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12/6、大阪市中央区の大阪城跡で出土した板が、瓦に文様をつける型「瓦範(がはん)」と判明した。板はヒノキ科の木の柾目(まさめ)材を使い縦12センチ、横16センチ、厚さ2.7センチの長方形。豊臣家の家紋を彫っていた。木製の瓦範が出土したのは国内初。(2002.12.13) |
京都新聞
2002/12/6 |
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12/5、福岡県大平村の古代の山城跡「唐原神籠石(とうばるこうごいし)」から、巨石を並べて築いた7世紀ごろの水門と、暗渠が見つかった。暗渠は長さ約9メートル。長さ1メートル近い切石を並べ、幅約50センチ、高さ25〜40センチのふた付き水路。(2002.12.13) |
京都新聞
2002/12/5 |
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12/7、長崎県対馬の「金田城跡」で石塁の張り出し部分と二つの建物跡が見つかった。石塁の張り出しは、高さ約4メートルの石塁が外側に幅約8メートル、長さ数メートルほど張り出している。同様の構造は同城では2カ所目で、岡山県総社市の「鬼ノ城」でも見つかっている。長方形の建物跡とみられる堀立柱跡は、張り出し部分から50メートルほど内側の段状になった平地で見つかった。(2002.12.13) |
朝日新聞
2002/12/8 |
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11/30、富山県福岡町の総合町民センターで木舟城のシンポジウム「戦国の終焉 よみがえる天正の世のいくさびと」が開催された。同城は中世、砺波地方で勢力を誇った国人領主石黒氏が築城。織田信長に粛清された後、上杉謙信や佐々成政らが活躍する舞台とるが、1585年の天正大地震に見舞われ城主の前田秀継夫妻らが死んだ。(2002.12.13) |
中日新聞
2002/12/1 |
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11/22、大分県宇佐市の高森城跡で2001年7月〜2002年10月にかけて行った発掘調査の結果、安土桃山時代の櫓とみられる、南北14メートル、東西5mの建物跡が見つかった。高森城は1588(天正15)年、黒田孝高(如水)が豊前六郡を与えられたことを受け、弟の利高が築城。豊臣秀吉が九州支配を進める上で、前線基地となった。その後、1600年に支配者が黒田氏から細川氏に代わると使われなくなり、1615年の一国一城令により壊された。(2002.12.22) |
大分合同新聞
2002/11/23 |
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11/11、男鹿市にある「脇本城」の城跡東側の兜ケ崎(かぶとがさき)地区の曲輪遺構周辺で、二重に張り巡らされた空堀が確認された。見つかった空堀はV字型のをした「薬研堀(やげんぼり)」と呼ばれる造りで深さは約2メートル。同城は16世紀に作られた、戦国大名・安東愛季(ちかすえ)の居城。(2002.12.14) |
さきがけ新報
2002/11/11 |
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10/18、佐敷にある城・佐敷グスクで新たに珊瑚石灰岩と琉球石灰岩を用いた石積みが見つかった。これまで同城は石垣を持たないと言われてきた。(2002.12.14) |
琉球新報
2002/10/18 |
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10/16、大阪市の大阪城の南西側の大坂城跡地から、豊臣期の瓦を焼いた達磨窯(だるまがま)の遺構9基が見つかった。このうち最も古い4号と8号窯は、豊臣秀吉が大坂城の築城を始めた1583(天正11)年ごろまでさかのぼる可能性がある。(2002.12.14) |
大阪日々新聞
2002/10/17 |
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10/11、福岡県太平村は「唐原神籠石(とうばるこうごいし)」の再調査を開始した。同遺跡からは、北部九州の神籠石としては初めて、縦約8メートル、横約12メートルの礎石建物の跡が見つかっている(2002.12.9) |
読売新聞
九州版
2002/10/11 |
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11/26、茨城県つくば市小田の「小田城跡」で、堀を渡る木橋の橋脚と、南西門を守るために築造したと思われる曲輪跡の存在が確認された。橋の橋脚は、9本の柱が約3.2メートルの幅で平行に二列に並ぶ。その先に、堀などを防御するために築かれた50メートル四方の方形の曲輪跡が確認された。周囲を幅12〜13メートルの堀跡が囲んでいる。堀の底は「障子堀」が見られた。橋脚が、堀の底の障子堀を無視して建てられていること、虎口が土塁を削って造られていることなどから、16世紀後半に城
を改修し、虎口、木橋、曲輪を一体的に新設したものと考えられるという(2002.12.5) |
常陽新聞
2002/11/27 |
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11/26、徳島県徳島市の徳島城跡の石垣で数十カ所にわたって落石していることを市が確認。修復を検討する(2002.12.5) |
徳島新聞
2002/11/24 |
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11/23、愛知県名古屋市中区の伏見ライフプラザで「よみがえれ!名古屋城本丸御殿」シンポジウムが開催。4月に同市は復元のため、約150億円を目標に名古屋城本丸御殿積立基金を設立。復元の必要性を周知するため、この日のシンポを開いた |
中日新聞
2002/11/24 |
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11/17、千葉県の市民団体「手賀沼と松ケ崎城の歴史を考える会」は、中世城郭・松ケ崎城とその周辺の森林環境を含めた保存を訴えJR柏駅東口で署名活動を行った。 |
中日新聞
2002/11/24 |
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11/13、福井県美浜町の戦国時代の山城「国吉城跡」の試掘調査で、城主の居館跡があったとされていた場所から広範囲にわたって建物の礎石や石垣などが確認された |
中日新聞2002/11/24 |
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●9.24 福井県南条町の「杣山(そまやま)城跡」の居館跡の本調査が開始された。杣山城は鎌倉時代末、武将瓜生衛が杣山に築いたとされる山城。1999年度からの3年間行われた試掘調査では、遺構をはじめ、越前焼、中国製の陶磁器などの遺物が数多く確認された。中でも、大屋敷ゾーンからは、建物の礎石や、前面に石垣が積まれた土塁などの遺構が見つかった。(2002.10.6) |
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●8月11日、埼玉県騎西町にある騎西城跡の発掘調査で、江戸初期の絵図に描かれていない戦国時代のものとみられる障子堀が見つかった。騎西城は戦国時代から江戸時代初期まで(1455〜1632年)約180年間存続したとされる城。遺構は長さ25メートル、幅14メートル以上、深さ1メートルの堀と長さ38メートル、幅5メートル、深さ1.2メートルの堀がT字状に見つかり、中から戦国時代のものとみられる火縄銃の弾丸や小刀などの武器武具、陶磁器や漆椀、下駄、囲碁の碁石といった生活用具が大量に出土した。(2002.8.13) |
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●6月22日、三重県松阪市の絵師・榊原匡章氏は静岡県浜松市の浜松城公園を訪れ26番目となる浜松城の絵を描き入れた。榊原氏、1994年の福井県丸岡城を皮切りに、全国に点在する城の絵を長さ270メートル、幅2.3メートルの巨大な絵巻に描き続けている。氏は今後、北海道や沖縄にも訪れる予定で、絵巻が完成するのは2005年。犬山城を49番目、名古屋城を50番目に書き入れ、愛知万博に出展する。(2002.6.27) |
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●5月7日、福井県教育庁埋蔵文化財調査センターは、江戸時代に福井城の堀はきれいに掃除されていたことが判明したと発表した。さらに堀は側面を笏谷(しゃくだに)石の石垣で囲み、川を埋め立てて造られていた。くぼんだ川床などの部分は、墓石などをつかって平らに整えていたこともわかった。これは2000〜2002年度調査の結果で、福井城の南東にあった最も広い堀の百間堀(幅約110メートル)や、城内の三の丸地区南部分を含む区域が対象。(2002.6.27) |
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●福井県美浜町にある戦国時代の山城・国吉城跡の試掘調査で、城主居館があったとされる地点から、列状に並んだ建物の礎石や石垣などが見つかった。10数個の礎石が1メートル間隔にL字形や一列に並び、その近くに1メートル四方に敷き詰められた玉石も確認された。さらにその下側で、自然石で作られた幅約5メートル、高さ約1メートルの石垣も見つかった。国吉城は1556(弘治2)年、若狭国守護の武田義統(よしむね)の家老粟屋勝久が古城を再建。これまでに城の本丸や堀などが確認されているが、城の全体像は把握されていない。(2002.6.27) |
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●2月27日、栃木県佐野市若松町の「佐野城」跡で、がけを削り取った「切岸」と一体化した内堀がほぼ完全な形で見つかった。同「切岸」遺構は、内堀北壁面から約60度の傾斜があり、内堀の底は幅1.8メートル、深さ1.8メートルで、90センチの深さまで土壌が粘土質となっており、水堀だったと推測される。1602(慶長7)年に築かれた同城は、慶長19年に廃城になったとされている。三の丸や二の丸、本丸が直線上に並ぶ「連格式」城郭のモデル的な城として知られる。(2002.4.11) |
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●2月21日、長崎県対馬美津島町黒瀬にある古代朝鮮式山城「金田城跡」で、7世紀後半に建てたとみられる掘っ立て柱建物跡が見つかった。建物跡には円形の柱穴が8個あり、炉の跡も見つかった。この建物は防人の詰め所・宿舎や築城工事の際の管理施設などの可能性があるという。建物跡の回りには円形の柱穴が7個あり、柵や塀などの跡とみられるという。建物跡そばの土塁沿いからは土が崩れることを防ぐ「土留め石」が並んで出土した。(2002.4.9) |
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●2月18日、長野県松本市は、松本城の「東北隅櫓」を、市制百周年の2007年に復元すると発表した。工事では復元済みの二の丸太鼓門と、東北隅櫓とを結んでいた延長140メートルの塀も復元。一連の復元で、東側から眺めた二の丸の景観は「幕末維新期の姿をかなり回復する」ことになる。(2002.4.6) |
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●滋賀県彦根市は、彦根城の表門橋を老朽化に伴い、126年前の写真に写った表門橋の姿を参考に架け替える。工事に際し、できるだけ昔の姿を忠実に復元しようと、1876(明治9)年に撮影された写真を分析、木材もヒノキなどを中心に選定し、欄干や橋脚の形を当時のままに取り入れる。また、橋を支える石垣も同時に修復する。2004年3月に完成予定。(2002.3.27) |
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●京都府大山崎町下植野の桂川河川敷で1998年に見つかった4個の巨大な花崗岩石は、17世紀初めに大坂城の石垣補修用に府南部の加茂地域で切り出された岩石と判明した。岩石の大きさは、縦約90センチ、横約60センチ、奥行き約2メートル40センチの直方体。城づくりにたけた藤堂高虎が大坂城の修築用に加茂町周辺で切り出したとみられている。うち三個には、かぎ型の印が刻まれており、木津川と赤田川が交わる河川敷で多数見つかった岩石の刻印と酷似していた。(2002.3.27) |
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●2月8日、滋賀県近江八幡市の八幡山城跡から金箔瓦の破片200点が出土した。出土したのは城のあった鶴翼山の南側中腹で、ひな壇状に造成された屋敷群跡の最上部。秀次の館跡と推定され、金箔張りした軒丸・軒平瓦を含む無数の瓦片と建物礎石35個が見つかった。出土した金箔瓦は、ともえ紋の紋様部に漆の下地を塗って金箔を張り付けたもの。秀次の馬印「オモダカ」を浮き上がらせた金箔貼りの飾り瓦も出土した。一帯からは、これまでにも20点ほどの金箔瓦が見つかっていた(2002.3.22) |
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●1月30日、和歌山県南部町気佐藤にある中世平城「高田土居(城)跡」の外郭部から、完全な形をした溶解炉が出土した。これまで溶解炉が完全な形で出土したことはなく、文献でしかわからなかったという。今回の発見で近世以前の鋳造用溶解炉の全容が解明されるであろうことが期待される(2002.3.13) |
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●1月30日、和歌山県龍神村の通称城山山頂にある山城「鶴ケ城」で15世紀のものと見られるふたや金具などの鉄製品数点が見つかった。発見されたのは、直径約14センチの本体に直径約4センチの環の取っ手が付いたふたと、直径約6センチの輪を付けた金具(11センチ、6.5センチ)、棒(直径6ミリ、長さ19センチ)などでいずれも鉄製(2002.3.13) |
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●1月29日、青森県弘前市にある弘前城(弘前公園)の北の郭西側の廃棄土坑で、本丸御殿床下の鍵札を発見が見つかった。鍵札は縦18.5センチ、横4センチ、厚さ8ミリの木製の板で、上部にひもを通す穴が空いている。表面には墨で「浪之間御次梅之間御次仕切床下風窓御鍵」と書かれている。幕末の本丸御殿の絵図には「浪之間」「梅之間」とあり、同市教委は「城の構造が明確ではないので確定できないが、本丸床下を仕切る鍵の“キーホルダー”ではないか」と分析している(2002.3.13) |
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●埼玉県狭山市柏原の「城山砦(しろやまとりで)跡」の史跡公園化に向けた同市の整備事業がこのほど始まり、本郭周辺に茂る下草を刈った。城山砦は上杉憲政が、北条氏の手に落ちた河越城を奪還するため1545(天文14)年から半年あまりにわたり陣を張ったとされる城郭。鎌倉時代に畠山重忠に従った地元豪族柏原氏の館跡との説もある(2001.12.19) |
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●大分県中津市の中津城の内堀から、金箔を施した瓦片が出土した。また内堀の石垣は、畿内で発達した工法が用いられており、天正期(1573〜92年)の石垣としては九州最古と確認された(2001.12.19) |
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●長野県長野市の「松代城跡」で「太鼓門」が再現された。江戸時代の松代城姿絵図などを基に、できるだけ忠実に再現した。ふたつある門のうち、北側の「櫓門」は幅11メートル余りもある。今後は表門に通じる橋や、本丸内の「北不明(あかず)門」などの復元も進め、2004年3月に一般公開する予定(2001.12.19) |
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●9月27日、福井県敦賀市のプラザ萬象で開かれた歴史イベント「敦賀歴史浪漫二〇〇一」に、金ケ崎城と天筒山城の模型が展示された。同模型は敦賀工業高校建築システム部の生徒たちが作成したもので、縦1.8メートル、横2.7メートルで、500分の1のスケールになっているという(2001.11.7) |
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●9月7日、福井県 のJR福井駅の連続立体交差事業に伴い、福井城跡の発掘調査をしている県教育庁埋蔵文化財調査センターは中間発表を現地で行った。江戸時代の地図で武家屋敷とされる一画で、道路や溝、庭の池のほか、名前を刻んだすずりや木製品などが発掘された。この中には、結城秀康の義父の結城晴朝の屋敷跡とされる場所も含まれている(2001.11.7) |
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●9月1日、和歌山県新宮市の新宮城跡と新宮地域職業訓練センターで「新宮城シンポジウム」が開かれた。城郭石垣研究家の北垣聰一郎・元東大阪短期大学教授は、基調講演で「山の上と下の館を重要なセットにしてはじめて、本当の意味での新宮城が見えてくる」とし、最も古い石垣の遺構の一部が出てきた二の丸西面の地区は、個人の所有地になっているが市が残していくべきだ、と語った。また、「同城の石垣は、新旧がうまく混在している“石の博物館”で、さまざまな技術が凝縮されており、文化財として大変貴重」とも話し、現状に近い城郭絵図として、江戸幕府が1644(正保元)年、大名に命じて提出させたという「紀伊国新宮城之図」を挙げた(2001.10.25) |
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●9月9日、滋賀県新旭町の公民館大ホールで清水山城郭群県史跡指定記念シンポジウム「織田信長と謎の清水山城―近江・高嶋郡をめぐる攻防―」が開催された。清水山城郭群は、鎌倉時代から室町時代にかけて高島郡を支配していた近江源氏佐々木氏の系統である高島七頭の惣領家・高島氏の本城と伝えられており、初期書院造りの原形となる主殿が建っていたと考えられている。この山城は、琵琶湖が一望できる新旭町の饗庭野台地の東南部に位置し、山頂から山麓にかけて1キロメートル四方の範囲に山城、屋敷、館が一体となって残っている貴重な城郭群(2001.10.7) |
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●長崎県大村市三城町の「三城城跡」で、城の周りに設けられた空堀や柱穴などが出土した。岩盤などをくり抜いた空堀(長さ約125メートル、幅5〜12メートル、深さ3〜4メートル)など堀6本と、土塁(長さ18メートル以上、幅約4メートル、高さ0.9メートル以上)3本を確認。搦め手口付近からは、櫓などの存在を示す柱穴30基も見つかった。同城は、日本初のキリシタン大名・大村純忠(1533〜1587)の居城で、戦国時代末期に築城された |
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●8月15日、青森県弘前市の「堀越城跡」内堀で漆器椀の一部や、下駄、箸、なたなどが出土した。見つかった椀は二つで、大きな破片の椀の両面には黒漆が塗られ、もともとは直径約12センチの器であったとみられる。小さな椀の破片の外側には黒漆、内側には赤漆が塗られていた。いずれも16世紀後半の遺物とみられ、為信が津軽統一に乗り出した当時の生活ぶりを伝える貴重な資料となりそうだ。堀越城は為信が津軽統一の過程で前線基地として利用。二代目信枚(のぶひら)が高岡城(弘前城)に移る1611年まで、津軽藩の政庁機能を持った城郭だったとされる。1615年の「一国一城令」によって廃城となっている(2001.9.18) |
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●8月7日、福島県会津本郷町の中世で東北地方最大規模の山城跡「向羽黒山城跡」が正式に国指定の史跡となった。向羽黒山城跡は、町中心部近くにある白鳳三山のうちの岩崎山(408メートル)全域を利用して造営されている。面積は50ヘクタールにおよぶ。葦名盛氏が1568(永禄11)年に完成させたとされる。以降、1600(慶長5)年まで軍事、政治上の拠点として上杉家に重用された。一ノ丸、二ノ丸などは白鳳山公園として整備し、その間を遊歩道が縫っている(2001.9.12) |
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●8月4日、高知県高知市の高知大学で「第十八回全国城郭研究者セミナー」が3日間の期日で開催された。今回のテーマは「本拠における城郭体制」。大名らが居住した城(本拠)と、その周辺に存在する町やさまざまな城の性格やつながりを、遺構や遺物、文献などを参考に幅広く考察する「本拠地論」に基づく研究成果が発表された。初日は高知県のほか岐阜、愛媛、広島などの6人が調査・研究事例を発表。吾川郡春野町教委の徳平晶主事は、昨年6月まで発掘調査した同町西分の「木塚(きづか)城跡」を紹介。ほぼ全域が調査された南北朝時代の山城は全国でも珍しく、陸路だけでなく河川交通も視野に入れた戦略性を持った城であることなどを説明した(2001.8.25) |
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●7月31日、岐阜県岐阜市の岐阜城の入城者が1100万人を達成した。岐阜城は1956(昭和31)年に再建された(2001.8.25) |
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●7月28日、岐阜県岐阜市加納丸の内の南市民会館でぎふ地区歴史探訪講座の第一回講座が開催された。この日の講座は「加納城跡と遺跡見学」。加納城は1445年、土岐氏の守護代斎藤利永が築城。戦国時代この城は廃城になったが、関ケ原合戦後に、徳川家康が本多忠勝に命じて“近世加納城”を築かせたとされる(2001.8.10) |
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●福井県福井市大手一丁目で福井城の百間堀の石垣の一部が姿を現した。百間堀は福井城の二の丸と三の丸を隔てる堀で、現在の北陸電力福井支店周辺から柴田神社の近くにかけて巡らされていた。最も広いところで約100メートルの幅があったというが、明治期以降、徐々に埋め立てられ、戦後にはすっかりなくなってしまった。出土した石垣は、約2メートルの高さで、30メートル以上にわたり連なっていた。二の丸の東端のやぐらを支えた石垣も一部が現れ、場所が確認された。石垣は7月24日から解体が始まり、整地後には医療施設とマンションの複合ビルが建てられる(2001.8.10) |
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●千葉県君津市の「秋元城」の発掘調査が行われている。調査は城の中心部にあたる主郭と、家臣団の集落である根古屋の2カ所が対象で、主郭ではすでに通路の跡や建物を支える柱の穴が確認された。また土製の杯「かわらけ」や銭貨なども出土している。同城は戦国大名里見氏の家臣だった秋元氏の居城。室町時代後期の永正年間(1504〜1520)に、秋元義正が築城した。しかし1564(永禄7)年、小田原北条氏が久留里城攻略の際に落城、当時の城主義久は戦死したとされる。以降北条氏の家臣斎藤正房が治めたが、再び里見氏系の城となった(2001.7.24)(★関係者からのメールあり) |
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●広島県大朝町の「小倉山城跡」で「井楼(せいろう)」の復元をめぐり、町と国・県が対立している。小倉山城跡は同町新庄の北側丘陵(460メートル)にある山城。今年3月までの発掘調査により建物跡などが見つかった。この建物跡を通常の建物より立派な井楼跡とする広島大文学部・三浦正幸教授は、穴の深さや傾きから高さ約8メートルの井楼と判断し、「高根城(静岡)、河後森城(愛媛)と並ぶ貴重な例」と指摘。これを聞いた町は城跡の歴史公園化事業に合わせ、井楼の復元を国に打診した。
しかし、文化庁記念物課は「忠実再現が復元の条件。中世は精密な絵画史料もなく古代遺跡より難しい」として井楼の再現を認めていない(2001.7.22) |
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●岡山県津山市の鶴山公園にある津山城跡の「備中櫓」が復元される。復元される櫓は天守閣の南東側の石垣上に位置し、木造二層で高さ約13メートル、延べ約275平方メートル。文献によると、一階に藩主が使う床の間のある御座間や御茶席など畳敷きの10部屋、二階にも藩主用の上段の間と22畳の大部屋がある。外観は本瓦葺きの屋根や白漆喰塗りの壁で築かれていたという。初代津山藩主の森忠政が、女婿の鳥取藩主で後に備中松山藩主となる池田備中守長幸の名にちなんで、1600年代初期に建てたとされる。建物本体は、築城400年記念事業が予定されている2004年度中には完成する見込み(2001.7.22) |
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●7月4日、福井県の「杣山城跡」で、山城のふもとにある居館跡の発掘調査が開始された。同町阿久和の居館跡は山城のふもとにあり、広さ約3万平方メートル。1330年代から200年間、南朝の重臣だった瓜生一族、越前守護職にあった足利(斯波)高経らが在住したことが史実で確認されている。来年度から本格的に大規模発掘に乗り出したいとしている(2001.7.17) |
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●7月1日、 長野県松本市の松本城の「乾(いぬい)小天守」が一般公開された。天守内が狭く、階段も急で「危険」なことから、今まで全面公開されていなかったが、文化庁の意向や地元要望もあって昭和の大修理(1950〜1955)以来で、11月30日まで公開される(2001.7.5) |
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●6月6日、大阪府岸和田市の岸和田城跡の城郭の中心部から、1 7世紀初めに 鉄製品を造っ た際の炭捨て 場「鍛造土坑 (たんぞうどこ う)」が見つ かった。関ケ原 の戦いから大坂夏の陣にかけての戦乱期に城内で緊急に刀や槍な
どを造った跡と考えられる。同城は1598年に築かれ、1827年に天守閣が落雷で焼失。大坂夏の陣で徳川方についた小出吉英(こいでよしひで)が城主の時に、豊臣方に一時包囲された、と伝えられている。(2001) |
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●富山県砺波地方の郷土史家らでつくる砺波郷土資料館土蔵の会は庄川町三谷、庄地区で中世期の山城調査を行い、2カ所で城跡を見つけた。三谷の稲荷神社裏の丘陵地や庄の林道金剛寺線沿いの山中で見つかった城跡には縦12メートル、横25メートルの平たんな部分があり、中世の山城特有の土塁や堀、細い連絡道とみられる遺構も残っていた。庄の城跡は全体像がはっきりしないが、見張り場らしい盛り上がった場所があった(2001.6.3) |
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●滋賀県彦根市観光課は、2000(平成12)年度の彦根城入山者が50万1333人で、前年度より2万7039人減少したと発表した。原因は「観光スポットの分散化により城自体の入山者が減った」ということらしい(2001.5.25) |
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●4月25日、三重県亀山市東丸町の道路工事現場から戦国時代末期の亀山城の内堀の一部と、江戸時代の太鼓櫓の石垣の一部が出土した。内堀は、岡本宗憲が亀山城を築城した1590年前後に掘られたものとみられ、幅7メートル、深さ4メートル。1636〜1651年に亀山城主を務めた本多俊次が行った城の大修築以降には存在しなかったことから、築城期の亀山城を知る手がかりとして注目される。土中からは、李朝時代の茶わんや中国製磁器など多数の遺物が出土した。太鼓櫓は、城中で太鼓を打ち鳴らして時刻を知らせるための櫓。本多俊次の修築時に築造されたものとみられる(2001.5.10) |
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●4月22日、静岡県掛川市の掛川城二の丸で、現地説明会が開催された。江戸時代の絵図に描かれていた深さは約4.5メートル空堀が発見されたほか、堀の中から16〜19世紀までの陶磁器、北条、井伊、小笠原氏など城主の家紋瓦、鉄砲の弾が見つかった。同調査は、茶室建設に伴う遺跡発掘調査(2001.5.9) |
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●4月21日、秋田県秋田市の千秋公園で久保田城表門復元工事が完了し、開門式典が行われた。表門は、公園内にある御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)付近の階段を上がった当時の礎石の上に建築された。木造二層瓦ぶき櫓門で、1階の柱と門はケヤキ、2階部分はヒバを用いるなど当時の建築様式をできるだけ忠実に再現した(2001.5.7) |
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●滋賀県米原町の「番場の歴史を知り明日を考える会」は、湖国二十一記念事業の一つとして、地区内にある中世城郭跡「鎌刃(かまは)城跡」の、「水の手」と呼ばれる導水路の復元した。水の手は、城よりも標高が高い川や池などから、高低差を利用して城に水を供給する導水路。同城は尾根伝いに約700メートル離れた滝が取水口で、岩盤をくりぬいたり、竹をつないだりして水の通り道が作ってあった(2001.4.27) |
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●4月16日、岩手県盛岡市内丸の盛岡城跡の石垣のうち、菜園寄りの西側部分で、崩落の可能性が強まり当分の間、崩落の危険がある坂道と、その下の芝生への立ち入りを禁止となった。管理している市ではただちに修理したいとしているが、「盛岡城跡は国の史跡に指定されており、厳格に積み直すことになる。このため測量調査に時間がかかり、復旧には半年ほど掛かる」としている(2001.4.25) |
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●4月11日、熊本県八代市古麓町の「古麓城跡」で、五輪塔の各輪や宝塔の相輪が約180個出土したほか、石組み・石敷き遺構、素焼きの破片、火葬骨などが見つかった。五輪塔の基壇とみられる一点で、「元中九年壬申二月十五日」の年月日と「昌壽」という人物名が確認された。「元中」は南北朝末期に南朝方が使用した年号。元中九(1392)年は南北朝合一の年。前年に八代であった「宮地原の合戦」で北朝方が南朝勢力を破り、九州制圧を完了したとされる。当時八代を領有していた名和氏は南朝方につき、同城跡近くには南朝の懐良親王御陵と伝えられる史跡もある(2001.4.24) |
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●4月9日、長野県飯田市の県飯田合同庁舎敷地内にある「赤門」(旧飯田城桜丸御門)が開門した。この門は1754(宝暦4)年の建造。明治期に廃藩で取り壊された旧飯田城唯一の遺構で、県が管理している。市民らにより親しんでもらおうと、1999年からヒガンザクラの開花に合わせて毎年4月に開門している(2001.4.17) |
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●4月9日、長野県松本市の大手三の発掘調査で、松本城の前身と伝えられてきた深志城の堀とみられる遺構を確認したことが判明。今回見つかったのは堀の遺構で、幅5〜5.5・五メートル、深さ約2メートル、長さは発掘分だけで東西方向に22.8メートルあり、側壁は約30度の急傾斜をしたV字型。深志城は小笠原氏が1489年、松本市里山辺に「林城」を設けて本拠とした際、周辺の防備のために6カ所以上に築いたと伝えられる城のひとつ。この城に、1550年から松本地方を支配した武田氏が手を加え、現在の松本城の基本ができたとされるが、遺構によってその存在が推定されたのは初めて(2001.4.17) |
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●4月4日、 熊本県玉名郡で中世城跡とみられる遺構が発見された。見つかったのは、橋上地区1か所と中和仁地区の2か所で、城平(じょうびら)、城下(じょうんした)など城の字がついている丘陵。橋上地区の遺構には約1000平方メートルの平場があり、長さ約30メートル、幅4メートル、深さ約3メートルの堀跡などがある。中和仁地区の二つの遺構でも堀や石垣の跡などが見つかっている。同遺構から約2キロ北側に辺春氏の居城・坂本城跡があり、江戸時代の地誌「肥後国史」には遺構近くの阿彌陀堂付近で戦いがあったという記述がある。中和仁遺構の南側には和仁氏の居城・田中城がある。専門家は「戦国末期の肥後国衆一揆で活躍した辺春氏や和仁氏の出城の可能性」が高いとみている(20014.16) |
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●4月1日、島根県松江市殿町の城山公園の二之丸櫓が125年ぶりに復元され公開された。 この櫓は、城下町を監視したとされる高さ8メートル、二階建ての南櫓、城の正門を見張った中櫓、時刻を告げた太鼓櫓。いずれも柱に松を使い、特製の手斧で仕上げて、当時と同じごつごつした質感を出した
同時に三つの櫓をつなぐ塀も復元された(2001.4.9) |
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●3月21日、熊本県玉名郡南関町町で熊本城の支城「鷹ノ原城」の本丸大手門跡とみられる遺構が見つかった。鷹ノ原城は、加藤清正が、関ケ原の合戦があった1600年前後の慶長年間に、肥後の北の守りとして築いたとされる。1615(元和元)年の一国一城令でいったん取り壊されたた後、1636(寛永14)年の島原の乱後に再び破壊されたことが判明している。専門家は規模の大きさなどから門の上に櫓が載る「櫓門形式の本丸の大手門」ではないかとみており、熊本城の西大手櫓門に酷似していて「関ケ原合戦前に築城され、清正の築城思想が反映された本格的な近世城であった」ことが推察されるとしている(2001.4.3) |
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●静岡県沼津市は平成13年度から、同市浦重須の長浜城跡を史跡公園として施設整備に着手する。長浜城は戦国大名の後北条氏が築いた水軍の城で、駿河湾の最も奥まった内浦湾に位置する。戦国時代の城郭としては小規模だが、1580〜81(天正8〜9)年の武田氏との戦いでは後北条氏の前線基地として水軍集結の重要な城となった(2001.3.21) |
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●3月13日、太田市教育委員会は、金山城跡の国史跡指定範囲を既存の五倍に広げるため、境界線を確定する測量調査に着手した。金山城は東国に珍しく石垣を豊富に用いた複合城郭で、戦前に国史跡指定を受けている(2001.3.20) |
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●3月6日、静岡県榛原郡相良町の相良城跡から、舟着き場と見られる堀をせき止めた木杭の遺構や、陶器などが出土した。相良城は1767(明和4)年、田沼意次が将軍徳川家治に許されて着工。城の縄張りは相良港に近い萩間川右岸の東西約500メートル、南北約450メートルで、1780(安永9)年に完成した。しかし、意次が失脚したことで1788(天明8)年に壊され、堀なども埋められて農地になったという(2001.3.13) |
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●3月8日、石川県小松市の小松城本丸櫓台石垣の補修が始まった。1640(寛永17)年に本丸が建てらえれて以来初めての補修で同城に使われていたとみられる凝灰岩を用い、土に石灰を混ぜたものをセメントの代わりにして、石がはく落した個所に凝灰岩をはめ込んでいく(2001.3.12) |
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●静岡県掛川市は掛川城二の丸美術館西側に茶室を建設を予定している。計画によると、茶室は木造平屋建て(2001.3.11) |
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●3月4日、静岡県伊豆長岡市の韮山時代劇場で研修会「韮山城跡の研究」が開催された。戦国時代の武将北条早雲の居城として知られる韮山城は、国史跡指定に向けて調査が進んでいる(2001.3.8) |
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●長野県松本市の松本城で、7月〜11月まで非公開としていた乾(いぬい)小天守の三階を初めて一般公開する。乾小天守は三層で高さ16.8メートル。天守の北側に位置し、1〜2階部分は渡櫓で天守とつながっている。これまで乾小天守の三階部分は、階段が狭く急なため危険として、非公開にしていた(2001.3.7) |
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●2月21日、小松城を創建したのは戦国武将の柴田勝家で、初代城主は前田利家家臣の徳山五兵衛とする新説が金沢市玉川図書館近世史料館の史料によって裏付けられた。小松城は、通説では郷土史『越登賀(えっとか)三州志』(1798(寛政11)年)にある若林長門の築城とされていた。今回は、『宝永記』((1704(宝永元))年に、勝家が築城して五兵衛が初代城主とあることが確認された(2001.2.26) |
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●2月21日、岡山県岡山市丸の内、県立図書館予定地で進めている岡山城の発掘調査で、宇喜多秀家(1573〜1655年)の岡山築城(1597年完成)より古い、秀家の父・直家時代の外堀跡とみられる堀跡が出土した。深さは掘下中だが、4メートル以上あるとみられる素掘りの堀。直家時代の城郭遺構はこれまで、一部確認されただけ。同時期の城郭遺構が本丸外で出土したのは初めて(2001.2.26) |
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●大分県大分市鶴崎の大分鶴崎高校内の遺跡から16世紀後半に同地域を拠点にしていた吉岡氏の鶴崎城跡が出土。出土したのは幅1.5メートル、深さ1〜2メートルの堀が三本と井戸跡。土師器や陶器片も見つかった。鶴崎城は1586(天正14)年、薩摩の島津軍が豊後に侵入した際、同城を守っていた当主・甚吉の母・妙林尼が、武士や農民とともに死守したことで知られる(2001.2.23) |
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●石川県七尾市では、9月16日に開催される七尾城まつりの催しとして七尾城跡一帯で「2001人ウオーク(仮称)」を行う方針を固めた。従来から行われていた「城山ウオーク」は親子連れなどが七尾城史資料館前から本丸跡までの旧道を歩く。今年は、参加者2001人を募って城山登山をすることに(2001.2.22) |
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●2月8日、長野県松本市の松本城の有料入場者数が3000万人を突破した。昭和の大修理を済ませた1955(昭和30)年10月から有料で公開している。松本城では、3000万人目以降の3000人について、入場料を割引18日までは城内売店の土産物などを3割引きにする(2001.2.14) |
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●秋田県本荘市の本荘城跡から江戸時代のものとみられる建物跡が見つかった。約25センチ四方の角材が柱として立っていたとみられる穴が、縦約7.6メートル、横約15.2メートルの範囲か20カ所確認された。1700年ごろの絵地図によると、今回見つかった建物跡は、「御旗蔵」と「武器蔵」のほぼ中間に位置する(2001.2.14) |
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●長崎県南高南有馬町の「原城跡」の発掘調査を進めている同町教育委員会は、2002年度から7カ年、史跡内の8カ所の門跡を中心に発掘作業を進める第2期発掘計画をまとめた。1992年度から2001年度までの10カ年計画で進められている第1期調査では、十字架などのキリシタン関係遺物、虎口、島原の乱の犠牲者とみられる人骨、火縄銃の鉛玉、陶磁器などが多数出土している。原城は島原の乱の舞台として知られる(2001.2.8) |
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●2月3日、愛媛県松山市の道後公園の湯築城跡で進む武家屋敷などの復元工事の様子が公開された(2001.2.7) |
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●1月29日、徳島県板野郡藍住町勝瑞にある「勝瑞館跡」と「勝瑞城跡」が「勝瑞城館跡」として国の史跡に指定された。勝瑞館跡は、1999年に勝瑞城跡から南西約150メートルのところで確認され、館跡の周囲に東西約120メートル、南北約150メートルの濠があり、中世の館跡として規模・価値とも「大内氏館跡」に匹敵する(2001.1.31) |
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●1月28日、静岡県焼津市の小川地区に小川城址碑を建立した。小川城は今川氏の家臣長谷川長重(14世紀中期頃)の居城跡。同地区付近は古くから「法永長者屋敷跡」と言い伝えられてきた。「法永長者」とは、『今川記』に出てくる「駿州山西の小河(こがわ)の法永」のことで、その子孫が長谷川長重(2001.1.31) |
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●兵庫県姫路市は、姫路城が今年築城400周年を迎えたのを記念し、4月6日から特別展示「西国将軍・池田輝政展」を皮切りに「姫路城400祭」と題した多彩なイベントを4〜6月にかけて行う(2001.1.28) |
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●1月24日、京都市は同市伏見区の淀城跡を歴史公園として充実するため、面積を2倍余り拡大し、実物大の櫓などを設けた本丸広場や内堀を復元する基本構想を発表した。(2001.1.25) |
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●1月23日、佐賀県東松浦郡鎮西町の名護屋城跡の鯱鉾池の出島遺構の大量の柱穴を調べている名護屋博物館では、柱穴は豊臣秀吉が月見など遊興に使った建物跡の可能性などがあるとしている(2001.1.25) |
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●岐阜県大垣市の大垣城天守閣は2月から内部改修を行い、内装を木目調にして資料展示を充実させることに。一階の展示室では「関ケ原合戦と大垣城」、二階では「武士と城下町の文化と生活」をテーマに、杭瀬川の戦いや大垣の城下町の様子を描いた立体模型、大垣城内を再現するCGやコーナーなどを設ける(2001.1.24) |
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●1月18日、滋賀県草津市南山田町の山田城跡の発掘調査で、城の周囲を巡っていたとみられる鎌倉時代末期から室町時代のほぼ円形の堀遺構が見つかった、円形の敷地の城は全国にも例がない。山田城は、江戸時代の「栗太郡志」などで、近江国守護の佐々木六角氏に仕えた山田氏の居城とされている(2001.1.23) |
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●高知県安芸市土居にある安芸氏の居城の安芸城跡を整備しようと、地元保存会が昨年から、城山に生い茂る雑木の伐採作業をはじめた。安芸城は鎌倉時代からの安芸氏の居城といわれる平山城。安芸氏の後は長宗我部氏、続いて山内氏の家臣・五藤氏の居館。頂上の本丸跡は約1000平方メートル。土塁が一部のほか、二の段、三の段など中世城跡として遺構が残る(2001.1.23) |
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●福井県高浜町事代の城山公園周辺で、高浜城の堀の一部とみられる石が見つかった。同城の堀の存在を示す物証は初めて。高浜城は、1565(永禄8)年に戦国武将・逸見昌経が築城した若狭初の平山城といわれている(2001.1.16) |
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●熊本県鹿本郡菊鹿町と菊池市にまたがる古代山城「鞠智城跡」の南側の丘で、長さ約200メートルにわたる土塁が見つかった。昨年10月には柱穴も見つかっており、堀切門跡の門礎石を県教委が復元し、同門の近くに展示している(2001.1.15)関連記事 |
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●福井県小浜市では6月に商工会議所設立50周年記念イベント「再現!小浜城…今ここに」(仮称)を実施するが、ここで実物大の小浜天守閣をベニヤ板に画を書いて再現する。小浜城は京極高次が1601(慶長6)年に築城開始。その後に小浜藩主となった酒井忠勝が1636(寛永13)年に完成させた(2001.1.13) |
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●1月8日、高知県の高知城で現地視察会が行われた。主催は「山内一豊公土佐入封四百年記念事業実行委員会」(2001.1.10) |
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●滋賀県教育委員会は、1月から八幡山城の「秀次居館跡」の発掘調査を開始する。城、居館ともに「安土城の残った資材を運び入れて建てられた」とされ、居館跡から金箔を塗ったかわら片14点が発見されている。同城は、豊臣秀次(1568〜1595)が1585(天正13)年に築き、秀次の死とともに廃城となった(2001.1.8) |
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●12月25日、山梨県韮崎市の新府城跡の搦手門があったとされる場所から、門が焼けてできたとみられる炭や、門柱の礎石が見つかった。一方、これまで大手門があったとされる城跡南側からは、これまでの調査で礎石が見つからず、定説とは違った場所にあった可能性も浮上している。同城は武田勝頼が1581(天正9)年に築城、翌年に自ら火を放った(2000.12.28) |
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●12月10日、三重県四日市の伊坂城跡(戦国〜安土桃山時代)でこれまでの成果を紹介する現地説明会を開いた。伊坂城跡は、朝明川北岸の尾根上にある城跡。「戦国大名以外の城で見つかるのは大変珍しい」という計画的に配置された武家屋敷群や屋敷地を、主郭に至る城内の中央道沿いで確認。出土品から、織田信長の北伊勢侵攻以降もこの城が用いられていたことも明らかになった(2000.12.13) |
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●北海道渡島管内松前町の松前城(福山城)で、「搦手二ノ門」がこのほど復元された。 復元には幕末に撮った1枚の古写真をコンピュータで解析。棟や冠木の高さなどを割り出し、1854年(安政元年)の築城当時そのままの姿で元の場所によみがえらせた(2000.12.13) |
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●愛媛県の松山城南部の堀端で実施している防護柵の付け替え工事で、使用した石柱の単価が市場価格より高いことが建設省の調査で判明(2000.12.12) |
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●島根県の松江城の中櫓と太鼓櫓が125年ぶりに復元され来年四月から櫓の中を一般公開する。松江城は1607年、堀尾吉晴(初代松江藩主)が築城を開始し、4年後に完成。本丸や二之丸にはそれぞれの角に櫓があった。明治維新の廃藩置県で、天守閣以外の建物は1875年に撤去された。ちなみに来年は7代松江藩主、松平不昧(ふまい)公の生誕250年(2000.12.12) |
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●11月29日、来年予定される「高知城築城四百年記念事業」の推進協議会と実行委員会の合同の会合が開催された(2000.12.2) |
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●11月29日、魚津市大町小学校グラウンド近くの空き地にある石組みが魚津城の石垣かどうか確認するため、城跡発掘調査をスタートさせた。魚津城は戦国時代、織田勢に攻められた上杉勢の城将や家臣ら100人が龍城の末、自刃。幕府の一国一城の命令で廃城となった後も武器庫、兵糧庫として利用されていた。城の石垣や周囲の堀の正確な位置や範囲が不明だった(2000.12.1) |
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●長野県飯田市の旧飯田城八間門(はっけんもん)の改修工事が進められている。戦国時代(1590年代)に建築されたといわれる八間門(二階建て三間一戸の櫓門)は、旧飯田城二の丸入り口にあった。1871(明治4)年、最後の飯田城主・堀親義公が転居した際に移築された(2000.12.1) |
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●11月27日、石川県七尾市は前田利家が初めて築城した小丸山城の城域を特定するため基礎図の作成を開始した。1582(天正10)年に利家は小丸山一帯に城を築いた。翌年に金沢へ移ったが、小丸山城は一国一城令が出る1615(元和元)年まで使われていた(2000.11.30) |
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●11月14日、長崎県天草郡苓北町の近世城・富岡城跡から、志岐麟泉(しきりんせん)が築いた出城とみられる石垣が出土。志岐氏時代の石垣が確認されたのは二例目。天草領主となった唐津藩主・寺沢広高が、富岡城を築く際中世城を転用したことを裏付けた(2000.11.16) |
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●11月1日、新たに小谷城を描いた絵図が見つかった。江戸時代の中期に描かれたものと思われるが、これまでの絵図にない建物などが記されている。長浜歴史博物館で公開(2000.11.7) |
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●愛知県蒲郡市にある「矢穴(やあな)石」に加藤清正らの刻印の存在が判明。この穴は名古屋城築城時の石垣の“使い残し”とされている。刻印が見つかったことでそれが証明された(2000.11.7) |
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●岡山県の岡山城は調査で江戸時代初期に石垣を積み直した可能性が高いことが判明。石垣の内側に入れる 「裏込め」という小石が、上部は丸いが、下部では角張った形で、積み方も違っていることがわかった(2000.11.3) |
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●10月26日、高知県の高知城・三ノ丸から長宗我部氏によって築かれたとみられる城郭の石垣などが見つかる。この石垣の内側で、豊臣秀吉が支配下にあった大名に使用を許した桐紋軒丸瓦も出土(2000.10.30) |
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●10月24日、熊本県菊鹿町で7世紀後半の古代山城「鞠智(きくち)城」跡から、正門と思われる門跡と城壁、登城道の遺構を確認された(2000.10.25) |
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●10月18日、京都市は二条城の「二の丸御殿」(国宝)にある障壁画を、超高精細画像のデジダルデータにしてインテリアや服飾品、CGの素材データなどに商業利用できるようにすると発表(2000.10.21) |
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●10月11日、津軽氏発祥の地・種里城跡の発掘現場で、中世の掘っ立て柱建物跡が出土。武家屋敷の可能性が高い(2000.10.13) |
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●南部氏の居城七戸城跡の北館曲輪の発掘現場で、かなり大きな16世紀末とみられ中世・竪穴建物跡が出土。建物跡からは鎧の部品などが見つかっているため、職人の工房だった可能性が高い(2000.10.6) |
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●岩手県・盛岡城で昨年末発見された築城当時の石垣の現地説明会が10月1日に行われた(2000.10.3) |