四脚門 平安京の規則を定めた文書「延喜式」では、「四脚門」は原則として3位以上の高級貴族の屋敷、または大臣以上が訪れる家のみ設置を許される格の高い門とされる。鎌倉時代以降は将軍邸の正門や勅使門、寺の表門などに広く使われた。
しきゃくもん
渋沢栄一 1840〜1931年。幕末から明治・大正・昭和を生きた実業家。大蔵省で財政や金融制度の整備にあたり、退官後は実業界で活躍、多くの銀行の設立を指導した日本近代資本主義の父といわれる
しぶさわえいいち

渋沢敬三 日銀総裁や大蔵大臣を務め日本の戦後復興に尽力する一方、数々の調査を手がける。宮本常一氏ら多くの研究者も育成し、学術の発展に努めた。青年時代から自宅に「アチック・ミューゼアム(屋根裏部屋の博物館)」をつくり民具の収集を続けた
しぶさわけいぞう

島原大変 島原大変は1792(寛政4)年、雲仙・普賢岳噴火後の眉山崩壊と大津波により、島原、熊本で約1万5000人の犠牲者が出たとされる大災害
しまばらたいへん
下郷共済会 長浜を拠点とした商人・実業家の下郷傳平久成氏が1903(明治36)年に設立した財団。下郷共済文庫(図書館)や錘秀館(博物館)などを通して湖北・長浜の文化、教育面で寄与した。しかし、昭和初期から下郷家の事業の衰退で、財団は背景となる企業母体を失い、戦後には活動を休止。所蔵品の一部も散逸していた。2001年、新たに財団が復興し、残存していた古文書、絵画、掛け軸などを整理
しもごうきょうさいかい

下之郷遺跡 遺跡。滋賀県守山市下之郷町の野洲川左岸に広がる弥生時代中期後半(紀元前1世紀)の大環濠集落跡。中心部を取り巻くように3本の環濠(内濠)、その周りに六本の溝(外濠)を巡らせており、広さは約25ヘクタール。中国の歴史書『漢書地理誌』が邪馬台国の前の時代には「倭は百余国に分かれていた」と記した「クニ」のひとつとみられる
しものごういせき

寂光院 京都市左京区大原の寂光院は聖徳太子が594(推古2)年に創建。1185(文治元)年、建礼門院が草庵を結び、平家一門の菩提を弔ったとされる。現在の本堂は、慶長年間(1596〜1615)に淀君の発願で再建されたと伝わっている
じゃこういん

鷲峰山金胎寺 役小角が開基し、泰澄大師が再建したという伝承を持つ寺院。奈良〜江戸時代にかけて南北修験道の接点となる山岳寺院として栄えたとされる
じゅうぶさんきんたいじ
十返舎一九 江戸時代の滑稽(こっけい)本作家。1765〜1831年。現在の静岡市両替町で駿府町奉行同心の長男として生まれたとされる。1802年に発刊した「東海道中膝栗毛」は弥次さん、喜多さんが江戸から伊勢参拝へ旅立ち、京都見物もにぎやかに繰り広げる道中記。滑稽本の代表作とされている
じゅぺんしゃいっく

首里城 中山城にも位置付けられた琉球王国の拠点。2000年に世界文化遺産に指定された
しゅりじょう
淳祐 890〜953年。平安時代中期の第三世座主で菅原道真の孫。梵字に精通した学僧として知られる

松雲大師 1544〜1610年。現在の韓国・密陽市生まれ。秀吉の侵略軍と戦っただけでなく、加藤清正とも交渉するなど、傑僧として知られた。1605年2〜3月にかけ、朝鮮王朝の代表として徳川家康と伏見城で戦後処理交渉に臨み、家康の平和外交を確認、1607年から始まる朝鮮通信使派遣の礎を築いた
しょううんだいし
松花堂昭乗 1584〜1639年。書家。「滝本流(松花堂流)」の書風を確立し、「寛永の三筆」のひとりと呼ばれる。茶道や和歌にも通じ、晩年は京都府八幡市内の男山中腹に草庵を営んだ。草庵は、明治期に、近くの「松花堂庭園」(同市八幡女郎花)に移築された
しょうかどうしょうじょう

勝瑞館 戦国時代末期の武将・三好義賢(1526〜1562年)の居館。造営時期は16世紀中頃とみられる。館の周囲にめぐらされた濠跡は、中世の館跡としては規模・価値ともに全国最大級
しょうずいじやかた
小塔 仏教法具。願い事の成就のために作られた。法隆寺には奈良時代に称徳女帝が作った木製小塔「百万塔」が残っているが、これまで全国70カ所で出土例がある土製小塔は、すべて平安時代以降の製作。平安時代後期には、お経を書いた紙を底穴に入れた多数の土製小塔「泥塔」を作り、寺院で法要するのが流行した
しょうとう

聖徳太子絵伝 聖徳太子の生涯を絵画にした掛け幅や絵巻。太子信仰の広がりに伴い、中世に多く描かれた。現存する最古の絵伝は、1069(延久元)年に描かれたもので東京国立博物館所蔵品(国宝)
しょうとくたいしえでん

条里制 日本古代の農地の区画法。農地を六町(約654メートル)間隔で縦横に区切り、六町間隔の列を条、六町平方の一区画を里と呼び、一里をさらに一町間隔に縦横に区切って三十六の坪とした。坪の境界のあぜを大畦畔」(だいけいはん)と呼ぶ
じょうりせい

人造石 まさ土と石灰を水で混ぜ、固めて作り、明治時代にはセメントより安価で大規模な土木工事では多用されていた
じんぞうせき

震洋隊 昭和20年、米軍の本土上陸に備えて編成された小型特攻艇の部隊。同年8月16日夜、高知県住吉に駐留していた111人の隊員が爆発で命を落とした。同県香美郡夜須町では有志が震洋隊奉賛会をつくって海岸近くの慰霊塔前で、毎年命日に慰霊祭を行っている
しんようたい