紀氏の歴史の軌道A





聖武天皇 724-749 45代目(続)
、、、740-3-15 紀朝臣必登 伊予介で正税帳使となって上京

、、、740-6 紀朝臣伊保(五百)山背掾

・・・740-9 上毛郡 擬大領 紀宇麻呂の三人

、、、740-9-3 紀朝臣飯麻呂 副将軍に任じ藤原広嗣を討たせた

・・・740-9-25 紀宇麻呂(平麻呂)豊前国毛郡擬大領 藤原広嗣の乱に賊徒の首4級
        を斬った

、、、740-10-15 紀朝臣必登 遺新羅使 平城京に帰還した

、、、740-10-23 紀朝臣麻呂 伊勢の国の行幸の護衛の騎兵大将軍に任じた

、、、740-11-21 紀朝臣麻呂 正五位上

、、、740-11-21 紀朝臣鹿人 外従5位上

・・・740-11-21 紀朝臣広名 外従五位下、 麻呂の子、直人の父
         ・741-12-10 上総守 
         ・745-1-7 入内して 従5位下
         ・746-4-11 大学頭
         ・746-8-19 従五位下 少納言
         ・749-8-10 主税頭
         ・754-7-20 大皇大后(宮子)の葬儀の道山司を任じた
         ・762-4 宮内少輔
         ・766-9-23 東海道の巡察使いに補さる
         ・767-3-17 兼式部大輔
         ・768-3 社寺の封戸の処遇を公民と等しくすること
              下総、武蔵両国内五駅家は使命繁多のため中路に準じて
              馬十疋置く事を申請し許可される。
             ※下総井上、浮島、河曲の三駅と武蔵の乗潴(所在不明)
              豊島の二駅は東山、東海道両道の交通量を受けもっているので、 
              重要性が増してきていることを報じている。
         
、、、741-3 紀朝臣飯麻呂 従四位下

、、、741-7-3 紀朝臣清人 治部大輔兼文学博士

、、、741-7-3 紀朝臣飯麻呂 右大弁

、、、741-7-23 紀朝臣麻路 式部大輔

、、、741-8-9 紀朝臣鹿人シシヒト 外従五位下 大炊頭
       
、、、741-12-10 紀朝臣広名 外従五位下 上総守

、、、742-1-5 紀朝臣飯麻呂 大宰府の廃止に派遣された、廃止した府の官物を越前
        国司に付託した

、、、742-2-5 紀朝臣飯麻呂 天皇の新京が完成していない為、新羅の使節金欽英等を
        供応させ、そこから帰らせた

、、、742-4 紀朝臣伊保(五百)大和掾 弘福寺数帳に国判をくわえた

、、、742-8-27 紀朝臣飯麻呂 恭仁京の留守官に任じられた

、、、742-8-28 紀朝臣麻路 従四位下

、、、742-12-29 紀朝臣飯麻呂 恭仁京の留守官に任じられた

、、、743-4-3 紀朝臣飯麻呂 恭仁京の留守官に任じられた

・・・743-5 墾田永年私財法が発布された
      ・田畑を自力で開拓した場合
      ・これにより全国に初期荘園が増大した

・・・743-5-5 紀朝臣小楫(男楫)外従五位下
        ・743-6-30 弾正弼
        ・745 従五位下
        ・746-4-11 太宰大弐
        ・749-5 兵部少輔
        ・750-3-12 山城守
        ・760 和泉守
        ・万葉集に一首(17-3924)

、、、743-5-5 紀朝臣清人 正五位下

、、、743-5-5 紀朝臣麻路 参議

、、、743-6-30 紀朝臣小楫(男楫) 弾正弼

、、、743-12 紀少鯖万呂 写一切経所より玄オ僧正への返経使 写官経所に属した

、、、744-1-13 紀朝臣飯麻呂 安積親王の葬儀を監督、護衛させた

・・・744-2-4 紀朝臣小東人 主計少允 従七位上 主計寮解に署している

、、、744-4 紀朝臣飯麻呂 従四位下 右大便 弘福寺長官

、、、744-4-22 紀朝臣必登 勲12等を帯びる

、、、744-6 紀少鯖万呂 写経所より單衣を与えられる

、、、744-7-6 紀朝臣清人 従五位下 紀朝臣国益は父で、清人に奴婢が与えられた
              悉く良民とした

、、、744-9-15 紀朝臣飯麻呂 畿内の巡察使の任に

、、、744-10 紀少鯖万呂 写経所の白端畳受け便となり

、、、744-11-21 紀朝臣清人 従四位下
 
、、、744-12 紀少鯖万呂 得考舎人

、、、745 紀朝臣小楫(男楫)従五位下

、、、745-1 紀朝臣宇美 正5位下

、、、745-1-7 紀朝臣広名 従5位下 入内して

、、、745-5-5 紀朝臣麻路 甲賀宮(紫香樂宮)の留守官に任じた

、、、745-5-7 紀朝臣飯麻呂 平城宮を掃き清めた時、僧呂や村人達が争うように
               集まってきた

、、、745-9-4 紀朝臣宇美 正五位下 讃岐守

・・・745-12 紀豊廣 校生 東大寺写経所において大般若経の校正に従う

、、、746 紀朝臣必登 内位

、、、746 紀朝臣清人 武蔵守

、、、746-3-5 紀朝臣麻路 民部郷

、、、746-4-5 紀朝臣麻路 南海道の鎮撫使を兼任させた

、、、746-4-11 紀朝臣小楫(男楫)太宰大弐

、、、746-4-11 紀朝臣広名 大学頭

、、、746-4-12 紀朝臣麻路 従四位上

、、、746-4-22 紀朝臣可比佐 外従五位下

、、、746-8-19 紀朝臣広名 従五位下 少納言

、、、746-8-20 紀朝臣飯麻呂 常陸守

、、、746-8-20 紀朝臣可比佐 従五位下 大蔵少輔

、、、746-8-25 紀朝臣麻路 右衛士督を兼ねさせた

・・・746-9 紀朝臣文主 中宮職少進 理趣経を書写す
       ・746-12 東大寺で写経所で13巻の写経をした

、、、746-12 紀朝臣文主 東大寺で写経所で13巻の写経をした

、、、746-12 紀少鯖万呂 校生

、、、747-1-20 紀朝臣宇美 正五位上 左衛士督 兵部大輔

、、、748-2-19 紀朝臣麻路 正四位上

・・・748-3 紀廣主 経師 
       ・751-4 校生
       ・751-5 写書所に服士す

、、、748-4-22 紀朝臣飯麻呂 元正天皇の山陵を造る司に任じた

、、、748-4-22 紀朝臣麻路 元正天皇崩御、喪儀の装束を整える司に任じられた





孝謙天皇  749-758年 46代目 女性 
        ・752 東大寺大仏開眼供養

・・・749 紀臣国継 経師 東大寺写経所に服仕した、時に舎人

、、、749 紀朝臣宇美 従4位下

、、、749-2-27 紀朝臣飯麻呂 大倭守

・・・749-4 紀朝臣奥乎麻呂 大赦にあい減じて中流に配された
      ・758-4-4

、、、749-4-5 紀朝臣麻路 天皇の使いで伊勢大神に幣○ミテグラを奉納した

・・・749-5 紀朝臣小楫(男楫)兵武少輔
      ・750-3-12 山城守

、、、749-7-2 紀朝臣飯麻呂 従四位上

、、、749-7-2 紀朝臣麻路 従三位 中納言

、、、749-8-10 紀朝臣麻路 兼 式部郷

、、、749-8-10 紀朝臣広名 主税頭

・・・750 紀朝臣田長 校生 東大寺写経に奉仕した
      ・000 正五位下 
      ・783-1-16 従5位下
      ・783-2-25 長門守 兼 主計頭
      ・783-7-25 正5位下 伊予介
      ・788-11-25 従5位上
      ・790-12-2 任官
      ・子息:御園(彈正大弼)→子:真済僧正    
           
、、、750-3-12 紀朝臣小楫(男楫)山城守

・・・750-8 紀朝臣池主 正八位下 造東大寺司主典
       ・751-3 正8位上
       ・752-4 従7位下
       ・752-5〜8 主典兼写経所の別当
       ・752-10-25 従7位下 主典
       ・754-2 判官
       ・754-9 国司判官 正7位下兼上総員外少目
       ・757 正7位下
       ・758 東大寺司法官

・・・750-12-20 紀朝臣常 正六位上
         ・780-12-2 従五位下

、、、751-3 紀朝臣池主 正八位上

、、、751-4 紀朝臣廣主 校生

、、、751-5 紀朝臣廣主 写書所に服士す

、、、751-5 紀朝臣伊保(五百)相模守

、、、751-7-7 紀朝臣伊保(五百)従五位下

、、、751-10 紀朝臣飯麻呂 左大弁

、、、752-4 紀朝臣池主 従七位下

・・・752-4-8 紀朝臣麿 西宮中納言  ※東大寺要録

、、、752-5〜8 紀朝臣池主 主典兼写経所の別当
        
・・・752-7 紀朝臣東人 大納言藤原仲麻呂家より東大寺務所へ諸経使として

、、、752-9-7 紀朝臣麻路 従三位 中納言兼太宰師

、、、752-10-25 紀朝臣池主 主典 従七位下 ※東大寺文書

、、、753-7 紀朝臣清人 従四位下 散位

、、、753 紀朝臣飯麻呂 伊勢神宮の界を限り標を樹る役に使わされる

、、、753-9-28 紀朝臣飯麻呂 太宰大弐

、、、753-10-5 紀朝臣宇美 従四位下 散位 歿

、、、754-2 紀朝臣池主 判官

、、、754-3-17 紀朝臣飯麻呂 大蔵郷

、、、754-7-13 紀朝臣伊保(五百) 大炊頭

、、、754-7-20 紀朝臣広名 大皇大后(宮子)の葬儀の造山司を任じた

、、、754-9 紀朝臣池主 国司判官 正七位下兼上総員外少目

、、、754-9-4/757-6-16 紀朝臣飯麻呂 右京太夫

、、、754-11 紀朝臣飯麻呂 西海道の巡察使いに

・・・755 紀粳売 紀袁邪臣オケオミの娘
     ・764-7-12 紀粳賈ヌカメの子 身売ミメ、狛売コマメ
     ・紀寺に移住

・・・755-9 紀直浄人 河内国班田司史生

・・・756-5 紀朝臣稲手 相模介 正六位上 長田麻呂の父     
       ・825-6 歿

、、、756-12-30 紀朝臣飯麻呂 薬師寺に遣わし梵綱経(ボンモンキョウ)を講じさせた

、、、757 紀朝臣麻路 歿

、、、757 紀朝臣池主 正七位下

、、、757-1-6 紀朝臣飯麻呂 聖武天皇の葬儀で監督、護衛をした

・・・757-5-20 紀朝臣僧麻呂(ホウシマロ)授位 従五位下
        ・761-1-16 信濃介

、、、757-7-9 紀朝臣飯麻呂 右大弁

、、、757-8-4 紀朝臣飯麻呂 正四位下 参議

・・・757-11-10 紀朝臣真象マカタ 文章生 大初位上 正六位上 駿河介
                「経国集」に対策文二首あり




淳仁天皇 758-764年 47代目
、、、758 紀朝臣池主 東大寺司法官

・・・758 紀朝臣真木 越前国史生 
     ・780-8-10 従六位下→従五位下
     ・782-2 肥前国司
     ・783-1-7 肥前守

・・・758-1-5 紀朝臣廣純 正六位上 北陸への使者に任じられる(北陸道間民苦使い)
        ・763-1-7 従五位下
        ・763-1-9 太宰員外少弐 勲五等
        ・765-2-5 薩摩守 左遷
        ・766 筑後守
        ・768-6-28 筑後守 太宰府にて天皇の使いとして新羅国使いに問う
        ・771-1-13 左少弁
        ・771-5-14 美濃介
        ・773-1-7 従五位上
        ・774-3 新羅国史金三玄ら235人が来朝した時、命を受けて大宰府
            に下向、その検問に当たり、結局、旧例に違うとの理由で
            これを放置した
        ・774-3-4 河内守
        ・775-9-13 陸奥介
        ・775-11-15 陸奥守 正五位下
        ・777 兼按察使
        ・777-12-14 蝦夷鎮定の鎮守副将軍
        ・778 従四位下
        ・780-1-7 参議
        ・780-3-22 東北伊治郡の大領伊治公砦麻呂は反乱を起こし伊治城に
               おいて殺害される。多賀城も落ちる。
        ・麻呂の孫で宇美の子、吉継の父

・・・758-2-8 紀朝臣牛養 正六位上
        ・758-8 従五位下
        ・760-1-21 式部少輔の時、西海道巡察使となる
        ・760-7 西海道諸国に年料器杖を造進せしむべく奉上
        ・761-10 中務少輔 兼少納言
        ・762-1-9 右少弁
        ・763-7 新羅使金才伯が太宰府に来ると遣わされてその来由問う
        ・771-10-27 無位より本位 従五位下に復した、紀朝臣伊保と同時に

、、、758-4-4 紀朝臣奥乎麻呂

、、、758-8 紀朝臣伊保(五百)従五位上

、、、758-8 紀朝臣牛養 従五位下
 
、、、758-8 紀朝臣飯麻呂 紫微大弼 兼左大弁

・・・759頃 紀朝臣豊河 万葉歌人

、、、759-6 紀朝臣飯麻呂 正四位上 参議 

、、、759-11 紀朝臣飯麻呂 刑(義)部郷、河内守

、、、760 紀朝臣小楫(男楫)和泉守

、、、760-1-16 紀朝臣飯麻呂 美作守

、、、760-1-21 紀朝臣牛養 式部少輔の時、西海道巡察使いとなる

・・・760-6 紀朝臣主人 少初下 校生 東大寺写経所に上曰した時に舎人 
       ・760-8〜12 政所にあり経師等供養料米の請来使いとなり
       ・760-9-18 頭痛の故を以って写経所に五日間の暇を請い23日に出仕した
       ・760-12、761-2、761-3 池原示守の表紙6百張の運送使いとなった
       ・761-4 東大寺奉写一切経所において員外校正として、校紙に従い布施 
            布給せられた

、、、760-7 紀朝臣牛養 西海道諸国に年料器杖を造進せしむべく奉上

、、、760-8〜12 紀朝臣主人 政所にあり経師等供養料米の請来使いとなり

、、、760-9-18 紀朝臣主人 頭痛の故を以って写経所に五日間の暇を請い23日に出仕
        した

、、、760-12 紀朝臣主人 池原示守の表紙6百張の運送使いとなった

・・・761 紀朝臣家守 正六位上 大納言麻呂の孫、男人の子(又は猿取の子)
      ・770-1-23 従5位下
      ・771 従五位下
      ・772-8 右衛工佐 造東大寺への検使
      ・773-8 右衛工佐 造東大寺への検使
      ・776-1-7 従五位上
      ・776-3-6 丹波守兼春宮亮
      ・776-3-24 春宮亮
      ・777-10-13 美濃守
      ・781-4-15 左中弁
      ・781-5-25 右中弁 兼左兵衛督
      ・781-7-10 左中弁、右兵衛督
      ・781-8-12 正五位上
      ・783-3-8 従四位下
      ・783-4 内蔵頭
      ・783-6-21 中宮太夫 兼内蔵頭 参議
      ・ 784-1 従四位上 備前守
      ・784-4-19 60歳 歿

・・・761 紀朝臣佐良志奈 丹波掾

、、、761-1-16 紀朝臣僧麻呂ホウシマロ 信濃介

、、、761-2 紀朝臣主人 池原示守の表紙6百張の運送使いとなった

、、、761-3 紀朝臣主人 池原示守の表紙6百張の運送使いとなった

、、、761-4 紀朝臣主人 東大寺奉写一切経所において員外校正として、校紙に従い
             布施布給せられた

、、、761-10 紀朝臣牛養 中務少輔 兼少納言

・・・761-11-27 十市郡司解に知事 紀朝臣形麻呂の名あり
  
・・・762 紀狛万呂 造東大寺司作金堂所に属す 轆轤工

、、、762 紀朝臣古麻呂 式部大輔 59才没

、、、762-1-4 紀朝臣飯麻呂 従3位 散位

・・・762-1-4 紀朝臣真艫(マトモ)従5位下

、、、762-1-9 紀朝臣牛養 右少弁

・・・762-2-4 紀朝臣堅魚文部少丞、法華経一部を奉写のため
        書生淡海金弓を借りたいと東大寺第四安殿門に願う
        ※771-4-26の紀朝臣勝雄と同一か

・・・762-3 紀黒弓 造東大寺木工

、、、762-4 紀朝臣広名 宮内少輔

・・・762-4 紀国吉 雇夫 四造石山院所に服仕し、功96文を給せられる

・・・762-5 紀朝臣喬答 唐客副使 大宰府にて

、、、762-7 紀朝臣飯麻呂 72歳歿(690-762)

・・・762-10 紀勝賀田奈古 十僧光覚願経の知識としてみえる

、、、763-1-7 紀朝臣廣純 従五位下

、、、763-1-9 紀朝臣牛養 右少弁

、、、763-1-9 紀朝臣廣純 太宰員外少弐 勲五等

、、、763-7 紀朝臣牛養 新羅使金才伯が大宰府に来ると遣わされてその来由問う

                  





称徳天皇 764-770年 48代目 女性 重祚
     ・765 大和 西大寺建立

、、、764-1 紀朝臣伊保(五百)正五位下 民部大輔 高野新笠に逆らい位階を剥奪
       される

、、、764-7-12 紀粳賈ヌカメ(父:紀袁邪臣オケオミ)の子:身売ミメ、狛売コマメ
        紀寺に移住

・・・764-7-12 紀朝臣益麻呂(益人)紀寺の奴 紀朝臣の姓を
        ・765-4-4 従六位上→従五位下
        ・767-8-16 陰陽寮員外の時、瑞雲出現を奏した功により正五位下
              陰陽頭に
        ・770-2 従4位下 伯耆介 
        ・773-7-17 紀益人 従四位下 賤民に益人を解放して庶人をし
              詔により官職、位階を剥奪される。
              田後部タジリベの姓とされた
        ※紀寺:平城左京五条七坊にあった奈良市西紀寺町のP城寺がその跡という

・・・764-9-11 紀朝臣船守 (従七位の時 恵美押勝を射殺す)従五位下
        ・766-1-21 功田八町を賜る、その子に伝えること許された
        ・768-11-29 検校兵庫軍監 
        ・769-3-10 紀伊介
        ・770-8-28 紀伊守
        ・771 近衛将監 
        ・771-3 但馬介
        ・771-11-24 正五位下
        ・771-11-25 従五位上
        ・775 近衛員外少将
        ・777-1-25 兼土佐守 
        ・778-2-28 近衛少将 兼内廏助ウマヤ
        ・779-1-13 正五位上
        ・781-1-15 近衛大将
        ・781-4-15 従四位下
        ・783-2-25 近衛中将
        ・783-6-21 正四位下
        ・783-7-19 正四位上
        ・784 参議
        ・784-5-16 都を移すために乙訓郡長岡村の地を視察した
        ・784-6-10 造長岡宮吏に
        ・784-6-13 加茂上下2社に派遣して奉幣させた
        ・784-11-13 中宮太夫
        ・784-11-20 加茂上下2社に従二位を授ける使いに
        ・784-12-2 従三位
        ・785 中納言
        ・785-1-15 参議 内廏頭
        ・785-11-25 常陸守
        ・786-2-17 兼式部郷
        ・790-2-27 正三位
        ・791-1-16 大納言
        ・792-4-2 62才歿(729-792) 死後、正二位 右大臣を贈られる
             和泉 日根郡淡輪に墓あり
        ・000 若子(娘)垣武天皇の明日香親王の母
        ・猿取または諸人の子、田上の父

・・・764-10-7 紀朝臣鯖麻呂(佐波麻呂)従五位下 藤原仲麻呂追討の功による
        ・764-10-10 和泉守
        ・765-10 従五位上
        ・767-8-29 勅旨(省)少輔
        ・768-7/770-12-28 美濃員外介
        ・771-7-23 豊後守
        ・778-3 木工頭
        ・779-11-28 大炊頭
        ・781-12 光仁天皇崩御に際し御装束司となる
        ・782-6-28 正五位下
        ・784-1-7 正五位上
        ・784-3-14〜786 尾張守
        ・娘:藤原長基(従5位下)の妻に
       
・・・764-10-7 紀朝臣廣庭 藤原仲麻呂追討の論功により正六位上→従五位下
        ・764-10-26 上総介
        ・767-8-29 勅旨少輔
        ・768-11-13 河内介
        ・769-10 称徳天皇と道鏡の河内由義宮行幸に供奉す
        ・769-11-30 従五位上 河内亮(次官)
                ・770-4-28 造由義大宮司次官
        ・770-8-28 河内守
        ・771-11-24 正五位下
        ・773-1-7 従四位下
        ・774-3-5 兵部大輔
        ・775-9-20 参議 美濃守
        ・777-6-12 従四位下 参議 美濃守 歿

、、、764-10-10 紀朝臣鯖麻呂 和泉守

・・・764-10-14 紀朝臣益女 紀寺 巫女 従五位下 
         ・765-1-7 従五位上 勲三等
         ・765-8 巫女として良く知られ、和気王の寵愛を得ていたが、和気王
              は皇位に就く事を望み益女にまじないを頼んでいた
              和気王を絞首し、益女は綴喜郡松井村(綴喜郡田辺町
              大字松井)で絞首された
             ・紀朝臣益麻呂従4位下陰陽頭の姉妹であるらしい

、、、764-10-26 紀朝臣廣庭 上総介

・・・764-10-26 紀朝臣古佐美 従五位下
         ・767-3-20 丹後守
         ・771-3 兵部少輔
         ・771-11-24 式部少輔
         ・774-3-5 伊勢介
         ・778-2-23 右少弁、東大寺
         ・780-1-7 従五位上
         ・780-4-28 往東副使
         ・781-5-27 陸奥守
         ・781-8-22 従四位下
         ・781-12-17 従四位上 蒔田親王の葬儀を監督し、護衛させた
         ・782-1-17 左兵衛督
         ・783-1-7 兼任 但馬守
         ・783-5-15 式部大輔
         ・783-6-21 左中弁 兼左兵衛督、但馬守
         ・783-8-9 治部大輔
         ・785 従四位上
         ・785-10-12 参議
         ・786-2-17 右大弁
         ・787-5-19 正四位下
         ・788-6-9 左大弁
         ・788-7-6 往東大使
         ・788-7-25 大和守
         ・788-12-7 往東大将軍として天皇に別れの挨拶をした
         ・789-9-19 往東将軍として戦いに敗れた理由を述べ、古佐美は
               罪に問われなかった
         ・789-12-29 高野新笠の葬儀の御葬司に
         ・790-2-27 正四位上
         ・790-3-11 皇后の葬儀御葬司に 
         ・791-8-14 正四位上 参議 左大弁 春宮太夫 中衛中條
               大和守
               神宮が放火されたことを謝罪、神宮の造営
         ・793 従三位 参議 中納言
         ・796 正三位 大納言 桓武天皇の鷹狩りに供奉した
         ・796-7-28 任官
         ・797-2-9 任官
         ・797-4 64歳歿 (733-797)
         ・紀古佐美の後裔は東大寺八幡宮神主家で1820年まで系図あり
         ・娘:藤原藤嗣の室(北家 藤原魚名、鷲取の後裔)

・・・764-12 紀朝臣廣継 従五位下 民部少輔 
       ・770-12-28  ”    ”

、、、765-1-7 紀朝臣益女 紀寺 巫女 従五位上 勲三等

、、、765-2-5 紀朝臣廣純 薩摩守 左遷

、、、765-4-4 紀朝臣益麻呂 従六位上より従五位下
  
、、、765-8 紀朝臣益女 巫女として良く知られ、和気王の寵愛を得ていたが、和気王
             は皇位に就く事を望み益女にまじないを頼んでいた
             和気王を絞首し、益女は綴喜郡松井村(綴喜郡田辺町
             大字松井)で絞首した

、、、765-10 紀朝臣鯖麻呂 従五位上

・・・765-10-22 紀直国栖 正七位上
        ・767-10 紀伊行幸に際し爵四級を賜る

、、、766 紀朝臣廣純 筑後守

、、、766-1-21 紀朝臣船守 功田八町を賜る、その子に伝えること許された

、、、766-9-23 紀朝臣広名 東海道の巡察使い

、、、767-3-17 紀朝臣広名 兼式部大輔

、、、767-3-20 紀朝臣古佐美 丹後守

、、、767-8-16 紀朝臣益麻呂 陰陽寮の員外の時瑞雲出現を奏した功により
        従五位下→正五位下

・・・767-8-16 紀朝臣門守 参河目サカンで正六位上→従五位下
        ・767-8-26 図書助
        ・768-11-13 勅旨大丞
        ・774-3-5 兵馬正
        ・779-10-13 鋳銭次官
        ・779-11-3 肥前国司
        ・780-3-17 肥前守

、、、767-8-26 紀朝臣門守 図書助

、、、767-8-29 紀朝臣廣庭 勅旨少輔

、、、767-8-29 紀朝臣鯖麻呂 勅旨(省)少輔

、、、767-10 紀直国栖 紀伊行幸に際し爵四級を賜る

、、、768-3 紀朝臣広名 社寺の封戸の処遇を公民と等しくすること
             下総、武蔵両国内五駅家は使命繁多のため中路に準じて
             馬十疋置く事を申請し許可される。

、、、768-6-28 紀朝臣廣純 筑後守 大宰府にて天皇の使いとして新羅国使いに問う

、、、768-7/770-12-28 紀朝臣鯖麻呂 美濃員外介

、、、768-11-13 紀朝臣門守 勅旨大丞

、、、768-11-13 紀朝臣廣庭 河内介

、、、768-11-29 紀朝臣船守 検校兵庫軍監

・・・769 紀朝臣梶長(勝長)美作守 相伝 梶並の荘は梶並郷の来邑となる
     ・770-781 桓武(山部王)の病気平癒のため祈誓して四天王像を造立した
     ・785-11-26 従五位下 近江守、兵部少輔、右中弁
     ・796 従四位下 参議(このとき勝長と改める)
     ・804ー6-20 家:平城左京二條五坊七町
           参議 従三位行 左兵衛督兼造東寺長官
     ・806-4 従三位 中納言 造東寺長官
     ・806-10-3 53歳歿(753-806)
     ・紀朝臣船守の一男(元梶長と称す)
     ・心広く、好んで賓客を愛し、歩射の容儀は手本とすべきところがあった

、、、769-3-10 紀朝臣船守 紀伊介

、、、769-10 紀朝臣廣庭 称徳天皇と道鏡の河内由義宮行幸に供奉す

、、、769-11-30 紀朝臣廣庭 河内亮(次官)従五位上





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