目 次
宮嶋義勇監督 「70年安保・沖縄闘争記録映画 怒りをうたえ」との出会い 中川一郎
98.10.04 第二回「怒りをうたえ」を見る集い --- 「宿命」と「怒りをうたえ」と 中川一郎
よど号グループが尊憲訴え
北朝鮮から関西の団体へ
大阪発 1993.09.18 共同通信
70年安保闘争の記録「怒りをうたえ」 19日に茨木で上映 /大阪 1993.09.07 大阪地方版/大阪 大阪版
福井 上映会 1993・2・28
福井 酒井和博 1993/3/18
読者からの手紙
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宮嶋義勇監督 「70年安保・沖縄闘争記録映画 怒りをうたえ」との出会い 中川一郎
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宮嶋義勇監督 「70年安保・沖縄闘争記録映画 怒りをうたえ」との出会い等について、書き記しておきたいと思います。
前史
インターネットがまだ一部の人々の話題であった頃、1990年代のある時、某氏との話。
中川の発言要旨
東大闘争において全共闘ノンセクトラディカルスは、「我々は連帯を求めて孤立を恐れない。力及ばずして倒れることは辞さないが、力尽くさずして挫けることは拒否する」という名言を残した。たしかに東大全共闘の闘いは、69.1.19の大弾圧を受け、「時計台放送はこれで終了します」ということになってしまった。
しかしながら、現在、現われつつあるウェブは、大字報、小字報、さらにいえば放送局を個人の意志で開設しうる可能性が高まるということだ。そこにおけるコミュニケーションの質は、潜在的に多くの学園闘争においてバリケード封鎖という開放的コミュニケーションのための物理的力の行使を通じて得られた解放空間において実現されたもの以上のことを期待しうる。さらには、情報発信のためのメディアという捉え方をした時に、きわめてはじめることがたやすい。これは画期的、革命的だ。
それにしてもあの全共闘の言葉は、素晴しい。そして、何か、これまでになかったことをはじめる時には、何となく口をついて出てしまう。
某氏の発言
あれですね。あのフレーズは、「怒りをうたえ」という自主映画のなかでだ〜っと出てましたよ。
中川の質問
それって、学園闘争とか街頭闘争とかの記録映画なんですかね。
某氏の発言
そうです。そうです。
「怒りをうたえ」・・・このフレーズは確かに心に響いた・・のであった。
1996年5月某日
某ML(メーリング・リストの略)のオフミの二次会を新宿御苑前の模索舎見学、同人関係がたくさん集まっている極安の喫茶店にて・・・ということで、模索舎へ。
ガ〜〜〜ン。模索舎にあるではないか。「怒りをうたえ」全3巻。しかしながら24000円。これでは手が出ないなあ。せめて、一本が5000円くらいならなあ・・・。
とうなりつつ、結局、眺めるだけで帰った。
1997年5月30日
某諸ML(あくまでも、メーリング・リストの略。決して、マルクスとかレーニンとかの名字の略ではないのです。はい。)のオフミの二次会を新宿御苑前の模索舎見学、同人関係がたくさん集まっている極安の喫茶店にて・・・ということで、模索舎へ。
ガ〜〜〜ン。まだ、あるではないか。「怒りをうたえ」全3巻。24000円かあ。そうか、そろそろ買うか。一ヵ月に直せば2000円かあ。去年から月2000円ずつ、このためにお小遣いをためたと思えばいいんだよなあ。
と気持ちが翻る。しかし、手持ちがなかったため、「ねじ式」のTシャツ、3800円也を購入して帰宅。
1997年6月某日
ついにその日が来た。ボーナスが出たのだ。ほくほく。
ATM(Automatic Teller Machineの略。決して、Asynchronous Transfer Modeの略ではない。はい。)でキャッシュを蓄え、模索舎へ。ついに全3巻購入。店員さんが、熱心に「怒りをうたえ」のパンフレットを探してくれる。全3巻。8時間強。その後、1週間ほどかけて、見る。ひたすら見る。
68.10.21 国際反戦デー から、70.6.23まで。
街頭闘争。集会の模様が、警察権力の視点からでもなく、マスメディアの視点でもなく、まさに、その参加者の視点から撮影されている。
あれらの空間にあれだけの人が意志をもって集まり、さらには、意志をもってデモを行った。
言葉では尽くせない力のある映像だった。
1997年7月某日
電話というのは不思議なメディアだ。立場によっては、まったく、自らのことを名乗らず、対話が成立してしまう。一体これは何なのだろう?
という感がいを抱く対話をした。ビデオに記載されていた「怒りをうたえ上映委員会」に、7.19のイベントの際の和み部屋のバックグラウンド・ビジュアルとしてこの作品をずっと流してみたい・・・ということを表明するためだったのである。
中川:・・・というわけなんですけれども、お許しをいただければと思いまして。イベント自体は、入場料とかは取らないつもりなんですが。
委員会/三浦様:改鼠とか、編集とかしなければまったく結構です。制作した側としては、もしも気が向いたらで結構ですから、どんな情況でごらんになったのかを、後で教えてくれるとうれしいのですけれども。でも、入場料とかとった方がいいんじゃないですか。結構、たいへんでしょ。
中川:上映会という感じではなくて、まあ、自主制作ものを持ちよって展示即売するんですが、そこでビデオを写せるかもしれないんで、お客さんもそれほど入らないかもしれないから、店を出す人がこのビデオ見ながらやれば、楽しいかなって。そういう見方は、作品に対して失礼じゃないかなと思ったりしたわけなんですが。
委員会/三浦様:いいんですよ。この間も、団地で奥さんたちがこれを見ながら茶飲み話してたなんていうんですけど、そういう見方がいいですよ。
というわけで、イベントの仲間たちの合意をとり、7.19に「怒りをうたえ」を流しながら、ぼくらは展示即売をやることになった。
そして、いつの日か。plan Bあたりで、「怒りをうたえ」の上映会を行いたいものだと思う。・・・・と思っていたら・・・
以下、970720加筆
7.18 plan Bの一対のあと・・・。企画委員の杉浦さん、斎藤さんとお話をしていて、大いにご賛同をいただき、9月7日にplan Bにて上映することが決まった。
そして、7月20日。ラディカル・マーケットにご参加いただいた方たちの賛同もあり、勇気を得て、「怒りをうたえ」上映委員会の三浦様あてに以下のような書状をしたためたのであった。
「怒りをうたえ」上映委員会
三浦 様
はじめてお便り申し上げます。
東京都中野区に在住し、みずから歌をつくり、歌うことを生きることの表明としております中川一郎と申します。36才で日頃は生活の糧を得るために通信会社に奉職しております。
縁在って、6月に模索舎にて「怒りをうたえ」の全3巻のビデオを購入させていただきました。
7月19日に、中野富士見町にあります自主運営のイベントスペースである「plan B」という場所で、「ラディカル・マーケット」(急進市場)というイベントを行いました。三浦様にお電話を申し上げ、お許しをいただいたものです。「和み部屋」にて、「怒りをうたえ」を上映させていただきました。その節は、名乗りもせず、当方の意図も申し上げず、まことに失礼いたしました。
イベント自体は、20名前後の参加という実に小さなものでありました。しかしながら、「plan B」の運営委員の諸君、また、イベント参加者のなかでも数名の人々より「怒りをうたえ」を通して観たい、この映像を多くの仲間にとにかく見せたいとの声が上がりました。映像の力、作品の力に、それぞれ感銘を受けた故であると思います。
これを受け、その場で9月7日(日)に「plan B」にて「怒りをうたえ」の上映会を行うということを決定いたしました。先般、お電話させていただいた際に、有料での上映についても問題ないというコメントをいただきましたので、「お願いできる人からは協力金として800円をいただくことにしよう」と決定しております。
以上、ご報告であります。
一点、お願いいたしたきことがございます。
「plan B」の運営委員の諸君より、9月7日(日)のビデオ上映会においては、たんたんと上映するのではなく、制作に携われた方により、何らかの形で制作に関する表明をいただけないだろうかとの提起がなされました。もしも、ご都合がよろしければ、また、「plan Bにてビデオ上映を行う」ことにご賛同いただけるならば、お越しいただき、お話をいただいたりしていただけませんでしょうか。
本件についての可否、また、お越しいただける場合の条件等をご教示賜われれば幸いでございます。追って、お電話、ご訪問のうえ、改めてお願いいたしたいと思います。ご検討賜われれば幸いです。
1997年7月20日
中川一郎拝
この書状に以下、添付しております。
「plan B通信 7月号」
「ラディカル・マーケット(急進市場)」のチラシ
案段階でありますが「怒りをうたえ」を観る集いのチラシ(案)
ご都合のよろしいおりにご参照を賜われれば光栄です。
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98.10.04 第二回「怒りをうたえ」を見る集い --- 「宿命」と「怒りをうたえ」と 中川一郎
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98.10.4の「怒りをうたえ」を見る集いの前前日。ぼくは高沢晧司著「宿命」(新潮社)を買い、読みふけった。読み終わったのは、10.4の午前10時。「怒りをうたえ」を見る集いの仕込みの直前であった。
「最後に確認しておこう。われわれは明日のジョーである」という英雄的な言葉が、あまりにも悲しく響いてしまう・・・その後・・・であった。それにしても、奇遇とでも言えるような書物との巡り合い方であった。
そのできごとの後の記録に読みふけってから、そのできごとの起る前の映像に対峙する。ぼくにとっての10月4日は、そんな日であった。
「怒りをうたえ」は、70年6月までのさまざまな闘争の場面が収録されており、また、全国全共闘結成時の赤軍派の登場などもしっかりと収められているのであるが、「よど号」が70年3月31日であるのにも拘わらず、まったく言及されていなかった。はて・・。そういえば・・・出てこなかった。ということに今気付いた。わかるような気もするが、はっきりと聞かなければ答は得られないのだろう。
70年6月以降・・・、その後に起こったこと。「怒りをうたえ」の第一部の冒頭の国際反戦デーの捉え方と比較すると、第三部は、苦渋に満ちた場面が多かったようにも思われる。そのできごとも含めて、その後、事態はさらにさらに苦渋に充ちたものになっていったように思い、それは、当事者であった方たちには筆舌に尽くし難いことなのであろう。
98.10.4 第二回の「怒りをうたえ」を見る集いをplan Bで開催できた。今回、新たに10名の方たちがあの映像に触れた。今回も一人。相当厳しい状況であったのにも関わらず、最初から最後まで見て下さった方がいた。さらには、若い映像作家が来られた。この集いにきてくださった人たちによるコメントを組み入れた映像作品をつくるために、ほぼ一日、plan Bにいてくれた。さらに、ぼくにも主催者ということインタビューをしてくれた。そのような出会いもあったので「やってみてよかった」と思う。どのように編集されるのか。まだわからないが、何等かの形でその作品を見たいものだと思う。
反省としては、映画上映のための設備が整っていないplan Bのような場においてあたかも映画上映のような形で「怒りをうたえ」を見る形にしてしまったことだった。今年で、二度め。くり返してみて「これは、違うのかもしれない」と思ったのであった。
plan Bでやるのだから、もっとごろごろしながら、ぐだぐだしながら、おしゃべりするのが当然という形でありながら、やる。そういうやり方ができる・・・という気がしている。
今度は、プロジェクタなしで・・、そして、土足厳禁、姿勢自由、出入り自由、おしゃべり自由、ぐだぐだ歓迎・・・という形で、やってみようかと思う。
自分の部屋で寝そべってビデオを見るのに近い形・・・での見る会。これだったら、見る会を呼びかけるにしても気楽なのかもしれない。
「なんでこんなことをやるか」ということをplan B関係者のIさんと話した。
「見て、感じるところがあった。他にも、見て感じるところのある人がいるに違いない。だから、自分でできる範囲で他の人が見れるようなささやかな機会をつくってみたい。根拠はそれだけです。それだけの根拠だけでもそういうことをさせてくれるplan Bはありがたい。また、自分がplan Bの近くに住めていることの意味はそういうところにあるのかもしれません。」
などと語ってみたのであった。
それだけのことで、続けられるだけ、続ける。そういう在り方もありだろう。 9810.08 文責:中川一郎
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よど号グループが尊憲訴え
北朝鮮から関西の団体へ
大阪発 1993.09.18 共同通信 |
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一九七〇年に日航機よど号を乗っ取り朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ渡った元赤軍派グループが「日本国憲法尊重」を訴える手紙を七〇年安保闘争の記録映画「怒りをうたえ」の関西上映実行委員会に寄せていたことが十八日分かった。細川政権下での自衛隊海外派遣反対運動に重点を置く姿勢を鮮明にしている。
手紙はファクスで届き、グループのリーダー田宮高麿容疑者(50)らが平壌で組織する「『日本の自主と団結のために!』の会」から十九日に大阪府茨木市で開かれる同映画上映会の参加者へのアピールの形式で約千百字。
この中で「派兵が『国際貢献』の名のもとについに敢行され、さらに改憲して日本がどこにも派兵できる派兵国家にしようという策動がますます強められています」と最近の政治状況に言及。
「かつて闘った人も今派兵に反対して闘わなければ、けっして闘ったとはいえず」と安保闘争世代に呼び掛け「私たち自身…尊憲平和国家の樹立のために、いっそう力強く闘っていく」などと述べている。
共同通信社
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