| 東慶寺 | 「駆け込み寺」、「縁切り寺」として知られる鎌倉時代創建の尼寺。北条時宗の夫人、覚山志道尼を開山の祖として、時宗の子貞時が建てたとされ、源頼朝の叔母の美濃局(みののつぼね)が創建し、覚山尼が禅宗に改めたともいわれる。覚山尼は、時宗が仏門に入った時、一緒に尼となって同寺に入り、「縁切寺法」をつくったとされる |
| とうけいじ |
| 東山道 | 703(大宝3)年、奈良の都から全国に向けて整備された七つの道の一つで、美濃や信濃、上野を結び東北方面へと続いている |
| とうさんどう |
| 東寺 | 寺院。平安遷都の際、官寺として建立された。朱雀大路の南端に当たる羅城門の東側にあり、後に空海が授かり、真言密教の道場とした |
| とうじ |
| 唐人屋敷 | 1689年、徳川幕府が現在の長崎市館内町に設置した中国人居住地。出島とともに海外に開かれ、長崎の文化などに影響を与えた |
| とうじんやしき |
| 登録有形文化財制度 | 歴史的景観に寄与している明治から昭和初期の近代建築を後世に残していこうと1996年に設けられた。対象は築後50年以上の建造物で、固定資産税や地価税の減免などの優遇処置が受けられる。また改築などの規制が厳しい指定文化財と違い、内部の改築が比較的簡単にできるなど、生活の中で建造物を守ることが特徴となっている |
| とうろくゆうけいぶんかざいせいど |
| 富田信高 | 生年不詳〜1633。藤堂高虎の前の津城主で、津藩5万石を治めた。1600年の関ケ原の戦いの前哨戦では、妻が鎧をまとって勇戦。信高も徳川家康の命令で津城に籠城するなどした。信高は関ケ原の論功行賞で2万石を加増され、1608年に伊予・宇和島藩主12万石に転封されるまで津藩主。 |
| とみたのぶたか |
| 豊臣秀次 |
1568〜95年。安土桃山時代の武将。母は秀吉の姉。1591(天正19)年に秀吉の養子になり、関白に。秀頼の出生後、秀吉と不和になり、高野山に幽閉され自殺を命じられた |
| とよとみひでつぐ |
| 豊原国周 | 1835〜1900年。14歳で歌川豊国に入門、浮世絵界が衰退の一途を明治時代に、江戸浮世絵の伝統を守り、売れっ子作家として役者絵などに傑作を遺した。最後の浮世絵師と言われる |
| とよはら・くにちか |
| トロツキー | 1879〜1940年。ロシア革命の指導者。ウクライナのユダヤ人富農の出身。1917年の二月革命を機にボリシェビキに入党、ソビエト政府成立後は外務人民委員(外相)として対独講和交渉などで活躍、赤軍の創設にも尽力した |
| とろつきー |