広島

■2003年
2/4、広島県吉舎町は、同町出身の日本画家・奥田元宋の生家を記念館として保存整備することになった。(2003.2.25) 中国新聞
2003/2/4
■2002年
12/18、広島県芸北町雄鹿原地区で、町が進めてきた旧跡や名所を巡る案内板や遊歩道 「雄鹿原歴史の散歩道」の整備が終わった。同道には栗栖勢と石見の福屋勢が戦ったとされる雄鹿原合戦で、栗栖勢が陣を張ったとされる城岩などが含まれる。(2003.2.19) 中国新聞
2002/12/18
11/27、広島県三次市の三次高漫画映画研究会は、広島県吉田町歴史民俗資料館の依頼で毛利元就と尼子氏との「郡山合戦」を描 くは約3分のアニメを作成している(2002.12.5) 中国新聞
2002/11/27
11/26、下蒲刈町は、2003年3月末の完成を目指して江戸時代に大名が宿泊していた 「三之瀬御本陣」の復元を進めて いる。外観はほぼ元通りの姿に し、内部は展示場となる(2002.12.5) 中国新聞2002/11/26
●5月28日、米ニューヨークの世界文化遺産財団のスタッフが広島県福山市の「鞆の浦」を視察に訪れる。同財団は2001年10月、危機にひんしている人類遺産「ワールド・モニュメント・ウオッチ(WMW)」の2002年版リストに鞆の浦を選んでおり、現状把握が狙い。(2002.6.24)
●5月19日、広島県岩国市の錦帯橋の第三橋の解体材と加工端材のオークションが錦帯橋そばの横山河川敷運動広場で行われた。ヒノキの橋板や高欄、松、ケヤキの橋げたなどの解体材のほか、板状やブロック型の加工端材を販売した。(2002.6.24)
●広島県尾道市の茶・茶道具販売・今川玉香園茶舗は、昨年の芸予地震で破損した築130年といわれる土蔵の復元を進めている。蔵は二階建て延べ約100平方メートルで、明治初期の建築と考えられている。壁は厚さが約35センチもあり、石灰を混ぜた土で五層に塗られ、隣接する家屋が火災になっても、延焼しにくい「火入らずの蔵」という構造。しかし、2001年3月の芸予地震で、屋根などが破損した。(2002.6.24)
●2月16日、 広島県向島町にある吉原家住宅(重文)が修復に先立ち無料公開された。同住宅は、江戸初期の1635年に建造された国内最古の農家。吉原家住宅は、2001年3月の芸予地震で、かやぶき屋根や柱の一部がずれるなどしたため、2月下旬から2003年12月にかけて修理される。(2002.4.2)
●2月8日、芸備地方史研究会など全国の歴史学関係の49学会は、福山市鞆町で広島県と市が進めている鞆港埋め立て・架橋計画の中止を求める要望書を、扇千景国土交通大臣と河合隼雄文化庁長官あてに郵送した。要望書では、鞆の浦について「古い形態の港と町並みがセットで大規模に残され活用されている場所は全国でもここだけ。歴史的遺産としての価値は著しく高い」と評価。その上で、「埋め立て・架橋計画は鞆の浦の基幹部分を破壊し、港町全体の姿に根本的な改変を加える。文化財と歴史的景観の破壊は、鞆の浦の将来にも大きな打撃を与える」と主張。(2002.3.27)
●1月29日、広島県文化財保護審議会は、厳島神社の琵琶と、神辺町の菅波家に残る冊子『菅波信道一代記』を県重要文化財に指定するよう教育長に答申した。厳島神社の琵琶は、1262年、皇室に伝わる「玄上の琵琶」を模して製作されたという。また、『菅波信道一代記』は1860年ごろ、大名が宿泊する本陣などを営んでいた菅波信道が作成した75冊の自叙伝。挿絵を多用し、酒造りや街道の宿駅、私塾など当時の様子を伝えている(2002.3.22)
●広島県呉市の入船山記念館に呉市の初代市長を務めた佐久間義一郎氏(1842〜1903)の海軍の軍装姿の写真が寄贈された。佐久間氏は、芸州藩の家中に生まれ、漢学や剣術を学ぶ。郷土の部隊「回天軍神機隊」に加わり、戊辰戦争にも参戦。その後、海軍の呉、佐世保両鎮守府の監督部長などを務めた(2002.3.22)
●1月25日、広島県福山市は、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)選定を目指している福山市鞆地区の保存計画案の概要を明らかにした。「港町としての町並みの特性を生かして伝統的建造物群及びこれと一体となる環境を保存する」とし、保存地区8.6ヘクタール内で、江戸時代〜昭和20年ごろまでの274棟を保存候補に挙げている(2002.3.11)


■2001年
●12月16日、広島県福山市鞆町にある「太田家住宅」(重文)の解体修理・復元工事が終わり、一般公開された。同住宅は、1375平方メートルの敷地に母屋と保命酒蔵、土蔵、釜屋、炊事場など9棟がある。いずれも200年前の建造とされている(2001.12.19)
●広島県尾道市長江にある洋画家・小林和作(1888〜1974)旧居を、遺族が市に寄贈の意思を伝えた。小林和作は山口県秋穂町の出身。22歳で文展入選を果たし、46歳の時に尾道へ転居。旧居は、尾道の名所である千光寺山を望む場所にあり、木造二階の母屋など3棟が残る(2001.10.3)
広島県尾道市高須町防地峠に残る福山藩国境番所の保存に関係者らが立ち上がった。防地峠は、明治政府が1871年に廃藩置県を行うまで、福山藩と広島藩の境に当たっていた。番所は、旧山陽道沿いにあり、そばには「従是(これより)東 福山領」「従是西 芸州領」と彫った石柱が残る。 木造平屋の福山藩の番所は、先祖が番所役人だったという高須町の岩田正治氏が25年前まで居住し、今も所有。福山藩が幕末期に薩摩と長州の連合軍の攻撃を警戒して整備したとされ、書院造りの外観や丸太柱などの構造や工法をとどめる。 江戸時代に藩の境と街道を見張る要所だった国境番所で、現存は全国でも3カ所にとどまる(2001.9.21)
●広島県竹原市吉名町の郷地区の住民が、跳ねてんびんの井戸3基を復元した。跳ねてんびんは杉の木製で、支柱の高さ約5メートル、てんびん棒の長さ約6メートル。つるべを端に付けた約6メートルの竹をてんびん棒につなぎ、深さ約2メートルの所にある井戸水を一回当たり約20リットルくめる仕組みになっている(2001.9.21)
●広島県三次市三次町の「頼杏坪(らいきょうへい)役宅」の茅葺き屋根の修繕工事が始まった。 「運甓居(うんぺききょ)」とも呼ばれ、頼山陽の叔父、頼杏坪が170年前に三次町奉行を勤めていた当時の居宅(2001.9.12)
●8月4日、広島県広島市の市立袋町小の被爆保存校舎の一般公開された。地下1階、地上一部2階の保存校舎は、壁に塗った漆喰の下から「寮内」などの文字が発見された西校舎の一部。「患者 村上」と書かれた柱や、「御知セアリタシ」の文字が残る黒板裏の壁など、西校舎の解体部分から切り取った被爆資料も5点も展示(2001.8.25)
●7月15日、広島県高野町高暮の宿泊研修施設「ふるさと村高暮」に、本格的な竪穴住居を建築されることになり上棟式が行われた。三次市の県立歴史民俗資料館の協力を得て、縄文や弥生時代の住居をモデルにしている。ふるさと村高暮は、廃校になった旧高暮小を改築した宿泊研修施設で、近くで縄文、弥生時代の建釜遺跡が見つかっていることから、「縄文時代の生活を体験できる場に」と住居の整備を計画。これまでにも縄文時代の燻製炉も再現している(2001.7.27)
●6月1日、広島県三原市の秦森康屯記念館が閉館したことが判明した。芸予地震で外壁が崩れるなどの被害があり、同館を運営する「かもめ文化振興財団」が、安全性や景観を考慮し、「美術館としての存続は困難」と判断したため。同館は三原市出身の洋画家秦森康屯(1923〜1994年)の作品を展示していた(2001.7.4)
5月7日、広島県広島市中区の原爆資料館の2000年度の入館者数は、107万5110人で、5年連続で前年度を下回った。入館者の減少に歯止めがかからない状態が続いている。資料館は昨年末までに、修学旅行での来館を取りやめた全国約500校に理由をアンケートした結果、平和学を他の目的に変えた学校や、児童、生徒が希望しなかったという学校が目立ったという(2001.5.22)
●広島県福山市久松台の聖イエス会福山教会内の「沖縄戦展示資料室」に、新資料約50点が加わった。被弾して大きく裂けた水筒や米軍の火炎放射器の炎で黒焦げになった毛布、日本兵が集団自決の際に使った手榴弾など。同教会の松田牧師は「戦争の恐ろしさを知ってほしい」6年前から、遺品など約50点を展示してきた。資料室は日曜日以外、無料で開放されている(2001.5.22)
●3月30日、芸予地震が広島県内の文化財や史跡、名勝に与えた被害を県教委がまとめた。宮島町の厳島神社や福山市の安国寺釈迦堂、さらに東広島市の木造薬師如来座像や甲山町の安楽院山門などが被害を受けた。このうち、厳島神社では、摂社客(せっしゃまろうど、国宝)神社や東廻廊の床板の一部にゆがみが発生。五重塔(重文)は基壇に亀裂が入り、多宝塔周囲の塀の礎石にずれが見つかった(2001.4.9)
●広島県安芸市井ノ口にある岩崎弥太郎生家のかやぶき屋根のふき替えが行われている。岩崎弥太郎(1834〜85年)は三菱グループの創始者。生家は弥太郎の曾祖父、弥次右衛門が1795年ごろに建てた寄せ棟造りの平屋(2001.2.8)
●広島県福山市鞆町後地の「市鞆の浦(とものうら)歴史民俗資料館」は、新パンフレットを作製。同資料館は、 鞆の浦を中心とした瀬戸内の歴史や文化を紹介している。昨年見つかった、江戸時代に朝鮮通信使が鞆を訪れたことに関する資料も追加した(2002.2.2)
●広島県神辺町内の民家で3年前に発見された、中山松濤(しょうとう)(1855〜1902年)の美人画や風景画、静物などの下絵約200点が町立歴史民俗資料館で初めて公開されることになった。松涛は、明治期の備後地方を代表する女流画家。松濤の死後、中山家が途絶えて作品は散逸していた(2002.2.2)


■2000年
●10月28日、広島県広島市で広島ゆかりの武将茶人・上田宗箇の茶を継承する上田流の茶寮和風堂を初公開。この堂は、江戸初期に広島城内上屋敷に宗箇が建てたものを戦後ほぼ忠実に再現したもの(2000.10.31)

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