紀氏の荘園・姓(国別)(6)
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上野国
群馬県 @831-1-23 明日香親王(久賀朝臣)三品 上野国太守
垣武天皇
‖―――――――明日香親王
紀若子(紀朝臣船守の娘)
館林市
@1667「広済寺」潮音禅師 住持を迎え開山
・家老黒田信濃守が梵鐘(現在は宝林寺に寄進)
・1683 広済寺は取り壊された
・1843 その後、江戸深川で広済寺は再建された
新田郡
−荘園ー
@1157「新田庄」摂関家領・右衛門督家領・九条家領・金剛心院領・
・郡名:新田郡 新田町
・史料村郷名:田島郷・浜田郷・以下略
・明治村字:由良・浜田・以下略
・1318-12-23 由良景長
‖
紀氏の妻に幕府は「新田庄」の田地を領せしむ
・1331 由良氏は武蔵国「小泉郷」の領家である
(小泉郷には「七板御厨」=伊勢神宮領あり)
・1324-10-7 小柴盛光
‖
紀氏の妻に幕府は上野「新田庄」の「浜田郷」を
領せしむ
・1328-2-19 東田島村の屋地を領せしむ。
下野国
栃木県 @猿子氏 紀臣族
・益子氏に同じ
A薬師寺次郎左衛門入道元可 紀党
・家紋:木瓜
B茅野氏
宇都宮市
@宇都宮「二荒山神社」式内社 古くは宇都宮大明神
・353 創建 下毛野国造奈良別王
・祭神:豊城入彦命(崇神天皇の第一皇子)
・配祀:@大物主命・A事代主命(出雲系)
B柿本人麻呂 C日光三所神
・鎮座地:下野国河内郡
宇都宮市馬場通り1−1−1
二荒山神社
A紀清両党・紀氏は益子を中心とした益子氏
・清原氏は真岡を中心に勢力のあった芳賀氏
・紀清両党は宇都宮氏(宇都宮二荒山神社社務職)に従属していた
・宇都宮氏とは両氏とも婚姻関係にあり、京都を中心に転戦した
・源頼朝の時、清原氏は絶え、
紀高俊は両党の旗頭となり芳賀氏と稱した
真岡市
@「大内寺」廃寺 台町の芳賀郡衙跡
・奈良後期に建立され、郡司が管理していた
A「仏生寺」高円259
・735 勝道上人誕生寺(日光開山をした僧)
B767-770「大前神社」905 延喜式内の名社 1877 栃木県社
・祭神:大己貴神、
又の名@事代主神(えびす様)
A大国主神(だいこく様)
・767 社殿を再建(ご造替の初見)
・798 国司祭神社に選上
・927 祈年祭に朝廷より幣吊を賜る
・1577 芳賀高継 御本殿を再建
・芳賀氏が篤く崇敬し祈願を行っている
・1688 拝殿再建
・1707 御本殿の全面改修
・1730 御本殿・拝殿の屋根檜葺替工事と鳥居の改修
・1762 御本殿・拝殿の彩色大修繕、屋根檜葺替工事
・1802 現存の両部鳥居が造営、拝殿の改修
・1825 現存の神楽殿が造営
・1827 二宮金次郎 大前堰を尊徳仕法による洗堰に改修
・1839 御本殿改修 神主:源忠義
・1868 屋葺替工事 神主:風野筑前
・1890 御本殿改修、一の鳥居、二の鳥居
・1900 神饌幣吊料供之社に指定
・鎮座地:真岡市東郷937
大前神社
C1189 宇都宮左衛門慰朝綱 郎従:紀権守波賀次郎大夫巳下七人
※吾妻鏡
・芳賀氏は終始足利尊氏方として転戦した
D1526 17代芳賀成高は宇都宮氏の家督を長子芳賀正綱に継がせた
・芳賀氏と宇都宮氏との家督の争いが生じた
・最後の芳賀氏は宇都宮尚綱の孫高武
・1597 宇都宮国綱が改易され、宇都宮氏と芳賀氏の歴史は
幕を閉じた
ー姓ー
@芳賀氏 紀臣族 清原氏の族裔であるが、紀臣族とも云う
・紀氏系図に
・紀麻呂―猿取―船守―梶長(勝長)―興道―本道―
清主(住下野国)―紀長有(芳賀小太郎)―右行―清行とある
・堀田芳賀系図に
・興道―本道―清主(下野守宇都宮俗別当)―朝有(号芳賀)―
有行―有在―高任―高行―高吉―高信(芳賀次郎太夫)―
高俊(法名禅香=芳賀入道)奉仕宇都宮大明神 紀氏清氏両家也
是謂紀清両党、
・紀高俊は頼朝より軍忠を賜り、紀清両家の旗頭となる。
―高直―高久―高貞―高名―高朝(公頼又高貞)―成高―高益
―景高―高勝―高孝―高定―高規と見える
芳賀郡
@益子町
・737「西明寺」真言宗豊山派
・行基菩薩の草創
・本尊:十一面観世音菩薩
・739 紀有麻呂によって建立、落慶供養が行われた
・782 一山12坊を数え隆盛を極めた
・905 栄山師により観音像が修造された
・1127 兵火により12坊とも鳥有に帰した
・1178 堂宇宝塔再興
・1209 宇都宮景房によって本堂が修理された
・1255 七堂伽藍が再興され壮麗を極めた
・1351 再び兵火にかかる災厄に遭遇
・1394 益子勝直によって堂宇が再建された
・1492 楼門が再興
・1538 三重塔が益子宮内大輔家宗により建立
・1701 本堂の再建が行われ
・1714 閻魔堂が建立された
・1722 鐘楼が再建され、現況となった
・住職:田中雅博
・住所:芳賀郡益子町益子4469
・1262 大檀那益子郷名主:紀宗頼
西明寺楼門
・「亀岡八幡宮」
・祭神:誉田別宮・息長帯姫命・玉依姫命
・1058-1065 源義家が奥州征伐の途に小宅に館を宿し
石清水八幡宮を遥拝戦勝を祈願し夷賊を討滅
・1064 社殿を創建して亀岡八幡と称した
・1192 源頼朝が社殿を改築、
・1197 社殿を現今の小宅に遷座
・1600 徳川家康は数多の神領を寄進
・1649 徳川家光より郷内の領地高14石の朱印地と高七石の
除地が寄進された
・1881 本殿が造営された
・鎮座地:芳賀郡益子町小宅1369−1
亀岡八幡宮
・大沢山「円通寺」浄土宗名越派
・1402 開創
・本尊:阿弥陀如来・観音菩薩
・開山:良栄
・学問所として大沢文庫を設け弟子の育成にあたった
・住所:芳賀郡益子町大沢1770
円通寺
・「鹿島神社」
・846-9-28 創建
・祭神:武甕槌命(タケミカヅチノミコト)・○速日命・甕速日命
・1558-1570 宇都宮盛綱及び広綱が守護職と称し
徳川家康より祭祀料として黒印を付せされる
・1879 社殿を再建
・1915-1 大火に遭う
・1927 現在の社殿を再建
・鎮座地:芳賀郡益子町益子1685−1
鹿島神社
A市貝町
・「文谷城」(文谷)・「御城(市塙)・赤埴城(赤羽)
「市花輪館」(市塙)は益子氏あるいは益子一族により築城された
・1378「村上城」益子氏の城館跡
・益子氏の一族村上良藤の築城、益子一族の重要な城
B芳賀町
・芳賀高澄は大前神社(真岡市)い居館を置き、芳賀氏を称した
・武士団の首領となり、武勇をほこる
C益子町
・1058-1065「益子古城」紀権守正隆の築城と言われる
・益子町益子字城内に所在
・益子氏が「益子城」に移るまで機能した
・下野守護の宇都宮氏の祖藤原宗円の母は益子氏の娘で
下野国芳賀郡「益子城」主になる。
藤原氏
‖――――藤原宗円(宇都宮氏の祖)
益子氏の娘
・1185 在地豪族の紀姓益子氏(宇都宮の重臣)
・益子氏は宇都宮氏の家臣として源頼朝の奥州征伐に参戦
武功をあげる
・南北朝の動乱期に宇都宮公綱の家臣として芳賀氏と共に
紀清両党と呼ばれ武勇を振るった
・戦国時代、益子氏は一族内で内紛が起こり、衰退する。
・1339-2「益子城」南朝方により落城
・1584「七井城」主:益子勝忠は宇都宮国綱に背いて戦い
「尾羽寺」で毒殺された
・1589 益子勝宗は宇都宮氏に叛き宇都宮国綱に誅殺され、
領地を没収された
・益子氏の当主家宗も討死したと伝えられる、
これにより益子氏は滅亡したと言われる。
・益子氏最後の当主重網の子孫は結城氏を頼り、
常陸国那珂郡並びに久慈郡に移り、庄屋を務める
D茂木町
・飯村氏 戦国期の益子英政の子
・飯村六郎祐次が祖
ー姓ー
・益子氏・紀臣族 芳賀郡益子より起こる
@紀古佐美の末葉紀八郎貞頼(常陸信太司)→正隆(益子城主)
益子氏を稱する―正頼―正重 と益子系図にあり
A紀長谷雄流 宇都宮紀党祖
・紀淑方左衛門佐の後裔
・益子氏3代益子政重は宇都宮朝網の郎党として
従軍して自らの兵力の紀党を卒いて武功を顕わし、
頼朝から源氏の白幡を贈られている。
B紀朝臣本道流
・益子朝忠 紀二郎 伊予守
・下野紀党祖:紀清主下野太夫―紀朝氏―
ー紀朝忠(益子氏)紀検校
C紀貫之17代の末孫紀仲之 入道し、正宗と号す
・益子氏(紀氏)初代・之宗の父
・1124 夢告により、専阿上人を開山上人に迎え、自ら
開基となり一宇建立し守り本尊(阿弥陀如来)を
安置し正宗寺(一翁山阿弥陀院正宗寺)と号した
・益子氏の菩提寺 時宗寺院
・栃木県芳賀郡益子町3615
正宗寺 益子氏の菩提寺
佐野市
@堀田氏 下野佐野
・堀田芳賀系図 紀長谷雄┌済光
├済望 従3位 式部太夫
└忠道
常陸国
茨城県 @紀藤氏
A芳賀氏
B1437 松永氏 常陸掾
C1742 松平頼済 常陸府中藩六代藩主、従4位下 播磨守 侍従
・父:陸奥守山藩初代藩主松平頼貞の4男
東茨木郡
@紀部 紀臣部曲 茨城郡川根村(現:茨木町)の大字に木部がある
新治郡
−荘園ー
@1205「宇治会保」石清水八幡宮領 田中家文書
・郡名:新治郡八郷町
・石清水八幡宮別當道清、修理別當宗清→紀土用丸(房清)に譲与
・弘安太田文=「北郡」宇治会18丁3段
土浦市
@1350 紀貞正 常陸信太郡司に、その孫紀正隆は益子城に拠る
A益子氏 ・益子党 紀党 家紋:左三つ巴
・紀古佐美の後裔 初代益子正雄
・紀貞頼 常陸信太郡司に、
・その孫 紀正隆 益子城に拠る、
・1350 紀党には益子出雲守、紀貞正
・薬師寺次郎左衛門入道元可あり
・これより前に紀五左衛門あり
B菅谷氏(スゲヤ)本姓紀氏 信太庄司流
@中納言貞雄―惟頼―貞頼(信太郡を領す 信太庄司)―頼康―頼高
頼房―忠貞―宗房―頼久―頼多―頼春―家範―輔範―範胸
―勝貞(母姓の菅谷を冒す)―政貞―範政―範貞―範重―政照である
・家紋:亀甲に十二葉菊、亀甲に三巴桔梗
A1493-1575 菅谷勝貞 摂津守 土浦城を攻略して居城
B1518-1592 菅谷政貞 左衛門太夫 摂津守、
土浦城主 宇都宮小田氏の宿老
・入道して全久と号す、他家との交渉にあたる。
1582-1559 ・1559 太田資正との合戦で討死
菅谷勝貞─政貞┌(養子)政頼─娘
│ ‖
└───────範政
C菅谷範政―範貞
・1558-1612 菅谷範政 左衛門太夫 はじめ政光
・1590 土浦城を退去、徳川家康に父子ともに召され
千石を与えられる
・1580-1618 菅谷範貞 範正の嫡子
・関が原合戦では大久保忠常に属して上田城を攻める
・大坂の陣では二条城番、戦後は伏見城を守り、
其の地で死去。
ー荘園ー
@1176「信太庄」
・領家:皇室領・後宇多院領
・1318東寺領(供僧学衆料所)
・郡名:信太郡 土浦市
・庄司:紀八郎貞頼(中納言紀貞雄の孫、高安荘司惟頼の子)
→太郎頼康(古佐美15世孫と称する)信太荘司の源流
・後年は菅谷氏(紀古佐美15世の孫と称する)が継ぐ
・中納言紀貞雄は母姓の菅谷を冒す
・地頭:北条一族の越後左衛門太夫将監尹時
・代官:紹真
・史料郷名:塙郷・初崎郷・若栗郷・飯岡郷・弘岡郷
御安平郷・浮島郷・布作郷・弘戸郷・久野郷・本郷
・明治村字:古大野郷・古高来郷・古子方郷・古志万郷
古中家郷・古島津郷・古信太郷・古阿弥郷
古中家郷・古大村郷・古河内郷
真壁郡
@1437-19-11 松永常陸掾「塙郷」の地を
・鹿島社に寄進する。
A真壁郡 ・古代:神代・真壁・大村・伴部・長貫・大苑・伊讃の7郷
・1278 弘安田文に真壁郡として登録されているのは
長岡・谷貝・紀三郎名(1303消えた)・源法寺
・大曽禰郷・以下略
ー荘園ー
@1229「真壁庄」真壁郡の内
・領家:関東御領(鎌倉将軍家か)
・常陸平氏真壁氏の本領
・郡名:真壁郡 真壁町
・地頭:真壁時幹から子孫へ相伝
・史料村郷名:本木郷と飯塚郷(東真壁郡に渡る)
安部田郷・大曽禰郷・伊伊田郷・大国玉郷
竹來郷・北小幡郷・南小幡郷
・明治村字:町屋村・飯塚村・以下略
下総国
茨城県
下総国
千葉県 @t1135 紀朝臣季経 上庁目代
成田市
@堀田姓 下総佐倉
・紀正重 尾張守
香取市
@「香取神宮」式内社(名神大)・下総国一宮・官幣大社・勅祭社
・祭神:経津主大神
・創建:伝643年
・鎮座地:香取市香取1697
香取神宮
A1374-5-8 香取太神宮神輿帰座の使い
・安富大蔵入道道徹(沙弥:道徹)
・1374-11-12 安富下総權守道安の軍忠状
・1407 香取御使い山名安富状
B1410-8-10 香取社造営料足内納帳の名前に
・紀弥次郎 高石神長小免
匝瑳市
@真言宗「広済寺」千葉県匝瑳郡光町
・上総国へ移る
印旛郡
@曹洞宗「広済寺」
・印旛村岩戸1792
・我孫子市
−荘園ー
@1130「相馬御厨」後白河院領・あと省略
・郡名:相馬郡 我孫子市
・野田市
@春日部姓 葛飾郡春日部郷
・紀実季三郎 又は実平大和守
ー荘園ー
@1180「下河辺庄」
・郡名:葛飾 千葉県野田市
・領家:皇室領・八条院領・昭慶門院領(庁分)
・史料村郷名:春日部郷・大野郷・他18
・明治村字:島中川辺領:松長(栗橋町)・他4
上総国
千葉県 @918-12 紀真助 前上総介
横芝光町
@000「廣済寺」 日蓮宗 山武郡横芝光町
安房国
千葉県
南房総市 旧:平群郡
@717-724 紀伴人 郡司
・「八幡社」平群郡
・宇佐八幡を勧請する
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