紀氏の歴史の軌道E
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文徳天皇 850-858年 55代目
真済僧正の娘(?)
‖
‖──皇女済子 853 源朝臣を賜る
‖ 000 清和天皇の女御になる
‖ 923-11-17 鎮魂祭是日 皇女済子を内親王と為す
‖
‖ 宮内郷神祇伯 32歿
‖ 844-897-7-20歿┌兼覧王 正四位 歌人
文徳天皇 ┌惟喬親王───│
‖ │ =小野宮4品└三国町 古今作者 歌人
‖ │
‖ ├惟條親王4品───景式王897 従4位下 歌人
‖ │ 846-867-9-14歿
‖ │
‖───────│
‖ ├恬子内親王 伊勢斎王 859-913-6-8薨
‖ │ 在原業平と蜜通→師尚(高階氏の養子に)
更衣 ‖ │
紀静子(紀朝臣名虎の娘)├述子内親王(齋院)897-11-21薨
紀朝臣有常(歌人)は兄 └珍子内親王(無品)877-1-24薨
・・・844-1-25 惟喬親王 生まれる
・邸宅:京都市大炊御門大路の南 烏丸小路の西
(後、藤原氏に伝領される)
・858 太宰權師に任命される
・常陸太守、上野太守に
・859 15歳の時、わずかの家臣をつれて山中に幽棲する
・861-3 王宮を出て、近江(現:滋賀県神崎郡永源寺町)へ
・御生母(静子)の兄:紀有常・堀河中納言・小椋実秀卿らを隋え
江州愛知郡「小椋庄」(現滋賀県神崎郡永源寺町)の所領地
小松畑に移り御殿を建てた。この地は親王のお住みになってから
「君ケ畑」と改む。
・小松畑=君ヶ畑に「金龍寺」を建て居住とした。
・高松御所と呼んだ(大きな民家の体裁)
・惟喬親王の墓所あり、正面に皇室の紋章である菊花が
刻まれている。
・867 城州大原(京都府愛宕郡大原村)へ移りなされて、
ここにご閑居遊ばれた。
・雲ヶ畑字中畑に「高雲寺」(惟喬般若)を建立
・二ノ瀬に隠栖する。
・大森字東河内に「安楽寺」「長福寺」を建立
・872 清和天皇は封百戸を増した賜ふ。
・872-7-11 出家 法名:素覚浄念
・比叡山麓の小野郷山城国愛宕郡)の地に隠棲する
・小野宮と呼ぶのが慣わしでした。
・在原業平が小野の雪を踏んで宮を尋ねた説話は
古今和歌集で有名である
・875 摂津水無瀬宮
・歌人
・897-7-20 東河内で54歳 入寂(844-897)
・御陵墓:左京区大原上野町と北区大森東町
・親王の母方の末裔である星野市正紀茂光が紀名虎(祖父)の
蔵していた御劔を親王がご寵愛されていたので
これを御霊代として奉紀したと伝えられる
・紀茂光は「玄武神社」の神職でその子孫が明治中頃まで奉仕していた
・住所:京都市北区紫野雲林院町38(北大路通り猪熊下る)
・同親王を祀る主な神社
・惟喬神社(雲ヶ畑町出谷)、守谷神社(鞍馬町二ノ瀬)
・御霊神社(大森東町)、白山神社(多賀町大君カ畑)
・筒井神社(小椋庄蛭谷)、大皇器地祖神社(小椋庄君ヶ畑)
・・・850 紀朝臣静子 三条町と称す、洞院殿 文徳天皇の妃
・858-1-8 正五位下
・858-9-14
・866-2 歿
・その二周忌に当たり雲林院で供養した願文あり
・868 贈る従五位上
・877-4-24 贈る従四位上
・文徳天皇の第一皇子 惟喬親王=小野親王の母 他に1男3女あり
・・・850頃 紀朝臣道成の娘
‖―――佐高 大学助、伊予権守
藤原智泉 従5位下 播磨介(北家 藤原魚名→鷲取の後裔)
・・・850-1-7 紀朝臣貞守 従五位下
・850-1-15 蔵人
・851-7-8 甲斐守
、、、850-1-9 真済僧正 律師 伝燈大法師位 ※僧霊鎮位記、園城寺文書
、、、850-1-11 紀朝臣永直 従五位下
、、、850-1-15 紀朝臣貞守 蔵人
、、、850-1-15 紀朝臣好雄 美濃国介
、、、850-4-2 紀朝臣最弟 因幡国権介
・・・850-7 紀朝臣夏井 少内記、大内記、右少弁、右中弁、式部少輔、播磨介も兼ねた
・854 正六位上 播磨介
・855-1-14 任官
・855-9-27 従五位下
・857-1-7 従五位上
・857-1-14 任官
・857-5-8 任官
・857-6-19 任官
・858-11-25 讃岐守 善政を行ったため百姓等の留任請願が起こり
さらに2年在任した
・865-1-27 散位→肥後守
・866-9-22 配流 土佐国 応天門の変で縁坐して
・父は紀善峯、母は石川氏 通称 弥三郎
・性格は温和で聡明、囲碁をし、小野朝臣篁に書を習い、真書の聖と評される
医薬の道にも明るく配流中にも薬草とを採り、治療に成果をあげた
平安前期の清廉な能吏の典型といえる
・・・851 紀朝臣野雁 正6位上
・855-1-7 従5位下
・・・851 紀朝臣愛宕麿 正六位上 筑前介(紀古佐美→咋麻呂の子)
・入唐前の円珍を福岡県粕屋郡宇美町の城山の四王寺山にある
・四王院にて月粮支給の匂当を努めた
、、、851-1-11 紀朝臣椿守 越中国権守
、、、851-7-8 紀朝臣貞守 甲斐守
、、、851-7-19 紀朝臣貞継(貞嗣)従五位下
、、、851-11-26 紀朝臣東人 従五位下
・852-11-7 伊賀守
・853-11-26 正五位上
・856-1-12 典薬頭
・814年生まれ
・・・851-11-26 紀朝臣有常 正六位上 歌人 古今集 2首
・852-2-28 任官
・853-1-16 任官
・854-1-16 任官
・854-11-2 任官
・855-1-7 従五位上 雅楽、刑部権大輔
・855-1-15 尾張守
・000 刑部権大輔、蔵人、左近少将、少納言
・857-5-8
・857-9-27
・858-2-5
・875-3-23 正五位下 雅樂頭 神泉苑にて請雨経法祈雨
・877-1-23 従4位下 監護左右馬寮、(前任:散位)周防権守
・877 63歳歿(815-877)
・妻:藤原内麻呂の娘(北家)
・娘
‖
在原業平の妻で古今集に贈答歌一首あり
・伊勢物語にも登場
、、、852-1-15 紀朝臣最弟 任官
、、、852-2-8 紀朝臣今守 任官
、、、852-2-15 紀朝臣松永 従五位下 中務省少輔
、、、852-2-27 紀朝臣最弟 歿
、、、852-2-28 紀朝臣松永 従五位下 丹後国国司
、、、852-2-28 紀朝臣有常 任官
、、、852-11-7 紀朝臣東人 伊賀守
、、、853 源済子 源朝臣を賜る 左京職 ※故事類縁姓名部
・文徳皇女、清和天皇の女御
・・・853 紀朝臣野鷹 従五位下
・娘
‖―――藤原五岳 従5位下
藤原良行(南家 藤原豊成の後裔)
、、、853-1-7 紀朝臣貞継(貞嗣)従五位下
・・・853-1-7 紀朝臣今守 従五位上
、、、853-1-11 紀朝臣永直 授位
、、、853-1-16 紀朝臣今守 任官
、、、853-1-16 紀朝臣有常 任官
、、、853-3ー28 紀朝臣椿守 越中權守 78才歿 (776-853)
、、、853-7-17 真済僧正 東寺長者律師 任少僧都
、、、853-11-26 紀朝臣東人 正五位上
、、、854 紀朝臣夏井 正六位上 播磨介
、、、854-857 真済僧正 表請 高尾神護寺の五重塔を建立、
・春、秋のニ季、鎮護国家のために虚空蔵十輪経を転讀し永式とし
ここに至りて年度を置けり
・五大虚空蔵菩薩を安置し
・僧七口を置く
、、、854-1-7 紀朝臣松永(松長)従五位上
、、、854-1-16 紀朝臣有常 任官
、、、854-1-16 紀朝臣真高 紀伊国国司
、、、854-2-27 紀朝臣木津魚 従三位 右衛門徳
、、、854-3-21 真済僧正 東寺少僧都 密徒之始也
・・・854-6-7 紀真貞サネサダ宿禰姓 紀伊国在田郡(擬大領)
・父:従六位上 千本
・未墾地の開発による私領の拡大をはかり、
・その一部、新田、家地、畠地計5町3段余を権大僧都真済に売却する
、、、854-11-2 紀朝臣有常 任官
・・・854-12 林朝臣並人等 正六位上 散位 姓を紀朝臣と改める
・・・854-12 雀部朝臣春枝 正六位上 左衛門尉 姓を紀朝臣と改める
・856-1-7 従5位下
・858-8-27 従5位下 木工頭 兼左衛門権佐
・861-3-14 従5位上 勅使 左衛門佐 東大寺
・861-3-14 散位
・861-3-24 東大寺行事司判官
・867-2-11 任官
・871 歿
・娘858頃(藤原系図では紀春江の娘になっている)
‖―――藤原保方 従5位下 伊賀守
藤原経邦(南家 藤原真作の後裔)
・・・855 長意和尚 円仁から伝法灌頂を受ける(幼い時から円仁に学ぶ)
・天台宗の僧、法橋 露地坊
・紀氏 和泉国大鳥郡人
・899-10-8 天台座主9世 7年間
・900 内供奉十禅師
・906-7-3 71歳入滅 (836-906)
・908-4 贈る 僧正 法印大和尚位
・兄:光定和尚 天台座主 俗姓:贄氏 伊予国風早郡の人
・・・855-898 済棟 大徳 東大寺 法相宗 大僧都 別當25代、34代
・892 興福寺 維摩会講師
・904 伝燈大法師 大僧都
・905-6-18 入寂(823-905)
、、、855-1-7 紀朝臣有常 従五位上 雅樂、刑部権大輔
、、、855-1-14 紀朝臣夏井 任官
・・・855-1-15 紀朝臣益雄 備中国司
・・・855-1-7 紀朝臣弘岑 従五位下
・・・855-1-7 紀朝臣仲岑 正六位上
・855-1-15 任官
・855-8 授位
・856
・857-1-8 授位
・・・855-1-7 紀朝臣野雁 従五位下
・・・855-1-8 紀朝臣全子
・864-8-8 陽成天皇の乳母、もと山村忌寸 左京人
・紀朝臣姓を賜る
・源朝臣蔭の妻
・867-1-8 無位→外従五位下
・869 従五位下
、、、855-1-14 紀朝臣夏井 任官
、、、855-1-15 紀朝臣有常 尾張守
、、、855-1-15 紀朝臣仲岑 授位
、、、855-3-21 真済 東寺少僧都 密教乃始也
、、、855-3-28 紀朝臣椿守 歿
、、、855-8 紀朝臣仲岑 授位
、、、855-9-27 紀朝臣夏井 従五位下
、、、855-10-29 真済僧正 長者少僧都 権大僧都 権大僧都初也
、、、856 済棟 興福寺
、、、856 紀朝臣全吉 従5位上
・・・856 紀朝臣本道 肥前国司
・857-2-28 筑前国権守
・857-12-9 従五位下
・858-1-16 任官
・858-2-28 任官
・861-8-21 任官
・862-2-11 従五位下 筑前権守
・866-11-29 任官
・875-12-9 判官
、、、856 真済僧正 在田郡吉備郷 真済大徳売得田券
・「・・南は紀臣波白の地に至り西は紀朝臣並倉地に至る」云々
・・・856-1-7 紀朝臣道茂 従五位下
、、、856-1-7 紀朝臣春枝(巨勢氏流) 従5位下
、、、856-1-12 紀朝臣永直(真済僧正の叔父) 陸奥国司
、、、856-1-12 紀朝臣東人 典薬頭
・・・856-4-3 長意僧正 天台座主 俗姓:紀氏
・兄:光定和尚 天台座主 俗姓:贄氏 伊予国風早郡の人
・・・856-6-25 紀朝臣柄成 正六位上 行中監物 東大寺
、、、856-10-18 真済僧正 長者権大僧都→僧正 57歳 真言宗初也
、、、856-10-21 紀朝臣興我業 任官
・・・856-11-3 紀朝臣今守 正五位下
、、、857 紀朝臣道茂 従五位上
、、、857 紀朝臣全法 従五位上
・・・857 義済 従5位下 東大寺 伝燈大法師
・857 元興寺 法相宗
・882-8-23 建興寺の別當
・912 興福寺 維摩会講師
・912 69歳入寂(843-912)
・宗岳朝臣木村多
・・・857 紀朝臣縄麿(綱麻呂)従五位上
、、、857-1-7 紀朝臣全吉 従五位上
、、、857-1-7 紀朝臣夏井 従5位上
・・・857-1-7 紀朝臣冬雄 従五位下
・857-3-2 齋院長官
・858 従五位下
・861-1-13 任官
・863-2-10 任官
・866-1-7 従五位上 大皇太后亮 兼美濃権介
・897-7-8 外従五位下? 豊受大神宮禰宜 二門大内人
・1001 後裔:賜る度会姓 ※郡書類従4
、、、857-1-8 紀朝臣仲岑 授位
、、、857-1-14 紀朝臣夏井 任官
、、、857-1-14 紀朝臣今守 美濃守
・・・857-2-28 紀朝臣本道 筑前国権守
、、、857-3-2 紀朝臣冬雄 齋院長官
、、、857-4-23 紀朝臣今守 近江権掾
、、、857-5-8 紀朝臣夏井 任官
、、、857-6 紀朝臣真高 従五位上
、、、857-6 紀朝臣好雄 任官
、、、857-6-19 紀朝臣夏井 任官
、、、857-9-17 紀朝臣好雄 任官
、、、857-10-17 真済僧正 朝廷に上表して空海に僧正の官を追贈されるべく願い出た
、、、857-10-27 真済僧正 天皇は感激して大師に大僧正の官を追贈された
、、、857-11-29 紀朝臣今守 従4位下 左京太夫
、、、857-12-9 紀朝臣本道 従五位下
、、、857-12-14 紀朝臣今守 任官
清和天皇 858-876年 56代目
・866 応天門の変 藤原氏が伴善男、紀豊成らを排斥
この結果、大伴、紀両氏ら旧氏族が没落
藤原氏の隆盛が確定的となった
・873 皇子、皇女に源姓を、清和源氏の起こり
清和天皇
‖
源済子 女御(文徳天皇皇女)
※源済子 従4位上
・853 源朝臣を賜る 左京職 ※故事類縁姓名部
・869 母 歿
・887-5-29 外祖母(多治氏)歿
・887-11-27 外祖母多治氏への源済子女御の至情を菅原道真が
讃岐守在任中に77日追福願文の作成をする。
芸術性の高い作品となっている。 ※菅家文章
・923-11-17 源済子 鎮魂祭是日 皇女済子を内親王と為す
・真済僧正の孫の可能性大(編纂者考)
、、、858 惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)4品 太宰権師
・母:紀静子
、、、858 紀朝臣冬雄 従五位下
、、、858又は855 真済僧正 大和国葛下郡柿本邑に影現寺=人麿堂を建立、隠居所として
・・・858ー1-7 紀朝臣恒身 従五位下 紀伊権守(前任 右衛門門権佐)
・863-2-16 大判事(前任 散位)
・867-2-11 任官
・869-2-23 筑前国牒 鎮西紀姓諸豪族と関係ある
、、、858-1-8 紀朝臣静子 正五位下
・文徳天皇の妃 惟喬親王の母
、、、858-1-16 紀朝臣本道 任官
、、、858-2-28 紀朝臣本道 任官
、、、858-8 真済僧正 文徳天皇病に 真済冷然院に侍りて看病、天皇薨去
失志して高雄に隠居
、、、858-8-27 紀朝臣春枝 従五位下 木工頭 兼左衛門権佐
、、、858-8-27 紀朝臣全吉 従五位上 備前権守
・前任 右近衛少将 兼主殿頭行 美濃権介
、、、858-9 紀朝臣安雄 従六位下 明経得業生として直講となる
・859-2 領渤海客使 存問使を兼ねて
・859-3 加賀国へ
・859-7 復命した
・862-5 本拠讃岐国苅田郡から左京に移る
・従六位上→正六位上
・863 外従五位下
・867 従五位下 紀朝臣の氏姓を賜る 左京人
・869-2 勘解由次官 兼下野介
・869-4「貞観格式」の編纂にも携わった
・870-2 助教を兼ねている
・871-8「貞観格式」を奉進している
・874 従5位上
・876 主計頭
・877 武蔵守
・882 鋳銭長官兼周防守
・886-5-28 65歳で歿 (822-886)
・氏姓は初め讃岐の苅田首で種継の子(武内宿禰の後裔であると述べている)
・・・858-11-7 紀朝臣宗守 従五位下 左兵衛大尉
・860 日前国県両社使(前任 散位)
・863 従五位下 玄蕃頭(前任 紀伊介)
・865 筑後守(前任 玄蕃頭)
・866-1-27 従五位下 玄蕃頭 ?
・ 910 筑後国国司
・・・858-11-21 紀朝臣良津 正七位上 内舎人
、、、858-11-25 紀朝臣今守 従四位下行 左京太夫(前任 近江権守)
、、、858-11-25 紀朝臣夏井 従五位上 讃岐守
・善政を行った為百姓等の留任請願が起こり、さらに2年在任した
・・・000 紀宿禰氏経 外従五位下行 越中介
・・・859 安宗 従5位上 石清水八幡宮に 俗名:紀氏
・師主 建立大師、或る伝、真済僧正弟子
・863-12-23 石清水八幡宮 護国寺の初代別当
・878 石清水八幡宮宿院「極楽寺」を創建
・887-8-19 入寂
┌ 真済僧正 東寺長者
紀御園─│
├ 安宗 石清水八幡宮、別当家の祖
│
└ 御豊 866 石清水八幡宮神主
、、、859 真済僧正 辺地済度の為に奥州に行く
・山形県東置賜郡川西大字上小松2948に
「松光山大光院」を開山 新義真言宗の寺院
・・・859 紀朝臣関雄 従五位下 綾部正
・877-12-25 右京人 業職部正 姓を朝臣と賜る
・娘 ┌有声 従5位下 民部大輔
‖―――└有理 従5位下 大炊助
藤原垣尚 従4位下 右馬頭(南家 藤原真作の後裔)
・・・859 紀朝臣巻成 従五位下 少尉
・・・859 紀朝臣有總 従五位下
・・・859 紀朝臣利貞 従五位下 歌人 古今集 4首
・875 小内記 従五位下 大内記
・879-1-7 従五位下 阿波介 歌人
・879-11-25 ○○
・ 881 歿
・父:紀貞守 蔵人
・子供:紀友則 歌人、在原業平とも交渉があった
※古今和歌集 角川日本古典文庫
・・・859 紀朝臣高常 従五位下 掃部助
・・・859-1-8 紀朝臣全子 従五位上
・876-11-25 典蔵
・882 歌人
・陽成天皇の乳母とは別人
、、、859-2 紀朝臣安雄 良渤海客使 存間使いを兼ねる
、、、859-3 紀朝臣安雄 加賀国へ
・・・859-3-4 紀朝臣今(令?)影 正六位下 任官
・859-4-21 左衛門少尉(前任 筑後守)
・860-4 ○○
・879-1-7 従五位上 筑前守
、、、859-7 紀朝臣安雄 復命した
・・・859-9-21 紀朝臣春常 従五位下 太宰少弐(前任 散位)
・861-1-13 長門守 判官主典(前任 式部大丞)
・869-9-15 任官
・877 従五位下 美濃大掾
、、、859-11-1 済棟 東寺
・・・859-11-19 紀朝臣正守 従5位下
・863-2-10 参河守
・・・859-12-27 紀朝臣令名 従六位上 少允
・・・859-877 紀朝臣公昌 州介に任じられる、
・筑後国 宇佐大神を勧誘する。
・歴世相承けて、今の祠官 鷹尾山参河守になる
、、、860 紀朝臣宗守 日前国県両社使(前任 散位)
、、、860-1-13 紀朝臣春常 従5位下 長門守 判官主典(前任式部大丞)
・・・000 紀朝臣惟岳 官人 歌人 古今集 1首350
、、、860-2-25 真済僧正 俗姓紀朝臣 61歳入寂(800-860)
・僧正伝燈大法師位真済
・僧にして姓を蒙らしめて呼びしは柿本僧正真済なり(堅尻33)
・真済僧正の墓地:山形県東置賜郡川西町大字上小松2948
・松光山大光院
・現在は紀伊総本山根来寺の末寺
・毎年命日に供養をしている
・・・860-4 行教和尚 石清水八幡宮の創健社
・863 男山の石清水寺を奉請して護国寺と改称した
・いわゆる神宮寺
・887 75歳入寂(812-887)
・紀朝臣古佐美の後裔
・・・860-8-15 紀朝臣良船(舟)従六位上 判官
・862-1-13 従四位下 式部大丞、美作介
・・・861 紀朝臣興須賀 従六位上
・・・861 紀朝臣継勝 正六位上
、、、861-1-13 紀朝臣冬雄 任官
、、、861-1-13 紀朝臣春常 長門守、判官主典(前任、式部大丞)
・・・861-2-25 紀伊国直川郷墾田売券 ※神宮文庫文書
・紀吉上、紀葛成、従八位上紀朝臣門成等の地
・當里刀禰 紀朝臣乙魚
・紀直岑
・紀朝臣益継
・蔭孫 紀朝臣邦麿
・紀朝臣基直
・紀直福宗
・郷長 紀酒人忌寸吉主
・田領 紀直枚成
・郡判 ・大領 従七位下 紀宿禰縄継
・転擬主政 外大初位下 紀宿禰次雄
・權擬大領 旡位 紀直貞常
・擬主帳 旡位 紀直示古佐美
、、、861-3 惟喬親王 王宮を出る
・御生母(静子)の兄:紀有常・堀河中納言・小椋実秀卿らを隋え
江州愛知郡「小椋庄」(現滋賀県神崎郡永源寺町)の所領地小松畑に移り
御殿を建てた。この地は親王のお住みになってから「君ケ畑」と改む。
、、、861-3-14 紀朝臣春枝 散位 勅使 右衛門佐 東大寺
、、、861-3-24 紀朝臣春枝 東大寺行事司判官
、、、861-8-21 紀朝臣本道 任官
・・・862 紀朝臣宗丈 従五位下 紀伊介(前任 散位)
・・・862-1-7 紀朝臣継則
・863-2-10 任官
継則の娘
‖ ┌有房 従5位下甲斐守
‖―――└善友 太宰少弐
藤原良茂(南家 藤原乙麿の後裔)
、、、862-1-13 紀朝臣今守 任官
、、、862-1-13 紀朝臣良船(舟)従四位下 式部太夫、美作介
・・・862-1-21 紀朝臣宅子
、、、862-2-11 紀朝臣本道 従五位下 筑前権守
・・・862-3-25 常済 内供奉十禅師
・862-4-27 延暦寺 天台座主 宝幢院検校 西塔院院主
・876 延暦寺
、、、862-5 紀朝臣安雄 本拠讃岐国苅田郡から左京に移る
・従六上→正六上
・・・862-6-14 紀種子 仁明天皇の更衣
・864 従5位上
・870-5-5 常康親王の母
・父:紀朝臣名虎
・空也上人の祖
、、、863 行教和尚 京都の石清水寺を奉請して護国寺を改称した
・石清水八幡宮のいわゆる神宮寺
、、、863 紀朝臣安雄 外従五位下
、、、863 紀朝臣宗守 従五位下 玄蕃頭(前任 紀伊介)
・・・863 紀朝臣継為 従五位下 紀伊介(前任 散位)
・・・863-1-7 紀朝臣吉継 従五位下 安房守
・864-10-14 玄蕃頭
・865-3-9 任官
、、、863-2-10 紀朝臣今守 従四位上 大和守
、、、863-2-10 紀朝臣正守 従五位下 参河介
、、、863-2-10 紀朝臣継則 任官
、、、863-2-10 紀朝臣冬雄 任官
、、、863-2-16 紀朝臣恒身 大判事(前任 散位)
・・・863-8-27 伝燈大法師 紀朝臣 ※石清水文書
・・・863-9-13 紀直貞吉 賜姓宿禰(紀宿禰)
、、、863-12-23 紀安宗(行教の甥)が護国寺の初代別当
、、、864 紀種子 従五位上 仁明天皇の更衣 父:紀朝臣名虎
・・・864-1-7 紀朝臣當仁 従五位下 左京権亮(前任 散位)
・865-3-28 任官
・867-1-12 越後守
・868-1-16 越後守
、、、864-2-16 紀朝臣真丘 任官
・・・864-8 左京人 山村忌寸安野、夏野、全子等姓を紀朝臣を賜る
、、、864-8-8 紀朝臣全子 従五位下 陽成天皇の乳母 もと山村忌寸 左京人
・紀朝臣姓を賜る
源朝臣澄 嵯峨源氏
‖―長子 源蔭 陽成天皇に殺される
紀全子 陽成天皇の乳母
・・・864-8-8 紀角宿禰
・877-12-25
、、、864-10-14 紀朝臣吉継 玄蕃頭
、、、865 紀朝臣宗守 従五位下 筑後守(前任 玄蕃頭)
、、、865-1-27 紀朝臣真丘 従五位下 上野介
、、、865-1-27 紀朝臣今守 左京太夫 兼山城守
、、、865-1-27 紀朝臣夏井 従五位上 散位→肥後守
、、、865-3-9 紀朝臣吉継 任官
、、、865-3-28 紀朝臣當仁 任官
・藤原良房 太政大臣 866-871年
、、、866-1-7 紀朝臣冬雄 従五位上 大皇太后亮 兼美濃権介
・・・866-1-7 紀朝臣助成 木工大允
、、、866-1-27 紀朝臣宗守 従五位下 玄蕃頭
・・・866-2-13 紀朝臣継雄 従五位下 肥前介(前 正六位)
ーーー−−−−−応天門の変ーーーーーーーーーーー
、、、866-9-22 紀朝臣夏井 従五位上 土佐国 配流
・・・ ” 紀朝臣豊城(夏井の異母弟)安房国 配流
大納言 伴宿禰善男の従者
兄弟子孫も遠流
・・・ ” 紀朝臣春道 上総国 配流
・・・ ” 紀朝臣武城 日向国 配流
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---「伴大納言絵詞」この応天門の変を描いたもの
若狭国「松永荘」内「新八幡宮」に原本一巻あり
伏見宮→天皇へ ※角川地名大辞典
・・・866 紀御豊 石清水八幡宮の初代神主
・876-8-13 従8位上 宇佐宮神社 初任
・・・866-9-22 紀朝臣大枝 任官
・・・866-9-22 紀朝臣善岑 任官
、、、866-11-29 紀朝臣本道 任官
、、、867 紀朝臣安雄 従五位下 紀朝臣の氏姓を賜る 左京人
、、、867 惟喬親王 城州大原(京都府愛宕郡大原村)へ移りなされて、ここにご閑居遊ばれた。
、、、867-1-8 紀朝臣全子 陽成天皇の乳母 無位より外従五位下
、、、867-1-12 紀朝臣當仁 越後守
、、、872 惟喬親王 清和天皇は封百戸を増した賜ふ。
、、、867-2-11 紀朝臣恒身 任官
、、、867-2-11 紀朝臣好雄 任官
、、、867-2-11 紀朝臣春枝 任官
・・・867-3-10 紀朝臣原子 従五位下 石神神社
・・・867-9-14 惟條親王 文徳天皇第二皇子
・母:紀静子
・21歳歿(846-867)
・・・867-12 刈田首安雄 右京人 従五位下行直講 朝臣姓を賜る
・もと讃岐の苅田氏
、、、868 紀静子 文徳天皇の更衣 従5位上
・・・868 紀朝臣茂行=望行 従六位 880年頃没 ※古今和歌集
・紀貫之の父
・紀朝臣猿取→船守┌→勝長→興道→本道→望行→紀貫之
│
└→田長→御園→真済僧正
・紀朝臣飯麻呂→木津魚→百継→諸綱→貞継→貞範→紀長谷雄
・・・868 陽勝 能登の紀氏に生まれた
・919頃 東大寺の僧が大峰山系で道に迷い絶命しかけたとき、
私は仙道を習得して飛行も自由にできる陽勝だと名乗り助けた
・比叡山の静観僧正のところにも現れた ※今昔物語13−3
・・・868頃 延済 延暦寺 比叡山 天台宗 千光院
・・・868-1-8 紀朝臣春生
・870-1-25
、、、868-1-16 紀朝臣當仁 越後守
、、、869 紀朝臣全子 従五位下 陽成天皇の乳母
・・・869-1-7 紀朝臣千枝
、、、869-1-13 紀朝臣眞丘 従5位下 河内守(前任:散位)
、、、869-2 紀朝臣安雄 勘解由次官 兼下野守
、、、869−2−23 紀朝臣恒身 筑前掾→筑前守 筑前国牒案
・鎮西紀姓諸豪族を関係あらんと考える
、、、869-4 紀朝臣安雄「貞観格式」の編纂にも携わった
、、、869-9-15 紀朝臣春常 任官
・・・870 紀宿禰晴生 外従五位下 土佐権掾(前任 左近衛医師)
・・・870頃 済詮 比叡山 延暦寺 天台宗
・東大寺 惣持院14代禅師
・醍醐寺
・入唐する
・・・870頃 承済 天台宗 常済の弟子
、、、870-1-25 紀朝臣春生
、、、870-2 紀朝臣安雄 助教を兼ねる
、、、870-5-5 紀種子 仁明更衣 紀名虎の娘
・常康親王の母
・・・870-12-5 真子内親王 元品 仁明天皇の皇女 歿
・母:紀種子
、、、871 紀朝臣春枝 歿
、、、871-8 紀朝臣安雄「貞観格式」を奉進している
・藤原基経 関白 872-889年
、、、872-7 惟喬親王(文徳天皇の皇子)出家 法名:素覚
・小野宮
、、、874 紀朝臣安雄 従5位上
、、、875 紀朝臣利貞 小内記 従五位下 大内記
紀全吉の娘
・・・875 刑部卿紀名虎の娘 ‖
‖―――――藤原敏行 歌人 従5位下伊豆守
藤原富士麻呂の弟 ‖―― 季方ー国用ー済成(濱済)
(南家藤原真作の後裔) ‖
紀有常の娘
、、、875ー3ー23 紀朝臣有常 正五位下 雅樂頭 神泉苑にて請雨経法祈雨
、、、875-12-9 紀朝臣本道 判官
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