富山

■2001年
8月9日、富山県氷見市で1999(平成11)年に見つかった「阿尾島田A1号墳」は、全長約70メートルの前方後円墳の可能性が高いことがわかった。埴輪などはなく、古墳を立派に見せる段築もない。前方部が細長いことや、前方部と後円部の高低差が六メートルと大きいことが小矢部市の「谷内16号墳」と類似していることから、古墳時代前期前半の築造と推測されることがわかった。埋葬部分は発掘しておらず、現在のところ出土品はない。盗掘の跡はないという。同古墳は日本海側最大の前方後方墳、「柳田布尾山古墳」の北約6.5キロにあり、築造時期も近く、柳田布尾山古墳について解明する手がかりになると期待されている(2001.9.12)
6月15日、富山県小矢部市の「桜町遺跡」から2年前に出土した国内最古の大型高床建物の屋根材が放射性炭素年代測定の結果、縄文晩期ではなく古墳時代前期のものであることが判明した。屋根材は1999年7月、同遺跡の浅いくぼ地から、片側半面が倒れ込んだような状態で出土。横8.1メートル、縦2.2メートル、厚さ2〜3センチ。保存状態が良く、樹皮を敷き詰めた上に葦を重ね、身舎桁(もやげた)や側桁(がわげた)など屋根全体の構造が確認できた。同屋根材の出土層から縄文土器の破片が見つかったことなどから、同年代と判定したが、精度の高い分析を進めたところ古墳時代のものとわかった(2001.7.13)
6月8日、富山県庄川町の丘陵地で見つかった盛り上がった地形は古墳群であると確認された。砺波地方東部では初の古墳で、「金剛寺古墳群」と名付られた。見つかった3基はいずれも方墳で、中央の一号墳は7.5メートル四方、高さ1.5メートル、東側の二号墳は5メートル四方、高さ0.8メートル、西側の三号墳は一号墳と同じ規模だが、東側半分は形が残っていない。築造時期ははっきりしないが、町教委は弥生後期〜古墳初期のものと推測している(2001.7.10)
5月9日、富山県小矢部市の「桜町遺跡」の本年度の発掘調査作業が始まった。昨年は、「水場遺構」や「笑う土偶」の頭部などが見つかったほか、直径6メートルの円上に配置された環状木柱列(ウッドサークル)の全容が明らかになり、今年も貴重な新発見が期待される(2001.6.3)
4月23日、富山県富山市市北代の「北代遺跡」から縄文時代の岩版の一部が出土した。岩版は模様を彫った方形やだ円形の石材の板。出土した岩版は、長さ8.7センチ、幅7.2センチ、厚さ4.7センチで、Y字状の文様が彫られ全体はだ円形で長さ16〜20センチだったと推定される。出土状況から、祭祀の道具に用いたとみられる。岩版は縄文時代の東日本に分布し、青森県木造町の「亀ヶ岡遺跡」が中心地。従来の最西端は新潟県津南町だったが、今回の発見で北代遺跡が最西端となる。Y字状文様が彫られた岩版はこれまで新潟県朝日村の元屋敷遺跡で見つかっており、今回が二例目(2001.5.8)


■2000年
12月20日、富山県小矢部市の桜町遺跡調査等検討委員会と発掘調査専門部会の合同会議が開催された。来年度は遺跡範囲の確定に向け、土石流層の深さや地下遺構への影響を把握するとともに、第一調査区の最終調査、第三調査区の晩期遺構面の継続調査を行うことに(2000.12.25)
12月15日、富山県井口村の「井口遺跡」の柱穴遺構が、「桜町遺跡」のウッドサークル(環状木柱列)の測量図とほぼ一致することが判明。「井口遺跡」の遺構付近でも焼けた人骨が見つかっており、「両遺跡が同一規格のもとに作られたウッドサークルである可能性が高い」(2000.12.18)
12月14日、富山県小矢部市の「桜町遺跡」の縄文晩期層で今年1月に出土した環状木柱列(ウッドサークル)の全容が明らかになった。10個の柱穴のうち8個で柱根が確認できる状態で、サークルの西側そばからは同遺跡で初の人骨3点も見つかった(2000.12.18)
12月4日、富山県婦中町富崎にある「富崎墳墓群」の2・3号墓が、弥生時代末期に築造された四隅突出型墳丘墓と判明。同古墳は山陰地方を中心に造られており、山陰と北陸が海運で直接交流していた証拠とされている(2000.12.11)
11月9日、富山県小杉町の「針原西遺跡」から縄文時代の男根形木製品が完全な形で出土。同種の木製品の出土は県内では初(2000.11.14)
11月7日、富山県小矢部市「桜町遺跡」の縄文晩期層から、笑う土偶の頭部が出土。祭祀的な道具とみられる(2000.11.9)
10月23日、富山の小杉町の「黒河尺目(じゃくめ)遺跡」から古代人が帯飾りの石帯(せきたい)に用いた巡方(じゅんぽう)と呼ばれる石製の装飾具が出土していた。(★参考2000.10.20の速報★)(2000.10.25)

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