■2001年
●滋賀県安土・能登川両町にある安土城跡の中枢部「天主台」は、自然の山を利用した構造である可能性が強まった。調査で、天主台に巨石を埋める余地のないことが明らかになった。安土城天主跡は礎石91個が残っている。昨年10月からの天主台の調査は蛇石の行方がポイントの一つで、天主地階跡の中央の「なぞの縦穴」が天主台の構造の手掛かりを握るとして注目されていた。この縦穴は深さは1.1メートル、底部は一辺約50センチのほぼ方形だと再確認されたが、その下の天主台内部とみられる部分は、山自体の岩盤層で成り立ち、天主台の地下に蛇石を埋め込む余地のないことが判明。ちなみに『信長公記』には築城に使った巨石「蛇石」についての記述がある。「1万人余が3日3晩かかって山上まで上げた」と記された。キリスト教宣教師の報告にある、6000〜7000人が引き「最も高い建物」へ上げた「特別の一つ(の石)」とも考えられる(2001.3.7) ●2月15日、滋賀県の安土城郭調査研究所は、同県安曇川町に伝わる古文書から、本能寺の変後の安土城下に関する記述が見つかったと発表。古文書は、琵琶湖西岸の材木を取り扱う「材木座」があった安曇川町南船木に残っている山本家文書の一部。本能寺の変の1カ月後の7月8日付の連署状に、信長の三男信孝を示す「三七様」のための材木を送るとの一節があり、「湖西から岐阜まで材木を送るとは考えにくく、信孝が安土に屋敷を構えていたか、新築しようとしていた」とみている。また同文書中には、丹羽長秀屋敷を示すと思われる「殿様安土御座敷」という記述もあり、「信孝用の材木と長秀用の材木を混同しないように」と記されていたことから、信長の死後も長秀屋敷が存続し、修理や増改築のための材木を必要としたことが判明した(2001.2.20) ■2000年
●千葉県・国立歴史民俗博物館で開催中の「天下統一と城」展にCGで再現された安土城展示。さまざまな角度や高さから安土城と城下町、そして天守閣の内部を見ることができる。本日朝のNHKニュースなどで一部放映(2000.10.3) ●安土城郭調査研究所は今年度、天主跡穴蔵部分などを調査。炎上時に変色したとみられる赤褐色の土を確認したほか、穴蔵内の床面を支えるためとみられる礎石とその抜け穴と思われる遺構3基も見つけた。なお11月5日に現地説明会が行われる(★イベント情報参照★)(2000.10.30)
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