紀氏の歴史の軌道D
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嵯峨天皇 809-823年 52代目
・810 蔵人所の設置(機密保持の目的で設ける)
・810-823 空海 東寺にて八幡三所御神体の木造を刻む
・814 皇族に源姓を授ける、嵯峨源氏の始まり
・814 新撰姓氏録を完成
・815 藤原北家の台頭と他氏の排斥が始まる
・823 空海 東寺(教王護国寺)を授かる
嵯峨天皇
‖
‖→源更姫 従四位上 ※皇室系図
妃 ‖
紀朝臣氏の娘
、、、809 紀朝臣広浜 参議 畿内観察使 兼右大弁
、、、810 紀朝臣咋麻呂 従五位上
・・・810-1-7 紀朝臣興須賀 正六位上
・・・810-7-7 紀朝臣継勝 正六位上
、、、810-8-15 紀朝臣広浜 従四位下 右大弁
、、、810-8-20 紀朝臣田上 正五位下→従四位下 尾張守から佐渡権守に左遷
・薬子の変の際、平城天皇に従う
、、、810-8-23 紀朝臣広浜 従四位下 参議 兼大学頭
・・・810-9 紀朝臣末成 正六位上
・810-9-10 従五位下
・823 越前に移る(子孫:東大寺八幡神司)
・824-6-28 従四位下 越前守
・825-12-4 従四位上 越前守 歿
・空海と親交があった
、、、810-9-10 紀朝臣田上 従四位下 造宮使
、、、810-9-10 紀朝臣百継 従五位下 右近衛少尉→右近衛中将、右衛門督
・空海と親交があった
・・・810-9-11 紀朝臣清成 左近衛将監
・・・810-9-11 紀朝臣清蔵
・・・810-9-15 紀朝臣良門 任官
、、、810-9-17 紀朝臣南麿(南麻呂) 民部少輔
・・・810-9-25 紀朝臣是継 従五位上
、、、810-9-25 紀朝臣岡継 授位
・・・810-11-22 紀朝臣網麿(網麻呂) 正5位下
・840ー4-5 下野国権掾
、、、811 紀朝臣和気麻呂(麿) 従五位下 主計寮頭
、、、811 紀朝臣広浜 兼 右兵衛督
・・・811 真済僧正 800年生まれ 武内宿禰20世の孫 左京人 紀氏
・父:御園 彈正大弼 祖:田長
・伊豆桂谷寺に行く(空海と大安寺の幹寺に同行して)
下野の補陀洛山に登り、四本龍寺に寓し、山名を日光山と号す
・824 受傳法灌頂 国史伝 真済少年にして出家、外伝にも通暁していた
従大僧都空海受真言教、学大乗道兼通内、空海は両部大法を授けて
伝阿闇梨とした、時に真済25歳で人々は感嘆した、入當護山
高尾峯 不出12年 嵯峨天皇憫其苦行
・831-11-15 宮中真言院を監す
・832 空海が高野山に隠棲した時、高雄山を付嘱された
・835 真済は空海の詩文集「性霊集」を編纂、文才に長けていたことが
判る。
・835-3-21 空海高野山にて入定 62歳、 遺体の御輿を担ぐ
高弟:実恵、真雅、真如、真済、真紹、真然
・836-6-20 朝命により唐使藤原常嗣、小野篁等と遺使渡海したが、
船舶破裂して乗人40余人の内、真済と真然と船頭のみが
筏で海上23日漂い助かる。帰郷して高雄に住す
・840-1-6 内供奉十禅師
・840 實相寺を山城葛野郡に建立(紀家集)
・紀納言(紀長谷雄)等一類この寺也、紀氏の「香華院」または
「香火院」として
・840-12-5 神護寺別当 真済僧正の像あり(重文)
・840-12 若狭国「西津荘」=神護寺領に「松永名」あり
・841-11-9 東寺権律師 ニの長者初 元内供
・843-11-27 東大寺 伝燈大法師
・846-4 東寺が傳法会を開いて綜芸種智院(空海が開いた学校)を
枯却して丹波国「大山荘」を買得した。この件は真済が担当した
・847-4-23 東寺正律師 東寺一の長者
・847-11-9 東寺 48歳 寺務を司とる、文徳天皇の徳寵による
・850-1-9 律師 伝燈大法師位 ※僧霊鎮位記、園城寺文書
・853-7ー17 東寺 長者律師 任少僧都
・854-3-21 東寺 少僧都 密徒之始也
・854-6-7 紀真貞 紀伊国在田郡司 宿禰姓
・在田郡の一部、新田等を真済に売却している。
・父:従6位 千本
・854-857 表請 高尾神護寺の五重塔を建立、春秋のニ季、以鎮護国家
のため虚空十輪塔経を転讀し永式とし、ここに至りて年度を
置けり、五大虚空蔵菩薩を安置し、僧七口を置く
・855-3-21 東寺少僧都 密教之始也
・855-10-29 長者少僧都→権大僧都、 権大僧都初也
・856 在田郡吉備郷 真済大徳売得田券「・・南は紀臣波白の地にあり
西は紀朝臣倉地に至る」 云々
・856-10-18 東寺長者大僧都 僧正 57歳 真言宗初也
・857-10-17 朝廷に上表して空海に僧正の官を追贈されるべく願い出た
・ 857-10-27 天皇は感激して空海に大僧正の官を追贈された
・858又は855 大和国葛下郡柿本邑に影現寺に人麿堂を建立、隠居所として
・858-8 文徳天皇病に 真済冷然院に侍りて看病したが薨去、失志して隠居
・859 真済僧正は辺地済度のために奥州に行く
・806-809 法相宗の高僧徳一の置賜の布教の地を目指す?
・856-1-12 紀朝臣永直(叔父)が陸奥国司に赴任しているから?
・859 山形県東置賜郡川西大字上小松2948に
松光山大光院を開山 新義真言宗
・860ー2-25 俗姓紀朝臣 僧正伝燈大法師真済 61才 入寂(800-860)
僧にして姓を蒙らしめて呼びしは柿本僧正真済なり
※堅尻33
・860-2-25 真済僧正の墓地
・山形県置賜郡 松光山大光院にあり、
・毎年命日(2月25日)に法要が行われている
・現在は紀伊の総本山根来寺の末寺となっている
、、、811-4-24 紀朝臣梶継(楫継、梶嗣) 玄蕃頭
・・・811-5-14 紀朝臣岡継 右京職亮
、、、811-6 紀朝臣和気麻呂(麿) 従五位下 安房守
、、、811-6 紀朝臣百継 従五位上
、、、811-6 紀朝臣浜広 任官
・・・811-12-15 紀宿禰嗣宗(賜る姓:吉原宿禰)
・・・811-12-15 紀直祖刀自賈
、、、812-1-7 紀朝臣広浜「日本書紀」の講書に参加 授位
、、、812-1-7 紀朝臣浜広 授位
、、、812-1-7 紀朝臣百継 正5位上
、、、812-2-10 紀朝臣和気麻呂(麿) 任官
、、、812-9-27 紀朝臣咋麻呂 肥後守
・・・813 紀朝臣椿守 従5位上 春宮 典薬助 大内記、上総介、安房守、
・能書家 紀白満の長子
・838-1-7 従5位下→従5位上
・851-1-11 越中国権守
・853-3-28 越中国権守
・855-3-28 78歳歿 (776-855)
・・・813-1-5 紀朝臣善峯 従7位上
・823 正5位下
・828 従4位下 美濃守
・835-1-7 従4位上
・子:秋峯 従6位 寛平御時
・・・813-1-7 紀朝臣興道 従7位下→正六位上
・813-1-25 任官
・815-3-13 任官
・827 正五位下 (〜834)
・832 従4位下
・834-6-21 歿
、、、813-2-21 紀朝臣咋麻呂 刑部大輔
、、、813-8-3 紀朝臣貞成 左京職亮
・・・813-10-25 法能明故自他兼済五眼常鑒津渉溺子
※遍照発揮性霊集六所収
・834-4-15 授金剛宝戒 ※北白川家所蔵文書
、、、814 紀朝臣和気麻呂(麿)従四位下
、、、814-1-7 紀朝臣南麿(南麻呂)正五位下 民部少輔
、、、814-7 紀朝臣長田麿 宮内大輔
、、、814-7-26 紀朝臣咋麻呂 従四位下 左京太夫
、、、814-11-11 紀朝臣国雄 主計頭
、、、815-1-7 紀朝臣長田麿 従五位上
、、、815-1-7 紀朝臣広浜 従四位上
・・・815-1-7 紀朝臣家長 従五位下→外正五位上
・815-6-22 任官
、、、815-1-7 紀朝臣楫継(梶継)正5位下
、、、815-1-10 紀朝臣百継 従4位下
、、、815-1-10 紀朝臣長田麿 任官
、、、815-3-13 紀朝臣興道 任官
、、、815-4 紀朝臣広浜 摂津国住吉郡の地十町を賜った
、、、815-4-2 紀朝臣継足 従五位上
、、、815-5-15 紀朝臣国雄 任官
、、、815-6-22 紀朝臣家長 任官
、、、815-7-13 紀朝臣継足 左京職亮
・・・815-9-7 紀朝臣貞成 任官
・・・816 紀朝臣虎主 正六位上
・826 従五位上
、、、816-1-14 紀朝臣咋麻呂 兵部大輔
、、、816-8-10 紀朝臣貞成 任官
・・・817 紀朝臣深江 大学に学び文章生から大学大允
正六位下 蔵人、主税助、式部少丞
・822 従五位下 左兵衛権佐、左兵衛佐、左近衛少将
・833-11-18 正五位下
・834-1-7 正五位上
・834 従四位下 刑部大輔 兵部大輔
・834-11-19 伊予守
・840 従四位上 帰京
・840-10-5 51歳歿 (790-840)
・紀朝臣田上の子
・寛大な性格でものに動ぜず行う政治に百姓は安心して従い、
皆が循使と評した
、、、817 紀朝臣継足 従五位上
、、、817 紀朝臣百継 従四位上
・・・818-5-27 紀朝臣不破萬侶 正七位上 小監物
、、、819 紀朝臣長田麿 正五位下
、、、819-7-2 紀朝臣広浜 正四位下 参議 太宰大弐 61歳 歿
・・・820 紀朝臣御依 従五位下
・824 従5位上
・826 正5位下
紀貫之
御依の娘 ‖――時文
‖―――枝良―忠久―治望―娘
藤原春津(北家 式家藤原宇合の後裔)
、、、821 明日香親王(垣武天皇の皇子) 三品
・紀船守の娘若子の子
・831-1-23 上野国太守(群馬県)
、、、821-1-7 紀百継 従四位上 越前守
、、、822 紀朝臣深江 従五位下
・・・822-11 紀朝臣名虎 外従五位下で入内
・835-1-7 従五位上
・835-2-10 授位
・838-1-7 正五位下
・839-2-18 任官
・839-4-25 任官
・841-11-23 従四位上 掃部頭、備前守、中務大輔
・842-1-11 任官
・843-1 刑部郷
・847-6-16 散位 歿
・子孫 陸奥三戸郡の豪族で慶長(1596-1615)年間まで居住、木村姓
※日本姓氏大辞書 太田亮
・紀朝臣勝長の子
・娘 種子は仁明天皇の更衣→常康親王、真子内親王の母
・娘 静子は文徳天皇の妃→惟喬親王、惟条親王の母
・娘(887頃)
‖―――藤原忠行 従5位下 若狭守
藤原有貞(南家 藤原乙麿の後裔)
紀有常の娘
・娘 ‖─秀方─国用─済成(濱成)5下 伊豆守
‖―――藤原敏行 従4位上 歌人
藤原富士雄(南家 藤原巨勢麿の後裔)
淳和天皇 823-833年 53代目
・高棟王に平姓を授け、平氏賜姓の始まり
・827 延暦寺戒壇院の完成
・828 空海が綜芸種院を創立
、、、823 紀朝臣長田麿 従四位上
、、、823 紀朝臣咋麻呂 従四位上
、、、823 紀朝臣善峯 正五位下
・・・823 紀朝臣末成 越前に移る ※遍照発揮性霊集
・・・823-1-7 紀朝臣諸継 従五位下
・・・823-11-20 紀朝臣廣總 従五位下
・・・823-11-20 紀朝臣長江 従五位下
・830 従5位上
・832 正5位下
・833 従4位下
・840-3-22 民部大輔
・840-7-22 任官
・841-1-12 大和国司
・842-1-7 従4位上
・842-9-27 従5位下 ※東大寺文書
・845-1-12 任官
・845-11-16 任官
、、、824 真済 受傅法灌頂 空海は両部大法を授けて伝阿闇梨とした
、、、824 紀朝臣御依 従五位上
、、、824 紀朝臣田上 許されて入京(嵯峨天皇の勅により) 官人
、、、824 真済 受傳法灌頂 国史伝 真済少年にして出家、外伝にも通暁していた
従大僧都空海受真言教、学大乗道兼通内、空海は両部大法を授けて
伝阿闇梨とした、時に真済25歳で人々は感嘆した、入當護山
高尾峯 不出12年 嵯峨天皇憫其苦行
、、、824-6-28 紀朝臣末成 従四位下 越前守
・・・824-10-11 近江国大国郷野地売券
・紀朝臣鷹守 正七位下 散位
・紀朝臣鷹成 正六位下 相沽散位
、、、825 紀朝臣長田麿 70歳歿(755-825)
・・・825-1-7 紀朝臣末守 従五位下
・831 従五位上
、、、825-4-13 紀朝臣田上 従四位下 散位 56歳歿(770-825)
・従七位下 猿取の孫
・贈る右大臣正二位船守の第三男也
・・・825-6 紀朝臣稲手 歿
、、、825-12-4 紀朝臣末成 従四位上 越前守 歿 ※類聚国史
・・・826 紀朝臣虎主 従5位上
、、、826 紀朝臣御依 正五位下
、、、827 紀朝臣興道 正5位下
・・・827-1-21 紀朝臣国守 外従五位下
・834-1-7 外正五位下 賜る姓朝臣
・836 外正五位下 右京人侍医(弟 魚守等も朝臣姓を賜る)
・・・827-1-21 紀朝臣野長 従五位下
・842-12-10 任官
・843-1-12 少納言
・844-1-7 従五位上
、、、828 紀朝臣善岑 従四位下 美濃守
、、、829 紀朝臣咋麻呂 従四位下
・・・829-1-7 紀朝臣並木 外正五位下
・・・830 紀朝臣長江 従五位上
・・・830-1-7 紀朝臣盛麿 従五位下
・839-10-25 任官
、、、831 紀朝臣末守 従五位上
、、、831 紀朝臣百継 正三位
、、、831-1-4 紀朝臣良門 従五位上
、、、831-1-23 明日香親王(久賀朝臣)三品 上野国太守(群馬県)歿
・父:桓武天皇、母:紀若子(紀朝臣船守の娘)
、、、831-11-15 真済僧正 宮中真言院を監する
、、、832 紀朝臣長江 正5位下
、、、832 紀朝臣興道 従四位下
、、、832 真済僧正 空海が高野山に隠棲した時、高雄山を付嘱された
施基親王 ┌光仁天皇
‖――│
紀橡姫 └葛声王
‖―――恒蔭王(聖宝)
綾子姫
右大蒋 金実利麿の娘
・・・832-2-15 恒蔭王(聖宝)香川県本島の泊浦で生まれる
・848 16歳で貞観寺の室に入る(22歳まで)
・真雅僧正に従って剃髪染衣
・名を聖宝と求道の一歩を踏み出家
・853 東大寺の戒壇 〜857
・858 27歳 貞観寺へ帰室したが、托鉢の旅に立った
・859 幼児(のちの観賢僧正)を弟子にして京に帰り、
洛西の鳴滝のほとりの草庵(のちの般若寺)に住する
・874 聖宝 醍醐寺を草創する
・869 興福寺の維摩会講師に
・875 東大寺東南院を建立
仁明天皇 833-850年 54代目
仁明天皇 869-5-14歿 896-972-9-11 76歳歿
‖ ┌常康親王 従四位──○─空也上人 歌人
‖ |雲林院に住む 詩作家
‖──────│
更衣 ‖ └真子内親王 旡品 870-12-5歿
紀種子(紀朝臣名虎の娘)
従五位上
※常康親王=雲林院親王
・851 ・洛北の幽荘に隠棲す ※菅家文草
(雲林院は大徳寺の東南にあった、元「紫野院」という
淳和天皇の離宮であった、のちに「雲林亭」と改名し、
ここに詩宴を催したこともある)
・859 親王出家 雲林院と号した
・868 共にここを遍昭に付属する
・886 雲林院を精舎とし元慶寺別院とした
、、、833 紀朝臣長江 従四位下
・・・833-1-7 紀朝臣益雄 従五位下
、、、833-1-19 紀朝臣咋麻呂 出雲守 79歳 歿
・特に才能はなく、田原(施基皇子)天皇の外戚であったから従四位
までいった
、、、833-11-18 紀朝臣百継 従二位 参議
、、、833-11-18 紀朝臣深江 正五位下
、、、834-1-7 紀朝臣深江 正五位上→従四位下 刑部大輔、兵部大輔→伊予守に転出
、、、834-1-7 紀朝臣国守(賜る姓朝臣)外正五位下
、、、834-2-13 紀朝臣若子
・・・834-4-15 兼済 授金剛宝戒 ※北白川家所蔵文書
・843-11-10 東寺伝法職位 宣付所司
・父:和氣時盛
※和氣清麿―真網―真典―時盛―兼済
、、、834-6-21 紀朝臣興道 正4位下 歿
・・・834-8-22 紀朝臣国奈須等7人(賜る姓朝臣)従七位下 紀伊国人
、、、834-11-19 紀朝臣良門 任官
、、、834-11-19 紀朝臣深江 伊予守に転出
、、、835 真済僧正 空海の詩文集「性霊集」を編纂、文才にたけていたことがわかる
・・・835-1-1 紀宿禰福吉 正六位上→外従五位下、丹波国の出身で氏姓は初め大村直、
・835-10 紀宿禰の氏姓を賜る 右近衛医師 仁明天皇の寵を受ける
・839-1-7 任官
・・・参考 835-846 漢部松長 彈正大疏 ※六国史索引 ・・・
・・・835-1-7 紀朝臣鷹守 従五位下
、、、835-1-7 紀朝臣善岑 従四位上(子:秋峯 従六位 寛平御時)
、、、835-1-7 紀朝臣名虎 従五位上
、、、835-2-10 紀朝臣名虎 授位
、、、835-2-14 平城天皇
‖―皇女叡努内親王 835-4歿
紀朝臣木津魚の娘 魚員 従五位下 更衣
・・・835-3 伊蘇志臣廣成 右京人 近江少目 従七位下→正六位上
・同姓人 麻呂 姓を紀宿禰と賜る 大和の紀宿禰
・・・835-3-8 紀朝臣継成 賜る姓朝臣
、、、835-3-21 真済僧正 空海 高野山にて入定(62歳)の時 遺体の御輿を担ぐ
・空海高弟:実恵、真済、真雅、真如、真詔、真然
、、、835-4-14 紀朝臣木津魚 従三位
、、、835-6-9 紀朝臣田村子 歿
、、、835-7-20 紀朝臣百継 参議
、、、835-10 紀宿禰福吉 紀宿禰の氏姓を賜る 右近衛医師
・仁明天皇の寵を受ける
、、、836 紀朝臣国守 外正五位下 右京人侍医
・弟 魚守等も朝臣姓を賜る
・・・836 紀朝臣春主 大安寺の僧で恵霊といった
・836-5-13 還俗して 但馬国権掾
・839−4−8 同人と思われる紀通事が見える、円仁の「入唐求法巡礼行記」
・・・836 済棟 東大寺
・856 興福寺
・859-11-1 東寺
・905 82歳入寂(823-905)
・・・000 紀宅主の娘
‖―――藤原房雄 従5位下 紀伊守
藤原達良麿(南家藤原真作の後裔)
・・・836-1-7 紀朝臣綱雄 従五位下
・842-1-7 従五位上
・848-1-13 任官
・・・836-1-8 紀朝臣清子 授位
・840-1-8 安芸守
・・・836-3-11 紀角宿禰
・・・836-3-19 紀朝臣永直 讃岐国
・839 大判事
・842-7-26 民部省少丞/伊予国権掾
・845ー8ー2 任官
・846ー7ー26 任官
・850ー1ー11 従五位下
・ 853ー1ー11 授位
・856ー1ー12 陸奥国司
・真済僧正の父御園とは兄弟
、、、836-5-10 紀朝臣馬主 従五位上 贈られた(中国で没した者に)
・・・836-5-10 紀朝臣三寅 贈位
・・・836-5-13 紀朝臣三津 武蔵国権大掾
・836-10-22
・836-12-3
、、、836-5-13 紀朝臣春主 還俗して 但馬国権掾
、、、836-5-13 紀朝臣春主 還俗して 但馬国権掾
、、、836ー6ー20 真済僧正 朝命により遺使藤原常嗣、小野篁等と渡海したが
・船舶破裂して乗人40 余人の内、真済、真然と船頭の3人のみが
筏で海上を23日漂い助かる、帰郷して高雄に住す。
・・・836-8-20 紀乙魚 女御也 従4位下
、、、836-9-19 紀朝臣百継 73歳歿 (763−836)
・・・837 紀直子生まれる、紀朝臣永直の娘?
、、、837-6-30 紀朝臣善岑 歿
、、、838-1-7 紀朝臣名虎 正五位下
、、、838ー1-7 紀朝臣椿守 従五位下→従五位上
・・・838ー11ー27 紀朝臣是子 授位
、、、839 紀朝臣永直 大判事、
・・・839ー1ー7 紀朝臣松永(松長)従五位下
・839ー1ー11〜845 若狭国国司
・846ー2ー29〜847ー2ー10 主計寮頭
・852ー2ー15 中務少輔
・852ー2ー28 丹後国司
・854ー1ー7 従五位上
、、、839-1-7 紀朝臣種子 従5位上 仁明天皇更衣
、、、839-1-7 紀宿禰福吉 任官
、、、839ー1ー11 紀朝臣松永(松長)若狭国国司
・若狭国遠敷郡 松永谷、松永川、松永保、松永荘
西松永、東松永、松永郷の名を残す
・「松永荘」は後に以下の村が出来る
西郷:遠敷村、国分村、神宮寺村、忠野村、金屋村、上根来村
中ノ畑村、下根来村
東郷:東市場村、上野村、門前村、三分一村、四分一村、
池河内村、太興寺村、平野村、野木村
・・・839ー2ー10 紀朝臣福善 造兵司正
・840ー1ー30 筑後国司
・840ー4ー6 但馬国司
・843-2-10 任官
・845-2-10 任官
、、、839-2-18 紀朝臣名虎 任官
、、、839-4-8 紀通事=紀春主が見える 円仁の「入唐求法巡礼行記」
、、、839-4-25 紀朝臣名虎 任官
・・・839ー10ー25 紀朝臣盛麿 任官
、、、840 真済僧正 實相寺を山城葛野郡に建立(紀家集)
・紀納言(紀長谷雄)等一類、この寺也 紀氏の「香華院」
または「香火院」として
、、、840ー1ー6 真済僧正 内供奉十禅師
、、、840-1-8 紀朝臣清子 安芸守
、、、840ー1ー30 紀朝臣福善 筑前国司
、、、840ー3ー22 紀朝臣長江 民部省大輔
、、、840ー4-5 紀朝臣綱麿(綱麻呂)下野国権掾
、、、840ー4ー6 紀朝臣福善 但馬国司
・・・840ー5ー5 紀朝臣乙魚 従4位下 歿 (桓武天皇の女御)
、、、840-5-5 紀朝臣乙魚 歿
、、、840-7-22 紀朝臣長江 任官
、、、840-10-5 紀朝臣深江 従四位上 帰京 51歳歿 (789-840)
、、、840ー12ー5 真済僧正 神護寺別当 真済僧正の像あり=重文
・実慧のあとを受けて
↓
・・・840-12- 若狭国「西津莊」神護寺領に「松永名」=「松長名」あり
、、、841ー1ー12 紀朝臣長江 大和国司
・・・841ー1ー13 紀朝臣諸綱 美濃国介
、、、841-11-9 真済僧正 東寺権律師 ニの長者初 元内供
、、、841-11-23 紀朝臣名虎 従四位上 掃部頭、備前守、中務大輔
、、、842-1-7 紀朝臣長江 従四位上
、、、842-1-7 紀朝臣綱雄 従五位上
、、、842-1-11 紀朝臣名虎 任官
・・・842-3-8 紀臣国守 右京人侍医 外従五位下 朝臣姓を賜る
・弟 紀臣魚守 従八位上
・・・842-3-8 紀魚守 賜る姓朝臣 従八位上 兄:右京人侍医
・・・842-7-24 紀朝臣弥清 正八位上行大目 東大寺領因幡国高庭庄
・・・000 紀朝臣河守 正六位上行 掾 ※東大寺文書
、、、842-7-26 紀朝臣永直 民部省少丞/伊予国権掾
・・・842-7-26 紀朝臣春常 任官
・000 従五位下 太宰大弐(前任 散位)
・860-1-13 従五位下 長門守 判官主典(前任 式部大丞)
・877 従五位下 美濃大掾
・・・842-7-26 紀朝臣貞継(貞嗣)正六位上
・842-8 尾張国権掾
・851-7-19 従五位下
・853-1-7 従5位下
、、、842-8 紀朝臣貞継(貞嗣) 尾張国権掾
・・・842-9-27 紀朝臣長江 従五位下 ※東大寺文書
、、、842-12-10 紀朝臣野長 任官
、、、843-1 紀朝臣名虎 刑部郷
、、、843-1-12 紀朝臣野長 少納言
、、、843-2-10 紀朝臣福善 任官
・・・843-5-27 紀朝臣岑子 尚掃
・846-5-27 従五位下
・・・843-9-16 紀朝臣廣成 賜る姓朝臣 紀伊国名草郡人」
・・・843-9-16 紀朝臣廣人 賜る姓朝臣 紀伊国名草郡人
、、、843-11-10 兼済 東寺傅法職位 宣付所司
、、、843-11-27 真済僧正 東大寺 伝燈大法師
、、、844-1-7 紀朝臣野長 従五位上
・・・844-1-7 紀朝臣筑紫麿(筑紫麻呂)従五位下
・847-2-11 大監物
・・・844-8-15 紀朝臣清継 右衛門尉大尉 賜る姓朝臣
、、、845 従5位 紀御衣の娘
‖―藤原枝良
藤原春津の八男 従4位刑部卿
・・・845-1-7 紀朝臣最弟 従五位下
・846-5-23 右衛門佐 兼信濃介
・850-4-2 因幡国権介
・852-1-15 任官
・852-2-27 歿
・・・845-1-7 紀朝臣真主 従五位下
・・・845-1-7 紀朝臣道茂 従五位下
・848-8-6 左衛門佐
・856-1-7 従五位下
・857 従五位上
・・・845-1-12 紀朝臣眞高 任官
・854-1-16 紀伊国司
・857-6 従5位上
、、、845-1-12 紀朝臣長江 任官
、、、845-2-10 紀宿禰福善 任官
・・・845-2-27 紀朝臣道成 左衛門府佐
・849-1-13 但馬国司
、、、845-8-2 紀朝臣永直 任官
、、、845-11-16 紀朝臣長江 任官
・・・846-1-7 紀朝臣今守 従五位下
・846-1-13 左京太夫 兼山城大和守
・852-2-8 任官
・853-1-7 従五位上
・853-1-16 任官
・856-11-3 正五位下
・857-1-14 美濃守
・857-4-23 近江権守
・857-11-29 従4位下 左京太夫(前任 近江権守)
・857-12-14 任官
・858-11-25 従4位下 左京太夫
・862-1-13 任官
・863-2-10 大和守(前任 左京太夫 兼 山城守)
・865-1-27 左京太夫 兼 山城守
・887-6-8 歿
・行教の三男 子孫 男山石清水八幡宮に奉仕する
・紀伊国那賀郡小畑村検知家 葛葉氏、武部氏
、、、846-2-29 紀朝臣松永(松長)主計寮頭 従五位下
↓
、、、846-4 真済僧正 東寺は傳法会を開いて綜外芸種智院(空海が開いた学校)を
枯却して丹波国「大山荘」を買得した、この件は真済が担当した
※(846-5 漢部松長「続日本後記」の論戦に小野篁、伴善男と供に名が見える
846-11-14 彈正大琉 ※伴善男、佐伯有清著 吉川弘文館)
、、、846-5-23 紀朝臣最弟 右衛門佐 兼 信濃介
、、、846-5-27 紀朝臣岑子 従五位下 尚掃補任 ※平安時代史辞典 角川書店
、、、846-7-26 紀朝臣永直 任官
・・・847-1-7 紀朝臣好雄 従五位下
・850-1-15 美濃国介
・857-6 任官
・857-9-17 任官
・867-2-11 任官
・・・847-1-7 紀朝臣全吉 従五位下
・856 従五位上
・857-1-7 従五位上
・858-8-27 従五位上 備前権守(前任 右近衛詔少将 兼主殿頭行)
・娘
‖―――伊辛 右近将監
藤原敏行 従4位上 歌人(南家 藤原真作の後裔)
・・・847-1-7 紀朝臣真丘 従五位下
・864-2-16 任官
・865-1-27 従五位下 上野介
・869-1-13 従五位下 河内守(前任:散位)
・・・847-2-11 紀朝臣筑紫麿(筑紫麻呂) 大監物
、、、847-4-23 真済僧正 東寺正律師 東寺一の長者
、、、847-6-16 紀朝臣名虎 散位 歿
、、、847-11-9 真済僧正 東寺一の長者 48歳 寺務を司る 文徳天皇の徳寵による
、、、848 紀真貞宿禰 紀伊国在田郡司、在田郡を上郡に昇格させる。
・854-6-7 その一部を真済僧正に売却する。
・・・848-1-7 紀朝臣興我業 従五位下
・848-2-14 任官
・849-2-27 武蔵国介
・856-10-21 任官
・・・848-1-7 紀朝臣全法 従五位下
・849-1-13 常陸国介
・857 従五位上
、、、848-1-13 紀朝臣綱雄 任官
、、、848-2-14 紀朝臣興我業 任官
・・・848-5-2 紀葛成墾田売券 ※平安遺文第八
・専売 紀朝臣葛成
・相売 紀朝臣宗文
・相売 紀朝臣美雄
・證人 紀朝臣乙魚
、、、848-8-6 紀朝臣道茂 左衛門佐
・・・848-12-21 紀宿禰高継 紀伊国造
、、、849-1-13 紀朝臣全法 常陸国介
、、、849-1-13 紀朝臣道成 但馬国司
、、、849-2-27 紀朝臣興我業 武蔵国介
・・・849-4-28 山城国左京六条一坊に住まいを移す
・紀朝臣生永 従七位下 越中博士
・紀朝臣核主 正六位下
・紀朝臣核継 従七位下 大和国添上郡人
・紀朝臣核吉 従七位下 太宰師安康親王家令 文学徒
・紀朝臣実等 従八位下
・・・849-12-21 紀宿禰福雄
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