皇 益信より灌頂印信を受け給う
   ・出身:備後国 品治氏(紀氏)
   ・行教和尚(石清水八幡宮を建立)の弟 品治氏(紀氏)
   ・付法弟子:16人 仁和寺広沢流の祖
   ・906-3-7 東寺長者 78歳入寂(828-906)

   ・弟子:@寛平法皇=宇多天皇
       A寛空少僧都(宇多天皇の侍童、左京 文屋氏)
       B寛朝(宇多天皇の皇子=敦実親王の次男)
       C済信(敦実親王の子、左大臣源雅信の養子に
       D性信(三條院大4皇子、母:源済時の娘=三條皇后)
       E寛助(二品親王、法関白)
       F道法法親王(後白河天皇の皇子=輔仁親王の子)
       G入道永助法親王(後光巌天皇の皇子、母:紀仲子)
       H入道済仁親王(有栖川織仁親王の第11子)

聖宝(恒蔭王)  832-2-15 生まれる
   ・848 16歳で貞観寺の室に入る(22歳迄)
       ・真雅僧正に従って剃髪染衣
       ・名を聖宝と求道の一歩を踏み出家
   ・857 東大寺の戒壇 〜857
   ・858 貞観寺へ帰室したが、托鉢の旅に立った
   ・859 幼児(のちの観賢僧正)を弟子にして京に帰り
       洛西の鳴滝のほとりの草庵(のちの般若寺)に住する
   ・874 醍醐寺を草創する
   ・869 興福寺の維摩会講師
   ・875 東大寺東南院を建立
   ・出身:香川県本島の泊浦
         
       施基親王 ┌光仁天皇
        ‖―――│
       紀橡姫  └葛声王
              ‖―――恒蔭王(聖宝)
             綾子姫
             右大将 金実利麿の娘

          ※紀氏の流れを持つ僧として


峯学  834 生まれる
   ・峯の字は(學プラス又が正式)
   ・眞紹僧都入室、宗叡僧正灌頂資
   ・897-12-14 仁和寺、禅林寺
   ・898 東寺 三の長者 權律師
   ・000 東寺 二の長者
   ・905 少僧都
   ・父:紀長谷雄
   ・908-4-29 74歳入寂(834-908)
   
長意  836 生まれる
   ・幼い時から円仁(慈覚大師)に学ぶ
   ・円仁から伝法灌頂を受ける
   ・天台宗の僧、法橋、露地坊
   ・899-10-8 天台座主9世 7年間
   ・900 内供奉十禅師
   ・908-4 贈る 僧正 法印大和尚位
   ・出身:紀氏 和泉国大鳥郡
   ・906-7-3 71歳 入寂(836-906)
   ・兄:光定和尚 天台座主
      ・俗姓:贄氏 伊予国風早郡

基継  849 生まれる
   ・895 少僧都 東寺長者宣言
   ・909 興福寺 僧都任
   ・915-2-6 東寺 法相宗
   ・915-12-1 興福寺 別当に補す
   ・凡僧時 昌海和尚の弟子
   ・出身:紀氏 越前国
   ・931-2-4 82歳入寂(849-931)

行教  860 入寂
   ・石清水八幡宮検校
   ・大安寺和尚

承澄  880頃 円満院坊官
   ・延暦寺 常済の弟子 
       
     紀望行―┌貫之
         │      ┌勝延
         └宗定─行広─│   ┌行尊
         伯耆守    └承均─│
                 法橋 └承澄───承賢──承尊
                    円満院坊官 法橋  上座

勝延  890 真言宗の僧 權律師
   ・華巌、天台兼宗
   ・898 少僧都
   ・歌人
   ・父:大和守 紀行広

観覧  897-2-20 東寺長者
   ・真済僧正の弟子
   ・父:紀朝臣長谷雄

空也  903 生まれる
   ・923 光勝 尾張国の国分寺で出家 20歳
   ・951 空也上人(光勝)
   ・963-8-23 西光寺(後の六波羅蜜寺)を建立
   ・963-8-23 加茂の河原の小堂に於いて、大般若経を供養し万燈会を設く
   ・万民救済という自らの信念ののっとり民衆に浄土の教えを説いて廻った
    ・「市聖」民間浄土教の祖、生涯一布教者として貫いた
   ・空也堂光勝寺(堀川蛸薬師東入ル)
   ・972-9-11 西光寺で70歳入寂(903-972)
   ※常陸新治郡宍倉村に古昔空也上人鹿乗せてここに死す
    ・空也の墓と云う所あり、空也堂あり  ※楓軒偶記

 
    常康親王(仁明天皇の皇子)
      ‖――――――――――光勝(空也上人)
    紀種子
           ※説で確定的な古文書は無し

寛救  928 真言宗の僧 
   ・観賢僧正付法、
   ・我覺寺(仁和寺)
   ・933-9-28 東大寺別当 第43代 重任す
   ・945-12-29 伝燈大法師位 東大寺別当 第44代に還補す
   ・947 東大寺別当
   ・949-1-16 東大寺僧徒 入京して観救を愁訴
   ・俗姓:紀淑間(父:紀長谷雄)  

延晟  933 入寂
   ・大安寺別当
   ・石清水八幡宮第5代別当
 
観修  945 生まれる
      ・956 11歳 比叡山に上がり稚児となる
       ・その後出家 余慶から灌頂を受けた
   ・990 天台寺門派の僧
   ・997 大僧都 園城寺長吏に補す 検校職
   ・997 中国宋の天台宗の書物について、師である実因と共に批判している
   ・998 權僧正 園城寺長吏に還補す
   ・999-7-27 東三条院 御修法を行い給はんとす
   ・99-8-28 皇太后の御悩みに依り観修をして加持せしむ
   ・999-11-1     “    不断法華読経を修せしむ
   ・999-11-6     ”    千手観音法を修せしむ
   ・1000-3-12 内裏御修繕結願 千手観音法を奉仕せしむ
   ・1000-3-17 僧正
   ・1000-4-5 權法務と爲す
   ・1000-8 大僧正
   ・1001-1-30 僧網を任ず 法務大僧正上表す
   ・木幡大僧正
   ・1001-11-11 前大僧正 封戸百畑を賜る
   ・1002-3-14 為尊親王 加持せしめ給う
   ・1002-8-3 東宮 御馬を賜る
   ・1002-9-17 解脱等の 常行堂を供養す
   ・1004-8-28 御物忌 敦康親王、藤原道長の土御門第に移り給う
   ・1004-12-3 中宮 石山寺に於いて増益法を行はしめ給う
   ・1005-10-25 石山寺に於いて敦康親王の御為めに御修法を行う
   ・1006 淨妙寺も兼ねる
   ・俗名: 紀氏
   ・1008-7-8 65歳入寂(945-1008)
   ・1019-12-18 故前大僧正観修に智静の謚号を贈る

実性  949 天台宗の僧 
   ・多武峯座主 検校 權律師
   ・950-5-14 權律師 多武峯金堂に法華三昧を修せしむ
   ・953-1-8 山城 雲林院に於いて大般若経を転読せしむ
   ・954 律師に勅して国家安全の為、仁王経を講ぜしむ
   ・954 勅によりて多武峯に如法堂を建立す
   ・955-7-16 權少僧都に任ず
   ・俗姓: 紀氏
   ・956-1-11 入寂

長勇  967 天台宗の僧 阿闇梨
   ・967-3-4 東宮 内供奉十禅師をして凝華舎に修法せしめられる
   ・968 權律師
   ・969-6-5 權律師を律師に
   ・977-10-28 法性寺座主に補す
   ・俗名:紀氏
   ・982 權少僧都 入寂

安救  977-4-2 実相寺 京都 
   ・阿闇梨 法蔵僧都 入室
   ※実相寺は紀氏の宿坊

寛印  990-995 天台宗の僧 内供奉十禅師
   ・1017-6-10 合叙 寛院の事跡 天台硯学
   ・出身:父:紀忠方 内匠充 丹後与謝 

智静 禅師 990 解脱寺 
   ・京都 解脱寺闢伽井之碑に智静禅師の名あり
   ・聖護院 天台宗 京都 智静大僧正 第14代目
   ・父母:紀氏 

永観  1033 生まれる
   ・1035 2歳 石清水八幡宮別当 藤原元命の3男として養子に
   ・幼にして山崎の国成寺に至って不動明王の加護を受け絶えず慈救咒を唱えた
   ・1043 石清水八幡宮別当法印元命の門に入る
   ・1044 11歳 禅林寺深観に学ぶ
   ・1045 東大寺で貝足戒を受ける
       ・有慶、顕真から三輪宗、法相を学ぶ
   ・禅林寺深観師のもとで剃髪して永観と改めて密教を学ぶ、学僧
   ・1052 京都 光明山に住む、病弱であった
   ・1057 平等院の番論議の選者として満座の人を心服させる
   ・1072 東大寺別所光明山を去り、念仏の民間布教に奔走する
   ・1082-2 念仏行道の時、壇上の阿弥陀みかえりの相を感得
   ・1086-5-14 興福寺の維摩会講師   
   ・1094 阿弥陀信仰を提唱
   ・000 白河院が永観を護持する
   ・1097 寺内に薬王院を建て、施療所を設ける
   ・1098 律師に任じられる
   ・1099 官任:依公請労補權律師
   ・1099-9 田楽舞の件で東大寺と争う
   ・1100-5 東大寺別当第83代の時、
        ・岐阜市南部の「茜部荘」と攝津国の「猪名荘」の年貢を
         東大寺の学侶の百口学生供とした
   ・1102 東大寺別当を辞する、
       ・禅林寺(別当職)に帰る
       ・東南院を興し終生ここを本拠とした
   ・1106 官任:依公請労補權律師
       ・兵庫県の「長洲荘」は皇太后職領から東大寺になるようにと
        鴨御社と返還争いに、土地は東大寺に、人は鴨社と採決される
   ・1108 東山に迎議を修す
   ・法然に先立つ念仏者として有名
   ・歌人 千今載続後作者
   ・父:源国経 文章博士 光孝源氏
   ・母:石清水八幡宮別当元命の娘
   ・1111-11-3 79歳入寂(1033-1111)

   光孝天皇     滋野氏             石清水八幡宮
    ‖―――源国紀――公忠――信明         藤原元命の娘
   滋野直子           ‖――通理――国基  ‖――永観
                紀3位頼子     ‖――国経
                       紀道成の娘  

    ※紀氏の流れと解釈して

隆禅  ・1037 生まれる
   ・1100-7-14 興福寺 權大僧都
   ・南部大乗院殿初祖
   ・長谷寺、大安寺別当
   ・1100 63歳入寂(1037-1100) 

      藤原政兼 左少将(兼貞の孫)
        ‖――――――――――――隆禅
      源済政(従3位)の娘

      ※真済の後裔の血を引いている紀姓源氏と思う為

維範  1075 高野山の学僧
   ・高野山南院に住し、第11代 執行検校となる
   ・俗姓:紀氏
   ・出身:紀伊国伊都郡相賀郷
   ・1098-2-3 入寂

済尋  1086-3-16 興福寺
   ・1089 仁和寺 仙養房 威儀師 
   ・1089-4-11 大僧都
   ・1089-9 興福寺別当
   ・父:藤原師成(姉小路)紀長谷雄の系図にあり
   ・1095-2-14 入寂 
 
慶尊  1087頃 東寺上座
   ・石清水八幡宮少別当
   ・永観律師の甥  

勝園  1089-8-17 大宰府の別当
   ・俗名:松永法師
   ・年来服仕の間は、この地にて俗名の松永を名乗る
   ・大宰府の贄人と号するが、在地人にはあらず、
   ・父 永禅が在京の時に出来た童子
      ・父:観世音寺 上座 威儀師永禅(故人)

済俊  1096 生まれる 紀氏?
      ・000 仁和寺 善淨房 威儀師
   ・1129頃 高野山 第27世 検校
   ・1129頃 東寺 善清房 威儀師
   ・出身:紀伊在田郡 霊感を得る事が多かった
   ・1179-2-2 高野山 検校執行 83歳入寂(1096-1179) 

真勝  1099 法眼 内供奉十禅師

     石清水八幡宮光清の娘
         ‖―――――――真勝
       藤原能実 正2位 大納言(北家 藤原師実の子)

永暹  ・1108-10-8 天台宗の僧
   ・幼少の時、出家する
   ・73歳より四天王寺で衆僧を招請して「阿弥陀経」を読誦した
   ・俗姓:紀氏
   ・出身:石見(島根県)出雲 鰐洲寺に住む

慶観  1112-11-17 慶観田地売券
   ・紀之乙犬丸(略押)
   ・紀舎弟(略押)
   ・僧買人:東大寺印あり

叡尊  1124-8-15 西大寺 
   ・紀近延の林譲り状の裏書に名前あり

道恵法親王  1131 生まれ 
   ・1138 山城 鳥羽院の証金剛院で覚獣を戒師として出家
   ・1138-3-4 阿波国「生夷荘」の領主、のち石清水八幡宮領に
   ・1146 一身阿闇梨
   ・1150 行慶に伝授灌頂を受ける
   ・1158 四天王寺別当 〜1166
   ・1160 親王宣下を受ける 円満院門跡
   ・1160 園城寺第35世 長吏、 浄土寺  
   ・1168-4-25 37歳入寂(1131-1168)

命清 1132 生まれ 
   ・石清水八幡宮八幡宮 鑁權別当
   ・1184 仁和寺 法眼    
   ・父:圓賢法眼=最清 石清水八幡宮護国寺修理別当
      ・(石清水八幡宮別当元命の娘婿)
   ・養父:石清水八幡宮別当光清
   ・1187-7-17 55歳入寂(1132-1187)

覚快 法親王 1133 生まれ 
   ・太政大臣藤原実行の娘(鳥羽上皇に仕えた)が引き取り養育する
   ・天台座主 青蓮院
   ・行玄僧正瀉弟子
   ・1181-11-6 無動寺 検校  
   ・法性寺座主
   ・源頼政の娘=三河が法性寺に仕える
   ・1181-11-6 48歳入寂(1133-1181)

       鳥羽上皇 ┌道恵法親王 六宮
         ‖――│
       紀家子  └覚快法親王 七宮
       美濃局

慶寂  1145-11-14 僧慶寂田地譲状
   ・一男 僧勢智(花押) ※蔵東大寺文書

  
宣俊  
   ・紀伊国造家
   ・号:安居寺国造

良忠  
   ・紀伊国造家 社務
   ・号:紀伊三井寺国造
   ・1155 入寂

重源 上人 1121-2 貴族の子として京都に生まれる
   ・1133 醍醐寺で出家 13歳
   ・1137 四国を回り密教修行 17歳
   ・1139 大峰、熊野などで山林修行 19歳
   ・1152 醍醐寺 大法師 理趣三昧衆
   ・1162 村上源氏の為の作善を行う 42歳
   ・1167 入唐 宋に渡る
   ・1178-8 東大寺勧進職 
        ・東大寺に入るまでは高野聖であった
   ・1181頃 文覚に神護寺の再興を進める
   ・1181 東大寺造営大勧進に任じられる 61歳 
   ・1182 陳和郷に大仏復興への参画を要請 62歳
   ・1185 大仏開眼供養 65歳
   ・1186 修造、造営し奉る(周防国)
       ・徳山の遠石八幡宮
       ・熊毛の小松原八幡宮(松原八幡宮)
       ・下松の末武八幡宮(花岡八幡宮)
       ・宮市松崎の天神宮(防府天満宮)
         宝殿、拝殿、三面回廊、楼門 
   ・1186 国司として開発
       「椹野荘」預所:紀季種 右衛門尉
               ・重源の長兄(季良)の嫡男
   ・1186 伊勢神宮に参詣し、後白河法皇のとき「大般若経」を
       八幡別所に置かれた
   ・1187 周防に阿弥陀寺を建てる 67歳
   ・1188 東大寺南大門を上棟 79歳
   ・1190 大仏殿の上棟供養 70歳
   ・1192-9 播磨に浄土寺を建てる 72歳
        ・東大寺の末寺、重源上人の念仏所
        ・山口県防府市牟礼
   ・1195-3 東大寺供養会が催される 75歳
      ・1202 このころ、伊賀に新大仏寺を建てる 82歳
   ・1195-11 醍醐寺の上醍醐寺に経蔵を建立する
   ・1203 東大寺の金剛力士像を造立、
       ・生涯の業績をまとめた「南無阿弥陀仏作善集」を記す 83歳
   ・俗名:重定 武家の出
   ・父:紀季重 瀧口左馬充(紀朝臣長谷雄の後裔)
   ・母:大江氏の娘
   ・1206-6-5 東大寺で入寂 86歳(1121-1206)
         ・播磨国の浄土寺にて入寂説もある
   ・1206-9-15 播磨国浄土寺で100ヶ日の追善供養をした
   ・1308-2-3 故益信僧正に大僧正を贈り、本覚大師を謚す
   ・備前国での荘園開発(東大寺の知行国として)
    @豊原荘
    A野田荘
    B南北条の地
    C上の3荘に加えて国司として国衙領を支配する
   ・東大寺領(重源上人の支配となる)
    ・兵庫県小町市大部荘・粟生荘・垂水荘・赤穂荘
    ・後、東大寺の東南院の支配となる
    ・1215 地頭がおかれた
    ・1293 雑掌 垂水左衛門尉繁昌
    ・1302 預所 西室院 定勝

栄西  1141-4-21 生まれる
    ・吉備津宮(岡山県 吉備津神社)の權禰宜賀陽貞遠の子として
    ・1148 8歳で「倶舎論」「婆沙諭」を読んだと伝えられる
    ・1154 14歳で比叡山延暦寺にて出家得度、落髪
    ・延暦寺、吉備安養寺、伯耆大山寺などで天台宗の数学と密教を学ぶ
    ・筑前国今津誓願寺に在る事凡そ15年にして待望の入宋をする
    ・1168 形骸化した日本天台宗に嫌気し、南宋に留学、
        ・天台山万年寺などを訪れ「天台章疎」60巻を将来する
        ・南宋では禅宗が繁栄し、それに大いに感化され、仏法復興の
         ために禅の重要性を感じたとされる。
    ・1187 再び、入宋、仏法辿流のためインド渡航を願い出るが許可されず、
        天台万年寺の虚庵懐敞に師事
    ・1191 虚庵懐敞より臨済宗の嗣法の印可を受ける、同年、帰国
    ・福慧光寺、千光寺などを建立し、筑前、肥後を中心に布教に努める
    ・1194 栄西や大日房能忍の禅宗が盛んになり、天台宗から排除を受け
        禅宗停止が宣下される
    ・1195 博多に聖福寺を建立し、日本最初の禅道場とする
        ・同寺は後に後鳥羽天皇より「扶桑最初禅窟」の扁額を賜る
    ・栄西は自身が真言宗の印信を受けるなど、既存勢力との調和、牽制を
     図った
    ・1198「興禅護国論」執筆
       ・禅が既存宗派を否定するものではなく、仏法復興に重要である
        ことを説く
    ・京都での布教に限界を感じて鎌倉に下向し、幕府の庇護を得ようとした
    ・1200 北条政子建立の寿福寺の住職に招聘
    ・1200「出家大網」著書
    ・1202 源頼家の外護により京都に建仁寺を建立
        ・建仁寺は禅・天台・真言の三宗兼学の寺であった
         以後、幕府や朝廷の権力に取り入り、それを利用して
         禅宗の振興に努めた
    ・1202・喫茶の習慣を日本に伝えたことでも有名
        ・肥前の背振山に最初に茶種を植えた
    ・1204「日本仏法、中興願文」著書
    ・1206-9 東大寺勧進職に就任(重源の後を受けて)
    ・1212 法印に叙任
    ・1214-2-14 源実朝に病あり、良薬と称して茶を勧める
          ・「喫茶養生記」を録進す、
    ・1213 權僧正に栄進
    ・天台密教葉上流の開祖でもある    
    ・政治権力にひたすら追従する栄西には当時から多くの批判があった
     特に栄西が幕府を動かし大師号猟号運動を行ったことは大きな非難を
     浴びた
     ・仁和寺の道法法親王(六勝寺検校たる)に贈り物をしたことに対して
    ・1215-6-5 75歳 病気で入寂((1141-1215)

     貞政─────季重───┌季良
     薩摩守    三井寺  ├季康
     大祝賀陽貞政      ├栄西 葉上僧正 建仁寺開山
                 │  
                 └重源 入唐上人 大和尚
                     東大寺造営大勧進職
      ※続群書類従第百68、系図63より

永圓 1161-7-25 東大寺文書
   ・紀元延田畠処分状に紀近延と在共寺御堂の裏書に 
   ・1211-12-3 買人 願蓮房永圓
          売人 左近衛府生 紀近延  

真寂 1162-4-2 台明寺文書
   ・僧真寂田畠譲状
   ・嫡子:紀助房

實修房 1164-5-20 高野山
    ・紀圓正田地耕作請文に

淨円御房 1165-11-5 高山寺双輪寺

永祐 1166-7-5 東寺百合文書119
   ・僧永祐出挙米借用状
   ・散位 紀正清(花押)
   ・紀清則(花押)

明慧上人=明恵上人 1173-1-8 生まれる
   ・1181 母方の叔父上覚を頼って神護寺に入山し、文覚の弟子となる
   ・1182 京都 高野山に上がり、叔父の上覚坊行慈(1147-1226)や
       その師文覚上人の弟子になる。
   ・1183 醍醐寺の実尊から密教を学ぶ
   ・1186 出家得度、成弁と名乗る(法名:高弁と改名、明恵は房号である)
   ・1189 東大寺で受戒 高雄と故郷の紀伊を往復し、修行を重ねる。
   ・1191「仏眼仏母像」を本尊として、常に仏眼法を修す夢記を書き始める
   ・1192 小野の興安から両部灌頂を受ける
   ・1193 東大寺に出仕、その後、紀州に戻り、白上の峯、筏立などで修行
   ・1196 白上にて「仏眼仏母像」を前に右耳を切り、文殊菩薩の示現にあずかる
   ・1199 春、神護寺に帰るが、2月に文覚が流刑となり、神護寺は荒廃
       再び、各地を転々とする 
   ・1206 後鳥羽上皇により、京都栂尾別所を華巌宗興隆のために与えれれ
       道場として高山寺を開いた
   ・1206頃 栄西より禅を学ぶ
        ・栄西請来の茶を栂尾に栽培する
   ・1207 院宣により東大寺尊勝院の学頭となる
   ・1227「光明真言加持土沙義」を著す
      ・出身:和歌山県有田郡金石垣庄吉原村(現:屋町大字歓喜寺中越)
   ・父:平重国(本姓は藤原秀郷流で伊藤を称したが養子となり改姓)
      ・1180-9 上総にて戦死 
   ・母:湯浅(藤原)權守宗重の娘
      ・藤原宗重は藤原氏としての流れは未詳、紀国造の末流、
       清和源氏ともいわれる
       ・1180-1 母死す 
   ・養父:崎山兵衛良貞(紀氏)居住地 田殿庄
   ・崎山良貞の未亡人(明慧の伯母)信性尼から崎山の屋敷を亡夫良貞の菩提を
    弔うために寄進され、仏像聖教安置の所とした、後山脚に三間一面の
    小堂を建立し、旧宅を同行信者の修行の道場とした。
   ・1232-1-19 60歳で入寂(1173-1232)

長巌 1180 修験者
      ・後鳥羽院御持僧
   ・七条院が上皇を出産の時験者として祈祷
   ・1190 七条院から大和「檜牧荘」を寄進される
   ・1209 新熊野社検校 
   ・1219-1221 熊野三山検校 所属寺院:仁和寺 勝明房
   ・1221 承久の乱後、倒幕計画に加担した罪で陸奥に配流となる
   ・1228-7-16 修験行者
   ・父:紀尊真(武内宿禰の流れ)
   ・子:・清巌 醍醐寺 大僧都 法印
      ・道巌 仁和寺 權大僧都
          ・参議 藤原清隆の猶子

永修 1185頃 三位僧都
   ・父:石清水八幡宮宮司 検校

俊成 1190 東大寺文書
   ・僧俊成畠地譲状 相伝私領(東大寺小網)
   ・父:藤原の四子
   ・紀姉子

厳遍 1198 大法属

栄尊 法眼 1198頃 
   ・父:紀季良 右衛門尉出家
   ・重源上人とは兄弟

成真 1200頃 權大僧都 法印 阿闇梨
   ・本淨山上執行 
   ・父:成清 石清水八幡宮別当
   ・山上東谷坊にて入寂 

厳慶 1206-4-29 実相寺田事
   ・合弐段者 在左京九条一坊六坪東寄 作人:俊元
   ・作人の罪科に依り没収す

俊済  1210 西大寺 律師
   ・父:親圓(圓俊)阿闇梨上人=入唐帰朝

     紀成清の娘
       ‖―光氏―――――圓俊阿闇梨――俊済
       ‖ 従5位下 丹後守
     藤原光親(北家 藤原良門ー定方の後裔)
      
        ※紀氏の流れ

成円  
   ・住 信濃国 国分寺
   ・父:石清水八幡宮權別当 法印 歌人(1236寂)

故永範 (明賢)大法師 1212-12 東大寺 
   ・永範=永乗房の相伝領 紀近延相伝領
   ・売人 府生紀 私領田事 在伴寺御堂後田

定巌  法印 1215-1-6 東寺 実相寺にて入滅

淨圓房  1217-12-10 限永代所渡申實也
   ・紀末国荒野去状 荒川御庄内在字小中島 末国領也

円照 上人 1221 東大寺別当
   ・東大寺戒壇院の中興の祖
   ・号:実相
   ・石清水八幡宮の善法寺を建立
   ・竹林寺、金山寺、家原寺、法隆寺、上宮王院、徳大寺大悲院
   ・兄:寛乗(聖守)東大寺權別当?
             ※紀氏流?

勝源 1221-2-19 東大寺文書
   ・紀為清家地売券 紀為清相伝私領也
   ・買人:僧勝源 

清実 法師 1223
   ・和泉国大鳥郡「草部郷・草部荘」の地頭職を紀清経に譲る

寛乗 (聖守)1223 東大寺
   ・弟子:真照、道照、忍空、倫海、凝念
   ・弟:円照上人
   ・石清水八幡宮検校宮清法師が善法寺を建立の時、その開山になった
   ・石清水八幡宮検校行清が法音寺を建立の時、開山となった。
             ※紀氏流?

慈済 (明賢) 1243 西大寺  
   ・叡尊のもとで出家
   ・西大寺に在住
   ・1259以降 鎌倉に下向した
   ・1380 真言律宗 住した
   ・連歌
   ・兄:石清水八幡宮別当宮清

信澄充  1245-11-9 紀仲子田地売券
   ・福寿房教印 遺領を沽却 大和田城下郡西郷13条3里12坪野寄り
  
成真  
   ・仁和寺 光明院 法印 權大僧都 東谷門跡
   ・父:石清水八幡宮別当、検校 大僧都 
      ・善法寺、弥勒寺
   ・1250 入寂 

了慶  
   ・東大寺 法印
   ・父:紀俊文 紀伊守 歌人

慶円  
   ・山門僧徒
   ・父:紀重満 阿波守 下総国「埴羽」地頭職
   ・紀行義(後裔:安富氏、細見氏、堀田氏に)と兄弟

端禅  
   ・山門法印 真照院
   ・父:紀之泰 右兵衛左
   ・紀俊文の後裔(安富氏、細見氏、堀田氏に)

道法  律僧
   ・延暦寺 大乗院 




ー1060頃の紀姓仁和寺関係ー
   
    実巌───―┌証祐
    四郎房   │   寿王房上座  
    上座    └勝雄──祐雅───┌栄尋
  (父:玄蕃頭  謄養房上座     ├淨俊 大輔
    紀久範の子)          ├栄暹 林養房上座
   号:小倉             │   順養房寺 
                    │
                    └済尋 仙養房 威儀師┐
                     1089        │
        ┌──────────────────────┘
        │
        ├実永
        ├善紹───仁増
        ├乗快 林光房 円乗寺上座
        └全慶──済隆
             1140頃
    

   
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ー祇園社=八坂神社ー
   ・東大寺八幡神社の後半に記載してある


         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・








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