紀氏の歴史の軌道@
唐・司馬貞・補撰「史記」三皇紀より
紀氏の源=炎帝神農氏
神農氏は三皇の中でも珍しく子孫に関する伝承がある。
神農氏の母は女登といい、有媧の娘で少典の妃であった。神竜の徳に感応して
炎帝を産んだ。姜水のほとりで生長したので、姜を姓とし、火の字を使って
官名につけた。
その姿は人身牛首、身の丈は八尺七寸
図像で表現される時は、長い髯をもち木の葉で作った衣または腰蓑を着けた
男性の姿で現されることが多く、頭に短い角が書かれるのが普通だが、省略
されることもあるようだ。
神農氏は赤色の鞭で草木を打ち、百草を嘗めて毒が薬か、食べた時に体が
冷えるか熱をもつか、またどんな香りや味をつけるのに適するかなどを調べ上げた。
このことから神農氏は医薬の祖とされ、また本草学の祖と見なされたこともある。
また、発見した数々の有用な植物を育てる方法を人々に教えたことから、
農耕の祖とみなされることもある。
五玄の瑟をつくり、また日中に市を開き、物々交換して夕方に帰る事を
教えた。
はじめ陳に都をおき、のちに曲阜へ移った。
王位について百二十年で崩じ、長沙に埋葬された。
神農氏はもともと烈山(今の湖北省)からおこった。
神農氏は奔水氏の娘聴○を妃とし、帝傀魁を産んだ、以後
帝魁→帝承→帝直→帝氂→帝哀→帝克→帝楡罔の八代
五百三十年の王朝が続いた後、軒轅氏(黄帝)が興った。
炎帝と黄帝はそれぞれ世界の半分を支配していたが、全主権を求めて
争いが起こった。炎帝は火の武器、黄帝は水の武器を使ったが、炎帝は黄帝に敗れたという。
神農氏の子孫として姜姓の各諸侯の名をあげている
州
甫
甘
許
戯
露
斉
紀 中国平陽郡発祥
怡
向
呂
甫侯は周王朝の宰相となり、斉候・許候は春秋時代まで有力な諸候として生き残った
※中国の紀氏(炎帝神農氏姜姓血脈)の子孫
http://home.educities.edu.tw/ji293116/spread.htm
・紀姓人口約30万人、台湾:約3万5千人
・福建省
・廣東省 中国地図(ピンク色が紀氏のいる省)
・江西省
・浙江省
・江蘇省
・山東省
・河北省
・湖南省
・雲南省
・寧夏省
・河南省
・台湾省
※詩僧万里によると太田道灌は神農(ジンノウ)氏の薬方等を学んだと
*日本の合戦 人物往来社
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神武天皇 1代目 紀元前ー585年から76年間
綏靖天皇 2代目 紀元前ー549年から33年間
安寧天皇 3代目 紀元前ー511年から38年間
懿徳天皇 4代目 紀元前ー477年から34年間
孝昭天皇 5代目 紀元前ー393年から83年間
孝安天皇 6代目 紀元前ー291年から102年間
孝霊天皇 7代目 紀元前ー215年から76年間
孝元天皇 8代目 紀元前ー158年から57年間
開化天皇 9代目 紀元前ー98年から60年間
崇神天皇 10代目 紀元前ー30年から68年間
垂仁天皇 11代目 70から99年間
景行天皇 12代目 130から60年間
成務天皇 13代目 190から60年間
仲哀天皇 14代目 200から9年間
紀(紀伊)国造家=日前国縣両宮神職家
神皇産霊尊ー天道根尊(紀=紀伊)国造・・・・・・
宇遲比子命(莵道彦)→ 山下影日売
‖――― 武内宿禰
屋主忍男武雄心命
国造の系図は以降で省略
・紀豊布流(紀直=紀君)10代国造
・楢原久等身(滋野宿禰祖)
・広嶋国造
・紀豊成(紀宿禰姓)国造
・槻雄国造は坂田村浄土寺を建立
・奉世国造の娘(男子が無い為)
‖―――行儀(以降、紀朝臣と同一の系に)
文煥(紀長谷雄→紀淑光の子)978-983
・義孝国造は1035頃美濃国へ移る、号:美濃国造
紀朝臣系図
加茂氏(高鴨神社の祭神味耜高彦根神)の母も沖ノ島の娘
和氣姫は北九州玄海灘に浮かぶ沖ノ島の海童の娘
┌伊豆・・・・・・・・・・・・・・┐三艘の船に乗せれ
和氣姫 ├吉備・・・・・・・・・・・・・・┤ 海に流される
‖──└伊予国和氣郡(越智氏のルーツ)・┘
┌弟 彦狭島命
└孝元天皇ー彦太忍信命ー屋主忍男命ー武雄心命
‖
‖──武内宿禰(神功皇后の側近として有名)
‖
紀国造の祖(紀直)菟道彦の娘 影媛(山下影日売)
┌ 波多八代宿禰(波多臣、林臣、波美臣、星川臣、長谷部君の祖)
├ 許勢小柄宿禰(許勢臣、雀部臣、軽部臣)
├ 蘇我石川宿禰(蘇我臣、川辺臣、田中臣、高向臣、小治田臣、桜井臣、岸田臣)
─├ 平群都久(木莵)宿禰(平群臣、佐和良臣)
├ 木(紀)角宿禰(母:紀氏宇乃媛)(木臣、都奴臣、坂本臣)
├ 久米之麻伊刀比売
├ 怒能伊呂比売
├ 葛城長江曾都田比古=葛城襲津彦?(玉手臣、的臣、生江臣、阿芸那臣)
└ 若子宿禰(江野財臣) ※古事記孝元巻
紀角宿禰(キノツノノスクネ):応神、仁徳朝に対朝鮮外交で活躍した紀氏同族の祖。
実在したかは未詳。応神三年、百済に辰斯王が立ち、倭国に礼を失したので、
羽田矢代宿禰、石川宿禰、木莵宿禰らとともに遣わされて、無礼の状を責めて
殺し、阿花王を立てて帰国した。仁徳41年3月にも百済へ遣わされ、初めて
国郡の境を分け、郷土の産物を記録した。この時、百済王の同族酒君の無礼を責め
ると、百済王はかしこまり、鉄鎖で酒君を縛し、葛城襲津彦に付して日本に送った
という。
紀氏の家牒によれば大倭国平群郡県紀里、後の大和国平群郡郷の地、すなわち
「延喜式」神名帳に見える。平群坐紀氏神社の鎮座地(奈良県生駒郡町上庄)
の紀なる地名に由来するとみるべきであろう。
※新選姓氏禄の研究 考証編第一 吉川弘文館
紀氏一族の根拠地:
・越智氏と紀氏が同族であると立証
「紀氏に関する一試考」日本古代政治史研究 岸俊男著
・北九州→大三島→瀬戸内海→紀の川→吉野川→葛城山→吉野
と一本の鎖となる
中国南部、東は伊勢湾、伊豆半島を経て東日本まで届きそう
・紀氏は瀬戸内海各地に分布していた。これが越智氏の勢力圏と重なる。
吉野に海人の痕跡が散らばる謎はこれで一気に解けた、
・網野氏は紀氏の方が越智氏に影響を与えたと説く、
加茂氏→紀氏→越智氏も一本のくさりで繋がる、この三氏は同族である
・東大寺の手向山八幡神社に紀氏の系図を所蔵していが、そこには
「伊予国河野系図」が記されてた。これは二氏が同族であることを
証明している、他人の系図を自分の系図に添えることはあるまい。
・・・4世紀頃、大和朝廷が日本の大部分を統一する。・・・
応神天皇 応神年代 15代目
・大和朝廷の全国統一を達成
・・・応神3年 武内宿禰の子 紀角宿禰(紀朝臣の祖)は百済に赴き度々百済の無礼を
責めた。
・・・応神9年 武内宿禰 賜紀姓 号:紀大臣六代帝大臣
・・・391年 大和朝廷の支配浸透し、日本軍出兵、百済、新羅を服属(好太王碑)
※日本史年表 吉川弘文館
紀氏一門は船材を提供し、水軍の拠点として活躍した。
※和歌山県史 山川出版
・・・487年 紀生磐 任那に叛す ※日本史年表 吉川弘文館
・・・000年 紀米多臣 周芳国より讃岐国に遷り、その後佐婆部首となった。
紀朝臣牛養の祖先。
仁徳天皇 16代目 399年から6年間
履中天皇 17代目 405年から6年間
反正天皇 18代目 410年から5年間
允恭天皇 19代目 453年から42年間
安安天皇 20代目 456年から3年間
雄略天皇 21代目 439年から23年間
・・・000年 紀小弓宿禰 新羅征討将軍
・・・468-3 紀崗前 來目連 紀小弓 大伴談等の往新羅軍に従い、力闘して戦死
したと言う ※書記
・・・000年 紀大磐宿禰 紀小弓宿禰の子 父の死後、自ら新羅に赴いて兵馬船官を執った
百済王の反撃にあい、任那より帰ったという。
清寧天皇 22代目 484年から5年間
顕宗天皇 23代目 487年から3年間
仁賢天皇 24代目 498年から11年間
武烈天皇 25代目 506年から8年間
継体天皇 507-531年 26代目 531年から25年間
安閑天皇 531-535年 27代目 535年から2年間
宣化天皇 535-539年 28代目 539年から4年間
欽明天皇 539-571年 29代目
・552 崇仏論争(蘇我稲目と物部尾興)
・562 任那日本府の滅亡
・・・541-7 紀臣弥麻沙 日系韓人 父:紀臣 母:韓婦 百済に留まり、百済の官位
16品の第6位に
・000 百済は弥麻沙を安羅に遣わし任那の執事を召して任那を建てることを
謀らしめた。
・542-7 来朝し、任那の政を奉して上表し、543-4に帰国した
・・・562-7 紀男麻呂宿禰 新羅を責める大将軍
(562 任那日本政府 新羅に滅ぼされる)
・587-7 物部守屋往討軍に加わる
・591-11 任那を再興のために大将軍に任命される
・592 筑紫に出陣したが崇峻が馬子に殺されると任那再興の議は中止となる
・595-7 筑紫から帰京
敏達天皇 572-585年 30代目
・物部氏の滅亡
・・・583-7 紀国造押勝 火茸北国造阿利斯登の子日羅を迎えるために百済に派遣
されたが実現せず。
・・・587-7 紀男麻呂宿禰 物部弓削、守屋大連の往討軍に加わる
・591-11 紀男麻呂宿禰 任那再興の大将軍に
・592 紀男麻呂宿禰 任那再興中止
・595-7 紀男麻呂宿禰 筑紫から帰国
用明天皇 585-587年 31代目・・・・聖徳太子
崇峻天皇 587-592年 32代目
、、、591-11 紀男麻呂宿禰 任那再興の大将軍に
、、、592 紀男麻呂宿禰 任那再興中止
推古天皇 592-628年 33代目 女性
・593 聖徳太子の新政
・593 難波四天王寺創建
・594 仏教興隆の詔
・602 百済僧 観勒 臨本を献す
・603 冠位十二階の制定
・604 十七条憲法の制定
・607 法隆寺創建
・607 遺隋使の派遣(小野妹子)
、、、595-7 紀男麻呂宿禰 筑紫から帰国
・・・628-9 紀臣塩手 宮人 山背大兄を推した
舒明天皇 629-641年 34代目
・642 百済大寺(大安寺)造営
・643 浄土寺金堂
皇極天皇 642-645年 35代目 女性
孝徳天皇(645-654) 36代目
斎明天皇 655-661年 37代目 女性 重祚
天智天皇 661-671年 38代目
・大化改新の断行(蘇我氏が滅ぶ)
・・・645-8 紀臣麻利耆 官人 東国の国司 毛野国慈に派遣されたグループの長官
・646-3 罪を犯したが他の国司とともに罪を許された
・650-2 中庭から殿の前まで白雉の輿を執って進んだ
・・・668-9 紀大人臣 藤原鎌足を山階寺に葬った時、使いとして送終の辞をのべた
・669-11 天智天皇重態の時、大友皇子を随い蘇我赤兄、中臣金連、
蘇我果安臣、巨勢人臣と心を同じく、天皇の詔を奉
ずることを誓った
・669-11 初の大納言(この時、宿禰の為、朝臣を改める)
・671-1 御史太夫に任じられた(後の大納言)
・683-6-2 紀朝臣大人(御史太夫) 正三位を贈られる 歿
弘文天皇 671-672年 39代目
・・・671-1 紀臣大音 任申の乱に吉野軍に属し、大和、河内の界燿坂の道を守った
天武天皇 672-686年 40代目
・673 百済大寺を高市に移して再建し大官大寺と改める
・675 占星台設置
・684 八色の姓の制定
・686 近江三井寺園城寺創建
・・・672-7 紀臣阿閇麿 壬申の功臣 東道将軍
・673 伊賀国へ
・673-12 造高市大寺司を任じられる
・674-2 大紫位 天武天皇は紀臣阿閇麿が卒した時、大いに悲しみ大紫位
を贈った
・・・676-4 紀臣阿佐麻呂 美濃国司 その子を東国に住まわせ百姓にせよと命じた
・719-5 無位 朝臣姓を賜る
・・・679-2-3 紀臣堅麻呂(詞多麻呂)壬申の乱の功臣、 死後、大錦上を贈られる
、、、683-6-2 紀朝臣大人 大納言 後に正三位を贈られる 歿
・・・684-11 紀氏 朝臣の姓を賜る ※新選姓氏録の研究 考証編第一 吉川弘文館
・・・686-9 紀朝臣弓張 直広肆 天武天皇が崩じた時、殯庭に民官の事をしのびごと
をした
・時に直広肆
・692-3 持統天皇 伊勢行幸の時、留守官
持統天皇 690ー697年 41代目 女性
、、、692-3 紀朝臣弓張 持統天皇 伊勢行幸の時、留守官
・・・693-6 紀朝臣麻呂 直広肆 中務郷
・701-3-21 授位 大納言 正従三位 ※続日本紀1
・705-7-19 正従三位 大納言 歿
文武天皇が深く悼惜し特に葬儀を賜り、宣命した
・「懐風藻」に五言詩「春日応詔」一首を載せ 年47歳とある
・紀大人の子、宇美、男人らの父
文武天皇 697-707年 42代目
・和同開珎の鋳造
・古事記の撰上
文武天皇
‖
紀朝臣竈門娘 嬪
・・・697-8 紀朝臣竈門娘 文武天皇の嬪
・713-11-15 嬪号を除かれる(藤原不比等が首皇子=聖武天皇を擁立する
為との説がある)
・・・701 紀大臣道成 日高郡に道成寺を創建
・・・参考 701以降 柿本人麻呂歌集 万葉歌人 和歌大辞典
、、、701-3-21 紀朝臣麻呂 授位 大納言 正従三位
・・・702 紀朝臣宮麿 美濃少豫 同国戸籍帳に署している
、、、705-7-19 紀朝臣麻呂 正従三位 大納言 46歳歿(659-705)
・父:紀大人臣
・・・705-7-19 紀朝臣古麻呂 正五位上 騎兵大将軍 式部大輔 新羅使い
・紀大人の子、紀飯麻呂の父
・705-10-30 渡来した新羅貢調使いを迎える
・705-11-13 正5位上 騎兵大将軍に任じられる
・705 式部大輔 59歳歿(646-705)
・「懐風藻」に7言詩「望雲」、5言詩「秋宴」の2首あり
・・・705-12-27 紀朝臣男人(雄人) 従六位下→従五位下
・708-10-13 御竈を造る司
・712-1-19 従五位上
・717-1-4 正5位下
・718-1-5 正五位上 少納言
・721-1-23 首皇子の宮に伺候した
・723-1-10 従四位下
・730 太宰大弐
・731-1-27 従四位上
・736-1-21 正四位下
・737 正四位下 右大弁
・738-11-30 太宰大弐 56歳歿(682-738)
・「懐風藻」三首あり 万葉歌人
元明天皇 707-715年 43代目 女性
・・・707-2-25 紀朝臣諸人 従五位下
・709 大炊介、内蔵頭
・709-3-5 蝦夷副将軍
・709-8-25 入朝
・711-9-4 平城宮の造営の将軍
・779-10-13 従一位が贈られた 天長節に外祖父とみえる
・785-5-3 正一位太政大臣 外曾祖として追贈した
・娘 橡姫は光仁天皇の母
、、、708-10-13 紀朝臣男人 御竈を造る司に
、、、709 紀朝臣諸人 大炊介、内蔵頭
・・・709 紀朝臣必登 蝦夷討伐
・720 隼人征討への従軍
・736-1-21 外従五位
・737-12-13 伊予介で正税帳使となって上京
・740-3 遺新羅使の大使
・740-10-15 遺新羅使 平城京に帰還した
・744-4-22 勲12等を帯びる
・746 内位
・・・709 紀朝臣橡姫(懐姫)光仁天皇を生む
・771-1-15 皇太后と追尊され墓は山陵と称し、忌日は国忌として式に
のっとって斉を設けた
紀朝臣宮子 従三位
施基皇子(天智天皇の皇子) ‖
‖ ┌ 白壁王(光仁天皇)→桓武天皇
‖─────────────│
‖ └ 難波内親王 2品 774歿
紀朝臣橡姫(紀朝臣諸人の娘)
、、、709-3-5 紀朝臣諸人 蝦夷副将軍
、、、709-8-25 紀朝臣諸人 入朝
・・・710頃 紀沙弥の娘
‖──高仁・・・・・済玄(1050頃)
藤原貞嗣(父:南家 藤原巨勢麿)
、、、711-9-4 紀朝臣諸人 平城宮の造営の将軍
、、、712-1-19 紀朝臣男人 従五位上
・・・712-9-3 紀朝臣音那 大伴御行 従二位の室 夫の死後、貞節を守ったと天皇
より食封50戸を賜る
、、、713-11-5 紀朝臣竈門娘 嬪の号を称することを禁じられた
・・・714-2-10 紀朝臣清人 従六位下→従六位上 天皇は国史を撰修させた 帝記、
日本記30巻 系図等の国史編纂に携わ
・715-1-10 従五位下
・715-7-10 穀百斛(石)を賜る
・717-7-23 学士として優遇される
・720「日本書記」として完成
・721-1-23 首皇子の宮に伺候した
・721-1-27 施15匹、絹糸15絢、麻布30端、鍬20口を与えられた
・723-10-10 従五位上
・732-10-17 右京亮 文章に優れた人として報償された
・741-7-3 治部大輔兼文学博士
・743-5-5 正五位下
・744-7-6 従五位下記朝臣国益は父で、清人に奴婢が与えられたが
ことごとく良民とした
・744-11-21 従四位下
・746 武蔵守
・753-7 従四位下 散位
・万葉集に作歌(17-3923)
、、、715-1-10 紀朝臣清人 従五位下
元正天皇 715-724年 44代目 女性
・718 薬師寺を奈良に移す
・720 日本書記の撰上
、、、715-7-10 紀朝臣清人 穀百斛(石)を賜る
、、、717-1-4 紀朝臣男人 正五位下
、、、717-7-23 紀朝臣清人 学士として優遇される
・・・717-7-24 紀伴人 安房国郡司 平群郡八幡 八幡社 宇佐八幡を勧誘する
・・・717-724 紀少鹿女郎 万葉歌人 安貴王の妻、のち離別する
・父:紀朝臣鹿人
・万葉集(4-535)「怨恨の歌」(4-643〜645)(4-762、763、776
8-1460、1461)
・740-745 梅の歌(8-1452、1648、1661)贈歌(4-782)
、、、718-1-5 紀朝臣男人 正5位上 少納言
、、、718-1-5 紀朝臣男人 正五位上 少納言
・・・719 紀臣阿佐麻呂 無位 朝臣姓を賜る
・・・719-5-15 紀朝臣龍麻呂(麻路) 賜る姓朝臣 無位
・732 正三位 大納言 中務郷
・・・719-7-28 紀朝臣廣前ヒロサキ 賜る姓朝臣
、、、720 紀朝臣清人「日本書紀」として完成
、、、720 紀朝臣必登 隼人征討への従軍
・・・720-1-11 紀朝臣麻路 従五位下 紀広名の父
・721-6-26 式部少輔
・734-1-17 従五位上
・740-1-13 正五位下
・740-10-23 伊勢の国の行幸の護衛の騎兵大将軍に任じた
・740-11-21 正五位上
・741-7-23 式部大輔
・742-8-28 従四位下
・743-5-5 参議
・745-5-5 甲賀宮(紫香樂宮)の留守官に任じた
・746-3-5 民部郷
・746-4-5 南海道の鎮撫使を兼任させた
・746-4-12 従四位上
・746-8-25 右衛士督を兼ねさせた
・748-2-19 正四位上
・748-4-22 元正天皇崩御 喪儀の装束を整える司に任じられた
・749-4-5 天皇の使いで伊勢大神に幣○ミテグラを奉納した
・749-7-2 従三位 中納言
・749-8-10 兼式部郷
・752-9-7 兼太宰師
・757 歿
、、、721-1-23 紀朝臣清人 首皇子の宮に伺候した
、、、721-1-23 紀朝臣男人 首皇子の宮に伺候した
、、、721-1-27 紀朝臣清人 施15匹、絹糸15絢、麻布30端、鍬20口を与えられた
、、、721-6-26 紀朝臣麻路 式部少輔
・・・721-6-26 紀朝臣国益 従五位下 大判事(刑部省) 清人の父
聖武天皇 724-749年 45代目
・726 興福寺東金堂
・727 大和 長谷寺造営
・741 国分寺建立─┌金光明王四天王護国之寺(東大寺が総元)
└法華滅罪之寺(尼寺)−法華寺が総元
・742 大官大寺を再建(大安寺式)
・743 大仏造営の詔
・744 道茲 大安寺造営 70歳余
・745 大官大寺を大安寺と改称
・・・723 右京計帳に紀朝臣萬女
・・・723-1-10 紀猪養 正六位上→従五位下
、、、723-1-10 紀朝臣男人 従四位下
、、、723-10-10 紀朝臣清人 従五位上
・・・723-10-11 紀朝臣家 左京の人 無位が白い亀を献した、長さ1寸半、幅1寸
両眼とも赤かった、
・723-10-23 従六位上を授く
、、、723-10-23 紀朝臣家 従六位上 左京人
・・・724-2-22 紀朝臣和比等 正六位上から従五位下
・・・724-10-16 紀直摩祖 任官 国造りに任じ外従八位上から三階昇進させた、
勲六等、田を二町賜った
・・・725-1-22 紀朝臣牟良自ムラジ 少初位
・陸奥国の蝦夷の反乱で軍功で勲六等と田2町を受けた
・737 従七位上 下判官
・738-1 持節大使 宮城県/秋田県への直路開拓事業に従事した
・・・726-1-21 紀朝臣宇美 正6位上→従5位下
・738-5 右少弁 伊勢神寳使となる
・738-7-7 右中弁
・739-1-13 従五位上
・745-1 正5位下
・745-9-4 讃岐守
・747-1-20 正5位上 兵部大輔 左兵衛督
・749 従4位下
・753-10-5 従四位下 散位 歿
・麻呂の子 広純の父
・・・728-5-21 紀朝臣雑物(佐比物)正六位下→外従五位下(伊保、益女の父)右衛士佐
・729-2-10 天皇は長屋王の邸宅を包囲させた
、、、729-2-10 紀朝臣雑物 天皇は長屋王の邸宅を包囲させた
オモノマロ
・・・729-3-4 紀朝臣飯麻呂 正六位上→外従五位下 大人の孫 古麻呂の長子
・729-8-5 従五位下 左大弁
・733-3 従五位上 左大弁
・740-9-3 副将軍に任じ藤原広嗣等を討たせた
・741-3 従四位下
・741-7-3 右大弁
・742-1-5 大宰府の廃止に派遣された。廃止した府の官物を筑前国司
に付託した
・742-2-5 天皇の新京が完成していない為、森羅の使節金欽英等を
供応させ、そこから帰らせた
・742-8-27 恭仁京の留守官に任じられた
・742-12-29 恭仁京の留守官に任じられた
・743-4-3 恭仁京の留守官に任じられた
・744-1-13 安積親王の葬儀を監督、護衛させた
・744-4 従四位下 右大弁 弘福寺長官
・744-9-15 畿内の巡察使の任に
・745-5-7 平城宮を掃き清める僧呂や村人達が争うように集まって来た
・746-8-20 常陸守
・748-4-22 元正天皇の山陵を造る司に任じた
・749-2-27 大倭守ヤマトノカミ
・749-7-2 従四位上
・751-10 左大弁
・753 伊勢神宮の界を限り標を樹る役に使わされる
・753-9-28 太宰大弐
・754-3-17 大蔵郷
・754-9-4/757-6-16 右京太夫
・754-11 西海道の巡察使いに
・756-12-30 薬師寺に遣わし梵綱経ボンモンキョウを講じさせた
・757-1-6 聖武天皇之葬儀で監督、護衛した
・757-7-9 右大弁
・757-8-4 正四位下 参議
・758-8 紫微大弼兼左大弁
・759-6 正四位上 参議
・759-11 義部郷、河内守
・760-1-16 美作守
・762-1-4 従三位 散位
・762-7 72歳歿(690-762)
・娘
‖──藤原良縄
藤原大津(北家 藤原内麻呂の子)
・・・729-3-27 紀直豊嶋 任官 紀伊国の国造りに任じた
、、、729-8-5 紀朝臣飯麻呂 従五位下 左大弁
、、、730 紀朝臣男人 太宰大弐
・・・730頃 紀朝臣末茂 従7位下 判事 31歳 漢詩を詠む
・・・731 紀建日臣 紀角宿禰の男 紀白城の三世の孫、坂本朝臣の祖となった
・・・731-1-14 紀朝臣多麻呂(田麻呂?) 外従五位下
・731-5-14 上総守に
、、、731-1-27 紀朝臣男人 従四位上
、、、732 紀朝臣龍麻呂(麻路)正三位 大納言 中務郷
・・・732-8 紀朝臣馬主 正六位上で入唐 判官
・733-4-3 遺唐使(判官)難波を発し入唐したが途に没した
・人数:594人
・船数:4船
・航路:南島路
・随伴者:玄オ・吉備真備・他
・736-11-3 従五位下追贈される
・836-5-10 従五位上が贈られた(中国で没した者、八人の一人)
幽魂を慰める為の位記
、、、732-10-17 紀朝臣清人 右京亮 文章に優れた人として報償された
・・・733 紀朝臣禹女 右京計帳に
・・・733-3 紀朝臣虫女 無位から従五位下
、、、733-3 紀朝臣飯麻呂 従五位上 左大弁
、、、733-4 紀朝臣馬主 難波を発し入唐したが途に没した
、、、734-1-17 紀朝臣麻路 従五位上
、、、736-1-21 紀朝臣男人 正四位下
、、、736-1-21 紀朝臣必登 外従五位
、、、736-11-3 紀朝臣馬主 従五位下追贈される
、、、737 紀朝臣男人 正四位下 右大弁
、、、737 紀朝臣牟良自(ムラジ)従七位上 下判官
・・・737-4 紀朝臣伊保(五百)従六位下
・738-7-7 右中弁
・739-1-13 正六位上
・740-6 山背掾
・742-4 大和掾 弘福寺田数帳に国判を加えた
・751-5 相模守
・751-7-7 従五位下
・754-7-13 大炊頭
・758-8 従五位上
・764-1 正五位下 民部大輔 高野新笠にさからい位階を剥奪される
・771-10-17 無位から元の位階に復す
・・・737-9-28 紀朝臣鹿人 正6位上 主殿頭
・737-12-13 典鋳正
・740-11-21 外従位上
・741-8-9 大炊頭
・万葉歌人 万葉集(6-989-990)
・大友旅人との深い交流が伺える
・安貴王の妻、紀少鹿女郎の父
、、、737-12-13 紀朝臣必登 伊予介で正税帳使いとなって上京
、、、738-1 紀朝臣牟良自 特節大使 宮城県・秋田県への真路開拓事業に従事した
、、、738-5 紀朝臣宇美 右少弁、伊勢神宝使いとなる
、、、738-7-7 紀朝臣宇美 右中弁
、、、738-7-7 紀朝臣伊保(五百)右中弁
、、、738-11-30 紀朝臣男人 太宰大弐 56歳歿(682-738)
・・・739 紀女王 従五位下→従三位 伝未詳 ※続紀
・・・739 紀虫万呂 経師 四写経司に服士する
・・・739-1-13 紀朝臣豊川 外従五位下 官人 万葉集に歌一首が見える
、、、739-1-13 紀朝臣宇美 従五位上
、、、739-1-13 紀朝臣伊保(五百)正六位上
・・・739-1-13 紀朝臣意美奈(オミナ)従五位下
・・・739-2 紀少鯖万呂 校生 写経司校生として初見
・743-12 写一切経所より玄オ僧正への返経使 写官経所に属した
・744-6 写経所より単衣を与えられる
・744-10 写経所の白端畳受使となり
・744-12 得考舎人
・746-12 校生
・・・000 紀朝臣猿取 従五位上
・・・740-745 紀少鹿女郎 万葉歌人 梅の歌、贈歌
・・・740-1-13 紀朝臣可比佐 授位
・746-4-22 外従五位下
・746-8-20 従五位下 大蔵少輔
、、、740-1-13 紀朝臣麻路 正五位下
、、、740-3 紀必登 遺新羅使の大使
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