紀氏の歴史の軌道J
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白河天皇 1072-1086年 72代目
・1073 院蔵人所を置く
白河天皇
‖――――善子内親王
藤原道子
父:藤原能長 母:源済政の娘
、、、1072 清秀 石清水八幡宮21代別當 39歳入寂(1033-1072)
・・・1072-9 山城国相楽郡「稲八妻荘」石清水八幡宮領
・三好長慶に押領されるまで余命を保つ
・・・1072-12-8 紀志子 少納言内侍 内裏掌侍 出身不詳
・譲位に創○使いを務むによって退任せしものと認められる
※平安時代史辞典
・・・1074-4-8 紀朝臣頼季 従5位下 山城介
・娘は源頼政の妾で仲綱の母 ※紀氏系図
※源頼政は若狭国「松永荘」の領主になっている
・・・1074-10-3 紀式部の事跡(合叙)
・・・1075 維範 高野山学僧
・高野山南院に住し、第11代執行検校となる
・俗姓:紀氏
・紀伊国伊都郡相賀郷の人
・1098-2-3 歿
・・・1075頃 土岐光信の娘
‖
石清水八幡宮宗清法印 ※清和源氏系図
・・・1075頃 藤原済任 従5位下 散位
藤原為任(父:藤原済時、母:源能正又は兼忠の娘)
‖
‖―――┌済長
‖ └済任 従5位 散位
源為親の娘
・・・1075-8-1 紀朝臣致親 岡為房 大和河俣山の賊等を討つ
※平安時代史辞典
、、、1075-8-30 紀朝臣宣輔 正六位上(?) ※朝野群戴巻第2
・・・1075-8-30 紀朝臣有保 正六位上 ※朝野群戴巻第2
・・・1075-8-30 紀朝臣惟頼 正六位上 文章生 ※朝野群戴巻第2
・・・1076 紀左衛門少志 藤原師実の下家司 ※中世公家と地下官人 吉川弘文館
・・・1076 石清水八幡宮法眼兼清から院主法師頼清に譲度
・長門国美祢郡「大峰荘」
・・・1076-1-21 紀朝臣重頼 正六位上 少属
・・・1077 紀朝臣延方 従5位下 大工
・・・1077 紀朝臣延武 従5位上 大工
、、、1077 性信 法勝寺供養の導師を務めて同寺の検校となる。
・・・1077-2-12 紀朝臣宗政 従5位下 少外記 主計允 安房守
・紀長谷雄→淑信の後裔
・・・1077-4-4 藤原=日野氏 ┌長済 東大寺権律師 歌人 歿
‖―――――│
中宮大進公業の娘└藤原行家 正四位下 阿波守
後拾遺作者 1104-12-20歿
、、、1079 済暹 学識高く、55歳の時「補闕抄」3巻と「性霊集」全10巻の
体裁をととのえる
・・・1079-7-25 紀朝臣久任 正5位下 大炊頭 山城介 河内守 阿波守
・御厨子所預職
・実は大炊頭三島宿禰久頼の子 ※紀氏系図
・・・1080-10-14 紀朝臣行職 少録 ※朝野群戴巻第2
・・・1081-1 紀朝臣宗貞 従5位下 大隈守 同年辞する
・改姓:大江姓に 少外記
・紀長谷雄→淑信の後裔 ※紀氏系図
・・・1081-10-14 紀朝臣輔任スケトウ 従4位下 石清水八幡宮別当兼宮司
・父:兼任も石清水八幡宮別当
・・・1082頃 慶尊 東寺上座 兼石清水八幡宮少別當
・永観律師の甥
・・・1082-1-11 紀朝臣季明スエアキラ 正六位上 東孺
・書を上り恪勤の労を以って東孺加階申文で請う
、、、1082-2 永観 念仏行道の時、壇上の阿弥陀みかりの相を感得
、、、1083 性信 二品(出家品階の初例)しばしば霊験を現し空海の再来と
称された
・・・1083-5-15 済覚 東寺 大法師 千僧読経内30口請僧交名事
・1118 延暦寺僧
・醍醐源氏
・・・1083-5-15 済命 東寺 法師 千僧読経内30口請僧交名事
、、、1084 永観 東大寺別当
、、、1084-12-25 済暹 仁和寺 慈尊院の学僧
・・・1085-1-25 紀朝臣時基 正六位上 少録 ※朝野群戴巻第2
・・・1085-2-11 紀朝臣公国 左史生
・1085-9-11
・1087-3-6 ※朝野群戴巻第2
、、、1085-9-27 性信 81歳入寂
・弘法大師9世法嫡孫也
・父:三條天皇、母:藤原済時の娘(皇后)
堀川天皇 1086-1107年 73代目
白河上皇 1086-1128年
・1086 院政の開始、初めて北面の武士を置く
・・・1086-3-16 済尋 興福寺
・1089 仁和寺 仙養房威儀師
・1089-4-11 大僧都
・1089-9 興福寺別當
・父:藤原師成(姉小路)紀長谷雄の系図にあり
・1095-2-14 入寂
、、、1086-5-14 永観 興福寺維摩会講師 ※史料綜覧 第一
・・・1086-12-8 清覚=済覚=成覚 石清水八幡宮
・内供奉十禅師
藤原六條右府
‖――――――清覚(済覚)
石清水八幡宮別等清国の娘
・・・1086-1107 紀朝臣兼孝 石清水八幡宮神主
・・・1087 大隅正八幡宮の政所職は本家の京都石清水八幡宮の神官が支配して
神官を補任する。
・大隅八幡宮の領地「万得名」の管理に伊集院を置く
・大隅国姶良郡隼人の大隅八幡宮の領は1296町を占めている。
・善法寺より下向して来た平山氏が八幡宮師修執印として所領を支配した
・鎌倉末期に島津貞久に平定された ※角川地名大辞典
※鹿児島県城郭大系
−−薩摩国の荘園ーーー
@宮里郷司(紀氏領)=新田八幡宮関係 紀六太夫正家
A伊集院司(紀氏領)=正八幡宮領(京都石清水八幡宮の神官が支配)
院司:紀八郎清景「万得(徳)名」
B満家院司(大蔵姓加治木領)=院司業平(大蔵氏一族で加治木郡司も兼ねていた
※日本おける荘園制形成過程の研究 奥野中彦 三一書房
藤原敏行 小野好古の娘
‖―――娘 ‖
紀有常 ‖――――大蔵春種――泰種(原田氏祖)太宰貫首
大蔵朝臣春雄
※日本姓氏大辞典 太田亮
・・・1087 紀伊国伊都郡に 散位 坂上晴澄宿禰の許に
・紀清任→重清→仲清の三代の家人あり
・・・1087 慶尊 石清水八幡宮神宮寺少別當兼 東寺上座
・永観律師とは甥の関係
・石清水八幡宮兼清
‖―――慶尊
元命の娘
、、、1087-3-6 紀朝臣公国 左史生 ※朝野群戴巻第2
、、、1087-6-16 戒信 石清水八幡宮別當法印 入寂
・妻:紀太子
・・・1087-7-24 済禅 東大寺
・1104-8-2 伝燈大法師位
、、、1087-8-29 頼清 石清水八幡宮第23代別當 法印(号:常盤)
・・・1087-8-29 清圓 石清水八幡宮護国寺権別當法橋上人
・宇佐宮弥勒寺講師並びに喜多院司
・1106 石清水八幡宮24代別当
別当清成
‖―――――清円
俗別当兼輔の娘
・・・1087-12-23 成暹 石清水八幡宮権別當
・光清の娘 美濃局(鳥羽院の女房=皇子と皇女あり)を養子に
・美濃局 源頼政の養女に(若狭国「松永荘」と関係あり
・・・1087-12-26 紀朝臣保遠 ※朝野群戴巻第2
、、、1089 済尋 仁和寺 仙養房 威儀師 ※紀長谷雄の系図にて
・1089-9 興福寺別當
、、、1089-8-17 松永法師 宇野御厨(肥前)の贄駈士は大府贄人と号して、この地は
贄人源順の先祖相伝の所領であるとしている。
※宇野御厨領は肥前半島から伊万里を含む広大な皇室領
※大宰府公文所勘注案ー同前/平遺1277
・松永法師:・在地別當(この地に定住はしていない)
・出家の名:勝園法師
・公務の時の名:俗名の松永
・父:永禅 寺家上威儀師(在京の時、出来た童子なり)
、、、1089-9 済尋 興福寺別當
・・・1090頃 済観 寺 内供奉
・父:藤原俊家(北家 藤原道長―頼宗の後裔)
・・・1090-11-4 橘朝臣義済 駿河国司、伊勢守(国司)
・・・1092頃 済実 俗名の時は雅光 従5位上 治部大輔 歌人
・1117-10-10 興福寺
・父:周防守藤原敦基(藤原公実の養子に)
、、、1094 永観 阿弥陀信仰を提唱
・・・1094 紀朝臣重則 越中国目(サカン)
・1094-2-22 従七位上 大目 院当年御給
・・・1094 紀朝臣頼季 宗成の弟 御厨子所預に補さる。
11世紀以降御厨子所預を伝える
・御厨子所預の役割は中央で供御人を統轄して供御の貢進に当たること
・紀頼季の娘は源頼政の妾となる、
・源頼政は若狭国の「松永荘」の領主となる
源頼政
‖――――源仲綱 歌人 武将 宇治川の戦いで父子で討ち死に
妾 紀頼季の娘
母:源氏系図では源斉頼の娘
母:紀氏系図では紀頼季の娘=妾
紀長谷雄┌淑信・・・・紀頼季の娘 源頼政の妾 │
└淑望・・・・・紀奉政=実は源仲政の子
祖父紀公貞の母は源頼信の娘
・・・1094 光清 石清水八幡宮 出家
・1103-12-25 第25代別当 号:垂井 三綱では源照 云々
・1108-12-30 石清水八幡宮宿院極楽寺院主
・1118-12-28 伝領 美濃
・1128-10-22 石清水八幡宮護国寺検校 大和尚、
・宇佐弥勒寺並びに喜多院検校令執行寺事務
・歌人
・ 本所:有宮寺(紀伊長島町)
・妻:紀某女 鳥羽上皇の小大進として仕えた(前任は左大臣源有仁家
の女房) ※平安時代史辞典
・1137-9-24 54歳歿 (1084-1137)
・1099頃 娘:真勝法眼内供の母
・1122頃 娘
‖―――源雅仲
源宗雅 刑部卿 村上源氏
・1123 娘:源顯兼の母
・1124 娘:宵待小侍従 歌人(源頼政と恋愛関係)
・1131 娘:紀家子(美濃局)鳥羽上皇の寵を得る。源頼政の養女に
・・・1094-2-22 紀朝臣佐親 従五位下 日向守 在任
・1098-10-15 八幡宇佐宮御神領大鏡 見任
※宮崎県史 史料編
・膨張した神領に制限を加えようとして大宰府に提訴したが
大宰府長官がにわかに死んだので訴状を撤回した。
、、、1094-2-22 紀朝臣重則 従7位上 大目 院当年御給
、、、1095-2-14 済尋 入寂 興福寺別當
・紀長谷雄の系図にあり
・・・1096-1204 仁済 高野山 金鋼峰寺 真別所に隠遁する
・大納言阿闇梨 寛信より小野流を受く
・1138-2-21 桑門尊○ 出家法名也 仁済記之
・1152-3-10 奥書
・1162 觀修寺
・1162-11 阿闇梨 東大寺 伝燈大法師位
・1165-1166 桑門仁済 ※高野山聖教類 第一部
・1174-5-20 写本
・父:美濃守源忠高 醍醐源氏?
、、、1097 永観 東大寺寺内に薬王院を建て、施療所を設ける
・・・1097-2-6 紀朝臣 大監 ※東大寺文書
・大監 紀朝臣 3名、 監代 紀朝臣1名
・1099-9-22 大宰府廳定文 肥後国 大監 紀朝臣資方
筑後国 大監 紀朝臣有頼 ※観世音寺文書
・1111-10-27 大監 紀朝臣 5人 ※東大寺文書
・1116-2-21 紀朝臣有頼 従五位下 大監 ※朝野群戴巻第2
・1116-2-21 紀朝臣知實 府老 豊前国太宰府済物解文にみゆ
※朝野群戴巻第2
・1120-6-28 紀朝臣 2人 従五位下 大監 ※観世音寺文書
・1132-7 紀朝臣有頼 従5位下 大監
・子:紀重永 監代 ※宮寺録事抄
・・・1098-1-25 紀宿禰貞義 望む 淡路掾 ※朝野群戴巻第2
、、、1098-2-3 維範(紀朝臣) 高野山 代11代執行検校 入寂
、、、1098-10-15 紀朝臣佐親 八幡宇佐宮御神領大鏡 見任
、、、1099 永観 権律師 官任:依公請労補
・・・1099 紀朝臣宗兼 従五位 摂関家侍 民部丞
・出羽守
・御厨子所預 造酒正
※中世公家と地下官人 吉川弘文館
、、、1099 石清水八幡宮光清の娘
‖―――真勝 法眼 内供
藤原能実 正2位 大納言(北家 藤原道長―師実の子)
・・・1099-4-13 紀久俊 左馬少允 をして私物を以って太子宿 朱器殿、竝鳥曹司を
造進せしむ ※史料綜覧 第二
・・・1099-8-7 紀朝臣元延田畠・林譲状 僧聖心
・1124-8-15 僧叡尊 紀近延の裏書あり
・1161-7-25 僧永圓 紀近延 在共寺御堂の裏書に
・1242-11-4 僧永圓
・1266-6-27 僧永圓の後家
・1273-8-30 若女 田地売券
・1273-11-30 若女 田地寄進状
、、、1099-9 永観 田楽舞の件で東大寺と争う
・・・1099-9 紀朝臣延行 史生 ※東大寺辞典 東京堂出版
・・・1099-9-11 紀朝臣有名 大掾 東寺百合文書
、、、1099-9-22 大宰府廳定文 肥後国 大監 紀朝臣資方
筑後国 大監 紀朝臣有頼 ※観世音寺文書
、、、1100 永観 東大寺別当の時:岐阜市南部の「茜部荘」と摂津国の「猪名荘」
の年貢を東大寺の学侶の百口学生供とした
・・・1100頃 源雅兼 村上源氏
‖――定耀 号:大将法眼 興福寺
石清水八幡宮別當清圓の娘
、、、1100 東大寺が朝廷に申請
・大法師光清を筑後の観世音寺の登壇戒師に補任を依頼
※東大寺辞典 東京堂出版
・・・1100頃 大和国奈良薬師寺に属する楽人に紀氏もいた
・・・1110頃 下野守紀盛宗の娘
‖―――行定 従5位下 佐々木宮神主
宇多源氏経方 従5位下 近江国惣追補使
・・・1100-1-18 紀朝臣定遠 正六位上 左衛門少尉
・・・1100-3-22 紀朝臣時基 正六位上 少録
、、、1100-7-14 隆禅 興福寺権大僧都
・南部大乗院殿初祖、
・長谷寺、大安寺別當
・63歳入寂(1037-1100)
藤原政兼左少将(兼貞の孫)
‖――隆禅
源済政(従3位)の娘
・・・1101 福岡県山門郡大和町鷹尾字馬場 鷹尾神社=高良別宮
・江波大納言の嫡子 少将 紀公昌が大宮司に補される
・1195 以降 紀氏が大宮司として奉仕
・1231 鷹尾別府政所の紀元保と地頭の大友秀直との間で争論が起きている
※角川地名大辞典 福岡県
、、、1101-4-24 清円 石清水八幡宮権別當
、、、1102 永観 東大寺を辞して禅林寺(別当職)に帰る
・東南院を興し終生ここを本拠とした
・・・1102-1-5 紀朝臣久範 従5位上 御厨子所預 ※紀氏系図
・1109-6-9 従5位上 玄蕃寮頭 ※朝野群戴巻第2
・・・1102-2 紀信用 祭郎前暦得業生 陰陽寮 ※朝野群戴巻第2
・・・1102-3-23 紀朝臣文相 正五位下 左少弁 東大寺俗別当
※群書類従4 東大寺別当次第
・・・1102-11-28 紀盛信 左大史 検注也 ※朝野群戴巻第2
・・・1103 紀頼子 正六位上 呼名:中務 内裏 ※平安時代史辞典
・1103-8 東宮(鳥羽天皇)の蔵人のち内裏女房
・1107 紀頼子 正6位上 女蔵人
・1107-12 皇后令子内親王の女房
・1112-3 局に法師3人を入れて臥したるところが発覚、無罪を主張したが
白河上皇の耳に入り宮中を追却された
・石清水八幡宮別当頼清の娘
、、、1103-1-3 頼清 石清水八幡宮別當 法印(号:常盤)
・観音寺大山寺兼行 63歳入寂(1040-1103)
・・・1103-2-13 紀少進 ※朝野群戴巻第2
・・・1103-2-30 紀朝臣宗兼 正5位下 造酒正
・1124-1-23 出羽守
・実は右大臣藤原宗曽の孫、 ※紀氏系図 紀淑信の後裔
・父:刑部卿敦基朝臣三男
、、、1103-8 紀朝臣頼子 東宮(後の鳥羽天皇)の蔵人、のち内裏女房
・・・1103-8-17 紀親行 東宮出納 学生
※中世公家と地下官人 吉川弘文館
、、、1103-12-25 光清(垂井) 石清水八幡宮25代別当
・・・1103-12-20 紀朝臣盛信 正六位上 左大史 兼行大属
・鳥羽院 春宮坊官
、、、1104-3-21 済暹 東寺阿闇梨 僧都 法眼和尚位
・朝臣文網の子 広小路亭
・・・1104-4-27 紀朝臣行康 蔭孫
・東宮蔵人所の和歌会で行康のために「鶴有避会」
の和歌と和歌席とを作り与えている
・・・1104-5-29 済巌 東大寺 大法師
・八幡宮有司 大衆等解案
・父:藤原済甚(藤原師尹の後裔)
・・・1104-8-2 済明 東大寺 伝燈大法師 大衆等解案
、、、1104-8-2 済禅 東大寺 伝燈大法師 大衆等解案
・・・1104-8-2 済智 東大寺 伝燈大法師 大衆等解案
・・・1104-8-2 延済 東大寺 伝燈大法師 大衆等解案
・1175-1-13 藤原為網の愛妾の乳母の夫
・・・1105-7-15 円賢法眼 石清水八幡宮護国寺修理別當を
・宇佐弥勒寺講師職に
・円賢法眼
‖―――命成(光清の養子に)
石清水八幡宮元命の娘
、、、1106 永観 官任:依公請労補権律師
・兵庫県の「長洲荘」は皇太后宮職領から東大寺になるようにと
鴨御社と返還争いに、土地は東大寺に、人は鴨社と裁決される
、、、1106 清円 石清水八幡宮24代別当
・・・000 紀基弘 従五位下 日向守 見任 宮崎県史 資料編
・・・000 紀友仲 従五位下 權日向守 見任 ” ”
・・・000 紀景弘 正五位下 日向守 見任 ” ”
鳥羽天皇 1107-1123年 74代目
・1108 平氏の台頭(源氏の勢力の退潮)
、、、1107-12 紀頼子 皇后令子内親王の女房に(元、鳥羽天皇の蔵人)
・正6位上 女蔵人
、、、1108 永観 東山に迎議を修す
・・・1108頃 紀宗孝 藤原忠実(知足院)の家司
・忠実:北家 藤原道長―師実の後裔
・・・1108-10-8 永暹 天台宗の僧
・幼少の時出家する
・出身:紀氏 石見(島根県)出雲 鰐洲寺に住む
・73歳より四天王寺で衆僧を招請して「阿弥陀経」を讀誦した
・・・1108-10-10 紀朝臣国康 正六位上 主典 木工寮の請により罷免
・・・1108-12-25 紀頼遠 石清水八幡宮権俗別当
・従5位上 佐渡に配流のこと議す
、、、1108-12-30 長門国美祢郡「大峰荘」石清水八幡宮宿院極楽寺領に
、、、1108-12-30 光清 石清水八幡宮宿院極楽寺院主
、、、1109-6-9 紀朝臣久範 従五位上 玄蕃寮頭 ※朝野群戴巻第2
・・・1109-6-9 紀朝臣秀道 正六位上 大属 玄蕃寮 ※朝野群戴巻第2
・・・1110 紀守宗 下野守の娘
‖―――定道 従5位下 佐々木宮神主 太郎太夫
宇多源氏源行定 佐々木宮神主 従5位下
・・・1110-3-2 紀閇丸公験紛失状 ※東大寺文書
・紀閇丸(略押)
・紀乙犬(略押)
・僧慶觀
・・・1110-12-13 伊賀国名張郡郡司等勘注 ※東大寺文書
・紀則末 名張郡前郡司
・1132-8-28 東寺領 丹波国「大山荘」事
・・・1111-2 紀朝臣守俊 勧学院知院事
・東大寺領の事で東大寺、興福寺の相論
・1119-4-8 左史生 官宣旨 従人は3人 ※東大寺文書
・・・1111-6-25 出雲国意宇郡「八幡荘」石清水八幡宮領
・・・1111-8-21 紀恒弘 伊予国住人 ※長秋記
・・・1111-8-25 紀定重 官使右史生 ※東大寺文書
・1111-10-2 史生紀定重申文観世音寺三綱等解 ※東大寺文書
、、、1111-10-27 大監 紀朝臣 5人 ※東大寺文書
・1116-2-21 紀朝臣有頼 従5位下 大監
紀朝臣知實府老
・1132-7 紀朝臣有頼 従5位下 大監
・子:紀重永監代
※宮寺縁事抄、石清水八幡宮文書
、、、1111-11-3 永観 79歳 入寂(1032-1111)
・・・1112-1-28 紀朝臣久實 従5位上 隼人正 下総守、飛騨守、
鳥羽院御宇御厨子所預 ※紀氏系図
、、、1112-3 紀頼子 局に法師3人を入れて臥したるところが発覚、無罪を主張したが
白河上皇の耳に入り宮中を追却された
・・・1112-7-27 済尊 仁和寺 功徳院
・1121-5-8 三井寺
・1205-11-25 園城寺
・1205-11-29 東寺 律師 伝燈大法師 定額僧に補す
宇多源氏 美濃守源俊輔
‖――――済尊
橘則理の娘
・・・1112-11-17 僧慶觀田地売券
・僧売人(略押)
・紀之乙犬丸(略押)
・紀舎弟(略押)
僧買人
・東大寺印あり
・・・1112-11-30 済円 東寺
・1120-5-14 西大寺
・1134-1-23 東大寺
・1145 68歳入寂(1078-1145)
藤原師行 従4位 世尊寺流
‖―――――済円
土佐守源長秀の娘
・・・1113-3-2 紀貞次 田原御栗栖住人
・御栗栖明神祭料田を押作することを停止せられん事を蔵人所に訴う
※史料綜覧 第二
・・・1113-6-23 石清水八幡宮の内殿常燈消滅す、光清、道清、祐清
・1153-5-19 道清 筥崎宮 大宰府に付され知行す
、、、1115 済暹 仁和寺 西山慈尊院に住する 90歳入寂(1025-1115)
・・・1115-12-13 紀遠輔 従六位 右兵尉 東寺長者権僧正
・寛助より三ケ年の小灌頂を受ける
※群書類従 第2史伝部
、、、1116-2-21 紀朝臣有頼 従五位下 大監 ※朝野群戴巻第2
・紀朝臣知實 府老
、、、1116-2-21 紀朝臣知實 府老 豊前国太宰府済物解文にみゆ
※朝野群戴巻第2
・・・1116-4-27 紀為清等連署請文案 ※東大寺文書
・紀為清 在判
・・・1116-6-5 紀朝臣為宗 従5位下 武蔵守 ※紀氏系図
・・・1117-6-29 任清 石清水八幡宮修理別当法橋
・1117-8-29 鳥羽天皇行幸(巌清、神主:紀兼仲等も)
・1124-2-8 権別當(年17歳)
・1125-10-9 26代別当
・1147-10-19 権大僧都
・1151-4-14 44歳入寂(1107-1151)
光清石清水八幡宮別當
‖――――任清
法眼覚心の娘
、、、1117-10-10 済実 興福寺
・父:周防守藤原敦基(権大納言 藤原公実の養子に)
・・・1118 成清 石清水八幡宮祠官 33代別当
・1129-6-22 成清検校の譲り状を紀太子にと
・乱清門徒の横防を停める
・1153-5-19 宮寺12代検校 權大僧都法印 大和尚位
・1160-11-29 石清水八幡宮權別當
・1171-3-2 宇佐弥勒寺講師及び喜多院司
・1188-1-7 別當
・1189 高野山に随心院を建立
・1192-2-4 石清水八幡宮法印権大僧都 検校
・1199-8-2 71歳歿(1128-1199)
・父:光清
、、、1118 済覚 延暦寺僧 37歳歿(1081-1118)
・・・1118-10-13 済朝 東寺
・1188 東寺
、、、1118-12-28 光清 石清水八幡宮 伝領 美濃
・・・1119 紀能忠 出納 ※中世公家と地下官人 吉川弘文館
・・・1119-4-8 紀朝臣行友 官宣旨 使左少吏 従人 ※東大寺文書
・1119-4-19 中宮御産部類記 ※群書類従29
・1127-8-28 官宣旨 加賀国「額田荘」奇人等解
・1151-12-25 筑後守 右京属中原清実の解状を下す
、、、1119-4-8 紀守俊 左史生 官宣旨 従3人 ※東大寺文書
・1127-8-28 官宣旨 加賀国「額田荘」奇人等解
・・・1119-4-19 紀朝臣能宇忠 出納
※中世公家と地下官人 吉川弘文館
・・・1119-12-29 紀朝臣宣寔 少録 ※朝野群戴巻第2
・・・1120 筑後国の観世音寺を東大寺の末寺とする。
・宇佐八幡宮別当に石清水八幡宮の頼清を補任する。
※東大寺辞典 東京堂出版
、、、1120-5-14 済円 西大寺
、、、1120-6-28 紀朝臣 2人 従五位下 大監 ※観世音寺文書
・・・1120-6-25 勝清(園)石清水八幡宮上座 号:園検校
・1152-2-29 第28代別當検校法印大僧都
・1158-3-3 法印 極楽院院主
・1171 60歳入寂(1111-1171)
・父:光清 石清水八幡宮
・子:1143 慶清 石清水八幡宮
・娘
‖―――源通家
源資賢
・・・1120-6-28 筑前国嘉麻郡司解等 ※平安遺文 3
・観世音寺領 碓井封田
・紀朝臣有頼 従五位下 大監
・・・1120-7-22 済観 仁和寺
・父:藤原俊家(藤原道長ー頼宗の後裔)
・・・1120-6-25 清尊 石清水八幡宮権都維那法師
・・・1121 紀朝臣季方 樂所補任 右舞人 36歳
・故右近府末正のニ男
東大寺 ※群書類従4
、、、1121-5-8 済尊 三井寺
・父:宇多源氏 源俊輔
・・・1122頃 石清水八幡宮光清の娘
‖―――雅仲 正5位下 大宮権亮 安元御賀舞
村上源氏源師伸 従2位 権中納言 千作者
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