| 伊賀越え鍵屋辻の決闘 | 1630(寛永7)年、河合又五郎(岡山藩士)が同僚の渡辺源太夫を殺害して逃亡し、敵討ちの許しを得た源太夫の兄・渡辺一馬が荒木又右衛門の助太刀を頼んで又五郎を追う。1634(同11)年11月7日、鍵屋の辻で決闘し、本懐を遂げたもの |
| いがごえかじやつじのけっとう |
| 石垣島事件 | 1945年4月15日、石垣島に来襲した米軍機が日本軍の地上砲火を浴びて墜落。機長のティボー中尉ら3人の飛行士が島内の海軍本部へ連行された。同隊は尋問後、即処刑を命じ、日本刀や銃剣で3人を刺殺。戦後、処刑を命じた海軍司令らは戦犯として絞首刑に処せられ、「石垣島事件」として語り継がれている。 |
| いしがきじまじけん |
| 石田遺跡 | 滋賀県能登川町にある縄文時代後期と弥生時代後期から中世にかけての環濠集落跡。日本最古の馬鍬(古墳時代前半)や紡織機等の木製遺物のほか、青銅器鋳造のフイゴの羽口が国内初の完成品で出土。多くの関心を集め、同遺跡において青銅器の生産に関わった可能性が高いと考えられてきた。 |
| いしだいせき |
| 伊藤柏翠 | 1911年東京浅草生まれ。胸を病み鎌倉での療養生活中に俳句に傾倒。高浜虚子に師事し、その後福井県三国町の俳人・森田愛子との出会いが縁で45年に同町に移住。人生の大半を過ごし「永平寺」「虹」「花鳥」など多くの句集を発表した。「ホトトギス」の流れを引く全国的な俳句結社「花鳥」を長年主宰、日本伝統俳句協会副会長などを勤める。1999年9月に88歳で死去 |
| いとうはくすい |
| 依智秦氏 | 依智秦氏は8〜9世紀後半まで愛知郡司(大領)をほぼ一貫して務めた有力氏族。6世紀末の「なまず遺跡」、7世紀後半の造営とみられるかんがい用水「愛知井」、7世紀末創建の「畑田廃寺」などの遺跡は知られてる |
| いちはたし |
| 一里塚 | 一里(約4キロ)ごとに街道の両側に土を盛り上げて造った道標。江戸時代に制度化され、江戸日本橋を起点に東海、東山、北陸の三道に設けられた |
| いちりづか |
| 一斗内松葉山遺跡 | 福島県安達町油井の民有地で、旧石器文化研究所の藤村新一・前副理事長らが1999年10月の踏査と翌年3月の調査で計36点の石器を発見。「69〜58万年前をはるかにさかのぼる国内最古級の石器群」と発表していた。地権者が住宅建設を申し出たことを受け、町教委が遺跡の範囲確認などを目的に試掘確認調査として再調査を実施した |
| いっとうちまつばやまいせき |
| 伊能忠敬 | 1745〜1818年。江戸時代後期の地理学者・測量家。上総国(千葉県)に生まれ、家業の酒造業などを営んでいたが、50歳をすぎて幕府天文方に入門。1800年に北海道から九州まで全国の測量を始め、幕府の援助を受けた測量隊は16年間に4万4000キロを踏破。 国内初の日本実測地図を作製した |
| いのうただたか |
| 今井信郎 | 1841(天保12)年生まれ。京都で「見廻り組」与力を勤め、竜馬暗殺の近江屋事件にかかわったとされる。戊辰戦争後、明治11年に初倉(静岡県島田市)に入植。自由民権運動に携わり、榛原高の前身、堰南学校の設立に尽くした。明治39年、初倉村長。大正7年に78歳で死去 |
| いまいのぶお |
| 今帰仁城 | 沖縄の今帰仁村にあった城。14世紀ごろの三山時代に北山城として中山城や南山城と琉球の覇権を争った。2000年に世界文化遺産に指定された |
| いまきにじょう |