若者へのメッセージとしての映像 松田政男 '92/8/1

目 次

「一宿一飯」の恩義

70年のエネルギーの行方


変革主体形成のために

時代の段差──再上映のシンドサ

70年と現在を埋めていくもの


新しい出会いと出発点として



「一宿一飯」の恩義

 この会合の主催者の三浦さんには、先ほど見た『怒りをうたえ』第一部の時代よりもかなり前ですが、私は「一宿一飯」の恩義がありました。その義理を返せないままに60年代から70年代へ、お互い全く違う戦列に別れてしまい風のたよりでその後の消息を知る位で、長いあいだ連絡が途絶えていたわけです。それがいまほとんど三十年ぶりに三浦さんから電話があって、今や映画評論家という肩書きで自称他称している私に他ならぬその映画に関係あることで何か始めたいから、少し力になってくれと言ってきたんですね。他のことなら何だかんだ理由をつけて断るのですが、何せ今の本職にかかわることなんで、昔の借りを返せればと思って、本日もここに罷り出た次第であります。


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70年のエネルギーの行方

 いま降旗節雄先生が70年安保をめぐって超悲観的な分析のあとに、最後の最後に今やまさに不況に突入しっつある、客観的な情勢は変革の主体にとつて有利であると超楽観的な展望を示されました。上げたり下げたりされて非常に奇妙な気分なんですけど、不思議なことに降旗先生の分析の前提と結論に関する限り、つい先頃の私の体験と一致するんですね。と言うのも私も『怒りをうたえ』のビデオを三浦さんに借りて、とりあえず第1部だけ2時間半ぐらい通して見たわけですが、見た後でわが家の家人たちが口々に言うには「これだけ大勢の人が集まってワーワーやって、でも今となってはこのエネルギーはどこへ行っちやったんだろう」と、深刻な疑問を呈したからです。わが家の家人は限りなく「普通の市民」に近い連中ですが、それでも公安が来たりするとケンカして断固撃退したりして、私のやっていることに一定以上の支持はしてくれる。その家人たちが言うわけですから、私としてはしたり顔で説明しなきやならない。でも説明すればするほど端がコボれ落ちてしまう根本的な疑問として、「あのエネルギーはどこへ行っちゃったんだろう」というのは残らざるをえない。それを降旗先生は日本帝国主義が高度資本主義化していくプロセスと、日本左翼の戦略思想とが悲劇的にすれ違ったという視点から分析されたと思います。
 そこのところをわが家でもささやかな議論の果てに、「やっぱり、このエネルギーは全部、高度成長のほうに行ったんだよね」と溜息まじりに言わざるをえなくなる。こうなってしまうと後はお定まりの日本人論になって、「とにかく日本人は何をやるのも一生懸命なんだから」ということで一件落着してしまうわけです。ゲバ棒を振りかざしたり石を投げたりするのも一生懸命なら、弾圧する機動隊の側も一生懸命、だけど一夜明けて三年ぐらい経ってみたら石油ショックが訪れて、それを契機に突如として挙国一致のムードが生まれ、弾圧した奴も弾圧された側もとにかく一生懸命になって働いて低成長の時代を支えて、気がついてみたらGNPが世界でトップになってしまっていた……と説明すると、大変にわかりやすい。


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変革主体形成のために

 でもこんな俗耳に入りやすい時事論議ではいま流行の60年安保の全学連指導部で体制側に寝返った連中とかの日本人論と、ほとんど選ぶところがない。こうなってしまうと70年代から80年代へ、さらに90年代へ向かうプロセスのなかでの「革命主体の形成」などという課題とは、全く関係なくなってくるんですね。だけどこんな客観主義的な日本人論を超えたところで、『怒りをうたえ』の有効な使い道はないものだろうか。製作者の宮嶋義勇さんがかつて「これは単なる映画ではなくてアジビラなんだ」と言われてからさえ20年が過ぎて、新しい上映運動をいま始めるとしたら「革命主体の形成」のためにどんな使い方があるのだろうか──と、どうしても考えざるをえなくなるわけです。
 たとえば二年ほど前に若松孝二という映画監督が、『われに撃つ用意あり』という映画を撮ったことがありました。新宿歌舞伎町で働いているベトナム難民の少女が国に帰ろうとして元全共闘がマスターをやっているスナックに逃げ込んでくる。そこにやはり元全共闘の面々が結集してきて、何とか少女を国外へ脱出させようとする佐々木譲監督の『真夜中の遠い彼方』の映画化です。そのなかで70年安保の回想シーンが出てきて、先ほど見た『怒りをうたえ』の一部分が引用される。10・21の時に新宿で東宝の映画の看板がブッ壊されるところです。若松孝二によれば映画ができて東宝へ配給を頼みに行ったら断られたんで、アタマに来てわざわざそのシーンを使ったと言うんです。映画そのものは結局は松竹の配給になったんですが、言ってみれば若松孝二は私怨を晴らすために『怒りをうたえ』を使った。使い方にもいろいろあるわけです。(笑い)
 でもむろんそれだけではないんで、降旗先生が結論として提示されたような上からの新しい資本主義的な抑圧のなかで、日本とアジアの関係が今後推移して行くのか、それとも全く別の下からの新しい関係を作り出して行きうるのかというところで、『怒りをうたえ』の教訓は使われなきやならない。ところが、『われに撃つ用意あり』の時もそうだったんですが、ほんの少し引用されたフィルムを見ただけでもつい壊旧談に耽ってしまって、あの現場にオレもいたとかいないとかに話が流されてしまう。それを今度は全巻上映するわけですから、其所此所のシーンごとにもっとノスタルジックになるかも知れない。いや、かく言う私でさえ目を皿のようにして自分が映ってないかどうか見てしまうわけですから、大きなことは言えないとしても、むろんそれだけで終わらせてはいけないわけです。


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時代の段差──再上映のシンドサ

 話は横道にそれますが、つか・こうへいという劇作家が書いた『初級革命講座・飛龍伝』という芝居がこの場合に教訓的なんで、1978年の初演段階でさえ70年安保を背景に女性の全共闘委員長と機動隊員との奇妙な恋愛関係を描いた荒唐無稽な設定だったのに、なぜかこのところ突然リバイバルされて毎年のように上演されるようになったんですね。それも『飛龍伝'91』の場合は富田靖子が、『飛龍伝'92』の場合は牧瀬里穂がといった具合にその時々の人気タレントをヒロインに仕立てて、毎回超満員になる。全共闘と機動隊の激突がファッション化されて、20代そこそこの若い観客がカツコいいなんて思って見ている。まかり間違うと『怒りをうたえ』も、この1992年に再上映されるとそういう状態になりかねない。年長の世代は早大全共闘の同窓会みたいに右も左もみんな集まってワーワー懐かしがり、若い世代は『飛龍伝』もどきにファッショナブルに見てしまうなんていう状態にさえなりかねない。
 ここで思い出しましたが、私も来年還暦を迎えるわけなんで、「お祝いに何が欲しい」なんて、下らないことを言い出す奴がいるんですね。一足先に60歳になった大島渚が還暦記念にイタリア製の十何万かする上等な赤いスーツをプレゼントされたのに対抗して、私の場合は「赤いヘルメットでも貰おうかな」と言うと若い奴らが真顔で「松田さんは広島カープのフアンなんですか?」なんて聞き返しやがる(笑)。誰も輝けるブントの赤ヘルなんて念頭にないんで、それこそアタマに来ました。だから年長の世代の側がノスタルジックにだけ『怒りをうたえ』を見ていると、教訓をバトンタッチすべき若い世代の側はその前提そのものがそもそもないわけですから、それこそ悲劇的なすれ違いが再生産されることになる。正直いって『怒りをうたえ』の再上映は、ものすごくシンドイところから出発しなきやならないんだと思います。


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70年と現在を埋めていくもの

 そうするとどうしても考えなければならないのは、映画だから当然まず映ったものを見るわけですけれど、同時にこれを画面の向こうにある現代資本主義の再編成過程と、日本左翼の戦略思想との悲劇的なすれ違いというかたちでも透視していかなければならない。この点は降旗先生がきちんと提示されました。でも私の場合だと昔から自分の発言を戦術思想の領域に限定すると言いつづけてきたわけですから、その側面から『怒りをうたえ』の画面では映らなかったものについて考えてみますと、ちょうどうまい具合に1967年11月1日の日付で発行された明大駿台祭の小さなパンフレットが出てきました。社会思想研究会という小さなサークルの『抗戦』特別号がそれで、私はそこで「大衆的デモンストレーションの激発化の果てにのみ国家権力の暴力装置の突破を夢想するのは、今日、犯罪的な誤診である」と書いてあるんですね。
 67年11月1日といえば10・8と11・12との二つの羽田闘争の中間にあたる時点ですけれども、その段階ですでに私としては街頭闘争の量的拡大に一般市民を巻き込んで行くという方向だけでは、全情勢をラジカル化することはできないと考えていた。そして、「過渡期における革命主体の形成にとつて必要なのは、再び言う、『前衛』への結集ではない。『遊撃者』の分離である」という戦術思想に到達するために、私は少数の友人たちと共にレボルト社という小さなグループを組織して『世界革命運動情報』という雑誌を発行しつづけ、『怒りをうたえ』の第三部が終わった以降の時点で「結合の前の分離」へと踏み出すことになる。ここから先は話が生臭すぎて異論もあるかと思うんですが、いずれにせよ私たちはたとえばパレスチナの地へ飛んで、そこから日本を包囲すべく逆流してくるという道を選び取ったわけです。この「前衛」の視点ではなく「遊撃者」の視点からする「革命主体の形成」論は、当時も今も滑稽なピエロ扱いを受けているとしても、私としては自ら選び取った戦術思想に即してしか行動するほかなかったんで、私自身もアラブへヨーロッパへと飛び、武運ったなく逮捕されて日本へ送還されてしまうんですね。
 この過程への全段階はむろん『怒りをうたえ』では映されるはずないんですが、それでも改めて『怒りをうたえ』を見直すことによって、70年安保当時に自分たち自身が立脚した戦略思想ないし戦術思想の正否を点検し直すよすがにはなる。なし崩しに軌道修正したり転向したりするんではなくて、当時の自分の発言や行動にどう責任をとるか考え詰めて行くことで、単なるノスタルジー談義から脱却できるのではないか。私としては依然として戦術思想の局面で昔の発言の延長線上に、この日本のなかに大量に流入しつつあるアジア、アラブ、アフリカなどからの移民労働者たちと手を結んで、この首都の心臓部を内側から逆包囲して行く方向に立って、そこに残り少ない後半生を賭けて行くことにおそらくはなるのでしょう。


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新しい出会いと出発点として

 おかしな始め方をしたのでおかしな終わり方で締め括っておきますと、この明大駿台祭のパンフレットには私以外にも何人かの人が書いています。そのなかのひとり栗原登一は別名・太田竜で、今や地球維新党を名乗って、諸悪の根源はすべてパリサイ派ユダヤ人の陰謀にあるなんて先頃の参院選挙で言ってました。また私より年長の山口健二はポーランドからウクライナへと入って、ヨーロッパのアナーキストの連合を作り出すべく潜行中です。さらに当時も今も無名のままに生きている学生諸君は今どこでどうしているのやら、まさしく「遺恨十年一剣を磨く」どころか十年も二十年も、一剣どころか二剣も三剣も磨きつづけていることでしょう。旧ソ連崩壊後の大転向状況に抗して、『怒りをうたえ』の再上映はこうした市井無名に埋もれて行った人々の出会いを再び実現してくれるかも知れないし、また出会いがそのまま新しい別れになってしまうかも知れないとしても、今こそ何かが始まらなくてはならない時だと思います。その出発点になればと念じて、三浦さんのお誘いを受けて馳せ参じた次第です。
(まつだまさお 映画評論家)
※八・一集合の発言を編集者の責任で要約したものです。

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