金沢城

■2003年
1/29、石川県金沢市の金沢城から、築城初期の虎口跡が見つかった。本丸の一部に当たる石垣の脇を発掘したところ、南西方向に長さ約4メートルにわたり、通路の側壁となる石垣が見つかった。石垣は、自然石をそのまま生かし、ほとんど加工されていなかった。このため、文禄・慶長年間に築造されたものと見られ、側壁が本丸側に向いていることから、利家らが出入りした大手門だった可能性が高いとみられる。(2003.3.5) 中日新聞
2003/1/30
■2002年
■2001年
石川県は、金沢城址か金沢城かで議論となっていたの表記を金沢城址で統一することを決めた。全国的に「城」は江戸時代からの天守閣が残っている場合が多いために「城址」に落ち着いた。しかし、明治以降に建てられた木造城郭としては国内最大級の木造建築物「菱櫓(ひしやぐら)・五十間長屋・橋爪門続櫓」が復元されているため、「金沢城」と主張する意見もあった(2001.10.7)
8月17日、石川県は金沢城址公園整備の一環として、石川門の左右を固める「太鼓塀」を、加賀百万石博が終了する2003年1月以降、史実に基づき改修する方針を明らかにした。太鼓塀は1631(寛永8)年の創建とされ、火災や老朽化に伴い、修復工事が何度か行われたという。県は9月開幕の「全国都市緑化いしかわフェア」に合わせ、傷みが激しい鉄砲狭間や腰板の修繕と、城内側から土塀を支えるコンクーリート製の控柱(ひかえばしら)に木製の枠を付け、お色直しした(2001.9.13)
●7月11日、石川県金沢市野田の民家で見つかった大戸2枚は、金沢城二ノ丸御殿で使われていた可能性の高いことが判明した。どちらも横1.8メートル、縦1.76メートル、厚さ5センチ。取っ手には打ち出しの花模様が施されている。所有者は加賀藩士だった親戚から譲り受けたもの。金沢城の二ノ丸御殿は1808(文化5)年の火災で焼失し、その後、再建された(2001.7.27)
●金沢城復元工事で、菱櫓(ひしやぐら)を覆っていたトタンが取り外され、三層構造の櫓が姿を見せ始めた。菱櫓、橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)、五十間長屋などからなる城の復元工事は7月に完了する予定。9月から同公園を主会場に始まる「全国都市緑化フェア」で一般公開される(2001.5.11)
●石川県河北郡の異業種交流グループが、金沢城址の瓦をふいた際に出た鉛のくず材をリサイクルし、鉛がわらの複製を造った。鉛瓦の複製は、直径15センチ、高さ10センチの円筒形で、実物大。夏ごろの商品化を目指している(2001.4.27)

■2000年
●11月16日、小松市日末町でつくられた瓦が金沢城の屋根瓦の一部に使用されていたと小松市史編纂室が発表。これは同市の瓦窯跡付近で前田家の家紋「梅鉢紋」が付いた丸瓦が出土し、これを金沢市の石川橋架け替え工事の際に出土した家紋入りの丸瓦と比較検討し判明(2000.11.21)
●10月29日、石川県最古の茶室は1580年代(天正年間)、前田利家が金沢城内本丸近くに造らせた「小間(こま)」と呼ばれる三畳の茶室だったことが北信愛(のぶちか)の覚書から判明。三畳の茶室は、豊臣秀吉が好んだ造りで利家はこれを模したらしい(2000.10.31)
●10月19日、金沢市の金沢城跡の旧いもり堀から金箔を施した鯱瓦など金箔瓦の破片7点が見つかる(2000.10.23)
●10月18日、金沢城天守閣に代わって建てられた「三階櫓」の設計図が金沢市内で発見された。この図は矩計図(かなばかりず)と呼ばれ築城に当る大工棟梁が描いたもの。三階櫓が、構造・様式とも「天守」として建てられたことが明確となった(2000.10.20)
●10月11日、金沢城跡の旧宮守堀(いもりぼり)から金沢城最古と見られる戸室石の石垣と、これまで知られていなかった別の石組みが確認された(2000.10.13)
●10月8日、金沢城の河北門周辺から2度にわたる大がかりな再建をした石川門よりも規模の大きい枡形門の遺構を確認(2000.10.10)

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