伝説伝承


■2002年
11/24、和歌山県田辺市上野で盗まれた役行者の石像のかわりの新しい石像が祭られ、開眼法要が営まれた。石像は清姫ゆかりの市天然記念物「捻木 (ねじき)の杉」の前に設置された(2002.12.5) 紀伊民報
2002/11/27
●8月9日、滋賀県彦根市後三条町の真言宗長久寺で怪談「番町皿屋敷」のモデルになったとされる「お菊の皿」が一般公開された。同寺によると、お菊は江戸時代初期の彦根藩士孕石政之進の侍女で、相思相愛の仲だった政之進の気持ちを試そうと、孕石家の家宝だった10枚組の皿の1枚を割った。政之進は憤慨し、残りの9枚を割ったうえ、お菊を斬り捨てたという。のちに、お菊の母が9枚分の皿の破片を長久寺に寄進し、同寺は破片をつなぎ合わせ保管してきた。皿は直径約20センチの白磁で、現在6枚残っている。(2002.8.13)
●6月2日、徳島県山城町の地元ボランティア団体・藤川谷の会は、同地区一帯に残る妖怪伝説などをまとめた地図「藤川谷 伝説の里」を作製。同日行われた「伝説の里めぐり」と題したバスツアーで披露された。地図はカラーのイラスト入りで26件ある伝説ゆかりの場所などを解説した別紙の説明書きが添えられている。(2002.6.24)
●1月27日、和歌山県本宮町の語り部や郷土史研究家などでつくる「熊野おぐりの会」と、照手姫生誕の地とされる神奈川県相模原市の「さがみてるて姫の会」は今後の交流を深める協定を結ぶ。歌舞伎や説教節などが主流となった同物語は、照手姫を強引に説得して愛を深めた小栗判官に腹を立てた姫の父が、小栗を毒殺。地獄に落ちた小栗は餓鬼阿弥の姿で復活し、土車に乗せられて熊野の湯の峰を目指す。444日かけたどり着いた小栗は、熊野権現のご加護と湯の峰温泉の薬湯の功あって元の姿に戻り、照手姫と再会して幸せに暮らしたというストーリー(2002.3.11)


■2001年

8月16日、福井県上中町山内の浄土真宗・明応寺で寺に伝わる大きな生き物の骨とみられる品が披露された。骨とみられるのは長さ約1メートル、幅が10〜20センチ。両側に対になった突起が並んでいる。地元では大蛇の骨ともささやかれているが巨大な爬虫類の骨の一部との見方が有力(2001.9.13)
●茨城県八郷町小野越にある、小野小町が訪れたといわれる北向観音の荒れた境内の整備を同町のボランティアが始めた。北向観音の縁起書によると、小野小町は東北地方に帰る途中、病を患い新治村から山を越え北向観音に参拝。霊験で病がいえた小町は和歌一首をお礼に奉納して旅立ったという。「小野越」の名称もこの故事にちなんだと、記されている。北向観音には、山越えの途中に休んだ「腰掛石」、地面にさしたかんざしが木になった「かんざしの木」、回復した姿を映した「姿見の池」、和歌を詠むためすずり代わりにした「すずり岩」各種の小町の“遺産”が残っている(2001.8.23)
●7月5日、三重県鳥羽市鳥羽四丁目の住民たちが使っていた「弘法井戸」と呼ばれる泉のそばに石柱が建てられ、地蔵が安置された。言い伝えによると、旅の僧がやって来ておばあさんに水を求めたところ、おばあさんは30分もかけて水くみに出掛けた。去り際に僧がつえを突き刺したところ、清水がわき出したのが起源とされる。いわゆる弘法大師伝説の一形態で、地元の人たちは「弘法水」とも呼び、昭和30年ごろまで飲み水に使ったり、炊事洗濯にも利用したりしていた(2001.7.22)
●京都府大宮町文化財保存会は、小野小町伝説の里とされる同町五十河(いかが)地区の山林で深草少将を祀った石碑が見つかったことを明らかにした。同地区の小町伝承は、地元の妙性寺が保存する「妙性寺縁起巻物小野小町姫」(江戸時代後期)に記され、「深草四位の少将」は小町の没後、墓所前で泣きながら最期を遂げ、「南の山端に盛り土して岡の宮として崇(あがめ)めました」と書かれている。石碑は同地区の山林の祠内で確認され、表面に「岡宮大明神」の文字が彫ってあった。石碑に記された文字が小町にちなむ文献に出てくる神名と一致したためで、10月に地元で開かれる「第四回全国小野小町サミット」で発表される(2001.7.6)
●丹後広域観光キャンペーン協議会は、浦島伝説で国内最古とされる伊根町の伝説を紹介したビデオ「浦嶋子(うらのしまこ)伝記」をこのほど作った(2001.6.2)
●5月19日、宮城など4県の歴史愛好家らが「アラハバキ学会」を旗揚げした。アラハバキは、蝦夷と呼ばれた時代の東北の人々が信仰した自然神と伝えられ、坂上田村麻呂らの奥州征服の過程で中央の神仏に取って代わられたといわれる。現在も、足の病の神などに姿を変えた神社が残る(2001.5.29)
●京都府の舞鶴市教委は、浜のしおじプラザなど市内3カ所に海にまつわる伝説や史実を紹介した地図入りの説明板を設けた。 しおじプラザの説明板は、大国主尊(おおくにぬしのみこと)たちが国を造ろうと呼びかけ、戸島など四つの島が集まったという「枯木浦(かれきがうら)」の伝説を取り上げている。ほかに「冠島と凡海郷(おおしあまごう)」の伝説を三浜の大浦ハイランド、舞鶴西港の古名「笛ケ浦」にちなむ史実を下安久の匂崎公園の説明板で、それぞれ紹介している(2001.5.21)
●新潟県新穂村潟上の牛尾神社に伝わるご神宝「ウミヘビのミイラ」の由来を記した文書が同村教育委員会で見つかった。文書は同神社から、ミイラを奉納した氏子にあてた1824年のお礼状。1975年ごろ、村史をつくるために村内から集めた古文書のコピーの中から偶然見つかった。この古文書から確認されている全国のウミヘビのミイラの中で最古の可能性も出てきた(2001.5.9)
●3月29日、富山県小矢部市天池の旧北陸道である歴史国道沿いのわき道付近に今も残ると伝わる平安末期の武将・木曽義仲の妻、巴御前ゆかりの幻の泉を求め、現地調査が行われた。幻の泉は、旧北陸道を往来する旅人の貴重な飲用水として重用され、小矢部市史にも、熱病治癒に効用のある湧き水「関の清水」としての伝承も記されている。同市史には昭和40年代前半まで、直径1メートル、深さ7〜80センチほどの穴に湧き水が存在したとの記述も残る(2001.4.16)



■2000年


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