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●秋田県雄物川町の「蝦夷塚古墳群」(8世紀中期)で、墓域を示すとみられていた溝跡から、古墳群と同時代と考えられる柵列(さくれつ)跡が確認された。円柱状のくい跡約80個がほぼ直線上に並び、11カ所にはくいの木片が残っていた。同遺跡からは、過去2回の調査で13基の円墳が確認され、今回の調査区域からは新たに4基の円墳が見つかった。柵跡が出土した溝跡は、この4基の円墳の南側にあり、東西に長さ約100メートル、幅約0.5メートル、深さ1メートルほど。(2002.9.25) |
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●3月1日、奈良県橿原市の「藤原京跡」で、藤原京期(694〜710年)の道路跡の下層付近から飛鳥時代の大型建物跡や溝跡が出土した。見つかったのは東西4.8メートル、南北11.5メートルの大型建物など2棟と計4本の溝跡。飛鳥川の西岸にあたる周辺地域は、蘇我氏系の小墾田(おはりだ)氏や田中氏の本拠地とされ、蘇我氏系の豪族居館の一部ではないかとの見方も出ている。(2002.4.24) |
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●2月12日、奈良県明日香村の「飛鳥京苑池跡」で、池の北端の護岸とみられる石垣が見つかり、池だけで南北約200メートルの規模がある庭園だったことが判明した。朝鮮半島・新羅の代表的な苑池、雁鴨池(がんおうち 7世紀後半、約200メートル四方)に匹敵する規模で、斉明〜天武朝のころ、わが国に外国使節や群臣の招宴に用いられた東アジア有数の庭園があったとみられる。(2002.4.2) |
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●鳥取県淀江町の「上淀廃寺跡」で第10次発掘調査が始まった。同史跡からは、日本最古級の彩色仏教壁画が出土しており、今回の調査は小石が敷き詰められていた「礫(れき)敷き」の敷設目的を解明するためのもの。(2002.3.27) |
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●1月31日、福岡県福岡市の「元岡・桑原遺跡群」で、飛鳥時代の鞍の着座部分「居木(いぎ)」がほぼ完全な形で出土したことがわかった。完全な形の鞍は、奈良・正倉院に伝わる奈良時代のものが国内最古。国内最古の出土例で、飛鳥時代以前の鞍を復元する貴重な手掛かりになるという飛鳥以前は、居木の前後に付く前輪(まえわ)と後輪(しずわ)の出土しかなく、居木は古墳の副葬品の馬具や埴輪などで原形が推定されてきた(2002.3.22) |
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●富山県魚津市の魚津神社は、御神体をまつった「御鎮座」から1300年を迎えた。同神社は702(大宝2)年3月、魚津町に創建され、天照皇太神をまつった。天文年間(1532〜1555)、越後の長尾氏が魚津を攻略した際、戦火にあって廃社となったが、天正年間(1573〜1592)に、魚津城主・河田豊前守が社殿を再建した。河田氏が没落後、加賀藩主・前田家家臣の青山佐渡守が社殿を増築し、江戸時代には、毎年8月27日に加越能の力士たちが腕前を競う神明相撲が催された(2002.3.11) |
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●1月23日、奈良県当麻町竹内の「三ツ塚古墳群」から、7世紀末〜8世紀初め(飛鳥時代末)の貝殻のような飾り金具が付いた黒漆塗りの革製ポシェットが出土していたことがわかった。このポシェットは2000年4月、同古墳群の11号墳の西側すそから出土。約17センチ四方で、厚さ約10センチのシカ皮製。裏地に麻らしい繊維を使い、貝殻のような形をした金銅製の金具(幅2.2〜2.5センチ、長さ1.7〜2.3センチ)が11個付いていて、表面に塗られた黒漆には光沢が残っている。金具で幅2センチ前後のベルトを通して固定していたらしい。ほぼ同時期の中国・唐代の皇帝陵、乾陵(7世紀末)の石像に、ポシェットによく似た形が刻まれてあるが実物の出土例はなく、革製ポシェットとしては日本最古という(2002.3.11) |
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●1月18日、奈良県香芝市の「尼寺廃寺」で、7世紀前半の法隆寺創建当初と同じかわらが出土した。出土した瓦は1点で、幅約17センチ、厚さ約7センチ、奥行き約18センチ。つる草の葉の「パルメット紋」が押されていることから、622〜643年ごろ作られ、持ち込まれたとみられる。同種のかわらは法隆寺でしか出土例がなく、原料の土も法隆寺出土のかわらと一致した。同寺の創建はこれまで7世紀後半ごろとされていたが、法隆寺初期と同じ遺物が発見されたことで、聖徳太子一族の上宮王家ゆかりの寺だった可能性が出てきたという(2002.3.6) |
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●12月10日、奈良県明日香村岡の「飛鳥京跡」で、宮内の幹線道路とみられる7世紀後半の石敷きや掘っ立て柱列が見つかった。石敷きは南北幅約7.9メートル(現存3.9メートル)で、東西方向に約14.6メートルを確認。さらに西に続いている。石材は一辺20〜70センチで、面を揃えて丁寧に敷き詰められていた。南側に塀とみられるふたつの掘っ立て柱列と石組み溝(幅74センチ)があり、一体の施設と考えられる。飛鳥浄御原宮は斉明天皇の飛鳥後岡本宮(のちのおかもとのみや)を改変して造営されたと考えられており、内郭と外郭で構成。今回の調査地は外郭を区画する塀のすぐ内側(2001.12.19) |
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●11月13日、奈良県橿原市四条町の「四条シナノ遺跡」で、藤原京造営に伴って削られた6世紀前半の古墳群が見つかった。同遺跡は四条シナノ古墳群と命名された。このうち、方墳の一基から、被葬者の権威を象徴するとされる「石見(いわみ)型盾形埴輪」が12本見つかった。古墳群の盟主的な人物を葬ったとみられる。石見型盾形埴輪は1号墳(東西21メートル、南北14メートル以上)の堀から出土。完形の1点は高さ約1.1メートル、幅約0.4メートル。藤原京の造営に伴って一括廃棄された可能性が強い(2001.12.19) |
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●11月7日、奈良県御所市北窪の「北窪遺跡」の古墳群から、銀製の釵子(さし=かんざし)が見つかった。銀釵子は逆U字形で長さ14センチ、幅5センチ。棒状にのばした銀を折り曲げ、中央部だけ偏平に打ちのばしたもの。横穴式石室に葬られた被葬者の頭部付近で見つかり、周囲にガラス玉も散らばっていたことから、かぶり物を飾っていた可能性もある。東側の横穴式石室では、土で作ったミニチュアの炊飯具も見つかった。周辺は金や銀の加工技術を持った渡来系氏族、朝妻氏の拠点地域だったとみられ、専門家は古墳群の被葬者が同氏につながる可能性があるとしている(2001.12.19) |
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●奈良県桜井市山田の「磐余(いわれ)遺跡群」で、7世紀後半の木製車輪の一部が見つかった。多数の埴輪が見つかった小立古墳の周辺部で平成12年に出土したもので、車輪は外周の轍(わだち)とスポークにあたる輻(ふく)、車軸どめで構成され、推定の直径は約110センチ。轍の厚さは3.7センチで、接地面が擦り減っていた。いずれもアカガシ製。車輪の出土例は少なく、今回見つかった車輪は国内最古級。中世の絵巻物などに登場する車輪の原形が、飛鳥時代に完成していたことを示す重要な資料となる(2001.12.19) |
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●奈良県明日香村飛鳥で、7世紀中ごろの大規模な溝が見つかった。溝は南北方向に流れており、東側の土手も見つかっている。幅3メートル、深さ1.3メートルで緩やかなすり鉢状で、中央付近はさらに深くなるとみられる。飛鳥東垣内遺跡では、幅10メートルの溝の両岸が確認された。平成11年に「飛鳥東垣内遺跡」で出土した溝の延長線上にあたり、規模や位置などから、斉明天皇が石材運搬のために掘らせた「狂心渠」の可能性が強まった(2001.12.19) |
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●奈良県橿原市四条町の「藤原京跡」で、京内を南北に走る幹線道路のひとつ、西六坊大路跡が見つかった。これまでの調査結果と合わせ、条坊制にのっとって施工されたことがほぼ確定した。推定路線のすぐ西側に四条塚山古墳(綏靖天皇陵)があり、研究者の間では、藤原京の造成工事から同古墳が意図的に守られたとする見方が出ている(2001.12.19) |
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●奈良県御所市北窪の「北窪遺跡」で、大規模な掘っ立て柱塀の遺構(7世紀後半〜8世紀初頭)が確認された。掘っ立て柱塀跡は南北に3列、東西に2列見つかった。方形の柱穴は1辺60〜100センチ。柱穴の規模は藤原京内の建物に匹敵、日本書紀は天武天皇が葛城山ろくの「朝妻」に行幸したことを伝えており、関連が注目される。現場の約600メートル南側には、朝妻廃寺があり、同じ文様の瓦が今回の古墳群で出土。渡来系の金工集団である朝妻手人(てひと)は滋賀県の近江地域にも拠点を持つ有力な金工集団だった(2001.12.19) |
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●8月29日、京都市伏見区小栗栖北谷町で飛鳥時代の7世紀半ばの創建と伝わり、中世には衰退した幻の古代寺院「法琳寺」の遺構とみられる三個の礎石と、瓦などが見つかった。礎石は自然石をそのまま利用し大きさは不均一。また、瓦は、法隆寺で使用されたものと同型の「複弁八葉蓮華紋(れんげもん)」といわれる軒丸瓦。寺の存在自体は推定されていたが、遺構が確認されたのは初めて(2001.10.25) |
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●鳥取県三朝町三徳山の三徳山・三仏寺から経塚から、明治時代初期に出土した如来坐像が発見され、倉吉博物館で開催中の「金銅仏展」に展示されている。同仏像は、白鳳時代のもので像高が9.5センチで、全身に金を施した金銅仏。高さ7センチほどある裳掛座(もかけざ)に乗っている。1999年10月、奈良市であった「東アジアの金銅仏展」に出品されていることが展示図録で判明。倉吉博物館が主催者に問い合わせたところ、京都市の個人が所有していることがわかり、今回の金銅仏展に合わせて借り受けた(2001.10.3) |
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●奈良県明日香村岡の「酒船石遺跡」で、拡大調査に向けた準備作業が始まった。同遺跡から昨年見つかった導水施設は、酒船石が置かれた丘陵の北側に位置。全長約2.4メートルの亀形石造物を中心に、南から北へ水を流す仕組みだった。村教委は、この亀形石造物の南側の丘陵約3000平方メートルの発掘調査を予定している(2001.8.25) |
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●奈良県橿原市の「植山古墳」の東石室に納められた長さ約2.5メートルの石棺から副葬品はすべて持ち去られていたことが判明した。今回の調査では、東石室だけが先に築かれたことも明らかになった。市教委で「推古母子の墓という前提に立てば、改葬の際にすべての副葬品を運び出した可能性がある」と話す。推古天皇が亡くなったのは622年。遺言に従い、「竹田皇子の陵(みささぎ)」に葬られた。古事記には、その後、科長に改葬されたとの記述がある(2001.8.25) |
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●青森県八戸市の「丹後平古墳」で出土した「獅噛式三累環頭大刀把頭」(しがみしきさんるいかんとうたちつかがしら)と同様の遺物が韓国で見つかった。獅噛式三累環頭大刀は1996〜1998年まで発掘が行われた全羅南道・羅州市の「伏岩里(ボクアンリ)三号墳」で出土した。丹後平古墳では把頭だけが古墳の周溝から見つかったが、伏岩里三号墳では第七号石室と呼ばれる横穴式石室から、大刀についた状態で出土。全体の長さは84センチあった。ただし伏岩里三号墳は6世紀後半〜7世紀初めに造られたとみられるのに対し、丹後平古墳は7世紀後半〜8世紀にかけて造られ、両者には100年ほどの開きがある(2001.7.27) |
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●6月20日、長野県長野市寺良の「下寺良中原遺跡」から和同開珎1枚が発見された。市教委によると、伊那谷では過去に飯田市で銀製の和同開珎(県宝)が出土しているが、銅製の発見は初めて。和同開珎が地方で流通していたとは考えにくい点から、「だれかが都(平城京)周辺から持ち帰ったのでは」と推測している。都同遺跡は、日本最初の分類体の漢和辞書「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」に記載がある古代の大集落「手良郷」の一部とされる(2001.7.4) |
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●5月31日、和歌山県南部町が東吉田地内で進めている町道改良工事に伴う発掘調査で、飛鳥時代のものとみられる県内最古級の須恵器製すずり『把手付中空円面硯(とってつきちゅうくうえんめんけん)』が出土した(2001.7.10) |
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●愛知県岡崎市教委は、6月4日から試掘で7〜14世紀ごろの集落跡などが見つかった同市宇頭町の発掘を行う(2001.6.11) |
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●3月31日、奈良県明日香村にある「酒船石遺跡」の丘陵西すそに、7世紀後半に造られたとみられる広さ500平方メートル以上の大規模な石敷き広場があることがわかった。道教の寺院「両槻宮(ふたつきのみや)」の入り口施設ではないかとの見方も出ている。
丘陵の北すそでは亀形石造物と石敷き広場がすでに出土、石敷き広場は両方ともほぼ同時期の築造とみられ、両槻宮説がある丘陵を、天武天皇の時代には複数の石敷き広場が取り囲んでいたらしい(20014.8) |
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●3月21日、奈良県明日香村の飛鳥京苑池(7世紀中ごろ〜後半)が、南北200メートル以上、東西70メートル以上で中の島を持つ極めて大規模な苑池であることが判明した。苑池は外国使節や群臣の招宴に用いられたとみられ、律令国家を目指した斉明〜天武朝(7世紀中ごろ〜後半)のころに、東アジア有数の庭園があった可能性が出てきた(2001.4.3) |
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●3月17日、愛知県西尾市志貴野町の「古新田遺跡」で現地説明会が開催された。同遺跡からは飛鳥時代の竪穴住居跡20棟分や当時の土器類のほか、平安〜鎌倉時代の掘立柱建物、溝などが出土している(2001.3.28) |
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●3月14日、奈良県桜井市の吉備池廃寺の北側の隣接地「吉備池遺跡」で、廃寺と同時期の7世紀前半に築造されたとみられる掘っ立て柱建物跡などが見つかった。吉備池廃寺は築造年代や伽藍の規模などから、舒明天皇の発願で639年に創建された日本初の国立寺院・百済大寺である可能性が強まっている(2001.3.21) |
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●2月20日、岡山県総社市山田の「砂子(さご)遺跡」で6世紀前半の工房跡から鉄鉱石が多量に出土、製鉄の開始時期が一層さかのぼり、最古になる可能性が一段と高まった。新たな工房跡は竪穴遺構(一辺約6メートル)。床面に高熱を受けた炉跡があり、周辺に小指の先ほどの鉄鉱石片が数十点散らばっていた。これまで国内出土の製鉄炉跡は、同市奥坂の「千引かなくろ谷遺跡」などの6世紀後半が最古とされてきた(2001.2.23) |
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●2月14日、三重県鈴鹿市十宮町の「宮ノ前遺跡」と「八重垣神社遺跡」、同市河田町の「河田宮ノ北遺跡」から大量の木製品や馬の骨などが見つかった。同遺跡群はは直径約600メートルの円内に点在。見つかった木製品は、土木作業や耕作に使う鋤鍬類、農産物を加工する際に使用する竪杵(たてきね)、横槌(よこづち)、木の皮を薄く割いて編んだらしいざるなど約300点。刀や鏃などの武器の形をしたものや頭椎大刀(かぶつちのたち)の一部も見つかっている(2001.2.18) |
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●2月1日、石川県七尾市三室町の「三室トクサ遺跡」で、古墳時代後半(7世紀)以前のものとみられる丸木船が見つかった。刳船(くりふね)原型とも考えられるとしている。丸木船が原形を保った状態で出土したのは県内では初(2001.2.5) |
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●1月29日、佐賀県鳥栖市神辺町の「神山古墳」(7世紀初頭)の石室から、金銀の装飾付き太刀3点が出土。太刀はそれぞれ形が異なり、一点は柄頭(つかがしら)が握りこぶしの形をした頭椎(かぶつち)太刀で、あとの2点は圭頭(けいとう)太刀(2001.1.31) |
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●滋賀県愛知川町市の「市遺跡」から古代末〜中世にかけての掘っ立て柱建物4棟と井戸7基などの遺構や遺物が出土した(2001.1.31) |
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●1月23日、群馬県赤堀町の「多田山12号墳」(7世紀後半)の唐三彩の陶枕(とうちん)の上薬に含まれる鉛の放射性同位体の比率が中国南部の長江中流域付近のものと一致した。現在まで長江流域では唐三彩の窯跡は発見されていない(2001.1.25) |
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●1月11日、三重県四日市市伊坂町の「西ケ広遺跡」から飛鳥(6世紀)〜奈良時代(8世紀)までの竪穴住居18棟や掘っ立て柱建物7棟以上が見つかった。同遺跡での竪穴住居の出土は、今回分を含め71棟となった。大型掘っ立て柱建物をはじめとする役所のための建物は平地に、住居は斜面にという「計画的な配置がうかがえる」としている。西ケ広遺跡は、朝明川北岸の台地にある弥生(1世紀)〜室町時代(16世紀)までの遺跡(2001.1.15) |
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●12月21日、奈良県明日香村の「石神遺跡」の北側から、溝と塀跡の一部が見つかった。出土した土器から、斉明天皇(655〜661年)の時代に造られたとみられる(2000.12.27) |
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●12月14日、兵庫県小野市黍田町の「黍田白雲谷(はくうんだに)」古墳で、7世紀ごろとみられる横穴式石室の棺を納める玄室入り口に、木の扉が存在した柱穴と装飾付須恵器が出土(2000.12.18) |
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●12月7日、放火で本堂が焼失した京都市左京区大原の寂光院は、本堂跡を試掘調査することに。同寺の建物の変遷を調査し、再建の資料を集めるのが目的。寺伝によると、同寺は聖徳太子が594(推古2)年に創建。1185(文治元)年、建礼門院が草庵を結び、平家一門の菩提を弔ったとされる。現在の本堂は、慶長年間(1596〜1615)に淀君の発願で再建されたと伝わっている(2000.12.12) |
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●11月30日、滋賀県草津市野路町の「野路小野山製鉄遺跡」(7〜8世紀)で、長方形箱型の製鉄炉の遺構を発見。野路小野山製鉄遺跡からはこれまで製鉄炉11基のほかに工房跡や管理用建物跡が出土(2000.12.12) |
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●島根県の木次町北原の「下布施横穴墓群」で見つかった7世紀前半のものみられる大刀をX線調査したところ、金や銀で装飾した「飾り大刀」と判明。装飾が施されていたのは柄の部分。糸を螺旋状に巻いた葛(かずら)纏(ま)きが施され、柄頭は漆を下地に金と銀が飾られていた(2000.12.12) |
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●11月20日、愛知県愛知川町の遺跡で7〜8世紀にかけての依智秦氏の集落と見られる掘立柱建物跡14棟と、調理場らしい大型の炉跡が見つかった。依智秦氏は8〜9世紀後半まで愛知郡司(大領)をほぼ一貫して務めた有力氏族。6世紀末のなまず遺跡、7世紀後半の造営とみられるかんがい用水「愛知井」、7世紀末創建の畑田廃寺などの遺跡は知られていたが、7世紀前半の依智秦氏の集落跡は不明だった(2000.11.27) |
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●11月6日、岡山県総社市の三須・観音堂遺跡で白鳳期から奈良時代初期の整然と築かれた人工の溝跡が出土。″幻の古代寺院″と呼ばれる三須廃寺か、地方行政府である郡衙(ぐんが)ではと推測されている(2000.11.8) |
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●10月23日、福岡県福岡市の元岡遺跡群で「大寶(たいほう)元年」(701年)と記された木簡が出土。元号が記された国内最古の木簡で、税として「鮑」などを納めたことや運んだ馬の特徴なども墨書されていることから荷札とみられる(2000.10.30) |
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●10月16日、奈良県斑鳩町の法輪寺の金堂周辺から創建時の金堂の基壇(土台)跡が見つかった。法輪寺は聖徳太子の病気平癒を願い、太子の子どもの山背大兄王らが造ったとする説(622年)と、法隆寺(若草伽藍)が焼失した後、造られたとの説(670年)がある(2000.10.23) |
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●10月12日、明日香村(奈良)で今年2月に見つかった亀形石の北方へ続く溝と石段が出土。一緒に出土した土器から、同遺跡は斉明天皇の時期に造られ4回に分けて大規模改修され9世紀後半まで使われていたことが判明。水にかかわる祭祀に使われていた可能性が高まった(2000.10.16) |