栄西 平安時代の僧侶。1168(仁安3)年と1187(文治3)年に中国へ渡り、臨済宗の印可を受ける。1201年に京都に入り、翌年に建仁寺を建立、禅宗を広めた。帰国に当たり、茶種を持ち帰って『喫茶養生記』を著し、「日本の茶祖」ともされる
えいさい
英勝寺 神奈川県鎌倉市の尼寺。1636(寛永13)年に徳川家康の側室で徳川頼房の養母である英勝院が建立。以後は水戸徳川家の姫君が代々住職を務めた
えいしょうじ
永楽大典 明・永楽期(1403〜24年)に編纂された大百科事典。目録は60巻、本文は2万2877巻、1万1095冊に上る。秦の時代から明の時代初期までの天文、地理、出来事を網羅し、8千種類以上の書物を収録。中国古代では最も完成度が高く、傑出した百科事典とされている。 永楽大典は書物の数が膨大なため、これまで印刷されたことはないが、嘉靖期(1522〜66年)に写本が1部作成された。明の滅亡後、原本は紛失。嘉靖期の写本は度重なる災禍に見舞われた。20世紀初頭には、北京に侵攻した8カ国連合軍によって略奪が繰り広げられた。その結果、現存する写本は、原本全体の4%に満たない800巻、400冊余りとなり、現在も8カ国・地域の所蔵機関約30カ所に散在している。
えいらくたいてん
江藤新平 1834〜1874年。佐賀の出身。征韓論に敗れた後、下野。明治7年2月に佐賀の乱を起こしたが、政府軍に鎮圧された。鹿児島、宇和島を経て土佐を東方へと逃げのびたが、同年3月、甲浦で捕らえられ佐賀へ護送後、処刑された
えとうしんぺい
江戸六地蔵 江戸六地蔵とは1712(正徳2年)、深川の僧侶・地蔵坊正元が10年がかりで江戸中からの浄財よって、旅人と江戸市民の安全を祈願して各街道口に建立されたもの。正元は深川に住み、24歳のとき大病にかかり、地蔵菩薩に祈願したところ、病気が全快したので、江戸の入口に金箔をはった丈六銅造の地蔵菩薩6体を建立することを決意し、諸国に募金、ついにこれを完成させたちなみに、1番は品川寺(品川)、2番は東禅寺(山谷)、3番目は太宗寺(新宿)、4番目は真性寺(巣鴨)、6番目は永代寺(深川。ただし明治時代に廃寺)のためのちに浄明院(上野)に建立された。
えどろくじぞう

遠藤新 1889〜1951年。建築家。福島県新地町出身で、大正時代を中心に活躍したアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトとともに、旧帝国ホテルなどの設計にも携わり「日本のライト」と称された
えんどうあらた