目次

写真集 「1960年・三池」 現地大牟田市でベストセラー第1位

「1960年・三池」 朝日新聞 福岡版

緊迫した日々…現代と重ね合わせ 西日本新聞

三池争議の歴史 写真集に 讀賣新聞

三池闘争伝えたかった 有明新報

写真集「1960年・三池」を発行 日刊大牟田

三池争議振り返ろう 毎日新聞

2003 CALENDAR 「1960年・三池」写真展記念



三池闘争写真展 東京展報告 写真/池田益実 文/三浦 暉

2003年版カレンダー「1960年・三池」写真展記念 他


写真集 「1960年・三池」 現地大牟田市でベストセラー第1位


写真集 「1960年・三池」 現地大牟田市でベストセラー第1位(有明新報12月13日〜1月17日)

写真集──写真展実行委員会編
1960年・三池

〔撮影〕城台巌/藤本正友/池田益実/三池労組写真班
A5上製ケース入り、カラー16頁総頁136頁、解説・年表等付 定価(本体3000円+税)

──本書は【写真展】実行委員会が作った写真集です──

130枚余の衝撃の写真の数々を、時の流れに従って構成。
みんなが貧しい時代だった。
ここは、リストラに正面から立ち向かい、
人間の尊厳と連帯を守り通した人々の、
明るい笑顔とたくましい表情が溢れている。
彼らは、今の私たちに何を伝えようとしているのだろうか。

【本書の主な内容】
ロックアウトに抗し全面ストへ/闘いを支えた力/第二組合結成暴力団の襲撃/屈することなく/闘いの焦点、ホッパー/「安保と三池は一つ」海と陸における激突/斡旋案受託、就労へ/残るも地獄/消えゆく炭坑の光景/三池闘争略年表/三池炭鉱地図(当時)

同時代社
東京都千代田区西神田2-7-6
電03-3261-3149 FAX03-326-3237
http://www.doujidaisya.co.Jp
Email:DQN00346@nifty.ne.jp



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「1960年・三池」 朝日新聞 福岡版

「1960年・三池」
生死賭けた闘争120枚の写真に
42年前 三池争議の日々 一冊に
 「総資本対総労働の闘い」といわれた42年前の三池争議の数々の局面を写し取った写真集「1960年・三池」を元炭鉱マンやフリーカメラマンらが出版した。計120枚を載せた。労働運動が衰退し、リストラが横行する近年、働く者たちの生き死にを賭けた闘いの原点・三池を改めて見つめ直して欲しいとの思いを込めたという。

フリーカメラマン元炭鉱マンら
「原点見つめ直して」

 撮ったのは大牟田市三川町3丁目、日本リアリズム集団参与の城台巌さん(86)と熊本県荒尾市下井手、元炭鉱マン藤本正友さん(63)、小郡市津古、フリーカメラマン池田益実さん(54)。社会主義協会(東京)に保存していた「三池労組写真班」のものも含めた。
 1枚目は60年7月17日の「10万人大集会」。三地闘争はヤマ場を迎え、旧総評が大動員をかけた。当時、日米安保改定反対共闘態勢下で、その1ヵ月ほど前、国会前で死亡した樺美智子さんをかえせ」のジグザグデモ風景もある。
 城台さんは当時では珍しいカラーフィルムを多用。赤い組合旗、夜のたいまつデモなど鮮烈だ。
 三池闘争が集結し、指名解雇1200人の1人となった藤本さんは闘争時、三池労組四山支部青年行動隊員。愛用のハーフサイズのカメラで仲間の写真を数多く撮っていた。若者たちは「三池労組」と書いた鉢巻きをキリリと締めていた。
 筑豊を撮り続けている池田さんは三井三池鉱が閉山する前年の96年から三池通いを始めた。写真集には大型カメラで撮った「消えゆく炭鉱の風景」27枚を載せた。「当時は働く者たちが労働組合を通して権利を獲得する象徴的な時代。特に若い人たちに写真集を見てほしい」と言う。
 3人は昨年10月、大牟田文化会館で写真展「みいけ闘争」を開催。三池闘争にかかわり、首都圏に住む100人近い人たちが関心を寄せた。東京での写真展実行委員会を結成し、先月中旬、この写真展を開き、写真集の出版も実現した。
 写真集はA5判、136ページ、3千円。03年用カレンダーも印刷、千円。問い合わせは同時代社(03・3261・3149)。
朝日新聞 2002年12月5日 木曜日 福岡版

緊迫した日々…現代と重ね合わせ 西日本新聞

三池争議の写真集出版
  大牟田市の城台巌さんら

 一九六〇年、福岡県大牟田市の三井三池鉱で起きた戦後最大の労働争議「三池争議」を記録した写真集「1960年・三池」(同時代社)が、同市在住の写真家、城台巌さん(八六)らによって刊行された。デモやピケの緊迫した雰囲気とともに、争議の中でも笑顔が絶えなかった鉱員社宅の人々の濃密な日常が生き生きと息づいている。
 写真集はA5判、百三十六ページ。城台さんのほか、フリーカメラマンの池田益実さん五三)=同県小郡市、指名解雇された当事者で、争議に参加した元炭鉱マンの藤本正友さん(六二)=熊本県荒尾市=と、当時の三池労組写真班が撮影した約百二十点を収めた。
 城台さんらは大量指名解雇に端を発した同争議と、長引く不況でリストラが続く現在を重ね合わせ、「人の命を守るため、命がけで戦った組合があったことを思い起こしてほしい」と、写真集に思いを託している。
 三人は昨年十月、同争議の写真展を大牟田市で開催。来場者から写真集出版を望む声が相次いだため、出品した九十点を中心にまとめた。三千円(税別)。
問い合わせは、同時代社=03(3261)3149。
社宅広場でのつかの間の憩い=1960年4月、藤本正友さん撮影(写真左は写真集の表紙)
西日本新聞 2002年11月21日 木曜日


三池争議の歴史 写真集に 讀賣新聞

元炭鉱マンらデモや日常風景など130点

 大牟田市の旧三井三池炭鉱で起きた三池争議をテーマにした写真集「1960年・三池」を、大牟田市の城台巌さん(86)ら写真家と元炭鉱マンの三人が出版した。デモや警官隊との対立といった闘争の様子ばかりでなく、日常の暮らしなどを含め、約百三十点を収めた。「リストラがまかり通る現代。労働組合が機能を果たしていた時代の様子を、若い人たちに伝えたい」と話している。
 出版したのは、三池労組の依頼で多くの記録写真を撮った城代さんを始め、指名解雇された元炭鉱マンの藤本正友さん(62)(熊本県荒尾市)、フリーカメラマンの池田益実さん(53)(小郡市)。城台さんは日本リアリズム写真集団参与で、「ジグザグデモ」「ホッパー前で」など、貴重なカラー写真に収めた。当時、カラーで撮影した全八十カットのうち、十六点を掲載。
 藤本さんは労組の青年行動隊員として闘争に参加、公務執行妨害容疑で自らが逮捕された際に警察署で出された昼食や、組合員がソフトボールに興じる風景など、内側から見た争議を撮っていた。池田さんは一九九七年の閉山前後を中心に、大牟田・荒尾に通い、歴史の舞台になった施設をカメラでとらえた。
 三池争議は一九五九年十二月、三井鉱山が合理化を理由に約千二百人を指名解雇したことで起き、ストなどが続いた。六〇年十月、中労委のあっせん案に労使が調印し、収束した。
 昨年十月、三人が大牟田市で写真展を開いた際、展示した約九十点に、三池労組写真班の撮影分を加えた。A5判、百三十六ページで三千円(税別)。同時代社から、三千部を出した。問い合わせは同社(03・33261・3149)へ。
讀賣新聞 2002年11月27日 水曜日 筑後


三池闘争伝えたかった 有明新報

三池闘争伝えたかった
元炭鉱マンらが撮影した写真集出版

 大牟田市出身の写真家城台巌さん、元炭鉱マンの藤本正友さんと飯塚市生まれでフリーカメラマン池田益実さんと三池労組写真班が撮影した写真をまとめた写真集「1960年・三池」が今月、同時代社から発行された。また「1960年・三池写真展」が十一日から十七日まで、東京都新宿区の日本青年館で開かれる。
 この写真集はA5判百三十六ページ。そのうちカラー十六ページ、モノクロは百二十点収められている。主な写真は退職勧告状を空中から返上、ロックアウトと全面スト、闘いを支えた地域分会の学習、三池海戦など当時の貴重なカラー写真も収録。定価は三千円と消費税。三千部発行。
 池田さんは「現在は労働組合の機能を果たしていない。一九六〇年当時は機能していてこういうふうに闘っていたんだということを分かってほしかった。三池闘争を若い人たちに伝えたい」との思いで写真集を出したという。藤本さんは「四十年以上前に写真を撮り、ネガが残っていた。それを何とかしたかった」と話していた。
                        (小原 郁夫)
有明新報 2002年11月7日 木曜日


写真集「1960年・三池」を発行 日刊大牟田

写真集「1960年・三池」を発行
元炭鉱マンらが撮った三池争議

 その時三池で何が起こっていたのか─。三池争議という過去と現在のかけ橋となる写真集「1960年・三池」が同時代社から三千冊、発行された。
 写真集は昨年、三池争議という労働者の訴えを後世に伝えようと写真展を開催した城台巌さん藤本正友さん、池田益実さんの作品に三池労組写真班が撮影し社会主義協会で保存されていた写事を加えA5版百三十六ページにまとめたもの。城台さんは大牟田出身。三池争議では三池労組の要請で多数の記録写真を撮った。今回はジグザグデモ」「松明デモ」「ホッパー前で」など貴重なカラー写真を中心に掲載。藤本さんは荒尾市出身で三池労組四山支部青年行動隊員として活動し、闘いの隊列のなかから撮影。「激励に訪れた婦人たちと青年行動対員」や「青年行動隊宿舎の光景」「留置された警察署での昼飯」「交流ソフトボール」など生活に密着したありのままの姿を紹介。フリーカメラマンの池田さんは歴史の舞台となった場所や関連する施設などを閉山までおって撮影したものを文章とともに掲載している。
 藤本さんは「当時は一組合員として何らかの形を残したいと思いメモがわりに撮影してきたもの」。池田さんは「労働者が自分たちの権利を主張した象徴的な時代。本来の労働組合のあり方を知らない若者たちに訴えていきたい」と話している。
 写真集は定価三千円。書店での注文または同時代社(〇三・三二六一・三一四九番)へ。
日刊大牟田 2002年11月7日 木曜日


三池争議振り返ろう 毎日新聞

三池争議振り返ろう

 旧三井三池炭鉱(大牟田市)を舞台にした三池争議の写真集「1960年・三池」が、出版された。元炭鉱マンや写真家の3人がそれぞれの視点で、争議当時から現在にかけての“三池”を描いたもの。3人は「会社の都合によるリストラがまかり通る今こそ、かつて労働組合はこう闘ったんだというのを見てほしい」と話している。   【西貴晴】

労組の闘いなど写真集に
大牟田の城台さんら出版

 撮影した3人は、労組の要請で争議の記録写真を撮った写真家、城台巌さん(86)=大牟田市三川町▽争議で指名解雇された元炭鉱マンの藤本正友さん(62)=熊本県荒尾市下井手▽フリーカメラマンの池田益実さん(53)=小郡市津苗。
 昨年10月、大牟田市で「三池闘争三人写真展」を開催した際に展示した写真90点と、当時の三池労組写真班が撮影したものを加え、132点が写真集に納まっている。
 このうち城台さんは、当時珍しかった争議のカラー写真18点を掲載し、労組の青年行動隊員でいつもカメラを持ち歩いていた藤本さんは炭鉱の日常風景のほか、公務執行妨害容疑で自らが逮捕された警察署内の様子などを、また、池田さんは97年3月の閉山前後の変わりゆく炭鉱や街並みの風景を載せている。
 写真集は、デモや集会、警官隊との衝突など争議の節目となった出来事のほか、炭鉱社宅の広場でのソフトボール大会など組合員の日常生活も描いている。池田さんは「写真を通じて、特に若い人に、かつての労働阻合の闘いを知ってもらえれば」と話している。
 A5判、136ページ。3000円。同時代社刊。問い合わせは同社(TEL.03・3261・3149)へ。

 三池争議 三井鉱山が1959年12月、三池炭鉱の合理化策として1492人に指名退職を勧告したことで起きた争議。三池労組によるストは60年1月から282日間に及び「総資本対総労働の闘い」と呼ばれた。同年10月、指名解雇を実質的に認める中央労働委員会(中労萎)のあっせん案に労使が調印、事実上終結した。
毎日新聞 筑後版 2002年11月12日(火曜日)


2003 CALENDAR 「1960年・三池」写真展記念

編集 「1960年・三池」写真展実行委員会
デザイン 佐藤俊男
撮影 城台巌/藤本正友/池田益実/三池労組
    写真班
定価 1000円

2003 CALENDAR 

編集 「1960年・三池」写真展実行委員会
デザイン 佐藤俊男
撮影 城台巌/藤本正友/池田益実/三池労組
    写真班
定価 1000円




戦後労働運動に問いかけ

 福岡・三井三池炭坑での争議をテーマにした写真展「1960年・三池」が、東京都新宿区霞岳町の日本青年館で17日まで開かれている。
 石炭から石油への産業エネルギーの転換の中での大量指名解雇に対し、313日間にわたった闘争は「総資本対総労働の闘い」といわれた。写真展は元労働者や支援にかけつけた元学生ら、60代から70代になった当時の仲間らが企画。「戦後労働運動とは何だったのか」「いまリストラ・過労死の中で、なぜみんな闘わないのか」とといかけている。(3版は、ここまで)
(以下3行は4版で追加された)
 三池労組員だった藤本正友さん(62)は指名解雇者の1人。デモやピケの合間のスナップ、闘争を支えるために青空保育やセツルメント活動を支えた学生たちを撮り続けた。
朝日新聞 夕刊 2002年11月12日 火曜日

写真は、解雇撤回を求める集会=59年12月、城台巌氏撮影

「労働者の時代」伝え

「労働者の時代」伝え
 新宿で三池争議の写真展
11日から
 福岡県大牟田市の三井三池鉱(97年閉山)で起きた戦後最大の労働争議「三池争議」を記録した写真展「1960年・三池」が11日から東京都新宿区の日本青年館で開かれる。写真展を実現させた三池の元炭鉱マンらは「リストラや雇用形態の見直しで労働者が孤立しがちな時代に、働く者たちが支え合った当時の写真にふれ、何かを感じてもらえれば」と話している。
 三池争議は1959〜60年にかけ、石炭から石油へ日本のエネルギー政策が大きく転換する時代に起きた。三井鉱山が1492人に指名退職勧告したのを機に、「総資本対総労働」と呼ばれる激しい争議に発展した。
 写真展を企画したのは埼玉県川越市の元炭鉱マン、宗邦洋さん(63)ら。昨年10月、大牟田市で元同僚たちが開いた写真展を見て「石炭さえ知らない都会の若者たちにも、労働者が仲間とどう働き、生きていたかを知ってほしい」と思い、東京でも開こうと考えた。
 宗さんは18歳で三池鉱の炭鉱マンになった後、争議に加わって21歳の時に解雇された。上京し、弁当の宅配業などを経て社員食望の経営をしている。東京で仕事を始める時、かつての三池の仲間や、争議で知り合った人たちに相談に乗ってもらったり、カンパをしてもらった。「その人たちがいなければ、今の自分はない」と振り返る。
 写真展は、地元の写真家、藤本正友さんら3人が争議の様子や炭鉱住宅での暮らしぶりを撮影した約140点が並ぶ。17日まで。無料。
              
                   【江刺正義】
毎日新聞 2002年11月9日 土曜日 夕刊

写真は、炭坑住宅で三池労組の青年行動隊員ら=1960年4月、藤本正友さん映す


「1960年・三池写真展」

11日(月)〜17日(日)、午前10時〜午後7時半(17日は3時まで)、新宿区霞岳町の日本青年館国際ホール、ギャラリー(千駄ヶ谷駅)。城台巌さん、藤本正友さんが撮影した三池闘争の記録写真、池田益実さんの「炭坑遺跡」の写真など約140点。展示写真を中心にした同タイトルの写真集(同時代社、税込み3000円)も発売中。10日(日)午後2時、シンポジウム「三池闘争と現代」(資料代実費)。Tel.実行委(同時代社03/3261/3149)

朝日新聞 2002年11月9日 土曜日 朝刊 とうきょうマリオン より



「三池闘争」の写真展開催 リストラの意味問い直す

「三池闘争」の写真展開催

 リストラの意味問い直す

 福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で展開された戦後最大規模の労働争議「三池闘争」を描く「1960年・三池写真展」が11−17日、東京都新宿区の日本青年館で開催される。
 三井三池闘争は、石炭から石油へのエネルギー政策転換を背景にした大量指名解雇を引き金に、1年近く続き「総資本対総労働」の闘いといわれた。写真展は三井労組出身者や映画監督、労働運動家らが呼び掛け人となった。
 カメラマン城台巌さんや労組員らが撮影した激しいデモの光景のほか、青空市場、子どもたち、閉山後のヤマの風景など約140点を展示。
 写真展は入場無料。写真集やカレンダーも発刊。10日にはシンポジウム「三池闘争と現代」も開かれる。問い合わせは電話03(3261)3149、同時代社。


河北新報 2002年11月08日金曜日 
岩手日報
神戸新聞


そのとき、九州・三池の地で何が起こったのか?

総合企画〔1960年・三池〕写真展開催迫る!

ここには、大規模なリストラに正面から立ち向かい、人問の尊厳と連帯を守り通した人々の、明るい笑顔とたくましい表情が溢れている。彼らは今の私たちに何を伝えようとしているのか。

福岡県・大牟田市にある三井・三池炭鉱は当時、優良石炭の産出では日本最大の炭鉱であった。1950年代末、石炭から石油への産業エネルギーの転換という時代背景のもとで、三井資本は「合理化」の名のもとに、この炭鉱で働く労働者の大量指名解雇を通告した。それに対して三池労組は全国の労働者・市民の支援のもとに313日に及ぶ歴史的な闘いを繰り広げた。
いま、社会の支配勢力は、「構造改革」の名のもとに、働く者に痛みと犠牲を押しつけることによって、自分たちの「危機」を
乗り越えようとしている。そして、戦争の暴力と専横の嵐が人々の心を荒(すさ)ませているようにみえる。こんな時代に「自分だけが助かる」ことはできるのだろうか。どうしたら人と人の信頼と連帯の関係を築くことができるだろうか。私たちは、多くの問いかけをもって、総合企画〔1960年・三池〕写真展を準備した。一人でも多くの方が会場に足を運び、この企画に加わってくださることをお願いします。

総合企画の内容

催しの場所は全て日本青年館
(新宿区霞岳町15 電話03-3475-2580)JR千駄ヶ谷又は地下鉄銀座線「外苑前」下車

〔1960年・三池〕写真展 入場無料
〔2002年11月11日〜17日AMlO:00〜PM7:00最終日はPM3:00〕
*会場には、石炭、コークス、カンテラ、三池労組旗、ホッパーパイプ、ヘルメット等当時の状況を彷彿とさせる数々の「現物」を展示します。
*ほぼ常時、闘いの中で歌われた歌が会場には流れ、三池闘争記録ビデオを定時に上映しています。

ビデオ上映
午前11時 「進撃の論理」
午後2時  「三池闘争」
   4時  「みいけ」
   6時  「三池闘争」

シンポジウム「三池闘争と現代」参加費500円
〔11月10日PM2:00〜5:00〕
*三池闘争では何が争われ、何が問題となったのか。それは現代の私たちにどんな問題を提起しているのか。パネラーとともに自由なフロア討論がおこなわれます。

記念刊行物(売上の一部は総合企画全体の費用に充てられます。注文は事務局へ)
〔1960年・三池〕写真集好評発売中!
A5判上製136頁ケース入力ラー16頁 解説・年表・地図等付 定価3000円+税
2003年カレンダー 好評発売中! B3判月めくり式 解説付 定価1000円+税


レセプション
日時 11月17日(日)午後6時〜8時
会場 日本青年館4F宴会場
会費 7000円


図書新聞 第2603号 2002年10月26日(土曜日)

 一九六〇年──日本の戦後史に一つの転換を画したこの年、日米安保条約改定に反対して、デモ隊が国会周辺を幾重にも取り囲んだ。そこには、九州の三井三池炭鉱でたたかう労働者の姿も多数あった。この年、三池炭鉱では激しい労使闘争が続いていた。「総資本対総労働の闘い」ともいわれたこの闘争は、戦後民主主義の頂点ともいえる軌跡を刻んだのであった。
 六〇年には、三井鉱山側が二〇〇〇人余りの「人員整理」と一二〇〇人余りの指名解雇を発表し、労働組合とそれを支援する多くの人々が激しい反対闘争を繰り広げていた。「英雄なき戦い」ともよばれたこの三池闘争は、会社側に雇われた暴力団による労働者刺殺という悲劇をも生んだ。高度経済成長の前夜、エネルギー転換の中で、「合理化」の名による労働者の切捨てが強引に推し進められたが、三井三池炭鉱はそうした象徴的な存在であった。
 あれから四〇年の月日が流れた。日本国内の炭鉱はそのほとんどが姿を消した。「1960年・三池写真展」はそうした激動の時代と、労働者の生きざま、そして戦後労働運動の証を記録した写真展だ。三池で何が起こっていたのか、数々の写真はその瞬間を写しとどめている。デフレ不況と労働運動の弱体化が無限進行するなかで、リストラは音もなく進行しているようにみえる。しかし振り返ってみれば、働く者たちの生き死にを賭けた闘いの原点が三池にはある。本写真展は働く者たちの未来を時代に映す貴重な催しである。
■日時 2002年11月11日(月)〜17日(日)、
  10時〜19時30分(最終日は15時まで)
■場所 日本青年館(JR千駄ヶ谷または地下
   鉄銀座線「外苑前」下車)
■主催 「1960年・三池写真展」実行委員会
■問合せ先 同時代社(03−3261−3149)


写真展


1960年三池 写真展
(入場/無.料)
日時/2002年11月11日(月)〜17日(日)
毎日午前10時開場〜午後7時まで
最終日は午後3時まで
会場/日本青年館国際ホール+ギャラリー
東京都新宿区霞岳町15
電話03-3475-2560
JR千駄ヶ谷又は地下鉄銀座線「外苑前」
又は地下鉄大江戸線「国立競技場前」下車

写真集 1960年・三池


写真集
1960年・三池

その時、九州・三池の地で
何が起こっていたのか。
313日におよぶ炭鉱労働者の闘いは
人々の心を激しく揺り動かした。

「1960年・三池」写真展実行委員会/編
〈撮影〉城代巌/藤本正友/池田益実/
三池労組写真班
02年10月下旬発行 定価(本体3000円+税) 発行/同時代社
A5判上製136頁 カラー8頁、モノクロ120点

ビデオ上映


「みいけ」 54分
製作 三池炭坑労働組合
協力 NHKテクニカル・サービス

「三池闘争」 60分
日本をゆるがした313日
制作 三池闘争映像記録会

(他に、60年安保闘争記録、
「怒りをうたえ」第一部などを
予定しています)
会場のいっかくでモニターによる上映です。

シンポジウム  1960年三池闘争と現代

─リストラ時代にいかに生き、戦うかを問う─

 1960年日米安保条約改定反対闘争とともに、三池闘争が闘われました。三井三池鉱山の労働者約1万5千名が、全国の仲間の支援の下に、300日のストライキを続けたのです。
 当時の日本は、石炭から石油へのエネルギー転換の時代だと言われていました。その「転換」に際して、労働者の抵抗を排除するために、三井資本は労働組合の中心的な活動家1200名の指名解雇という最も露骨な挑戦を行い、石炭産業全体に及ぶ資本主義的合理化の突破口にしようとしました。この攻撃を、総評・炭労・三池労組が容認できるはずはなく、全面ストに突入したのです。闘争の結界指名解雇は強行されました。しかしこの闘いは、それ以後の労働運動労資関係に大きな影響を与えました。
 40年後「リストラ、倒産・失業の嵐の中にいる労働者は、労働組合はどうでしょう。どうすべきかを考え、結論を出すのは労働組合の課題ですが、同時に、われわれ一人一人も、いかにかかわるかを問われています。
 「1960〇年・三池写真展」の一環として、当時の記録を掘り起こしながら、現在のリストラ時代のあり方について考えるシンポジウムを企画しました。パネラーの側から、石油から石炭へのエネルギー転換という情勢下での石炭産業合理化の実態、総評・炭労・三池労組の闘い、安保闘争との関連、日本の労資関係に与えた影響などについて発言したあと、会場の参加者からの発言も求めます。40年前と比べながら、現在の問題を考えてみようという企画です。
 労働組合で取り組みに苦労されている仲間、リストラの嵐のなかで人と社会のあり方を問い直そうとする皆様の、積極的な参加を呼びかけます。
 シンポジウム開催要項
日時・11月10日午後2時〜5時
会場・日本青年館(地下鉄銀座線「外苑前」駅、又は大江戸線「国立競技場前」駅下車)
   資料代実費を、会場でいただきます。



これは凄い!1000円じや安い。

 カレンダー出来!

 実行委員の面々は多士済々です。すばらしいカレンダーができました。1960年当時は珍しかったカラー写真も多用し、迫力ある月めくり型となっています。B3判の大型で、最初の2頁はカット写真を使って「三池闘争」の概略を解説しているので「早わかり三池闘争」ともなっています。
 「これで1000円じゃ安い」の声がもっぱら。「もしかして売り切れになるかも」「早めに注文した方が安全かも」。

広がる参加の輪、若者たちも参加!

★9月10日(第3回実行委員会)以降、「呼びかけ人」に徳沢一(元国鉄労組中央執行委員)、本橋成一(写真家・映画監督)の両氏、実行委員に鳥山敏子(東京・賢治の学校)、佐々木計三(元日本青年団協議会事務局長)、高山真三(前東京都議会議員)、常松裕志(社民党東京都連合代表)など各氏のほか、計16人の方々が実行委員を引き受けてくださり、社青同東京地本が賛助団体となってくださいました。100人を超える方々が参加してくださったことになります。
★第4回実行委員会(10/10)には、東京映画学校の学生さんたちが、今回の写真展企画をぜひ「映画製作したい」とカメラを担いで飛び入り参加しました。「いま、働く人がどんどん失業しているのに怒りの声が聞こえてこない」、「むかし三池闘争というのがあったというが、それはどんなものだったのか」。そんな疑問を抱いて三池労組を訪ね、そこで芳川組合長さんから東京の実行委員会のハナシを聞き参加したというわけです。
 これまで「実行委員会ってオジンの集まりじゃない?」などのかげ口も聞かれましたが、急に平均年齢が下がり始めました。

2002年10月23日
「1960年・三池」写真展実行委員会

心に刻まれた、あの時の光景──。
「1960年・三池写真展」へのご案内

 1960年は、歴史的な安保闘争とともに、三井鉱山が行った2千人余の「人員整理」と1200人余の労働者の首切り通告をめぐって、労働組合とこれを支援する多くの人々が一年有余にわたって抵抗しが三池闘争」によって記憶された年でありました。石炭から石油への産業エネルギーの構造的転換を、働く者の犠牲で成し遂げようとする政策が進められる過程で起こったのです。そして、その時代の社会の現実は土門拳「筑豊の子どもたち」をはじめ多くの文学や映像、写真の記録として残されました。
 あれから40年余の歳月が流れました。そして昨年秋、当時闘いの渦中にあって記録を撮った二人の写真家(城台巌氏、藤本正友氏)と、その後の廃鉱の現実を撮りつづけてきた一人の若い写真家(池田益実氏)の代表作を中心にした写真展が、三池労組の後援のもと、大牟田市で大盛況のうちに開催されました。私たちは、その経験を受けて、東京で、新しい視点で「1960年・三池写真展」を開催したいと考えました。
 現在、「構造改革」の冬のもとに多くの人々が「痛み」を強いられております。そんなとき、「三池」は、遠い記憶の中からあらためて甦ってくるのです。写真の中の労働者、主婦や子どもたちは、現代の私たちに何を訴えているのでしょうか。彼らのながい抵抗を支えた「たましい」とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。この間に、経済の高度成長からバブル経済へ、その破綻と出口の見えない不況へと、日本社会はさまざまの激変を体験してきました。何がどう変わったのでしょうか。現実を見つめ、これからのことを考えるために、写真展は「三池」を一つのキーワードにして振り返る機会になることでしょう。私たちは、それぞれ政治的、社会的立場を必ずしも同じくする者たちではありませんが、「三池」をつながりとして力を合わせ、交流しようと思った次第です。
 あの頃の二○代の若者は、それぞれの道のりを経て、いま六○代を迎えています。みなさんには、かつての青春の記憶を訪ねてほしい。そして、あの闘魂を21世紀を生きる次代の人々に継いでもらう途を探ってみようではありませんか。そのためにどんなことができるか、会場で、シンポジウムの席上で、共に考えてみようではありませんか。
 若い人たちに呼びかけます。私たちの社会は、いま、不安と困難に覆われているように見えます。若者にとって生きにくい時代です。そんな中ですが、どうか時間をつくって、先人たちの闘いと生活の実相を見るために、会場に来てほしい。みなさんのみずみずしい感性は、現代と未来を解くカギを、そこに発見するかもしれないのですから。
 私たちの企画と事業に対するご支援を心からお願い致します。
2002年9月吉日

呼びかけ人(アイウエオ順)

梓沢和幸(弁護士)、池山吉之助(会社会長)、上本雅之(東京都地方労働委員会委員)、川上 徹(同時代社代表)、宗 邦洋(三池労組出身)、津和 崇(賃金問題研究家)、高柳 新(全日本民医連名誉会長)、中野義人(東京水道労組法対部長)、土本典昭(映画監督)、奈良恒子(声楽家)、樋口篤三(労働運動家)、藤崎良三(全労協議長)、矢沢 賢(前・都労連委員長)、山崎耕一郎(社会主義協会代表代行)、吉田嘉清(平和事務所)
〔後援〕芳川 勝(三池炭鉱労組組合長)

事務局く問い合わせ先)
川上 徹 千代田区西神田2-7-6 同時代社 TEL.03-3261-3149 FAX.03-3261-3237
山崎耕一郎 千代田区飯田稀1-8-8 社会主義協会 TEL.03-3221-7881 FAX.O3-3221-7897

中野義人 文京区本郷1-4-1 東京水道労組 TEL.03-3814-3795 FAX.03-3815-5341
宗 邦洋 川越市小中居831 TEL・FAX兼用049-235-3004

「1960年・三池写真展」は総合的な企画です。

「1960年・三池写真展」は総合的な企画です。

1、写真展(入場/無.料)
日時/2002年11月11日(月)〜17日(日)
   毎日午前10時開場〜午後7時まで
   最終日は午後3時まで
会場/日本青年館国際ホール+ギャラリー
   東京都新宿区霞岳町15
   電話03-3475-2560
   JR千駄ヶ谷又は地下鉄銀座線「外苑前」又は地下鉄大江戸線「国立競技場前」下車

2、発行物
展示される写真を中心に写真集(定価3000円+送料350円)を発行します。
2003年度カレンダー(定価1000円+送料160円)を発行します。

3、実行委員、賛助人及び寄金・賛助金の募集
 この企画を成功させるために広く実行委員、賛助団体・組織を募り、寄金への協力を訴えます。
寄金は「個人寄金」「団体・組織寄金」は、一口を1万円とし、賛助金は一口千円とします。

4、シンポジウムを開催し、ビデオ上映をします。
 「シンポジウム〔1960年三池闘争と現代〕」(日時11月10日午後2時、資料代実費、会場日本青年館)を開催します。資料とパネラーたちの発言で当時を再現しつつ、現代の労働運動の現状を考えます。
 「三池闘争」記録及び関連ビデオの映写、ヘルメットその他闘争当時の「実物」の陳列を予定します。
 「記念レセプション」(日時11月17日午後6時、7000円、、会場日本青年館)を開催します。

私は「1960年・三池写真展」の実行委員です。

──みなさんもどんどんここに名前を連ねてください。

梓沢和幸(弁護士)、有田芳生(ジャーナリスト)、飯田喜代子(整体師)、池山吉之助(会社会長)、石川 章(教員)、石川源嗣(東京東部労組副委員長)、石橋康徳(公務員)、伊藤 淳(全日本民医連事務局次長)、伊東恒夫(ディレクター)、上本雅之(東京都地方労働委員会委員)、宇田正子(元東京地本書記)、浦口俊郎(しらかば工房)、大井武正(すずしろ医療生協・医師)、太田哲男(桜美林大学・教員)、大塚茂樹(編集者)、小串清親(会社役員)、織田寿美子(練馬区議)、加藤憲仁(自治労東久留米市職労委員長)、神谷国善(年金者組合)、金川 穣、川上 徹(同時代社代表)、川俣光眞(元大田区労協議長)、木島淳夫(「人民新報」)、木股 登(叶迹纉c石油常務)、黒田博文(記録映像・大牟田市出身)、小泉幸宏、古賀美恵(大牟田市出身・主婦)、斎藤正明(「三池」出版実行委員会)、佐々木俊成(写真家)、佐藤礼次、(労働大学「まなぶ」編集長)、佐保 勲(出版社勤務)、鈴木義一(「三池」出版実行委員会)、宗 邦洋(三池労組出身)、高橋修司(自治労練馬区職労委員長)、高柳 新(全日本民医連名誉会長)、建野久晴(褐囑商事代表取締役)、田中 学(全国大学生協連理事長)、田中英男(保険流通研究会代表)、玉田典彦、土本典昭(映画監督)、常岡雅雄(人民の力)、津和 崇(賃金問題研究家)、栃原 裕(協同社会研究会)、中里喜昭(作家)、中野義人(東京水道労組法対部長)、中林時彦(会社社長)、奈良恒子(声楽家)、長谷川武久(全日本運輸建設連帯労組委員長)、板東克彦(弁護士)、樋口篤三(労働運動家)、蓑田 彰(「明日を拓く」編集長)、平田大海((有)ブランズ・ユー)、平山基夫、深谷忠記(作家)、吹上 洪(全水道東水労執行委員長)、藤井宏志(編集者)、藤木恵裕(三池労組出身)、藤崎良三(全労協議長)、藤田十四三(前東京都議会議員)、星野良明(東京清掃労組委員長)、前畑 博(会社役員)、牧 梶郎(作家)、増田浩司(社民党本部専従)、松田健ニ(社会評論社代表)、三浦多恵子(ルート企画)、三浦 暉(「怒りをうたえ」実行委)、港健二郎(映像作家)、宮川孝男(社民党本部専従)、宮崎 学(作家)、茂木 貴(高校数員)、矢沢 賢(前・都労連委員長)、安田 力(会社役員)、山崎耕一郎(社会主義協会代表代行)、山本政道(弁護士)、吉田嘉清(平和事務所)

出展者のプロフィール

【城台 巌】
1916年大牟田市生まれ。日本リアリズム写真集団参与。福岡県美術協会会員。20歳ころから写真に親しみ、写真家土門拳に師事。「乞食」「盲児」「ドヤ山谷」「三池闘争」など作品多数。精薄児教育の父といわれた近藤益雄と共に、5年5ヶ月にわたって子どもたちを取材した、記録写真集『この子らと生きて』(大月書店)がある。三池闘争では、三池労組の要請のもと多数の記録写真を撮った。土門拳の大牟田取材時には助手を勤めた。

【藤本正友】
1939年荒尾市生まれ。三井三池鉱業学校卒業後、四山鉱に入社。組合活動家であったことから1200名「指名解雇」者の一人となり不当解雇される。1960年、三池労組四山支部青年行動隊員として、四山支部裏に、同年10月まで合宿。ハーフサイズカメラで、闘いの隊列の中から、貴重な写真を多数残した。

【池田益実】
1948年、飯塚市生まれ。1972年、東京総合写真専門学校卒。1969年ころより、筑豊などの炭坑遺跡の撮影に取り組む。写真集『高島炭鉱閉山の記録―消された灯』『貝島炭鉱の想い出』など。今回の写真展では、大牟田市、荒尾市の炭鉱遺跡を出展。現在フリーカメラマンとして、産業廃棄物などの環境汚染問題に取り組む。 

「1960年・三池写真展」(仮称)発起人会へのご案内

 みなさまご健勝のことと存じます。突然のご案内で恐縮ですが、表記写真展の開催について、みなさまのお知恵とお力をお借り致したく、お便りさしあげる次第です。
 1960年は、歴史的な安保闘争とともに、三井鉱山が行った2千人余の「人員整理」と1200人余の労働者の首切り通告をめぐって、労働組合とこれを支援する多くの人々が一年有余にわたって抵抗した「三池闘争」によって記憶された年でありました。石炭から石油への産業エネルギーの構造的転換を、働く者の犠牲で成し遂げようとする政策が進められる過程で起こったのです。そして、その時代の社会の現実は、土門拳「筑豊の子どもたち」をはじめ多くの文学や映像、写真の記録として残されました。
 今回企画されている写真展は、当時闘いの渦中にあって記録を撮った二人の写真家と、その後の廃鉱の現実を撮りつづけてきた一人の若い写真家の代表作を中心にして構成されたもので、昨年秋、三池労組の後援のもと、大牟田市で大盛況のうちに開催されたものです。
 現在、「構造改革」の名のもとに多くの人々が「痛み」を強いられております。そんなとき、「三池」は、遠い記憶の中からあらためて甦ってくるのです。写真の中の労働者、主婦や子どもたちは、現代の私たちに何を訴えているのでしょうか。彼らのながい抵抗を支えた「たましい」とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。あれから四二年の歳月が過ぎました。その間に、経済の高度成長からバブル経済へ、その破綻と出口の見えない不況へと、日本社会はさまざまの激変を体験してきました。何がどう変わったのでしょうか。現実を見つめ、これからのことを考えるために、写真展は「三池」を一つのキーワードにして振り返る機会になることでしょう。
 あの頃の二〇代の若者は、それぞれの道のりを経て、いま六〇代を迎えています。かつての青春の思いは、21世紀を生きる次代の人々へと受け継がれていくことができるのでしょうか。社会的、政治的立場を越え、みんなが協力して、実りある企画を実現したいと考えた次第です。
 私たちは発起人会(仮)へのとりあえずのご提案として、下記事項を確認しました。

  (1)表記写真展を2002年11月11日〜18日、日本青年館(東京)にて開催する。
  (2)写真展の前日の11月10日、同所において「シンポジウム」を開催する。
  (3)展示される写真を中心に写真集を製作する。
  (4)この企画を成功させるために広く寄金への協力を訴える。

 以上の趣旨を具体化し、豊かな内容にするために、下記の要領で発起人会(仮)を開催致したく、ご出席くださいますようお願い致します。

  一、日時 2002年6月29(土)午後6時30分より
  一、場所 日本青年館3階301号室

2002年6月12日 発起人(仮)有志(まず、私たちは発起人となります―2002年6月12日現在)
梓沢和幸/有田芳生/飯田喜代子/池山吉之助/石橋康徳/伊東恒夫/上本雅之/大井武正/太田哲男/川上 徹/木俣 登/黒田博文/小泉幸宏/佐保 勲/宗 邦洋/高柳 新/栃原 裕/中西五州/中野義人/樋口篤三/深谷忠記/藤井宏志/藤木恵祐/前畑 博/牧梶郎/松田健二/三浦暉/茂木貴/矢沢賢/山崎耕一郎/山本政道

久保田武己さん 朝日新聞

和を尊んだ闘争の黒衣
三池労組元副組合長

久保田武己さん

 「これで三池の闘いの真実を細部まで知っている者はいなくなりました」。三池労組の元教宣部長永田弘さん(77)の追悼の言葉に、しのぶ会の参加者はうなずいた。
 1200人にのぼる指名解雇の撤回を求め、「総資本対総労働の闘い」といわれた60年の三池闘争。故宮川睦男組合長を表の顔とすれば、こちらは黒衣役だった。次第に先鋭化する戦術に困惑しながらも、上部組織の旧総評や炭労との共闘態勢づくりに奔走。闘争資金も集めた。
 50年代から相次ぐ争議で組合の財布は空っぽだった。執行部に籍をおいた人たちは、「久保ちゃんがカネを集めてくれたから、11カ月もの長期戦を闘えた」と振り返る。
 親しい人たちだけで済ませた葬儀には、会社側と協調路線をとった旧三池新労組のリーダー的存在だった山下一二さん(82)も参列した。
 「勇気があり、温かく、和を尊ぶ人だった」
 間に立つ人がいて、争議から30年後に料理屋で再会し、友情を取り戻したという。
 晩年は闘争の総括に執念を燃やした。93年に出版した「わが三池闘争──かくして敗れたり」で、労使が織りなした闘いの軌跡と自分たちの敗因を克明に記した。
 亡くなる1カ月半ほど前にお会いした。気管支に持病があり、酸素吸入用のチューブを鼻につけてはいたが、笑顔の中に気力があふれていた。
 「検証・西南戦争と三池の闘い」の草稿が残された。
                  (笠 康治)

くぼた・たけみ 8月26日死去(急性腎不全)77歳 10月9日しのぶ会
朝日新聞 2002年10月21日 月曜日 夕刊


ベタ焼き 街百話 毎日新聞西部本社版

 「あ、これはオレの仕事だな」 一瞥(べつ)して、福岡県小郡市の池田益美さん(52)は悟った。資料室に眠る木箱や段ボール箱は10個余り。底が抜けそうなものもある。無造作に突っ込まれたネガフィルムは、ざっと2000本分。
 三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)を舞台にした三池争議(1959〜60年)。三池労組事務所に残るネガの整理を仲間と2人で買って出たのは昨年5月だった。
 かびを落としアルコールでふく。おおよその時系列に沿って並べ替え、ベタ焼きを作る。作業は月1回。もちろん無償だ。
 土木作業で生計を立てながら炭鉱でシャッターを切り続けてきた。福岡県宮田町の石炭記念館に残る貝島炭鉱のネガを整理して、自費出版したこともある。86年と97年、三菱高島(長崎県)と三井三池の閉山にも立ち会った。なぜ? 「自分の根っこ」を確認する作業だと考えている。
 飯塚市生まれ。高校を出て横浜市の写真専門学校に学んでいた時だ。校長の重森弘淹(こうえん)さん(92年死去)から問われた。「将来、筑豊の全体像を撮ってみないか」
 ピンときた。原風景に炭鉱がある。小学生のころ、家から10分ほどのボタ山で毎日遊んだものだ。だからなのか。手に取る炭鉱の写真集に違和感を感じていた。他人の目、珍しいものを探す目じゃないか。
 九州に戻ると、印刷会社に勤めながら毎週、カメラを積んで古里へと車を走らせた。30代で会社を辞したのは、貝島の写真集の出版費用を退職金で賄うためである。
 ネガはやっと4分の1を整理した。分かってきたことがある。労組に常時200人いたという写真班は、あらゆる場面を収めていた。
炭鉱住宅で酒を酌み交わす阻合員、妻たちの井戸端会議、無邪気に遊ぶ子供たち……。闘争を支えた日常の生活、世間に知られていないもう一つの顔がある。
 小学6年の時だったか、テレビのデモ風景が記憶に残る。別世界の人々だった。今は違う。「三池争議という新しい小説が、自分の中で出来ていくような気がします」
 暗幕で覆った労組の一室。電球のほの明かりの下、等身大の「総資本対総労働」がベタ焼きのコマに息づく。     (貴)
毎日新聞 夕刊 2001年10月25日 木曜日 西部本社




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