ゾルゲ「新帝国主義論」の意義と現代資本主義分析
降旗節雄
はじめに

 内容に入る前に二つ位お断りしておきます。
 ゾルゲ、今日ご紹介する本ではゾンテル(R, Sonter)となっています。ゾンテルの経済学的分析というのは、かなり沢山あるようで、日本でも昭和初期頃、この本以外にも翻訳されているようです。ただ私はゾンテルを専門的に研究したのではなく、帝国主義論の流れ、帝国主義論で現代を分析するというマルクス主義経済学の一連の流れを調べるというのが、私の本来の仕事です。その中でゾンテルも浮かび上がってきますので、多少知っているという程度です。その意味で私はゾンテルについての専門家ではなく、深く立ち入ったお話はできないことを最初におことわりします。
 もうひとつは主催者側からの注文です。今日お集まりの方々は経済学についての専門家・研究者ではないから、できるだけわかりやすく、ゾルゲ、(ゾンテル)の位置を、その頃のマルクス経済学者の中で位置づけることを主目的として、あまり経済学的な細かい議論には入らないでくれということでした。その点も心得てお話しさせていただきます。

「新帝国主義論」の成立

 さて、リチャード・ゾンテルまたはリヒャルト・ゾルゲは、ご存知のように一八九五年に生まれて、一九一九年にドイツ共産党に入党しています。ドイツ共産党は一九一八年につくられています。正確にいいますと一九一八年十二月三十日です。
 ですから、ほとんど共産党がつくられたのと同時に入っているとみていいと思います。その後一九二五年にモスクワへいき、コミンテルンの情報局に勤め、ソ連共産党に所属しています。この『新ドイツ帝国主義論』(「新帝国主義論』)は一九二八年に書かれています。ですからコミンテルン情報局に籍をおいて仕事をしている間に出来た本だといえます。
 そしてその翌年の一九二九年、昭和四年、大恐慌のあった年に日本で翻訳されています。わりと早い紹介ですが、その頃は左翼文献はかなりスピーディに翻訳されています。ですからこの本が例外的に早く翻訳されたわけではありません。
 不破侖三という人の翻訳です。この不破侖三という人については私はよく知りません。「トロツキーシンポジウム」で年輩の方に聞いてみましたが、よくわかりませんでした。不破侖三は、「ブハーリン」をもじったペンネームです。その頃はブハーリンが共産党の指導的理論家でした。ロシア革命の後、レーニンが、ソヴィエト国内政治の指導に当たり、国際共産党、コミンテルンの指導にはブハーリンが当たるという分業関係になっていました。つまりブハーリンは国際共産主義運動の大立者になっていて、日本にも非常に影響力があった人です。
 蒼風閣という所から、この『新帝国主義論』の翻訳がでているのですが、これは「帝国主義論叢書」というシリーズの第三巻になっていまして、第一巻はブハーリンの『帝国主義と世界経済』、第二巻はヴァルガの『安定後における資本主義没落期の経済』、そして第三巻がこの『新帝国主義論』になっています。ですからブハーリンの影響が非常に大きかったわけです。それでブハーリンをもじった不破侖三という訳者が出てきたと思います。
 戦後共産党の中で「自立─従属論争」というのがありましたが、今の不破哲三も、ひと頃やや構改派に近い、自立派的な主張をしていた時もありまして、その時にこのゾンテルの『新帝国主義論』を割り合い評価して、使っております。といいますのは、この本は第一次大戦後、ドイツが崩壊、解体の中から、かなり急速に帝国主義的自立をとげた事を実証した本ですから、自立派にとっては、非常に有力なテキストだったのです。ですから不破は「侖三」をさらにもじって「哲三」にしたわけでしょう。これでごく大まかな、ゾンテル自身がどういう形で『新帝国主義論』を書くにいたったかという外的プロセスはお話しした事になります。

「資本論」から「帝国主義論」へ

 もうひとつマルクス主義経済学の中で、帝国主義論や第一次大戦後の分析等々が、どういう関連を持っていたかということをお話ししておきたいと思います。この点をふれないと流れのすじがわからなくなります。
 すこしさかのぽりますが、簡単にその点をご説明しておきます。
 マルクスが『資本論』を書いた時は、一八六〇年代から七〇年代までのイギリスの経済を素材にしております。マルクスの考え方では、資本主義が発達していくと、この社会は、資本家と地主階級とプロレタリアートという、いわゆる三大階級に純化してしまう。中産階級とか、土地を持っている農民──これは資本家とも、労働者とも、なんともいえない中間階層ですが──こうしたものはどんどん没落していき、結局資本家と労働者と地主の三大階級に純化してしまうというのです。つまり資本主義では経済的に一元化された支配構造が確立してしまうということです。
 事実イギリスではそうなりつつあった。マルクスはそういう社会構造を『資本論』という形で、理論化したのです。
 そして、おそらくマルクスの考え方ではイギリスだけでなく、ドイツやアメリカ、さらには日本とかロシアという後進資本主義国も結局そういう形になっていく、つまり『資本論』で明らかにした構造に世界的に近づいていくとされた。従ってその結論は「万国のプロレタリアート団結せよ」という事になります。つまり世界的なプロレタリアートとブルジョワジーの総決戦という舞台ができあがってくるのだと考えたのです。
 ところがマルクスの晩年、一八七〇年代から八〇年代にかけて、「どうも構造は、そういう形では発展していないのではないか」という徴候がいくつかでてきたのです。
 例えばイギリスが比較的停滞的になってきて、ドイツやアメリカが急速に発展してくる。また企業形態にも変化がでてくる。マルクスの時代は企業は個人経営です。注意してほしいのですが、マルクスの『資本論』の中に出てくる資本家というのは、すべて個人資本家です。オーナーとマネージャーとが一緒になっているわけで、株式資本というのはありません。株式会社があって株主が、資本を所有していて、経営者である社長以下の取締役が管理を行っているというような株式会社はないのです。「ない」というのは、法律によって禁止されていたからです。公益企業だけが前述したような構造になっていました。ですからマルクスの場合の資本主義の構造は、わりあい単純明快な形です。ところがマルクスの晩年には、形が変わりつつあり、マルクスはそれを気にしながら死んでいます。さらに一八九〇年代、エンゲルスは一八九五年に死んでいますが、そのころになると、もっと事態は変わってきます。
 イギリス帝国はどんどん斜陽化し、代わってドイツやアメリカ帝国主義が急速にのびてくる。のみならず、企業が全面的に株式会社化していってしまいます。
 株式会社化していくと、株主は資本を持ってはいるが経営者ではなく、また経営者も必ずしも株を持っているとは限らず、資本家も「一体本当に資本家なのかどうか分からない」といった状態が生じます。労働者でも、株を持っている者は、配当をもらったり、キャピタル・ゲインを得たりしますから、労働者であるかどうか、よく分からないといった事が生まれます。
 また、農業においても、分解は決してスムーズにいかなくなり、日本では中農肥大化などといっていますが、下の方と上の方が切り捨てられて中農がふえてくるようになります。家族労働を中心とした中農肥大化です。
 そうなりますと非常に大きな問題が生じます。つまり『資本論』のような形で、資本主義の発展を理解するのは誤りではないかという意味です。その結果、大論争が起こります。「修正主義論争」といわれる大論争で、大まかにいいますと、レーニンが、その論争を最終的に取り仕切って、確定し、それがレーニンの『帝国主議論』になります。
 さて、この場合マルクス主義者の理論の流れがいくつかに別れます。
 その中で、「今でもマルクスの『資本論』は世界の資本主義の発展の分析に適用できるんだ」と主張した代表的人物はパルプスという、その頃の有名な理論家です。
 パルプスという人は非常に有能な人で、カウツキーやローザ・ルクセンブルク、トロツキー、ブハーリンといったような人達は、ほとんどパルプスの弟子だといっていいのです。パルプスは、当時非常に理論的インパクトを持っていた人です。今はこの人はほとんど知られていません。
 なぜ知られていないかといいますと、これはまた面白いことで、パルプスは一九〇五年のロシア革命の際、ロシアに潜入して、この指導に当たり、これを成功させます。ところが第一次大戦の直前に、社会民主党(共産党)の金を使ったというスキャンダルを起こして、追放されます。追放されると同時に鮮やかに転向して、彼は武器商人になります。
 第一次大戦が目前に迫っているということで世界中の武器を買い集め、これをドイツ側、イギリス側を問わず売りさばき、巨額の富を手に入れ、ヨーロッパに城を買い、美女を侍らすハーレムのようなものをつくっています。
 最後に、ロシアの一七年の革命の時、革命の志捨てがたく、レーニンに接近して、資金の提供を申し出ています。「ロシア革命は大変だろうから、金はいくらでも渡す」ということでしょう。
 レーニンは、しばらく考えていますが、この提供を断っています。
 革命運動では、どんな金をもらってもいいというものではないということなのでしょう。これを最後にパルプスの革命との関係は切れまして、ロシア革命後すぐに死んでいます。パルプスというのは文学的には面白い人物で、「革命の商人から死の商人へ」という彼の伝記があります。
 又、レーニンとの先ほどの交渉はレーニンの伝記の中に出て来ます。
 こんなわけでパルプスの、後半はともかくとして、前半期は大変な影響力があったわけで、『資本論』は「世界資本主議論」だとして、これを世界資本主義分析に適用する仕事を精力的にやっています。
 さてこの系列の他に、ヒルファーディングがいます。彼はドイツ独立社会民主党に属し、二五歳〜三〇歳位の間に『金融資本論』を書き、マルクスの『資本論』を改作してその時代に適用できるようにします。
 もうひとつはマルクス主義者ではなく、全くのリベラリストであり、ジャーナリストであるイギリスのホブスンが『帝国主義論』を書いています。これは岩波文庫で出ていますが、彼はこの本で、イギリス帝国主義を中心に分析しています。
 大変面白い本です。
 さて、レーニンの『帝国主義論』は、このヒルファーディングとホブスンの総合といえます。
 レーニンは『帝国主義論』の最初で書いています。「自分はマルクスなきあとの様々な論争をみてきたが、結局、ヒルファーディングの『金融資本論』とホブスンの『帝国主義論』の二つが意味のあるものであるという事か分かった」と。レーニンはこの二つを統合する形で、自分の帝国主義論を書いたのです。帝国主義研究を系列的にいえば、こんな形になっています。
 今ではマルクスの『資本論』とレーニンの『帝国主義論』をひとつの流れととられていますが、そうすっきりしたものではなかったのです。
 ひとつはマルクスからパルプスにいき、カウツキーや、ローザ、トロツキーやブハーリンへと流れていく理論。
 それに対してヒルファーディングは、マルクスを前提としましたが、新しい現代的な資本主義論を書きます。
 ホブスンは全く別の系列でいわば近代経済学者です。例のケインズの先輩に当たるわけで、ケインズはホブスンを非常に高く評価しています。「ホブスンは忘れられた経済学者だが、非常に有能な人だ」と言っています。ですからホブスンはケインズ的考え方の先駆者と言えます。
 レーニンは先ほども言いましたが、このヒルファーディングとホブスンを統合した形で『帝国主議論』を書く。これが帝国主義論の流れの見取り図です。

コミンテルンの「一般的危機論」

 さて先ほどの話しにもどろますが、第一次大戦まではレーニンの『帝国主義論』が、マルクス主義者の中では大体了承されています。ローザやトロツキー、ブハーリン、カウツキーではなくレーニンの『帝国主義論』が大体支持されて来たわけです。
 ところが、先ほども申しましたように、コミンテルンはブハーリンが指導するわけで、従ってコミンテルンの理論的分析とか指導は必ずしもレーニンの『帝国主義論』にはよっていません。むしろブハーリン理論です。
 このブハーリンの理論から出て来たものが、ご存知の「一般的危機論」です。
 この「一般的危機論」は何かといいますと、ブハーリンの『世界資本主義論』というのがありまして、「資本主義というのはひとつの世界的な有機的システムだ。この性格をもって初めて資本主義は安定した体制として成立しうる」というものですが、第一次世界大戦の結果、ロシヤ革命が起こって、社会主義という資本主義とは全く異なったセクターができてしまった。
 そこで資本主義は、システムとしての統一性を失い解体するというのです。だから「一般的危機論」という。つまりロシア革命以後は、資本主義は解体を続けていく以外にないというわけです。
 ですからロシア革命から一九二二年〜二三年までは「一般的危機の第一段階」だというわけです。
 ところが二三年〜二八年にかけて資本主義経済は急速に復興してしまいます。そこでこれは「相対的安定期」だとなります。
 そして二九年恐慌後、再び解体進行の時代に入って来たので、これを「第三段階」だというのです。つまり四段階以後はなくて、滅びるだけなんだというのです。
 このコミンテルンの「一般的危機論」によると分析は、わりあい単純な事になってしまう。つまり世界資本主義というのは、ロシア革命以後はもはや生命力をもたず、危機につぐ危機の中で解体していき、その解体が急速になったり、ゆるやかになったりするというだけで、その危機中で、日本や、ドイツ、アメリカがどういう配置になっているのかを親定するだけになります。
 これがコミンテルンを中心とした当時のマルクス主義者の一般的な資本主義論でした。
 それに対して、ゾンテルの『新帝国主義論』は、レーニンの『帝国主議論』を第一次大戦後に徹底的に適用するという方法をとりました。これは他のマルクス主義者の分析とは、全然ちがいます。
 こういう事をやった人はほとんどいません。大体が「一般的危機論」を中心としながら、コミンテルン型の分析を展開していくというのがマルクス主義者の流れでしたから。
 ゾンテルはコミンテルンの情報局にいたわけで、なぜその彼がこうした分析方法をとったのかということはよく分からないんです。
 ゾンテルはブハーリンや、その「一般的危機論」を評価していないようです。そしてレーニンの『帝国主議論』だけをテキストにして、これで第一次大戦後のドイツを分析するという形に方法をしばってしまっており、その成果が、この本だといえるのです。その意味ではこれは第一次大戦後の資本主義の分析の中では、非常に特殊なもの、異質なもので、コミンテルン型の分析の中では
出てこない型の分析を徹底的にやったということになります。この点が特徴です。

「帝国主義論」と「新帝国主義論」

 彼の本の構成は、第一章が「ドイツ帝国主義の経済的基礎」となっており、その中はさらに、
(一)独占
(二)金融資本
(三)金融寡頭制
(四)国際独占段階
(五)資本輸出
(六)世界分割への参加
 となっていますが、これは、レーニンの『帝国主義論』の目次と同じです。つまり資本主義を全面的に競争が支配していたマルクスの段階とはちがって、必ず独占が支配する。この独占の主体は銀行資本と産業資本とが癒着した金融資本なのであって、この金融資本は産業界を支配するだけではなくて、政治、ジャーナリズムといったものまで支配する金融寡頭制になるというものです。  従って、資本家の団体の頭の部分というのが、政治グループの中に入っていくわけで、例えば、ビジネス界出身の大蔵、通産大臣といったものです。そしてこれは、さらにジャーナリズム、今の電通のようなものまで支配して、資本主義社会の支配体制を金融資本が有機的につくりあげてしまう。これが金融寡頭制だというのです。  そうしますと、このような金融資本はさらに国際的に結合する。アメリカの金融資本、日本の金融資本、あるいはヨーロッパのそれはひとつの国際カルテルをつくります。これが世界市場を分割することになり、同時に有力な帝国主義国か、支配領域を世界的に分割することになります。こうして独占から始まって列強の分割にいたる帝国主義段階の見取り図が描かれます。  これがレーニンの『帝国主義論』の基本構造ですが、ゾンテルはこれをそのまま借用し、それを第一次大戦後のドイツに適用したわけです。  実際第一次大戦後のドイツは、かなり鮮やかに、レーニンの分析した結果と同じような経済過程を戦後十年間に完全に復活させていて金融資本が独占段階の中心となってきています。  ただしこの場合は戦前とちがって、独占体はコンツェルンになって来た。戦前のドイツの場合は銀行が中心となって、そのまわりに産業資本が結集する。つまり銀行が株式をもっていてそれを中心にひとつの巨大なグループをつくるというものでした。  日本についていいますと、戦前は三井、三菱、住友などの財閥が中心でした。財閥は銀行ではなくて、財閥本家が株をにぎっており、さらに人脈をつうじて、本家の支配領域を確定するという古めかしい、それでいて独占的な形態をとっていました。  戦後は、財閥解体で財閥はなくなりますが、現在になると、三井、三菱、住友というグループは再建されてしまっています。ただいわゆる総本家(持株会杜)はなくて、例えば三井や三菱の場合、十八〜二十の中心的資本がお互いに株を持ち合う形をとっています。株の相互持ち合いでグループを形成するという事になっています。この持ち合っている株が非常に多く、そのため、株価は上がり易いが下がりにくいとされています。  大体、日本の株の七割はそういう持ち合いないし機関投資家の所有であって、残りの三割が個人によって持たれています。そのため日本の株の特徴は上がる時は上がるが、あまり下がらない。この持ち合い(それによる法人資本主義化)が戦後の日本の金融資本の復活の特質です。
 それに対して銀行を中心としたグループも新しくできています。これが第一勧銀グループ、富士銀行を中心とした芙蓉グループ、三和グループの三つです。三和というのはあまりお聞きにならないと思いますが、関東資本に対して関西資本を糾合したグループです。オリックスとかグリコなどがそうです。
 後者は銀行中心の金融資本ですから、わりあいドイツ型に似ています。つまり戦後の日本はこの二つの型の六つのグループで支配されているといえます。
 アメリカの場合はトラスト型といいます。これは様々な会社が大きな会社に、全部株を出して、その会社がトラストの証券を渡す形を取ります。その結果多くの企業か一挙に癒着してしまいます。こういうトラスト型がアメリカです。ですからアメリカはトラスト型、ドイツは銀行型、日本は財閥型とお考え下さい。といってもこれは戦前の事で、戦後の日本は前述した変化をとげています。
 さてドイツにもどります、ゾンテルの分析によれば、ドイツでも銀行中心のドイツ型が解体してしまっていて、第一次大戦後はコンツェルン型になってきた。また、アメリカ型のトラストもふえてきた。だから戦前のドイツ金融資本とは質は確かに変わってきたけれども、戦後もやはり金融資本は着実に出来てきたとし、これを第一段階としています。ドイツの金融資本というのは、もともと銀行資本と産業資本が結びついたものでしたが、第一大戦後はそれがトラストを介して結びつくというのが非常な特徴です。そして一九二七年、二八年の段階になってきますと、こういう金融資本が、がっちりと復活し、ドイツ経済を支配したのだとゾンテルはいいます。
 さらに国際独占団体─国際カルテルが形成され、世界市場はこれで覆われてしまっている。
 しかし、レーニンの『帝国主義論』によれば、こういう状態になると必ず国内で大量の過剰資金か生まれて来て、それを国外に輪出しはじめる。資本輸出です。
 戦前の日本の場合、労働者の八割は女工さんで、非常に賃金が安い。ものすごい低賃金ですから、資本には非常な利潤があがります。と同時に労働者の大部分は女工さんですから、商品経済の発達のわりには農村部分が解体されないで残ってしまう。
 その上農村ではものすごい年貢を(生産物の五割)を取られていますから、生活水準は非常に低い。ですから国内での商品需要はほとんどない。資本は蓄著されるけれども、国内では売れませんから、結局過剰な資本は国外に氾濫せざるをえないわけです。そのため、急速に満州、朝鮮、中国などへ進出することになります。
 つまり国内が貧しければ貧しいほど、巨大な富を持って対外進出に向かっていくというのは物理的に当然です。
 これは現在の問題とも通ずる。今日の労働者は一生働いても、東京近辺には家は持てない、マンションで年収の十二倍から十三倍、一戸建ですと十五倍〜十六倍で、これでは家を建てることは不可能です。それは逆に資本にとっては有利な条件なわけで、労働者はどんどん貯金することになります。この貯金したものを資本は借りて、土地を買いあさって、それを担保にして資本を増大させていくということになります。法人税は、利益に対する税ですから、利潤で土地を買いあさって、それを担保にして金を借り、利子を払っていたら、赤字経営ですから、税は全く払わなくてよいことになります。そのため、資本はどんどんたまっていきます。しかし土地はものすごく上がり、民衆の生活水準は下がる。生活水準が低いと資本は過剰になって外部へ出ていかざるを得ない。ハワイで土地を買うとか、土地でなければマネ、モネ、ピカソなどの絵を買うことになる。
 戦前も全く同じです。生活が非常に貧しく、国内市場が狭くて、資本はたまりにたまり、これを「対外進出へ」という形になる。資本輸出になるのは必然的です。
 ところが、ゾンテルはこの点が、ちょっと異なってきたという。なぜかというと、ドイツはドーズ案で、毎年二五億マルクという巨額の賠償金をとられることになった。二五億マルクは、戦前ドイツが毎年資本輪出をしていた額にほぼ匹敵します。
 ですからいくら稼いでも、ドイツはかつて資本輸出していた程度の額は賠償金として取られてしまい、資本輸出がスムーズにいかない。この点は戦前と違うというのです。こうなりますとドイツが世界分割に参加する、つまり、後進国や植民地を暴力的に収奪することも抑えられてしまったわけです。
 第二次大戦後の日本は軍備を全廃させられました。この時のドイツでは軍隊はなくなったわけではないのですが、かなり制約され、さらに第一次大戦前に持っていた植民地等々はすべて取り上げられてしまう。のみならず、アルザス、ロレーヌ、ルタセンプルグ、ザール、オーベンシュレジアの一部、これはものすごい鉱業地帯で、鉄鉱、石炭の出る所です。これもほとんど取られてしまいました。したがってドイツは対外進出する力を失ってしまっている。この点は戦前と全然ちがう。

敗戦帝国主義ドイツの復活

 それでもドイツは資本輸出をしているのですが、実はこの資本輸出は、アメリカから借りて来たものの再輸出です。
 アメリカは第一次大戦後、ものすごく景気がよくなり、世界の流通している金の六〇%を独占しました。このアメリカがドイツにお金を貸してやり、さらにドイツがこのお金を資本輸出するという形になります。そういう意味で、非常に「奇形」的帝国主義国になってきたわけで、この性格が第一次大戦後のドイツの動きを、奇妙な形で規制することになった。
 これがゾンテルの主張です。つまりドイツの資本家や指導者の主張では、明らかに帝国主義的復活が、経済的にはもう成されている。従って帝国主義的進出にアクセルをかけていく方向にならざるを得ないのに、実際には賠償金や植民地はとられ、重要な鉱業地帯はフランスなどにとられ、領土も経済もズダズタにされている。そこでヴェルサイユ条約やドーズ案を廃止せよという主張が、非常に強くなります。
 そこで後進国がドイツの資本と優秀な技術を入れて開発されることは、人類の発展にとって当然主張されるべきプラスの歴史的傾向なのだという主張をうみだすわけです。後進国を後進国のまま置かず、ドイツの技術で開発するというのは、ドイツにとってのみならず、当の後進国にとっても非常に有利ではないかというのです。
 こうしてドイツでは帝国主義的要求が一九二七年、二八年と急速に拡大していきます。賠償金、植民地、鉱業地帯を取られているため、かえって国内部にうっ積した帝国主義的エネルギーは巨大ものになる。
 ところがゾンテルは、ここで、ヒトラーについてほとんどふれていません。この本の中では一カ所だけ出てきてますが、そこではヒトラーの主張というのは極右の、非常にナンセンスな主張であって、ドイツの支配階級といえども許容できないような異常な人物だとされています。
 これは実はこの本の執筆の時期が、ちょうどヒトラーが一揆を企て、鎮圧され、犯罪者として投獄され、ようやく出て来て、再び運動を始めた時に当たっていたからです。歴史的予見というものは非常にやりにくいものだという一つの実例になるかと思います。
 ゾルゲといえども、ヒトラーがあのような形になるということは、全く予想していなかった。当時「鉄兜団」という団体がありまして、これは要注意だといっていますが、むしろこれは後にナチスに吸収されてしまった。
 一九二九年に大恐慌がおこり、三〇年、三一年となって、その大恐慌が世界を包みこんでいき、ドイツも、ものすごい大不況に入っていきます。その中でヒトラーが出てくるわけで、この本は一九二八年に書かれていますから、二八年にはこの事態をつかまえられなかったといえます。
 ともあれそこで結果として、ドイツの外交政策は、戦前にも増して、すさまじい帝国主義的性格をもってきた。この帝国主義的要求が国民的主張となってきていたのですが、これはナチスがいいだしたのではなくて、それ以前から、かなり諸階層に拡がっていたわけです。
 これからの歴史の方向は第一次大戦前と違うことになる。その場合、ゾンテルが注目しているのは、「ソヴィエトが出てきてしまっている」ということです。この頃ソヴィエトはかなり着実に生産力を上昇させつつあった。一九二八年頃から、景気がダウンして、資本主義の将来がやや暗くなって来たが、こういう事態になると「資本主義圏は全力をあげて、対ソヴィエト圧殺に向かうだろう」。指導部としてのイギリスを中心とした資本主義グループとソヴィエトとの戦いかこれから予想される戦争の見取り図となったのです。
 その場合ドイツは非常に重要な位置をもつことになる。「ドイツ労働者階級は、ソヴィエトと連携して、社会主義を目指して立ちあがるべきであり、イギリスと結びついて資本主義の先兵としてソヴィエトと戦うべきでない」これがゾンテルの世界分析の最後の締めくくりになっています。

大恐慌とファシズムの登場

 このようにドイツの復活した帝国主義とその将来の見取り図を書くことが、ゾンテルの本の主要な部分で、あとはこの見取り図を前提に国内の階級関係の分析にあてられています。
 まず資本家階級と反帝国主義階級の二つに分け、独占金融資本が非常に強固に復活し、かつ大農経営のかなり古めかしいイデオロギーを持った層も復活している。ただし、それから排除された産業資本家で、独占体に入らない部分は、金融資本に反感をもっているので、これを労働者階級は自己の陣営に組み込まなくてはならないという政策的主張を展開しています。
 反帝国主義階級というのは、小ブルジョワ、小農階級、労働者階級ですが、特に注意しているのは小ブルジョワ階級内のインテリ層とこれまでの生活水準からはじき出されて、どんどん零落していく階層についてです。これらが急速に極右的思想を持ちつつある──結局、この層がヒトラーと結びつくわけですが──このグループを「要警戒グループ」だと注意しています。これはかなり意味があることです。
 こうしてドイツの政策は、だんだん軍事支出を増大させ、ワイマール時代に獲得した、社会保障、生活保護、貧窮部分の救済、失業手当などをどんどん切りつめて来ている。今の日本の状況と似ています。そしてその背後には財政危機があり、この財政の再建が不可欠となっている。しかし一方で軍事支出は増大していく。ヴェルサイユ体制や、ドーズ案との抗争があって、ドイツは強大な軍隊をもって、これを打破し、戦前のような領域拡大に再び乗り出さなくてはいけなくなったからです。
 これに対して社会民主党はあまり抵抗しない。たしかにこの右傾化に対する批判は起こってきていますが、二九年、三〇年の大恐慌になりますと、このドイツの傾向はすさまじい勢いでアクセルをかけられて来ます。財政破産状況に対しては税金を高くし、福祉を切り捨てて対応しますから社会民主党は支持を失い、解体していきます。その間を縫ってファシズムが出てくるという構造になります。これは日本の高度成長の末期とわりあいに似た形です。
 その中で、新しい中間層が増大してきていますが、これは注目すべきことです。技術者、ジャーナリスト等々の新しい職種にもとづく新中間層です。そして労働組合については、ゾンテルはアメリカ型だといっていますが、非常に経営者と妥協的で、御用組合化していく傾向、つまり黄色労働組合が急速にのびて来ている。
 さらにファシスト団体が、資本家階級の資金によって養成されて来ている。この団体はまだナチスでなく鉄兜団です。
 新中間層の増大、労働組合の御用組合化──今日の「連合」のようなものですが──そしてファシスト団体の登場、これを注意すべき方向とみているのです。
 そしてさらに第二インターと、社会民主党、たとえばヒルファーディングなどは完全に転向し、社会主義革命は完全にあきらめており、資本主義の拡大によって労働者の生活水準を高めていくという典型的改良主義になっているのだと弾劾しています。今の日本の社会党と酷似しています。
 これが第四章で、最後の第五章は「世界政局はこうして、第一次大戦後十年にして、危機をはらみつつあり、これは世界戦争の危機となる。この世界戦争はイギリスを中心とした資本家陣営と、ソヴィエト・ロシアとの抗争ということになり、そこで火が吹くであろう」とし、さらに「第二に火を吹く可能性は中国だろう」としています。
 この点は面白い点です。当時中国をめぐって列強が、すさまじい領土の奪い合いを演じており、ドイツもそこに加わろうとしている。
 従って、ヨーロッパを中心としてイギリス対ソヴィエトという形で戦火が勃発するか、あるいは、アジア、中国で戦火が勃発するかこの二つが考えられるが、ゾンテルは第一の可能性をヨーロッパとし、第二をアジア、それも中国だといっているのです。
 これは後に彼が一九三〇年代に、社会学雑誌の特派員として上海に行くことの前提になったと思われます。
 中国が危機の焦点になっているという見方は予測としては、かなり的確なものでした。
 この分析によって第二インターが、急速に反革命的に堕落していく状況に警鐘を鳴らし、ソヴィエトとの連携を強めろと主張しつつ終っているのが『新帝国主義論』の結末です。
 最後にこの『新帝国主義論』全体をどのように評価したら良いかという事について、私自信の立場から簡単に申しあげてみたいと思います。

「新帝国主義論」における現代資本主義分析

 最初に申しましたように、これはレーニンの『帝国主義論』を現代資本主義の分析に、徹底的に利用したという意味では珍らしい著作です。大体が、レーニンの『帝国主義論』に従うとしながら、具体的には「一般的危機論」「国家独占資本主義論」という道具立てを使い、特に「一般的危機論」で資本主義の没落を宣言してしまうのが当時のマルクス主義者の基本的傾向でしたから、その意味では異例な分析であったといっていいと思います。
 その結果としてゾンテルは第一次大戦以前と、以後のドイツ帝国主義の変質を追究することになる。
 彼はドイツ帝国主義をめぐって、戦前とはちがう新しい矛盾をいくつか指摘していますが、これはゾンテルの重大な功績だろうと思います。
 ドイツの行く手に、ファシズム化の危険がはらまれているとしますが、ただし先程も申しましたようにナチスについてはあまり考えていません。もう少し広いファシズム傾向を指しています。ドイツには様々な右翼団休が起こってきて、ファシズムが、これからの政局をリードする危険性がある。そうなるとファシズムのグループと金融資本が癒着をして、対ソヴィエト戦に踏み切る可能性があり、これがもっとも危険であると警鐘を鳴らしています。このファシズムは実際にはナチスという形をとりましたが、大きくは歴史はゾンテルの危惧した方向へと進行していきました。かなり予言性の強い分析だったといえます。
 もちろん、その後の事態から逆のぼって、ゾンテルの文章を読み直せば、いろんな欠点ともいうべきことを指摘できます。
 ひとつは、その頃、すでにアメリカに新しい生産方法、システムが出来てきています。
 ご存知のように「フォード主義」で、フォード、やGMが「フォードシステム=流れ作業」で生産力をものすごくあげ、同時に労働者の賃金も倍増する、そうすることによって労働者自身が、自動車を中心とする高額の耐久消費財を買うことが出来るという新しい社会構造で、これがアメリカで定着した。このアメリカから出てくる資金が、ドイツに回り、賠償金となって世界に広がる構図が出来てくる。これを一九二〇年代にまだ、ゾルゲが見通せなかったのは、ある意味で当然のことですが、二九年恐慌、三〇年代不況を通してルーズヴェルトの「ニューディール政策」と結びつき、そうすることによって、アメリカ資本主義では国家が経済に、強力に介入しながら、フォード・システムを通して生産力を上げ、労働者の賃金を上げて、アメリカ型の生活、つまり生産物を乱費しながら、資本の蓄積を拡大してゆくという新しい蓄積様式をつくりだした。第二次大戦後、これはアメリカから輸出されて、日本、西ドイツへと広がり現代世界経済をつくってくるわけです。
 この萌芽が、すでに一九二〇年代出てきている。そういう意味では、単に帝国主義の問題ではなくて、新しい資本の支配構造──これはすでにドイツでもワイマール社会で出て来ていますし、社会民主党の福祉政策と結びつきつつ具体化されてきましたが──として問題とすべきでした。しかしゾンテルはこの福祉政策は全くまやかしであり、マルクス主義の伝統からみると裏切りであると、切り捨てていました。しかし現代からみるとそう簡単に処理出来ないものをいくつか持っていたのです。
 しかし、この点では、コミンテルンでも同じ事であって、むしろその分析が「一般的危機論」ですべてをぶった切ってしまうきめ荒いもので、戦後ドイツ資本主義の特徴を全くとらえる事が出来なかったのと比べると、ゾンテルの『新帝国主義論』は二〇年代のマルクス主義者の現状分析としては、はるかにコミンテルンのそれを抜いたものであったといえます。
 ただしこのようなレーニンの方法を受け継ぎながら分析するというのは、これ以後、どうも途絶えたようで、ゾンテル以後は、コミンテルン型ないしブハーリン型が支配的で、このブハーリン型はスターリンが受け継いで、ブハーリン=スターリン型になりますが、以後これが主流になって、理論分野は塗りつぶされる事になります。
 ゾンテルはそういう意味で、二〇年代に現れたマルクス主義者としては、やや異例の現象であったのではないかと思われます。そう意味では、今日でも、現代資本主義を分析する上で、ひとつの方法的指示を与えるものを持っているといえます。
 最初に申しましたが、不破哲三がその初期にものすごくゾンテルを買って、その方法で戦後分析をやったという点にも現れてきます。もちろん今の共産党の流れからみますと、それは異端でしたので、この方向は否定されます。しかし不破がゾンテルを非常に評価していた事は「不破哲三」というペンネームを使っている点にもあらわれていると思います。
 ゾンテルはこのように二〇世紀のマルクス経済学者としてはかなり異例の人だといっていいと思います。ゾンテルの他の分析も非常に興味がありますがそれらは大体断片的なもので、まとまったものはこれ一冊です。以上で終わります。

降旗節雄(ふりはた せつお・帝京大学教授)
「国家機密法に反対する懇談会だより」No.5 1991年6月1日(土)

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