松永氏の県別、地名と人名(19)

角川日本地名大辞典、平凡社の日本歴史地名大系
世帯数は2007年版NTT電話帳による







福井県(若狭国)    
      @839-1-11 紀朝臣松永 従5位下 若狭国司(続後記では紀松長)
                ・845年迄国司(在住の記録なし)

        A1196年6月付けの若狭国源平両家祇候輩交名案
             若狭国御家人 33人
                         ・職:下司・公文・名主・地主・領主
             ・在地人の結束が固く、東国人(京都住人)の入り込む
              余地がなかった。
             ・在庁官人:中原氏・惟宗氏・小槻氏・藤原氏・柿本氏
    
          ・1365-5-26 遠敷郡玉置河原で守護軍と決戦を行い敗北した氏
               宮河氏・鳥羽氏・木崎氏・和久里氏・脇袋氏

       B1314-10-15 若狭国が山門の知行国となる
        
    C1336 若狭国は建部親政によって公領となる。

        D遠敷郡 良材の出るところ

                      
                              小浜・京都間の街道  
       




    
   ・小浜市 4 旧:遠敷郡を含む
     地名:@ A中井 B生守 C雲浜

      @「国分寺跡」

                     
                            国分寺跡                国分寺跡碑
           
     A「国分寺」曹洞宗
         ・山号:護国山
         ・本尊:釈迦如来
         ・創建:741 聖武天皇の勅願により建立
         ・1349-2-22「国分寺」供僧職文書由緒あり
               不出仕の良円を退け、経賢を補任とある
              ・1392-1457(室町期)消滅
         ・1549 国分寺村と標記され、以後集落構成が見られる
         ・1611 山田一徳の勧進により釈迦堂は旧金堂跡に建立、
             その後倒壊した
         ・1704-1710 再建された
         ・現在は釈迦堂と薬師堂が曹洞宗の寺院として存続している
         ・住所:小浜市国分寺53−1
         
           
                      国分寺釈迦堂         薬師如来坐像
       
     B「若狭彦神社」祭神:彦火火出見尊(山幸彦)
            ・海上安全・海幸大漁の守護神
            ・鎮座地:小浜市竜前

         
                若狭彦神社

        C「神宮寺」天台宗 若狭彦神社の神宮寺
          ・山号:霊応山
          ・草創:714年
          ・715 勅願所となり神宮寺と称す
          ・鎌倉初期:若狭彦神社別当寺神宮寺と改名
          ・七堂伽藍、25坊を誇った
          ・豊臣時代に寺領没収
          ・1868 廃仏毀釈により衰退
          ・毎年3月2日に、奈良の東大寺二月堂へ水送りの神事が行われる
          ・鎮座地:小浜市神宮寺30−4

             
                              神宮寺本堂        水送り行事

                    ・1655 大江景清 山等を若狭神宮寺に寄進する
                   ・東は限松永領。 以下略

          D「若狭姫神社」祭神:豊玉姫命(乙姫)
            ・海上安全・海幸大漁の守護神
            ・鎮座地:小浜市遠敷65−41

         
                若狭姫神社

     E「国府跡」大興寺付近 画像なし

     F「総神社」若狭国総社・村社
          ・御祭神:五十猛神・大山祗命
          ・合祀:菅原道真
          ・創建:不明
          ・1265-11 若狭国惣田数帳に惣社宮とある。
          ・鎮座地:小浜市府中24−15

         
                              総神社          

         G「明通寺」 真言宗御室派
           ・寺号:棡山 光明通寺と名づけた
                    ・本尊:薬師如来坐像
           ・806 創建:征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐に際して創建
           ・大鳥居など25坊が建立され、鎮護国家と祈祷場として栄えた  
           ・1258-4-10 建立:本堂上棟 院主:頼禅法印が再建
           ・1265-9-5 本堂供養が行われる
           ・1270-10-13 三重塔は中興の僧頼禅が棟上をした。
           ・住所:小浜市門前5−22

                          
                                 明通寺の五重の塔     

     H「六所神社」 画像なし   
                                         
     I西松永 西郷:神宮寺の谷をといひて八村あり
         「荘西郷」遠敷村、龍前村、国分村、神宮寺村、忠野村、
              金屋村、上根来村、下根来村。

         ・領主:平安〜戦国期 真言宗 泉涌寺(皇室墓所の寺)
         ・公文:御家人 和久利兵衛太夫伝領
         
     J東松永 東郷:明通寺の谷をといひて八村あり
          「荘東郷」東市場村、上野村、門前村、三分一村、四分一村、
              池河内村(池河原)、平野村、大興寺村

                      @池河内:殆んどが山林
           A門前:明通寺の門前の集落
           B三分一(旧寺野村):明通寺領
           C平野:真言宗「吉祥寺」
           D上野:松永谷諸村の社倉が設置されていた
           E四分一:曹洞宗「法雲寺」松永保地頭:惟宗氏の寺
           F体興寺:廃寺、集落、古墳群あり 
           G東市場:市場が開かれた   

       
 
     K東郷・西郷は近世は「松永村」と称した。   
                  ・1865−1868 松永諸村の飢饉用穀物倉庫が上野村から移築された。           
                           ・松永村=上野村→大興寺村              
           ・1913 石高 3055石
           ・1947〜1951の遠敷郡の自治体名、
           ・現在小浜市の大字 

              ・2006 「松永地区」小浜市の東部、北川中流左岸と
                                         その支流である「松永川」=旧:東河
                     流域に位置します。
                    ・地区内には
                                 @国宝明通寺 A三番の滝 B茶臼山城跡
                  C法雲寺(すり鉢やいと) D面山和尚の碑
                  E太興寺古墳群 F日枝神社
                  G桜神社白髪神社古墳 H日吉神社など
                    ・人口:1,300人余り、
                    ・世帯数:約400世帯  

                   
                              遠敷郡の松永の航空写真     

     L「松永谷」いわれ:国府に近ければ、松永の居られしところにて
            其の名の残りけるにや、その名知らす。 ※若狭国史
                    ・「名田庄」あり                       
              ・1755年「日枝神社」一宮「山王大権現」
                   ・松永谷七ヶ村の氏神
                   ・所在:太興寺村とある。

           ・「天満宮」(旧村社)松永二の宮が鎮守 松永谷集落東端

     M「松永郷」1336-8-28に見える ※若狭国史
           ・1556-10 松永郷七ヶ村の領主:武田彦五郎信方
                ・太興寺村は除く 
                ・武田元光配下の粟屋右京亮源元隆が領す                

     N「若狭国の町村」  

            
         
       O「明通寺」の歴史
         ・1294-6「明通寺」寺僧が連署し、先住頼禅の寺領、寄進地、
              文書についての15か状の遺言を守ることを誓う。
              ・「明通寺」寺院の「補任権」を地頭が握っていた
               ・地頭:多伊良氏の氏寺的な性格も濃厚

         ・1310 幕府より異国降伏のための祈祷を命じる

                  ・1320  三重多宝塔上葺の勧進が行われた
 
         ・1333-5-26 後醍醐天皇から祈祷所に指定されている

         ・1336-8-28 三方郡能登野の内乱では「明通寺」は足利方として
                奮戦し3名の死者を出した。
               ・寺僧の但馬房快禅、伊予房頼秀、行人常行等た討死
                 南北朝期の争乱にかかわりをもった。

                  ・1405「松永荘」内に3町の「明通寺」領あり。

         ・1425-8-18「明通寺」が「延暦寺」との本末関係を復活させ、
               坊領以下一切を「延暦寺」に寄進  

           ・1494-6-25「明通寺」松永領主の要請により能木嶽で
                                      雨請(雨乞い)を執り行われたことを示す史料が残っている  
                  ・松永領主も同行 
                  ・地頭:僧:頼尊・朝雄連署状 ※資9明通寺文書97号
                    
         ・ 1521-3-8「正空寄進状」一段仏名田 在所:松永倉谷之前
              ・松永領家の内「金松名」の抜地 明通寺へ
                   
          ・1527-12-23「平城与一信基寄進状」2段 明通寺燈明田地に
              ・松永領家の内「則俊名」東市庭五郎兵衛 
             
         ・1528-3-21 武田元光加判明通寺寺領目録
              ・松永一宮御供田 伏見院殿御寄進 15段
              ・松永二宮御供田 伏見院殿御寄進 貮段
              ・佛名田 松永領家「金松名」抜地 正空寄進 壱段
              ・燈明地 松永領家「則俊名」抜地 東市場妙海寄進 貮段
              ・松永領家「貞友名」沽券在之 半名
                    四名より松永一宮御供田 3段
                    松永領家「磯次名」寄進状 壱段
                 
               ・1572-12-12 「教尊田地譲状案」吉永二之谷 
                         ・弟子 明通寺少納言教秀へ 
                      ・松永領家へ段銭159文/毎年納めること 






   
   ・大飯郡 0     
     @1521「実相寺」曹洞宗 
        ・真言宗「福寿庵」が改宗して禅宗「実相寺」とす
        ・住所大飯郡おおい町岡安(旧:字鈴ヶ谷)10−10

        
     A1561 丹波守護代松永長頼(蓮雲軒宗勝)は
         ・武田義統の父子争いが起こり、
         ・それに伴って一族逸見昌経駿河守、粟屋勝久越中守らの反乱を
          誘発し、長頼は逸見氏を支援、若狭へ乱入して高浜の砕導山城
          (現高浜町宮崎)へ立て籠もり攻防戦が繰り返された。
                ※福井県史「巌助往年記」大成寺ー4   
    
        

    ー荘園ー
      @1265「細工保」
         ・郡名:大飯郡 高浜町
         ・領家:国衙領(国衙工房管轄の細工所の料所)
            ・1255-11 大飯郡青郷・青保・以下略
         ・下司:御家人木崎氏
                  ・稲庭時定の子息中原時国は「青郷」の地頭代官
         ・「青郷」南北朝初頭から将軍直轄領とされたふしがある
                             ※郡書類従
         ・史料村郷名:重光名・為清名・正安名・在利名
         ・明治村字名:記載なし         
         
         ・「青郷」内に「松永沓名」切銭 十貫文あり
               ・1566 武田義統領として竹原源八兵衛に与えられた  






      
   ・三方郡 1
     地名:美浜町 @佐田

    ー荘園ー
      @1213「織田庄」
         ・郡名:三方郡 美浜町
         ・領家:延暦寺領・常寿院領・青蓮院門跡領・山門領
         ・史料村郷名:山東郷・山西郷・菅浜・太田村・佐田村
         ・明治村字:佐田・菅浜・大田・以下略






   


 福井県(越前国)  (松長家1、松中家2)             
   ・敦賀市 87
     地名:@杉箸 A三島町 B莇生野 C松島町 D原 E清水
        F新道 G中央 H山泉 I港町 J布田 K和久野
        L曽々木 M松葉 N津内野 O小河口 Pひばりヶ丘
        Q桜ヶ丘 R鳩原 S荻野 21櫛川町 22刀根 23本町
        24古田刈 25堂 26小河 27呉竹 28金山 29金ヶ崎
        30奥野 31櫛林 32道口 33長沢 34沓見 35平和
        36市野々 37清水 38松栄
     
     @「気比神宮」越前一宮・官幣大社・別表神社・式内社
           ・主祭神:伊奢沙別命・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇
                日本武尊・玉妃命・武内宿禰
           ・702 文武天皇の命により社殿を修造
           ・鎮座地:敦賀市曙町11−68

               
                               気比神社

     A「気比神社神宮寺」 廃寺
      
     B「永建寺」曹洞宗
          ・開創:1395 
          ・1420-5-29 永建寺の坊主職などの置文が定まる
          ・1579 領主:大谷刑部少輔によって移転する
          ・1597 松島2丁目松永(中)村「永建寺」
          ・1607 敦賀郡「野坂庄」のうち島郷に強制移転された。
          ・1741 本堂が再建
          ・1854 僧堂を再建
          ・1681 山門・境内建物を再建
          ・氏神弓矢八幡宮で鋳物を作っていた 
          ・住所:敦賀市松島町9−5

          
                               永建寺本堂

     

         C877 康済和尚 真済僧正の後裔、園城寺の長吏となる
             ・玉置郷の「松永保」園城寺に寄付 ※伊勢年鑑
             ・894-9-25 天台權律師に敦賀出身の康済を任じる
                   ・899-2-8 入寂
                           
     D敦賀市奥野に住む松永卓三氏   1818    1865
      ・多くの古文書を伝領する旧家(文政年間3通、慶応の古文書)
      ・家紋:三星一文字、渡辺ぼし    

    ー荘園ー
      @1212「野坂庄」
         ・郡名:敦賀郡 敦賀市
         ・領家:西大寺領宝塔院領・氣比社領、以下略
         ・史料村郷名:島郷・櫛川郷・木崎郷・沓見郷・金山郷
                野坂郷・砂流郷・山泉郷
         ・明治村字:松中・島郷・鋳物師・公文名・以下略

           A1212「莇野保」
         ・郡名:敦賀郡 敦賀市
         ・領家:気比社領・九条家領・法輪院坊領・青蓮院門跡領
             妙香院領・山門領・摂関家領(本家)
         ・史料村郷名:記載無し
         ・明治村字:莇生野

      




    
   ・越前市 10 旧:武生市を含む
     地名:@尾谷 A瓜生 B元町 C姫川 D氷坂 E北府
        F家久 G文京 H本町 I吾妻

     @「越前国分寺」天台宗
            ・本尊:薬師如来
            ・創建:行基菩薩
            ・住所:越前市京町

        
               越前国分寺

     A「越前惣社」国中官社 58社
           ・創祀:不明
           ・御祭神:大国主命
           ・鎮座地:越前市京町1−4−35

               
               越前惣社

     B「越前国府」現在は法華宗の本興寺の寺になっている

              
           越前国府跡碑

     C「専林寺」真宗山門徒派(浄土真宗)
          ・住職:松永良影
          ・小浜市門前町より移転
          ・住所:越前市吾妻5−19             
     
    −荘園ー
      @1214「大塩保」
                ・郡名:敦賀郡 武生市
         ・領家:記載無し
         ・史料村郷名:鎮守八幡宮
         ・明治村字:瓜生野・大塩・小松・以下略

                                              



                   
  

   
    ・丹生郡 0
 
       @「劔神社」旧国幣小社 越前国二の宮 古社
             ・御祭神:素盞鳴大神
               ・配祀:氣比大神・忍熊王
          ・境内摂社:式内社
               ・越前国敦賀郡織田神社・織田神社(別名厄除八幡宮)
               ・御祭神:保食大神・仲哀天皇・応神天皇
          ・祠官:織田氏・津田氏
          ・国宝の神鐘:光仁天皇が白壁王の時代に弓削道鏡の野望を
                 砕くために当社に大願を掛けられ、成就の
                 御礼として御奉納載したもの
          ・鎮座地:福井県丹生郡越前町織田113−1

      A765「神宮寺」= 劔御子寺(劔明神神宮寺)廃寺
          ・818 慈覚大師 多くの織田寺院を造立
                  ・36坊・19院・社家25
                    ・1394〜1427 神官:織田常昌が尾張に派遣され織田氏を称する
          ・1449 大火焼失
          ・1453 比叡山末寺織田寺となる
          ・1574 一向一揆で消失
          ・江戸初期:東寺末寺織田寺で6坊に減ずる
          ・江戸時代の末には伏見宮の御祈願所と定められた。
          ・1868 神仏分離で廃寺に
                    ・住所:劔神社と同じ場所

       
                    劔神社            劔御子寺の心礎 
               
          
          ┌信康(津田氏・織田氏・松長氏)
     織田信定─│
          └織田信秀─織田信長─娘
                     ‖
                   ┌丹羽長重
                   │
                   └弟宮 松長正
            ・1585-8-13 豊臣秀吉は松長正に越前の内五百石の地を与ふ

            







   ・福井市 31 (松中家2) 
     地名:@円山 A舟橋新 B日光 C西木田 D日之出 E国見=長尾
        F江守中町 G城東 H足羽 I春日 J福町 K上細江
        L別所 M宝永 N河内 O下江守 P小当見 Q菅谷
        R冬野 S松本 21左内 22文京 23北四ッ居 24西学園     
        
     @1597-2-3「済清寺」廃寺 浄土真宗大谷派
         ・本尊:阿弥陀如来
         ・開基:済教
         ・村道場として建立
         ・1615-3 本山より「済清寺」の寺号を受ける
         ・1868 住職:松永祐信
         ・1879-5 寺号公称の許可を得た
              ・境内83坪の中に四間半に五間半の堂宇が在った
         ・1944-12-10 焼失
         ・1945-5 再建、またまた福井地震で倒壊
         ・1948 仮堂を建設したがその後、住職不在になり仮堂な無くなった 
         ・住所:福井市和田中町
             ※真宗福井教区講社連盟名簿

     

     A「禅林寺」曹洞宗
          ・1405 開山:普済善救(1408-1-2 入滅)
              ・徳尾の白沢永幸に招かれて当寺を創立
          ・「甘露泉」の寺として親しまれている
          ・儒学者清原宣賢は朝倉氏や家臣に儒学や古典を講義した
          ・住所:福井市徳尾町22−12

           
                                 禅林寺

         

    −荘園ー
      @1366「江守庄」
         ・郡名:足羽郡 福井市
         ・領家:記載無し
         ・史料村郷名:記載無し
         ・明治村字:南江守・下江守・以下略

      A1368「江守保」
         ・郡名:足羽郡 福井市
         ・領家:国衙領・宝慈院領(臨済宗)
         ・史料村郷名:身防名・二郎丸名
         ・明治村字:江守中・南江守







     ・鯖江市 3
     地名:@長泉寺 A入町          

     @1853 松永伍作 越前国片上村(福井県)生まれ
            ・越前 松永仁右衛門の長子
            ・明治期の蚕業講習所技師
            ・福井藩の小姓となり江戸へ、
            ・維新後は内務省に出仕後、
             農務局に24年勤務し、蚕業講習所技師となり、
            ・1895 清国へも派遣せられ蠺業視察、次いで
                京都産業講習所長を務めた。
            ・正5位 勲三等
                        ・1908-4-1 54歳歿(1853−1908) 
               
                






      ・坂井市 9
     地名:@丸岡=牛ヶ島・安田新・今福・坪江
        A坂井=長屋・若宮・下兵庫
        B春江定重

     @「豊原寺」廃寺
          ・開山:702 泰澄大師
          ・1416-11-27 足利義持の祈願所となる
            ・1574 本願寺派の下間頼照が一向一揆軍の総師として
              本陣を置いた
          ・1575 織田信長は越前一向一揆を平定するために
              豊原寺の寺坊を焼き払った
          ・住所:坂井市丸岡町豊原

          
                 豊原寺跡

        A「丸岡城」平山城
          ・築城年:1576年
          ・築城者:柴田勝豊
          ・主な城主:本多氏・有馬氏
          ・廃城年:1871年
          ・天守は現存する12基の中で最も古い
          ・所在地:坂井郡丸岡町霞          

          
                               丸岡城

            





  
     ・吉田郡 0

     @「永平寺」曹洞宗大本山
           ・本尊:釈迦如来。弥勒仏・阿弥陀如来
           ・山号:吉祥山永平寺
           ・1244-8 創建:道元禅師が越前「志比庄」に「大佛寺」を開く
                ・道元:1200〜1253-8-23 53歳入寂
                    父:村上源氏久我家の出身
                    母:摂政松殿=藤原元房の娘
           ・1246-6「大仏寺」を「永平寺」と改める
           ・開基:波多野義重 
           ・歴代住職の抜粋
              ・1808-12〜1814-2 道号法諱:獨雄宣峯
                       禅師号:廣壽妙濟禅師
                       示寂:1835-7-4
              ・1827-4〜1844-4 道号法諱:載庵禹隣
                       禅師号:宏済慈国禅師
                       示寂:1845-2-3
              ・1844-9〜1848-5 道号法諱:觀禅眺宗
                       禅師号:慈航真済禅師
                       示寂:1848-8-9
           ・住所:福井県吉田郡永平寺町志比5−15 
           
            
                                  永平寺唐門

         







   ・あわら市 9
     地名:@重義 A市姫 B西温泉 C温泉







   ・大野市 1
     地名:日吉




      

                   −−−  遠敷郡の庄園関係  −−−

        ※荘園の関係図

       ・鎌倉から室町期を通じて皇室を本所とする。
                    
         ┌────────────────→ 不輸不入の権
         │皇室、貴族、寺社
        ┌───┐     ┌──┐     ┌────┐
        │本所 │←────│領家│←────│開発領主│
        └───┘ 寄進  └──┘ 寄進  │ 地頭 │
         ↑         ↑       │ 荘官 │
         │         │       └────┘
         公文        預所
                                           


     @1170「西津荘」
        ・郡名:遠敷郡 小浜市
        ・領家:神護寺領・文覚領・得宗領
            ・840-12 真済僧正 神護寺別当になる
                ・庄内に「松長名」あり、年代は未確認
        ・史料村字名:多鳥浦・汲部浦・中塩屋・北塩室。福谷村
               松原・・中村
        ・明治村字名:西津
     
                

        ・1185 もと後白河院庁の主典安倍資良は「西津荘」の
            荘園化に寄与した

            ・安倍氏は「若狭国西津勝戴便」の収益権を「神護寺」に寄進している 




      
     A1126「松永保」 
         ・郡名:遠敷郡 小浜市
         ・領家:国衙領=公領  
             ・平安〜南北朝期には「庄」「保」併用
             ・散在性が強いので保区域は定めがたい 
         ・史料村郷名:恒枝名・東郷・西郷・三方郷
         ・明治村字:記載なし 
     
         ・877年 玉置郷の「松永保」園城寺に寄付とある ※伊勢年鑑
             ・真済僧正の子康済和尚が園城寺の長吏となる
               ・玉置郷の「松永保」はのち「今村名」に転ずる、
               ・今野木村は松永村なるべし ※吉田東伝著 富山房

         ・1188-9-3 地頭:・宮内大輔重頼(二条院讃岐の夫)
         ・1185-9-3 源頼政側近の宮内大輔藤原重頼(二条院讃岐の夫)が
              遠敷郡「松永保」「宮川保」の地頭として国衙の課役を
              非法なく勤仕すべきことが命ぜられている 
                         ※吾妻鏡 

         ・源頼朝下文が吾妻鏡にある「松永保」 院所

         ・1222-1224 多伊良氏は「松永保」地頭
               ・多伊良氏は1221以降に遠敷郡「松永保」に入部した
                新補地頭と考えられる
                      ・多伊良氏は本姓を惟宗氏と称するが在庁惟宗氏の一門ではない
               ・1288-7-1 地頭:多伊良兵部房頼尊(在京人)              
               ・1222-1224 地頭:「茶臼山」城主:惟宗(多伊良)能網氏
                     ・明通寺の寺領形成に大きな役割を果たす
                     ・足利氏に与力した         
               ・1316-10-18「松永保」地頭:多伊良能信 
               ・明通寺へ田畠1町5段を寄進する
               ・1362 地頭は多伊良氏が没落して、大内和秀が見える
                   若狭多伊良氏の動向は未詳である

         ・南北朝初期の地頭:惟宗隆能           
        
         ・保内の寺社:棡寺=明通寺、法満寺、長福寺
                日吉社、新日吉社、若宮、天満宮等の新田                
                                            
         ・1265 若狭国惣田数帳 写しは応じ輸田として
                    ・「松永保47町7反70歩」
                    ・新日吉:一反
                    ・若宮:一反
          
         ・天満宮:四反三百30歩

         ・東郷の国領:
              ・東寺領:42町20歩
                  (田3丁5反百20歩 不6丁260歩)
              ・棡寺=明通寺:八反
              ・法満寺:三反
              ・日吉社:一町八反百歩(別当:神宮寺)

         ・東郷の別名:38町二反三百十歩
                川三丁五反百20歩 

         ・西郷の国領と別名:
              ・東寺領:5丁6反50歩
                  (田2反120歩 不2反200歩)

              ・三方郷 東寺領:1反とあげ

              ・除23町1反50歩
                 内訳:・川成 3町7反余
                    ・不作 6町3反余
                    ・佃 2町
                    ・地頭給 7町
                    ・公文給 2町1反
                    ・散仕給 2反 なとど記す

         ・これによれば「松永保」が東西郷、三方の三郷に分布しており、
          約一対一の割合の定田と除田で構成されて荘園と認めず
          国衙領とされている。

         ・平安末期〜戦国期
            ・公文:和久利兵衛太夫(御家人)に伝領 
            ・田地:「松永保末光名」1,000+4,120
     
         ・1265-3 若狭中手西郷内検帳案(東寺百合文書)
              ・西郷内の松永保田
                ・億田里 2里32坪、33坪、同3里4坪
                ・河上里 1里2坪、5里25坪
                ・志味里 1里8坪、24坪
                     2里12坪、14坪、30坪
                     3里1坪、2坪、7坪、8坪、11坪、
                       12坪、32坪
                     4里8坪に所在した。

              ・領家:東寺 
              ・その末尾に地頭:多伊良太郎入道跡、同小太郎伝領の
               朱注が付されている。
               朱注は鎌倉末期の状況を示すとされるが、
                
         ・1321〜1324の太田文では「松永保」は天皇家領
        
         ・1529-6-11 伏見宮貞教親王御料所 若狭「松永保」舊に復す
 
         ・1541-12-28 伏見宮貞教親王御料所 若狭「松永保」貢租等を進む
       
         ・1546 守護武田元光の子 信高が入部「松永保」「宮川保」を支配した。

              
         



         
    B1252「松永荘」
       ・郡名:遠敷郡 小浜市     
       ・領主:・1140頃か 源頼政源三位 ※若狭国史
                                      この頃は「松永庄」は「松永保」と言われた
           ・室町院領・皇室領・伏見宮家領(東寺)
       ・史料村郷名:明通寺・東郷
       ・明治村字:遠敷・竜前・国分・神宮寺・忠野・金屋・上根来・下根来
             東市場・上野・門前・三分一・四分一・池河内・大興寺・平野・野木

       ・平安〜南北朝期には「松永保」ともいう

       ・1188-9-3「松永荘」後白河院の勅願書に「蓮華王院」の荘園と
             あったとされている。    ※吾妻鏡   

       ・1228-1300 室町院領(後堀河天皇の皇女暉子内親王)
             ※室町院:1228-1301 73歳 薨去
                 ・落飾入道(法名:妙法覚)
                 ・母:權中納言藤原(持明院)宗行の娘
     
       ・1252-12-1「阿闇梨勝賢明通寺院主職譲状」
                ・若狭国「松永庄」内明通寺院主職事
                 相模公処         
                         
        ・1302 直仁法親王(花園天皇皇子)譲り状にみえる
                ・室町院領目録に新伝領として
                 「若狭国松永庄 季景」とある。  
           
       ・地頭:・1316 多伊良小太郎能昌

           ・1331-3-3「松永荘」地頭惟宗(多伊良)能泰 
                ・田畠6段明通寺へ寄進。

           ・1336 多伊良小太郎隆能
               ・南北朝の動乱の中で多伊良氏は地頭とし
                ての地位を失い松永の地を離れた

           ・1362 地頭:大内和秀

       ・代官:・1504-9-27 粟屋親栄彦左衛門尉とある。
                  対し当知行にまかせ安堵している
                  戦死するまで知行していた

           ・1536 代官は武田守護被官 粟屋元行                                                                                                     ・1362-8-6 「松永荘」 野村事 大内左衛門尉和秀 
                   ・明通寺へ寄進

             ・1405「松永荘」内に3町の「明通寺」領あり。
               
                ・1398「松永荘」伏見宮領 
                        近臣の奉行:勝阿→祐誉┌─定直奉行
                                   │
                                   └─浄喜代官

                ・1431-1-8 伏見宮家領「松永荘」で半済が停止される

                ・1433-9-3「松永荘」の荘民、旱損による減免を求めて同荘代官の
            もとに列参

                ・1440-8-28 伏見宮御目録にも
                     ・若狭「松永荘」1円百余貫半済 定直奉行
                   半済 小川浄喜奉行と記される。
                   (山城国伏見荘の政所の代官でもある)
      
                ・1456-5 幕府が当時不知行化していた「東松永庄三分一」を
                     幕臣大館教氏に対し当知行に任せて安堵している  
      
                ・代官大野右京進家保(武田氏被官)が公用銭上納を継続する 
                               切銭十貫文  ※八坂神社文書

                ・1467-1477 東松永(永)荘三分一 ※八坂神社文書

                ・1474-3「山王十禅師供僧名事」
                    ・「松永庄」十禅師供僧名事 頼秀・頼賢連署契状
                    ・「松尾寺」大二公当寺一衆之田事

                  ・1490-2-9「松永荘」山王下地之事
                     ・杉田茂田地売券 在所:躰興寺大清水

                ・1504-9-28「松永荘」の代官職 粟屋親栄が補任される
                    ・1507 粟屋親栄が戦死するまで続いた

                ・1541 武田氏領           

           ・「松永荘」の「新八幡宮」に納められていた絵画 
                ・確たる遺跡はないが八幡小詞がある 
                 @「伴大納言絵一巻 金岡筆」
                 A「彦火々出見尊絵二巻」
                 B「吉備大臣絵一巻」

       ※金岡:紀長谷雄─淑光─文相─忠方─寛印─円深=金岡二双
                            朝日阿闇梨 画家

       ※画家:常盤源二光長説もある
        詞書:飛鳥井雅経の筆、又は宰相入道観蓮(藤原教長)とも  
      
                
            伴大納言絵巻            吉備大臣絵巻

                     
                                   彦火々出見尊絵

            

      ・1441-4-26 伏見宮貞成親王 
            ・「松永荘」の浄喜代官が「松永荘の新八幡宮」にあった
              @「彦火々出見尊絵二巻」

              A「伴大納言絵一巻 金岡筆」を伏見宮親王に持参
               ・伏見宮親王は借覧し、翌日、内裏で披露した
                「伴大納言絵一」は天皇が所持する。

              B「吉備大臣絵一巻」明通寺が所有。
               ・「彦火々出見尊絵二巻」と「伴大納言絵一巻 金岡筆」は
                 原本が痛んでいたので
               ・酒井讃岐守忠勝と飛鳥井雅信の依頼で
                狩野大学藤原種泰が絵を模写して
               ・「伴大納言絵一巻」は家光に献上した。    

       
       ※若狭国の源頼政の系図
            
       源忠清の娘
       ‖
       ‖――※二条院讃岐 歌人 (後、宣秋門院讃岐)
       ‖
       ‖==養子 鳥羽兼網(源頼行の子)中宮徳子付き
       ‖
       ‖(源忠清の娘で斎頼の養女の説もあり)
       ‖ 源斎頼の娘
       ‖ ‖
       ‖ ‖―――源仲網 伊豆守
       源頼政
         ‖ ┌養女 美濃局 紀家子(石清水八幡宮光清の娘)
         ‖ │     ‖―――┌道恵法親王 園城寺長吏
         ‖ │   鳥羽上皇   ├覚快法親王 天台座主
         ‖―│         └妹子内親王 美福門の実子に
         ‖ │            ‖
         ‖ │          二条天皇
         ‖ |
         ‖ └養女 待宵小従局(石清水八幡宮光清の娘)
         ‖
         ‖==養子 源国政   父:源国直(山県三郎国直)
                  ‖  源頼光―頼国―頼網─国直
                  ‖            ‖
         ‖            ‖―国政
   ※    ┌娘             ‖
   池田頼季─┼───────────紀頼季の娘
   (紀頼季)│    
    山城介 └─娘
          ‖――――四郎恒頼 ┌池田刑部房 常満保の供僧
          ‖     ‖   │
          ‖     ‖―――└池田六郎尚頼 税所代官
          ‖     ‖
         小南入道  一宮禰宜景尚の娘(上下宮御子匂当)

       ※池田氏:多田を拠点に木崎・和久里・安賀氏等と姻戚関係を
            通じて結びつく多田氏に孫娘を嫁がせている       

           ・遠敷谷の口にある小字名の池田の地を本貫とした
            平安期から鎌倉初期まで池田頼季は国衙在庁官人の
            一人として税所に関わっていた。

          ・池田頼季は「万徳寺」のある金屋付近に勢力を持ったと
           思われる

          ・戦国期に入っても武田氏には属さずに、遠敷郡において
           独自の立場を保持した。  
   
                            
       ※美濃局(紀家子)
         ╠
        伏見中納言源師長と再婚する  
    
       ※二条院讃岐は藤原重頼と結婚 
         二条院讃岐は尼となり後に石清水八幡宮が面倒をみている                         

                                                                                                              
      
     
                   
       C1226「恒枝保」が
       ・郡名:遠敷郡 小浜市
       ・領家:嵯峨法花堂領・室町院領・皇室領・便補保・得宗領
       ・史料村郷名:一楽名・小原・横田宮
       ・明治村字:記載なし
       
       ・1226-5-8「恒枝保」として「松永保」より自立     
       ・1263 地頭職:若狭忠季(京方)
                      ・1302 所領没収→得宗家領
       ・1347-3 新地頭:藤井幸熊丸
       
             ※平師季(春宮大進範国の子で従5位下、下野守)がこの地を領する
            という史料はないが、後に平家滅亡の時、平氏の残党が
           「松永村」に住したと云われていることからも推測できる。




   


        D1151「太良保」
        ・郡名:遠敷郡 小浜市        
        ・領家:東寺領(常住供僧料所、領家職)・便補保
            歓喜寿院領・七条院領(本家職)
        ・1178 保司公文職:平師季子孫丹生出羽房雲巌
        ・地頭:若狭忠季
          ・史料村郷名:記載無し
         ・明治村字名:記載無し

        ・荘園前の領主:平朝臣師季(長田下野守)→子隆清→忠政
                           (丹生次郎)

        ・1126「恒枝名」西郷内に5反余の領主:丹生(平)隆清
             のち「太良庄」内の地となる
                           
        ・1173 山門 大法師凱雲、永観、景喜が保内に「薬師堂」を安置し
            「薬師堂」を若狭国全体に関する寺院にすべく
            荒野の馬上免を申請して在庁官より僧に与えられる
            ・十善寺(日吉社)にも。

               ・1190〜1204 地頭:稲葉時定、若狭忠季没落

         ・1217-9-8 検注がおこなわれ、検注目録が作成される。

        ・1239-1 若狭国司は聖宴を「太良保」保司に補任

         ・1239-11 若狭国司は「太良保」を歓喜寿院領の荘園とする

        ・1256 名主8名 21町5段270歩、作人27人
            「末武名」「時沢名」「宗安名」「観心名」「真利名」
            「宗清名」「安追名」「保一色」

             ・1372-2-29「末武名」「定国名」「宗安名」「真村名」
              「時沢名」「観心名」「助国名」

         
                                       



     F1216「太良荘」
        ・郡名:遠敷郡 小浜市
            ・位置:大河(北川)・東河(松永川)・遠敷河落合
                  三大河水の間
        ・領家:七条院領・歓喜寿院(後鳥羽天皇の母七条院)領
            皇室領・二品法親王領・東寺領
            ・1243得宗領(地頭職・高時跡)
            ・1399 応仁の乱時の領有権:醍醐寺
            ・1467-1477 南朝期 領家:醍醐三法院 
        ・地頭:・若狭忠季(守護、若狭三方2郡惣地頭)没落
            ・1302-5-12 松田与一(宮河荘の住人)
            ・1334 東寺(相模禅門の跡永代寄進)(信康押領)
            ・地頭代:脇袋頼国
        ・預所妙性の代官:大江盛信
        ・史料村郷名:末武名・助国名・時沢名・真利名
        ・明治村字:多良庄

        ・知行国司:源兼定は「太良荘」の領家となり
              七条院建立の歓喜寿院を本家として寄進し立庄に

        ・1240-11-20「太良荘」官宣旨により歓喜壽院を本家とする東寺領
               荘園となる。

        ・1247-10-29 領家方預所定宴と地頭代の相論を幕府が採決し、
               下地支配権は領家方に

        ・1254-11「太良荘」預所定宴が検注を行い、検注目録を固める。
                       ・惣田数28町1反314歩
             ・現作田26町4反314歩
                ・除田7町8反20歩
                   ・神田 3反
                   ・薬師堂寺用田 1町2反
                   ・小野寺免田 1反
                   ・御田 5反 7石
                   ・地頭給 3町
                   ・公文給 5反
                   ・末武 2町2反70歩
                ・定田18町7反244歩       

        ・1265 領家東寺・歓喜寿院領御=寄進25町8反40歩
                 ・西郷24町7反余+東郷1町余=所当米
                  141石余=地頭得宗領       
        
        ・1265 荘内の東河内の松永耕地は明通寺の僧大弐房頼印は
            この地を脇袋(瓜生氏)に耕作させていたが不和と成った
            為に地頭代は、この地を地頭とともに押置いたという。
            ※脇袋氏は稲庭時定の子孫

        ・1267 名内の「一色田」を遠敷郡松永地頭に奪われた
            ことを「公田紛失の条、その科尤も重し」と非難された
            「末武名」名主の脇袋範継は、これは荘園領主間の境相論で
             あるから東寺として松永領を訴えられたいと進言して
             認められた、※東寺百合文書(ル函ーー)

            ・すなわち「名公田の侵害」は名主個人の私的な財産に
             対する侵害ではなく対外的に公田の所有権を主張しうる
             東寺に対する侵害と考えられていたのである。
             したがって「名主」というものは東寺の公田を恩恵的に
              預けられているに過ぎず、名主は地頭になびくことなく
              領家東寺に従うのが当然とされた。
                   ※東寺百合文書(ヱ函五八)

             ※一色田(保一色)二田地は年貢のみを負担する
              ・領家方の田地は公田と称されている 
         
                ・1301-7-29  松永押領大之田跡也 ※東寺百合文書

         ・1302-7-12 25口供僧を統轄する聖無動院道我に充てる

               ・1304-9-6 公文:東寺の頼尊

               ・1309-3-16 松永押領 若狭国「太良荘」年貢帳に

         ・1310-11-20 松永押領大之田跡也 ※東寺百合文書 

                ・1314-10-15「太良荘」は一時、国衙領となるも院宣により
               安堵される
           
         ・1330-12-29 正吉(紀藤太)同荘百姓
                ・1341-2-9 子息 藤太郎 住人

         ・1333-6-20 公文:紀六郎入道願成 
               ・同子息右衛門景末、若狭国「大興寺」の券
       
         ・1333-7-2「太良荘」の得宗の地頭職が後醍醐天皇から東寺に
                             寄進され同荘は東寺の本所一円の地となる。

         ・1334−3−20 太良荘 押領「源信康」(松永氏?)花押
                      ※東寺百合文書む21之27

          ※押領使:国衙の官米の輸送、警護役、兵衛府、
              衛門府の尉などの官職を与えられたときに
              認定される侍なる武力の持ち主である。
                       ※日本中世の社会と国家
                           永原慶二 青木書店

         ・1354-2 仁和寺法守親王は「太良荘」の本家役を永代
              東寺学衆二季談義試講料となす
         
         ・1356 「若狭太良荘領家方年貢散用状」
           ・除 松永保押領分 2反大分 
           ・合 松永保末光一反二反歩(300歩吉延)
           ・合 松永保末光四反百廿歩
           ・三里 松永保五反
           ・河上里 松永一反百廿歩「河成」
                松永保二百四十歩 3反3切
                松永保太良保百四十歩同久枝1反
                松永保久枝三百歩「1反」「又不2反」
           ・志味里 一里 松永保六十歩
                   松永保一反百歩
                   松永保一反 川成70歩
                三里 松永保七反
                   松永保二反六十歩
                                      松永保二反「郷60歩 垣久」
                   松永保一反
                   松永四反三十歩
                   松永保大
                   松永保三反小   
                             
         ・1360-3-11「領家方年貢算用状」に
               ・松永押領分 2石1斗3升3合 
                   
                      ・1363-9-7「算用状」に松永押領分として
                                         のちのちまで署名あり

         ・1363 地頭方が東寺の支配下に置かれたのちも「代官」は
             現地支配においてある程度の裁量が認められており、
             地頭分、代官得分、不作地、「押領地」、百姓への
             支払分とて控除され残り半分が年貢負担分とされた
             1429年まで続けられた。
        
            ・室町時代(1392-1457)には幕府御料所

               ・1367「太良荘」は領家方・地頭方・預所方が「本所分」と「半済分」に
            分けられ、「本所分」は東寺の支配下に置かれた。

             ・1407頃 荘園支配のための評定(会議)が恒常的に行われた

        ・〜1450-2 公文 慶賢

        ・1463-8「太良荘」の段銭催促停止を命じる在京奉行奉書に
            ・入江左京亮・山中但馬守・内藤八郎の名あり

                ・1532-1555「賀羅岳城」小浜市太良庄内の「長英寺」の裏山
               ・築城主:山県民部丞政秀(現地に土着)
                    ・1440 若狭守護の武田信賢の被官と
                        なった山県下野守信政を祖とする
                    ・「太良荘」半済給主として関わりを持ち
                      代官:山内入道を送り込んだ。
                    ・この代官の押領により東寺領「太良荘」は
                     1496頃には荘園とのしての機能を失う
                     その張本人が山県氏であった。

         ・1222「太良荘内の末武名」地頭:多伊良氏だが
            ・別に本地頭「明通寺」の兵衛房がいた

         ・1222〜24 多伊良氏 一段の田地を仏供料として寄進

         ・1248 多伊良氏 土地を寄進
          
         ・1261「太良荘」内の「末武名」
            ・地頭:松永兵衛房 明通寺僧
                       ※荘園制の展開と地域社会 山本隆志 刀水書房

         ・1276 地頭 多伊良入道は「ねういこせこせ」という女性に
                 屋敷と井尻の田三段を譲渡した
                 この田はねうい御前の娘(佐々木氏に嫁いだ)に譲られ  
                 娘はさらに子の佐々木信顕に譲ったが

              ・1320 佐々木信顕はこの田を二親菩提の為に
                  「明通寺」寄進した

              ※室町期以前の女性は両親から財産を分与され
               自立的な地位をもっていた、

              ・女性が職や所領を持って夫から自立して離婚も
               比較的簡単に行うことが出来た。

         ・1573 織田信長の命を受け丹羽長秀の入部で「太良荘」は完全なる崩壊

                 




        E「末武名」 「太良庄内」
              ・「恒枝名」→「恒枝保」・「太良保」=「末武名」に
       
       ・後年「末武名」争論に伴い必ず「松永保」との関係が取上げられる
                ※荘園制の展開と地域社会 山本隆志 刀水書房

       ・「末武名」の雲巌は先祖相伝の開発領主、丹生氏の所領、公文職等の
         所帯を中原時国と親子の契約を結び養子となって全てを譲られた。
         中条家長の代官となった。
       
       ・1185-1392 別名の京都の「国衙領」になる。

         ・1222 地頭:惟宗(多伊良)氏5代まで続く、
              ・別に本地頭 明通寺の兵衛房がいた

       ・1258-2-6「末武名」菩提院行遍が宮河乗蓮(辻太郎家仲)を
             同名名主職に補任
            ・1259-4-21 宮河乗蓮「末武名」を地蔵御前に譲与
       
       ・1261「太良荘」内の「末武名」
            ・地頭:松永兵衛房 明通寺僧
                ※荘園制の展開と地域社会 山本隆志 刀水書房

       ・1274-2-12東寺供僧年行事「能済書状案」 
                       ・「末武名」につき供僧中評定
              ・ 松永地頭の押領
             ・ 脇袋氏の一族に名主は領される

       ・1274-2 預職聖宴の推挙により
           ・「末武名」名主職に順良房快深が補任される
  
       ・1274-7-9「太良荘」の「末武名」地頭 松永氏
                 ・「末武名主」職の事 松永地頭の押領と

       ・1277-7「末武名」名主中原氏女、一族の惣領鳥羽国茂と
                 名田をめぐって争う
    
  



     F1392「今富庄」
         ・郡名:遠敷郡 小浜市
         ・領家:国衙領(税所今富名)
         ・史料村郷名:多田村新田
         ・明治村字:小浜・生守・府中・木崎・以下略

          
      
   
                  
   
          

                          



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