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『華氏911』
         楠山忠之

 この五月、マイケル・ムーアの『華氏911』はカンヌ国際映画祭でパルムドール賞を獲得、国際批評家連盟賞とダブル受賞となった。
 今夏、アメリカに滞在していたので、地元で見ない手はないと、到着早々に映画館に走った。場所は黒人が人口の八割を占めるというワシントンDCのダウンタウン。観客もほとんどが黒人。イラクの占領政策には欠かすことができない黒人兵の“予備軍”的存在とも思える若者たちもいた。日中だったせいか客は三十名ほど。因みに入場料は昼は五ドル五〇、夜の部は七ドル五〇。日本は入場料が高すぎる!
 さて、映画が始まると、要所要所でブッシュの無能ぶりや遊び人ぶりにブーイングしたり、嘲笑が沸いたり、ムーアの得意技である必殺体当たり突撃取材に喝采が起こる。圧巻は、国会議事堂に出入りする議員たちに「あなたの息子もイラクに送りましょう」と署名用紙をムーアが街頭で迫るシーン。何しろ議員の息子はたった一人しか出征していないという。逃げまくる議員たち。戦死者に美辞麗句で弔辞を送る彼等だが、自分の家族には一切“愛国に貢献”する気はないことを露呈させる。だったら「反戦・非戦」と表明すべきだ。ここには常に弱者の立場に立ってドキュメンタリーを製作してきたムーアの真骨頂を見る思いだ。
 ムーアは言う。「貧困と無知なる者が“エリート”という名の富裕階級を支えてきた」と。逆に言えば、アメリカもまた権力と冨を持つ者が持たざる者の犠牲の上に楽園を築いてきたのだ。
 イラクで戦死した一兵士の親は、眼からウロコが落ちた表情で訴える。
 「息子は何のために死んだのか。この戦争を続ける理由がわからない」。
 ムーアはこの言葉を市民から引き出すことで、この映画がイラクへの侵略戦争に対する批判だけにとどまらず、常に権力者は戦争を用意し、継続し、武器と人命を消費することで政治家としての地位を築く、という象徴的な側面を描き切った。
 アメリカから帰国後、日本でも封切り直後の映画館に出かけた。案の定、満席。ムーアに人気があるのか、ブッシュに人気(?)があるのか。老若男女の観客は、しかし地元アメリカでのようなパワフルな笑いもなければ喝采もなく、むしろ客観的にアメリカなる化け物的国家、小泉首相が追従するところのアメリカを冷静に分析しようとするかのごとく静寂な雰囲気に包まれていた。場内で一人高笑いしたワタシの声が宙で白ける。「気がつけば私たち日本人は“中流より上”の“エリート”に近く、ブッシュの周囲に集まる富裕階級に近いと思っている人が多いのかも知れない。否、ムーアのエネルギーを得て、権力者には、私たちもパワフルなヤジを飛ばそう!!
 言うまでもなく「華氏911」は、「9・11」をきっかけにアメリカ政府がアフガンやイラクに常々抱いてきた野望を果たす企みに迫り、仕掛人たちである権力者ブッシュや側近並びに「戦争はおいしい」と恥ずかし気もなく言ってのける大企業家たち(彼等は焼け落ちたイラクに復興事業で甘い汁を吸っている)の鉄面皮を一枚一枚はがしてゆくスリリングで痛快な(庶民にとって)ドキュメンタリー作品である。
 その手法はこれまでの『ロジャー&ミー』(リストラされた労働者の立場でGM=ゼネラル・モータースの会長ロジャー・スミスを体当たり取材で追い詰めてゆく)や、前作『ボウリング・フォー・コロンバイン』(銃社会のアメリカが病んでいることを描破)で見せたニュースの断片やテレビ映像を多用することで、今日的世界を編み出したが、この手法を今回も一層濃厚に使用している。とは言え、ムーアは多くのカメラマンをイラクの戦場に送り込み、衝撃力のある独自の生映像も挿入している。危険な地域にはフリーに依存する日本のマスメディアは言うに及ばないが、政府寄りのFOXテレビに視聴率を取られてしまったアメリカのマスメディアも、ムーアの過激にして独立独歩のメディア精神には脱帽しているにちがいない。言葉を変えて言えば、マスメディアがすべき仕事をムーアがやったのだ。
 惜しむらくは、イラクで戦死した息子の母親がホワイトハウス前で泣き崩れるシーンがあるのだが、その直前に公園内でテントを張って「反核・反戦」の座り込みを二十四年間も続けているスペイン女性のコンセプションさんと会話する光景には一切説明がない。彼女のテント脇には広島・長崎の被爆した直後の写真が数葉展示されている。そこもカメラは素通りする。この場面にこそ、アメリカが第二次大戦以後、核の力を誇示し世界に脅威を与え続けてきたタテの時間軸を映し込むことができたはずだ。
 アメリカ滞在中の私は、アメリカ市民が毎年夏、“ヒバクシャ”を招んでその体験談を各地で聴く集会を開いていると知り、ビデオを担いで同行取材した。その際にコンセプションさんをも訪ね、彼女の勇気と愛に満ちた闘いの日々を聞かせて貰った私情もあるのだが――。
 歌舞伎は見るが、ムーアの映画は偏向しているから見ないとかカントカ言ったこの国の首相の言はさておいて、一般的にはドキュメンタリーは中立的でありたいが、署名入記事同様のドキュメンタリーがあってもいいと私は考えている。
 アメリカを訪問したヒバクシャの方々(四名)から被爆後の壮絶な人生を聞かせていただいたせいもあり、帰国後、黒木和雄監督の『父と暮せば』も見逃さなかった。『たそがれ清兵衛』以来大ファンになった主演の宮沢りえが、被爆者の微妙な心理を見事に演じ切っていた。しかし今村昌平の『黒い雨』とはコンセプトが異なるとは言え、亡き父との二人芝居は被爆後の人々の現実から見れば美しく描き過ぎているように思え、消化不良になった。戦争の愚かさを一人の少年の目を通して描いた同監督の前作『美しい夏キリシマ』は解りやすく、深い感動を得たが――。
(ヴィジュアルジャーナリスト)
 


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