霊仙三蔵
霊仙三蔵は、759(宝宇3)年、霊仙山麓の醒井に生まれたとされる。幼時から仏門に入り、奈良の興福寺で得度した。804(延暦23)年に遣唐留学僧に選ばれて渡唐。長安で「心地観経」を梵語から漢語に訳すなどした。この業績が認められ、当時の憲宗皇帝から日本人で唯一三蔵の称号を贈られた。その後、仏教を保護した皇帝が暗殺されると、長安から現在の山西省にある五台山に逃れた。再三願い出た帰国もかなわず、827(天長4)年、五台山南の霊境村で68年の生涯を終えた
れいせんさんぞう
冷泉院
冷泉院は、京都に都をつくった桓武天皇の皇子にあたる嵯峨天皇(在位809〜823)が平安宮の東隣に創建した離宮。北は大炊御門(おおいみかど)、南は二条、東は堀川、西は大宮通に囲まれた広大な敷地を有した。嵯峨天皇は譲位後十数年をここで過ごしたほか、その後も歴代の上皇が居住する「後院」にした。このため、ふつうの別荘ではなく政治的機能もあったとされる
れいせんいん
冷泉家
冷泉家は平安の歌人・藤原俊成、定家の流れをくむ「和歌の家」として宮中に仕え、現在まで公家の年中行事の多くを継承。定家筆の「古今和歌集」(国宝)をはじめ、和歌に関する多くの典籍や古文書を今に伝える。京都市上京区にある邸宅は、18世紀末の天明の大火の後に再建されて以降、現存する唯一の公家住宅。座敷及び台所と御文庫、台所蔵、表門が国の重要文化財。1994年から7年かけて解体修理され、殿舎の屋根は往時のこけら葺きに戻された。
れいぜんけ