歌・歴史歌謡曲


■2002年
10/2、福岡県筑豊出身の夫婦デュオ「ハル」は、王塚古墳のイメージソングを作詞作曲した。この曲は10月19日からの「古代の謎フェスティバル」前夜祭で披露される(2002.12.9) 読売新聞九州版
2002/10/2
11/23、徳島県小松島市の農業・東根春夫氏が、作詞した歌謡曲「義経ごころ」を市ミリカホールで開催される第26回小松島市芸能祭で、市内の大正琴グループにより初披露された。同曲は、平家討伐のため同市周辺に上陸したとされる源義経の心情をテーマにしたもの 徳島新聞
2002/11/24
●1月29日、静岡県天竜市を津軽三味線奏者・白井勝文氏が表敬訪問し、書き上げた脚本「悲劇の戦国若武者 岡崎三郎信康」を中谷市長に披露した。白井氏は「鎮魂」をテーマに全国で弾き語りの活動を展開している。4年ほど前に浜北市在住の歌手・浜北弘二氏の歴史歌謡曲「ああ信康」を聞いて信康の悲しい物語に感銘。歴史資料や本を参考に、二俣城で無念の切腹をした信康と父・家康の苦悩を45分の弾き語り脚本として仕上げた(2002.3.13)
●富山県八尾町西町で、越中おわら節の名手で、興行師として「松永の親分」として親しまれた故・松永由太郎氏が、故・岩見良作氏と昭和20年代終わりに吹き込んだレコードが見つかった。このレコードは「承諾なしに勝手に録音した」との理由で県民謡おわら保存会が二人を除名しようとした騒動まで起きたため5枚しかプレスされなかった(2002.3.6)


■2001年

●富山県八尾町東町で、大正から昭和初めにかけて活躍し越中おわらの不世出の天才歌手といわれた故・江尻豊治氏が大正4〜5年、文楽の大スターの下で修業した際にけいこで使った浄瑠璃の床本(ゆかぼん)が、生家で見つかった。氏は明治23年、同町東町生まれ。13歳で三味線を修得し、17歳で歌い手に仲間入りした。大正4年の25歳のころ、大阪文楽の竹本南部太夫に2年間師事し大正10年に帰郷した。その後、現在の七七七五のおわらを上の句七七と下の句七五をそれぞれ一息で、出だしから甲高い声で歌い切る現在の「江尻調おわら」を確立した(2001.10.7)
●富山県八尾町青根の江戸風俗研究家・柴田力弥氏は、大正7年に刊行された「おわらぶし」の歌本第四版を、金沢市の骨董品店で見つけ入手した。県立図書館が収蔵する翌年刊行の第5版と比べたところ、「越中で立山加賀では白山駿河の富士山三国一だよ」など著名な囃子が掲載されていなかったほか、現在歌われていない歌詞が数十首見つかった。おわらは1913(大正2)年ごろ、初めてレコードに録音されたが、そのレコードで不明瞭だった4つの歌詞が判別できた(2001.10.3)
岐阜県大垣市藤江町の郷土史家・山田賢二氏宅で日中戦争のころ売り出された「靖国神社の歌」のレコードが見つかった。盤のラベルには、婦人雑誌「主婦之友」が公募、陸軍省・海軍省が選定した奉頌(ほうしょう)歌で、帝国軍楽隊の作曲とある。昭和初期の人気歌手で同社所属の徳山たまき氏と四家文子氏が歌っている。歌詞には「尽忠の雄魂奉る」「大君(天皇)のぬかずきたまふ」「日の御旗断固と守り」「その命国にささげし」と、戦時思想や神社の存在意義を示す部分が随所にあり、最後の一節は「国守る宮靖国神社」で締めくくっている(2001.9.24)
熊本県の歴史愛好家・酒井哲雄氏は、福井市出身の幕末志士・橋本左内をたたえる演歌「立志の人 橋本左内」を制作した。明治維新に功績を残した小楠は地元熊本市での知名度は低く残念に思っていたが、越前時代行列で小楠が武者行列に登場するなど福井市民の間では「神様同様」の評価に感激し歌の制作を企画した(2001.9.24)
●愛知県小坂井町伊奈在住の竹内正実氏は日本人「テルミン」奏者初のCD「タイムスリップス アウェイ−訪れざりし未来」を出した。テルミンは、1920(大正9)年、ロシア人物理学者レフ・テルミン(1896〜1993)が発明した世界初の電子楽器。トランジスタ内蔵の箱2カ所からアンテナが突き出した楽器。弦やけん盤はなく、アンテナから発生する電磁場に奏者が手をかざして音程や音量を操る。竹内氏は1993年、単身モスクワに渡り、テルミン博士の子孫にあたるプロ奏者リディア・カヴィナさんに弟子入りした(2001.9.24)
●岐阜県岐阜市の伊奈波神社にちなんで、昭和初期につくられた「伊奈波音頭」のSP盤レコードが、山田賢二氏のコレクションから見つかり、同神社に奉納された。レコードは、1928年製のSP盤(1分間78回転)。発見した山田さんはレコード収集が趣味。「伊奈波音頭」は「赤い靴」「七つの子」などの童謡で知られる詩人・野口雨情の作品(2001.7.24)
●富山県八尾町青根の江戸風俗研究家・柴田力弥氏は、京都市東寺の骨董市で明治43年刊行の「当世流行小原ぶし」と題した歌本を見つけた。今では歌われることのないユーモアあふれる歌詞約120首が掲載されており、「おわら節の起源が『お笑い節』から変化したという説を裏付ける資料の一つではないか」とみている。(2001.7.10)
●6月5日、広島県神辺町出身の作詞家葛原しげる(1886〜1961)が作詞した校歌は426点、童謡や箏曲は計1214点に上ることが、東京の遺族が保存していた直筆の創作カードで判明した。校歌は戦前の樺太、旧満州(中国東北部)、朝鮮半島など日本統治下の50校も含まれる。毎年10曲以上、多い年で20曲を超えている。葛原しげるは、童謡「夕日」などで知られている(2001.7.4)
●5月22日、名張市平尾の宇流冨志禰(うるふしね)神社で、最初の寺子屋といわれた旧中村家で見つかった謡曲「赤目滝」のレコードの試聴があった。旧中村家は金剛流と親交があり、赤目滝は名張市の赤目四十八滝の美しさを表現した曲で幕末に作られた。見つかったレコードは昭和初期の計4枚(2001.6.11)
●愛知県名古屋市中川区の歯科医師押村氏と会社員太田氏は、同区ゆかりの戦国武将・前田利家にちなんだ「前田利家音頭」を作った。押村氏は今年1月、利家が中川区生まれであることをアピールし、地域の活性化に結びつけようと、有志に働きかけ「前田利家を語る会」を結成した。間もなく中川区が同じような目的で「前田利家発信隊」を発足させたため、語る会を発展的に解消し、押村さんや太田さんらメンバーの多くが発信隊に加わった(2001.5.14)
●静岡県で民間鉄道としては最も古い歴史を豆相線(現在の伊豆箱根鉄道駿豆線)の開通し、2年後の明治33年に生まれた、豆相鉄道唱歌を復活させてCD化する予定があきらかになった。同鉄道唱歌の作詞は不詳、作曲は県師範学校教諭永井幸次。当時は、現在のJR御殿場線下土狩駅にあった東海道三島駅と大仁駅の間を走っていた。鉄道唱歌の歌詞は30番まであり、沿線の名所や風景を歌い込んでいる(2001.2.20)



■2000年

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