| ニコライ二世 | 約300年にわたってロシアを支配したロマノフ王朝の末裔。1894年から旧ソ連が誕生する直前まで帝位にあった。ロシア革命の嵐の中で1917年に退位し、翌年、家族とともにモスクワの南方、エカテリンブルクで家族とともに銃殺された、と伝えられている。皇太子時代の1891年に軍艦7隻で訪日し、滋賀県大津町(現大津市)で滋賀県巡査・津田三蔵に切り付けられた事件が「大津事件」として知られている |
| にこらいにせい |
| 西嶋八兵衛 | 1596〜1680年。17歳から藤堂高虎に仕え、土木の技術を習得。藩内外の河川改修や新田開発に努めた。特に干魃のために派遣された讃岐藩では「日本1のため池」として有名な「満濃池」を改修。ほかにも百カ所ほどのため池や灌漑用水を整備し、農業の基盤を築いた |
| にしじまはちべえ |
| 西村伊作 | 1884〜1963年。和歌山県新宮市仲之町生まれ。明治39年、日本で初めて新宮に居間中心住宅「バンガロー」を建築し、大正10年には、東京に男女共学制を採用した学校「文化学院」を創立した。日本の近代住宅の先駆けとされる |
| にしむらいさく |
| 二条城 | 徳川家康が京都の宿館として1603(慶長8年)に築城。1624(寛永元)年、後水尾天皇の行幸に備え、三代将軍家光が大規模な増築に着手、敷地を西に広げた |
| にじょうじょう |
| 尼寺廃寺跡 | 史跡。奈良県香芝市尼寺の尼寺廃寺跡は、飛鳥時代(7世紀後半ごろ)に創建された寺院跡。北の金堂と南の塔を回廊で囲む南北約70メートル、東西約45メートルの規模の法隆寺式伽藍が確認されている。塔の心礎はは3.8メートル四方、基壇は約13メートル四方。この大きさから塔は法隆寺の五重塔(約32メートル)を上回る規模だったと推定されている |
| にでらはいじあと |