紀氏の歴史の軌道A
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聖武天皇 724-749 45代目(続)
、、、740-3-15 紀朝臣必登 伊予介で正税帳使となって上京
、、、740-6 紀朝臣伊保(五百)山背掾
・・・740-9 上毛郡 擬大領 紀宇麻呂の三人
、、、740-9-3 紀朝臣飯麻呂 副将軍に任じ藤原広嗣を討たせた
・・・740-9-25 紀宇麻呂(平麻呂)豊前国毛郡擬大領 藤原広嗣の乱に賊徒の首4級
を斬った
、、、740-10-15 紀朝臣必登 遺新羅使 平城京に帰還した
、、、740-10-23 紀朝臣麻呂 伊勢の国の行幸の護衛の騎兵大将軍に任じた
、、、740-11-21 紀朝臣麻呂 正五位上
、、、740-11-21 紀朝臣鹿人 外従5位上
・・・740-11-21 紀朝臣広名 外従五位下、 麻呂の子、直人の父
・741-12-10 上総守
・745-1-7 入内して 従5位下
・746-4-11 大学頭
・746-8-19 従五位下 少納言
・749-8-10 主税頭
・754-7-20 大皇大后(宮子)の葬儀の道山司を任じた
・762-4 宮内少輔
・766-9-23 東海道の巡察使いに補さる
・767-3-17 兼式部大輔
・768-3 社寺の封戸の処遇を公民と等しくすること
下総、武蔵両国内五駅家は使命繁多のため中路に準じて
馬十疋置く事を申請し許可される。
※下総井上、浮島、河曲の三駅と武蔵の乗潴(所在不明)
豊島の二駅は東山、東海道両道の交通量を受けもっているので、
重要性が増してきていることを報じている。
、、、741-3 紀朝臣飯麻呂 従四位下
、、、741-7-3 紀朝臣清人 治部大輔兼文学博士
、、、741-7-3 紀朝臣飯麻呂 右大弁
、、、741-7-23 紀朝臣麻路 式部大輔
、、、741-8-9 紀朝臣鹿人シシヒト 外従五位下 大炊頭
、、、741-12-10 紀朝臣広名 外従五位下 上総守
、、、742-1-5 紀朝臣飯麻呂 大宰府の廃止に派遣された、廃止した府の官物を越前
国司に付託した
、、、742-2-5 紀朝臣飯麻呂 天皇の新京が完成していない為、新羅の使節金欽英等を
供応させ、そこから帰らせた
、、、742-4 紀朝臣伊保(五百)大和掾 弘福寺数帳に国判をくわえた
、、、742-8-27 紀朝臣飯麻呂 恭仁京の留守官に任じられた
、、、742-8-28 紀朝臣麻路 従四位下
、、、742-12-29 紀朝臣飯麻呂 恭仁京の留守官に任じられた
、、、743-4-3 紀朝臣飯麻呂 恭仁京の留守官に任じられた
・・・743-5 墾田永年私財法が発布された
・田畑を自力で開拓した場合
・これにより全国に初期荘園が増大した
・・・743-5-5 紀朝臣小楫(男楫)外従五位下
・743-6-30 弾正弼
・745 従五位下
・746-4-11 太宰大弐
・749-5 兵部少輔
・750-3-12 山城守
・760 和泉守
・万葉集に一首(17-3924)
、、、743-5-5 紀朝臣清人 正五位下
、、、743-5-5 紀朝臣麻路 参議
、、、743-6-30 紀朝臣小楫(男楫) 弾正弼
、、、743-12 紀少鯖万呂 写一切経所より玄オ僧正への返経使 写官経所に属した
、、、744-1-13 紀朝臣飯麻呂 安積親王の葬儀を監督、護衛させた
・・・744-2-4 紀朝臣小東人 主計少允 従七位上 主計寮解に署している
、、、744-4 紀朝臣飯麻呂 従四位下 右大便 弘福寺長官
、、、744-4-22 紀朝臣必登 勲12等を帯びる
、、、744-6 紀少鯖万呂 写経所より單衣を与えられる
、、、744-7-6 紀朝臣清人 従五位下 紀朝臣国益は父で、清人に奴婢が与えられた
悉く良民とした
、、、744-9-15 紀朝臣飯麻呂 畿内の巡察使の任に
、、、744-10 紀少鯖万呂 写経所の白端畳受け便となり
、、、744-11-21 紀朝臣清人 従四位下
、、、744-12 紀少鯖万呂 得考舎人
、、、745 紀朝臣小楫(男楫)従五位下
、、、745-1 紀朝臣宇美 正5位下
、、、745-1-7 紀朝臣広名 従5位下 入内して
、、、745-5-5 紀朝臣麻路 甲賀宮(紫香樂宮)の留守官に任じた
、、、745-5-7 紀朝臣飯麻呂 平城宮を掃き清めた時、僧呂や村人達が争うように
集まってきた
、、、745-9-4 紀朝臣宇美 正五位下 讃岐守
・・・745-12 紀豊廣 校生 東大寺写経所において大般若経の校正に従う
、、、746 紀朝臣必登 内位
、、、746 紀朝臣清人 武蔵守
、、、746-3-5 紀朝臣麻路 民部郷
、、、746-4-5 紀朝臣麻路 南海道の鎮撫使を兼任させた
、、、746-4-11 紀朝臣小楫(男楫)太宰大弐
、、、746-4-11 紀朝臣広名 大学頭
、、、746-4-12 紀朝臣麻路 従四位上
、、、746-4-22 紀朝臣可比佐 外従五位下
、、、746-8-19 紀朝臣広名 従五位下 少納言
、、、746-8-20 紀朝臣飯麻呂 常陸守
、、、746-8-20 紀朝臣可比佐 従五位下 大蔵少輔
、、、746-8-25 紀朝臣麻路 右衛士督を兼ねさせた
・・・746-9 紀朝臣文主 中宮職少進 理趣経を書写す
・746-12 東大寺で写経所で13巻の写経をした
、、、746-12 紀朝臣文主 東大寺で写経所で13巻の写経をした
、、、746-12 紀少鯖万呂 校生
、、、747-1-20 紀朝臣宇美 正五位上 左衛士督 兵部大輔
、、、748-2-19 紀朝臣麻路 正四位上
・・・748-3 紀廣主 経師
・751-4 校生
・751-5 写書所に服士す
、、、748-4-22 紀朝臣飯麻呂 元正天皇の山陵を造る司に任じた
、、、748-4-22 紀朝臣麻路 元正天皇崩御、喪儀の装束を整える司に任じられた
孝謙天皇 749-758年 46代目 女性
・752 東大寺大仏開眼供養
・・・749 紀臣国継 経師 東大寺写経所に服仕した、時に舎人
、、、749 紀朝臣宇美 従4位下
、、、749-2-27 紀朝臣飯麻呂 大倭守
・・・749-4 紀朝臣奥乎麻呂 大赦にあい減じて中流に配された
・758-4-4
、、、749-4-5 紀朝臣麻路 天皇の使いで伊勢大神に幣○ミテグラを奉納した
・・・749-5 紀朝臣小楫(男楫)兵武少輔
・750-3-12 山城守
、、、749-7-2 紀朝臣飯麻呂 従四位上
、、、749-7-2 紀朝臣麻路 従三位 中納言
、、、749-8-10 紀朝臣麻路 兼 式部郷
、、、749-8-10 紀朝臣広名 主税頭
・・・750 紀朝臣田長 校生 東大寺写経に奉仕した
・000 正五位下
・783-1-16 従5位下
・783-2-25 長門守 兼 主計頭
・783-7-25 正5位下 伊予介
・788-11-25 従5位上
・790-12-2 任官
・子息:御園(彈正大弼)→子:真済僧正
、、、750-3-12 紀朝臣小楫(男楫)山城守
・・・750-8 紀朝臣池主 正八位下 造東大寺司主典
・751-3 正8位上
・752-4 従7位下
・752-5〜8 主典兼写経所の別当
・752-10-25 従7位下 主典
・754-2 判官
・754-9 国司判官 正7位下兼上総員外少目
・757 正7位下
・758 東大寺司法官
・・・750-12-20 紀朝臣常 正六位上
・780-12-2 従五位下
、、、751-3 紀朝臣池主 正八位上
、、、751-4 紀朝臣廣主 校生
、、、751-5 紀朝臣廣主 写書所に服士す
、、、751-5 紀朝臣伊保(五百)相模守
、、、751-7-7 紀朝臣伊保(五百)従五位下
、、、751-10 紀朝臣飯麻呂 左大弁
、、、752-4 紀朝臣池主 従七位下
・・・752-4-8 紀朝臣麿 西宮中納言 ※東大寺要録
、、、752-5〜8 紀朝臣池主 主典兼写経所の別当
・・・752-7 紀朝臣東人 大納言藤原仲麻呂家より東大寺務所へ諸経使として
、、、752-9-7 紀朝臣麻路 従三位 中納言兼太宰師
、、、752-10-25 紀朝臣池主 主典 従七位下 ※東大寺文書
、、、753-7 紀朝臣清人 従四位下 散位
、、、753 紀朝臣飯麻呂 伊勢神宮の界を限り標を樹る役に使わされる
、、、753-9-28 紀朝臣飯麻呂 太宰大弐
、、、753-10-5 紀朝臣宇美 従四位下 散位 歿
、、、754-2 紀朝臣池主 判官
、、、754-3-17 紀朝臣飯麻呂 大蔵郷
、、、754-7-13 紀朝臣伊保(五百) 大炊頭
、、、754-7-20 紀朝臣広名 大皇大后(宮子)の葬儀の造山司を任じた
、、、754-9 紀朝臣池主 国司判官 正七位下兼上総員外少目
、、、754-9-4/757-6-16 紀朝臣飯麻呂 右京太夫
、、、754-11 紀朝臣飯麻呂 西海道の巡察使いに
・・・755 紀粳売 紀袁邪臣オケオミの娘
・764-7-12 紀粳賈ヌカメの子 身売ミメ、狛売コマメ
・紀寺に移住
・・・755-9 紀直浄人 河内国班田司史生
・・・756-5 紀朝臣稲手 相模介 正六位上 長田麻呂の父
・825-6 歿
、、、756-12-30 紀朝臣飯麻呂 薬師寺に遣わし梵綱経(ボンモンキョウ)を講じさせた
、、、757 紀朝臣麻路 歿
、、、757 紀朝臣池主 正七位下
、、、757-1-6 紀朝臣飯麻呂 聖武天皇の葬儀で監督、護衛をした
・・・757-5-20 紀朝臣僧麻呂(ホウシマロ)授位 従五位下
・761-1-16 信濃介
、、、757-7-9 紀朝臣飯麻呂 右大弁
、、、757-8-4 紀朝臣飯麻呂 正四位下 参議
・・・757-11-10 紀朝臣真象マカタ 文章生 大初位上 正六位上 駿河介
「経国集」に対策文二首あり
淳仁天皇 758-764年 47代目
、、、758 紀朝臣池主 東大寺司法官
・・・758 紀朝臣真木 越前国史生
・780-8-10 従六位下→従五位下
・782-2 肥前国司
・783-1-7 肥前守
・・・758-1-5 紀朝臣廣純 正六位上 北陸への使者に任じられる(北陸道間民苦使い)
・763-1-7 従五位下
・763-1-9 太宰員外少弐 勲五等
・765-2-5 薩摩守 左遷
・766 筑後守
・768-6-28 筑後守 太宰府にて天皇の使いとして新羅国使いに問う
・771-1-13 左少弁
・771-5-14 美濃介
・773-1-7 従五位上
・774-3 新羅国史金三玄ら235人が来朝した時、命を受けて大宰府
に下向、その検問に当たり、結局、旧例に違うとの理由で
これを放置した
・774-3-4 河内守
・775-9-13 陸奥介
・775-11-15 陸奥守 正五位下
・777 兼按察使
・777-12-14 蝦夷鎮定の鎮守副将軍
・778 従四位下
・780-1-7 参議
・780-3-22 東北伊治郡の大領伊治公砦麻呂は反乱を起こし伊治城に
おいて殺害される。多賀城も落ちる。
・麻呂の孫で宇美の子、吉継の父
・・・758-2-8 紀朝臣牛養 正六位上
・758-8 従五位下
・760-1-21 式部少輔の時、西海道巡察使となる
・760-7 西海道諸国に年料器杖を造進せしむべく奉上
・761-10 中務少輔 兼少納言
・762-1-9 右少弁
・763-7 新羅使金才伯が太宰府に来ると遣わされてその来由問う
・771-10-27 無位より本位 従五位下に復した、紀朝臣伊保と同時に
、、、758-4-4 紀朝臣奥乎麻呂
、、、758-8 紀朝臣伊保(五百)従五位上
、、、758-8 紀朝臣牛養 従五位下
、、、758-8 紀朝臣飯麻呂 紫微大弼 兼左大弁
・・・759頃 紀朝臣豊河 万葉歌人
、、、759-6 紀朝臣飯麻呂 正四位上 参議
、、、759-11 紀朝臣飯麻呂 刑(義)部郷、河内守
、、、760 紀朝臣小楫(男楫)和泉守
、、、760-1-16 紀朝臣飯麻呂 美作守
、、、760-1-21 紀朝臣牛養 式部少輔の時、西海道巡察使いとなる
・・・760-6 紀朝臣主人 少初下 校生 東大寺写経所に上曰した時に舎人
・760-8〜12 政所にあり経師等供養料米の請来使いとなり
・760-9-18 頭痛の故を以って写経所に五日間の暇を請い23日に出仕した
・760-12、761-2、761-3 池原示守の表紙6百張の運送使いとなった
・761-4 東大寺奉写一切経所において員外校正として、校紙に従い布施
布給せられた
、、、760-7 紀朝臣牛養 西海道諸国に年料器杖を造進せしむべく奉上
、、、760-8〜12 紀朝臣主人 政所にあり経師等供養料米の請来使いとなり
、、、760-9-18 紀朝臣主人 頭痛の故を以って写経所に五日間の暇を請い23日に出仕
した
、、、760-12 紀朝臣主人 池原示守の表紙6百張の運送使いとなった
・・・761 紀朝臣家守 正六位上 大納言麻呂の孫、男人の子(又は猿取の子)
・770-1-23 従5位下
・771 従五位下
・772-8 右衛工佐 造東大寺への検使
・773-8 右衛工佐 造東大寺への検使
・776-1-7 従五位上
・776-3-6 丹波守兼春宮亮
・776-3-24 春宮亮
・777-10-13 美濃守
・781-4-15 左中弁
・781-5-25 右中弁 兼左兵衛督
・781-7-10 左中弁、右兵衛督
・781-8-12 正五位上
・783-3-8 従四位下
・783-4 内蔵頭
・783-6-21 中宮太夫 兼内蔵頭 参議
・ 784-1 従四位上 備前守
・784-4-19 60歳 歿
・・・761 紀朝臣佐良志奈 丹波掾
、、、761-1-16 紀朝臣僧麻呂ホウシマロ 信濃介
、、、761-2 紀朝臣主人 池原示守の表紙6百張の運送使いとなった
、、、761-3 紀朝臣主人 池原示守の表紙6百張の運送使いとなった
、、、761-4 紀朝臣主人 東大寺奉写一切経所において員外校正として、校紙に従い
布施布給せられた
、、、761-10 紀朝臣牛養 中務少輔 兼少納言
・・・761-11-27 十市郡司解に知事 紀朝臣形麻呂の名あり
・・・762 紀狛万呂 造東大寺司作金堂所に属す 轆轤工
、、、762 紀朝臣古麻呂 式部大輔 59才没
、、、762-1-4 紀朝臣飯麻呂 従3位 散位
・・・762-1-4 紀朝臣真艫(マトモ)従5位下
、、、762-1-9 紀朝臣牛養 右少弁
・・・762-2-4 紀朝臣堅魚文部少丞、法華経一部を奉写のため
書生淡海金弓を借りたいと東大寺第四安殿門に願う
※771-4-26の紀朝臣勝雄と同一か
・・・762-3 紀黒弓 造東大寺木工
、、、762-4 紀朝臣広名 宮内少輔
・・・762-4 紀国吉 雇夫 四造石山院所に服仕し、功96文を給せられる
・・・762-5 紀朝臣喬答 唐客副使 大宰府にて
、、、762-7 紀朝臣飯麻呂 72歳歿(690-762)
・・・762-10 紀勝賀田奈古 十僧光覚願経の知識としてみえる
、、、763-1-7 紀朝臣廣純 従五位下
、、、763-1-9 紀朝臣牛養 右少弁
、、、763-1-9 紀朝臣廣純 太宰員外少弐 勲五等
、、、763-7 紀朝臣牛養 新羅使金才伯が大宰府に来ると遣わされてその来由問う
称徳天皇 764-770年 48代目 女性 重祚
・765 大和 西大寺建立
、、、764-1 紀朝臣伊保(五百)正五位下 民部大輔 高野新笠に逆らい位階を剥奪
される
、、、764-7-12 紀粳賈ヌカメ(父:紀袁邪臣オケオミ)の子:身売ミメ、狛売コマメ
紀寺に移住
・・・764-7-12 紀朝臣益麻呂(益人)紀寺の奴 紀朝臣の姓を
・765-4-4 従六位上→従五位下
・767-8-16 陰陽寮員外の時、瑞雲出現を奏した功により正五位下
陰陽頭に
・770-2 従4位下 伯耆介
・773-7-17 紀益人 従四位下 賤民に益人を解放して庶人をし
詔により官職、位階を剥奪される。
田後部タジリベの姓とされた
※紀寺:平城左京五条七坊にあった奈良市西紀寺町のP城寺がその跡という
・・・764-9-11 紀朝臣船守 (従七位の時 恵美押勝を射殺す)従五位下
・766-1-21 功田八町を賜る、その子に伝えること許された
・768-11-29 検校兵庫軍監
・769-3-10 紀伊介
・770-8-28 紀伊守
・771 近衛将監
・771-3 但馬介
・771-11-24 正五位下
・771-11-25 従五位上
・775 近衛員外少将
・777-1-25 兼土佐守
・778-2-28 近衛少将 兼内廏助ウマヤ
・779-1-13 正五位上
・781-1-15 近衛大将
・781-4-15 従四位下
・783-2-25 近衛中将
・783-6-21 正四位下
・783-7-19 正四位上
・784 参議
・784-5-16 都を移すために乙訓郡長岡村の地を視察した
・784-6-10 造長岡宮吏に
・784-6-13 加茂上下2社に派遣して奉幣させた
・784-11-13 中宮太夫
・784-11-20 加茂上下2社に従二位を授ける使いに
・784-12-2 従三位
・785 中納言
・785-1-15 参議 内廏頭
・785-11-25 常陸守
・786-2-17 兼式部郷
・790-2-27 正三位
・791-1-16 大納言
・792-4-2 62才歿(729-792) 死後、正二位 右大臣を贈られる
和泉 日根郡淡輪に墓あり
・000 若子(娘)垣武天皇の明日香親王の母
・猿取または諸人の子、田上の父
・・・764-10-7 紀朝臣鯖麻呂(佐波麻呂)従五位下 藤原仲麻呂追討の功による
・764-10-10 和泉守
・765-10 従五位上
・767-8-29 勅旨(省)少輔
・768-7/770-12-28 美濃員外介
・771-7-23 豊後守
・778-3 木工頭
・779-11-28 大炊頭
・781-12 光仁天皇崩御に際し御装束司となる
・782-6-28 正五位下
・784-1-7 正五位上
・784-3-14〜786 尾張守
・娘:藤原長基(従5位下)の妻に
・・・764-10-7 紀朝臣廣庭 藤原仲麻呂追討の論功により正六位上→従五位下
・764-10-26 上総介
・767-8-29 勅旨少輔
・768-11-13 河内介
・769-10 称徳天皇と道鏡の河内由義宮行幸に供奉す
・769-11-30 従五位上 河内亮(次官)
・770-4-28 造由義大宮司次官
・770-8-28 河内守
・771-11-24 正五位下
・773-1-7 従四位下
・774-3-5 兵部大輔
・775-9-20 参議 美濃守
・777-6-12 従四位下 参議 美濃守 歿
、、、764-10-10 紀朝臣鯖麻呂 和泉守
・・・764-10-14 紀朝臣益女 紀寺 巫女 従五位下
・765-1-7 従五位上 勲三等
・765-8 巫女として良く知られ、和気王の寵愛を得ていたが、和気王
は皇位に就く事を望み益女にまじないを頼んでいた
和気王を絞首し、益女は綴喜郡松井村(綴喜郡田辺町
大字松井)で絞首された
・紀朝臣益麻呂従4位下陰陽頭の姉妹であるらしい
、、、764-10-26 紀朝臣廣庭 上総介
・・・764-10-26 紀朝臣古佐美 従五位下
・767-3-20 丹後守
・771-3 兵部少輔
・771-11-24 式部少輔
・774-3-5 伊勢介
・778-2-23 右少弁、東大寺
・780-1-7 従五位上
・780-4-28 往東副使
・781-5-27 陸奥守
・781-8-22 従四位下
・781-12-17 従四位上 蒔田親王の葬儀を監督し、護衛させた
・782-1-17 左兵衛督
・783-1-7 兼任 但馬守
・783-5-15 式部大輔
・783-6-21 左中弁 兼左兵衛督、但馬守
・783-8-9 治部大輔
・785 従四位上
・785-10-12 参議
・786-2-17 右大弁
・787-5-19 正四位下
・788-6-9 左大弁
・788-7-6 往東大使
・788-7-25 大和守
・788-12-7 往東大将軍として天皇に別れの挨拶をした
・789-9-19 往東将軍として戦いに敗れた理由を述べ、古佐美は
罪に問われなかった
・789-12-29 高野新笠の葬儀の御葬司に
・790-2-27 正四位上
・790-3-11 皇后の葬儀御葬司に
・791-8-14 正四位上 参議 左大弁 春宮太夫 中衛中條
大和守
神宮が放火されたことを謝罪、神宮の造営
・793 従三位 参議 中納言
・796 正三位 大納言 桓武天皇の鷹狩りに供奉した
・796-7-28 任官
・797-2-9 任官
・797-4 64歳歿 (733-797)
・紀古佐美の後裔は東大寺八幡宮神主家で1820年まで系図あり
・娘:藤原藤嗣の室(北家 藤原魚名、鷲取の後裔)
・・・764-12 紀朝臣廣継 従五位下 民部少輔
・770-12-28 ” ”
、、、765-1-7 紀朝臣益女 紀寺 巫女 従五位上 勲三等
、、、765-2-5 紀朝臣廣純 薩摩守 左遷
、、、765-4-4 紀朝臣益麻呂 従六位上より従五位下
、、、765-8 紀朝臣益女 巫女として良く知られ、和気王の寵愛を得ていたが、和気王
は皇位に就く事を望み益女にまじないを頼んでいた
和気王を絞首し、益女は綴喜郡松井村(綴喜郡田辺町
大字松井)で絞首した
、、、765-10 紀朝臣鯖麻呂 従五位上
・・・765-10-22 紀直国栖 正七位上
・767-10 紀伊行幸に際し爵四級を賜る
、、、766 紀朝臣廣純 筑後守
、、、766-1-21 紀朝臣船守 功田八町を賜る、その子に伝えること許された
、、、766-9-23 紀朝臣広名 東海道の巡察使い
、、、767-3-17 紀朝臣広名 兼式部大輔
、、、767-3-20 紀朝臣古佐美 丹後守
、、、767-8-16 紀朝臣益麻呂 陰陽寮の員外の時瑞雲出現を奏した功により
従五位下→正五位下
・・・767-8-16 紀朝臣門守 参河目サカンで正六位上→従五位下
・767-8-26 図書助
・768-11-13 勅旨大丞
・774-3-5 兵馬正
・779-10-13 鋳銭次官
・779-11-3 肥前国司
・780-3-17 肥前守
、、、767-8-26 紀朝臣門守 図書助
、、、767-8-29 紀朝臣廣庭 勅旨少輔
、、、767-8-29 紀朝臣鯖麻呂 勅旨(省)少輔
、、、767-10 紀直国栖 紀伊行幸に際し爵四級を賜る
、、、768-3 紀朝臣広名 社寺の封戸の処遇を公民と等しくすること
下総、武蔵両国内五駅家は使命繁多のため中路に準じて
馬十疋置く事を申請し許可される。
、、、768-6-28 紀朝臣廣純 筑後守 大宰府にて天皇の使いとして新羅国使いに問う
、、、768-7/770-12-28 紀朝臣鯖麻呂 美濃員外介
、、、768-11-13 紀朝臣門守 勅旨大丞
、、、768-11-13 紀朝臣廣庭 河内介
、、、768-11-29 紀朝臣船守 検校兵庫軍監
・・・769 紀朝臣梶長(勝長)美作守 相伝 梶並の荘は梶並郷の来邑となる
・770-781 桓武(山部王)の病気平癒のため祈誓して四天王像を造立した
・785-11-26 従五位下 近江守、兵部少輔、右中弁
・796 従四位下 参議(このとき勝長と改める)
・804ー6-20 家:平城左京二條五坊七町
参議 従三位行 左兵衛督兼造東寺長官
・806-4 従三位 中納言 造東寺長官
・806-10-3 53歳歿(753-806)
・紀朝臣船守の一男(元梶長と称す)
・心広く、好んで賓客を愛し、歩射の容儀は手本とすべきところがあった
、、、769-3-10 紀朝臣船守 紀伊介
、、、769-10 紀朝臣廣庭 称徳天皇と道鏡の河内由義宮行幸に供奉す
、、、769-11-30 紀朝臣廣庭 河内亮(次官)従五位上
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